最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「こみっくがーるず」 5→5 かおす先生のあばばが聞けなくなるというのも、今期の寂しさの一つかもしれません。はっきりと「バ」の音を出して叫ぶ「あばば」。これはこれで癖になるものでした。 思いの外楽しめる要素が増えた作品だったな、という印象。序盤は「どうにも設定が安易だし、あんまり『漫画家志望者たちが集まる寮』っていうオリジナル要素が活きる状態になってないなぁ」と前提条件についての疑問が多かったのだが、ベタな部分はベタなりに、きらら系漫画で出来る範囲でのドラマづくりは最低限のレベルが維持されていた。中心に位置するかおす先生のキャラが思いの外立っていたので周りの環境がコントロールしやすかったのかな(「なんであんな下手なのに編集がつくことになったんだろう」っていう部分は置いとくとして)。 途中で「あ、これってひだまり荘なのでは?」って気づいてからビジョンが一気に見やすくなった気がする。基本的なモチベーションの部分でかおすちゃんと小夢の関係性がゆの&宮ちゃんにどっか似てるんだよね。時代性を鑑みてゆのっちがすごく卑屈な陰キャになっちゃった、くらいのニュアンスだろうか。そうしてみれば、「職業漫画家が揃ってる奇跡の女子高生寮だぜ」という変な設定も、「まぁ、美大目指してる専門学校生のアパートと同じくらいの気持ちで見てればいいんだろうな」と許容しやすくなったのである。あとは時折寮内ですずさんに遭遇するのを楽しみに待てばいいだけですよ(上田麗奈のイカレキャラ大好き)。 あとはきららアニメなので要所での「かわいい!」が強調できるデザインが保持できれば需要は満たすことができる。丸っこい絵柄と柔らかい色彩のバランスは良くできていて、合間に挟まる百合的要素とかもクドくなり過ぎないので寝起きの脳にも、飲んだ後の疲れた胃にも、病後の弱った身体にも無理なく摂取できる。やっぱり、これだけ大量のアニメが押し寄せる昨今の供給過多の時代、誰がなんと言おうときらら系作品はこの路線を維持してくれることが望ましいです。「薄味」じゃなくて「優しい味」。 かおす先生役の赤尾ひかるに今後の仕事が続くことを祈りつつ、今作も2期があればそれはそれで嬉しいと思いますよ。 PR 「ヲタクに恋は難しい」 4→4 とりあえず、見ているオタク連中はみんな感じたであろうことを先に書いておくと、「そのタイトルなら少しは難しそうなそぶり見せろよ」ですね。何が難しいだよ。単なるノロケ話を延々垂れ流される方の身にもなれってんだ。なんか、今期は「単なるノロケ話」アニメが結構あるんだけどね!! 基本的には1話目で抱いた印象がプラスにもマイナスにも変化せずにただただ続いていくだけだった。多分、人気があるのだとしたらオタク(仮)どうしのちょっと斜に構えたような会話の言い回しとか、そういう部分が「ギャグ」として受け入れられているということなのだろうが……だからさ、こんな会話をリアルで憚らずにやってる連中がいたら怖気が走るんだって。気持ち悪いだろうよ。いやぁ、やっぱりこういう(すごく勝手な)引け目って歳をとったオタク野郎の勝手な自己嫌悪なのかなぁ。「オタクって人種は基本的に恥ずべきものであるから、世に明るみに出ぬよう、ひっそりと静かに生きていけよ」と思ってしまうのは古い考え方なのだろうか。最近はこんな連中が社会にあふれているということなのだろうか……社会に出てないからわからねぇや……。 一応、見るべき点があるとしたら「オタクにもジャンルによる得手不得手があり、似たような言語でコミュニケーションしているように見えて、どこかで隔絶があるんだよ」っていう部分を描いたことかな。まぁ、今作の場合はディスコミュニケーションがジャンルの違いによるものなのか、単に人間的なコミュ障具合が原因なのかがよく分からんのだけどさ。周りにいる人間が過度にオタク的素養に疎かったりするのはフィクションだからしょうがないんだけど、せっかく「現代的オタク像」を掘り下げるなら、おそらく現時点で相当数存在しているであろう「ライト層」のことを切り取って見せるべきだった気はするんだよね。オタク的素養の重篤さによってどれくらい「恋は難しい」のかが対比的になるだろうし。いや、そこそこ昔から連載してる漫画に今更文句言ってもしょうがないのだが……。 とりあえず、最大の難点としては「結局どこのオタク層をターゲットにして見せたいアニメなのかがよく分からなかった」ってことかな。少なくとも私はターゲット層ではなかった気がします。全体的にアニメとしての演出方向なんかは間違ってなかったと思うので、キャラの痛々しさに目をつむればそこまで不快なアニメではなくなったのが救いだったけど。おいちゃんが気弱な(男装)オタク少女役でおどおど喋ってるのが聞けたのは割とレアな機会だったので良かったんじゃないでしょうか。 「バジリスク〜桜花忍法帖〜」 5→4 ……結局、なんだったんだろう。最終回の怒涛の展開は本当に訳がわからなかったが……これって途中も真面目に見てたら全部腑に落ちたんだろうか? やっぱりいい加減な視聴を続けているとどうしようもなくなってしまうな。 ただ、やっぱりどう考えても今作が腑に落ちたとは思えないんだよなぁ。そもそもこれ、なんで「バジリスク」の名を関する必要があったんだろう。伊賀VS甲賀の忍び対決要素はほとんど無かったし、成尋衆との対決も原作のような抜きつ抜かれつの緊張感が無かったし……やっぱり、スタート地点で既に忍法の限界を超えてたせいで、「あれを超える何かを使わないと」っていうので設定を振り回して明後日の方向へかっとんでしまった感がある。 「無敵の瞳術が前提なので、それをどうやって破ればいいか」というテーマの置き方は面白いと思う。「甲賀忍法帖」もその辺りで色々とネタは仕込んでいる訳だが、本作の場合はまず相手がそれを使うことを知った上で敵がその上を行こうとする。おかげで成尋衆の能力は全てスタンド能力をはるかに超える超常現象になってしまい、概念レベルに達するとアニメーションでも処理できなくなっちゃうっていう。もう、何がどう因果を巡らせてるのかもよくわからんのよ。ラストに向かって敵味方がバタバタ死んでいく展開になるわけだけど、「死ぬのかよ! っていうかむしろよくここまで生き残ったよな!」とツッコミもどっち方面から攻めればいいのかすら定かじゃない。いっそ「能力バトルもの」としてのエッセンスは全部捨て去ってとんでも忍術アニメにしてしまった方が面白かった気もする。でもなー、起動兵器城とか飛空機械とか、既に忍法に納める気すらないしなー。 こうして原作の「自由さ」を微妙に履き違えた感じでぶっ飛んだシナリオラインになり、最終的に世界線をまたぐリーディングシュタイナーに目覚めたりもしたわけだが、残念ながらそうした破天荒なプロットを描くのに、本作の演出はあまり向いていなかった気がする。西村純二の耽美かつ劇的な構成は作品次第でハマることもあるし、多分好きな方だとは思うのだが、本作はやっぱりチャンバラや怪獣バトルでどんぱちやってほしいので、あんまりノロノロやられるのは好みじゃない。まるで歌舞伎でも見ているような、ゆったりと持って回った演舞の立ち回りは、どうしても作品が孕む馬鹿馬鹿しさに相入れないのだ。いや、そこまで含めて全部ギャグだという解釈も可能だけども……そもそも何が起こってるか分からないシーンが多いから、演出の妙で笑うよりも先に、何がどうなってるか説明して欲しいんだよ。ギャグの説明が必要なアニメだったんだよ。そう考えると、やっぱり生まれながらにビハインドが多い気がするな……。 もっさりした演出で、ざっくりした画面展開、そしてどこかピントのずれた脚本運びと、本当に捉えどころのない作品でした。所々のネタ回しで面白いところはあったんだけどねぇ、孔雀の生き様とか、あと最後の成尋のネタとか。まさか2クールも作品を追いかけて、あの人が最後の最後で大活躍(?)することになろうとは……。そして最終回のオチはジジイが幼女に向かって「わしの子を孕め」っていうエンディング。なんかもう、そこだけ観て満足した気もする。今期は色んなテイストの土師孝也が楽しめるので、そこは満足です。あと上しゃまがエロい。ほんとエロい。 「ウマ娘 プリティダービー」 6→7 ヤァみんな! P.A.Works大好きおじさんだよ! 毎度のことながら、大好きっていう感情を垂れ流しているよ! まぁ、今作はこれまでのP.A.作品とはちょっと雰囲気が違ったけどね。 おちゃらけた入り方をしてみたが、毎週感想を書きながら頭を悩ませていたことからも分かる通り、今作は本当に難しい作品である。何が難しいって、「なんで面白いのかよく分からない」のだ。だって、やってることは単なる陸上競技会。しかもそのほとんどは結果がどうなるかわかっているレースだし、結果がわからないレースの場合には結末をうやむやにしてしまっている。ドラマの筋立てで楽しむべき点なんて、ろくすっぽ無いように思えてくるのだ。それでも、何故か今作は涙腺にクることが多かった。なんでそんな気持ちで見ることができたのか。考え始めると結構難しいんじゃなかろうか。 今作の構造について考えている時に、ふと思い出した作品がある。「ゲームプロジェクトが発祥」で「実在の過去の歴史から美少女キャラに擬人化した作品」で、「史実に則った展開を繰り広げる」作品。お気付きの方もいるだろうか、「艦これ」である。しかし、個人的な入れ込みの差こそあれ、おおよそ「艦これ」アニメは評判が良くなく、今作は楽しんでいるファンが多かったように思う。共通するデザインも多い「ウマ娘」と「艦これ」。今回は「ウマ娘」の魅力を考えるため、少しこの2つの比較からその理由を探ってみよう。 「ウマ娘」が良かった点、と言われてすぐに思い浮かぶのはアニメーションとしての映像のクオリティだ。謎の海面滑走なんかで話題を呼んだヘンテコCGの「艦これ」と比べて、P.A.のリソースを惜しげも無く注ぎ込んだ今作は全体的な作画部分での魅力が多い。女の子が可愛くて、そのレースシーンも盛り上がりがダイレクトに画の迫力に現れるのだとすれば、そりゃ人気は出やすいだろう。ただ、「可愛いから」なんてのはどこまでも個人的な好みの話であろうし、ひたすら手足を振り回して走り続ける疾走シーンに「作画が素晴らしい走りだ!」と毎回惚れ惚れしていたのかと言われたらそうでも無い。キャラ造形の魅力は一要因ではあろうが、他作品と差別化を図る決定的なものではない気がする。 それでは2点目。ソシャゲの企画を立ち上げた時点で割と優位な点ではあるが、「テーマ設定の親しみやすさ」はどうだろう。この手のソシャゲの大前提に「女の子の可愛い姿がみたい」という欲求があり、ただひたすら走り続けるだけの「陸上部アニメ」は、我々の知っている女の子の生態に矛盾しない。少なくともなんかよくわからん敵を相手取るために1人で海に出撃して魚雷を打ち込む女子よりは理解できるだろう。そして、元来競走馬という対象にも性格設定や人間的な親しみが備わっているものであり、「アイドル」と「競走馬」という似通ったオブジェクトをダイレクトにくっつけた設定は、想像以上にキャラの掘り下げを進めることに貢献した。「1クールでこんな大量のキャラを覚えられるわけねぇよ」というソシャゲお約束の問題も、ちょっと調べればたくさんの「競走馬の情報」が出てくる今のご時世なら、公式で説明文を書かずとも視聴者が勝手に補完してくれる。そうして「既存のキャラクター像」もそのまま借りて、膨らませることができるという設定の妙は、「競走馬アニメ」の大きなアドバンテージだったのは間違いないだろう。ただ、そうはいっても、最初に提示した「単に走ってるだけなんだけどなぁ」という問題の直接的な解答は提示されていない。「毎週走るだけ」と言えば少し前に「プリンス・オブ・ストライド」という競技アニメがあったが、あちらは「単に走るだけ」の設定からもう一つ突き抜けることができず、「まぁ、こんなもんやろ」で終わってしまっていた気がする。今作だって、夢や野望はたくさんあるが、スペもスズカも結局は「ただ走るだけ」の存在である。となると、もう1つ何かが必要な気がする。 そこで、最終話を見て思い至った最後の1ピースは、トレーナーの存在だった。そう、思い返してみれば、艦これアニメには中心となる「提督」が不在というとんでもない欠落があったのだ。少女たちを見る視点の欠落。少女たちの動機付けの不在。そうした部分を全て1人で埋め合わせたわけでは無いが、象徴的に支え、視聴者のための視点を提供していたのが、本作のトレーナーであった。こうした「美少女動物園」(文字通りの!)アニメでは男が出てくるだけで毛嫌いされる、なんて風説もあるが、少なくとも今作のトレーナーはそうしたヘイトを集める存在ではない。なんなら最後にスズカとくっつきそうな勢いだったにもかかわらず、トレーナーはいい奴だし、立派に仕事を果たした名伯楽である(これまた文字通り!)。彼が「なぜウマ娘を育てるのか」という部分、「なぜ勝って欲しいのか」という部分をはっきりと提示してくれたおかげで、「単なる陸上競技会」アニメに目的と動機が生まれた。それぞれのキャラが別個に「走る意味」を見出せば、そこにはキャラの数だけの戦いが生まれ、ドラマが生まれる。正直、わずか1クールであらゆるウマ娘に万全の「ドラマ」が与えられたとは言わないが、それでもスペとスズカの二人を支えるくらいのことは出来ただろう。そうして物語の芯が出来上がれば、あとはP.A.WORKSの地力でもって「良い映像」として肉付けしていくだけである。そうして、「ウマ娘」は形をなした。 多分、これだけ長々と書いてみても、「いや、やっぱりワカンねぇよ」という気持ちの方が大きいのだが、それでも毎回のレースでなぜか目が潤んだのはまぎれもない事実である。小手先芸を用いずとも、ただそこにあるものを最大限に活用し、力でねじ伏せた「王道」アニメ。今作には、そんな評価が一番似合うのかもしれない。 ちなみにいつも通りに蛇足になるが、個人的に楽しみなのは主演声優の今後である。というのも、P.A.作品は「SHIROBAKO」の木村珠莉や「サクラクエスト」の七瀬彩夏など、主演に抜擢された若手がその後渋くていい活躍をする傾向にあるからだ。今作主演の和氣あず未はすでにある程度評価を得ている状態での登用だが、スペシャルウィークではまた新しい魅力を見せてくれたように思う(スズカ役の高野麻里佳もね)。今後はどういう広がりを見せてくれるのか、「ウマ娘」という期待の新ジャンルと合わせて、今後の成り行きを見守らせてもらいましょう。 「カードキャプターさくら クリアカード編」 6→6 今期最初にゴールを迎えたのはこの作品だ。……すまん、終わったっていうことを認識するまでにだいぶ時間がかかった。わざわざ封印の獣が最終回だって強調してくれてたのに、聞く耳持ってなかった。「多分、ミニコーナーが終わりってことだな、1作目の時も放送途中でコーナー終わってたしな」って自分を納得させてた。だって、こんなところで終わられても……。 というわけで、はっきり言ってかなりの消化不良である。2期目があることは疑っていないが、それがいつになるのか分からない。どこぞの利根川先生のごとく、それは5年後でも、10年後でもおかしくないのである。どれだけスパンが空いても今回の「18年ぶり」に比べれば可愛いもんだし。そう考えると、こんな状態で投げっぱなしにされたフラストレーションは今後も大きな足かせになるのではないかと思われる。せめて、もうちょっと心穏やかになるような最終回の構成は用意できなかったものか……。 いや、分かってるんだよ。原作はあえて読まないようにしてるけど、別に誰も不幸にならないだろうってことくらいは理解してる。「さくらカード編」の時だって悪い奴なんて1人もいなかったし、この世界はどこまでいっても「なんとかなるよ、絶対大丈夫だよ」という魔法の言葉がかたをつけてくれる優しい世界。最終的には秋穂ちゃんと一緒に幸せな中学生活に戻れるはずだ。でもさ、分かっててもさ、この状態は辛いでしょう。海渡の野郎は何を狙っているのか、ユエは、桃矢はどうなってしまうのか。もう、色々不安でしょうがないよ。何より、今期は結局最初から最後まで小狼がず〜〜〜っと辛そうな顔しかしてないのよ。そりゃさくらちゃんとイチャイチャしてる素敵エピソードもあるにはあるが、それだって「さくらには申し訳ないことしてるんだよなぁ」みたいな後ろめたさで十全に楽しめてないみたいだったし。いいんだよそんな心労は。我々は健全な中学生男女の交際の様子が見られればそれでいいんだよ。何でもかんでも背負いこみすぎだろ、この坊主。そこが彼の良さなんだけどね! うーむ、どうあがいてもこのモヤモヤは晴れることはないが……そうしたどうしようもない要素を除いて考えれば、実に素直に、望まれた通りのアニメ化が実現していたのですよ。「何も変わらずに」というのが褒め言葉としてすんなり使える安心感。キャストを含めた製作陣は、誰もがこの作品を愛してくれている。足並みはそろっているし、呼吸も見事にあっている。個人的に嬉しいのは、前期後期合わせてテーマソングがすごくしっくりきたこと。鈴木みのりはまだまだ若いのにこんな作品で大役任されて大丈夫かなぁ、と思ったが、役も歌唱も素直に楽しめるものになっていた。安野希世乃や早見沙織といった声優の起用も不思議と馴染んでいたし、誰も「坂本真綾じゃなきゃダメだ!」と文句は言わないだろう。素材が変わっても通底している理念がブレなければ作品としての完成度は維持できるのだ。 本当に安心して見ていられる作品だっただけに、今後展開されるであろう「さらなる続編」がどうなるかは祈るような気持ちで待ち続けるしかない。ほんに殺生ですわ。 「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」 5→5 やぁみんな! 京アニ大好きおじさんだよ! その正体はP.A.WORKS大好きおじさんでもあり、シャフト大好きおじさんでもあるよ。知ってるなぁ諸君。 大好きおじさんは、大好きだから配点も悩むよ。今作もいつも通りの京アニ評点だ。つまり「作画だけならよその作品をぶち抜いて文句無しだけど、京アニだとそれが普通になっちゃってるから差っ引いて考えるよ」っていう。理不尽極まりないけどな。もう京アニの場合は「どう描くか」と「何を描くか」の総合点で評価しないと話にならんのだ。最終話の気が狂ってるとしか思えない水滴の描写とか見ました? 「Free!」以降、京アニには「水の表現だけは絶対譲れない」みたいな謎のこだわりがあるよな。まぁ、ユーフォ以降は「楽器なんかの金属部分の表現だけは絶対譲れない」みたいにして、どんどん譲れない要素が増え続けてるんだけど。 とにかく、そんな美麗で壮麗な映像美で彩られた見事な作品。しかし、「何を描くか」の部分を振り返ってみれば、残念ながら存外普通である。面白くないこともないのだが……普通のイイハナシだったからなぁ。評価が難しいってのはそういうことだ。多分、純粋にシナリオ部分だけで勝負をしたら色々と辛い部分の方が目立つと思う。最初に気になった「幾ら何でもアスペすぎるヴァイオレット」と、そのヴァイオレットが一足飛びで出世してミラクル自動人形になっちゃうくだりが流石に性急だったし、最終的に「戦争の影」が再び迫り来ることは予定調和であるものの、どうにもそれ以前の「素直にいい話」との熱量がちぐはぐになってしまっていて、なんだか焦点がぼやけた印象になってしまった。 確かにヴァイオレットというキャラクターを描くためには「戦争被害者」としての「機械のような少女」を作る必要があり、そのためにはキリングマシーンを作り上げるのが手っ取り早かったのはわかるのだが、彼女が「大好きを知る」という目的のために、もう一回戦場に戻す必要って実は無いんだよね。最終話近くの「戦禍は未だ残り続けているのだ」みたいな部分って、別にヴァイオレットの罪を問うものではないのだから、無理やり荒事に引き摺り込まずとも似たような話は作れたはずなのだ。でもまぁ、そこでやっぱり「可憐な少女兵士」というヴァイオレットのギャップを活かさないと勿体無い、ってんで、突然の落下傘部隊とか、義手を全てぶっ飛ばしての列車ミッションとか、そういう映像的に派手な要素を盛り込んでしまったのだろう。やりたいという欲求はすごくわかるし、見栄えがするのは間違いないのだが、そこをグッとこらえて本当に「生まれ変わった手紙屋さんのヴァイオレット」像だけに絞って物語を作っていれば、またお話は違ったものになっていたのではなかろうか。殺すの殺さないのという問題は、ヴァイオレットの人生とは切り離して考えるべきだった。 まぁ、原作ありのお話なのでアニメ自体にケチをつけても始まらないのだろうが……京アニって割と原作いじるらしいし、本当はどういう作品だったんでしょうかね。やっぱり落下傘部隊はやったのかなぁ。あれって「戦場に再び舞い戻るヴァイオレット」っていう悲壮さよりも、ギャグとしての色合いが濃くなっちゃったシーンなんだよな……。悲劇を効果的に描くのって、やっぱり難しい。まぁ、とにかく景色が綺麗で、女性がきれいで、その涙も綺麗ならば文句はない。それくらいの作品でございました。続編が決まったらしいが……まぁ、京アニなら劇場版やろな。わしゃ早く「リズと青い鳥」が観たいだけなんや。 「オーバーロードⅡ」 5→5 分割かよ。ほんなら今の時点で評点する意味もあまりない気がするのだが……一応節目ということで。 正直、1期の時ほどワクワクする要素はなくなってしまった。2期になってから変わった点はいくつかあって、事前に微妙だと言われていたトカゲ編がやっぱりそこまで盛り上がらないとか、なんでアルベドさんの出番がないんだとか、その後の王都編は何が起こってるのかわかりにくかったとか、やっぱりアルベドさんを出せばいいんじゃないかとか、結局モモンガ様のお悩みは解決したのかとか、それにつけてもアルベドさんが暇だったとか、色々と釈然としないものがある。 いや、冗談でなしに、結局この作品の一番の売りって、小心者で一般人だったモモンガさんのなんちゃって最強魔王っぷりを楽しむ、一種のギャップ萌えみたいなところがあって、それをやんややんやと盛り上げてくれるお友達の皆さんのリアクション芸でフォローしていくわけですよ。もちろん、そのためには伏線が必要だから、精一杯驚くためにトカゲ文化を醸成したり、必死に爪を切ることに躍起になる剣士様が成長したりする要素が必要なのは分かるのだが、それにしたってモモンガ様の活躍があっさりしすぎである。「オレツエーなら振り切れるくらいにオレツエー」という見せ方が楽しみなんだから、有象無象の人間どもの普通の寸劇なんてそこまで見たくないんだよな。まぁ、ヤンデレ姫がどこまでいくのかってのは今後の興味対象ではあるんだけども。モモンガ様のオレツエーのためにセバスのオレツエーを見なきゃいけないとか、そういうもっさり感がちょっとマイナス要素になったのかな。 でもまぁ、新しいキャラがザクザク出てきて今後の壮大な物語の下準備になっていると思えば我慢できるレベルではある。何はともあれイビルアイちゃんは可愛かったので、それはそれで良しとしようじゃないか。まぁ、完全に途中からなでしこになってたけども。みんなでナザリックにキャンプ行こうぜ! 「3月のライオン(第2シリーズ)」 6→8 毎週感想書いてたから特に追記することもない系作品その4。ただ、今作を評するに際して、見るべき視点は多いに越したことはないと思う。 毎度毎度私が気にしているのは、「シャフトはどこへ向かうのか」というトピックである。新房昭之による独特の演出方向に特化することで替えの効かない特異なスタジオとして頭角を現したシャフト。良く言えば唯一無二でオンリーワンなのだが、悪く言えばマンネリで頭打ちとも言える。目新しさが誘致要因になれば良いのだが、作品数が重なるにつれていわゆる「シャフト演出」的なテンプレートに依拠する傾向も現れ、そこに演出の工夫としての特異性が失われるという懸念は常につきまとう。元々が抽象度の高い方向性での攻めの作品作りなので、これをどのように進化させていくのか、という舵取りは非常にデリケートな問題。例えば「まどマギ」の場合、シリーズディレクターを務めた宮本氏の特異な方向性である実写や異物の取り込みに特化し、イヌカレー空間という新しい世界を切り拓いたりもした(現在はこれが「Fate/EXTRA」に流用されている)。しかし、最近では攻めの演出を見せた「打ち上げ花火」が今ひとつ焦点を絞りきれていなかった印象があり、攻めるにしても娯楽としての作品性を失うわけにはいかないという葛藤が現れていたように思う。 そんなシャフトにとって、また新たな切り口になるであろう作品が、この「3月のライオン」だった。4クールにも渡る長期シリーズのディレクターを務めたのは岡田堅二郎氏。この人はいわゆる「シャフト的な」抽象化にはそこまでこだわらない人で、今作も序盤の見せ方にいくらか平易な作品らしい部分を盛り込み、導入のハードルを大きく下げる役割を果たしている。しかし、そのまま安穏と作品作りを続けるだけではなく、要所で「らしい」演出方向での見せ方も取り入れ、シリーズ全体での「溜める」「吐き出す」というリズムを生み出すことに成功した。もちろん個々の話数を担当した演出家の人たちの傾向も大きいのだろうが、こうして通底したリズムや方向性を生み出すことができたのは、おそらくディレクターを務めた岡田氏が、今作をどのように形作るべきかをきちんと見定めていたことに依るのだろう。 心情描写に詩的要素を大きく含む羽海野チカ作品と演出の方向性が噛み合ったことも大きいが、単に原作漫画をトレスするだけに止まらず、アニメだからこそ生み出すことができるより複雑で壮大な幻想性が加味されたことは大きな収穫である。一見すると全くアニメ向きではない将棋というテーマもそうだし、将棋を離れて様々なドラマを含んだ青春群像劇としての心の動きも、全て「アニメとして」の表現を心がけている。「シャフトだから抽象的な対象を描くことができるよ」というだけでなく、既存のシャフト演出ではどこか物足りなく、何が枷となっていたのかを読み解き、さらなる「見え」の世界を構築したことは、また一つシャフトが新たな次元へと到達したことの表れなのではなかろうか。新房監督が今作にどの程度関与しているのかは分からないが、もし監督が最終的にこの方向性でゴーサインを出したのだとしたら、まだまだシャフトの可能性は広がっていきそうである。 あとはまぁ、中の人の話とか……はもういいかな。画面における情報の抽象化が進んだシャフト作品の場合、キャスト陣の演技によって定まる部分が大きくなる。それらを見事に受け止め、先鋭化させてくれたキャスト陣の頑張りは本作を語る上では無視できないものだろう。2期で忘れられないのはやっぱり柳原さんの壮絶人生をわずか2話で全て抱え込み、ぶちまけた芳忠さんのスゴみですかね。こういう作品でこそ、役者陣の仕事ってのは見えてくるもんですね。 「だがしかし2/たくのみ。」 5→5 新番チェックの時にまとめて一本扱いで処理したので、普段は記録しないショートアニメ枠も一応。 ・「だがしかし2」 ほたるさん、ほとんど出てこないシーズン。彼女の無根拠なテンションが大切な作品でそれが無いのってどうなんだよ、って思ったけど、はじめちゃんのおかげで一応間は保ったかな? 完全に駄菓子ギャグ作品からシリアス含みの恋愛漫画にシフトしてしまったが。個人的にはもうちょいギャグ寄りのテンションで見てたかったかなぁ。駄菓子要素がなくなったらこの作品である必要性ないしなぁ。 ・「たくのみ。」 酒は飲まない私だが、1話につきお酒一種類という絞り込んだテーマ設定担っているおかげで、「へぇ、ちょっと気になるかな」というくらいの気持ちにさせてくれた作品。実際、これを見た翌日になんとなく慣れない酒を買って見たりもした。我ながらお手本のようなちょろさである。設定上の必要性とは言え、社会人女性が居並ぶ「日常もの」ってのもなかなか珍しい設定で、話題の中身がアニメっぽくない部分があるのも一応の個性か。まぁ、ぶっちゃけ「ちかぺにアルコールを与えてほやほやしてるだけのテンション」が楽しいっていうだけで割と満足だったんですけどね。まぁ、中の人にダイレクトに酒飲ませたほうがいいんじゃねぇかって気もするが。
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プロフィール
HN:
Thraxi
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男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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