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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「攻殻機動隊 THE GHOST IN THE SHELL」 5→5 ヲイヲイ、もう最終回シーズンなのかい? 今作は10話で終わっちゃうまさかの角川スタイルだったので一足お先ではあるのだが……「歳をとると時間の流れが速くなる」ってさ、ある程度歳をとったら「そういうもん」で受け入れられると思ってたんだけどさ、加速度的に速くなっていくからいちいち驚いちゃうんだよな。 などというどうでもいい話から入ってることからも察してほしいが、私はこのアニメの中身を理解していない。理解を放棄した。新番チェックの時にも言い訳してたんだけど、元々「攻殻」シリーズはほとんどフォローしてなかったもんであんまりバックグラウンドも理解してなかったんだよ。そこにこうして容赦ない構成のものをぶち込まれたところで、理解が深まることがないのはご容赦願いたい。でもまぁ、割と早々に理解を放棄したのは申し訳ないとは思うけども。 それでも途中で切らずに(形式上は)最後まで視聴していたというところに今作のポイントがあって、トータルで視聴モチベを一番支えていた感情は「へ〜」である。いや、わけ分からんね。でもほんとに、「ほほう!」とか「なるほど!」とか「すごい!」とか「なんじゃこりゃ?」じゃなくて「へ〜〜」くらいなんですよ。これはもはや物語の中身についての「へ〜」じゃなくて「へ〜、攻殻って、こういうものだったんスね」という漠然とした全体像への「へ〜」である。 「過去になんとなく見てきた攻殻シリーズが元の漫画作品からはかけ離れた雰囲気のもので、今回のアニメ化は極限まで原作に近づけたものだよ」という情報は1話目時点で入っていたわけだが、それがどんだけ突飛なものだったのかがよく分かってなかったもんで、それを実感できるタイミングでいちいち「へ〜」となっていた。こんだけ徹底して「守りたい雰囲気」を維持してくれたおかげで、少なくとも今作のスタッフが伝えたいことは伝わってきたし、こうして「原作準拠版」を相当な労力を持って生み出してくれたおかげで、漠然とした認識にいくらかの変化があったのは間違いない。そうして「へ〜」を届けてくれたことについては素直に感謝している。 また、サイエンスSARUによるアニメーションは見た目に面白いものも多く、途中からシナリオ内部の理解を完全に放棄したにもかかわらず、最後までさほど苦もなく「眺めて」いられたのは、純粋にアニメーションとして面白い部分があったからだ。まぁ、猫が動くものを見つけたらなんとなくじゃれついちゃうのと同じレベルで、「なんとなく動きが面白い」レベルの話かもしれないけども。でもさ、まったくのたらればの話だけど、これまで展開されてきたような「アニメ版」攻殻など全く無い状態で、いきなりこの「漫画版攻殻」が世に出されてたら評価がどうなっていたかは気になるよね。これはこれでニーズはあった気もするけど。 惜しむらくは、そうして事前に「これと違う」攻殻があったもんで、今作スタッフは「まぁ、これを見てるファンはだいたい攻殻のなんたるかを知ってるやろ」ってんで一見さんお断りな作品作りに踏み切ってしまったこと。専門用語は難しすぎるし、ちょいちょい挟まれるTipsは文字が小さすぎて読ませる気はなさそう。ほんとのほんとにここから始めて攻殻を見てみたい、と思う人間にとってはだいぶ高いハードルになってしまった。でもまぁ、「新規層狙いで作ってないから」と言われたらそれまでのこと。俺みたいな人間が文句を言う筋合いもないし、別に文句を言おうとも思わない。「攻殻ってそういうもんでしょ」と言われたらそうかもしれないしね。 というわけで、「結局よく分かんなかったけど、アニメとして何かしら楽しそうな雰囲気はあったからそれでいいのでは」という無責任な結論にしておきます。個人的には新規キャスト勢はとても良かったと思う、ということだけ付記しておきますね。 PR 混迷尽きず、第10話。訳の分からぬ状態はそのまま、1つだけ間違いないのは「琵琶湖、大変やな……」ということくらいである。 振り返れば今作において何かがはっきりと「分かった」タイミングなんてほとんど無かった気もするのでこのまま勢いでクライマックスを迎えそうだが、そんな中でもなんとか問題を切り分けて理解に努めなければいけない。いくつか今回のお話でも言及された部分はあるので、分かったことと分からないことを簡単にまとめておこう。 一番大きな進展はサブタイトルにもある通りにララが持っていると言われた「刃」、つまり、私がこれまで「琵琶湖の上の魚」という長い名前で呼ぶしか無かった謎のフライングオブジェクトについて。以前から魚だったり刃物だったり大量破壊兵器だったり、謎に包まれた物体だったが、あれがたびたび落下して人を傷つけていたのは、その存在が「破壊の欲求」であったからだという答えがローワン王から提示された。あれは人魚にしか見えない特殊な存在で、王はあれのことを「光」と称した。これまでララが「お前は特別なのだ」「本当の愛を見つけた時にララの光が人魚を救う」と言われ続けていたが、その「光」とやらが具象化したのが、あの魚であるらしい。ということは、これまで何度か起動したタイミングは、全てララのなんらかの心的な動きに反応していたということなのだろうか。 人魚を救える唯一の希望だと思われていた「光」が、なぜあんなとこにあって、あんな禍々しい姿をしているのか。それについてもローワン王が(なぜか)解説してくれたが、元来「光」と呼ばれるべきララの特別な力は、かつて「人魚姫」の時代にララが人間と関わりを持ち、手ひどく裏切られたことによって汚れてしまい、そこに人間に対する恨みつらみ、なんらかの呪いを内包してしまったのだという。それが人間への破壊衝動につながっているのかはよく分からないが……でも、以前あの魚が落ちてきて人魚族であるはずのコータも被害を受けてるんだよな。とりあえず現時点では「なんらかの害意」というふうにまとめておくしかないか。 こうしてローワン王が蘇ってヘロヘロながらも情報を提供してくれるのは、魔女様が死んでしまったためだという。元々人魚族が眠りについたのだって魔女が絡んでたという話で、その根源が息絶えたため、眠っていた人魚族も少しずつ目を覚ましそう。ただ、どっちにしろ現代は人魚が生きるには辛すぎる時代なので、今のままでみんなして目覚めてもすぐに泡になってしまうかもしれないという。結局、あの「光」を当初想定されていた方向に向けることができなければ、魔女がいようがいまいが結末は一緒ということなのか。 魔女の喪失によっていろんなところに異変が起こり、その代表は琵琶湖の生態系バグ。突然の花々、そして藻の大量発生により船が出せなくなってしまったというが、クルーズが出せないと地元の商工会とかが経済的に結構なダメージを負いそうである。まぁ、作中においては「茉里がララが潜んでいると思しき沖島に行けない」という弊害しかない訳だが、こうして断絶が生まれているということは、わざわざ「光」が発動して琵琶湖をこんな状態にしているのも、ララ(たち)が外野の介入を拒否していることの表れとも取れるか。おかげで茉里やルカもララの現状がつかめず、わずかな手がかりを求めて学校をサボりつつ駆け回るハメになった。 トンデモ状態の琵琶湖がどうやったら戻るか分からないし、やっぱりこの期に及んで本当の愛と「光」の関係性だって分からない。かつて人間に裏切られた際に歪んで「人間殺すべし」の気をまとってしまったという「光」だが、そんな状態でもまだローワン王やリサが「なんとかしてよララ」と縋りついているってことは、ここからまだ人魚界を復興させられる算段があるということなのだろうか。その辺の「ララについての認識」がまとまってるかどうかがよく分からんのよな。 そしてもう1つ、一番大きな謎は「結局魔女様って何がしたかったんだろう?」である。今回急に飛び出して憤死してしまったことももちろん謎だし、ラストで出てきたウミヘビとどういう関係にあるかだって気にはなるが、私としてはもっと気になるのは「童話の時代の人魚姫に、なぜ魔女は薬を渡したのか」である。かつて魔女がララに薬を与えて人間との接触を促したことにより、最終的にはその関係が破綻、ララが恨みを抱え光が歪むに至った。つまり、現在のこのどうしようもない殺伐環境が芽生えたのって、魔女様のせいなのである(もっと責任を追及するなら結局はララが悪いってことになりかねないが)。もしかつて魔女様が余計な薬を渡さなければ、人魚族は今も海の底で静かに暮らしていたのだろう。まぁ、人間の進歩が目覚ましく、海の中にまで入ってくるのも時間の問題ではあるのだろうが、少なくとも積極的に人間と拘らずに生きていくビジョンもあったはず。しかし、それを魔女様はぶち壊した。 魔女がどこまで狙っていたのか。ハナから人魚姫と王子の愛など成立するはずがないとたかをくくって送り出していたのなら酷い話で、その結果としてララの「光」が濁ってしまったのだから、そこに弁明の余地はない。ただ、聡明な魔女様がそんなあからさまな大失敗をやらかすかと言われると多少疑問もあり、「うまくいくことを願っていた」可能性が1つ、そして「光が濁ることまで計算に含んでいた」可能性が1つ。そして後者の場合には魔女様が全部悪いというオチになるわけだが、少なくともこれまでの魔女様の振る舞いを見てると、人魚全滅を願う極悪人には見えないのだよな。魔女様が考えてたことが開陳されない限り、この物語は終わらないだろう。ほんと、何を思って飛び出したんだろう……。 そんな魔女の考えは誰にも理解できず、ララの「本当の愛」もまだ見つかっていない。茉里の行動が随分大胆になってきたので、もしかしたら「愛」のとっかかりにはなるかもしれないが……やっぱりそうなるとルカのポジションは不憫やな……。 流石に適当すぎワロエナイ、第10話。まー、構成上これくらいの熱量になってしまうのはしょうがないことなのかもしれないが……どうしようかねぇ、オリジナルアニメの「尻すぼみ」って展開はありがちだけど、この構成だと尻どころか「腰すぼみ」くらいになってしまうかもしれない、最後にもひとつ「ボンキュッボン」と盛り上げどころを用意できるかどうか。 キルクスコレクション開幕からの1回戦。正直、前回あたりから「サーカス競技の大会ってなんやねん。そんなもんを懇切丁寧に描くだけの尺と技術があるんか?」と不安には思っていたが、端的に言えば「そんなもんはねぇ」である。いや、技術については分からんが、1クールアニメでクライマックスをこの後にがっつり用意する場合、予選段階をじっくり描写する余裕なんてないだろう。また、これまでのお話ですでに「良いサーカス演技とはどんなものか」を画面に描写することは半ば放棄する姿勢であることは自明であり、「いいパフォーマンスだったんですよ」を示すためにエフェクトでキラキラを入れるというあまりに適当な処理はある意味で潔いとすら言える。まぁ、伝わればいいわけだからね。そこに無駄に時間を割くよりも、「なんとなく、ひまわりサーカス団は成長して見事な舞台をお届けできるようになったんです」という情報だけで納得してもらうほかないのだろう。 その辺りの台所事情は察する部分もあるのだが、それが面白いかと言われると流石にNOな気がする。1回戦の描き方、この辺の苦しさを重々承知した上で「ネタっぽく」相手側の驚き台詞だけで処理するという大胆な方策が取られているが、これだってしょーもなさを逆手に取った正道とは言えない笑いの作り方。それだけで終わってしまうのは勿体無いとは思う。物語的にも団員連中がそんなにいい仕事ができるようになった理由は特になく、一応「団長のために頑張らなきゃ!」というモチベの上昇はプラスのはずだが、みんなしてそこまで必死になっているようにも見えない。結局、瑞佳が冷笑系のキャラとして導入され、その温度になんとなく合わせて周りのキャラも動いていたため、180°方向転換してスポ根で盛り上げようにも、過去の罪状が足を引っ張っている形である。面白さの起点がそうした「スカし」のギャグだったもんで、視聴者の姿勢もなかなか切り替えられないし。 一応プラスの要素があるとするなら、じわじわと感情を露わにするようになった七海さんの存在だろうか。結局「おねーちゃん大好き」がベースにあると思われる七海さん。彼女が本来なら相手にしなくてもいいレベルのひまわりに対して躍起になっている様子は、アホっぽくもあるが可愛らしくも見える。彼女の執着に匹敵するような感情を瑞佳が持ち得た時に、初めて同じ土俵に上がれるだろうことを考えると、まだまだ足りてない要素は多そうである。 今後、当然クライマックスには瑞佳と桜翔のコンビネーションが炸裂することになるのだろうが、そこをしっかりアニメーションで魅せられるかどうかが評価の分かれ目になりそう。頑張ってほしいけどなぁ。 最終回までこの調子か、第34話。いや、いつも通りではあるんですけどね。もはやショートコントのラッシュなので、どうやって最終回っぽさを出すのかは気になりますね。 Aパート、当然前回加入に至ったキシカの入団イベント。今回は割と真っ当に新メンバーの属性に合わせたイベントになっており(?)、きっちり道着を着込んでのチャンバラ対決だ。おかげでボケしろはそこまで多くなく、真っ当に倒されるものは倒されていくだけ。アホさを一番に発揮したのがハカリだったのは御愁傷様だが、実は一番惨めなのは先陣切って突っ込んで何一つ爪痕を残せなかったイクだったんじゃないか説がある。予想外だったのはヤクさんの活躍。「和の心」ということでナディーがある程度剣道の心得があったというのは設定的にも変な納得感があるが、それ以上に剣の道で秀でていたのはまさかの89歳である。「チャンバラとは懐かしいのう」とかいうてたけど、別に妖怪でもなんでもないし、このお年ならせいぜい駆け抜けた時代は昭和なので、「江戸時代の武家の娘がタイムスリップ」みたいな扱いではない。なぜやたらと動けた上に師匠筋みたいな余裕のメンタルを発揮していたのかは気になるところである。 そして流石と感心したのがオチのキめ方。すみません、正直に白状して私も試合は終わったと思ってました。メイさんのジャッジが下された時点で疑ってなかったのだが、なるほど、完全無欠のメイドであるメイさんにも1つだけイレギュラーがあるのだったな……。(ヤクさんに次ぐ)年長者のくせして卑怯な手段も遠慮なく使う人格破綻者・ハハリ。今回は(今回も)彼女の畜生っぷりが遺憾なく発揮されている。イベント開催したのも、最終的にキシカを手篭めにしたかったからなのだろうが、想像以上にその属性がお互いにはまってしまい……あり得ない純度でのコラボレーションを発揮。「甘やかしたい者」と「甘えたい者」のシンクロ率は限界を突破し宇宙を破壊した。ちなみにトロトロ状態のキシカを見ての残りの14人の反応だが、チヨちゃんが「う〜〜!!」してるのは分かるが(放送コードに引っかかるため)、何故かハカリまで「う〜!」顔だったのはちょっと謎。別に今更ハハリを取られたところで悔しいと思うような性格でもなかろうし、単に母親が公然と危うい行為をしているのをよく思っていなかっただけだろうか。あとメイさんはハハリさんの願いが叶ったことを喜んでか涙を流していました。なんなんだこのメイド。ちなみにヤクさんはぽかーん顔だったのだが、冷静に考えるとこのメンツの中で授乳経験があるのってハハリとヤクさんの2人だけなんだよな……。え? ヤクさんって授乳経験あるの!? やばくない!? Bパート、ラーメン屋コント。いちいち訪れるメンバーの特性に合わせて変なラーメンを考えてくれるラーメン店店主(CVあみっけ)の頑張りも評価ポイントだが、何故か律儀にメンバーが2人組になってきてくれるところが見やすくて助かる。今回も全ペアさらっていくと、1組目・激辛ラーメンVS薬膳家。ヤクさん目線で「うちの孫かわいすぎん?」っていう感想が出てきたのちょっと嬉しい。 2組目・クソ熱ラーメンVSイク・キシカ。一応「運動部筆頭コンビ」であり、(見た目上は)厳しい者とドMの組み合わせである。そのせいでキシカが甘えようとすると完全に空回りするのがなんか草。 3組目・クソ刺激湯気ラーメンVSメイ・ヤマメ。ここはぶっちゃけあんまりコンビっぽさは無いので、無敵ユニットのメイに余ったヤマメを当てがっただけ、という感じ。クソ刺激湯気ラーメンは体内に摂取して大丈夫なのだろうか? 4組目・クソ硬肉ラーメンVSモミジ・カラネ。これもモミジをぶつける際に余ったカラネを当てがった組み合わせか。モミジさん、ふわふわしてて捉えどころがないので、カラネのなんでも受け切るツッコミ気質に救われてる感はある。 5組目・クソ汁ハネラーメンVSミミミ・メメ。ド安定カップルなので特にコメント無し。こうしてみるとやっぱりミミミさんはスペック高いよな。盛大なふふ〜んですわ! 6組目・クソバカラーメンVSナディー・チヨ。もう単なるネタなので組み合わせも何もないけど、最年少と指導者の組み合わせなのに立場が逆、というのがちょいとした笑いどころか。 7組目・クソ長名前ラーメンVSナノ・シズカ。こちらもド安定カップル。寿限無にひっかけた小ネタはジャンプ漫画の矜持が感じられる。あり得ない語彙列をいちいち端末に入力しなきゃいけないシズカさんが可哀想だけど可愛かった。ラーメンに入ってる謎の物体ってクレイジーダイヤモンドのこぶしの跡なんかな。 8組目・クソ高級ラーメンVS花園母娘。こいつらが金持ちというこの世の理不尽。 9組目・クルミさんがオチを任されるエピソードがあってよかったよね。クルミさんって個性薄いんだけど、食い物が絡んだ時のスペックだけは異常。入間くんとかルフィとかのことを考えると、もしかしたら主人公気質といえなくもない? 来週以降、どんな話になるんでしょうね。 日曜の! 夕方!! 5時台なんだが!!? 第22話!!! 健全な青少年たちが楽しめるアニメです。限界ギリギリまで攻めろ、それが青春だ。 いやいや、別に邪な目で見る作品じゃないですし、終わってみればいつも通りのピュアっピュアな内容だったわけですが、それにしてもあの湿度での描かれ方はさすがに居住まいを正してしまいますわよ。おっちゃんらはな、若者たちのピュアなお付き合いのご様子とか眩しすぎて正面から見てられへんねん。みんな幸せになってくれよな。 今週は推しカプである東×平組がおやすみ(平の中の人だけにゃーと鳴いていたが)ということで、僕からしたら物足りなく感じそうなものだが、もちろんそんなことないのがこの作品の三点体制。先週までにたっぷり匂わせていた「進路の悩み」を紐解く行程で、残り2組もばっちり魅せてくれやがります。 まずはピュアネスで言えば他の追随を許さない西・山田組。西さんが抱えていた悩みは「進路の決定で親とそりが合わない」という高校生らしい悩みであった。もっと厳密に言えば、これまで人生で重要な選択は全て親任せだった西さんが、この度生まれて初めて自我を出して親の提案とは違う選択をしてみようと思えたが、それがまだ母親に響いてない、という問題。西さんだって「大人」になっていくのだし、進路選択は今後の人生を左右する重要な局面。ランドセルの色を選ぶのとは話が違うのだから、お母さんだってもっと娘にヒアリングをすべきなのだが、そこは悪気があってやってるわけじゃない。「うちの娘は何にも決められないから私が決めてあげないと」と本気で思っているからこその親心であろう。ただ、そこに成長した娘さんの自我がちょっとぶつかる。人生で最初に乗り越えるべき「社会」ってやっぱり親なんですよね。そういう意味では至極真っ当な成長記録。これ、お父さんがもっと的確にサポートしてくれれば西さんも悩まずに済んだんですけどね。どうやら西家のパパさんはあんまり頼りにならない様子。それでも奥さんの言いなりになるよりはよっぽどいいけど。 なんとか自分の要望を出すことができた西さん。それだけでも充分な進歩だと思うし、それが出来たのはこの1年で彼女が受けた刺激を持って成長できたから。もちろん、一番大きな影響を与えたのは山田に違いない。彼との付き合いがなければ、「もっとワクワクする未来」を想像して親に具申することすらできなかったかもしれない。あとは何気に本田さんの存在もあるよね。彼女の常に的確でクレバーな判断力に憧れているからこその2人の関係性。早々に推薦で大学を決めてしまった本田さんからしたら西さんの悩みも「高見の見物」なわけだが、ちゃんと親身に話を聞いてくれているし、本田さんとの普段の何気ない対話からも、精神的な成長は得られたのではないだろうか。 そうして大人になった西さんが、もう一歩大人の階段を登るかどうかの選択だったが……まぁ、そこはね。時間帯を考えてもろて。でも、このシーンでの山田とのやりとりもとても「らしい」ものでよろしかったですね。互いに決して相手に依存するわけではなく、あくまでも「尊重」。お互いに最善の関係性を目指して悩み続けられるからこそ、愛情は育まれているのである。 そうして互いのことを想い合う時間の長さでいえば、作中でトップなのはもちろん鈴木・谷ペアである。谷の悩みは「進路を考えてて候補は上がったけど、進学で鈴木と離れ離れになるのがヤだったから飲み込んだ」というもの。まぁ、これも想定通りのシチュエーションである。そしてそんな谷の逡巡を初めて嗅ぎ取った鈴木だったが、その後の思考と行動の展開が早いのが鈴木の強み。下手なカップルであれば、ここで「あたしになんの相談もしてくれなかったじゃない。なんで!?」と不貞腐れることもあるかもしれないが、鈴木はその思考からすぐに「でも言い出しにくくしてたの私じゃん!」と内省できる。そして、谷の振る舞いからどうやら彼が遠くの大学の方に心を向けていることも察して、反射に近い速度で「別れることも考えなければ」と持ち出せる。後になってベッドの上でのたうち回っていた通り、鈴木の本心からすれば別れるなんて言語道断。絶対に避けたいはずなのに、谷の未来を最優先で考えた時に、「自分が邪魔にならない」ルートを即座に提案してしまえる。これができるからこその鈴木である。 対する谷だって、思いやりの深さでは負けていない。まずもって鈴木に心配をかけまいと進路の話を飲み込んだのも谷の優しさであろうが、その迷いがバレてしまった今となっては「優しさ」はもはや理由にできない。鈴木から「距離を取ろう」という提案を受け、そこに鈴木のどうしようもない葛藤や決断の苦しさを理解したのだろう。そこで鈴木の判断を責めるでもなく、甘んじるでもなく、「鈴木をこんなに悩ませてしまったのは自分の甘えからだった」と自己に責任を求める。この両者の判断も、どちらも「尊重」の結果である。 人と人とのお話、そして変化の激しい青年期のお話、誰もが皆ハッピーになる万全の結末を求めるのは難しい。この先、谷が改めて進路を熟考した結果、近くの大学でこれまで通りの関係を続けるか、遠距離恋愛みたいな関係性を選択するかはまだ分からない。今回の流れを経た後には、どちらの選択だとしても万全とは言えない悩みが付きまとうだろう。それでも、悩み、選べたそのことが、若者たちをもう一歩大人へと引き上げてくれるに違いない。本当に、恵まれた2人じゃぁないか。 火種は尽きず、第22話。アバンの新郷さんを助けるエピソードのおかげでゴンゾウと影森家が慈善事業家みたいに見えなくもないのだが、一旦冷静になって考えるとこいつら単なるヤクザなんだよなぁ……。まぁ、物事の二面性ってやつですわ。 新郷騒動の事後処理がようやく(だいたい)終了。ユルとアサの2人に強めの相互理解が確立したことにより、互いの利益不利益を共有し、当座の計画をまとめていく。兄妹は「両親を探す」という根本的な目的が合致しているのだから、そこで不和が生じないのは当たり前と言えば当たり前。残された課題は残された村の娘さんをどうしたもんか、という部分くらいだが、ゴンゾウの口から「座敷牢」という言葉が出たのがなかなかに不穏。それ以外の解決法があるやろ……と思ったが、これも冷静に考えると実は案外困る問題かも。東村出身者って、現世で生活を確立するの結構大変なんだよな。それこそ健康保険入ってないし……(というか戸籍無いし)。そう考えると出奔した上で生き残れたユルたちのご両親、やっぱ頑張ったんだな。 ちなみに今回出てきた追加情報として、「東村の人間は一定の年齢になると封・解の真実を知らさせれ正式に村の一員となる」というヤな因習が明かされた。ダンジもデラさんも言ってたので確かな情報。その上で、「ユルたちの扱いに納得できない者は出稼ぎと称して村からおん出される」という話もあり、この現世に東村出身者が潜伏している可能性が示唆された。どうなんだろね。その人らもいきなり村の文化環境から現世に放り出されるわけじゃん。文明レベルの差とか戸籍の問題とか、ちゃんと乗り越えられるものなのだろうか。もしかしたら「出稼ぎ」は単なる隠語で、そのまま処分されてる可能性もあるよな……。 などと村への不信感は募る一方だが、ユルからしたら「影森も信用できないぜ」というのはそう簡単に改められない認識。育ててもらった恩義があるアサ目線では余計な心配でしかないのだが……まぁ、今回のエピソードを見たら、そりゃ不安視する方が正解には違いない。方法論はあくまでヤクザのそれ。この世界でツガイ使いをまるっと抱え込んだ上で生きていくには、それくらいのヨゴレの覚悟は必要ということなのだろう。中心にいる影森兄弟は、その辺りの事情は全て飲み込んで腹を決めている。その筆頭がジンということだったが、此度の顛末でアスマもその覚悟は充分に確認できただろう。残るヒカルについては……どうなんだろ。いまだにこいつだけがバックボーンが窺い知れないのがちょっと怖くはあるな。 そして、血のつながりは無いが生きていくために影森に取り込まれた者たちの筆頭が、黒谷姉弟ということになる。覚悟を決めた3人と違い、コミュニティの中でも疎外感を持ち続けたというアキオ。彼の造反に気づけなかった残りの3人も内心忸怩たるものはあるのだろうが、そうした火種を孕むリスクがあることは、ゴンゾウも承知している部分だろう。そのための必殺兵器、閻魔帳があるわけだが……「兄弟」相手にはその監視の目も緩んでしまったとのこと。 ただ、そうしたアキオの心の間隙を突いた敵側もあっぱれという他ないのかもしれない。影森侵攻の手管は常に想定の上をいっており、今回もアキオのクーデターの失敗まで見越して証拠隠滅の一手を打っていた。ほんと、ツガイってなんでもできるから便利すぎるよな。今回の粘菌みたいなアレもツガイの仕業ということで間違いないと思うのだが……ますます見た目とやることがスタンドじみてきた。「ツガイがたくさんいすぎるせいで外から敵のツガイが入ってきても感知しにくい」は構造的に大問題だよ(まぁ、結界的な何かは張ってたはずだが)。証拠隠滅のためにぶっ壊されたヤマノカミはほんとにとばっちりで可哀想。ツガイを愛する影森の家のせいでどんどんツガイが壊されていく。この矛盾をゴンゾウはどう受け止めてるんだろうな……。
やっぱいい女しかいないな! 第11話! マジでそれぞれの生き様が格好いいのよ。「いい女」は「善い女」でないことには注意が必要だけどな! いい女1号、ボラクチン。これまで言及してこなかったけど、彼女のCVがくじらってのも攻めた配役でばっちりハマってるよな。そりゃま、年嵩の女性だし、他の妃たちとは存在感が違うわけだけど、ここでその渋さ、重さに重点を置いたキャラ設定を前面に打ち出したのが物語の重厚感を出すのに一役買っている。彼女は今作で登場する「魔女」の中でも筆頭のような存在で、現時点に限り、という条件はつくものの、その知識と経験を見事に活用し、野望を成就させている。元々チンギス皇后という強い立場の人物ではあったはずだが、それだけに行動には制限も効いていただろうし、立場にあぐらを描いてしまえばチンギスの死と同時に表舞台から退場していた可能性すらあった。そんな人物を取り上げたオゴタイの器の大きさもみるべき点なのかもしれないが、そこからしっかりとオゴタイの期待に応える働きを見せたボラクチンの胆力と執念は凄まじい。あるべくして、その地位にある人物である。 ボラクチンの謀略によってトルイが排除され、オゴタイ1強の体制が着実に形作られていく。その陰で尽力するボラクチンを見ながら、どこか心痛めた風のモゲさんも引き続きいい女である。彼女はほんとに純粋で、思いやりと愛嬌で周りに光を与える女性像。現代の感覚からも分かりやすいそのポジションだが、どうやらそんな彼女もボラクチンには思うところがあるようだ。元々ボラクチンだけじゃなくドレゲネに対しても色々と感じていた彼女のこと、今の情勢があまりにもボラクチンの思い通りになってることについて、喜ぶべきだとは分かっていても、どうにも座りの悪さは覚えているのだろう。ボラクチンもシタラも、野望のために色々と画策するのは構わないが、どうかモゲさんみたいな心優しき人が苦しむことにだけはならないように願いたい。 ドレゲネさんは現在行方不明なので置いとくとして、そんなドレゲネさんの行方を追う我らがシタラさんだって、そりゃいい女ではあるよ。ただ、現時点では彼女はボラクチンというあまりにも大きな壁を前に行き詰まってしまった状態。必死に打開策を模索した結果グユクというキーパーソンに辿り着いたものの、そこにはすでにボラクチンたちの手が回っており、なんとドレゲネの息子がソルコクタニとの婚姻を命じられるという。これにてオゴタイ・トルイの関係性が決定的なものとなり、一族内の構図はボラクチンの思い描いた通りになる。そして、どの目線に立ったとしても、この命令を拒否する理由はないのである。シタラさんもそんな命令を盗み聞きして「すげぇこと考えるもんだ」とびっくりこそしたが、そこに異を唱えるつもりはなかったはず。 ソルコクタニにとっては事実上の「敗北宣言」となるこの婚姻。シタラが伝達役を買って出たのは単なる気まぐれだろう。今更ソルコクタニと顔を合わせる理由はなかったはずだし、なんなら「トルイの世を守るために!」ってんで送り込まれたシタラは目的を果たせなかったのだから、「合わせる顔が無い」関係のはず。それにも関わらず、多分シタラは「ソルコクタニのやつ、さぞかし悔しかろうな、吠え面かく様子でも見に行ってやろうかしら」くらいの気持ちで向かったのだろう。このモンゴルに着いて最初に敵意を剥き出しにしたのはこのソルコクタニに対してなのだから、意趣返しのつもりで拝みに行った気持ちは分からんではない。 しかし、残念ながらソルコクタニの反応は予想外のもの。トルイを亡くして失意に沈むソルコクタニは、かつてシタラを煽った(シタラが勝手に煽られたと感じた)覇気を失い、一方的な命令も二つ返事で受けちゃう生ける屍状態。見方次第では「これにて復讐完了」とザマァして高笑いでもできたかもしれない状況だが、想定外のソルコクタニの反応が逆にシタラの逆鱗を刺激してしまった。 「1人殺されたくらいで悲劇のヒロイン気取ってんじゃねぇよ」は相当に理不尽なキレ方には違いない。ソルコクタニからしたら「知らんがな」でしかないし、別にソルコクタニが直接虐殺を命じたわけでもない。なんならシタラが「原論」にこだわってたことすらソルコクタニは知らないはずだ。そんなシタラが突然キレる。そしてその喝は、「お前のトルイへの気持ちはそんなもんか!」と聞こえるわけだ。この一言で一念発起、そう、ソルコクタニもまた、強くて「いい女」なのである。トルイが死んだことはもうどうしようもない、それならばその遺志を継ぎ、誇りを守ることが、妃たる自分の役目なのだと、ソルコクタニはそう判断したのだろう。 まだ動乱は終わらない。回り始めた運命が、シタラの望んだ方向へ転がるのだろうか。
閑話休題、サブタイトルにある通り、創作をテーマにした作品では避けては通れない、「顧客のニーズに応えるか、作りたいものを作り続けるか」問題の端緒。もし安海たちがこれからの人生で創作活動を続けていくなら幾度となくぶつかる問題だろうが、今回はWeb掲載の4コマ漫画という最小限のフィールドで、初遭遇の問題として取り扱われる。 その前にまずは「ネットで作品を発表すること」というハードルも1つ超えましたね。いつも通りに光ちゃんからの助言で知名度アップを図ることになった漫研。現代はSNSの発達のおかげで草の根作家でも手軽に発信力を上げることが可能になったわけだが、その分草の根の裾野がとんでもない広さにまで拡大してしまい、同業他社との過当競争が一段と激しくなってしまっている現状がある。おかげで発信のしやすさと勝ち残りの難しさが結局トレードオフなんじゃねぇか、という気はするのだが、まぁ、ツールがなかった時代に届く確率がゼロだった層にも届く確率が上がっているのだから、結局は使い方次第だろう。ベースとなる作家の能力に加え、こうしたマーケティングのスキルも問われるようになってしまったのが、純正芸術家肌のクリエイターにとっては痛し痒しの時代である。 一応漫研には光ちゃんという(やる気のない)フィクサーがついているので作戦のいろはくらいは教えてもらえるかもしれないが、いかんせん石龍スタイルはガチ天才だけが使えるストロングスタイル。凡百の高校生漫画家未満は真正面からTwitterを使いこなして頑張らなきゃいけない。そして残念ながら、その手の戦略に疎すぎる安海と藤森さん、ネットリテラシーどころか現実リテラシーもちょっと危うい赤福と、メンバーにもあまり恵まれていない。ここで大人の力が使えればもうちょいプラス要因もあったのかもしれないが、残念ながら手島先生もこの手の広域戦略に適した人材ではない。結局は手探りでの宣伝活動になる。 そしてぶつかる「表現は誰のためか」問題。まぁ、今回は本当に些細なメディアだったから誰も傷付かずに済んだ形であり、まだ活動が大きくなっていない状態で安海がこうした自己言及に至れたのは良い機会だったんじゃなかろうか。「自分の描きたいものを描くだけ」という姿勢はクリエイターとして正しいものだと思われがちだが、時として独りよがりな我儘にもなる。その辺りの「自己表現と商業のバランス問題」についてはすでに「バクマン」などでも散々語られている問題なので、今作ではどちらかというと安海という若者の青春要素を強めでお送りしている向きはある。現実にぶち当たって悩む役目は、回想シーンの手島先生に任せておこう。この二層構造が今作の便利なところなのでね。 今回もひでぇ顔を見せてくれた若かりし手島先生。見れば見るほどに編集の金剛寺さんのありがたみが増すばかりだが、我々視聴者は「ポコ太」が短期とはいえ連載を実現させたことを知っているので、より一層「金剛寺さんの見立てはいつも正しいのだな……」と感心してしまう。まー、手島先生からすると最初に自分を見出してくれた金剛寺さんと一緒にゴールまで辿り着けなかったことは悔しかろうが、こればかりは創作とか情熱とは別問題の「出版社の体制」の問題なのでしょうがない。……あ、でもこの人まだ金剛寺さんの名前すら覚えてなかったな……やっぱ漫画家って社会不適合者やな(偏見)。 最終的にはそんな手島先生の過去など与り知らぬ安海も無事に「やりたいことをやった方がいいよ」という無難な結論に帰着。そしてここでも手島の「趣味の範囲で!」という事前の指示が有効に機能している。先生がこれだけ安海に肩入れしてるのに(スキャナ、どこにしまったんだろう)頑なに「趣味の範囲で!」と主張し続けているのって、その方が迷った時に意思決定しやすいし、現段階で余計な要素を考えずに自由な創作ができるようにしてくれてたんだね。やっぱいい指導者だよ。安海がそのありがたみを理解してるかどうかはわからないけど。
身勝手な救済、第12話。「勝手に救われとけ」って話だが、もしかしたら今作のコアはこの辺りの概念にあるんじゃないかという気がしてきた。そこが、これまでのバンドリシリーズとは毛色が違うところで。 ついに、今回のお話でこれまでバンドリシリーズが10年描かなかった要素が初めて描かれたのだが、それがなんだかお分かりだろうか? 今回のサブタイトルにもなっている「失恋」である。まぁ、これも捉え方次第ではあるのだが、基本的にバンドリ世界線で「恋愛」は描かれない要素だ。いや、異論は多かろうが、まぁそういうことにしておこう。ただ、「どう考えてもこれは恋愛としか形容できないだろ」という関係性も時には(いや、しばしば)こぼれ落ちてくるもので、様々な同性間の関係性を描く物語の世界を見て、ファンは一喜し、一憂するのである。とはいえ、世界のスタートラインは戸山香澄の「キラキラドキドキ」である。基本的には祝福されるべき関係性が取り上げられることになるので、「恋愛としか形容できない関係性」がバッドエンドに終わることはない。それはどうしたって、心に傷を残してしまうからだ(個人的には美竹蘭に置いてかれた青葉モカの境遇は失恋なのではないかという議論もしてみたいが、まぁ、それは流石に曲解というものだろう)。 翻って、今作の場合には何が起こったのだろう。何が「別れ」だったのだろう。これはもう誰の目にも明らかであり、「都子がビオラにフられた」ことを言っている。本人が言及している通り、都子がビオラに対して抱いた感情はどう足掻いても恋愛感情(度を越せば信仰とも言えなくはないが)。そしてその感情をビオラが拒絶し、都子も関係性の断絶を認め、受け入れた。これを総じて「失恋」という。藤都子は、公式に初めて「失恋」したバンドリメインキャラクターとなった。しかし、なぜそんなシーンが描かれることになったのか。勝手に妄想を膨らませるなら、それはゆめみたというバンドの本質、ひいては今回のアニメシリーズの本質に「エゴ」が深く関わっているからであると考えている。 極論すれば、あらゆる感情というのは身の内から湧き出るものであり、どこまで行ってもエゴイスティックなものである。まぁ、そもそも「エゴ=自我」であるから当たり前なのだが、どんな感情も、他者はそれを正確に受け取ることは叶わず、時にすれ違ったり、時に共感に咽び泣いたりする。通じ合えることの幸せ、つながることの美しさこそ、焦点があたればそれはキラキラドキドキにつながるのである。 そして、これまでは当たり前のように描かれてきた「他者への想い」がバンドリ世界線でも少しずつ変質し始めている。その突端は自己の安寧のためにCRYCHICの再結成を願った長崎そよにまで遡る気がするが、そこから互いの性格の悪さを認め合う千早愛音へと伝播したし、そよのエゴは豊川祥子を歪めた。欲しいもののために全てをなげうった三角初音の物語も、「恋愛」には違いないがひどく独善的なものが混ざっていた。それでも、MyGOは和をもっててぇてしとし、Mujicaは「共犯者」としての理知的な融和を手にした。 そしてさらに時代は進み、みゅーたいぷの時代がやってきた。これまでのバンドに比べて、こいつらのつながりといったらどうだ。先週まで暴れ回っていたユノ、ただ唯我を顕すだけのののか、彼女たちに「獣性」を見出すのは、やはりそのエゴの強さの表れではないのか。唯一、あられと律の関係性においては思いやりの精神が強固であるが、あられは未だユノや都子に対しては自分の「好き」を一方的にぶつけているし、彼女が示す敬意の形は、「バンドのメンバーとして」のリスペクトの形としては歪であろう。どこまでも我を通し、欲のままに5人が5人のたどり着きたいところを目指している、それがみゅーたいぷの現在の姿である。 これは別に既存のバンドとの優劣を示すわけではないし、個性主義を尊重した結果だと現代の価値観をくさすものでもない、ただ、そうしてつながりを生み出したトンチキな5人組がいたというだけの話である。 そして話は都子へと帰結する。彼女は何故、バンドリキャラで初めて失恋するに至ったか。それは、彼女のエゴが他者への依存を切り捨てたことを示すためだ。どこまでも身勝手に、藤都子は「勝手に恋愛をして」「勝手にフラれた」。ビオラというオリジナルキャラが創造された理由はただ1つ、この「後腐れのない一方的な失恋」という意味不明な状況を成立させるためなのだ。恋をして、失って、都子は自我を手に入れた。溢れる才能を持ちながら「からっぽ」と卑下する都子。周りの腹立たしいメンバーのことなど気にせず糧にし続けることを宣言する都子。「人を愛さない」と言い放つ都子。「愛」を要さないバンドリキャラなど、これまで存在が許されなかった。しかしこれからの時代、「欲」が光を放つことになるのである。 無茶苦茶だと思うだろうか? そんな奴は許されないと思うだろうか? しかし、改めてサブタイトルを見てみよう。このタイトルは都子とビオラの「別れ」を意味している。しかし、都子はビオラを相手に身勝手すぎる口上を勝手に宣った。彼女はビオラに、そして全視聴者に訴えた。「こんなどうしようもない自分を理解し、認めろ」と。つまり「分かれ」と。 愛を知らぬ愚か者はただ受け入れるしかない。「感涙しました!」と。
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Thraxi
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声優のこと全般
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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