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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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「転生貴族、鑑定スキルで成り上がる」 4→5

 「なろう→完走→2期決定」というループはまだまだ続く。何がキツいって、分割でスパンを置かれると、印象が似通ったなろう作品はほんとに区別がつかなくなることである。

 などとネガティブな印象から入ってみたが、その割に加点してるあたりがダブスタクソ評価ではある。でも、今作を貶すのは簡単だがそれはそれで責任を果たしたクリエイター陣に申し訳ないな、という気持ちを優先させてもらった。アニメとしてはね、割とちゃんと出来てたんですよ。枠としては「第七王子」とだいたい同じで、「引き続きいかにもなろう的な設定もテイストも好きではないが、作画作劇を含めアニメとして不備はないし、頑張って描こうとしている要素は評価できる」というもの。多分、この作品をアニメで表現しようとした時に割と上振れしてる完成度だとは思うんだよな。

 「なろう的な設定が好きではない」とは言ったが、個人的に今作で一番気になるのはタイトルにもある「鑑定スキル」の使い方そのもので、身も蓋も無い話だが、「鑑定スキル」の設定って面白さを何一つ加えてないとすら思っている。考えてもみてほしい、基本的に今作は「どんどん仲間を増やしてのし上がっていく」というワンピースタイプの物語構造なわけだが、「仲間を増やす時のエピソード」って、一番盛り上がれるチャンスなわけじゃん。ゾロが泥だらけのおにぎり食ってるのを見て勧誘を決めたり、サンジが海賊相手に暴れ回る様子を見て惚れ込んだり。そういう「一番描きがいがある」初登場シーンの「新キャラの強み」を、本作は「鑑定スキル」の一言で片付けてしまうためにことごとくオミットしてしまう。出会いの鮮烈さを描く必要がなくなってしまう。マジで1話目時点ではそこに納得がいかず、最初の忠臣・リーツは「うわぁ、すごいステータスだぁ、金積むからうちに来てよ」というのでハイおしまい。ドラマも何もあったもんじゃないのだ。

 でもまぁ、そこから仲間の数が増えるにつれ、流石に物語を構築する手段としてリスクが大きすぎると思ったのか、それともほんとに「鑑定スキル」ってのがなろう的テイストに合わせるためのとっかかりでしかなかったのか、その後の出会いと勧誘の物語は割と真っ当なストーリーラインに乗っている感はある。決して新鮮さは無いものの、これならジャンプに掲載されてるセミワンピース作品みたいな扱いでストレスなく読み進めることはできそうだ。

 そして、仲間を集めてしまったらもはや鑑定スキルなど意味がなくなってしまいそうなものだが、それでも今作は2期をやるらしい。こっからどこまでオリジナル要素を展開できるかで評価が決まる。そういう意味では、とても楽しみな続編になるかもしれませんな。

 
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「デート・ア・ライブⅤ」 ―→6

 「死神坊ちゃん」が足掛け4年の完結だというなら、こちらはなんと11年。クソでか大団円が押し寄せるシーズンとなった。

 当然こちらも年季の長さを含む御祝儀評点ではあるのだが、こんだけの長きにわたる旅路、最終的にきちんと形を成したエンディングを迎えられたというのはそれだけでもありがたい話ではなかろうか。道中で制作スタジオを4つも渡り歩くなんて、そんな因果な作品は他になかなか例がない。そのくせ、道を見失うことなくきちんと通底したものが感じられ、話が大きくなりすぎたクライマックスに至っても、最後の最後まで「危険なデート、始めましょう」という初期の設定を活かしてくれているというだけでもなんだか嬉しくなってしまう。1つの作品内ですでに「郷愁」を感じさせるほどの時間が経っているというのもとんでもない話だが。

 ぶっちゃけ映像部分についてはそこまでびっくりするもんではない。CGモデルをうまく併用したGEEKTOYSの作劇は省エネを果たしながらうまいこと作品世界を成立させているので文句の出るもんでもないが、「なんかどっかで見た雰囲気だなー」と思って見てて「あっ、あれだ、『てさぐれ』……」って思った時点でなんか省エネ要素が割と露骨に見えてしまった。いや、別に悪いことしてるわけじゃないんだけどね。まぁ、落とし所はここか、くらいのもの。でも、そうしてダイナミックに省エネを果たしたことによって、10人ものゴタゴタヒロインズが画面内を所狭しと飛び回り、少ない機会でなんとか見せ場を作ろうと奮闘している様子は好感が持てる。まぁ、新番チェックの時に見た通りに十香の特権的な立場は完全に剥奪されて1/10になってしまったけどね……今作は多分それぞれのヒロインに個別にファンはついてそうだし、贔屓をなくしたのはむしろいい方向なのかも。いや、狂三さんだけは特別扱いでいいと思いますけどね。

 そして、ラストを迎えるにあたり編まれたストーリーラインも実は結構いい感じ。設定としては狂三さんのおかげで世界線の処理については「どんなことやっても合法」になっちゃったもんで割とありがちなセカイ系のグルグルだった気もするんだけど、それでも満を持して登場した令音さんの設定は胸踊るものがある。ほら、オタクくんってやっぱ「ナンバーズのゼロがこんなところに!」みたいな設定大好きじゃないですか(クソデカ主語)。改めて1期から振り返った時に彼女の言動に整合性がとれてるかどうかは知らんけど、このクライマックスだったからこそ、「11年も散逸的に垂れ流し続けた死に損ない作品」ではなく「11年目にしてたどり着くべきゴールにようやく辿り着いた大河ロマン」に見えるんですよ。多分10年前の俺に「そのアニメ、なんだかんだで最後はいいアニメだったよ」って言っても多分信じてもらえないだろうな。

 ひとまずここまで作品に携わった方々全てにお疲れ様。今後も折を見てどこかで狂三ちゃんの声が聴きたくなる時がありそうだなぁ。まじひくわー。

 
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「声優ラジオのウラオモテ」 4→4

 なんかこう、視聴中は終始「貴様にとって、声優とはなんなのだ?」って問い続けられているみたいで、訳のわからん小っ恥ずかしさや居心地の悪さを感じる作品でした。なるほど、「厄介」声優オタクってこういうことをいうんですね。ここでなぞなぞです、水陸両用の声優オタクってな〜んだ? 答えは末尾。

 全くもって俺が苦しむ必要はないのだが、「このアニメを評価しなきゃ→声優の扱い方を評価しなきゃ→そもそも俺は声優をどういう対象として見ているのだろう?」みたいなルートを通ると訳がわからなくなり、この作品を褒めても貶しても気持ち悪いし、「お前はどうやねん」の一言で何も言えなくなるような閉塞感がある。見えない壁にぶち当たりまくる謎の自家撞着。ほんと、我ながらイカレた思考回路だ。

 とまぁ、前置きしたので何を書いたとしても私のことは置いといて許してほしいのだが、正直に言えばあんまり好きな作品ではなかった。そもそも映像がショボかったのでアニメとしてのクオリティの低さを理由にしちゃえば手っ取り早いのだが、それを差し引いてもなんか気に入らない部分がある作品だった。なんだろね、多分「声優オタクは声優オタクとしてこっそり生きてるから、わざわざ作品で大っぴらにテーマとして取り上げずに湿った石の裏とかにいるのをそっとしといてほしい」みたいな感情があるんじゃないかな。別に「声優は裏方商売なのだから表に出すな」みたいな言論に賛同する気は全くないのだが、こうして改めて「声優とオタク」みたいなテーマを大上段に振り翳してピックアップされると、「てめぇ、表出ろ」みたいな感情が湧いてしまう。

 そしてこれはものすごい問題発言かもしれないのだが、この作品を見ても、別に作者はあんまり声優のことが好きだとは思えないんだよな……。いや、別に必ずしも描くテーマを好きである必要もないんだけど……「そんなオタクがネットで拾ってくる妄想みたいなネタで作品書かなくてもよくない?」と思ってしまう。この感情は渡辺の引退騒動あたりで一番高まって「声優業界、これがもし実態ならほんと救われないな……」と寂しい気持ちになったし、ラストのやすみの「声優としての成長譚」も非常に紋切り型で、「声優を主人公にした物語って、やっぱこれくらいしかやり方ないんだろうな……」と残念に思う。本気でこれをアニメ作品にするなら、メタ構造そのものを利用して何かここでしかできないようなとんでもない演出で見せてほしかったところ。いや、どうしたらいいか具体案はないけどさ。少なくともラスト付近の話を見て、聴いてても、別にやすみが成長したって感覚は得られなかった気がしません? そこの説得力を出すのって、これだけメタを意識しちゃうメディアだとほぼ不可能だと思うんだよなぁ……。

 よかった点は、一番あけすけにやすみにダメ出しする先輩プリキュア声優みたいな人たちのキャスティングです。「確かにこの連中が現場入りしたら現場の連中に嫌な緊張感走りそうだなぁ」みたいなところが最高です。いや、多分現場では優しい先輩に違いないですよ。えぇ(こないだTwitterに富田美憂と絡んでる写真あげてくれててヲイってなった)。

<正解:アッガイ声優オタク>

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「アイドルマスター シャイニーカラーズ」 5→4

 素通りでした。引っ掛からんかったなぁ。

 そもそもが「アイマスはあんまり……」という姿勢なのでどうしたって受け入れるためのハードルは高め。以前は「U149」がそのハードルをとんでもねぇ方法で乗り越えてくれたわけだが、直近の「ミリマス」は残念ながら届かず。「キャラ多いがな」というのでアニメシリーズで飲み込むには至らず。今作についても同様の懸念はあったが、ぼんやりした印象だけでいうなら「ミリマス」よりもさらに入ってきた要素が薄かった気がする。やっぱ新規のアイドルIPへの参入ってのは並々ならぬカロリーが必要なのですよ。

 「ミリマス」と比較すると、本作はより「アイドル」というテーマの言及が徹底しており、まじで作中ではアイドル業しかやっていない。いや、「ミリマス」もそうだったかもしれないけど、もうちょい脇のドタバタというか、すちゃらか要素はあった気がするんだ。ただ、それはふざけてて世界観を揺るがせにする展開だったかもしれないが、少なくともよく分からん状態でアニメを見始めた新規層からすれば「味変」にはなっていた。1人1人のアイドルへ興味を持つためのきっかけを産むためには、多少なりとも無茶はしたほうがよさそうだ。

 対してこちらの作品は、そりゃもうみんなアイドルである。やってることといえばレッスンレッスン本番レッスンレッスン本番。そこにアイドルに対する本気度合いは窺えるが、1クールのアニメシリーズの中での刺激はだいぶ不足気味。そして決定的なのは、みんなして「頑張ってアイドル目指します!」のキャラばかりだと、そりゃキャラの識別なんてできなくなっちゃうわけで。人数はミリマスとそこまで大きな差があったとも思わないのに、より個々の印象が薄くなってしまったのは、とにかくひたすらストレートのみで勝負しようという潔さの代償。「アイドルとしての彼女たち」が見たかったファン層からすればライブシーンなんかはもちろんご褒美なのだろうが、まだ名前すら認識してないユーザーからしたら「同じような画面」である。

 振り切ったCGデザインも認識阻害の一要因だったかもしれない。それこそライブシーンで顕著だが、みんなしてモーションが同じだし、表情も一緒なのでせっかくのライブシーンに個性が発揮されない。これ、前にもどっかで書いたかもしれないんだけど、アイドルアニメの大きな矛盾なのよね。人数の多いユニットってパフォーマンスの評価軸の1つに「統制」があるから、もし生身の人間だったら「みんなの動きが一部の隙もなく揃っている」って間違いなく美点なんだけど、これがCGアニメキャラの場合「みんな同じ動きしてる」って単なる描写のサボりになっちゃう。この部分をブレイクするにはなんとかして個々のモーションを飾り立てる「動き」以外の要素を見出すしかないのだけど、少なくとも今作はそれが見つからず、まるでロボットのような大量生産ラインライブになってしまった。そりゃ覚えられないよ。

 「CGだから」とかそんなとこに文句つけるつもりは全くないのだが、すでにアイドルアニメは飽和の時代を超えて、何世代目かの新時代に突入している気がしている。残念ながら、今作はその新しい時代に追いついた感はなかったということ。……アイマスへの参入、ハードルたけぇなぁ。

 
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「ヴァンパイア男子寮」 5→5

 ショタなのかそうじゃないのか、ホモなのかノンケなのか、それらは全て観測してみなければ分からない。シュレディンガーのショタ。

 「なかよし」は70周年記念でこんな認識を揺さぶる作品を世に送り出していったいどんな世界を作り出すつもりだったのだろう。常に脳裏に「BL……じゃないッ」っていう危うい認識が去来する不可思議な作品。これ、「なかよし」のメインターゲット層はどういう受け止め方をしてるんでしょうね。いや、ぶっちゃけ「男のふりした女の子のラブストーリー」っていう設定はずっと昔から存在しているから別に取り立てて斬新というわけでもないのだが……こちとら「桜蘭高校ホスト部」以来なので(多分ね)、いちいち市ノ瀬ボイスのヒロインを見て「こんなショタがいるかぁ! いや、いねぇ!」って認識があっち行ったりこっち行ったりして大変でした。きちんと冷静になればごく普通のラブで終わりなんだけど、どこかにBLの風味も残っているというのは、もしかしたら正規のファン層にとっても嬉しいフレーバーのトッピングになっていたのかもしれません。

 まぁ、そうした今作の根本となる設定をごくりと飲み込めば、あとは割と真っ当なお話でしてね。あんまり齧り付いて観たいようなもんでもないけど、少女漫画原作の中ではあんまり抵抗なく毎週見ることができた作品だったとは思いますよ。やっぱヒロインがちゃんと可愛いっていうのが観やすい要因だったのかしらね。こぅ、本人が意図せずに男と女の間を行き来してる状態ってのはかえって「女らしさ」を意識させてくれるという、塩をひとつまみ入れる理論でより可愛く見えたりするから不思議なもの。「惚れてしまうやろがい」は致し方ないところで。すげぇどうでもいい要素なんだけど、個人的にはレンのやつが最後までヒロインのことを「山本」って苗字呼びしてるのが律儀でなんか好きだった。「男でも女でも別にどっちでもいい」っていう覚悟の表れだったんでしょうかね。

 アニメとしてはハッピーエンドで綺麗に終わったけど、これって原作は完結扱いなんでしょうかね。ラストシーンのアレから2期があるとして、ベタベタカップルになっちゃってるからこれ以上の話は作りようがないよなぁ。

 
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「月が導く異世界道中 第二幕」 ―→4

 なんやかんやで最終的には完走できましたね。まぁ、単に「眺めてた」だけで決して「観ていた」わけじゃないんですが。

 1つ前の記事にて「なろう作品が嫌いな理由」について改めて言語化したわけだが、一般論としてそうした意見を述べつつも、やはりレッテル貼りで判断をサボっている部分も間違いなくあるわけで、いくらか内省も必要だとは思っている。そうした視点で考える必要があるのが例えばこの作品である。基本的に、私の嫌いななろう要素は払拭されるものではない。テンプレ感はそのままだし、むしろ昨今のなろう作品の中でも主人公のドヤ感は強めの方なので、合わない要素が強く出ているとすら言える。時期が時期なら、1期目の3話目くらいで切られてもおかしくなかった作品だろう。

 ただ、私の性分のおかげもあり、気づけばトータルで3クールものお付き合いになり、これだけ観ていれば流石に作品の個性は認めざるを得ない。要するに「継続は力なり」ということだが、これだけ続いて世界を掘り下げることになれば、自然とそこには「ならでは」も生まれるということ。今作において注目すべきは主人公のマコトとは別軸で召喚されて苦闘を重ねていた他の勇者の存在や、マコトが冒険者としてはチート放題で無双しているのに、商人としての経営や街づくりに関しては現地人の後塵を拝することも多く、致命的な状況にまで追い詰められたりもする。学園もの、経営もの、そして多重勇者共闘ものとなろう作品に溢れるテイストを全部まるっと取り込んだ節操のないデザインだが、それぞれの要素でちょっとずつ絡み合ってこの世界ができている様子は、なるほど「創ることの怠慢」ではないとは思える程度のものであった。

 そして、こうして評価できるようになったのは、少なからず「長く観たから」ではあると思うのだ。つまり、もしかしたら3話切りだのなんだのと言って十把一絡げで切り捨てたなろう作品にも、もしかしたらちゃんと未来があったのかもしれないと思った次第で……これ、考え始めると結局以前のように「ほな、全作品最後まで観ないと評価できないな!」という泥沼に沈んでしまうことになるんだけども……。

 その可能性があった数多の作品への贖罪も含め、今作の感想として埋葬させていただこう。……え、3期? まじかぁ……。

 
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Unnamed Memory」 6→5

 なんとも不可解な作品だった。どう評価したものかと悩みながら視聴していた様子は中盤まで書き続けた毎回の感想にも表していたが、ずっと「是」と「非」の間で揺れ動いていた天秤の針は、最終的には真ん中あたりで落ち着けるしかなかった。是非もないんです。

 まず評価の定めやすい要素から見ていくと、映像部分については「やや良」としたい。いかにもENGIらしい線の細い繊細な映像は1枚絵でキメる時はとても綺麗。特にメインヒロイン・ティナーシャの表情は可愛かったり美しかったりするシーンも多く、キャラデザとの相性は良かったと思う。ただ、その上で「良かった」と素直に褒められないのは、崩れる時には情けなく崩れてしまったため。1枚絵の崩れは少ないけど、動画としてみた時にほんとにしょうもない画面になってしまうことがしばしばあり、本当に勿体無いものになっていた。普通の作画崩壊アニメってのは原画レベルでボロボロになるものなので、こういう省エネパターンは珍しい気がするな。

 そして、そんな映像で描かれるシナリオラインが、なんともまぁ、飲み込みづらい。ご存知の通り、私は基本的になろう作品が嫌いである。嫌いだった。それが何故かを考えると、なろう作品の傾向としてありがちな「作ることへの怠慢」「描くことの放棄」が許せないためである。なろう作品全体の傾向としてよく取り沙汰される「テンプレ感」というのは、ファンタジーストーリーを描く際に何一つ自分の頭で考えず、創らずにどこかから設定を全部持ってくることを意味する。そうしたコピー&ペーストの成果物を、私は作品とみなしたくないという話。

 そして今作の場合、決して「作ること」を怠けているとは思わない。おそらく描きたいものがきちんとあって、そのために筆を割こうとしている気配もある。おかげで端々に「綺麗な世界」が見えるし、今まで見たこともないものが出てきて意表を突かれもする。序盤からめげずに今作を追いかけられたのは、そうした「作家性の断片」みたいなものをそこかしこに感じていたからだ。

 しかし、それと同時にあまりに分からない部分も多く出てきて次第に受け止めきれなくもなった。まるで一週置きに見せられているかのような不可解な欠落、1回のエピソードの中でも突如訪れる「なんか飛んだ」という感覚。この欠落感がどこから出てくるのかが、判然としない。ここから先は単なる推測なのだが、1つは、結局本当に作家が「描ききれていなかった」という可能性がある。描きたい世界は間違いなく存在しており、それを創ろうとは苦心したが、それに見合う構成力を持たず、世界が捉えきれなかったというパターン。そんな作品がそもそもアニメ化するほど人気をえられるかという疑問はあるが、可能性としては大いにあるだろう。そしてもう1つのパターンは、作品自体はきちんと世界を構築していたが、アニメ化に際してそれが瓦解したというパターン。理由は分からないが、尺の問題とか、純粋に脚本家の腕不足とか、いくらでも考えられるだろう。まぁ、構成の赤尾でこに関しては個人的にそこそこ信頼は置いているので、今作に限って支離滅裂になってしまうとも思っていないのだが。

 どちらが正解かは分からないし、どちらの理由も半々で混ざっている可能性もある。とにかく、アニメのみを観ただけでは、今作のどこに歪みの原因があるのかは捉えきれなかった。そして、最終話までの放送を見て最後にもう1つ、薄い可能性が浮上した。それは「まだ描きたい物語の全容が明らかになっていないために未完成なだけ」というものだ。2期が決まりましたね。最終話の展開もまたまた謎ぶん投げになってしまったため、今作の評価は来年に持ち越されることが決定した。この足下のおぼつかない感覚をもう一度味わされるのかと思うとたまったもんじゃないが、このまま放置されても気持ち悪すぎるし、なんとか来年までは生きて結末を見届けさせてもらいたいとは思う。……それまで今作のディティールを覚えていられればの話だが……。

 
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「死神坊ちゃんと黒メイド(第3期)」 ―→7

 末長く爆発。思えば遠くへ来たもんだ。

 点数は御祝儀含みですが、足掛け4年、3クールにわたる物語に何1つ不足ない決着をつけてくれたことへの感謝が大きい。こういう渋いシリーズ作品がきっちり完成したというのは世知辛いことの多い現代アニメ業界では素直に喜ばしいことだ。シリーズを通じてスタッフはずっと変わらずにいてくれたし、最初はいかに受け止めたものかとちょい悩んだ3DCGでの作画デザインも、こうして安定感のある制作ベースとして機能するなら万々歳。今となってはこのデザインじゃなきゃ満足できない身体にされてしまっている。当たり前すぎる話だが、何で描くかではなく、どう描くかが鍵なのだ。

 お話としては2期目までで種蒔きが全部終わっていた状態なので、3期目となる今回はただひたすらに収穫を楽しむだけ。どうしようもないくらいに当たり前で、恥ずかしくなるぐらいにベタベタで、一番幸せな幕引きへ一直線。それでいてきちんと活劇あり、ギャグありで毎回きちんと刺激にも満ちたお話。ぶっちゃけ最後(の1話前)のアリスの判断だけは「この期に及んでそりゃねぇだろ!」とは思ったけども、まぁ、1回くらいはちょっとそっぽを向いて見せた方が恋も燃え上がるってもんでね。

 世界中が爆発カップルに溢れかえっている今作でげっぷが収まらない状態でも、まだまだ飲み込めちゃう甘々ラブストーリーにただ悶える。メインカップル以外にもカフとザイン、ウォルターとダレスという高カロリーカップルが同居してる構造、ほんとムカつくのに祝福以外の感情は出てこないんだよな。そこにさらにシャロンとシャーデーまでクソデカ感情を抱えられた日にゃぁ、どこから口をつけていいかもわからんよ。でも、みんなしてちゃんと相手に対して真剣に生きた結果のドラマなのよなぁ。あんなとんでもないことをやらかしたシャーデーが最終的に完全に許されることになるストーリーもすごいよなぁ。ちなみに個人的に今期一推しカップルは次男組だったりします。ダレスの以前の暴れっぷりを考えるとこんだけへなちょこになっちゃったのが愛おしくてしょうがないのよ。

 ちなみにメインキャラ以外だと一番肩入れしてみちゃったのは実はガーベラだったりします。中の人の影響も大きいけどさ、1期の頃から紆余曲折を経て、やっぱみんな愛情を持って他者と接していたということが分かる側面って、ママさん視点が一番大きいと思うのよね。3期で一番の雪解けを果たしたのも彼女だし、最後まで負担がかかって大変なポジションでよく頑張ってくれてたと思う。

 ほんとにみんなして余計なまでに徹底してハピネスを届けくれる作品。生きにくい現代だからこそ、こんな分かりやすいメルヒェンがあっても良いと思うのですよ。

 
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「リンカイ!」 4→4

 点数は変えられないので伝わりにくのだが、悪くないものも拾えた作品。最終的な感想は「つまらない」ではなく「もったいない」の方だったかな。

 はっきりいって、アニメとしての質は低い。1話目でダメダメだと思った競技シーンのショボさは最後の最後まで足を引っ張り、全くレースの緊張感や切迫感が感じられないチャリンコこぎこぎシーンはギャグかと思えるクオリティ。迫真の自転車レースのシーンを描くのが大変なのは分かるが、このテーマで作品を打ち立てたのだから、最低限そこには責任を持って欲しかった。わざわざ女の子だらけの萌え設定にしているのだから、そこで見せずになんの意味があるというのか。同じタイミングで「ウマ娘」という同じ業種(?)のバケモノ作品が公開されてしまったことも、残念な対比がより感じられてかわいそうだった部分である。

 こうしたアニメとしてのダメさは間違いなく批判されるべき部分なのだが、正直、作品の狙い自体はそこまで的外れなものでもなかったとも思っているのだ。「競輪選手を目指し、競輪で成り上がろうとする女の子たちの物語」という「おっさん趣味萌え化作品」の分かりやすいデザインなのでしょーもない要素もたくさんあることはあるのだが、シナリオのベースにはきちんと「競輪アニメなんだからここでしか描けないものを描かなければ」という義務感みたいなものは感じられる。単なる仲良しこよしの女の子イチャイチャストーリーではなく、競輪選手が抱える苦悩とか、競輪に携わる者のあるあるとか、そういう「ならでは」はちゃんと発揮されていた。まぁ、どこまで行っても「公営ギャンブル」という側面がある題材なので萌え的な「非現実」感とは食い合わせの悪い部分もあるのだが、そこから逃げずにきちんと生臭い部分、容赦ない部分にも触れていたのは上述の「責任」を果たした結果だと言える。アニメとして本作単体で何かを追いかけようという気は1ミリも起こらないが、今作を見たおかげでちょっとくらいは「そうかぁ、競輪ってこういう世界なんだねぇ」ということが理解できたし、興味も湧いた。最低限の「競輪応援アニメ」の仕事はこなせていたと思うのだ。「モンキーターン」を読んで競艇選手になろうと思った人間が存在するなら、もしかしたら今作から競輪選手を目指す未来の可能性だってあるかもしれない。……いや、流石に無理かな……。

 なんかこう、今作を糧にして本当に面白い「競技レース」のアニメが作れればいいんだけどな……(「ハイスピードエトワール」を切った奴なりの感想)。

 
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