最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「タイムボカン 逆襲の三悪人」 5→6 健太のオールマイトネタの安定感は、ヒロアカさんサイドからして問題無いんですかね……今後オールマイトの活躍を見ても「スズッキーだ……」ってしか思われなかったら由々しき事態だと思うんですけど。ダー様とかさやかちゃんをみて「ビマージョ様だ……」は問題ない。正確には「キタエリ様だ……」っていうだけだから。 終わってしまうとなるととても惜しい作品なのである。この安定感はホントくせになるのよね。いや、くだらねぇのは間違い無いのだが、土曜の夕方特有のけだるい雰囲気のところに気合の入った全力アニメを叩きつけられるよりも、こうしたへなちょこ風味もありつつ、しっかりと噛めば味がする作品があるというのは適材適所。これに「クラシカロイド」も混ぜてやれば土曜日の体調管理もバッチリだ。同じ「なんとなく流し見する」でも、ヒロアカだとだいぶテンションが変わってしまうからなぁ(そしてクラシカロイドも終わるしなぁ)。 基本的には前シリーズと変わらない楽しみ方で良いのだが、今期はいくらか方向転換し、様々な偉人たちの豆知識を披露する教養番組(?)としての側面も持ち合わせている。大人からしても「へぇ」って思えるようなものもあったし、子供さんたちが歴史に興味を持ち、翌週の月曜日にちょっと話題にできるくらいのちょうどいいバランス。ヘンテコギャグ作品だったとしても、これなら親御さんたちも子供にアニメを見せていいかな、という気分にさせてくれる(多分)。まぁ、O−3の露骨な下ネタとかは意見の分かれるところではあるが……大丈夫、Oー3の中の人が超絶イケメンだとわかれば世のお母さんたちも納得してくれるよ(個人の見解です)。一時はビマージョ様たちの家庭問題がどれだけ闇を抱えた深刻なものなのだろうと固唾をのんで見守っていたこともあったが(あったか?)、オチはちゃんとギャグで締めてくれたしシリーズ全体の「ぼんやりしたストーリー」も安心安全だった。 次第に醸成されていく内輪ネタのノリもファンには嬉しい部分だし、時たまリミッターを外したような濃いパロディが盛り込まれてくるので我々のような視聴者も油断できない。全方位に思いっきり欲を見せるひどく阿漕な作品だが、それが成立しているのはタツノコアニメの長年の経験によるものなのだろうか。こうして時代に即して愛されるポジションを見つけられれば、今後もタイムボカンは安泰なのかもしれない。本当に綺麗に世代交代がキマった珍しい事例と言える。いや、どんだけ現代のお子さんたちに受けてるかは知らないけどね。みんなも、聞きかじった程度の話を得意げに披露するときは、この作品を参考にすればいいと思うよ。諸説アリ〜ババ。 PR 「ゆるキャン△」 5→6 第1話視聴時俺「なんで本読んだり飯食ったりゴロゴロするためにクソ寒い外でキャンプする必要があるんや。何でもかんでも可愛い女子高生がやればコンテンツになるわけでもなかろうに」。最終話視聴後俺「本読んだり飯食ったりゴロゴロするためにクソ寒いキャンプ場行ってみたいかもしれんなぁ。なんやこの5人の可愛さは。奇跡か」。 というわけで、コロリ転げたこの作品が今期の記念すべきゴール第1号である。いやぁ、綺麗な作品でしたね。タイトルに「ゆる」と書かれていることからもわかる通り、なんだかきらら系作品のイデアみたいな存在になっている。とにかくユルく、日常を延長しながら、さりげない「可愛い」と「面白い」で攻めてくるこの姿勢、過去のきらら系作品を並べてみればその達成の難度がわかるというものだが、見事にハードルを超え、1つの作品として結果を残した。 相変わらず、この手の作品は「なにがよかったのか」っていう部分を説明するのが難しいのだが……とりあえず映像面のポイントが高いのは間違い無いだろう。一時キャラ作画が怪しくなる回もあったのだが、それでもあまり気にならなかったのは、本作において「キャラの精巧さ」なんてものはさして重要でもないからだ。むしろ注目されるべきはキャンプ場全体の景色であったり、キャンプに不可欠なガジェット類であったり。そうした部分から「キャンプ面白いよ」オーラを醸し出すことにただひたすら邁進すれば、本作のオリジナリティは存分に発揮される。「わざわざ外に出て活動する」アニメなのだから、その景色が魅力的であれば、自ずとお話の方もついてくるというものだ。 そして、ありがちな「単なる萌えもの」ではありつつも、実はメインキャラの配置が他作品とは一線を隠しているのも注目に値する部分だろうか。一番のポイントは主人公であるなでしことしまりんの距離感。この二人、作中の全ての時間をトータルすれば、直接話してる時間って驚くほど短いのよね。ほとんどがLINEでのやりとりだから。「ソロキャンの楽しさ」を謳う作品なのだからそうして別行動になるのは当たり前なのだが、それが疎遠さになるのではなく、距離のあるコミュニケーションを逆手に取り、LINEでの通話や、学内での「部活と、それ以外」という隔たりを二人の関係性の妙味として消化しているのは新鮮だった。もちろん、最終話ラストでのまとめ方も完璧だ。他にも斎藤が常にちょっと距離を保っているくせに、いざという時にぬるっと入ってくる節操のなさなんかもなかなか珍しいポジションな気がする。こうして、過度に関係性を詰め込みすぎず、あくまでも「キャンプをすること」がメインになり、それぞれのキャラが自分なりの接し方でキャンプに望んでいるのが新鮮さの理由だったのではなかろうか。 あとはまぁ、単純に可愛いんですよ。奈央坊ボイスのしまりんの悪態でパワー2倍! なでしこは天真爛漫ゆみりんボイスでさらに2倍! 圧倒的巨乳力の豊崎関西弁でさらに2倍だァァァァ!みたいな乗算が強かった(なお、伊藤静ボイスの飲んだくれティーチャーで五億倍)。こういう作品を見ると、別に作画枚数を多く割かずともいくらでも「可愛い」ってアピールできるんだなぁ、ってことはしみじみ思いますね。考えてみりゃ「ヤマノススメ」だって同じカテゴリだったしなぁ。あ、ちなみに一番可愛いキャラはちくわです。 まぁ、わたしゃどれだけ今作が気に入っても絶対にソロでキャンプをやろうなんて思わないのだけど、どうやらこれを見て外に飛び出したオタクも多いらしいし、それだけの魅力があった作品なのは間違いない。こうしてピンポイントのジャンルを確実に売り出せるだけのパワーがあるのが、理想化されたきらら系作品なのである。若者離れが深刻な業界は、芳文社に相談に行ってみるといいかもしれません。いや、成功率はそんなに高くないんだけども。 「キラキラ☆プリキュアアラモード」 5→4 無事に今年もここに到着、今期執筆した番組感想は35本。減ったような、そうでもないような。とりあえず、1年という長丁場を走り終えたことにお疲れ様である。昨今のアニメ事情を考えると、こうして一年間走り続けられるという保証がある作品枠っていうのはそれだけでもありがたいもんです。 とはいえ、今年のプリキュアの総括はやや辛め。新機軸を打ち出した作品だったので単体で評価するよりも今後のプリキュア史に与える影響を見て最終的な存在価値を見定めるべきなのかもしれないが、一年間のシリーズという形で見ると、見どころよりも難点が目立つ出来になってしまっていたのは残念である。 何をもって「難点」としたのか、大きく2つの要素を取り上げたい。1つは、5人プリキュアという人数と各キャラの立ち位置の設け方である。ぶっちゃけ、放送開始数話の時点では「かなり面白そうだぞッ」と思っていた。その理由はどうやらゴリゴリに設定された各キャラの個性の部分にあったようだ。わかりやすい例では高校生コンビがやばいくらいにカップリングとしてハマっていることは放送前から話題になっていたわけで、ゆかり×あきらの強烈な個性は、「この舞台から何が飛び出してくるものか」と期待感を煽る出来だったのは間違いない。しかし、結局「設定に見られそうな要素」以外のサプライズが最後まで出てくることはなく、いわば「出オチ」みたいな印象が強かった。5人プリキュアの先輩である「スマプリ」でもそうだったのだが、やはり5人それぞれの個性を見せようとして単発エピソードを続けるスタイルは全体の取りまとめという視点ではあまり有効な手立てではないのだ。どうしても散逸的な印象になり、グループとしてのプリキュア、シリーズとしてのプリキュアの完成度に貢献していない気がする。 具体的なキャラで見ていくと、一番もったいないのはあおいだ。登場時(変身バンク)の衝撃のせいで期待が大きくなりすぎた部分もあるが、彼女が一番の設定過多で、どの要素も消化仕切れなかった気がする。そもそもスイーツを作るプリキュアの設定のくせに副業扱いなのがな……。他にも、上述の通りにゆかりさんはあまりに設定が固まりすぎていたために他のキャラとの絡みをシナリオで作りづらくて持て余していた印象があったし、対比的に素直なキャラだったあきらさんは何だか薄味にまとまってしまった。脇のキャラに要素が多かったせいで主人公のいちかは本当に真ん中で取りまとめる軸棒役に奔走する必要があり、個性を出しづらくなった。こうして見ると、5人で一番ブレなかったのはひまりだった気がするな。あ、5人に限らなければ一番見ごたえがあったのはビブリーですね。皮肉なことに、視点が散った味方サイドと違って敵側は毎週登場できたのでビブリーの背景が一番掘り下げられていたからね。同様の理由で、エリシオとノワールの関係性をめぐるボスキャラ争奪戦の流れなんかは悪くなかったとは思う。 こうした「キャラの焦点がぼやけた」問題と不可分だが、個人的にどうしても納得がいかなかったもう1つの問題点は、「明らかにバトル要素が軽んじられた」ことである。上で「スマプリ」が後半失速したと書いたが、それでも23話のあの強烈な印象は忘れてはいない。バトルに関していえば、スマプリの5人は十分に個性的だったし、魅力的だった。しかし、このキラプリに関して、「バトルで格好良かった」プリキュアが一人もいないのは致命的である。肉弾戦の割合を減らし、なんかよくわからないクリーム状の物質で搦めとるだけの戦闘になったためにどの技も似たり寄ったりになって画面に変化がつけづらく、さらに対戦相手もなんだかふわっとした攻撃方法ばかりだったので本当に戦闘が添え物程度に終わってしまっている。まぁ、本来の顧客である幼女先輩にはこれでもいいのかもしれないが……東映ファンとしてはこれではさすがにご不満だ。綺麗事をうだうだ並べずに拳で語るプリキュアであってほしい。どれだけ優雅に振舞っていても「お覚悟はよろしくて?」と上から圧をかける圧倒的武力を誇ってほしい。そういう意味で、本作の打ち出した新機軸は(少なくとも私の中では)不要な改変である。プリキュアがスタートした根本理念である「女の子だって闘うんだ」というテーゼは、やはりもっとストレートに画面で見せてほしいものだ。 トータルで見ると、やはり全体的に「コレ!」というでかいパンチが来なかったのが残念だったということになるだろうか。ビブリーにせよひまりにせよ、狙いが割と上手く行っているキャラもいることはいるのだが……やっぱり1年のスケジュールを考えながら魅力を維持するのって難しいですね。まぁ、我々おっさん勢は制作側からターゲットとして見られていない可能性もあるので、その場合にはしょうがないのだけれども。 さて、切り替えていきましょう。来週からは早くも次世代、なんとまぁ、プリキュアもいよいよ15周年だそうで。記念碑を打ち立てられると良いのだが。 「Wake Up, Girls! 新章」 5→3 ずいぶん時間がかかってしまったが、ようやくこれで今期分の最終感想が出揃った。今期執筆した本数は34本。だいたいいつも通りの本数だとは思うが、やっぱり年齢とともに体力が落ちてきて処理に時間がかかるようになってきたのは難点である。今後の視聴体制は如何にすべきかな(毎回言ってる)。 さておき、今期最後にエンディングを迎えたのはこちらの作品。毎回感想を書いていたので最終回の感想とまとめてここに記録しておくことにするが、一言で言うなら「今作を認めてはいけないだろうな」と言うこと。やはり、ダメなものはダメとはっきり言う必要がある作品だった。 以前から言っていることだが、私はもともとこの「WUG」と言う作品のコンセプトを評価している。群雄割拠のアイドルアニメ時代。各社がそれぞれの武器を持って、様々な方面から「アイドル」と言うテーマを魅力的に描こうとしているこの時代、WUGは色々と一筋縄ではいかない因縁を抱えて生まれてきた。その詳細は今更触れないが、他社作品に比べると、明らかに資金面で劣るだろう、というのが最初の課題だった。アイマス、ラブライブを中心として、それ以外にもプリパラだってアイカツだってそうかもしれないが、アニメ作りに際し、スタジオ本来が持つ強さだとか、太いスポンサーによる多方面からの支援とか、そういう土台があって、アイドルのアイドルらしい煌びやかさみたいなものがアニメの中でも冴え渡る。残酷なようだが、これは間違い無く事実である。 しかし、そんな逆境の中でスタートした本作は、他作品にはないアイドル像を描くことで、その逆境をも武器とした。もともと「復興」をテーマにスタートしたプロジェクトだったということもあるが、なるべく現実に即した場所から、アイドルの良い部分も悪い部分も、ないまぜにしながら描いていく方向性。これはこれで唯一無二であり、描くべき価値があるテーマだった。第1シーズンがあれだけ作画面でガタガタになりながらも、しっかりと存在感を示し、WUGがこれまでアイドル活動を続けてきたのも、そうした「描きにくい」テーマから逃げずに挑み続けたことが評価されてのことだろう。 そういう意味では、この「新章」も同様に価値のあるものである。今回のテーマとしては、ある程度確立され、スタートを乗り越えたアイドルの「次の一歩」である。業界で生き残るための試行錯誤、新人から抜け出し、個の存在とチームの存在を両立させるための精神性。さらに業界全体の「アイドル不振」の脱却や後進育成に至るまで、なかなか他の作品では見出しにくいテーマがそこかしこに確認できる。今期もきちんと、WUGはWUGオリジナルで戦う姿勢を示していたのだ。もちろん、そうした戦いを挑むためには基盤となる部分が保証される必要があり、WUGの場合は楽曲の魅力もそうだし、キャストも含めて1人1人の「アイドル」が人間的な成長を遂げようという意識があってこその挑戦である。 こうして示されたテーマ性、独自性は文句のつけようもないものだ。しかし、残念ながら今作はそれを支えるだけの地力がなかった。映像面での問題は、そうした脆弱さが最も端的に表れたというだけの話だろう。CGモデルによるアニメ進行は、ライブシーンと日常パートをシームレスに繋げる面白い試みであったし、クセはあるが1話目では充分に可能性を感じられるものだったと思うのだが、残念ながらそれを1クール維持するだけの力を持っていなかった。また、シナリオ部分に関しても、様々な問題に切り込んではいるが、それを効率的にドラマとして盛り上げるまでの推敲がなされていたとは言い難い。クライマックスに至るまでの白木さんの心情変化などはいかにも説明不足であるし、WUGの内部での人間模様にしても、どうしてもインスタントな印象があり、7人を掘り下げるのにも尺が足りていない。これで2クールあればもっと様々な切り込み方で「アイドルの魅力」が見せられたのだろうが、この度の作画の体たらくを見るにそれも夢のまた夢。残念ながら、掲げた目標と実力が伴っていなかったために起こった不幸だと考えざるを得ない。 非常に残念な結果にはなってしまったが、まぁ、まだプロジェクトが終結したわけではない。リアルでのWUGも、作中のWUGも、まだまだ成長過程にある「続いていく物語」。この度のシナリオラインも、粗は目立つが次につながるという部分では希望が持てるものではあるのだ。さらに後輩のRGRの登場で世界観はますます広がり、I-1サイドの物語はそれだけでシリーズ一本作れるくらいに様々な興味対象を抱えている。今回のシリーズははっきりと「足りなかったもの」が分かっているのだから、次のステップでは今回の反省を活かし、また新しい魅力を持ったWUGの姿を描く機会があれば喜ばしい。誰が手をつけるのかは分からないけどね。 「Just Becaouse!」 5→5 なんとも不思議な味わいの作品でございました。全話見ていても衝撃的な何かが襲って来るなんてことはないのだが、これまでに観てきたものとは少し違う、そんな微妙なズレを楽しむ作品だったのかも。 本当につかみどころがなくて、視聴中はずっと「どこが芯なんだろう?」ということがつかめずにあっちへフラフラ、こっちへフラフラしている印象だった。普通、ドラマ作りといえばメインの筋立てがまずあって、そのゴールへ収束するために周りを固めていくもの。本作だって終わってみればごくごく普通の、瑛太と夏目さんの恋愛ものだってことは分かるわけだが、その間にもお互いの気持ちがなかなか見えてこなかったり、他のカップリングでも主役級のテーマが持ち上がってきたり、視線が移ることが多い。そして、その全てのトピックが、あまり熱量を持たずに淡々と進んでいくのである。おかげで、ドラマの見え方がぼんやりしてしまったのだろう。 しかし、考えてみれば現実世界なんてそんなもんである。現実にキャストロールはなく、誰が主人公かなんてわかったもんじゃない。それでも人は人を好きになってみたり、友情を確かめたり、何もできない自分に苛立ったりするのだ。その積み重ねが、いつしか恋愛ドラマを形成していくのだ。そういう「何気ない日常の積み重ね」みたいな部分に、不思議な近しさがあったのもまた事実。熱量を持たず、何ごとも淡々と進める瑛太だからこそ、その恋愛観には妙な生々しさがあるような。 こうした筋立てを作る上で面白かったのは、「高校3年生から始まるドラマ」という珍しいセッティングであろう。部活を引退してあとは受験を残すだけの半年間なんて、普通の学園恋愛ドラマだったら後半戦どころか終盤戦である。そりゃイベントも色々あるかもしれないが、すでに出来上がった関係を固めていくためのクライマックスステージ。そういう扱いが普通だ。しかし、本作はそこが全て。そこで出会い、戦う物語。受験を巡って何ができるだろうと思っていたら、これが思いの外刺激の多いドラマになるのである。考えてみれば、学園ドラマなら「卒業」がゴールになるのは半ば必然。そして、そこにゴールがあると決めた上で話の密度を上げようとしたら、ゴールまでの期間を短くするのが一番手っ取り早いのである。そうして作られた「高3物語」は、突飛なようで実に理にかなっている。受験を題材にしたクライマックスも、経験したことがある人間ならば嫌なリアリティを伴って思い出せる、独特の緊張感が恋愛だけじゃない若者の焦りや悩みを想起させるものになっている。よくもまぁ、こんな妙な構成を思いついたものだ。 個人的には、見ているうちにすっかり写真部ちゃん贔屓になってしまったので終盤に向かうにつれてどんどん辛くなっていったのだが、可愛い女の子は振られても可愛い(ひどい話だ)。彼女のバイタリティなら、もっといい男を見つけて……どうだろ、その辺不器用そうだなぁ。メインの2組はさっさと爆発すればいいと思うけど、あそこまでじっとりした「若者の恋愛」を見せられると、おっちゃん目線からは文句も言えないなぁ……。うむ、良いお話でした。 「Fate/Apocrypha」 5→5 ジルドレが幸せになれる世界ならそれでいいわ……。いや、別に大して思い入れは無いんだけど、Fateと全然関係ない別なゲームのジルドレには割と頑張って欲しいと思っているので。 終わってみれば「まぁ、こんなもんやろな」という作品である。最近何かと話題の多い一大コンテンツとなったFateシリーズだけに色々な声が意識せずとも耳に入ってきて、やれ「Apoは駄作」だの、「もっと課金させろ」だの(?)、もう、ここまでコアユーザーが夢中になってると、私みたいな部外者は「絶対近寄らんとこ」って思うジャンルになりつつありますわ。案の定、年末にやってたFate特番もさっぱり意味わからんかったし(磨伸映一郎作品のアニメ化はちょっと嬉しい)。 さて、そんな外堀はさておき今作は単体でも問題なく評価できる作品。何かと話題性の豊富だった映像面なんかはかなり頑張っている様子が伺えて、良くも悪くも大きな責任感を持った仕事をしているなぁ、という印象。私としては充分にポジティブな評価ができるだけの画面構成になっていたと思うし、これでシナリオラインが夢中になれる中身だったら少なくとも「stay night」は超えて、うまくいけば「zero」に迫る作品になるかなぁ、と期待していたのだが……残念ながらそこまでは盛り上がらなかったですね。単純にいうと、わちゃわちゃしすぎましたね。考えてみりゃ純粋に7人対戦(のはず)のstay nightですら聖杯戦争ってかなり横紙破りが多くてめちゃくちゃな展開なんだよな。そういうイレギュラーな部分を含めて脚本を受け止めるべきだったのだろうが、どうしても少年漫画脳の人間は「7対7の多人数戦だ!」って言われたらそれぞれの陣営がぶつかるガチ勝負を期待してしまうわけでな。早々にバーサーカーが訳のわからないことになったり、どう見ても中立じゃないルーラーが絡んできたり、そもそもサーヴァントとマスターっていう一番大事な関係性もめちゃくちゃだったり、「さすがにもうちょい設定に沿えよ」という部分が多すぎた。さらにサーヴァント独自の価値観がなんともわかりにくく「英霊は確かに過去の英雄の魂だが、自分が現世に蘇った過程も全部わかってるからなんか違う」っていう部分がやたら引っかかった。ケイローンたちみたいに「自分の人生の全てを客観的に知ってる」っていう設定が飲み込みにくいんだよなぁ。あと、鳴り物入りで登場したモーさんが本当に単なる破壊兵器役だけ果たして満足して消えていくのも物足りない。親子セイバーでこうも扱いが違うのかよ。結局、作品単体で評価できると言っても、Fateシリーズという括りはどうしても必要になるし、あわよくば英霊たちの史実についてもきちんと勉強してから見ないと100%は受け止めきれない作品なのだろう。 そして、そんな本作で最大の瑕疵がなんだったかと問われれば、そりゃもう、私はただ1点、「なぜライダーにちんこをつけたのか」という一点に尽きる。そこだよ! 誰だよ! そんな設定にした奴! 同じ世界にいくらでも性転換してる連中がいるのになんでそこにこだわるんだよ!! おかしいだろ! CV大久保瑠美の美少女にちんこが生えてるはずないだろ! いい加減にしろ!! こういうことを言うと訳知り顔で「むしろそれがいいんじゃないか」とか言ってくる輩もいるが、そんなわけはない。私は自らの主義信条に則り、断固として反対する。可愛い子にちんこは生えているべきではない。いや、フタナリならまだ許す(許すんだ)。しかし、純然たる男性性にする意味などない。なぜ! そこで! ちんこが! もう、そこだけでマイナス5億点ですよ。それでこの点数なら傑作だな! というわけで、僕の脳内ではアストルフォのちんこは存在を抹消されています。……えーと、なんの話でしたかね? 「DYNAMIC CHORD」 2→2 もう、これはこれで独自文化として花開いたということでいいんじゃないかな。 私は「一周回って面白い」という概念は基本的に認めないことにしている(ほとんどの場合は単なる言い訳にしかならないからだ)。ただ、今作の場合はあまりにも「らしさ」が極まってしまい、それが本当に「一周回って」オリジナルになってしまっている。それが良さなのか悪さなのかは敢えて触れなければ、画面を一目見て「あぁ、これはダイナミックな奴だね」とわかるのだから、個性は個性として認めるべきではある。そして、「その個性は良いものか悪いものか」をその次に考えるのだ。 ……いや、良いものなわけねぇだろ。これ、あれじゃん。毎回丁寧に画面を見て、「これが変なところです」っていう間違い探しするための映像じゃん。クイズ番組の企画の1つじゃん。遥か昔やってた「ダウトを探せ」っていうクイズ番組は幼少期に好きだったんだよ。つまり、そういう「作品」でなく「映像」としてみれば……なんだその無駄な30分。 いや、でも現代アニメにおけるCGの使われ方とか、そういう色んなものの参考例としては役に立ちましたよ。今期はWUGも同じような仕事をこなしてくれたが、「CGだから好き」とか「CGだから嫌い」とかいう評価を下す時代は既に終わっている。どうやってCGを使いこなすかを考えるのがアニメクリエイターの仕事なのだ。このアニメを見れば、どんなものが「駄目なCG」なのかがよくわかるので、「普段食べてるご飯がどれだけ美味しいものだったか」がよくわかるというやつである。そういう人身御供みたいな仕事をこなしたことも評価して、2点。しばらくはダイナミック○○という言い回しで歴史に名を刻む作品ですよ。めでたしめでたし。 「結城友奈は勇者である -鷲尾須美の章/勇者の章-」 6→6 大団円すぎて逆に怖いやつ。まぁ、1期もそんな感じだったけどさ。 世界の全てに勇者パンチ。もう、そういう終わり方になるのはわかってんだから究極の予定調和アニメである。そして、視聴者サイドはそれが見たかったのだからなんの問題もない。強いていうならいくら何でも途中で友奈ちゃんの笑顔曇らせすぎやろが、って思うけども、これもまた予定調和の1つでもある。世の中大抵神樹様のせい。今回は途中で折れてくれただけまだマシであるが、1期の大団円の裏にはこんな事情があったわけで、世界の全てがこれで片付いたかどうかなんて誰にもわからないのである。 こうして作られた「勇者である」の世界。今回は時代を遡っての「鷲尾須美の章」から始まり、全ての勇者の集大成としての友奈ちゃんをさらに際立たせるという構成になっている。2つの世界を繋ぐためには東郷さんの存在が不可欠であり、途中でどう考えても東郷さんが主人公やんけ、って思ったのだが、そこはしっかり友奈ちゃんが最後まで物語を引っ張り、最終的にはタイトルを回収してくれた。最後の友奈ちゃんが完成するためにはそれまでの数々の犠牲が必要不可欠だった、というお話なので、2つの物語が繋がっている意味もちゃんとあるし、構成はこれで良かったのだろう。正直言えば、「勇者の章」はやっぱり6話だけでは物足りない部分はあるのだが……まぁ、このお話を引っ張ったら単にキャストの胃に穴が開くだけだろうし、これくらいざっくりでも良かったってことですかね。友奈ちゃんの抱える問題が全て暴かれた後のバトルは、もう完全に観念のレベルでの戦いだったので何が起こってるかは正直さっぱりわからなかったんだけどな(これまた1期と同じではあるが)。ユウシャパンチスゴイ。あ、でもやっぱり来るとわかってても銀ちゃんが舞い降りるところはブワッてなるよ。もう、あの一瞬だけのために見てた感はあるかもしれない。 あとは余裕があれば勇者部の日常をもっと見たかったですけどね。今期をまとめようとすると「風先輩は車に跳ね飛ばされて高校に受かりました」っていう説明で終わってしまうので、部長の活躍がもっとあっても良かった。にぼっしーはやたら印象的な活躍シーンが多いのは彼女の人徳なんだろうなぁ。樹ちゃんも強くなったところがはっきりアピールできていたし、東郷さんはストーカー業務の熟練度が上がって大変結構。もう二度と、彼女はぶれることはないでしょうよ。そして見事に2つの世代の橋渡しを成し遂げた「先輩」であるそのっち。気づけばいつの間にか「6人で勇者部」になっていたのは流石だなぁ。 やっぱり1クールで2本という詰め込み方がちょっと勿体なかった感は否めないのだが、それでも最低限必要な部分は見せてくれたのだし、これはこれで良いシリーズだったのではなかろうか。さて、続きはあるんでしょうか……まぁ、まだアニメ化してない関連シリーズはたくさんあるらしいので、先にそっちのメディア展開があるのかな? どうかな? 「ラブライブ!サンシャイン!!(第2期)」 6→5 毎週感想は書かせてもらっていたのだから楽しかったのは間違いない作品。ただ、正直なところ、期待していたような盛り上がりには届かなかったかな、という口惜しさみたいなものもあるのだ。 過去の履歴を引っ張り出すと、初代ラブライブは1期の配点が5→6、2期は6→6で、サンシャイン1期も多少下駄を履かせたとはいえ6→6。安定して評価してきたはずだが、何故この2期で評価を下げたのか。それはやはり、2期を通じての集大成としての結末に物足りなさを感じてしまったからだ。とにかく上がり調子で「育っていくことの気持ちよさ」みたいなものを見せてくれたのが初代の2期シリーズ。あちらはとにかく突き抜ける明るさでコメディタッチのエピソードも、軸となるサクセスストーリーも気持ちのいいものばかりだったのだが(謎ブリザードは置いとくとして)、今作の場合、2期に入っても1期同様の煮え切らない悩みが多く残されており、みかんトロッコや最終話のライブのように「これ、前後がどう繋がってるの?」という部分がよくわからない話が散見された。おそらく「何話目のこの部分でライブを入れる」ということが決まっており、そこに合わせるための脚本構成だったのだろうが、前後関係がちぐはぐで、全てのストーリーがライブの添え物のように感じられてしまう。まぁ、初代からその気が無かったといえば嘘になるが、少なくとも「ゴール」の形がシンプルなサクセスストーリーだった初代の場合、ホップステップジャンプで駆け上る「足がかり」としてのライブは構成から大きくはみ出すものでは無かった。 転じて今作の場合、もちろん「サクセス」ではあるのだが、物語の終焉は「廃校」という悲しいイベントが待ち構えている。そのため、底抜けに明るい「アイドルのライブステージ」という最大の武器をどこでどう配置するかはデリケートな問題になってしまい、消化しきれなかったということなのではなかろうか。最終話でのライブがどうにも蛇足に思えてしまったのも、そうした接続の不備が一番の原因だったと考えれられる。また、各キャラクターの掘り下げという部分においても、例えば割と序盤で「1年生と3年生が実はそんなに仲良しでもない?」という問題を提示した割に、ダイヤさんが最後までダイヤさんのままだったり、抜本的に解決されないままで「なんとなく9人が集まっている」という印象がぬぐいきれなかった。3年生だけのエピソード、1年生だけのエピソードとしてはそれぞれにちゃんと完結しているのだが、果たしてそれは「Aqoursのエピソード」になりきれていただろうか。細かい部分で色々な絡みは見られたはずなのに、どうしても「全体を通して」のまとまりが悪かった気がしてしまうのだ。 まぁ、やっぱりこれも「劇場版を残しているから」と言われてしまえばそれまでなので、あくまでも「現時点での評価」というに留めておくが、なんとか、初代同様に「9人で1つ」という完成形を見せてAqoursも伝説となって欲しいところである。 |
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HN:
Thraxi
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男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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