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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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「ツルネ-風舞高校弓道部-」 5→5

 変な時期になってしまったが、とりあえずこれにて今期分の番組感想は一応終了(来週プリキュアが控えているけど)。今期感想を書いた数は32本。ショート枠も増えているが、まぁ、だいたいいつも通りくらいの数じゃなかろうか。最近は少しずつアニメの数を減らすことも覚えたけど、今期はそこまで切れるものがなかったなぁ(泣く泣く切ったのはバーハンターくらいかな)。

 さておき今作の話。ぶっちゃけ、ドラマとしてはあまり惹かれるものがない。感想を書いている時にもそのあたりには触れていたと思うが、青春スポーツドラマとして、なんだか淡々とノルマをこなしているような印象で、感情的な押し引きに乏しい。もともと狙っている層の異なる作品なのは間違いないだろうが、「Free!」の1作目はそれなりに面白かったわけで、それと比べてもあんまり見たいと思えるような展開がなかった。ラストで師匠が事故っちゃう展開なんかもすげぇ雑に要素を配置している印象だったし、ドラマとしては点数は下げざるを得ない。

 それではなんで点数維持なのかといえば、もう、これは思い出補正というか、弓道経験者にしか得られない達成感みたいなものである。途中で「弓返りさせたい」っていう気持ちとか、早気をガンみたいな扱いにする流れとか、「そんなんあるかなぁ」と思ってしまうような描写も少なくなかったのだが、やはり要所で「あぁ、あの頃の気持ち」と蘇ってくるものがあったのは事実なのだ。それは単に「弓道場でしか見られないものが見られるから懐かしい」というだけでなく、きちんと「プレイヤーだからこそ見える景色」みたいなものを捉えて描いていた気がする。スタッフの中にどれくらい経験者がいたのだろうか、もしいなかったのだとしたら、おそらく原作者がそのあたりのコンセプトをきっちり伝えてくれたおかげだろう。

 個人的にはやはりクライマックスとなる決勝戦が見どころで、「お前ら、弓はじめて数ヶ月のメンバー入れた状態で18中とかしてんじゃねぇよ!」とは思うが、あの的中続きの中で生み出される異様な空気と高揚感、そういった感情の流れはどこか懐かしい。特に私は主人公と同じ落ちのポジションだったこともあり、メンバー全員の背中を見ながら、それぞれの個性を思い、練習を振り返り、自分の射に全てがこもっているかのような感覚を覚えたことはあったのだ。人生最後の試合(奇しくも今作と同じ県大会決勝である)の最後の1中、あの時の光景は、多分死ぬまで忘れないはず。まぁ、風舞と違って、他のメンバーの不調もあって割とあっさり負けたんだけど(確か1210とかそんなんだった気がする)。

 そうした「真にせまった景色」を見せてくれたことに感謝して、ちょっと贔屓気味の評価にしておきます。でもまぁ、「真にせまったアニメーション」というのはやっぱり京アニの本領ということでね。ほら、弦の音が鳴り終わったら、次はどこかから楽器の音が響いてくるよ。早く春にならないかなぁ!

 そして、次の曲が始まるのです。

 

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DOUBLE DECKER! ダグ&キリル」 6→7

 いやー、最後まで笑わせてもらったわー。時期的な問題で最終話感想と最終評価がごっちゃになってもうしわけない。最終話感想としては、コピーされてるときに「ア゛ア゛ア゛ア゛」ってなってるユリちゃんが可愛かったです。以上。

 いや、最終話にこそ本作のエッセンスが詰め込まれてるとも言えるんだけどね。やっぱりさ、この方向性は思いついた時点ですごいと思うわ。一言でまとめるなら「徹底的に計算し尽くしてエエカゲンなことをやる」というコンセプトだろうか。「なんやねんそれ」という腰砕けの展開を、とにかく理詰めで最大級の「なんやねん」になるように作っていく。こんなバカバカしいこと、誰が挑戦しようっていうんだ。しかもこの作品の場合には質より量で攻めてる感もあるしな。密度が濃すぎてどこから突っ込めばいいかわからねぇんだよ。

 もちろん、ギャグに極端に寄せた構成なので、刺さらない人には全く刺さらないんだろうなぁ、という予感もある。単なる悪ふざけに見えるといえば見えるし、ネタを1つ1つほぐしていったら、「しょうもない」のは事実なのだ(まぁ、世の中のギャグなんて掘り下げた時点で大体そうなる気もするが)。しかし、この短期間にこれだけの「しょうもなさ」を詰め込むためにはどれだけの構成力が必要かってことだ。秩序ある騒乱ってのは、普段絶対に刺さらない脳の変なところに刺さる感覚がとても楽しい。そうした唯一無二の快楽に価値を見出し、私は本作に賛辞を送りたい。是非とも、To be continuedしてほしいものである。

 そして、何も「単なるバカバカしさ」だけではなく、しっかりとタイバニ的な「まっとうなヒーローもの」の要素や、サスペンス的な要素、バディものとしての心の交流も満足いくレベルで提供されるし、ハードボイルドな部分だってスパイスとして効果をあげている。バカ笑いして終わりかと思いきや、そこかしこで印象に残る絶妙なシーンも混ぜ込み、最大限に各パーツの見栄えがよくなるように工夫されているのも見どころの1つだ。最終話でまとめられていたダグの評価、「世界を救って定時で帰る男」ってキャッチコピー、めちゃめちゃ格好良くない? もう、最初から最後までダグのキャラクター大好きなんだけど。他にも「Don’t think, feel so good」なんて救いようのないフレーズがその意味を二転三転させて最後にビシッと決まるところなんかは確実に脚本の意図が結実している部分だし、突然出てきたザベルがクーパーを叩き潰すシーンで「どないやねん!」って思ってたら最後に「食べ物を粗末にしたからだ」っていうとこなんて、実際に作中で描かれたのはほんのちょっとの要素なのに、ザベル→バンブーマン→ザベルって2回転させてるからストンと落ちてきて満足感があるんだよ。1つ1つの要素に、本当に安易に終わらない意味がある。まぁ、そうした要素の周りにわけのわからないガジェットがいっぱい散らかってるのも事実なんだけど、このスラムみたいなごった煮感を作品世界として成立させてしまっただけでも勝ちだろうよ。よくもまぁ「タイバニっぽい2作目」っていうスタート地点からこんな無茶苦茶なもんを完成させたもんだ。

 前にも書いたけど、ほんとに1クールで終わっちゃうのは勿体無い作品だが、果たしてこれを2クールやって(制作側も、視聴者側も)体力が保ったかと言われればギリギリの線。ドンと上がってパッと散る作品だからこそ実現できた部分もあるのかもしれない。でも、やっぱり個人的にはもっとリスヴァレッタの大馬鹿コントが見たいんだ。ユリのパーソナリティなんて全然掘り下げてない、ケイのもっと可愛い顔はたくさんあるはず。結局ミラの人生はふわっとしたまんまだし、大家のババアに至ってはなんも分からん! なんとかして、燿司さんのナレーションでそのあたりを2秒で片付けて関係ないことやる続編がほしい。まだ最低でも143人は敵が来るわけだしな! 多すぎである!

 

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「色づく世界の明日から」 6→6

 ヤァみんな! 年が変わっても人間は変わらない、P.A.WORKS大好きおじさんだよ! 今年も素敵な作品をたくさん見せてもらえると嬉しいよ! あれ、でも1月からの新番組にP.A.作品が無いってまじか?! なんか、なんかくれよ! SHIROBAKOdアニメストアのCMばっか作ってんじゃねぇよ!

 ま、それはさておき、(ほぼ)毎週感想を書いていたので特に書くことがない系の作品だが、今作は非常にコンパクトに、1クールという尺に見合ったテーマ性と構成を打ち出してくれたことが小気味好い作品だった。ドラマとしてはあまり大きな刺激も無かったのだが、いわゆる「日常系」とも違ってしっかりと目に見える縦糸を据えて、それを取り巻く諸問題を13話に配置。およそ受け手側が想定できる速度とサイズに落とし込んだ。個人的には、こういう組み方もありやな、という不思議な達成感があった。大きな山が見えにくいせいで物足りないと感じる視聴者も出てきそうだが、こうしたジリジリとした「近さ」を持ちながら退屈しない物語を維持するバランス感覚はこれだけでも職人芸である。もちろん「凪あす」みたいな劇的なドラマもそれはそれで良さがあるけどね。

 そして、本作の場合、そうしたドラマ部分の「無難さ」は想定済みのもの。今作でスタッフが挑戦したかったのは、やはりその画面構成そのものだったと考えるべきだろう。今や日本を代表する圧倒的な映像美術を誇るP.A.の真骨頂というべき色彩の美しさ。本作はドラマのための映像ではなく、映像のためのドラマを作ったのだと考えるとよい。他のスタジオではとても生み出せないような鮮やかなその映像美を最大限に発揮する物語とはどんなものかを考えた時、「色」そのものをテーマにすえ、そこに青春時代の眩しさを加える。そうして生み出された「色づく世界」こそが、今作の主人公なのだ。

 毎度の感想でもよく引き合いに出していたが、P.A.の映像美は一度「グラスリップ」の中でも中心的なテーマとして取り上げられている。その時のテーマは「光」だったが、今回はさらにその細やかさを増した「色彩」「光彩」である。オープニング映像に象徴されるように、モノクロの映像部分と対比させることで何気ない色合いに大きな意味を持たせ、さらにそこからスタジオの持ち味である繊細な光の美術を見せることで、より世界の美しさを際立たせることができる。我々が日常生活でなかなか感じることができない「色があることの素晴らしさ」を、改めて考える機会を与えてくれる。これこそ、アニメでしか実現しえない作品のデザインであろう。後になって考えると、我々の代わりに世界の「見え」を体現していた主人公の名前が「ヒトミ」であったのもずいぶん意味深なものである。彼女の目を通して、我々は作品世界の美しさ、色づく世界のありがたさを知った。そうして改めて現実をみるにつけ、この色とりどりの世界には様々な魅力が潜んでいることに気づかされるのだ。

 挑戦的な作品テーマを維持しつつ、そこに見合った恋愛ドラマ、成長譚としても見ごたえのあるものに仕上がった。こうして変則的な作品作りに挑んでも中心がブレないところが、独自の武器をしっかり認識したスタジオの強みということなのだろう。今後とも、P.A.にはこうした作品作りに挑戦する気概を持ち続けて欲しいもんです。

 

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「ユリシーズ ジャンヌ・ダルクと錬金の騎士」 5→5

 久しぶりにラノベラノベしいラノベアニメだった。いや、毎シーズン「久しぶりのラノベ」って書いてる気がするんだけど、一時期はこういうラノベアニメが1シーズンにまとめて何作も登場するような時代もあったのでね。最近はその辺りのジャンルが大人しくなったので、昔みたいな過当競争がなくなったのは業界的には良いことなのかもしれません。

 そんなわけで、この作品ももし時代が悪ければ本当に十把一絡げで「はいはい、ラノベラノベ」てポイ捨てされていた可能性もあるのだが、最近のなろうベースの作品と比較すると、ドラマ部分の筋立ては実に普通で、懐かしさを覚える作劇だったのが楽しいような、つまらないような。でも、ちゃんとそれぞれのキャラがなんでそこにいるのかという理由が分かりやすいので、見ていても特に退屈することはなかった。まさかラスボスの子安戦で3話も使うとは思わなかったが、それ以前のノワールがらみのバトルとの引きなんかもあったのでそこまで冗長だとも思わなかったし。王道って大切なことよね。

 映像部分は、バトルシーンなんかで特に見るべき点はなかった気がするが、その分今作の売りであるベーゼパートが異様にネッチョリしているのが見どころだっただろうか。まぁ、適材適所ってことでね。どうせバトルシーンで他のアニメから突出できないなら、今作で期待されてる最大の伸び代を伸ばしてやろうってことなんでしょう。そういう潔さというか、割り切り方は他の作品も見習ってもいいと思います。いや、そりゃバトルシーンも盛り上がるほうがいいに決まってるんですけどね。贅沢は言うもんじゃないよ。「一応史実をベースにしている」っていう部分も、見ているうちにすぐ忘れてしまったのであんまり関係なかったしな。ジャンヌの末路が「ああなってしまう」っていう要素が我々視聴者の脳裏にもちゃんと残っていて、モンモランシがそれを見て悩むあたりがポイントではあるのだが。結局ラストにはあんまり関係なかったしなぁ。

 あとはまぁ、ひたすらジャンヌを愛でるというのが正しい楽しみ方。大野柚布子ヒロインは純真無垢なそのボイスの破壊力が高いが、ジャンヌの場合にはそこに背徳的なエロス要素が絡んでくるのでより一層の飛び道具に。早く療養を終えて復帰してくれることを願っています。

 

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「やがて君になる」 5→8

 さてなんと評したものか。先に結論を書いておくと、「結論は出ていない」。

 誤解しないでいただきたいのは、作品として完結していないとか、そういう類の問題ではない。私がこの作品を通じて、何をどう考えるべきなのか、結論らしいものが出せなかったという話である。ぶっちゃけ作品そのものとは関係ない、非常に個人的な、内的な問題である。ただ、それだけに感想を記述するのが難しいのである。

 しいて言葉を選ぶなら、実に芳醇な作品であった。とにかくあらゆる要素に意味が立ち、あらゆるカットに引きがある。そんなアニメである。今期は多くの高品質な作品が並んだ幸せなシーズンになったが、そんな中で一番好きな作品はどれかと問われたら、悩みに悩んだ末にこれをあげることになりそうな気がする。本当に、見たいものを見せてくれるアニメだ。

 ややアンフェアなのは、この感想を書くにあたり、放送終了後に慌てて原作コミックの方もあたり直したということだろうか。正直、初読のときに感じたものと、アニメで叩きつけられたものがどうしてこんなにも違ったのかを確認せずにはいられなかったのだ。その結果、自分の不勉強を恥じ入ることにもなったが、それ以上に「これ、アニメスタッフがすごいよね」という結論になった。確かに、「漫画を読めばそういう描写は確かにある」という部分がほとんどなのだが、ぶっちゃけ私は初読では今作の意味の半分も引っ張り上げられなかった。もともと漫画を読むのが苦手(?)なのだろうか、間違いなく「そういう意図」のコマがあっても、目が滑ってするりと流してしまう。そうしてなんとなく概形だけを読んで「そういう百合漫画」という受け止め方をしていたのである。しかしアニメスタッフは違う。ちゃんと立ち止まって、考えて、それを画に起こしている。アニメを作る人間なら当たり前だろう、と言われるかもしれないが、この「再構築」の難しさは、過去にどれほど「原作付き」のアニメがひっそりと消えていったかを思い出せば想像に難くないだろう。ことに今作は日本語の使い方が非常に上手い作品だと感じる。原作者の描いた青写真を、不備なくアニメーションにするだけでも、相当な理解が求められたはずだ。

 幸いアニメの脚本会議には原作者も毎回参加して、とにかく今作の伝えたいコアとなる部分を入念に打ち合わせていたようだ。その結果、ある要素は取り払われ、ある要素は書き足され、順番を入れ替えたり、ニュアンスを変えた部分もあったかもしれない。それでも元の作品が持っているものは損なわず、とにかくアニメで伝えたいことを絞り込んだ。本当に地味で、気が遠くなるほどに繊細な作業だ。だが、完成した作品を見る限り、この作品は見事に再構築に成功している。

 そして、今作で見せつけられたコア・テーマを考えると、やはりいつも以上に「百合とはなんなのか」ということを考えずにはいられないのである。私は百合好きだと事あるごとに公言しているが、未だに「百合の何が良いのか」に答えは出ていない。別にノーマルカップリングでもいいのではないか? 百合がいけるならホモはどうなのか? そうした疑問に対して、一応答えらしきものとして「同性愛だからこそ得られるものがあればこその百合だ」という解答を提示している。「ささめきこと」の魅惑こそが、百合の必須要素なのだと。

 今作においても、例えば沙弥香というファクターは間違いなくこれに該当する。隠した思い、表立って言えない気持ち。そんなものを扱った葛藤や面映さを魅力として取り上げる。しかし、今作の中心にある侑と燈子の関係はこれが該当するのかどうか。そこが分からない。何しろ、侑も燈子も、何度も取り上げているように尋常ならざる精神性を抱えた怪物なのだ。そして、そんな怪物じみた2人の心の薄皮を1枚1枚剥いでいくための道具立てが「恋愛」であり、その変化の痛みや喜びがドラマを構築する要素である。そこに「同性であること」がどの程度関わっているのか。極端な仮定だが、もし、これで侑ではなく(外見的に)槙のような「普通の男子高校生」が相手の恋愛ものだったらどうなっていただろうか。燈子が相手を「特別な存在」だと認識して関係性を育む上で、男であろうが女であろうがそこまで問題はなさそうなので、「侑と同じ精神性を持つ男性」相手に燈子が恋心を抱くという可能性はゼロではない。というか、そういう筋立てを想定することは充分可能だろう。

 そしてその時に、今作は全く同じような効果を持ち得たのかどうか。もし、二人の関係性に性別が一切関係ないのだとしたら、この仮定に対する答えはイエスになる。小糸侑が女性だろうが男性だろうが、燈子は同じような感情を抱き、沙弥香は同様の対抗意識を燃やし、侑は同様に悶々とするだろう。しかし、それじゃぁこの作品の百合要素は必要ないのかといえば、決してそうではないような気がするのだ。やはり、2人の関係は性別に依拠した「何か」がある気がするのだ。今のところ、この「何か」の正体が分からない。だからこそ「結論は出ていない」というしかない。

 ただ、そうして考える機会が与えられたということが重要なのだ。今作における侑と燈子の関係性は、「百合とは何か」「恋愛とは何か」「他者とは何か」ということをグルグルと考えなければ視聴できないようになっている。そのための舞台がアニメになったことではっきりと現れたのは、原作の持つパワーに加え、間違いなくアニメスタッフの力があってこそだ。これまた完全に個人的な価値観だが、私は「そういう」アニメが好きなのである。そういえば同じような当惑と高揚感は、「クズの本懐」の時にも芽生えたような気がする。あちらは百合要素もあったが、中心になるのは男女の恋愛だった。そこにはやはり違いはないのだろうか。

 結局、人間なんてのは有史以来恋愛ごとの惚れた腫れたで盛り上がり続ける単純極まりない生き物なのだ。そうした刺激の1つとして、本作はズブズブと人間心理の深奥に沈んでいく、そんな感覚が味わえるということなのかもしれない。

 とりあえず、ノベル読んでからもう1回考えたいです。

 

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「抱かれたい男1位に脅されています。」 5→5

 みんな元気ダナァ……(虚ろな目)。「万年発情天使」ってさ、普通に考えたらクイーンズブレイドのキャッチコピーだよね。

 前提条件として「受け入れられない」という真理があるにはあるのだが、なんかもう、ここまでくると面白い。理屈じゃねぇんだ。下半身なんだ。これって西條さんが性転換してしまえばほんとのほんとに普通のラブロマンス(?)になるはずなんだけど、その場合は100%地上波放送が不可能になってしまうというのがなんとも倒錯的。ここまで肉欲に振り切った作品なのに一切制限なく放送できるって、これはこれで性差別なのではないかという気もする。これがOKなんだったら、地上波でAV垂れ流しても大して変わらないのでは?

 いや、変わるんやろなぁ。実際にこれ見ても1ミリも欲情せんしなぁ。性衝動以外のどんな欲求でこの作品を楽しむんだろう、という疑問はあるかもしれないが、ぶっちゃけ、「こういう世界があるものか」という興味がかなり強かった。なんだろ、「そっち系のファンが求める野郎の性欲」のデザインがおかしくておかしくて。普通、男が突然前触れもなく股間を掴まれたら恐怖心こそあれ、いきなり艶かしい声あげて頬を赤らめるなんてことは絶対無いからね。まぁ、射精我慢カラオケみたいな展開はあるかもしれないが……なんだろ、この話をこれ以上突き詰めると本当に好きようのない話題になりそうなのでどこかでブレーキかけないと。とにかく、「フィクショナルな受けの男性像」を見事なまでに具現化させた西條さんの反応を楽しむアニメとしては本当に一級品でした。いや、可愛いもんね、実際ね。

 しかし、ふと冷静になってこのアニメの「嘘」を切り捨ててしまうと、非常に残念な事実にも気づかざるを得ない。「アハハ、男はあんな喘ぎ声出さないって!」「いきなり迫られたからって、そんな急にその気になって乱れるわけないやん!」。そんなことを思う。ふと気づく。あれ、これってもしかして女性がAV観た時と同じ感想なのでは……。AV女優のみなさん、素敵な喘ぎ声をいつもありがとうございます。

 理想のSEXは常に協力関係の上に成り立つのです。それは相手が異性だろうと、同性だろうと、きっと同じことなのでしょうね。サービスで応えてくれるなら、それが理想の女性だろうが、抱かれたい男第2位の西條高人だろうと、あまり関係ないのかもしれません。「もっと男ウケしたい」と思う人は、男女を問わず、西條高人を目指してみるといいんじゃないでしょうか。

 なお、そんな脇でこっそりCV日笠陽子で百戦錬磨の性豪女優が描かれていたのもポイントが高かったりします。まぁ、妲己と同じ声ですし。今後も性に奔放なぴかしゃ像を追求していってほしいですね(なんのニーズだ)。

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「ゴブリンスレイヤー」 5→5

 Will Returnって言われてもな……すでにやることなくなってる感があるのに、戻ってきて何したらいいんだよ。

 なんとも不可解な作品であった。制作側がかなり気合を入れて作っていることが伝わってくるので、作品としてのアベレージは高い。作劇にしろ演出にしろ、充分見られるだけのパワーを持っていた作品なのは間違いないないだろう。ただそれだけに、ますますこの作品が作られた根源的なモチベーションが気になってしょうがないのだ。今までになかったタイプの作品だけに、今後の追従作品が出てきたりする可能性もあり、ドラマづくりのサンプルとしては色々と検討しがいのある作品なのではなかろうか。

 最大の特徴は、やはりSSが起点という部分だろう。ネットのあだ花であったSS文化が、どこかの暇な人の努力によっていつしか一本立ちし、こうして大きな実を結ぶに至った。そのこと自体は理解できることなのだが、さぁ、これをさらにアニメ作品として1クールの物語を成立させようってんだからまた一苦労。見ていて面白かったのは、本当に今作が徹底したボトムアップの手法で作られているという点。もともと「どんな世界が描きたい」という大目標が存在しておらず、「ゴブリンを専門に狩る職人さんってどんな人なんだろうか」という思いつきを少しずつ広げていくことで「それっぽい」物語を作るという手法。しかもSSがベースなら、おそらく視聴者の反応を確認しながら、少しずつ肉付けしていくというアドホックな部分も数多くあったのだろう。即興芸術の趣で何が出てくるか分からないライブ感を楽しむ、そんな要素も当時はあったのかもしれない。ただ、それを後になって1つの確固たる作品として味わうときには、なかなか追従できないという悩ましさがある。

 そうして「下から」作られた作品なので、やはり端々に違和感の残る部分がある。例えば目に見えた特徴として「作中のキャラに名前がない」なんて部分があるが、やはりあれだけのコミュニケーションをとりながらお互いに名前の1つも知らない関係性は不自然だろう。仮面をとらせるよりも、まず名前を聞くのがコミュニケーションの第一歩。さすがに固有名を名乗らない世界というのは考えづらい。また、「ゴブリン以外の敵キャラが出せない」という制約はやはりどう考えても大きく、結局はロードだのなんだのといった上位種を出すことで対策しており、設定の無理はしょうがないよな、という諦めが感じられる。当初は最大の売りでありモチベーションであった設定が、最終的に足かせになってしまうというのは、作品規模が当初の予定を大幅に上回ってしまったことの表れだろう。

 しかしまぁ、だからと言ってそれが目に余る瑕疵であるかと言われると、そんなこともない。「そういうもんなのだ」と言われたら飲み込めない設定でもなかろうし、元のデザインが「情熱大陸」とか「ガイアの夜明け」みたいな「僕らの知らない職人さんのたゆまぬ努力と情熱」をテーマにしたお話なので、基本的には見ていて面白いはずのテーマなのだ。仁義も何もなしにただひたすらゴブリンを殺すことだけに生きるクレイジーな匠のお仕事についてはしっかり筆が割かれているし、ストイックすぎるキャラづけなどもそれなりに立っているので、1クールアニメとしてはやや間延びした感はあるが、「よくこんなネタで頑張ってまとめたな」というくらいの満足感は得られるはずだ。ただ、だからこそ「この続き」っているか? という最初の疑問につながるわけだが……。

 まぁ、どこまでいっても俺の中では「杉田と中村が新しく始めたネトゲにめっちゃやりこんでる梅ちゃんがいた」っていう話にしか見えなかったんですけどね(奈央坊は、多分番組ゲストとかで呼ばれた)。

 

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「閃乱カグラSHINOVI MASTER -東京妖魔篇-」 4→4

 はい、お疲れ様でした。なんかこう、シーズンに1本くらいこういう作品があるのは、ご褒美とかなんとかいう以前に、もうアニメ業界のノルマみたいな気すらしますね。

 でも、やっぱ求めてないよぉ。あんまり必要としてないよぉ。強いて求めている要素を挙げるとしたら、今作はすっかり歴史の長い作品になってしまったため、キャストの面でストライクゾーンのど真ん中なので、このキャストが真剣にエロい作品に取り組んでくれるならそれはそれで嬉しいということですね。まぁ、今更千和に喘ぎ声あげられても「息子が心配すんぞ」としか思えないけども……。ただ、幸か不幸か、この作品は「真剣にエロいことをする」シーンは一切ないですからね。どこまでいっても「エロ」っていうか「エッチ」みたいなところで止められているあたりが全年齢向けである(いや、視聴年齢制限あるんだけどね)。ハレンチ学園みたいなもんだと思えばだいたいあってるんじゃなかろうか。俺ハレンチ学園読んだことないけど。

 結局、1話目からずっと抱えていた「シリアスなテーマを扱ってる割には大前提で閃乱カグラ」という問題は最後まで解決しないんだよな。「妖魔とは何か」、そして大命題である「正義とは何か」という問題を問い続けるシナリオではあるのだが、その妖魔とのイデオロギーの激突があまりにシンプルで、わざわざおっぱい振り回しながら見なくてもいいんじゃねぇか、というストーリーになっている。大事な話をするならまずは服を着ろと。この作品のアイデンティティが崩壊するようなツッコミしか浮かばないのだが、やっぱりステーキとプリンは食い合わせが悪いんだよ。別々に用意してくれよ。前述の通りにキャストの層が厚いので、メインのドラマ部分もやたら気合が入っているのがどうにもこうにも……。いや、全部割り切って「最終的にシリアスやってるけどゴールはおっぱい」だと思えば何もかもがどうでもよくなるんだけどね。それってわざわざシリーズアニメで見る必要もないんだよなぁ。

 とりあえず、複雑な感情を抱えた悪役をアスミスがやってくれているのを見るとそれだけで嬉しくなるので、「WIXOSS」に続く「悪い子阿澄作品」という部分だけでも覚えておけば良いのではないでしょうか。あとはやっぱりはらみーとダチャーンの貴重な正統派(??)ヒロイン作品としての見応えですかね。やっぱ中の人の話題しか出てこねぇや。

 まぁ、映像のクオリティは決して低くはないので、原作ファンには求められているものを提供していたのかもしれませんな。世間には僕なんかよりもよほど真剣にこの作品の持ち味を料理してくれるソムリエの方々がいると思いますので、適材適所で、味わうべき人の下に届けられることを願います。

 

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「メルクストーリア-無気力少年と瓶の中の少女-」 5→4

 こちらはおまんじゅうクラブがない方のソシャゲアニメ。いや、あれと並べるのはさすがに申し訳なくなるけども。

 ただ、1クール通してみるアニメとしてどっちが良かったかと言われると、さらに申し訳ないことに悩んでしまうことになる。ストーリーがしっかりしていたのはこちらの作品。いや、それどころか映像部分も演出全般も、こっちの作品の方が正しく良質なアニメーションになっていたはずである。監督の追崎さんの持ち味であるほっこりまるっとした愛らしさが全般に満ちていて、実に優しい作品世界が広がっている。一本のフェアリーテイルとしてみたときに、素直に評価されるべきだろう。

 ただ、……如何せん、その素直さ故にほとんど引っ掛かりがない。原作ゲームをプレイしている人間や、素直に楽しめる人には毎週の癒しになる作品だったことだろうとは思うのだが、日々の生活に疲れ、そして週に50本以上のアニメをちぎっては投げ、ちぎっては投げしている人間にとって、このアニメはあまり求めているものを提供してくれなかったのである。うん、どう考えても俺の生活の方が間違っているので、改めるとしたらこの作品じゃなくて俺の性根の方だな。すまない。

 まぁ、結局は甘いしょっぱいがはっきりわかるジャンクフードばかりを食べるようになってしまっているので、おばあちゃんが焼いてくれたトウモロコシにそこまでありがたみを感じない、みたいな状態なんだろうなぁ。もっとゆっくり、3ヶ月くらいひっそりと人里を離れて隠遁生活できればこういうアニメを受け入れる精神的余裕も出てくるのだろうが……。ただ、やっぱり押しが弱かったのは事実なのよね。ソシャゲシナリオとはいうが、主人公のメルクたちが色々な街を巡り、そこで異なった境遇の人々の物語に触れていくという構成は「キノの旅」なんかが近い。主人公はそれぞれのパートのキャラたちであって、メルクとユウの役割はどちらかというと「観察者」「傍観者」である。その上で、元々のソシャゲシナリオの目的を考えるとユウたちの成長物語、メルクの記憶を辿る物語としても成立していなければならないはず。アニメではその縦軸の部分が非常に弱く、成長したとは言っても、毎回のゲストキャラにかき消されてユウたちの存在感が薄れてしまったかなぁ、と。

 いや、でもそのぶん単発のシナリオとしては好きなやつも多いんだけどね。お気に入りはやっぱり日笠と日笠が揉めたからって日笠が解決しにくるお話ですかね。もう、何させてもいいと思ってるだろ。あれだけキャラを取っ替え引っ替えできて、なおかつ歌キャスまでこなせる日笠を骨までしゃぶるナイスなお話だった。こうしてみると、これだけ違う世界を描きながらも雰囲気がブレてないんだから、やっぱりシリーズの統制は優秀だったんだろうな。

 うーむ、やはりソシャゲアニメの着地点というのはまだまだ手探り状態だな……さて、来年からは、僕の一押しのソシャゲがアニメ化されます。詳細は後日熱をもってお伝えする予定ですが、果たしてどうなるものやら……。

 あ、メルク可愛いです。本当に。

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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
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