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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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ViVid Strike!」 5→4

 なのはの名前が消え、一応ヴィヴィオの名前が残っているとはいえ、そのヴィヴィオの存在感もやたら希薄な本作、次作はリンネちゃんストライクとかになるんでしょうか。

 悪くはない作品である。決して。描いているテーマはまっとうなものだし、かわいい女の子が真剣に格闘技に打ち込む姿だって見ていて気持ちの良いものだ。ちょっと女の子のエクササイズとしては行きすぎてる部分もあるが、血みどろ系のエンタテイメントだって多数あるのだし、いきすぎたくらいの方がドラマは面白くなる。今作の狙いに、不備はない。

 ただ、……やっぱりこれ、なのはの世界観じゃなくていいんだよね……言わば「ロリっ子版はじめの一歩」だからね。新しくキャラを立ててボクシングアニメを始めれば良かったと思うんだけども……。別に高町家の物語の続編として描いたからってデメリットがあるわけではないだろうが、元の作品が好きだった身としては、やっぱり物足りないのだ。魔法がリングの上でスポーツの道具としてしか使われないのでは、努力の質も、勝利の質も、悲劇の質も違うのだ。今作ではフーカとリンネという2人のヒロインを中心に、生まれながらの苦境をスポーツによる健全な青少年育成で乗り越え、友情を育む様子が描かれているわけだが、ぶっちゃけ、2人の「苦労」の度合いが、諸先輩方に比べると段違いで軽い。思い出して欲しい。ヴィヴィオのママ(の片方)であるフェイトが幼少期にどんな人生を送ってきたか。ヴォルケンリッターやそのマスターであるはやてが何を乗り越えてきたか。スカリエッティナンバーズは、何を思って現在の生活を送っているのか。そういうことを考え始めると、「いうてもスポーツ大会で汗を流して笑ってられる連中は幸せだよな……」という印象が先立ってしまう。つまり、やっぱりこの世界観でこのお話をやるのは、デメリットがあるということだ。

 まー、こんなことを言っている時点ですでに懐古老人なのかもしれないが、せっかくのなのはワールドはもっと「らしい」お話を見たいです。そして、もしなのはワールドとは別物だと割り切って見たとしても、お話自体はそこまで面白いものじゃない。おそらく今作のまっとうなスポ根・友情物語(多少バイオレンスだが)を楽しむには、フーカやリンネ、そして周りのお友達にどれくらい感情移入出来るか、というのが勝負の分かれ目だと思うのだが、その部分にもどうしたって「旧作」が付きまとうのだ。何の示唆も無ければ、視線はヴィヴィオやアインハルトの方を向いてしまうのだ。そうではなくてフーカたちだけを見て、と言われても、簡単に割り切れるものではないし、既存のキャラの追加情報がもっと見たいという欲求があるのは自然なことだろう。何故、新キャラの方の物語に限定して進められなければいけないのか。

 一応、4話のリンネちゃん覚醒ストーリーのダイナミックさは割と好きで、やっぱりああいう「非劇」を容赦無く叩きつけてくれた方が視聴者側は盛り上がる。辛い過去があり、それをみんなが理解した上で乗り越えられるからこその友情。フェイトも、はやても、そうして完成したのだから。今一度、この世界で競技としてのルールを超えた魂の繋がりを見たいものだ。

 なお、水瀬いのりの広島弁(?)キャラは割と楽しかった様子。キャスティングが変なところで極まってるのは今作のいいところなんだけどね。

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「終末のイゼッタ」 6→6

 まとまった作品でございました。付け入る隙が無い分、なんだか、掘り下げる余地もない、そんな印象。

 評価としては「平均以上」を付けられる作品だったと思う。アニメオリジナルというと、えてして訳の分からない方向に突っ走って視聴者を置いてけぼりにする身勝手な作品になりがちだが、今作はそうした「不親切」な点がほとんど無く、予想も期待も裏切らない。そんな出来になっていた。映像面でも見るべき部分が多く、特に最大の見せ場である「銃器を駆る魔女」の絵面は1話目から惹かれるものだったが、最終話まで様々なシーンで画面を盛り立て、魔法少女文化華やかなりし現在でも充分に目を引く、新しい「魔法バトル」の画を作り上げていたと思う。かわいい女の子が無骨なランスや狙撃銃にまたがってバッタバッタと戦車や戦闘機を落としていくというシチュエーションだけでも、今作は面白いのである。

 ただ、そうした楽しさはありながらも、心のどこかで「もうひと味、暴れても良かったのでは」という気がしないでもない。期待を裏切らないのは大切なことなのだが、予想は出来れば裏切って欲しい部分で、シナリオラインがあまりに優等生的にまとまりすぎている感がある。いや、「自分勝手に暴れるのは良くない」と言ったその端から「でも予想外のものも見たい」というのは本当にわがままな視聴者感情なのだが、今作のストーリーテリングの穏当さを見るに、もう1つ2つかき回す要素があっても良かった気はするのだ。いや、かき回すより、もっと別路線での掘り下げを模索する方がいいのかな。あらゆる要素が「ストーリーを進めるためのコマ」として完璧に仕事をこなしすぎているせいで、世界観にあそびが出来ないところが物足りなく感じてしまった要因なのかもしれない。まぁ、要約すると「イゼッタと姫様のイチャイチャはもっと多方面から描いても良かったんじゃないか」ってことなんですけども……。作中でも2人のラブラブっぷりは嫌というほど見せつけていたはずなのだが、スタート地点であるイゼッタの献身にあんまり動機がないんだよね(その辺も理屈の上ではちゃんと説明されているのだけども)。どこかでもうちょっと喧嘩してみるとか、戦争以外の話で2人がゆっくり出来る日を作ってみるとか、そういうシーンが見たかったのかもしれない。まー、戦争がテーマになってしまうと、命のやりとりのお話が中心になるので、たとえ場面を切り替えてもあんまりおちゃらけられないんだけどさ。

 もちろん、「もうひと味あっても良かった」というのが最終的な感想ではあるが、なくても成立していたのは間違いないし、これはこれで1クールアニメとしては充分な終わり方である。今後のフィーネさんの善政を期待しつつ、エイルシュタットの行く末を祈念しておくのが正しい視聴の終わり方なのだろう。ゾフィーのことを考えると、そこだけを見てハッピーエンドとしてしまうのにも抵抗はあるのだけどね……。

 中の人については、やはりメインの2人が今作の屋台骨。相変わらずナチュラルボーンな高貴さを持つ早見沙織の姫ボイス、そしてそれを慕うイゼッタの無垢な憧れを孕んだ茜屋日海夏のヒロインボイス。元気な百合が見られれば、それだけで明日を生きる糧になります。最終的にゾフィー役の雨宮天も絡むことが出来れば、様々なカップリングを楽しむことも出来たんですけどねぇ。

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「ハイキュー!! 烏野高校VS白鳥沢学園高校」 5→7

 今期最初のゴールインを果たしたのはこちらの作品。まぁ、細かく切り分けたために10話だけになっちゃったので、これは致し方ない。ダラダラ伸ばさずスパッとこの話数でやってくれたのは正しいディレクションだろう。

 「ダラダラ伸ばさず」とは言ったものの、むしろこうしたスポ根漫画でシリーズタイトルにわずか1試合だけの名前を冠するというのは非常に珍しい。「おおきく振りかぶって」は「夏の大会編」っていうシリーズならあったけど、流石に一試合だけ、ってのは過去のアニメ作品にもなかなか例がないのではなかろうか。1試合で1クール弱と考えれば、むしろかなり贅沢な尺の使い方なのである。

 そして本作のすごいところは、そうした贅沢な尺の中で、一切間延びを感じさせないだけの中身が詰まっていたところ。地区大会決勝、烏野にとっては歴史的な試合になったわけだが、その大願の持つ熱量が余すことなく画面に詰め込まれている。日向を中心に影山や月島、その他全てのメンバーに活躍の機会が与えられ、次々にドラマが展開していく。敵役の白鳥沢の存在感も素晴らしく、圧倒的な強さを揺るがせず、主役を食ってしまう程の魅力が込められている。巨大な壁として立ちはだかる牛若はもちろんだが、個人的には名脇役として活躍した天童のキャラクターが特に目を引いた。原作で読んだ時はこんな面白いキャラだと思ってなかったのだが、木村昴の好演も相まって、ひょっとしたら一番烏野を苦しめたキャラになったかもしれない。

 I.G.による本作の動画が素晴らしいことはこれまでのシリーズでも嫌というほど見せつけられて来たが、今期はほぼ全ての話数が試合の描写になることもあって、一切休むことが出来ない強行軍。これを最後まで完璧に作り上げることが出来るというだけでもとんでもないこと。そして、毎回がクライマックスのごとき盛り上がりを見せていれば普通は食傷気味になってしまうはずなのだが、ゴリゴリの暑苦しい展開が続いても一切飽きを感じさせることなく、毎回視点を変えて「それぞれの熱量」を見せてくれる構成も実にお見事。この辺りの構成の妙は原作時点での上手さもあるのだろうが、今作の場合、満仲監督を筆頭に全てのスタッフが「面白いハイキュー」を追求して一切妥協せずに作り込んでくれた功績が大きい。試合結果は全て分かっている。次に何が起こるかも知っているはずなのに、いちいち手に汗握って見入ってしまうのは、まさに「幸せなアニメ作品」である。今期は図らずも多数のスポーツアニメがしのぎを削る面白いシーズンだったのだが(「DAYS」「卓球娘」「ALL OUT」「ユーリ」「ViVid Strike」、あと一応「競女」?)、「スポーツのアツさ」を見せてくれた作品としては、今作の完成度が最も高かっただろう。

 素晴らしい作品だったが、残念な点が2つだけ。1つは、流石に原作に追いついて来ちゃったのでしばらくは続編が期待できないこと。まぁ、ここはじっくり原作を溜めてもらって、また素晴らしいシリーズ作品を繋いで欲しいところ。安易にOVAとかでお茶を濁してくれるなよ。そしてもう1つは、こうして長期にわたって一致団結して作品を作り上げてきたスタッフたちの中から、田中一成氏の名前が欠けてしまったこと。コーチにはせめて、烏野の優勝を見届けて欲しかったものだが……改めて、ご冥福をお祈りいたします。

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「レガリア The Three Sacred Stars」 6→4

 なんでこんな時期に終わるアニメがあるんですかね……。業界を震撼させた問題作も、これにて終了である。

 まずもって、この作品を前提無しで評価することは難しい。長きに渡る日本のアニメ史でもおそらく初めてだろうと思われる、「途中まで放送しておいてからの仕切り直し」という裁定は、現在のアニメ業界の歪みとほころびをこれ以上無いくらいまざまざと見せつけてくれた。いわゆる作画崩壊のスラングは「キャベツ」や「ヤシガニ」などがあるが、今後の世界では製作の不備には「レガリア」「レガる」が定着することになるだろう。ゴッドイーターとか色々とひどいものはあったのだが、流石に別格だ。そして、製作会社のアクタスは現在も「ろんぐらいだぁす」で絶讃レガっている最中だ。このほころびはアクタスという1つの会社だけの問題として歯止めをかけられるのか。アニメ業界全体に波及していくのか。まぁ、今期だけでもブレパンに夏目と、すでに手が足りない作品は散見されているのだが……。

 ぶっちゃけ、今作でどれほどの製作不備があったのかは、我々一般視聴者は知る由もない。同じ製作会社の「ろんぐらいだぁす」については、古式ゆかしい総集編スタイルでお茶を濁し、それでも濁しきれずに放送された話数の作画もボロボロという、分かりやすいぶっ壊れ具合になっているが、本作は4話までやっておいてからの「仕切り直し」。何か問題があったことだけはうかがい知れるが、表に出てきた作品だけを見れば、そこにあるのはきちんと整った「普通のアニメ」である。比較すれば4話までの再放送版は若干の差はあるらしいが、正直、初回版を見ていても特に不満が出るようなものでもなかったのだ。本当に、何があったのだろう。今後の業界の健全な修復のためにも、関係者は事の顛末をどうにかオープンにしてほしいところだが……今の体勢では、どうあがいても闇の中なんだろうなぁ。まぁ、狭い業界みたいなので、業界関係者の中だけでも「レガリアの真実」が流布し、何らかの形で刺激になればいいのだが。

 閑話休題。そうしたメタレベルでの騒動を除けば、上述の通りの「普通のアニメ」。1話目放送時点では純粋にロボの格好良さを評価して期待票を投じていたが、ウーム、色眼鏡で見たせいもあるのだろうか。どうにも武器を活かし切れなかったような印象を受ける。まずもって、本作は何がやりたい作品だったのだろうか。ロボもの、可愛い女の子だらけの萌えもの。大きくわけて2つの路線があり、当然「両方」を狙ったものなのだろうが、そんなガワの話はどうでも良くて、この2つの道具立てを見せるために、どんなドラマを構築するのか、という方が根源的な問題である。残念ながら、今作のドラマには誘致要因があまり無かった。個人的に一番近い印象で落ち着いたのは、実は「輪廻のラグランジェ」。あちらも何とも微妙な印象で終わってしまった作品だが、今作同様、「ロボは割と面白い」「キャラだって決して悪くないし、分かりやすく訴えかけるだけのアイテムもある」と、要素だけを個別に見れば悪くはないように思える。しかし、それらを組み合わせて出来上がったドラマが何とも陳腐で、ロボにも、萌えにもプラスに働かないという。なんでこういう作品って、最終決戦では抽象概念が突き抜けて観念的なバトルになっちゃうんだろうね。「アクエリオンロゴス」とか、「コメットルシファー」とか。そういう突き抜けた概念をアニメで描出しようと思ったら、生半可な映像と脚本では御しきれないぞ。「グレンラガン」くらいぶっ飛んでればロボものとしては際だつのだろうが……。

 よく、本作の難点をあげて「萌えに寄せてロボを削ればよかったのに」みたいな論調を目にするのだが、個人的にはむしろ逆の印象。今作の「萌え」要素は、確かにキャラデザは綺麗だが、あまりそそられるものではなかった。むしろ、シャープさが変な方向に極まったロボットのデザインの方が興味を引く。序盤のバトル要素は素直に面白かったし、飛行機からの自由落下シーンなんかも随分手が込んでいて見応えのあるものになっていた。出来れば、このロボたちの本気のバトルシーンをもっとたっぷりとした尺で見たかったものだ。最終話はいよいよガチバトルのクライマックスかと思いきや、ほとんどのシーンはコクピットのヒロイン勢がしゃべっているばかりで、バトルシーンはほんの数分。わざわざ作り直しを経て、このアニメが最も描きたかったものが何なのか、結局分からずじまいだった。いいとこ取りは2倍の効果があるわけじゃないんだよ。ちゃんと「いいとこ」を取らないと、せっかく用意した魅力的な要素も、露と消えてしまうリスクを孕んでいるのだ。今作は、最終的にそのリスクをまるまるさらけ出す形で終わってしまったのではないかと思う。

 トータルで見ればやや「不可」寄りの作品に終わったのは残念。映像面を見れば今作「ならでは」のシーンもあるし、本当に調理法さえ正しければ、作り直すだけの価値があった作品だとも思うのだが。一度狂ってしまった歯車は、なかなか整わないものですね。

 まぁ、ひょっとしたら数年後にスパロボなんかで帰ってくるかもしれませんしね。多分、その時には今回の騒動が絶対ネタにされる方に2ペリカ。そもそも帰ってくるかどうかも謎。

 

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「エンドライド」 4→4

 突然の番組感想!! そう、実は夏クール最終回アニメはまだ残っていたのだよ。私が見ようと思ったら日テレプラスでしか視聴出来なかったせいで、なんと他のアニメに比べて一ヶ月以上遅れての最終回だ。まぁ、全くもって追いかける元気の無かった作品だったので、いつ終わろうと割とどうでもいいのだが。

 最終配点は4→4だが、正確には4→2→4のように遷移している。これが始まった春クール中は、「聖戦ケルベロス」と並んでソシャゲ糞アニメの双璧を成し、マジで救いようが無い作品だった。作画はへなちょこ、ファンタジー世界の設定も適当だし、ドラマに新規性が無くなんの魅力も感じない。今作で一番の衝撃を受けたのは、夏を迎えたある日にまさかの「14話目」があり、「これ、2クールも続くの!?」と絶望したときなのである。

 しかし、正直言うとこの「2クールあるの?」は面白い方向に働いた。ぶっちゃけ、序盤の展開を見ていてエンドラから地上世界に戻る展開があるとは思っていなかったためだ。あまりにあっさりとした地上への帰還、そして瞬とエミリオの訳の分からない(その割にお約束の)関係性、そして父性を扱った二重写しのストーリーライン。序盤に登場したモブっぽいキャラだけでこの「第2部」を引っ張る節約運行など、なんだか中盤以降の展開は「ならでは」の魅力が出てきたように思う。いや、面白くはないのだが……個人的にはイベルダさんのあまりにも雑な扱いとか、そういう気が利いてるんだか投げっぱなしなんだかよく分からない部分が割とツボったのよね。中盤以降、案外作画も安定したし、残念ながら「聖戦ケルベロス」のような手放しで褒められる(!?)糞アニメにはならなかったのである。瞬の親父さんが化宝具を繰り出すシュールな様子とか、製作者の抱えてるファンタジー感に疑問しか出てこない画面はなかなかのものだったよ。

 繰り返しておくが、クソアニメはクソアニメである。しかし、「なんか気になるクソ」はそれはそれで価値があるんじゃないかと、そう思える優しい心も大事だってことだ。まぁ、もう一回最初から見ろって言われたら流石に勘弁してくださいというしかないけども……。イグナーツ絡みのホントどうでもいい諸々とか、普通は視聴辞めるわなぁ。

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「ダンガンロンパ3 The End of 希望ヶ峰学園」 5/6→6

 さて、放送終了してから随分経ったので、落ち着いて最終講評だ。結局、あまり分けて判断する意味はないと思われるので、今回は特例で未来編・絶望編・希望編を全てまとめての処理とする。

 色々やらかした作品である。元々原作ファンにターゲットを絞った作品だったのは間違いなく、特に「2」を未プレイの人間にはその狙いの半分も伝わらないデザイン。かくいう私も「絶対絶望少女」はプレイしていないので、その分の取りこぼしはあったに違いない。そうしたデザインだったために、「原作未プレイの人間にはほとんど魅力が伝わるまい」と思った「1」のアニメの時と同じ問題はありつつ、今回はあくまで新作。新たなシナリオの中で一体どんなサプライズを見せてくれるかと思っていたら……うぅん。ご存じの通りである。

 悪かった点はいくらもあるだろうが、大きく分けると2つ。1つは「未来編のネタがしょうもなかったこと」、そしてもう1つは「絶望編で明かされた真実にヒネリがなかったこと」。この2つの欠点については、いくらファン目線からでも「流石にこれは」と思う部分が多く、フォローしづらいところである。特に未来編のメイントリック(?)については「それが良いんだったらもうなんでもありじゃねぇか」というちゃぶ台返しっぷりなので、製作者がファンのどういう反応を期待して作り上げた設定なのかは未だに判断出来ない。あれで驚いたり、喜んだりするファンがいるってことなのかなぁ。確かに、絶望的ではあるのだが……絶望の作り方があまりにもインスタントであった。

 しかしまぁ、「推理ゲーム」とか「どんでん返し」のネタについては「1」と「2」で終わっているものとして、あくまで「3」はそのおまけなのだと考えれば、ネタの仕込みが弱くなったことについては諦めがつくか。もともと「1」のアニメ化に際して「1クールでやれるわけねぇだろ!」とブーブー言っていたのだから、今回のことだってちょっと冷静になれば「1クールでびっくりするような新しいネタを提供できるわけねぇだろ」と納得することも……出来なくもない。まぁ、何度も学級裁判を繰り返す旧作とは構造を変えているのだから、もう少しやりようはあったと思うんだけどね。

 そして、この「未来編」の大雑把な造りに引きずられるようにして、「絶望編」でも肝心の「絶望堕ち」のくだりがあまりにも適当に処理されてしまい、江ノ島盾子による陰惨な懐柔劇を楽しみにしていたファンはさらに絶望することになったわけだが、このあたりは以前も書いたように、「そもそも1の時点で記憶消去・操作がありの世界なのだから、直接脳に情報をぶち込む形での絶望堕ちは想定の範囲内だろう」と許容することも出来る。江ノ島の過去の台詞を引っ張り出して「江ノ島が単なる洗脳とか使うわけないだろ」と制作側を批判している意見を見たことがあるが、その意見を言っている人たちも大切なことを忘れている。江ノ島盾子は、ゼツボー的に飽きっぽくて意見がコロコロ変わる女なのである。彼女が過去に何をやっていても不思議はないのだ。

 さて、こうして問題が山積した24話だったが、それでもやっぱり、楽しかった部分は楽しかったのだ。未来編では続々人が死んで緊張感が増すくだりが。絶望編では「2」で慣れ親しんだキャラたちの新たな繋がりの描写が。それぞれファンサービスとしては充分機能していたのだ。最後がコケたからこそ輝く部分もあるし、どれだけ駄目駄目でもあれだけ愛されたボクサーさん、そして最後まで我々を煙に巻き続けた雪染先生といったキャラが産みだされたというだけでも、今作には意味があったと思えるのである。そして、今作で一番輝いたキャラクターといえば、なんといっても江ノ島盾子その人である。彼女の悪辣な大活躍がこれだけたっぷり見られたのは当然のことながら史上初。それだけの収穫でも、ひとまず「あって良かった」と思える理由になるんじゃないですかね。あ、中の人は身体を大事にして元気なお子さんを授かりますように。

 結論・蜜柑ちゃんのエロさ、雪染先生の闇堕ち。それだけでご飯が食べられます。

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「ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミン」 5→5

 可もなく不可もなく。決して悪い意味ではなくね。

 1話目視聴後には「いかにもラノベラノベしい作品」と評した本作だが、そのままの印象で上にぶれるでもなく、下に落ちるでもなく、そのままの印象でゴールイン。

 良し悪しどちらの点もあるが、先にあまり良くなかった点から上げていくと、例によって他の数多の作品と同様、「知将って描くのムズいよね」ってことになる。イクタの知将っぷり、そして終盤はライバルとなる「不眠」の知将っぷり。描こうとしている内容は分かるし、色々頑張ってるのだろうが、どうにもすっきりしないというか、ピンと来ないというか。イクタの場合は怠けると言いながらも気付けば小指一本失ってるし、最終的には「隣に無敵のヤトリがいるから何とかなってるだけでは?」みたいなところもある。まぁ、小指を落としたり、ボコボコに殴られたり、そうして身体を張ってでも自分と周りの人間の命だけは守りきる、っていう男気を見せられるのがイクタの主人公らしいところでもあるので、全部が全部「計算通りです」って眼鏡カチャッされるよりはいいのだろうが、やっぱりどこかで一回くらいはすっきりと完勝する姿が見たかった気がする。敗戦処理業務しかなかったおかげで、知将らしい働きをしようにもどこか負け惜しみみたいなにおいがしてしまったのは消化不良の部分だ。しかしまぁ、こうしたシナリオ上のもやもやはどんな作品でもつきものである。何しろ書いている作者だって読んでる読者だって別に天才じゃないわけで、今更度肝を抜かれるような戦術の新展開なんて、なかなか望むべくもないだろう。

 あと、なーんか最後まで引っかかった要素としては、タイトルにもなっている「精霊」の扱いがある。割と普通の軍記物としてデザインされている今作において、「精霊」要素だけはぽつりと浮いたオリジナル要素。その割に、この「精霊」要素はあんまり活かされる気配が無い。大体においては単なる発火装置や照明器具程度の扱いで、そこにわざわざあんなゆるキャラみたいな思念体を置く必要が無い。シナーク族との関係性やアルデラ教の存在を考えればシナリオの構成上必要だとも考えられるが、そんな部分はフツーの宗教戦争と同じなわけで、わざわざ「大量の精霊を監禁」とかいう要素で語る必要も無い。「科学的に考えろ」って言われても、まずこの世界の科学がどういうものなのかが分からなくなっちゃうっていう。「この世界における精霊とは何なのか」っていう部分がろくに説明されないまま、何となくノイズとして混ざり続けたのはどうにも気になった。原作ではこの後ちゃんと精霊要素が有効利用されるんでしょうかね。

 転じて、良かった部分について。個人的に一番気に入ったのはイクタとヤトリの関係性の部分。間に挟まった過去話では子供の頃からの2人の友情が確認出来て、青年期になった今でも、2人は子供のように純粋な「友情」で結びついているのが分かる。ヤトリはイクタに対してぞんざいな扱いをしながらも、全幅の信頼を置いて行動しているし、彼のために命を投げ出すことも厭わぬ献身がある。イクタもそんなヤトリを心から信頼し、彼女の可能性を前提に作戦を遂行する。この「男女バディの関係性」が見ていて非常に気持ちが良い。大抵のラノベ主人公なら「男の策士と女戦士」なんて関係には何かしら色恋の匂いを含ませるものだが、この2人の場合、生い立ちの関係もあって、そうしたことを考えようともしない。いや、ひょっとしたら考えてるのかもしれないし、最終的にイクタの将来の伴侶となるのはヤトリ以外に考えられないとも思うのだが、現時点での2人はあくまで「利用し、利用される」仕事仲間。このドライに見えながらもアツい関係性は、なかなか他のアニメでは見られないものだったので堪能出来た。

 こうして作られたヤトリのキャラ、そしてそれ以外の女性キャラにも言えることだが、特徴的なキャラクターデザインも今作の独自性を打ち出すのに一役買っていただろう。最初は違和感が先に立ったが、馴染んでくればこれはこれで可愛いものである。特にヤトリは躍動感のあるアクションでも見せてくれるキャラで、通常のアニメよりもやや頭身が高め、リアル志向を狙いながらもちゃんとアニメキャラとして描きやすいデザイン性はなかなか秀逸。ナナクなんて、本当なら美少女枠のはずなのにどこかぶちゃいくに見えるのも愛嬌がある。特徴的なデザインながらもシリーズを通じて作画の崩れがほとんど無かったことも、評価すべき点であろう。

 トータルすれば、「色々見たことのある要素が多かったが、これはこれで」というくらいの落としどころ。イクタの出世物語はまだまだ始まってすらいない段階。2期以降があれば喜んで見させてもらいますよ。

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91Days」 5→5

 やりたいことはやってくれたんじゃないかなぁ、と思えた作品。いや、やりたいことを全部分かってるわけではないのだが。

 禁酒法時代のマフィアの抗争を描いた物語、というだけで、割と昨今のアニメの中では異色の設定。映画作品なんかではお馴染みのものだが、私みたいな漫画アニメにしか興味を持てない欠陥人間にはなかなかお目にかかる機会の無い設定なのだ。そして、そんな時代の中で描かれるものはたった1人の男の復讐劇。アヴィリオの目的は最後の最後まで一貫しており、まさにそのための「91日」を描くという目的は一切ぶれていない。総集編を挟んで全部で12話、これだけのお話の中で、一体どれだけの人間が血を流し、どれだけの人間が無念のうちに命を落としただろうか。非常にヴァイオレンスで、何とも救いのない作品。アニメの売りにエログロなんかを押し出す作品は多いが、こうして徹底的に「命を奪うこと」の無常観を描くというのは珍しい設定だったのではなかろうか。

 「やりたいこと」の1つは、そうした「無常観」を描くこと。「復讐は何も生まない」なんて陳腐な台詞だけで片付けてしまうわけにもいかないのだろうが、家族の死を契機にして産みだされたアヴィリオという復讐鬼が、回りのあらゆる人間を不幸にしながら目的を遂行していく様は、一切の達成感などなく、ただただ虚脱感が募るばかり。「復讐なんてやめろ」という正義感を振りかざした人間はこの作品の中ではコルテオくらいのもので、そうした倫理観とは無縁の中で、粛々と命だけが奪われていく。これを観て「暴力はいけない」とか、「復讐は無意味だ」なんて通り一遍の結論を得ても別に構わないのだが、作品の狙いとしてはそうした当たり前の感想を超えたところにある、「じゃぁ、どうすれば良かったんだよ」を考えることにあるのかもしれない。まぁ、ボクの最終的な感想は「やっぱり銃社会ってアカンよな」なので、どんな感想よりもアホっぽいですけども。

 そして、そんな殺伐とした殺し合いだけでは流石に物語として問題があるので、もう1つの軸となるのはアヴィリオの友情に関する物語。「復讐相手との友情」というのもこれまた手垢の付いたテーマ設定ではあるものの、たっぷりと時間をかけてアヴィリオとネロの関係性を描くことで、1つ目のテーマである無常観と組み合わせて色々と考えさせられる結果に。ここで活きてくるのはコルテオの存在である。作中で数少ない「アヴィリオの正体」を知っている友人であるコルテオは、最後の最後までアヴィリオの「友人」であり続け、アヴィリオもそれを理解しながら、自らの手でコルテオを殺した。この時点でアヴィリオが「壊れてしまった」と考えるのは楽だが、作品の意図として、彼が「壊れてしまった」と見せる狙いは無く、その後もアヴィリオは、復讐を志す1人の人間として、葛藤の中で最後の仕事を成し遂げている。彼の中で「コルテオを殺してまで復讐を遂行する」ことに結論が出たとは思えないが、形の上ではそのような結末になっていることについても、色々と考えることは多いだろう。

 そして極めつけは最終回。アヴィリオはハッキリとネロに対して「殺したくない」と言ってしまった。盟友であるはずのコルテオは殺したのに、復讐の対象であるネロは「殺したくないから殺さない」。一見するとあまりに薄情な物言いにも聞こえるが、このあたりの矛盾した感情が、アヴィリオが「壊れていない」「ただの殺戮マシーンではない」ことの表れ。それだけに、コルテオを殺したときの彼の苦悩が重くのしかかってくる。こうして「壊れていないが自己を成立させることも出来ない」という袋小路に追い詰められたアヴィリオは、最終回で一体どうなってしまったのか。結末はぼかされている。普通に考えたら、ネロはあのシーンでアヴィリオを殺している。それは純粋な殺意からではなく、「何故あの時撃たなかったのだ」と涙ながらに訴えたアヴィリオに対するけじめ、罪滅ぼしの意味だ。長く空しい時間を超えて、ようやくネロはアヴィリオを撃つことが出来た。それが一番綺麗な終わり方だろう。

 ただ、個人的には「アヴィリオが撃たれなかった結末」についても考えてみたいし、そうあって欲しいと望んでいる部分もある。理性を超えて、大願を超えて成立「してしまった」2人の友情。コルテオの犠牲を伴いながら成立してしまった身勝手で、救いようのない友情。そうしたものが、どれだけ理不尽でも、この作品の中で最後まで守られていたと、そう考える方が、なんだかこの作品の「無常観」にピタリとはまっているような気もする。「死ぬより辛い人生を歩ませる」というアヴィリオの狙いは、まさに、彼自身にも科せられるべき咎なのである。まぁ、そのあたりを自由に想像出来るようになっているのは、制作側の狙い通りなのだろう。

 関東圏では放送が一回オトされてしまうなど、相変わらず万策尽きた残念なニュースが飛び込んでくるしんどそうなスタジオ、朱夏。今作はそこまでぶっ壊れ作画ではなかったが、お世辞にも褒められない部分は散見され、アニメとしては悔いの残る結果になった。しかしまぁ、中身としては唯一無二のメッセージ性を伴った面白いものになっていたので、結果はトントンといったところではなかろうか。オリジナルで攻め続けるのは、今のアニメ業界にとって大切なことだと思いますよ。

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「クロムクロ」 5→6

 なんだかしっとりと、ゆったりとした2クールでしたな。普段P.A.Works作品となると良くも悪くも目の色を変えて視聴するのですが、今作はそうしたこともなく、毎週ただただ受け入れるだけで満足でした。ちなみに「良くも悪くも」の良い例の代表が「凪のあすから」や「有頂天家族」で、悪い例が「ハルチカ」や「シャーロット」です。

 「P.A.がロボットものぉ?!」というので面食らった本作だが、考えてみりゃ「CANAAN」だって作ってたわけで、CGアクションは別に初めてってわけでもないんだよな。最初はガシャンガシャンとCG丸出しなマシン群を観てると「別に格好良くないし、目を見張るような出来でもないなぁ」と思っていたのだが、毎週見てる内に馴染んできたし、「富山の街中に突っ込んでくる異星人ロボ」だったらこれで正しいんじゃないか、っていう気分になっていった。クロムクロは当然オーバーテクノロジー気味だったが、それ以外の地球サイドのマシンは「無いけどありそう」なラインを保ったデザインになっていたし、それと戦わなきゃいけないんだからエフィドルグ側もそれ相応のデザインになるよね。ラスボス機が割と無茶してくれてたのも、なんだか古式ゆかしいロボもののアホ臭さが出ていてほっこりしました。バトルが短かったのは勿体ないとも思ったが、ぶっちゃけ、今作はあんまりロボバトルメインで見てたわけでもないしな。

 じゃぁ何を見ていたかっていうと、そりゃまぁ、「タイムスリップお侍と現代高校生のドキドキ交流記」ですわね。当初は単なる賑やかしだろうと思っていた由希奈のクラスメイトチームも、話数を重ねるごとにどんどん自分のポジションを確立し始め、気付けばみんなが作品に欠かせない存在になっていた。まぁ、カルロスが必要だったのかと言われればちょっと考えどころではあるのだが、あいつのおかげで「富山感」というか、「どうしようもない田舎感」みたいなものが補強され、「真剣にロボで地球を守ろうとしてるけどこいつらときたら」みたいなギャップが強まったのでやっぱり大事なんだ。

 そして、個人的に今作で一番のお気に入りポイントは、この御時世だというのに「タイムスリップお侍」をものすごく丁寧に作劇してくれたこと。いや、「タイムスリップお侍」っていうジャンルがあるのかどうかは知らんが、まぁ、あれだよ、自動車が走ってるのを見て「鉄の馬が!」っていうお約束のくだりだ。散々手垢の付いたネタなので、大体にしてこういう展開はお約束に則って適当に進めていくもんなのだが、そこは天下のP.A.Worksの脚本である。この「剣之介がカルチャーショックを受けつつも少しずつ馴染んでいく」というくだりをやけに丁寧にやってくれている。最初はいちいち訝しげな表情をしていた横文字の表現もいつの間にやらすっかり慣れ、電子辞書に始まって気付けばスマホ、タブレットまで使いこなし、由希奈を超えてしまうという。でもまぁ、彼だって若者なのだし、切羽詰まったら武士道を守りつつもモバイルだって活用しますよ。そりゃそうなんだ。そして、変化しつつある剣之介を「現代に引っ張る」由希奈と「過去に留める」雪姫(ムエッタ)の2人で引っ張り合うという変則三角関係も恋愛方面から素直にドラマを押し進めてくれる。最終的には由希奈と剣之助は「ハイハイ、爆発爆発」みたいなリア充カップルでしかないのだが、なんかもう、さっさと幸せになって欲しい感が満載なのだ。このあたりの物語の進行のそつのなさもありがたい部分で、2クールという余裕のある尺だからこそ展開出来る安心クオリティだ。それにしても由希奈は可愛かった。いや、ソフィだって美夏だって全部可愛いんだけどさ。萌えアニメとしての機能性も高いんだよなぁ。やっぱり映像の力って強いなぁ。

 「TARITARI」みたいな瞬間風速(というか1クールの潔さ)とも違うし、「凪のあすから」みたいなじっとりガッツリな物語の重みとも違うが、この「安心して見ていられる」という完成度の高さも、やっぱりP.A.ならではのものだったのではなかろうか。

 以上、P.A.WORKS大好きおじさんがお送りしました。次は「有頂天家族」だぜ!

 

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