最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「ランス・アンド・マスクス」 4→4 今期の「男の子がお姫様を守って戦うラノベ四天王」の一本。つまり、既に触れた「新妹魔王」「落第騎士」に続いて3本目なわけだが……うーん、なんか、これだけ次元が違う。いや、良い悪いの問題ではなしに、なんか描かれた世界そのもののベクトルが違う。 先に残念だった点を挙げてしまうなら、それはほぼ作品の全てに関わっている。端的に言えば「画もお話も」だ。画の方については、他のラノベアニメが善戦する中、まるで現代のMUSASHI GUN道でも作りたいのかと思わせるような怪しげな作画が続出。手が足りていないのが明らかな状態。キャラデザが独特すぎたこともあって、動きの少なさをごまかそうとする変な構成はより奇っ怪な「異次元」を生み出す結果になってしまった。戦闘シーンの情けなさはここ最近でも飛びぬけたものだったし、大人3人分くらいもあるんじゃねぇかっていう槍(のような怪しい物体)を振り回す様子は、大まじめに描いたからこそギャグとしてアピールしたいのではないかと勘ぐってしまうほど。まぁ、描いている中身がどうであろうと、おそらく今作の作画は異質なものに見えていただろうけども。つぶれ饅頭のようなキャラクターデザインでは、「ひだまりスケッチ」の世界を描くことは出来ても、真剣な命懸けバトルを描くのは無理があるよなぁ。 お話にしても、「普通に騎士がいるけど世間的にそれが認知されてるような、そうでもないような世界」とか「馬がなんの断りもなくしゃべる世界」とか、やっぱり基本構成はギャグなんだよ。でも面と向かってそれをギャグとは言っていないせいで、こちらとしてもどのようにそうした要素を受け止めていいのか分からず、ネタとしても、筋運びとしてもギクシャクしてどっちつかずになってしまっている。やってることは結局「無敵のヒーローが女の子を守るんだ」というお話に帰着するはずなのだが、そのための道具立てがいちいち違和感を招き、すんなりとお話を解決させてもらえない。ガルパンにおける戦車道みたいなもので、「もうこうなったら受け入れるしかない」と諦めればある程度は許容出来たのかもしれないが……そこまでして「受け入れてしまいたい」世界になってないんだよなぁ。 ただ、こうして駄目な部分が全体を覆っているものの、簡単に「はい、駄目」と切って捨てるのも勿体ないような気がするのは何故だろうか。つぶれ饅頭のキャラはどこか一点において、無性に可愛く見える時もある。異次元のギャグ世界においても、ちゃんとやろうとしてるお話が入ってくることもある。なんかたま〜に平和な気持ちになる瞬間があるのも事実なのだ。まぁ、ぶっちゃけ大半は真緒ちゃんが笑顔を見せてくれている時だった気もするので「小澤亜李ボイスの幼女が可愛いからいいんじゃね」というだけの話だった気もするけども。このキャラデザできちんと馴染むのって、真緒ちゃんくらいの幼女が限度だからなぁ。出来ることなら真緒ちゃんには最後の最後まで「バレバレなのに正義のヒーローの正体に気付かない」というアニメ世界のお約束を貫き通して欲しかったものだが、流石にこの設定でそれは無理だった様子。残念。まー、最後までちゃんと幼女を守るために頑張ったロリコンの鑑のような主人公であったので、そこだけは頑張ったことを認めてあげて、まとめとしておきましょう。 PR 「落第騎士の英雄譚」 5→6 先んじて「新妹魔王」の感想で「今期は割とラノベものの平均値が高いので」みたいなことを書いたのだが、その最右翼がこちらの作品。開始直後の「まーたやってやがる」という印象からは随分嬉しい誤算になった。やっぱりアニメってのはいくらでも作りようがあるもんだ。 新番チェックの中で、私は「ひょっとしたら単なる俺ツエー主人公とチョロインのお話っていうだけではないかもしれないぞ?という期待も持てるかも」という風に書いて何らかの期待感みたいなものは匂わせていたのだが、今作の場合、驚くべきことに作品の内容は「俺ツエー主人公とチョロインのお話」以外のなにものでもない。一輝のことを「俺ツエー」なんて言葉で説明しようとすると齟齬が生じてしまう可能性もあるが、基本的に彼も「選ばれし家に生まれ、選ばれし特別な能力を持つ主人公」であり、描き方次第では本当に「俺ツエー」で終わってしまう可能性もあった。ヒロイン・ステラもチョロいのは間違いないし、1話目の導入でのイカレてるとしか思えないいちゃもんの付け方なんかからはラノベにありがちな負の印象が優先していた。それでも、そこからの展開が王道のバトル漫画のそれであり、その中で、嫌味なくメインキャラクターを描いていくことで、少しずつ「まーたやってやがる」感は薄れていった。正直、最初にテロリストをやっつけてるあたりはまだ「どないやねん」感が残っていたものの、キャラクターが出揃い、最初の大きなイベントである松岡越えを果たしたあたりがはっきりした転機だったろうか。今作の売りは独特の映像演出で見せるバトルシーンにある。「剣武祭」なんて分かりやすい舞台、そしていかにも主人公らしい分かりやすい能力。それを特に茶化すでなく、真正面から強さの体現として描き、勧善懲悪でまかり通る。その堂々たる戦いっぷりでヒロイン勢をメロメロにし、元からベタぼれだった妹ちゃんの人権もしっかり守る。一輝の主人公としての自覚と責任が、陳腐なラノベストーリーをがっちりした「王道」に持ち上げた。ラブコメ部分についても、一輝・ステラのカップルは実にまっとうに、付け入る隙のない恋愛をしてくれちゃっているので、最後の最後に結ばれるまで、こちらとしては親御さんのように温かい目で見守ってやるしかない。余計な戯言に逃げない主人公ってのはそれだけで好感度が高いね。 中盤以降はいちいちバトルが見せ場として機能し、オープニングテーマの歌詞の通り、「高みを目指す」という純粋な目的意識で研鑽するキャラクターたちは清々しく見守ることが出来るようになり、会長VS妹の試合が1つ目のクライマックス。最近のアニメは平均値も上がっているのでちょっとやそっと動いたからって手放しで喜ぶこともないかと思っていたが、10話の攻防はよくもまぁこれだけみせたと感心する。そして、あんだけのものを見せたらラストバトルはきつかろうと思いきや、最後は一輝の能力描写を本当に一瞬にぶつけることで、妹ちゃんのバトルの長丁場とははっきりと対比を示し、見事にラストバトルとして描ききったのである。SILVER LINK&大沼心といえば「シーキューブ」なんかでも独自の演出で色々と見せてくれたわけだが、これまで大沼さんを評する時に使っていた「新房昭之譲りの」という冠もそろそろ取っ払うべきかもしれない。今作の様々なバトルの演出方向は、もう完全に「大沼流」のオリジナルだ。もちろん、最終話の見事な作劇はコンテを任された二瓶氏の功績も大きかったことだろう。かなりカロリーの高い作画になっていたと思うが、SILVER LINKもきっちり息切れせずに最後まで描ききってくれたのはありがたい。とても良いアニメ化でした。 最後は当然中の人の話。ステラ役の石上静香はようやく「まっとうな」メインヒロインとしてエロ絡みながらも順当な仕上がり。妹ちゃんが東山奈央という鉄板のキャスティングも安心感の二重構造だ(今期は「アスタリスク」の会長もいるのでややこしくはあるのだが)。しかし、今作で個人的に注目したいヒロインは他にいる。そう、有栖である。ヒロイン? いや、まぁ、細かいことはいいとして、今作で最も恐ろしいのは新しい角度から「とても魅力的なオカマ」を生み出したことだ。これまで、アニメや漫画で「魅力的なオカマ」といえば例えばタイバニのネイサンみたいな「キモいし一見すると怪しいけど、本気出すと怖いし強い」みたいな造形が主流だったと思うが、有栖ちゃんの場合、なんと登場から既に「頼れるオカマ」なのである。全くキャラがぶれることなく、はじめから終わりまで、「有栖ちゃんなら分かってくれる」「こまったらあの人相談しよう」みたいな圧倒的な信頼感。実際強いし、実際格好良い。彼(女)が陰で支えてくれたおかげで、一輝や珠雫が活き活きと活躍出来たことを忘れてはいけない。そして、そんな「魅力的なオカマ」を担当した中の人は、流石の一言、浅沼晋太郎であった。あさぬママが、文字通りママになるんだよぉ! あ、あと橘田さんの吐血先生も好きです。 「すべてがFになる THE PERFECT INSIDER」 6→5 山根さん生存おめでとうございます。まぁ、原作では本当に「ついでに」殺されてたし、尺を考えて真っ先に削られたのがあの事件だったのは正しい判断でしょうね。 点数は下げてしまったが、決して悪い作品ではないことは先にお断りしておく。単にちょっと「私の好み」からずれた部分があっただけで、作品の映像化としては、非常に丁寧だし、映像化自体がかなり無茶なデザインの作品だったものを、きちんと1つのシリーズとしてまとめ上げたことは評価されるべきだろう。ノイタミナなので話数が少なく、普通のシリーズアニメよりもさらに尺が短かったが、それでもどうにか過不足無くシナリオを収斂させているし、ミステリ(ィ)的な部分でのけれん味もきちんと残っている。もちろんこれよりも攻めたデザインでもっと大化けしていた可能性もないではないが、原作ファンの多さを考えるなら、このくらいのさじ加減でまとめておくのが一番良かったのではなかろうか。 「会話劇が中心である」「舞台が全然動かない上に全く見映えがしない」という原作の持つ根本的な問題は、数多の西尾維新作品に通じるものがあるが、森作品の場合、西尾維新のように「縛りを全部取っ払って無茶なことをやる」というほどに世界がかっ飛んでいるわけでもない。冷淡に見えて実はポエミィというなんとも面倒なスタイルが持ち味であり、あまり画面をガチャガチャいじってしまうとせっかくの個性が台無しになってしまいかねない。つまり、地味な画面を地味なままで作るしかないわけだ。エアカーのシーンでちょっといじって見た目に賑やかな画面を作ったり、最低限の脚色はしているが、基本的にはとても地味な研究所の、とても地味な会話劇がそのままだ。原作を知っている身としてはこれで不満は無いのであるが、もし初見の視聴者がいた場合、「アニメ化する必要ないんじゃね?」という突っ込みが入る可能性は高い。そして、それに対する答えは「まぁ、そうだけど」になってしまう。アニメにして一番映えるのは序盤の死体登場シーンだと思うんだけど、規制の関係もあってそこまで劇的に描くわけにもいかないし、流石に今となってはパソコンやらネットワーク関係の話も随分陳腐になってしまっているので、そこを大仰に描くわけにもいかない。時代の要請とはいえ、これをそのまま映像化するのはなかなかの難題である。そこでアニメスタッフが望みを繋いだのが、深夜アニメの華である「ヒロインの魅力」だった。 実は、個人的に、この辺りのスポットの当て方がちょいと不満だった部分である。萌絵の方はいい。最終話の時間の割き方も含めて、彼女の描かれ方は身の丈に合っていたし、それなりに原作通りの魅力は伝わったんじゃないかと思っている(熱心なファンから見たらどうかは分からないけど)。ただ、真賀田博士の方は不満がある。それは、作中で執拗に描かれた進藤所長との逢瀬のシーン。原作にはないものであるからひょっとしたら私の読んでいない「四季」からの引用なのかもしれないが、ああも繰り返し真賀田博士の「人の部分」「女の部分」が描かれると、彼女の超人的な魅力、ぶっちゃけていえば僕の中にある偶像が歪んでしまう。私の中の真賀田四季はこの「F」と「有限と微小のパン」の中にしかおらず、つまりは「とにかくすげぇ」「一言でいうならラスボス」なのである。もちろん、「F」における彼女の犯行動機を納得いくレベルにまで持っていくためには彼女の人となりを掘りさげる必要があり、その中で進藤所長との関係性が不可欠だったのは分かる。アニメ視聴者に(ただでさえ無茶な)今回の動機を納得してもらうためには、少しでも真賀田四季という女性についての情報は多い方が良い。原作ならばそれが自然に蓄積された上で解決に向かうが(まぁ、それでも突飛ではあるが)、アニメの尺ではなかなか自然に配置するわけにもいかず、積極的に「回想シーン」として彼女の登場シーンを増やす必要があったのだろう。そのあたりの理由は全部まるっと理解したうえで、「それでもやっぱり、真賀田四季はもっと超然としていてほしかった」というのがわがまま勝手な願望なのである。 多分、二律背反のどっちを取るかなんだ。この「F」を1つの作品として成立させる方を優先するか、彼女を中心としたシリーズの全体像を優先するか。単体での完成度を優先するなら、真賀田博士に「超越性」はそこまで求められる要素ではなく、「据わりの良さ」を考えてデザインすべき。もし、今後もシリーズが続き、最後の「パン」にたどり着けるならば、もう少し真賀田博士という女性を謎のヴェールに包んでいても良かった。でもまぁ、8作品全部アニメ化とか絶対あり得ないからな(「冷密」とか、アニメにしたらクソつまらないだろうな)。このアニメは「F」の世界で完結している。だからこれで良いのでしょうね。 最後に中の人の話題に触れておくと、当初発表された「四季=木戸衣吹」の報には「どないやねん?!」と首を傾げたものだが、しばらくしてから「あぁ、そりゃそうや」と気がついた。選ばれたのは、甲斐田裕子でした。完璧なお仕事ですね(多分他の選択肢は田中敦子か本田貴子あたりになると思われる)。甲斐田ちゃんの活躍がもっと見たいから、なんとか「パン」だけでもアニメ化してほしい……いや、なんでもないです。そして萌絵役の種﨑敦美については言わずもがなですね。他にも国枝女史が大好きなのも言わずもがなだが、普段の役とはちょっと体温が違う島田役のぴかしゃの仕事が思った以上に気に入った。何やっても魅力がある声というのは良いものです。 「新妹魔王の契約者 BURST」 5→4 今期一番最初にゴールしたのはこの作品。ここが角川名物10話枠だったのか。流石に最終決戦からもう一山あるやろ、と思ってたらまさかのそのまんま最終回だったから正直肩透かしである。 1期は、1話目があまりに致命的作画状態だったために最悪の第一印象からスタートしたが、そこからなんとか盛り返し、同じ時期にやっていた作品がそれ以上に十把一絡げでしょうもないものが多かったため、相対的にいくらか評価を上げた。まぁ、真正面からのエロというのは潔いものだな、という満足感があったのも本当の話だ。しかし、残念ながら2期目の今作はそうした1期目でのアドバンテージ(?)が軒並み役に立たなかった。まず、意外なことだが、今期も十把一絡げで並べられた作品はたくさんあるのだが、1年前に比べると、これが割と出来がいいのが出てきたのである。ここに、わざわざ今作が「異世界」の方ににじり寄ってしまったため、他作品との差別化がより困難になり、結果的には作画状態の凡庸さ、進行の単調さ、エロに規制が入るという直接的な疎外感などが欠点として目につくようになってしまった。同時期にたまたまやっていた作品と比べて相対評価をするのは絶対におかしいのだが、こんだけのアニメがあると、どうしたって回りの環境に引きずられてしまうのはしょうがないことだ。 具体的にビハインドを見ていくと、最大の難点はシナリオラインがパッとしないこと。1期は一応面倒な妹を押しつけられたという起点や、配下にサキュバスを置いておくことで正当化したエロの真っ直ぐさなどが売りになっていたのだが、今期はヒロイン勢が完全に固まった状態になっており、個々のキャラクター性がほとんど差別化されないままにまさかの全軍バトル展開へ。なんだか話を広げるのに失敗して無謀なてこ入れを試みたジャンプ漫画みたいになってしまっている。バトル展開になったらどのキャラも結局「封印されていた力を開放するぜ!」「それでも俺の隠していた力の方が強い!」みたいなバトルしかしないので、これが全く面白くないのである。目先をなるべくエロの方に向ければごまかせる部分もあったのだろうが、作品の外側を覆う枠が完全にシリアス路線に固まってしまい、エロが毎回作業みたいになって盛り上がりに欠ける。ひょっとして、シリーズ構成で吉岡たかをが抜けたダメージが出ていたのだろうか。エロに入るミニキャラの規制マークがやたらと浮いてしまったのも気になる。細かい部分だが、一応真面目なエロシーン(?!)ならば「真面目な規制マーク」を用意するべきだっただろう(規制は入らないのが一番良いが、極力邪魔をしないようにするなら光規制もやむなしだったと思う)。 1期目ではそれなりに見ていて楽しい部分もあったのだが、2期は進むにつれてどんどんテンションが下がっていったのは残念至極。これでもう2話あったらもう少しいじりようがあったんだろうか。うーむ、でもこの展開だとどんだけ長くしても大してかわらんよなぁ。 「ガッチャマンクラウズインサイト」 5→3 ようやく夏クールの番組が全部終わった……と思うじゃん。まだ残ってるんだぜ、3話も未放送の作品がよぉ……。 まぁそれはそれとしてのインサイト。1期は賛否ある作品だったが目指しているものは理解出来たし、独自の面白味は間違いなくあったと思うので「可」か「良」くらいだったのだが、この第2期については、個人的にはかなり否定的な感想になってしまう。今回だって「やりたいことが理解出来る」という部分は全く同じであるが、1期目とは随分話が違う。端的に言えば、「分かりやすすぎた」。 タイトルに「クラウズ(Crowds)」とある通り、本作のメインテーマは「群衆」である。1期で導入された諸々のバーチャルツールなどの概念は今作で扱う「群衆」というテーマを端的に表示し、そこに善悪の物語を敷設していくための道具として機能した。このテーマが難しいのは、「集合知」というものが善悪では単純に語れない対象であるというのが1点、さらに「集合」をアニメーションとして描き出すことが難しいというのが1点。後者の問題については中村健治監督の独自のデザインセンスをフル回転させ、興味深い演出方向でもって「みんなの意見」を具象化させ、それをベルク・カッツェという「悪」と組み合わせることで1つの対立概念として設定、そこに「正義の味方」ガッチャマンをぶつけることで、「群衆」の正しさについて一定の回答を導き出していた。それが正解だったのかどうかは誰にも分からないが、1つの形としては間違いなく成立していたはずだ。不確かなものに強引に答えを与える為に生み出された一ノ瀬はじめという「神」の存在も、無茶苦茶だとは思いながらも強烈な個性となって視聴者を引きつける要因にもなっていただろう。 しかし、2期ではこうした「描くことの難しさ」を非常に安易な方法で解決しようとして、あまりにもチープで、陳腐なお話に堕してしまっている。まるで小学生の道徳の教科書に載っているような、説教臭く、ご都合主義で、味もそっけもないシンプルすぎる二元論だ。「群衆は愚かであり、考える力を持たない。日本人特有の『空気を読む』行為は思考を伴わず、ただ為政者によって、マスコミによって、善意という名の思考放棄によっていくらでも悪い方向に進んでしまう。だからちゃんと自分の力で考えよう」というのが、「insight」で与えられたお説教の中身の全てだ。もちろん、そうした言説に意味が無いとは言わない。しかし、そのために用意されたゲルサドラというキャラ、つばさちゃんのキャラ、くうさまという設定、どれもこれも「結論ありきで茶番を演じるための装置」にしか見えず、物語の中からテーマを伝えるのではなく、ありきたりな言説を唱えるための人形にしか見えないのである。いくら何でも、ここまで分かりやすすぎてはせっかくのテーマ設定も台無しだ。 二次的な影響として、あまりにも「その他大勢」が愚かになりすぎて、世界そのものが思考を放棄したような状態になっているせいで、そこで異彩を放つはずのはじめちゃんまでもが、超越的な存在というよりも、「逆方向の思考放棄」にしか見えなくなったことである。彼女がうわごとのように「個」を唱え続けるのは1期の時も同じであり、そこに何の後ろ盾もないのはこれまで通りであるはずなのだが、相手が悪意の権化であるカッツェだったときには、その対極に位置する彼女「正義の権化」たり得た。しかし、今回のゲル・つばさたち、そして群衆は「思考放棄の具現」であり、その対極に位置するためにははじめが「思考の権化」になる必要があった。残念ながら、「考えること」は(彼女が再三訴えていることとは裏腹に)はじめの持つ属性とは相容れないのである。何故なら、彼女は考えるまでもなく、生まれもっての正義であるからだ。残念ながら、このinsightの世界では、彼女は特異性を魅力に変換出来ない。 はじめがただの「異物」と化し、世界が陳腐な個の倫理で埋め尽くされてしまうと、もう他のキャラクターが輝くチャンスもない。1期で作りあげた「クラウズの独自世界」は解体され、ただの薄っぺらい舞台装置だけが残された。そこにはガッチャマンの存在意義もないし、中村監督の映像技術で描くべき対象もない。このシナリオは、あまりにもお粗末である。 せめてもう少しガッチャマンがチームとして戦うシーンがあれば、見どころも変わって意味が生まれたのだろうが……うつつちゃんとかるいるいとか、もう今回は全然ガッチャマンじゃなかったしな。タツノコはガッチャマンをどういう存在にしたいのだろうか。謎は深まるばかりである。 ○「アイドルマスターシンデレラガールズ 2ndシーズン」 5→5 ようやく終わったのである。もー、気付けば実写放送の方が多いんじゃねぇかってくらいの展開になってましたね。 色々と話題性に富む作品だったので、評価する軸も色々と考えられる。個人的なことを先にお断りしておくと、回りの連中がデレステでどんどん盛り上がって訳の分からないテンションになっているのを横目で見ていたせいで、逆にどんどん冷めていく感覚がいくらかありました。「アニメだけ観ても分からない魅力が色々あるんやろな……」と思うと、何か外様になった気分でね。まぁ、決してそんなことは無いはずなんだけども。「自分だけ情報量が足りなくて楽しさが100%味わえてないかもしれない」っていう感覚はなんだか損した気分なわけですよ。 実際には、私はアニメオンリーで作品を受け取るしかなかったわけで、そうなると、このかつかつでボロが出た製作スケジュールなんかは素直にマイナス要素になる。さらに、2期に入って346プロのアイドルの数がますます増えてしまい、完全にキャパを超えてしまったのも辛い要因。元祖アイマスは2クールで十数人だったからこそ余裕を持って内容を受け取れたわけで、今作は2クールで丁寧に作ろうという意志は感じられるが、それでもどうしたって動物園的な趣きになるのは致し方ない。アニメだけを見てキャラを受容しきることは不可能だっただろう。まぁ、最低限の基本線は守っていたので、決して「ただ色んなキャラを垂れ流すだけ」という艦これみたいなズタボロの展開というわけではなく、お気に入りのキャラに焦点を定めておけば、そこまで視点がとっ散らかることもないんだけども。つまり僕なんかは「莉嘉ちゃんかきらりちゃんが出てくる回ならそれなりに楽しい」ってなテンションは維持出来た。 もう1つ大切なポイントになるのは、2シーズンを通してのシナリオラインだろう。割とはっきり鬱展開が描かれていたこともあって、拒絶反応を示したファン層もあったことだろうと思うし、割とチャレンジングだったのは事実。しかし、今作の目指したシナリオは決して悪いものじゃなかったのではないかと思っている。個人的に一番驚いたのは、クライマックス(?)で卯月に「笑顔なんて誰でも出来るやんけ!」と言わせていたこと。普通に考えれば、あの台詞はアイドル本人が言ってはいけない。言わせてはいけない。何しろこの発言は「事実」であり、フォローのしようがない、言ってしまえばアイドルと一般人を隔てていた最大級のお為ごかしを白日の下に晒してしまう行為であったからだ。しかし、本作ではあえてその部分に切り込み、問題を島村卯月という1人のアイドルに解決させることにチャレンジしたのである。この卯月の「無茶な課題」は、過程はどうあれ非常に誠実に、正面からクリアしていたと思う。今作はタイトルにある「シンデレラ」というワードが重要なモチーフとなっており、卯月は作品を代表する「シンデレラガール」としてのハードワークを一任された。そして大変なのは、シンデレラを演じるということは、「魔法で輝く」→「一度魔法が解ける」→「再び晴れ舞台に」という過程をこなさなければいけなかったこと。あらゆる魔法が解けた卯月がアイドルという存在そのものに疑問を抱えて苦しむ姿は、なかなかに真に迫ったものだった。一度の失墜を経たからこそ、彼女の笑顔はかけがえの無いものになったのである。 ただ、こうして卯月の「シンデレラストーリー」を作りあげるためには、回りのアイドルたちはどうしたって「舞台装置」にならざるを得ない。本田キャプテンのように自らも艱難辛苦を乗り越える話が見えやすいサポートは「シンデレラ」の存在が二重写しになるために悪くない存在感が出るが、もう1人、渋谷凜は、彼女自身の感情の発露が少ない分、結局最後まで何を考えていて、何がしたいのかが分かりにくかったのが残念である。まぁ、それでも出番が少なかった他のアイドルよりも恵まれていたのかもしれないのだが。今期は「シンフォギア」でも感じたことだが、「挫折からの復帰」というのは分かりやすい筋書きだが、複数の段階があるために描ききるのには時間がかかってしまう。これを安易に処理すると何とも薄っぺらい印象になってしまうもので、ウェイトの置き方が難しいものである。全てのキャラにある程度の出番を与えながら、こうしたドラマを重ねるというのはかなりの難行だったのではなかろうか。 こうしてみると、挫折を屁とも思わない強い強い諸星きらりちゃんが本当に輝いていたのは相応の理由があったのかもしれない。あ、あと本作における最大のシンデレラってのは結局武内Pだった、ってのも大きなトピックスだよな。彼のクロニクルとして見れば非常にまとまった作品であったし、魅力は120%で出てましたよ。あれだけ女の子が大挙してるのに、一番の人気キャラがごついあんちゃんってのは、ひょっとしたら制作陣最大の誤算だったのではなかろうか……。 「血界戦線」 6→6 今回の件で俺が得るべき教訓はたった1つだ。「流石にこんだけ空くなら忘れる前に番組感想は書いておけ」。うん、1クール空けて最終回だけって、やっぱり無理があるな。「To LOVEる」も先に書いちゃったのは、こういう事態を避けるためだったんだ。つまり、GOD EATERさんはもう……。 正直、ちゃんとシリーズ物の流れで、正しい時期にこの最終回が流れてればもう1点点数が上がったと思う。ブランクのせいで記憶が薄れ(折悪しくBDRがクラッシュしたせいで見直すことも出来ず)、新番チェックにばかり追われて最終回を見ることすら遅れてしまった。それもこれも全て、三ヶ月という空白の期間が悪い。間が空いて最終回を流しても一切インパクトが薄れなかったまどマギってやっぱり化け物だったのは間違いない。アニメ制作者の皆さん、頑張ってスケジュール通りに納品出来る体制を整えてくださいね。 閑話休題。やっぱりとても良い作品だった。最終回だけを見てもそれを思い出すことは出来る。とにかく賑やかで、とにかく破天荒。バラエティの豊かさを表す表現として「幕の内弁当のような」っていう形容があるが、この作品はそんなんじゃ収まらないだろう。質の良い居酒屋のメニューが全部一気に頼めるような、そんな賑やかさがある。もちろん、中にはあんまり好きじゃなかったり、食い合わせの悪いメニューもあるにはあるのだが、そんな些事を吹き飛ばすようにして、これでもかと予想外のものが飛び出してくる。この世界を作りあげた原作時点でも大したものだが、それを完璧な形で映像に落とし込んだスタッフ一同も素晴らしい仕事ぶり。ヘルサレムズロッドの風景全てが、このアニメのセールスポイントである。松本理恵は「京騒戯画」に引き続いて見事にオリジナリティ溢れる映像作品を繰りだしてくれたことで、世間的にも評価はかなり固まったのではなかろうか。次に彼女がどんな世界を描き出してくれるのか、期待は高まるばかりである(出来れば、その時にはスケジュールをばっちり確保した万全の体制で!)。 世界観の描出だけでもお腹いっぱいだが、そこで繰り広げられるネタの数々も本当に美味しいし、けれん味たっぷりの演出方針も馬鹿馬鹿しく盛り上がれる「分かりやすいアニメの美」。ごちゃごちゃした世界観なのでともすると「訳分からん!」と匙を投げられそうなものだが、そんな不安に対して「こまけぇことはいいんだよ!」というメッセージを作品全体が投げかけてくれる。何と気の利いた作品作りだろうか。楽しむポイントさえ分かってしまえば、あとは毎週毎週手を変え品を変え飛び出してくる「レオと愉快な仲間達」を楽しむだけ。これ、いっそのことドラえもんとかちびまる子ちゃんみたいな日常作品として延々続いてもいいくらいだ(クリエイターが過労で死ぬだろうが)。たとえスケジュールに無理が出ようとも、やりたいことを全部やるという目的は充分に果たされた作品だったんじゃなかろうか。是非もう一度最初から見返したい作品である。 そして、何と言っても中の人。今作の立役者はもちろんレオの中の人、坂口大助。彼が「いつも通りの大ちゃん」だったからこそ、この世界はファンキーな遊園地であり続けた。いつまでも若々しくて素晴らしいなぁ。相方を務めるのは、クライマックスでは文字通りの一人舞台を演じた釘宮理恵。こちらは「京騒戯画」とも違う絶妙な二役でもって、役者釘宮ここにありという存在感を見せつけた。万屋コンビは本当に芸達者である。他にも力ちゃんとかカズ中井あたりの「格好良い声出してるけどネタとしても活きる」バランスなど、ライブラは本当に濃すぎる面子がたまらない配置。濃い世界には濃い声が必要ですわな。あと音響面だとテーマソングも話題性がありましたなぁ。エンディングの愉快な映像、あれも今作を盛り上げる大きな要因になってた気がする。「同じ阿呆なら踊らにゃ」ってやつですわ。「世界中を驚かせてしまう」って、本当にしっくり来て良いフレーズだった。 「俺物語!」 5→5 変なタイミングで最終回シリーズ。しょうがない、読売系列だから、もうしばらくすると「ガッチャマン」の最終回もあります。 2クール終わって、「まぁ、予定通りに」という感じの作品。最近はゴリラ系男子(というかイケメンゴリラ)が注目を集めているらしいが(ソースは某ゴリラ声優)、ぶっちゃけ、猛男ってゴリラでも何でもなくて、単に「いい男」だよね。そりゃ確かにルックスはアレなのかもしれないけど、少なくとも作中で3人には惚れられているわけで、これまでほとんどモテなかったっていうのは設定に無理がある気がする。「いい男が順当に惚れられて、彼女を作っていちゃいちゃする話」であるから、私のような非リア勢からしたらイライラの温床でしかないのがこの作品。くわえて、最後の最後まで大和さんのキャラが今ひとつ好きになれなくて、どこまでも「男に都合のいい女」でしかなくてなぁ。猛男とのギャップを狙ってああいうキャラになってるんだろうけども、あんまり男ウケしないタイプのキャラな気がする。一昔前に「少女漫画的」っていうとこういうキャラだったんだろうけど、今のご時世だとちょっとな。 でも大丈夫、この世界におけるメインヒロインはあくまで砂川君だから。いや、あの男こそ様々な理想を体現した完璧なフィクション人格なのかもしれないが、作中であんまりぐいぐい食い込んでこないので嫌味がない。猛男の人柄そのものよりも、「隣に砂川君がいてくれていること」が猛男のキャラを補強しているのである。あんだけ回りでリア充がイチャイチャしている中で頑なに一人を貫く砂川君、それでも一切の悲壮感はなく、むしろ清々しいくらいの砂川君。彼さえいればこの世界は優しくあり続けられそう。 そんなわけで、猛男×大和さんのカップルだけだと「都合が良すぎるやろ、死ね」とすら思えてくるところだが、砂川君が見事に緩衝材になってくれたのでイライラせずに済みました。ありがとう砂川君。このアニメがそういう風に見るべき作品だったのかは分からないけども、結果オーライだ。作品自体は手堅くまとまってたよね。サブキャラが食い込んでくるお話もそれぞれにちゃんと見どころがあったし。あー、でも栗原カップルは死ねって思った。ホント死ねって思った。世界中の高校生ってあんなもんなのかな。死ね。 「OVERLORD」 6→6 良い世界でしたね。ネトゲに閉じ込められるのも悪くないな、って思える作品。いや、ネトゲなのかどうか結局よく分からなかったけども。 今作は総合力の勝利、といった印象。まず、典型的ラノベ設定といえばそれまでではあるが、「強いよ魔王様」ものと「ゲーム世界で頑張るよ」ものの融合。考えてみりゃ、(少なくともアニメ化した作品では)「魔王もの」と言っても露骨に不気味で強くて悪くて怖い魔王が出てくる作品って無かったんだよね。「はまおう」は単なるあんちゃんだし、「まおゆう」に至っては巨乳娘だし。そういう部分でまずモモンガ様が主人公の魅力を発揮してくれた。また、設定にしても、もちろん「単にレベルが高いから」というのもモモンガ様の強さの一因ではあるものの、それ以上に「ゲームの設定を知っており、事象をメタレベルから観察出来る強み」というものを活用しており、このあたりは「大体のキャラが同じようなプレイヤー」という「SAO」では絶対に得られなかった強さの見せ方、そして世界探求の在り方だ。このメタレベルをとことんまで「ゲームシステムとしての解釈」で推し進めたものが「ログホラ」だったわけだが、「どうやらゲームの設定からはみ出している部分もあるぞ?」というので興味を引っ張るのが今作のやり方。もちろん、似たような事をやっている作品はいくらもあるのだろうが、これらの要素が総合して上手い具合に舵取り出来ているのが本作の大きな魅力の1つだった。 そして、これを支えるモモンガ様のキャラ造形が、本作最大の見どころだろう。非常に便利な「アンデッドだから感情が抑止されるよ」設定が「単なるサラリーマンのネトゲ廃人」と「世界最強の魔王」の接続を絶妙なバランス感で果たしており、この世界では冷徹な賢者でありながら、その背景で必死にゲーム攻略をしている一般人の姿が垣間見えるギャップが実に面白い。キャラやシナリオの描写の基本の1つが「ギャップ」なわけで、モモンガ様は見事に萌えキャラの一大ファクターを満たしているのである。そして、そんな「最強の魔王」が君臨するおかげで、そこに盲目的に従う配下のNPCのキャラも引っ張り上げることが出来る。うっかりデータを書き換えてしまったせいでヒロイン改めヒドインの座を価値とったアルベドさんはその筆頭だが、その他ナザリックの面々はほとんど出番が無かったにも関わらず、不思議と気になるキャラが多かった。そして、個人的に忘れられないのはクレマンティーヌさん。やっぱり「悪人」の描写が尖ると物語は観ていて楽しいね。 こうして基本線がしっかり作られた作品を、あとはアニメ的に満足のいく映像に仕上げられれば良い。ここ最近は本当に安定しているマッドハウスのデジタル描写・手描きのバランス感覚が見事。伊藤尚往監督は、見事に今作でその名を知らしめることになったであろう。 さて、これは続編があるものかどうか……原作はストックあるだろうし、充分期待出来るかな? あ、エンディングテーマがすごく好きなので、2期があるならその時も是非アルベドさんモチーフの思いっきり病んでるやつお願いします。 |
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プロフィール
HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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