最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「新妹魔王の契約者」 3→4 続編おめでとうございますぅ。意外や意外、今期の「区別がつかないラノベラッシュ」の中から、ちょっとだけ持ち直してきたのがこの作品だった。いや、先に断っとくと「面白かった?」って聞かれたら「いや、別に」って答えると思うんだけど、多分1話目の印象が悪すぎたおかげで、思い切りハードルが下がったからなんだろうな。 作画のひどさについては、1話目が逆ピークだったという何とも不思議な状況。全編通じて「こいつぁ綺麗だ!」ってびっくりするような作画面ってのがあるわけではないのだが、2話目以降は平均値まで持ち直し、そのまま大きく崩れることなくクリア出来た。「俺ツイ」でボロボロになっていたプロダクションアイムズであるが、今回はなんとか制作体勢を維持出来たようだ。今作の最大の売りは「エロ」である。いや、もうそんなアニメは叩いて捻って蹴散らしたいほどにあふれているのだけれども、今期並んだ他のラノベアニメとの相違は、開き直りエロの正当化。何しろメインヒロインの従者にサキュバスがいるのだから、エロくなるのはしょうがない。エロい契約をして、エロを中心に人間関係を作っているのだし、積極的にエロいことをしようと思っているキャラが中心で活動しているのだから、それはちゃんとストーリーに関わってくる良いエロだ。描写も割と本気だったし、「ハイスクールD×D」とか「聖痕のクェイサー」みたいに「馬鹿エロチャレンジ」作品としては一定以上のクオリティを保っていただろう。惜しむらくはAT−Xですら本当に無粋な修正が入りまくったことであるが、分かりやすい「円盤買えばいいじゃない」作品なので諦めもつく。こうしてきちんとアニメのジャンルが二分され、無用なエロはさっさと取り除き、エロ専門アニメが頑張ってエロい画を作ればそれで良いのだと思う。 シナリオラインについては「ふつーのラノベ」なので取り立てていじるポイントもないが、万理亜のキャラはそれなりに立っていたかな。ちゃんとシリアスに絡んでそれなりの設定もあったし、最初の契約部分さえクリアしてしまえば、メインとなる刃更・澪の関係も無理矢理って感じではない。魔王設定、勇者設定はあんまり活かされてた感じはないので、もっとあっさりした舞台でやれていれば余計な匂いもつかず、先入観も取っ払えたのでベターだった気もするんだけど。まぁ、これは後考えではあるな。やろうとしてることは潔いのだから、これで他作品との差をアピール出来る個性があればなぁ。 中の人については、「中村と杉田が楽しそうにしてるからそれでいいんじゃね?」というので大体片付く。最初に杉田が仮面つけて出てきた時は流石に笑ったわ。「中村さん、それ確実に突っ込み待ちなんだからはよ突っ込めよ」ってずっと思ってた。そして万理亜役の福原香織が今作のキーパーソンかな。かおりん最近だいぶ落ち着いてきたけど、こういうちゃかちゃかした役はやっぱりしっくり来るわね。主演の朝井彩加は無難な仕事ぶりなので、まだ何とも言えない。プロダクションエース組は、いつもお疲れ様です。 PR 「艦隊これくしょん -艦これ-」 4→3 結局初見で持った印象が良くも悪くも、いや、悪くも悪くも最後まで続いただけの作品である。先に断っておくなら、「まぁ、原作ファンは楽しかったのかもしれないね」の一言に尽きる。 今作の売りはいったい何だったのだろうか。CGでもって女の子を海面滑走させる戦闘シーンなのか、それともいちゃこらする女の子を愛でることなのか、ヘンテコ女の子キャラが格安大量販売されたハーレム状態を楽しむことだったのか。おそらく原作ファンからしたらその全てがYESになるのだと思われるが、何も分からない状態から入った新規視聴者層にはことごとくポカーン状態である。ぶっちゃけ私が理解しようという努力を怠った部分はあるのだが、その努力する気力を起こさせなかったのは、アニメ製作スタッフ側の責任だと思っている。 努力を妨げた最大の要因は、何と言っても世界観がさっぱり分からなかったことにある。新番チェックの私の文言を抜粋すると「彼女たちは人なのだろうか。これまでの人生は、そのへんの女の子と同じように蝶よ花よと育てられた普通の女の子なのか? それとも、生まれながらに戦うことを宿命づけられた忌まわしい機械の申し子なのか。その辺の設定が分からない」という文句があるのだが、これ、最後の最後まで何一つ解決されてないんですよ。結局何となく艦むす学院(仮)があって、そこにはず〜〜っと外の世界を知らずに待機してきた大和がいたりする。艦むすたちは、まるで史実に引っ張られるように轟沈したり、出撃したりすることに恐怖を感じていたが、「史実」ってあの世界で何なのかが分からない。提督という存在が最後まで明らかにされず、誰がどのような目的で彼女達を突き動かしているのかが分からず、対するヘンテコ化け物娘たちも戦う理由など分かるわけがない。ないない尽くしで、各方面から「理解しよう」という気持ちを挫いてくる設定である。目的も何も無い「戦争の残骸」に、何のドラマがあるというのか。 結局、「既にある理解」を前提とした物語は初見組には敷居が高い。「原作さえ知っていれば」というアニメはいつの時代もあるもので、私なんかは「ダンガンロンパ」を見ていて「原作ファンには割と面白いけど知らん人はどうなんだろう」とハラハラしていたものだが、今作の場合、「ロンパ」のように尺の関係で説明不足になっているわけではないし、いくらでも新規の客層に訴えかける作品作りは出来たはずなのだ。それをせずに、「出来上がった世界」が前提のお話を進められてしまっては、そりゃ私のような新規組はリタイアするしかない。「作品が悪かった」のでないならば、「相手が悪かった」のである。 そして、これまた新番チェックで既に懸念していたことではあるが、結局地獄の多重キャストの効果はデメリットとなってしまっていた。「こんなにたくさんの演じ分けが!」と楽しんで観ることももちろんできたと思うのだが、その前提条件として、演じ分けられたキャラがそれぞれ「違う」ことを理解しなければならない。担当した声優はそれぞれ優れたスキルを持っており、「違うキャラだ」と思えば充分それが伝わったのだろうが。残念ながら私の脳内にはまだ「違うキャラ」がストックされていない状態なのだ。そんな状態では、巷でいうところの「駄目絶対音感」というやつは足枷にしかならず、根底に流れる「同じ声」ばかりを聞き取り、識別がどんどん困難になっていく。頑張って覚えようとしても「高いあやねる」と「低いあやねる」になるくらいが精一杯だし、島風と那珂は「浮かれたあやねる」だ。何故識別まで至らないかといえば、殆どのキャラはそこまで根本的に物語に絡んでこないので、識別する必要性が無いためだ。それなら余計なキャラを増やさずにもっと絞って話作りをすればいいのに、と思うのだが、まぁ、それが出来ないのは原作ファン向けの都合なのだろう。本当にどうしようもないのだ。そして、1キャラに割かれる時間が少ないということは、どんどん描写が形骸化することにも繋がる。私が認識出来た唯一といって良いキャラが百合バウムコンビ(大井・北上)なのだが、あの2人は(というか大井は)本当に「出てきてレズを叫ぶ機械」である。その裏に愛情もなければ情念もない。そんな百合は無理矢理押し込まなくてもいいじゃない。そこにかける時間を、もっとメインキャラに注いであげればよかったじゃない。それが出来ずにどんどん拡散していったのが、今作が「つまらなく」なった最大の原因なのじゃなかろうか。こうして見ると、キャラの絞り方、お話の作り方は「ガールフレンド(仮)」がよっぽど穏当で良かった気がする。 以上が、大まかにまとめると「俺に分からないからおもんない」という結論です。まぁ、余計なゲームやらずにすむからいいんだけどね……。あ、でも曲は良かったよ。特にOPの海色はAKINO史上でもかなり上位のヒット曲だと思う。 「暁のヨナ」 5→6 やっぱり「花とゆめ」アニメは何故か相性が良い。毎週楽しみに正座視聴、ってほどではないし、同誌掲載の「それせか」ほどのヒットでもないのだけど、実は割と楽しんで観ていた作品でした。なんか、すげぇ懐かしい匂いが漂っている作品だったのです。 筋立ての基盤は、とても王道路線のファンタジー活劇。国を追われた王女様が、伝承を手がかりに各地に散らばる「四龍」の青年を捜し求め、1人1人を手に入れる中で人情あり、恋愛ありのドラマを紡いでいく。仲間集めをしながら少しずつ成長していくヨナを見ていると良質のRPGをプレイしているような気分になり、「パーティーが大きく強くなってるなぁ」という達成感と「家族のような広がりの中が温かいなぁ」という充足感が得られる。私の中で王道ファンタジーの原体験というとおそらく「ロードス島戦記」になるのだろうが、アレと似たような、「それほど大きくもない社会の中を旅して、各地でミッションをこなすとパーティーレベルが上がるよ」という設定が、すごく見やすかったんじゃないかと思う。また、少女漫画的要素はヨナを中心とした男連中の逆ハーレム状態から得られるわけだが、ここでの恋愛要素が少女漫画にありがちな押しつけがましいコッテコテの「女に都合がいい」目線ではなく、基本的には「主従」の関係を守りながら、ハクが中心的ポジションとして少しずつヨナとの関係を深め、残りの取り巻きはそこにちょっかいを出さず、あくまで主君の幸せを見守ってくれている、という穏やかな関係がとても優しい。そりゃまぁ、ドロドロと取ったり取られたりの恋愛ドラマもそれぞれに楽しさはあるが、ヨナの場合、生い立ちで既に苦労していて道中全てが試練なのだから、男女関係くらいは穏当に育んでほしいのが親心なのである。 そう、結局このアニメの中心を定めるとするなら、ヨナという1人の少女の人間性に帰結する。彼女が四龍を従えるに足る主君であり、その上で一人の女性として魅力的であることによって、この珍道中が説得力を持ち、その成長が達成感を提供してくれる。1話の時点で既に「千和礼賛」の一環としてヨナを褒めていた気もするが、現在は別にキャストありきではなく、普通にドラマの中で「ヨナはいい女だよ」と思う事が出来る。まー、ぶっちゃけ困った時には「王家パワー!」とばかりに主人公補正が働くのだからずるいといえばずるいのだが、物語の主人公ってのはそれで良いのである。きちんと彼女の人間性が真正直でカリスマ性を備えていることは台詞や設定以外からも伝わってくるし、彼女は信頼を得るに足るだけの努力をし、態度で示しているのだ。そこに群がってくる男共にご都合主義を感じることもない。ありきたりな「お姫様のお話」としてテンプレ的に処理するのではなく、「幼なじみであり、憧れの対象であった男に国を簒奪された」という彼女なりの煩悶がきちんと人間形成を豊かにしており、ラスト前でスウォンと再会した時の複雑な感情などは、無茶なシチュエーションなのになんだかストンと腑に落ちる説得力がある。ハクとの信頼関係は動かず、父親の仇としてスウォンを恨まないといえば嘘になるが、彼女は「国がそうなってしまった理由」を自己の内省から追い求め、ふがいない自分を客観的に見て、現状を受け入れているのである。ここまで「聡明な」女性主人公キャラって、なんだか久しぶりに見た気がする。こういう真正直で魅力的なヒロインって、なかなか男向けの漫画や小説では出てきにくいものなのかも。どうしても「相手」として描出してしまいがちになるので、個として立たせる機会が少なくなってしまうからねぇ。 そんなわけで「ヨナが立派」というのがこの作品の最大の眼目であるが、もちろん、そんなヨナに従う四龍+αだってきちんとキャラが活きている。青龍との物語はずしんと重たい中にも慈愛が感じられるし、緑龍のエピソードはいかにもファンタジー世界にありがちなミッションで綺麗にまとまっている。ラストの黄龍登場はどやねん、とは思ったが、まぁ、こればかりはアニメの尺の問題なのでしょうがないし、彼の問いかけによって「ヨナの成長経過」が非常に分かりやすく表れ、最終回の「俺たちの冒険はこれからだ!」エンドを綺麗にまとめ上げる効果もあったので、シリーズ構成はとても良かったと思う。やっぱり花とゆめアニメにはずれ無しやで。同時期に放送してる「神様はじめました」より僕はこっちが好きです(あっちも嫌いじゃないけど)。 千和以外のキャストだと……まぁ、野郎連中はいつも通りの濃さだったから何も言うまいよ。でも6人の男パーティーにしこりん、下野、皆順っていう3人が並ぶのは、ちょっと声が可愛すぎやしませんかね。あ、一番可愛いのはそりゃプッキューですよ。実はこっちの作品の方が「山本希望主演作品」だった可能性が。
「アブソリュート・デュオ」 4→3 さぁ、ラノベアニメ最終回ラッシュの時間だよ! 出会いがあれば別れもある。惜しむ別れもあれば……ホッとする別れもある。今期は怒濤の「区別がつかないラノベラッシュ」があったわけで、当然「区別がつかないラノベ最終回ラッシュ」もあるわけなのです。そんなラッシュの中で、本作はどんな位置取りになっただろうか。 一言でいうなら「残念」である。個人的には視聴モチベーションは完全に「ヤーちゃん役ののじょさん頑張れ」だったんだけど、あの子あんまりしゃべらないからなぁ……結局ハーレムアニメになるから、正妻ポジションのインパクトもそこまで強くないし。そもそも「デュオ」っていうシステムのおかげでどこをどういじってもユリエが不動のパートナーであることは疑いようもなく、他のハーレムラノベみたいに恋のさや当てで物語が膨らまないんだよね。そりゃま、途中で告白して振られたヒロインの1人がヤンデレ化するなんて事件もあったけども、元々主人公にそこまでやる義理もないし、ヤンデレ状態もそんなに大事件にいたらずに収束しちゃうし。もう少しみやびちゃんたちの百合関係が強く出ればラストの達成感も違ったのだろうが、基本的なシナリオ回しは中の下である。 そして、そんな中の下ポジションを更に下げるのは、何と言っても作画のショボさ。特徴的なオープニング映像なんかで期待を呼んだ部分もあるにはあるのだが、それが作中のクオリティには繋がっていない。1話時点で「なんか作画のディティールが適当過ぎないか?」って思ってた部分がモロに悪い方に進んでしまい、櫻井が引き連れる謎のパワードスーツ軍団とかシュールなレベルで世界に溶け込まないCGモデルの量産機がギャグにしかみえなかったし、顔だけ出てる状態の雑コラ感、それが手描きパートとバトルするときのカクカクした救いようの無いモーションなど、「CGが売りだったはずのエイトビットがこんなもん作るなんて」というショックが大きかった。エロパートで巻き返そうという意気込みはあったのかもしれないが、もう、そんなもんは求めてないのよ。このアニメだけで見られるセールスポイントってなんだったんだ、って話。強いて良かった点を上げるなら…………なんか円卓会議みたいなお偉方の集まりがあったときのキャストクレジットが笑える、っていうことぐらいかな。こういう世界の二つ名って、お互いが考えてつけてあげる文化なんでしょうかね。怖いわ。 中の人については、まぁ、のじょさんは頑張った。「山本希望主演作品」っていう看板があればこそ、最後まで視聴が継続出来た部分は大きい。あと「先生役」という年相応の部分でやまなこの2人が楽しそうにしてたのはほっこりする。エイトビット製作アニメだと田村ゆかりが謎ウサギにならなきゃいけない決まりでもあるんでしょうかね。
「四月は君の嘘」 6→8 今期最終回ラッシュはこの作品からスタートだが、スタートからどえらい作品ですよ。そりゃもう、滂沱の涙ですよ。こんだけわんわん泣かされた最終回も久しぶり。視聴後しばらくは空っぽの状態で放心しておりました。 何から何まで完璧な作品。本当に非の打ち所がないので、いったいどこから評していいのか困ってしまうくらいである。途中までは出来うる限り感想を書いていたので、各話の良さについてはそちらをあたってもらった方が早いだろう。最終回でのまとめということで1つずつ要素を見ていくと、とにかく王道中の王道であるドラマを、一切の衒い無く、真正面から描ききったことが最大の見どころなのではなかろうか。中学生男女のほのかな恋愛に始まり、主人公の克己、成長物語。そこに音楽という戦いの場で戦い続ける若者たちの姿も加わり、最終的には人の生と死という永遠不変のテーマでもって締めくくる。あらすじだけを見れば、まるでお話作りのハウツー本にでも載っているんじゃないかと思えるくらいに直球ばかりのシナリオラインである。しかし、王道が王道であることには理由があるわけで。様々なテーマを描き、それを人の心に訴えかけるのに最も先鋭化した形が王道である。ラブロマンスも、スポ根も、人生ドラマもギャグでさえも、全てがきちんと一本の芯に収まり、真っ直ぐに引き立て合う方向に伸びていく筋運びは、22話という限られた話数の中に一切の無駄を作らず、見事に伝えるべき事を伝えきった。 そして、今作で白眉なのはそのメインモチーフに「音楽」が採用されているというところである。普段我々はアニメを「見て」いる。アニメというのは画があり、声があり、動きがあり、音があって成り立っているものだが、どうしてもその中で視覚情報というものに重きを置きやすい。これは人間として当たり前の傾向であるが、今作は、そんな視覚的な情報と聴覚情報、つまり音を、同時多元的に伝えることに重きを置いている。普段ならば脇役になりがちな「音楽」を、舞台の中心にまで引っ張りあげ、それをドラマ作りのツールとして最大限に活用して見せた。もちろん「音楽をテーマとしたアニメ」は過去にもたくさんあるし、特に昨今は演奏シーン、ライブに力を入れる作劇は中心的な位置にあるが、今作のように「ドラマの筋立ての中に音楽が食い込み、物語全体を音楽が有機的に形作っていく」スタイルというのはなかなか出来るものではない。有馬公生という主人公の人生そのものが「演奏」に還元されていき、彼の生き様に影響を与えた2人の女性、有馬早希と宮園かをりという人物も、「演奏」で彼の人生を動かし続ける。こうして「音」が「生き様」になり、「音楽」が「ドラマ」になる。当然作画面での方向性もこの「音のドラマ化」に寄与する形になり、総合芸術としてのアニメーションとして完成を見る。ここまでの完成形を見出しただけでも、今作のスタッフは素晴らしい仕事をしたのだと断言出来る。イシグロキョウヘイ氏は素晴らしい演出家であったが、今作で改めて堂々たる実績を刻む事が出来た。今後の活躍にも期待したい。 細かい部分を見ていけばきりが無いが、既に過去の感想で有馬早季の人生についてはある程度書けたと思うので、やはり最終回で言及されるべきは宮園かをりの人生であろう。彼女が残したものは、見方によってはひどく中途半端であるし、エゴイスティックなものにも映るかもしれない。彼女は結局公生との約束を守れず、ただでさえ傷ついた彼の人生に救いを与えるどころか、大きな傷跡を残したと言っても良い。ただし、それは公生を中心として見た場合の都合であって、彼女の人生において、これ以上に振り切った結末というのはあり得ない。彼女は自らの人生を最高の形で彩るための努力をし、自分の証を全力でこの世界に残すために生きた。それは公生にとっても力になるものであり、公生が彼女を背負って、演奏家としての道を歩み切りひらかれることで、2人の人生は揃って完成する。形こそ違えど、公生の中に自分の生の全てを注ぎ込んだ有馬早季と宮園かをりは、実に似通った選択をしたわけだ。もちろん、その根底に愛情が根付いていることはいうまでもなく、それは公生を傷つける目的ではなく、彼の人生を華やかにし、完成させるための慈愛である。だからこそ公生は、これからの人生も顔を伏せずに生きていくことが出来るのだろう。「四月は君の嘘」というタイトルもきっちり回収し、宮園かをりは、我々視聴者の中にも確実な生の証を残して去っていった。これ以上のものを、どうして望めるというのだろう。 残された者の物語は続いていく。個人的にはやっぱり椿の物語が気になるところではあるが、どうやら最終回を見る限りでは大丈夫な様子。彼女がはっきりと告白宣言をした場所は、やっぱりあの電車道なんだよね。これまでずっと抱えてきた「三角関係」だったはずなのに、なんだか希望が持てる終わり方になっているのは実にありがたい。あ、渡を入れれば四角関係でもあるのだが……まぁ、彼は強い子だからさ……。最終回の凪ちゃんが阿漕なくらいに可愛いのはちょっとずるいと思いました。茅野魔性。 というわけで最後はやっぱり中の人の話。中の人の話をしようとすると君嘘ラジオがよぎってきて色々と迷惑なわけだが……種ちゃんが楽しそうにしているのは聞いてて元気が出るので大変よろしい。アゲイン。また新しい種田ヒストリーが刻まれてしまう。アゲイン。そして、そんなメインヒロインを押さえ込む活躍を見せた佐倉綾音。あやねるはやっぱりいい役者に育っている。こういう彩りの多い現場でもっともっと磨き上げてほしいもんだ。そして花江・逢坂の男連中。花江君はこういう役で本当に輝くからすごい。あと幼少期で別キャスト立てなくていいからちょっとだけお得。ひょっとして梶君が人気あるのってそういうニーズもあるのかしら? そして早見、茅野、水瀬、園崎……いい現場でしたなぁ。ノイタミナはこういう作品が作れるというだけでも価値ある存在だと思います。枠が減ってしまうのはちょいと残念ね。 「ハピネスチャージプリキュア!」 5→4 今年も1年、無事に終わりましたね。ひとまずお疲れ様でした。私もこうしてプリキュアを1年間見続けられることは変わらずに……というわけでもないんだ。ちょっとだけ変わった。回りに、「あからさまに熱心なプリキュア視聴者」がいることが分かったのだ。成人式を終えた大の大人が、集まるたびに熱心にプリキュアについて議論しているという世も末な場面を、やたらと見ることになった。正直いうと横目でながら見することの多い私は、「嗚呼、ここまでプリキュアに本気になっていなかったのだなぁ」と反省……はしないけど、もう少し正面から向き合って真面目に視聴していれば、プリキュアシリーズからはもっともっと得るものがあるのかもしれないなぁ、と少し考えた次第である。 でもまぁ、今作はやっぱり「ながら見」の対象だったんだよなぁ。結局最初から最後まで、あまりのめり込むタイミングが無かったんだ。去年の「ドキプリ」はレジーナ・亜久里の加入あたりからクライマックスへ向けて充分盛り上がっていたし、その前年の「スマプリ」は中盤のクライマックスが無条件で盛り上がった。今作も、おそらく三幹部戦からクイーンミラージュ改心までの流れあたりが一番の盛り上がりだったのだろうが、どうしても個々のキャラクターの心情に入り込みづらくてね……最終戦のレッドも(動画は相変わらずのものであったが)いまいち釈然としないまま進んでしまった印象が強くて。 今作のテーマの1つに、「恋愛」が大きく取り上げられている。事前に恋愛禁止を謳って牽制するなど、様々な方向から「男女の恋仲」を取り上げた今作は、幼女向けの「愛情物語」としてはそれなりに機能していたものなのだろう。ブルーとめぐみ、誠司とめぐみ、そしてひめとの関係性に、ブルーとミラージュの間柄まで、色々と本気で愛憎劇が描かれており、恋に恋する小さな女の子の好奇心を刺激するには充分なものだったのだろう。ただ、やっぱり大きなお友達が見るにはどうにも不条理なものである。世のプリキュアファンの憎しみを一身に請け負っていたのはブルーであるようだが、確かに奴の振るまいはどこか軽薄なようにも見えるし、「最初からお前が全部説明しとけば良かっただけなんちゃうんか」と思えるような、なんとも半端な立ち位置。そこにめぐみが惚れるには何かが足りないし、ミラージュとの関係、レッドとの関係も全部「やっぱお前が悪いんちゃうんか」という疑念がいちいちひっかかる。恋愛がそれぞれのキャラクターの行動原理として機能していれば見やすくなった上でドラマに幅が出来るのだが、今作の場合、ブルーを中心とした構図があまり綺麗にまとまらず、結果的に回りのキャラにまでとばっちりが及んだ形になったのではなかろうか。 また、最終戦ではとにかくラブリーが単体で戦うことになってしまったクライマックスの構成が勿体なかった気もする。「恋愛」がテーマとなると、最終的にはそうした思慕を持った人間が一人で頑張る展開にならざるを得ず、ゆうこやいおなにはなかなか出番を与えにくい。ひめに至っては、途中で無理矢理恋愛沙汰にも乱入してきたものだが、結局最初に与えられたキャラが足を引っ張り、真面目に恋愛をさせてもらえなかった。そうなると、最終的にめぐみ一人に全てを任せるしかないのである。去年の「ドキプリ」におけるマナも「最強の単体プリキュア」ではあったが、あちらは仲間の信頼を一身に集めたチート兵器であり、めぐみのような「最終的に自分の目的だけが残った」ヒロインとは違うのである。せめてひめだけでも最後まで物語に絡めるようになっていれば印象も違ってきたのだろうが……。 やりたかったコンセプトは分かるのだが、1年間の大きな流れを考えると、ちょっと処理を誤ったんじゃないかな、というのが最終的な感想である。個人的に、せっかくの長峯作品なのにギャグメイカーとしてのひめが途中からあまり機能せず、むしろゆうゆうとかいおなあたりの天然の方に萌え成分を全部持っていかれていたのが気になったんだよなぁ。最初から最後まで一貫してチームを引っ張り続けたえりかとはだいぶ存在感が違うからなぁ。個人的には、「何故プリキュアの黄色ってのは不人気っぽく見えるのに結果的にここまで強大なキャラになるのだ」と戦慄しっぱなしのゆうゆう推し。最初は「なんやねんこの食欲の化け物は」と思っていたものだが、気付けば彼女の使うご飯殺法が一番の楽しみになっていた。やっぱり飯を美味そうに食う女の子は正義やね。何が起こっても少しも動じない器の大きさも大したもの。そんなゆうゆうにすっかりお株を奪われてしまったが、一人で悲劇を抱え込んでいる風だったいおなさんも決して悪いキャラじゃない。キュアテンダーも最後にきっちり活躍してくれてたし、氷川家のキャラは割と恵まれていた気もする。一番好きなキャラは誰かと聞かれたら……うん、やっぱりオレスキーさんですかね。 「恋愛テーマ」とか「世界中にプリキュアだらけ」とか、色々といじれそうな要素が多かった本作だが、なかなかそれをまとめきるのは難しいね。まぁ、我々おっさんどもが何を思おうが、本当のお客さんである幼女が満足してくれればそれでいいんだけど。幼女目線だと「突然歌い始めるイノセントフォーム」って憧れるものなのだろうか。やっぱりあれ、どう考えても流れをぶった切るノイズだったような気がするのだが……。あ、フォーエバーラブリーのデザインは好きです。やっぱりプリキュアはバトルを優先してほしいから、イノセントよりも戦いやすいデザインを優先したいよなぁ。 結論・やっぱり大体ブルーのせい。 「甘城ブリリアントパーク」 5→5 ようやく今期の番組感想も最後の1つになりました。今期は中間期なので27本とそれなりの数(そういや結局蟲師は書いてないけどまぁいいや)。終わったからと言って休む暇など与えられない。第2第3の新番組が……無限ループって怖くね? さておき、個人的には「やもめで子供の養育費に頭を悩ませてるような役にうりょ子をキャスティングしてやるなよ」っていうのがずっと気になっていたっていう印象の作品。さらに今期のうりょ子は「自分が女性という性を持つことに抵抗があって恋愛に臆病になった」役も担当していたという(コックリさん)。声優ってどんな役でも出来るからいいよね! 戯れ言はさておき、色々と惜しい作品だったという気がする。基本的に京アニシンパなので、京アニデザイン、京アニモーションで動くだけでも割と楽しい作品になる。今作はテーマが「テーマパーク」であり、賑々しくも大仰な京アニのカラーとマッチしており、様々な部分から「華やかさ」を打ち出す画面は相変わらず見事なものだ。「ファンタジーの皮を被った現実の権化」というネタの仕込みも充分であり、メイン3キャストのどす黒さ・下衆さや襲い来る幼稚園児達の悪鬼羅刹のごとき形相など、単に綺麗で可愛いというだけに終わらないネタ振りもお手の物。その上で可愛いキャラはきちんと可愛く、緩急もついて描かれているのだから、総じて見ればやはり「流石京アニ」と持ち上げるのに抵抗はない。 ただ、そうした綺麗に出そろった道具立てによって描かれたメインシナリオが、どうしても役者不足である。「境界の彼方」の時もそうだったのだが、「他では見られない映像」でもって盛り立ててくれる中でも、「別に見なくてもいい話」をされてしまうとやはりモチベーションは下がる。今作の場合は原作にどの程度ウェイトが置かれていたのか定かでないが、「ファンタジーの振りをした下衆の集まり」というパークの設定の時点で既に出落ちになってしまった感がある。マカロン、ティラミーといった個々のキャラクターを紹介するところまでは楽しめるのだが、そのキャラたちがよってたかって、いざ1つの物語を作ろうとすると、なんだか1つ1つの脚本が適当になる。西也がひねくれ者のキャストたちと心通わせるまでのお話、パーク内の封印されたアトラクションを探索に行く話、異世界とゲートが通じて本当の修羅場を客にアトラクションだと思わせる話、エレメンタリオの4人がそれぞれ罰ゲーム大会に挑む話、下衆い秘密道具を持ち出してエロネタに走る話。どれもこれも、「この初期設定があるなら、とりあえずこういうお話で一本シナリオが作れるよね」と思いつくまっとうなもので、1つのショートストーリーとしてきちんとまとめてはいるのだろうが、個々のシナリオが楽しいかと言われても、そうでもない。何ともベタだし、整合性にこだわっているようにも見えない。そして最終的に帰結するはずの「パークの経営を救う」という物語に大したカタルシスがない。おそらく、個々のサブエピソードが単体で散らばっているだけで、有機的に結びつくような構造になっていないためだ。これだけ色々と「面白そうな要素」が転がっていたのだから、もうワンランク上の内容になってもおかしくなかったと思うのだが……どうにも腑に落ちないものになってしまった。まぁ、京アニ文化に慣れてしまったせいで起こっている贅沢病なのかもしれないが……個人的には、きちんとメインの部分で見せてくれた分だけ「Free!」の方が好きだったかなぁ。 ま、キャスト面は充分楽しめたからいいんですけどね。モッフル、マカロン、ティラミーの3強は外見や声とのギャップでの売り込みは素直に面白かったし。メインヒロインを努めた加隈ちゃんの意外な起用、そして藤井ちゃんの真っ直ぐな愛らしさ。こういう楽しみ方なら無問題だ。あと、「金髪褐色美人秘書」っていう新ジャンルを切りひらいてくれたことには感謝している。ビルドファイターズのベイカーちゃんの更に上を行く逸材だ。もっと彼女が輝く世界があったはずなのだがなぁ。 「ガールフレンド(仮)」 5→5 放送が終われば、そこに一切の余韻も、心残りも無しに去って行くのみの存在。それがこの「声優動物園アニメ」である。お疲れ! (以下の記事では、キャラの名前はほとんど覚えていないので全部キャスト名で表記されますが、仕様です) 特にいうこともねぇよ。毎週毎週ラジオのごとく流してるだけで楽しかったよ。今作ではメインとして絞られたキャラクターが何人かおり、しゅが美・サトリナ・かもさん・そして丹下桜といったあたりがフル回転している。その中心人物が見事にストライクゾーンを射貫いているため、聞いてるだけで本当に落ち着く世界であった。「とても共学とは思えない」でお馴染みの高校のセッティングとか、それぞれがやってる部活動とか、そんなこたぁどうでもいいんだ。そこに声優がいるんだ。しかもたくさんいるんだ。それでええやないか。「萌えアニメには中身など必要ない」というのははっきり言って暴論だし、是が非でも反論しなければならない論旨だと常々思ってはいるのだが、自分自身、こういうアニメに容易く転がってしまうとどうにも肩身が狭い。違うんだ! 中身が無い萌えアニメに満足してるんじゃないんだ! 単に声優パラダイスに満足しているだけなんだ! 最終回のアフレコ現場とかどうなってるか想像するだけで満足なんだ!(言い訳する気が無い模様) アニメの中身なぁ。そうね、これだけのヒロインが溢れかえる作品のわりには、中心軸がぶれずに案外まとまっていたんじゃなかろうか。「1話1キャラでも全く足りない」というとんでもない尺のなか、一応目先を変えて様々なヒロインを扱ってはいたものの、ベースとなるのは上記のキャラであり、そこを中心に、「今回は生徒会メイン」「今回は小説でも書いてみようか」という風に軸をずらし、そこにサブキャラとして大量の女の子を噛ませるっていう采配は悪くないバランスだったと思う。万一、個々のキャラの熱烈なファンがいた場合には「出番が少ないじゃねーか」というクレームが入る可能性もあるが、まぁ、このアニメ、このゲームって、そこまで1人のキャラに熱を上げて身を捧げるようなものでもないでしょ。何となく集合概念としてキャラを見て、そこから焦点として1キャラに定める程度のもので、たくさんの女の子がわいわいしてた方が楽しいはず。シナリオのバリエーションにしても、まっとうに新体操を頑張る話、勉強会をやろうと思って出来ない話、バンドが学園祭でドタバタする話、生徒会長マジつかえねー話、クロエさんもう少し親御さんに日本のことを正しく伝えて下さい話など、ギャグとシリアスのバランスもほどよく、特にストレスを感じることもなかった(まぁ、面白いかと言われりゃそうでもないのだが)。個人的には放送部の後輩ちゃんが頑張る話は割と好きだったわ。あとヘンテコ小説ね。あんまりキチガイ方向に振り切れてるわけではないので、後々まで記憶に残るようなものでもないんだけども。 ま、元々こんなもんだと思ってたし、そこから1ミリもずれなかったのは一安心だ。それ以外でこの作品であった収穫は大きく2つ。1,ニコ生ではじめて丹下桜の人となりを確認したら、割とマジで危険な人間だったこと。この業界の奥様方はなんでこんな危険人物が多いんだい? そして2つ目は、オープニングを早見沙織が歌ってくれていたこと。早見ソングは割と色んなところで耳にする機会があるが、ここまで甘々でどぎついテイストの曲は初めて聞いたかもしれない。……こういうのも……ありやな……。 「神撃のバハムートGENESIS」 5→6 今年最後の番組感想はこれになるのかな。まだ少しだけ最終回は残ってるけど、残念ながら関西は年またぎになってしまうようだ。地域格差とはいえ、出来ればきっちり年内に終わった方が気持ちいいんだけどなぁ。 さて「神バハ」であるが、放送前には「ソシャゲアニメって」ということで一切期待されていない枠だったにもかかわらず、巷の下馬評を打ち破って随分な話題作へと転換することに成功した。こうした展開が可能だったのには大きく2つの理由があり、1つはやっぱり「金」であろう。ソシャゲマネーは一昔前で言えばアニメ業界に流れ込んできたパチンコマネーのようなもの。「アクエリオンEVOL」がパチンコマネーでブンブンやりたいことをやれたように、現代の錬金術の筆頭であるソシャゲの収益は、その販促アニメのクオリティアップにも大きな役割を果たした。 ぶっちゃけ、今作の骨子となるシナリオラインは、恐ろしいまでにベタなファンタジーである。途中、神と悪魔の思惑が交差してややこしい関係性になったり、主人公が悪魔になった駄目男だったり、色々といじれる部分は多いものの、最終的には「どでかいバハムートを人間が倒す」というお話であり、そこに悪魔の思惑が絡み、騎士達、民衆達が頑張る明快な「英雄譚」だ。つまり、そこに意外な展開や目を見張るような斬新なドラマは求められない。ぶっちゃけ、総集編をやるあたりの途中の展開は退屈な部分も少なからずあり、悪く言えば「飽きられやすい」構造になっていた気がする。リタ編あたりの「何が起こるか分からん」盛り上がり方は見事だったけど、お城についてからのアレコレは大体物語の全体像が見えちゃったので、あとはお約束を順番に処理していくだけだったしね。ただ、それでも全力で資金を注ぎ、気合いの入ったCGワークでもって大立ち回りのバトルシーンを描いてもらえれば、それだけでもアニメーションというのは充分存在意義があるのである。 そして、そんな大立ち回りの文字通りの立役者となった2つ目の要因は、やはり監督のさとうけいいちということになるのではなかろうか。彼の作品の「サイズ感」については新番チェックの時にも触れた部分であるが、最後に現れた巨竜・バハムートの対決に至るまで、きっちりその魅力は維持されており、「でかい敵、でかい障害、でかい世界に立ち向かう矮小な主人公達」の活躍が実に活き活きと見せられる。天使や悪魔の存在もサイズを引き立たせる効果を持ち、野放図に飛び回る天使悪魔バトル、それに立ち向かうジャンヌの勇姿、そして必死に地べたを走り回るファバロたちのせせこましさも、ちゃんと作品の魅力として際だっていた。こういう世界を作れるのは純粋に強みだよなぁ。どうやら「I’ll BE BACK」らしいので、人気のシリーズとなればひょっとしたら次のシリーズもあるやもしれませんな。世界規模の災厄が解決したと言っても、バハムートはまたどこから現れるか分からないし、今回はたまたまファバロとカイザルの物語だったけど、他の場所では同じような冒険譚がいくらでも紡げそうだし。まー、この2人(+リタ、アーミラ)はかなり良いキャラだったので、なかなかこの世界観を超える続編は難しそうだけども。あ、あと個人的にジャンヌの悪堕ちは好きです。単純にヒロインの悪堕ち展開が好きなだけなんだけどね。「黒いものはより黒く、清いものすら黒く黒く染める」(by東金朔夜)ですよ。 中の人については、まぁ、「シュテルンビルドの皆様だなぁ」と。スカイハイさんが主人公になって、虎徹やバーナビーと戦うという、一種の下克上アニメ。ネイサンも良いキャラしてたよ。またこういうキャストでさとう監督が新作やってくれるといいね。 |
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