最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「凪のあすから」 6→8 一言でいうと「完璧」。これが作り出せるというだけでも、まだまだ日本のアニメ業界は頑張っていける希望が持てる。 1つの結末に向かって恐ろしく端正に積み上げられた2クール。普段は最終評価をまとめるときに「シナリオがどうこう」「映像がどうこう」(あとキャストがどうこう)という話を色々とするわけだが、今作においては、どれもが期待以上のものであり、全ての完成度がピカイチである。アニメオリジナルでよくここまで統制の取れた製作が可能になり、その企画が通ったものだと感心する。本当に毎度のことで申し訳ないが、やはりP.A.Worksというのは恐ろしいスタジオだ。この路線のアニメ開拓がもっと広く浸透すれば、アニメは単なる焼き直しの販促メディアでなく、新たな表現の形式を求めたオリジナルな媒体として堂々と機能できるようになると思うのだが。 蛇足とは知りつつ今作の見どころを確認すると、まず「シナリオが云々」は岡田麿里のイマジネーションに感服するところから始まる。よく彼女の得意ジャンルとして「ドロドロした男女関係」とか、「女の情念」みたいなものが取り沙汰されることがあるが(まぁ、それも一面の真実ではあるが)、彼女の脚本の見事なところは、そうした「どろどろ」というのを徹底的に内面的な正当性の下で作り出していく手順と、それをマンネリ化させずに、次々に新しい形で提供して新鮮な衝撃を与えてくれることにある。突き詰めればラブストーリーなんてものは究極のマンネリズムであり、何をやったって「くっついた」「別れた」の2択しかないシナリオ分岐。どれだけ趣向を凝らしたところでそこに変わりはないはず。しかし、人類は長い歴史の中で、ずっとずっとそれを再生産し続けるくらいに「ラブロマンス」が好きなのである。その本能的な欲求を満たすべく、岡田麿里は常に妥協せずに「新しいマンネリ」を模索し続けている。今作の場合、発想のとっかかりは「浦島太郎」だという。まずその時点で「どないやねん」とは思うが、このアイディアを、ここまで巧緻なシナリオに組み上げることは容易ではない。 シナリオを大きく分けた時、お船引前の「第一部」では「海と陸」という分かりやすいロミジュリ設定で恋愛感情を隔てる。単純な惚れた腫れたに障害が挟まるだけで物語として成立するわけだが、今作における起点は「海と陸の文化差」からだった。普通、「海の中にすむ人類」なんて設定からスタートしたらその説明と世界設定だけで「語り」が終わってしまいそうなところだが、そこを上手く「察することが出来る」世界に組み上げ、たっぷりと「陸に上がる汐鹿生の気持ち」でドラマとして盛り上げる。この第一部だけでもお腹いっぱいになるくらいにドラマがてんこ盛りになっており、「どれだけジェットコースターで進むんだ」と毎回ハラハラさせられたものである。しかし、それだけで終わらないのが今作の白眉なところであり、続く後半戦の「第二部」においては、今度は冬眠を挟んだ「時間による隔たり」で更に物語が広がりを持つ。この第一部の「海と陸」、そして第二部の「今と昔」という2つの軸がそれぞれに影響し合いながら互いの気持ちを作り上げていく行程があまりにも巧みで、2部に入って以降、「第一部のあのときのシーンはこのために用意されていたのか!」といちいちうならされることになる。要素に分解していけばそれら全ては「恋愛ドラマのいろは」であるのだが、それが何層にも折り重なり、全てがキャラクターの気持ちとして収束していく。そのドラマ作りがあまりにも精妙で、1話たりとも無駄がないのである。たまに「2期目から面白くなったな」なんて意見を見かける時があるが、改めて1期目から組み上げられた全体像を見れば、第一部の恐ろしさが分かるだろう。 そして、そんなシナリオ面での偉業を支え、新たな次元に突き進ませることが出来たのは、なんといっても映像面を作り上げたアニメスタッフの底力である。1話から嘆息していたこの世界の「形」が本当に素晴らしい。ある意味あり得ないほどに無責任な岡田麿里の「思いつき」が、どこまで真に迫って映像になるか、というところが今作の成否を分ける分岐点だったと思うのだが、そんなところでP.A.Worksに心配は無用だった。あり得ないはずの汐鹿生の景色、そしてそれを受け入れながらも異界として捉える地上の風景。どれもこれもがこの世界を当然のものとして提供する力を持ちながら、極上のファンタジーとして広がりを与えている。このビジュアルが作れるのは、生産過多のアニメ業界においても、P.A.だけではないだろうか。もちろん、熟練のスタッフによる「ドラマ作り」の妙も大きなポイントであり、キャラクター1人1人の細かい仕草、与えられたシチュエーションの細部に至るまで、全てが「ドラマのための」道具立てとして効果的に機能する。これこそが真骨頂。「true tears」の濃密なドラマ、凄絶な青に幕を開けたスタジオが産みだした、1つの集大成といえるのではなかろうか。 更なる蛇足でキャストの話は……いいかな。感情面でのドラマ作りで最も活躍したのは、ちさき役・茅野愛衣と、美海役・小松未可子だろう。もちろん他の面々についても文句の出ようはない。最終話で明かされたお女子様のキャストがはやみんだったのはやっぱりP.A.的にはゆずれない部分だったか。もう1つの看板である能登麻美子を先に使ってしまったからしょうがない。あと彩陽を置いてくれれば完璧だったのだがね。 PR 「鬼灯の冷徹」 6→5 いや、楽しかったですよ。おそらく期待されたものは100%出されていたと思うし、一切まずかった部分は無い。ただ、当初期待してたよりはギャグの密度が薄かった気がしてね。 まー、そもそも当初何を期待したたんだよ、って話なんだけども。1話は「地獄案内ギャグ」っていうジャンルがあまりに新機軸過ぎて、色々と妄想が膨らみ過ぎたんだよね。流石にそこまで無茶苦茶なものが毎回毎回飛び出して来るわけではなく、3話くらいで空気は落ち着き、後はゆるゆると「地獄日常系漫画」として毎週ゆっくりしてた。ヘンに所帯じみてる連中ばかりだから、あんまりドラマティックな展開は無いんだよ。あくまで少しずつ蘊蓄を交えて地獄文化史に詳しくなるついでに適度な笑いが提供されるくらい。突っ込み役が凡人代表の桃太郎とかだったことを見れば、そこまでえげつないことが求められていたわけじゃないことは分かるだろうよ。そういう意味で、「そこまで激しくない」。どっちかっていうと細かい台詞回しの芸。 映像のクオリティは終始安定していたし、背景との絡みや、ふざけた時のタッチの変化なんかは心得たもの。ちょっと油断すると「地獄日常」という特異性を忘れて単なる「日常」になってしまいそうなんだけども、要所要所で特徴的なビジュアルを見せてくれるので「そういえば地獄だった」と思い出すことになる。そして個々のキャラの個性は絵柄の段階であらわれていて、シロさんなんかは単純に可愛いのに、キモい連中は容赦無くキモい。1つの画面に色々と違う次元の存在が見え隠れする賑やかさは、静かな画面でもじっくりビジュアルが楽しめる要因だったろう。まぁ、牛頭馬頭コンビとかをじっくりゆっくり鑑賞したいかと言われると微妙なんだけどさ。 結局「予想以上に日常アニメに近いノリだった」っていうよく分からない結論。どぎつい地獄ギャグが見たいなら「アザゼルさん」を見ればいい(地獄だけじゃないけど、現世の方がよっぽど地獄)。こっちのアニメを見る目的は、どこかズレた上手いこといいのギャグをじわっと楽しみつつ、独特な「異界」ビジュアルを眺めること。そういう目的意識がしっかり持てれば文句は出ないだろう。もちろん、原作は割とあるみたいだから、このままのテンションで2期目をやってもらって構わないんだぜ。 中の人的にはとりあえず「安元お疲れ」だが、実は中心人物やってたのって遊佐さんの方じゃねぇかって気もするな。あと、シロ。結局今作で一番可愛い声って小林由美子だった気がする。あ、茄子役の青山桐子も良かった。オープニングの聞きどころは、なんかちょいちょい聞こえてくる閻魔大王だったり。 「犬猫アワー」 ー→5 基本的にショートアニメは感想書かないことにしてたんだけど、一応ね。合計で10分以上あるし。 「47都道府犬」については毎週書いていた通りの印象。旧作への愛情が強すぎるために完全にリビルドされた新版はやっぱり抵抗感もあったが、別物として考えればそれなりに可愛らしいキャラだったし、CGで描かれたキモ可愛らしいキャラクターたちは独自の味わいがあった。旧作の持ち味だった「やるかやられるかの緊張感」は無くなってしまったものの、キャストを一新して「可愛い」方に全力で寄せた作品作りは、また新しい「都道府犬の可能性」としてあらわれた。冷静に考えれば「ご当地キャラ」としてはこっちの方が正しいもんな。あの引きこもりのめんたいこの化身が福岡のご当地キャラだって言われてもいやがる人だっているだろうしさ。そういう「一回リセットした」視点で見られれば、今作は主人公(?)の群馬の可愛らしさを筆頭に、レギュラー陣は本当にいい具合に「可愛く」出来ていた。まぁ、群馬を抜き去って沖縄がピカイチになるのは予想外だったかもしれないが。鷲崎健をして「今期一番可愛いキャラ」と言わせた実力は伊達ではない。おそるべし、儀武ゆう子。 まー、そうは言ってもやっぱり旧作ファンからしたら物足りないことは間違いないんだけどね。奴らはこの1/5の時間で10倍のインパクトをたたき込んでいったぞ。瞬発力で勝負出来てこその都道府犬やろうが。今後の展開では、当然新旧両世代での復活を切に望むぞ。我々は、まだ名古屋の本気を見てはいない! で、本当ならここで話は終わりなのだが……何故だろう、「にゃ〜めん」も割と普通に見てたんだよな。いや、外面が全部同じに見えるから結局最後まであんまり区別出来てないんだけど、途中からコンセプトが理解出来るようになって、割と楽しい謎番組になっていたよ。しょうゆちゃんが可愛い。あとにぼし。まぁ、最後まで意味が分からないまんまだったのは間違いないけど、もしこの番組が帰ってくるなら、「犬」と「猫」はセットのままでも別にいいかな。あ、でもそうすると「アレ」と「かに」も一緒に帰ってくるな……かにえ、最後まで制作側と和解できなかったな……次期があるとして、番組に起用されるかどうか微妙だよな。 「生徒会役員共*」 5→5 特に! 変化は! ありません!! いや、正確には1期に比べると色々とふざける度合いが増しているようには思う。間に挟まってるはずのOADとかがどんな状態だったのかは知らないけど、1期よりもいっそう1話の中に入れ込むネタの数が増えて細切れになっているし、スルタカをはじめとした訳の分からん小ネタの連発でカオス風味は更に増した。おそらく1期で「許された」ことで遠慮がなくなったことが1つと、シリーズを続けることでキャラも増え、やれることが広がったのが原因だろう。もちろん、そうでなくとも「スズヘット」の謎のクオリティアップとか、無駄なところで「1期よりも何かを増やそう」という意気込みが感じられる。 まぁ、そこまでやったから何かが劇的に変わるかと言われると、決してそんなこたぁ無いわけだが……元々原作があれだけ延々代わり映えのないことをする作品なのだから、アニメはこれで充分なんだろう。これで劇的な変化があったらかえって驚くわな。良かったところを微妙にパワーアップさせて、ただ1点のニーズに応える作品を作り上げる。それでいいじゃない。 2期は作品世界が更に外に開かれるようになり、特にうおみーの活躍が顕著になった。これは中の人ファン的には嬉しいサービスだったし、その他謎のキャスト起用である平野文など、中の人成分の刺激は更に増した。ラジオもフル回転で留まることを知らないし、この先もずっとこいつらはこの世界で幸せに過ごすんだろう、と思えば下ネタを飛び越えて温かいものを感じるじゃないですか。ん? 感じませんか? まぁ、そういう人もいるわな……。 あと、全身全霊でもってファンであることには違いないが、しゅが美のあの歌は微妙だと思ってる派。んー、なんか高音が落ち着かなくない? けいおんでの律ちゃんキャラソンとか「氷菓」の時は声質もあってて良いと思ったんだけども……何が違うんだろね。 「サムライフラメンコ」 6→6 一言で言うと「問題作」。今のアニメ業界は色んな意味で「問題」がありますが……この作品は一体どう扱うべきなのか。 各話の感想は毎週書いてきたのでここは総括しなきゃいけないはずなんだけど、現時点でも自分の中でこの作品をどのように位置づけていいかよく分からないでいる。何故かというと、なんかやたらと愛着があるので、いいところを取り出しても単なるえこひいきになりゃしないかと心配だからだ。いや、どうせ他の感想だって全部「好み」と言ってしまえばそれまでだけど……一応極力客観的視点を導入しようとは努力してるわけで。ただ、今作の場合は「客観的に見て何が楽しかったのか」が見いだしにくいのである。感想として一番身も蓋もない書き方をするなら、「俺は大好きだけどな!」 難しくなっている問題点を2つに分けて書いていくと、一番大きいのは当然シナリオについて。倉田英之によるシリーズ構成ははっきり言って「やりたい放題」であり、「ヒーローもの」というラベルから出てきた思いつきをとにかく詰め込んで、前後の脈絡や整合性を犠牲にしながらどんどん流していった。そんな印象を受ける。全体を通してみると不思議と筋が通って全体像がまとまっているようにも見えるのだが、まず、それが本当にまとまっているのかすら怪しい。少なくとも、最終盤では様々な要素が考察対象となっており、これ即ち「投げっぱなし」ではあるのだ。「あんなめちゃくちゃなシナリオの作品、何が良いのだ」と問われれば、その答えは「お説ごもっとも」しかない。事実私は丸投げ代表である「魔法戦争」を酷評している。ただ、「お説ごもっとも」と平伏しておきながら、その上で「でも楽しかったろ?」と開き直りたい自分がいる。この脚本は、突っ込みどころが多すぎるし、とっ散らかってるのは間違いないのだが、少なくとも「予測不能の展開」だったのは間違いないし、考えを突き詰めていけば、ひょっとしたら答えがあるかもしれないという期待感がある。何か好奇心を刺激するものがある。それがヒーローもののエッセンスではないだろう、ということは分かるのだが、現時点では「放っておけない何か」としか言いようがない。おそらく倉田さんに聞いたところでこれ以上はあんまり教えてもくれないだろう。「作品を観ればいいじゃない」と言われておしまいだ。そういうものに、まず引かれるか引かれないかというのが大きな「問題点」。 そして、こちらはどうにもフォローは出来ないのだが、ぶっちゃけ、あんまりアニメとしての質が良くなかったのである。個人的には「大森監督の新作だ! ひゃっほう!」と浮かれるだけ浮かれていたわけだが、まさかディーンやブレインズベースでなくマングローブになったことで、「作画の致命的な崩壊」というとんでもない事態に見舞われるとは思ってもみなかった。まぁ、作画があかんのはスタッフを揃えきれなかった制作側に問題があるわけで、監督責任では無いのだから気にしなくても良いのだが……せっかくの大森作品、出来れば万全の状態で見せて欲しかったよなぁ。監督の真骨頂である音響面では、まだまだ若手の増田君とかがすごい良い仕事をしていただけに、それに見合った画を用意出来れば、この作品の求心力はもっともっと高まったと思うのだが。何となく感想とかをチラ見してると(ギロチンゴリラによる峻別は置いとくとして)フラメンジャー編あたりが一番評価の分かれた部分のように思えるのだが、あのあたりが正直一番作画の辛い時期だった。フラメンジャー、フラメンロボが、それこそサンライズばりのスペシャルな動画で動いてたら、この作品はどうなっていただろう。……いや、あのチープさだったからギャグとして引き立った部分もあるかもしれないが……え? ひょっとしてそこまで狙ってたわけではないよね。 まぁいいや。とにかく「シナリオがチャレンジャー」「作画が残念ジャー」という2つのポイントから、この作品はなかなか客観的に太鼓判を押しにくいのである。その上で私が好きだった理由については……各回の感想などから類推して下さい。このテンションはたまらなく好きですよ。大風呂敷を広げるだけ広げた設定も魅力的だし、ちょいちょいぶっ込まれるメタレベルの高い救いようの無いネタもこの作品のオリジナル。未だかつて「世界なんて征服してどうすんねん、管理が大変やろが」なんて言ってきた悪の親玉いないもんな。そりゃ確かにみんな思うけども。 ひとまず、この無理難題に最後まで挑み続け、きちんと結果を残した大森監督、倉田氏の両名にはお疲れ様を。あとは主演の増田俊樹、相方としてインパクト絶大だった杉田あたりにもGJと。最後までちゃんと見ると「やっぱり後藤さんすげぇな」ってなるもんな。忘れがちだけど、後藤さんって一回世界救ってるからね。あとはやっぱりフラメンコガール・真野マリちゃん。悪い戸松に出会ったことはほとんどないが、これは本当に良い戸松。彼女に股間踏みつぶされるために悪の道に走るまである。いや、無い。怖い。ミネミラは、本当に安定した仕事を見せるM・A・Oに加え、いきなり萌ちゃん、ロボ子とインパクト絶大の仕事を繰り出してきた山崎エリイも光って、本当にいいユニットだったなぁ。 「銀の匙(第2期)」 5→6 ほんと、強く押し出す部分はないんだけど良いアニメ。無事に終わったし、そろそろ原作の買い時なのかなぁ、と思わされるだけで充分だろう。 アニメ的には1期と大きく変わった部分はないのだが、2期目はよりシリアスな問題に踏み込んだストーリーになっているので、八軒、駒場、そして御影と、人生に関わる多くの選択を迫られる部分はかなり重たい。そこでどのようにアニメとして見せていくかっていうのが大きな勝負どころだったわけだが、逃げることなく真正面から扱うことでこの作品の独自性にも繋がっていた。同時期に「のうりん」という似たような(?)テーマを扱った作品があったことでかえってテーマの独自性が際だつことになったのは面白いところで、こちらの作品はより事実に即して、生々しい「農家の声」が聞こえてくる。正直、一般視聴者、一般読者には受け止めがたいレベルの問題なのだが、やはり考える一助になるし、農業に関係の無い人間だったとしても、「夢と現実」という一般的な問題に還元してシナリオを受け止めることも出来るはずだ。いかにもノイタミナらしい、「意味のある」アニメ作りである。また、八軒という1人の青年主人公の成長物語としても非常に分かりやすい部分があり、その上で諸々の含蓄もあり、背筋を伸ばして見てしまう教訓を孕んでいる。そういう複層のドラマを綺麗な一本のストーリーとして見せてくれるあたり、やっぱりこの原作者は上手いんだろうと思う。 もちろん、そうしたシナリオ面は基本的に原作にあるものに加え、アニメになることで伝えやすくなる部分もあっただろうし、合間に挟む緩衝材としてのギャグの要素や、1つ1つのシナリオのゴールとなる達成感の描出など、ドラマティックに描かれることできちんとアニメ独自のプラスαがあらわれている。1期のときも同じだったが、手堅さの中でも「単なる原作通りでは終わらせない」というこだわりが見られるのはありがたい部分だ。アニメで馬メインの描写ってのはなかなか見られないんだけど(たまたま今年は「ワルキューレロマンツェ」ってのがあったが)、不覚にも「馬、でかいな」と驚いてしまった。これを見て乗馬に興味を持つ若者が……増えはしないか? 中の人については、八軒役の木村君が相変わらず良い仕事をしてるってのが第一だが、回りをサポートする面々もさりげなく見せ場が多い。中でもメイン級の仕事になった駒場役の庄司将之は声質があっててしっくり来ていた。あとはやっぱりメインヒロインの三宅麻理恵ね。彼女は本当に可愛い声なんだけど、もっと色々仕事増えないかね。 「とある飛空士への恋歌」 5→4 大体第1話を見た時のイメージ通りの進行でシリーズが終わった作品。1つの物語として見ればそれなりにまとまっているとは思うのだが、やりたいことを考えると、このアニメの土台で良かったのかがちょっと疑問の残る結果だ。うーむ、このお話って1クールで無理矢理まとめてやるようなものだったのだろうか。 正直なところ、途中からは割と適当に見ていただけなのでシナリオ面については制作側が意図した通りに全て理解出来た保証はないのだが,やっぱりちょっとのっぺりしている。クライマックスには激しい戦争があり、ばったばったと人が死んでいく部分もあるのでかなり壮絶な展開ではあるのだが、ドラマってのは別に人の生き死にの量で決まるわけではないからね。たとえば今作だったら「若い飛空士見習いたちがお国の事を思い、大切な人のことを思いながら決死の飛行を行う」あたりが最大のドラマであり、ミツオ君の壮絶な戦死なんかは割とグッと来るものはある。ただ、丁寧に描かれた「悲劇」ピークはそこであり、それ以降、主人公チームが悲痛な願いでおこなったあれやこれに関しては、言ってしまえば「人が死んでんねんで!」という話。ミツオ君の命を賭した純愛を見た後では、どれだけカルエル君が必死に愛を謳ったところで、「まぁ、頑張れ」という程度にしか結びつかない。また、これはアニメ視聴者だけの現象なのだろうけど、結局ことの背後に横たわっている国家関係が最後まで(口頭で説明はされているが)明示されなかったので、戦争に挑む覚悟であるとか、その後の交渉に関わる諸々にいまいち入り込めなかったっていうのも悩みどころ。今作は非常に珍しい作りなのだが、描写されるのが主人公サイドオンリーで、何故か相手となる「空の民」の内情って一切描かれないのよね。そのせいで、結局相手国の思惑がどうなっており、何故戦争が起こるのか、っていう部分が真に迫ってこなかったのである。 また、いざ「戦う」という時に、「空戦」という最大の特徴がそこまで迫力を持たなかったのもドラマに入り込めなかった原因の1つで、結局「広い空の上で、なんか飛行機がばんばん機銃を撃ってる」っていうだけのシーンになるんだよね。どれくらいの命中精度で、どれくらいの死闘なのかがピンと来ない。そりゃま、実際の戦闘機どうしの対決ってのはそう見えるのかもしれないが、いざ「生き死に」を問題にしてるシーンになるなら、もう少し「死にやすさ」が分かる画面が作れなかったものだろうか。どうも戦闘シーンは身が入らなくて見ていて退屈になりがちだったので、その部分が大きな失点になっている。 まぁ、そうは言っても最終話まで見ればドラマとしてはそれなりにまとまっているし、アリーのちょっと切ない恋心なんかはなかなか良いものではあった(何故か相変わらずフられた側の女ばかり気になります)。多分、原作をしっかり読めばもうちょっとドラマ部分については補強されるんだろうな、と思いつつ。でもまぁ、アニメとしては「駆け足でちょっと大変だったすし詰め戦記物」としてこれくらい。 ちなみに、そんな作品だったけどオープニングテーマは今期の中では頭一つ抜き出て好き。映像もドラマティックで良いよね。petit miladyって今まであんまり真剣に聞いたことなかったんだけど、こういう強い曲調でも歌えるんだったら案外良いユニットなのかも。竹達に音域あわせるとあおちゃんがちょっと辛い気もするけど。 「桜Trick」 5→4 んー、残念ながら期待してたほどはまることが無かった作品。ガチ百合なんだからもう少し伸びしろがあるかと思ったのだが……。 はまらなかった理由は色々と考えられるのだが、まず一番大きかったのは、石倉監督の持つ作品性があんまりあわなかったこと。「ひだまり」の時と同じような止め絵の演出、そしてひたすら幾何学的に簡略化させた背景設定など、デザインとしてはかなり独特な方向性。ひだまりは2期と3期の間に大きなギャップがあったものの、元々動きを求める作品でもなかったし、そもそも2期までの大沼・尾石ラインが既に色々おかしかったので、3期は3期で「こういう味もまたありかもしれぬ」と受け入れることが出来た(ただ、今思えば4シリーズの中では一番微妙だったかもしれない)。しかし、今作はひだまりのように穏当な空気だけで進む作品ではない。何しろメインテーマが「ガチ百合ップルのキス」なのだ。のっぺりとディティールを廃した画で構築されても、なかなか真に迫ったエロティシズムを感じることが出来ないではないか。 もちろん、実際に事を成す場面になればそれなりにディティールにも力は入るのだが、そこが逆に浮き立つようになってしまい、普段の空気との親和性が乏しくなる。おそらく狙いとしては「普段は極力日常ものの空気を維持しつつ、要所ではきちんと見せ場(濡れ場?)を作る」ということだったのだろうが、そこに区分けを作る意味が薄く、なんだか単に手抜きをしているように見えてしまう結果になったのだ。オープニングで見られる無体なダンス動画なんかも同様で、他の部分がシンプルな図案なのに、そこだけ動かされてもやっぱり浮わつく。出来ることならば、もっと作品全体を使って「背徳的な百合モーション」をプレゼン出来なかったものだろうか。コンセプトが貴重な作品だっただけに、そこの現れ方が意図とずれてしまっていたのは勿体ない。まぁ、それ以前に、「別にシナリオとしてそこまで面白いもんじゃない」っていうのが最大の原因なのかもしれないけども。そりゃね、冷静に考えれば「毎週ひたすらキスしまくるだけのカップルを見せられるだけのアニメ」って、拷問じゃんね。「こいつらどうせキスだけで終わってるわけないんだから、もっとその先も見せてくれよ」というドロドロした欲求が……いや、地上波で出来る範囲でね。 あと、あまりにもメインの2人の物語が集中し続けたために、あんまりサブキャラ勢が光ってなかった感じが気になる。生徒会長お姉ちゃんは頑張ってたし、途中から彼女メインみたいになってたけど、結局お話はこの3人で回してたからねぇ。それが原作の狙いだってんなら構わないのだが、どうもキャラの配置からすると「同時多発的百合」も割と大事な要素だった気がするので、それが見られなかったのも残念。もう、こうなるとひたすら毎回「どこで連中がキスするか」ということのみを売りにするしかないんだけど、流石にそれって1クール引っ張るほどのものではないよね。戸松・井口のエロい声を楽しみにするだけだったら、多分もっと他の作品で足りてるし、そもそも、この2人にそういうポジションを期待してるのかというとそんなことも無いし……。 結論・百合営業ってやっぱりイメージ戦略的に効果があるんだ。 |
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Thraxi
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声優のこと全般
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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