最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「Wake Up, Girls!」 5→5 艱難辛苦を乗り越えて、なんとか1つの仕事を仕上げることが出来たことにまず一安心。どうしても贔屓してみてしまう部分はあるのかもしれないが、「第3のアイドルアニメ」として、しっかりと物議を醸し、後に残る結果を出すことができたのではなかろうか。 この作品を世に出すのには、かなりの勇気が必要だっただろう。ジャンルがジャンルなので「まだ柳の下にどじょうを求めるのか」と思われる時点でいくらかビハインドであるし、何よりも被災地仙台という舞台設定、復興の応援というサブテーマは、軽々に扱ってよいものではなく、下手なことをすれば火事場泥棒のように不幸を売り物にしている、という評価すら受けかねないからだ。基本的にはデリケートな問題には蓋をする文化であり、誰だってわざわざ藪をつつくくらいなら無難な道を選びたくなる。しかし、山本寛という男は敢えてそこにいった。すっかりヒールとなったネット上の自分のキャラは完全に理解しているだろうし、そうした悪評を招く可能性が人一倍高いだろうことも分かっていたにも関わらず、敢えてそこにつっこんだ。それは愚者の蛮行なのか、本当の勇気だったのか。とらえ方は人それぞれだろうが、少なくとも作品を観る限りでは、きちんと狙った部分を扱うだけの土壌は用意出来たのではないかと思う。 「アイドル」というテーマに関しては、先駆ける同ジャンルとははっきりとステージを差別化し、アイドルという存在そのものを、より社会に即した部分から切り出すことに挑戦した。そのためにわざわざキャストまで新しく用立てて、全てを一から作り上げるというチャレンジに出た。「アイドルの産みだす社会性、経済性、そして精神性」というものを描くための手段として、たとえば極力キャラのデザインを地味なものに寄せたり、不快なモチーフについてもかなり多く扱っている。その上で最後まで安心して見ていられたのは、「最終的にハッピーエンドがあるべき」という理念が信じられていたこと、そして、こうして作られたアイドル性というものが、ちゃんと意味を持っていたことに依る。WUGとI−1という2つのアイドル像でもって現場の実情を「アニメ的に」描いてはいるものの、どちらの含む「怖さ」も「痛さ」も、おそらく現実を見れば避けられない部分だろう。そうしたものをさらけ出しつつ、ギリギリの部分で「アイドルアニメ」というスタイルが壊れないセーフティゾーンを模索する。この挑戦はなかなかに野心的だ。 そして、そこまでして「アイドルの世界」を描くことで、「少女の努力」の描出が成され、副次効果として「震災へのエール」に繋がる。このことも、きちんと作品内で正面から描かれていたものだ。これだけの舞台設定をしても、まだまだ被災地のリアルに切り込むには全然足りないのだろうが、少なくとも一歩目を踏み出せたということの価値は、見た目以上に大きい。ことあるごとに日本のアニメに対して悲観的な、時に絶望的なことすら平気で口にするヤマカンであるが、こういうところに、彼の模索する「アニメの生き残り」のヒントが隠れているのかもしれない。 まぁ、難しい話はさておいても、「アイドルアニメ」というテンプレートの上で必要なことを粛々とこなした上で、7人のメンバーを魅力的に描き、晴れやかな気持ちで12話まで見通すことが出来たというだけでもそれなりの成果ではある。序盤には「区別つかねぇよ……」と絶望していた7人娘だが、最終的にはちゃんと個性が出ていたし、今後が楽しみにもなった。キャストが素人ってのはどうなることかと不安ではあったが、最終的には(かなり個人差はあるものの)それなりのものになっていたのではなかろうか。最終話の佳乃の嗚咽シーンなんて、胸に迫るものがありましたよ。そして、アイドルアニメで重要なライブ、曲は良い。やっぱり曲がいいよなぁ。流石の神前暁。 しかし、これだけ色々と評価出来る部分があるにはあるが、やっぱり作画がどうにもこうにも……本当にそこが勿体ないんだよなぁ。地味な画面だからどこまでも繊細な作業が必要になるはずなのに、一番大事な作画面がボロボロってのは本当に悔やまれる。せっかくのプロジェクトだったのに、なんでこんな状態でスタートしてしまったのか……もし2期があるなら、なんとかスタッフを揃えて、万全に体制で挑んで欲しいものである。 PR 「ストライク・ザ・ブラッド」 5→5 身の丈にあったほどよいラノベアニメ。これといってはまり込むような要素もないのだが、嫌悪感を抱く要素も特に無く、お約束の展開の中にさりげなく独自の持ち味をアピール出来ていたか。 ことあるごとに書いてるが、私の中の「ラノベアニメ感」のベースにあるのは「シャナ」である。そこから「とある」とかに伸びていくわけだが、まぁ、とにかくその辺のジャンルが「ラノベラノベしい」ラノベという印象の作品。今作はそういう意味でも非常に真っ直ぐにラノベしている。そして、どの前例とも同じように、文字で見ていないので設定が非常に分かりにくく、最後までよく分からず何となく観ていた部分が数多くあると思われる。しょうがないよね、元々の媒体が文字で伝えることを目的にしているのだから、アニメで台詞になっちゃったらどうしたって理解が及ばない部分は出てくるもんですわ。それで良しとすれば「何となく雰囲気で流せるアニメ」になるし、良しとしない場合には、「原作も読んで頑張ってついてこいよ」という視聴者突き放しアニメになる。後者の事例で、私がうっかり原作を読んでしまったのが「戦う司書」で、突き放されたまま離脱したのが「境界線上のホライゾン」である。 今作は「雰囲気流し」側のアニメ。幸い、「恵まれた出自のおかげですげぇつえぇ主人公が降りかかる火の粉をぶつくさ言いながら解決する」というお約束スタイルまんまなので、細かい設定が分からずとも何となく観て問題無い。ご丁寧に各章で新しくヒロインが追加されるので、「今回の女の子はどんな娘かな?」という見方でいい。そして、今作のモチーフである「吸血鬼」は綺麗に「エロ」に直結するテーマであり、画作りもきちんと「エロ」方向に強く貢献出来るように設計されていた。作画崩れも少なく、分かりやすい戦闘シーンはそれなりの規模で見せられて、女の子の表情は可愛らしい。ツンデレたり泣きついたりするタイミングなんかは本当に分かりやすくテンプレ通りなのだが、朴念仁キャラの中でもどこか憎めない気がしてしまう古城との絡みがギリギリイラッとさせないくらいのシチュエーションを維持している。もう、仲間内に天才的ハッカー(女の子)がいる設定なんて、慣れっこですよね。 大量の女の子が押し寄せてくるのでそのうち飽きてくるように思えたものだが、それでも良い具合のエロと萌えで引っ張り続けられたのは、おそらくメインヒロインの雪菜ちゃんの功績が大きいのではなかろうか。ラノベ主人公カップルでツンデレる場合って、往々にして暴力過多な上に何が楽しくて主人公とくっつくのか分からないパターンになるので呆れかえることの方が多いのだが、今作では、割と早くに雪菜が古城君に惚れている。そして、2人がくっついているのは上からのお達し、仕事なのでしょうがない。早めにデレた雪菜は割と真っ直ぐに好意を表してくれており、古城がどれだけ難聴スルーしたとしても一途につくしてくれる甲斐甲斐しさがある。そして決め台詞の「俺の喧嘩だ」「私たちの喧嘩です」パターンもこの2人の仲の良さを引き立てるのに一役買っており、もう、こんだけツーカーで仲良くしてるならさっさとくっついて幸せになっちまえばいいのに、と思える、よいカップルになっているのである。この「メインの2人がやたら幸せそうにしてる」っていう図式のおかげで、回りに色んなヒロインが出てきても視点がぶれにくくなるし、「古城は雪菜ちゃんを前にしても据え膳食わないくらいの不能者だから、他のヒロインが来ても動じないのはしょうがない」という諦観にも繋がる。いや、古城君は良い奴だと思うよ。細谷ボイスののそのそした感じは割と気に入ってます。 というわけで、「エロくて分かりやすくて画が見やすい」という、「何となく観る系ラノベアニメ」として必要な要素を綺麗に埋めることが出来た作品。多分1ヶ月もしたらほぼ全ての設定を忘れるか他のラノベとごっちゃにしている気がするけど、それはそれでしょうがないのです。大丈夫、僕は優麻のことだけは忘れないから。なお、理由は中の人が好きだからの模様。まぁ、中の人補正で言ったら大体のキャラが良いと思えるけどさ。種ちゃんは今のところこれがナンバーワンヒロインかなぁ。可愛いところも恰好いいところもビシッと決められるのが良いね。あとは仙都木母子が好きです。みかこんぐ先輩がボスキャラって珍しいよねぇ。 「世界征服〜謀略のズヴィズダー」 6→6 ほら! やっぱり訳が分からないじゃないか!(歓喜) いやー、さっぱり何も終わってないじゃんよ(今期2度目)。分かってた。こうなることは中盤から大体分かってた。ウド迷宮に潜ったあたりで分かってた。その上でみんな観てたんだから、ちゃんと覚悟完了出来てた。よね? お話はお話になっていない。対決構図だけをみるなら、サムライフラメンコ14〜17話あたりを1クール使ってやった作品。つまり、なんかよく分からない組織が体制側と戦うというテーマだけを前面に押し出し、よく分からない力でよく分からない解決を見せたのだ。当然次の敵キャラはミスタージャスティスだ。きっとズヴィズダー2期はフラメンコ星人との戦いが待っているに違いない。「サムメンコ」の総理との対決は間をつなぐパーツとして意味があったわけだが、そこだけを切り出したら意味はなくなる。つまりこの作品に意味なんてものはない。「征服」というたった1つのワードからひたすらイメージを、妄想を膨らませて、そこに「幼女」というメイン食材を漬け込んで、じっくりコトコト煮込んだ結果出来上がった「征服スープ幼女仕立て」がこの作品の全てである。おかげで、一口飲めば征服が分かり、全て平らげれば成人男性が1日に必要な幼女を一度に摂取することが可能だ。ただし、医薬品ではないので多量摂取により疾病が治癒したり、より健康が増進するものではありません。1日の摂取目安量を守って下さい。 そりゃ不満も出る内容になっている。「お話になっていない」のだから、お話を期待した人はがっかりだろう。しかし、幼女を期待していた人なら? そう、私は幸いにも後者だったのだ。もとから「岡村天斎って、そもそもWolf’s Rainを作った人間やぞ」と言っていたではないか。元々理知性より感性重視のクリエイターだと思っている。その人がやりたいようにやったら、刺激物が出てくるに決まっている。監督コンテ回はいちいち楽しかったし、1つ1つの台詞回しの印象深さなんかを観ると、やっぱり「場面作り」は上手い。最終回に至っては安藤真裕との共同コンテだってんだから、ファンにはたまらないサービス。最終回のあまりにいい加減すぎるネタのオンパレードが毎回観られれば更に神がかったものになっていたのだろうが、数話に1回でもこのズレが楽しめれば私は充分だった。あんまり多すぎても体力がついていかないからね。ただでさえ今期は野放図系作品が多かったからな。まー、その分中盤の失速感は否めなかったわけだが、最終回が凄かったし、そのくらいは別にいいんじゃないかしら。とにかく可愛かった。ケイトちゃんは本当に幼女だった。機嫌を損ねた幼女がどれくらいすごいのか、身に染みて理解出来ました。 というわけで、今作は「とにかく可愛い」がテーマ。ケイトちゃんが可愛いのは問答無用の前提条件だが、ロボ子は素直可愛いし、博士はずぼら可愛い。あげくおっさんまでスイーツ可愛いってんだから見上げたものだ。何ともファンタジックなデザイン性のおかげで、どれだけ殺伐とした雰囲気でも不思議なウドパワーに充ち満ちて可愛らしさが維持されていたのは素晴らしい。中盤以降のホワイトロビンのヒロイン格上げっぷりもお見事である。明日汰は本当に幸せ者だな。ラスボスの「東京でヤス」も可愛い……わけじゃないけど、ヤスの徹底したキャラ設定がぶれなかったのも恐ろしいことである。この世界、一番強くてムカつくのが敵じゃなくて味方ってのがすごいよなぁ。あれだけの不良社員を雇い続けているのだから、本当にズヴィズダーは優良企業である。今後も引き続き、あまねく世界に光を。 とりあえず、この作品をまとめると「久野美咲フィーバー」の一言でまとめられるのではないでしょうか。幼女期のはじまり。 「黒子のバスケ(第2期)」 5→6 相変わらずのクオリティ。まー、今となっちゃジャンプの一大コンテンツになってしまったのだから注力するのは非常に正しいのだろうが、ホント、このクオリティだからこそ実現出来る超次元バヌケのすさまじさは、アニメならではの特別な破壊力があるよね。 基本的には1期と一緒の感想以外はなんも無い。スタッフがほとんど同じだし、各話の細かい担当スタッフも数が多いから誰かの個性っていう話題もいじりにくい。原作で作り上げた阿呆な勢いをいかに見事なアニメーションとしてアウトプットするかという、I.G.のプライドを賭けた挑戦である。敢えて1期目との違いをあげるなら、より一層バヌケ感が増したということだろうか。これはアニメの作り方の差ではなく、原作がそもそもインフレバトルものになっているので、当然話が進むとより派手になるというだけの話。異次元キャラクターが数を増し、2期目で大活躍してくれるのは、よくネット上では悟空や一護と対決させられているゾーン青峰、立っているだけで化け物の紫原。そりゃ画面だっておかしくなるわ。これに対抗するために当然主人公チームもパワーアップする必要があり、黒子が完全な妖術使いになったり、火神が光速を越えてみたり、もう怪獣大戦争の様相。そりゃ見てて楽しいに決まってるじゃない。一部でも話題になっていた青峰さんのパスブロック(波動砲)とか、そりゃ爆笑しましたよ。バスケで人が死ぬ日も近いよね。 1期のときから気にしていたのはいわゆる腐向け要素という奴で、「何で野郎が一杯出てくるというだけでそういう餌食になるんだろうなぁ」と心苦しく思っていたのだが、2期になって、もう公式が開き直ってる感があったよね。いや、原作が同じくらいの時期で開き直っただけなのかもしれないけど。ここまでプッシュされてるんなら、もうそれはそれでいいや。多分誰も損しないんだし。私には分からない世界でよろしくやってくれればいい。幸い、リコと木吉の関係性は真っ当に良い雰囲気になってたので、その辺では癒されたわ。火神もあんなナイスバディのおねーさんが家で寝てるのにピクリともしないなんて不能っぷりを見せてないで、もう少し男性視聴者のためにサービスしてくれてもいいのにね。 中の人については男性キャストがほとんどなのでそんなに書くことも無いのだが、紫原役の鈴村が無闇にはまってたのが好き。スズのどこまでいっても真面目になりきれないような高めの声って、こういうところではまるんだなぁ。 「マイリトルポニー〜トモダチは魔法〜」 4→7 そうか、初期配点4点やったんか……1年前の俺、びっくりすることになるだろうな……。いや、1話時点での感想みたら完全に誤解してるんだよね。てっきり「ナイトメアムーンを退治するために冒険する馬たちの物語」だと思ってたんだよ。まさか2話目で倒すなんて思ってなかったんだよ。 本当に終わってしまうのが惜しくてしょうがない作品。この感覚、去年で言ったら「しろくまカフェ」と同じなんですが、あんなにも人畜無害な狂気ではない。こちらは海を渡ってやってきた海外の狂気。普段日本のアニメーションしか見ない人間にとって、この馬たちは本当に刺激が強すぎた。初めてエロ本読んだ男子中学生みたいな気分である。多分、海外で話題になるアニメってこれと同じくらいの毒っ気はどれも抱えてるんだろうな。「サウスパーク」とか「シンプソンズ」とかも、1回観たらはまっちゃいそうな気がする。観たことないけど。そして、そんな「メリケンな毒気」がちっちゃなお友達向けに提供されたのがこの作品というわけだが、そりゃね、国によって文化って変わるし、人格ってのは文化が創造するんだ、ってのが嫌と言うほど実感出来ましたよ。幼い頃から「プリキュア」や「アイカツ」で育った日本の子供たちは、そりゃぁ多少スイーツ臭くはなるかもしれないけど、最終的には努力が大切で、愛と正義が世界を救うことになるという性善説によって育てられるのは間違いない。いつかどこかで「日本の道徳は戦隊ヒーローなどの幼少期のテレビ番組ですり込まれる」っていう論旨を読んだことがあるのだが、本当にそうだと思う。我々は、小さな親切をすることで、どこかのヒーローがそれを観ていて助けてくれると信じているし、悪いことをすると、必ずそれ相応の報いがあることを心のどこかで当然のものと考える。それは、アニメで必ずそうなるからだ。 しかし、この馬どもはそんな道徳を持ち合わせていない。他人を罵倒しても特にお咎めはない。自分本位で我が儘勝手に振る舞っても、それが力を持てば正義だ。「トモダチは魔法」を謳っておきながら、基本的に30分の中でトモダチを裏切らないことは絶対にない。酷い事をやっても、最終的にはなんだかんだで主人公チームがハッピーエンドを迎えることだけが約束される、圧倒的「力」の世界だ。最近のエピソードだとピンキィがケーキの盗み食いをした犯人を必死に探す探偵回があったが(50話)、散々ライバル菓子職人を疑い、理不尽な疑惑を押しつけながら、最終的に犯人は全部身内だった。しかも動機が「あまりに美味しそうだったから」って。いや、それで許すなよ。くそう、フラッターシャイだけは信じていたのに……いや、やっぱりあいつら全員キチガイに違いないからな。もう、毎週土曜の朝にはポニーたちのマジキチスマイルを観ないと満足出来ない身体になってしまったんや! ちなみに好きな順位は上からレインボーダッシュ・フラッターシャイ・ピンキィ・以下略です。 耐性が無かったおかげですっかり打ちのめされてしまった「海外アニメの脅威」。そういえば「シュガーラッシュ」を観たときも同じような自分の視野の狭さを痛感させられたもんだなぁ。完全に製作原理が違うからなかなかジャパニメーションとは比較出来ないし、そもそも作られる事情が違うから比べてもしょうがないのだが、このアニメが持つ面白さをきちんと分解、分析して日本の子供向け、おっきなお友達向けアニメとして再構築出来る技術があれば、もう一山稼げるアニメになる気がする。そんな素敵な可能性を感じさせる作品でした。 ふつーに考えると、私みたいな狭量な人間はスルーしそうなアニメだったんだけどね。ブシロードが小賢しい手段で誘致してくれて本当にありがたかった。ミルキィホームズを起用したメインキャラのキャスティングが予想以上にどんぴしゃではまっており、馬鹿ピンク三森、真面目くさってるそらまる、別次元のスピードスターいず様、よく分かんないけどイラッとさせる能力で言ったらしばいぬ子さんをも凌駕するみころん。完璧じゃないか。これに普段はなかなか聞けないフラッターシャイの抑えめの声が入るが、大人しいだけにキレた時のキチピーボイスが更に盛り上がる。全てを統べるトワイライト沢城は、壊れるために普段良識ぶってフラグを積み重ねているとしか思えないのが素晴らしい。多分、イカれた時のダメージが一番でかいのがトワイライトだからな。スパイクもよくこんなのについていってるよなぁ……まぁ、ラリティ好きの時点であいつ見る目ないけど。 事のついでに書いておくと、最終回が本当に素晴らしかった。何がすごいって、ゲストキャストに彩陽とかもさんだったところ。まさか「シンフォギア」以外でラスボス彩陽(仮)の歌唱パートが拝めるとは思ってなかった。沢城・名塚・高垣という85年生まれの第2ゴールデンエイジがここでも異彩を放つ活躍を見せているのだ。それだけでおじさんお腹いっぱいだよ。毎回ゲストキャストも贅沢過ぎて、本当に幸せな朝だったよ。もう、これから朝のさわやかな時間をみもりんスマイルで迎えることが出来ないのか……まぁ、あそこだけ実写で出てきまくるのはどうかと思うけども……みもちゃんも四捨五入すると30歳なんだぁ。 「ディーふらぐ!」 5→5 ワリトスキデシタヨ。まー、8割がた中の人アニメとして見てたわけだけども、決してアニメとして適当な作品ではなかった。割と愛のある製作に恵まれていたのじゃなかろうか。 先に駄目だった点を挙げておくと、やっぱり本質的にギャグは寒いんだよ。狙ってる方向は分かるし、たまにその捻れがニヤッと出来るタイミングもあるんだけど、当初期待していたように「だんだん馴染んで笑えるようになる」っていうハマリ方はなかった。特に回りで賑やかしてるモブからいじる芸風はあんまりピンと来なくて、もう少し素直に突っ込んでてもいいんじゃないかと。あと、風間の突っ込みが一辺倒なのがね。これはこにたんが悪いわけではなくて、多分原作からそういう風になってるんでしょう。叫ばなくていい所まで叫ぶんだよ。毎回同じ反応しかしないから、せっかく可愛いヒロインがいいパス出してくれてるのになーんか盛り上がりきらないというか。そのくせあの世界では「風間の突っ込み」が1つのキーパーツになっているようでね。まぁ、あんだけ毎日大声で叫ぶ奴がいたらそりゃみんな気になるだろうけども。 そんな感じで「ギャグアニメのくせにギャグが不完全燃焼」だったら普通は駄目アニメの方にカテゴライズされるはずなのだが、このアニメは不思議とそうでもなかった。多分、諸々の痛々しい点を加味しても、ヒロイン勢が可愛いのだ。決して悪くない絵柄で、出来る限りの可愛らしさを出せるキャラが揃っているのだ。まぁ、それこそ中の人の功績がでかいだろう、という話もあるが、それを下敷きにしたとしても、きちんと「おいしい」ところまで持ち上げたのは画作りの功績として認めてしまっていいだろう。ゲーム制作部(仮)に出そろった各属性の方々に加え、炸裂する伊藤静の破壊力、高尾部長。なんでこんなに有名になっているのか、結局よく分からなかったぞ、船堀。最後に締めのお話を盛り上げてくれたタマちゃんまで、見ていて色々刺激される面々がたまりません。まぁ、私が基本M属性だからっていうのはあるかもしれないけど。タマちゃんを見てると無闇に江ノ島さんが思い出されるのは何故でしょうね(ヒント・ツインテ)。 後は全体を取り巻くガジェットの数々かな。ゲーム制作部っていう割にはアナログゲーム全然だな、って思ってたけど、どっちかっていうと彼女たちの日常自体が「ゲーム脳」っぽい。適度なユルさと胡散臭さを孕んだ小ネタの積み重ねは、ダラダラと流しておくのに支障がないくらいの、押しつけがましくない着地点。あとOPテーマとか、そういうところのちょっとしたこだわりも良いよね。話によるとこのアニメの無駄に豪華なキャスティングは以前に発売されたドラマCDからそのまま引き継いだおかげとのことであるが、そういうところでファンの期待を裏切らないだけの責任感がきちんと感じ取れたのは良いことです。決して規模は大きくないかもしれないが、「良いアニメ化」の1つの模範といえるのではなかろうか。 ちなみに作品全体を通してみるとやっぱり高尾部長、というか御前のパーフェクトっぷりがナンバーワンだとは思ってるのですが、ラストの展開では千和VS植田佳奈という夢のみっくすJUICE対決になったのが嬉しかったです。御前、美佳子と並び立ち、やはりゴールデンエイジは永遠の強さを誇るのだなぁ。 「ハマトラ」 4→2 今期の「何がやりたかったんだよ」枠。とある知り合いは「面白いじゃないですか、PSYCHO-PASSと同じですよ」って言ってたんだけど、残念ながらわたしゃこれとPSYCHO-PASSが同じに見える目を持ち合わせておりません。 まず何よりも映像面が酷い。現代の世に残った貴重な貴重な「MUSASHI-GUN道-」である。まずもって人員が足りてないだろうクオリティは語ることもないが、キャラクターデザインが軽かったせいなのか、独特の色彩を意識した美術設定が安っぽさを増長させたからなのか、とにかく全編通して画に重みがない。一応ミニマム発動シーンには独特のこだわりが見えたが、正直言ってそれが「良さ」になってた気はしない。軽さは変わらないし、なんだかお隣の国のパチモンお菓子みたいなイメージのままである。こういうセンスの好みって個人差はあるんだろうけど、このベタッとした色彩が好みの人ってどれくらいいるんだろう。 そしてお話も同様にチープである。探偵アニメが始まったのかと思ったら中身が異能力バトルものだったのは別に構わないのだが、この作品はすっかり掘り尽くされた土壌で一体何を作りたかったのか。ミニマムの設定は実に適当、その能力を使ってのバトルシーンも特に工夫は見られず、最強と言われる主人公ナイスの能力も何が強いのか分からない。強さや方向性に関してはあまりに個体差が大きすぎて、そこに「ミニマムホルダー」という「群」としての共通性を見いだしにくく、「迫害される側」としての悲壮さが感じられない。そりゃたかひろ君みたいなあからさまな化け物ミニマムなら怖いのは分かるが、ハマトラの連中とか別に普通の人間と変わらないわけで、余計な煽りがなければ平穏な日常を送るのに不自由しないだろうに。敵キャラの思想がすげぇ厨二じみていて短絡的なのも釈然としない。迫害される側が歪んだ思想を持つのは自由だし、そういう人間が「強くても馬鹿」なのは許される設定だと思うが(槙島さんだって馬鹿といえば馬鹿だからな)、少なくともモラルが「強くて賢い」敵には見えないんだよな。なんで世界はこんなのにいいように弄ばれていたのか。そして、ナイスはあれだけの凶悪犯相手にどんだけヌルい対応をし続けたのか。余計なサイドストーリーばかりに時間を割いていたせいで、メインシナリオの掘り下げが一切出来ておらず、思いつきだけで進行している「アニメ製作の企画書」段階の出来に見えてしまうのである。もっとちゃんと観てれば中身に理解が及んだのだろうか……いやぁ、でもこの画は真剣に見るのは辛い……。 そしてまさかのラストに度肝を抜かれる。もう、1クール必死にアニメを追いかけてきた人間を満足させるつもりないんだろ。もし興味を惹かれた人間ならば、あのラストを見せられたら「どうなってしまったんだ?! 気になるぅぅ!」ってなことになるのかもしれないが、一切惹かれなかった人間からすると「何一つ腑に落ちずに終わった」という最悪の印象である。続編あるんだろうけども……観るかなぁ……一応アート刑事を巡る諸事情は気にならないではないのだが……。 レッテル貼りはあまり良くないとは思うのだが、今作で「岸誠二のアニメオリジナルは駄目」ジンクスが更に信憑性を増したことに。原作有りだと手堅い人なのになぁ。 「キルラキル」 7→6 いやー、終わりましたな。何だったんだろう、この嵐のような2クールは。こういうのって煽り方の技術みたいなもんがあるんだと思うんですよね。思い切り盛り上がりやすい土壌ってのは狙って作れるもので、ソーシャルメディアが花盛りのこのご時世なら、本当にちょっとしたことでも大きな差がでる。その差を上手く利用出来た作品なのは間違いない。しかし、ここで一人きりになってちょっと内省してみて、まぁ、少し落ち着いてもいいかな、とは思った次第。 まず、問答無用で楽しかったという大前提は変わらないのだが、最初に期待していたようなミラクルな楽しさだったのか、と問われると、いささか疑問は残る。このスタッフであれば当然比較対象は「グレンラガン」であるわけだが、個人的には迷わず「グレンラガン」を上に置く。「キルラキル」は今石さんの最高傑作だとは思わない。理由は大きく2つあり、1つは思いの外、話の密度が濃くなかったこと。確かに急展開が多く、3話終了時点とかではどうしたらええねん、とドキドキしたものだが、そこからは大したブーストがかかるわけではなく、「普通のアニメ」の速度になった。いや、今から振り返ってみても、2クール分の中身があった、という実感が無い気もするので、広義での「中身」はかなり少ない方と言ってしまってもいいのかもしれない。結局ボスキャラって皐月編、羅暁編だけなんだよね。「グレンラガン」の4部構成の(馬鹿馬鹿しい)インフレ感に比べると、今回はまだ常識的な範囲に収まっているのである。 そして、これは非常に自分勝手な2つ目であるが、今作のメインモチーフがそこまで心に響くものではなかったということ。モチーフってのは服がどうこうとか、着るだの着られるだのっていう部分ではなしに、「昭和の学園抗争もの」っていう部分。ぶっちゃけ、あんまり馴染みの無い分野だし、思い入れがないので、おそらくスタッフがこだわり抜いて作ったであろう世界観や、そうした先人たちの功績を下敷きとした演出部分を楽しむことが出来なかったのだ。ベタなSFの成長物語を基盤としていた「グレンラガン」はいちいち設定が盛り上がりに繋がっていたので、そこは大きな違いだったのではないかと。まぁ、ひょっとしたら狙いがど真ん中のストライクでスタッフ以上にびしびし楽しんだ層もいるのかもしれないけどね。その辺については私の生まれが悪いので致し方ない。 こだわった部分が刺さりにくいと、後に残ったアニメの骨子は「同じことを馬鹿馬鹿しいくらいに毎回繰り返す大声バトルアニメ」ということになり、そりゃぁ単純だし飽きは来るだろうさ。中盤の流子と鮮血の関係性とか、針目縫の強さがどの辺にあるのかよく分からない勢い任せのバトルイベントとか、あんまり頭を使うアニメじゃないのだから、「次にどうなるんだろう」とか考えてみるような人間もなかなかいない。毎回「よく分からないもの」を楽しむのが正しい姿勢なのだから、「よく分からないものが分からない」と大変だった、っていうお話である。 しかし、こうして気になった点をあげつらった上でも、やっぱり平均よりもググッと上に来るアニメだったのは間違いない。馬鹿は突き抜ければ楽しい馬鹿。こと映像の1つ1つのギミックへのこだわりは尋常ならざるものがあり、毎回テレビの前で「馬鹿だねぇ!」とため息をつかされるのは楽しいものだ。「密度が薄まった」おかげで溢れんばかりに並んだキャラクターの1人1人で「遊ぶ」ゆとりもあり、たとえば蟇郡さんみたいなサブカテゴリのアイドルだって生まれた。「グレンラガン」は登場キャラ全員にドラマがあり、個々の生き様が事細かに決められていたので、今作の蟇郡さんたちみたいに「よく分からん奴だけど見ていて楽しい」という本能的な享楽には繋がらないものだった。この「浮ついた愉快さ」こそが今作最大のセールスポイントだったのではなかろうか。ほんと、地に足のつかないアニメだなぁ。 というわけで、「思ったほどではなかったけど、充分今年を代表するくらいの出来にはなったよ」という面白アニメ。最後は当然中の人の話だが、まー、とりあえずてっぺん取ったのはマコだろうねぇ。キャラとキャストの巡り合わせっていうのは本当に神様の与えたもうたものだと思うのだが、マコとあやっぺの出会うべくして出会った感。むしろあやっぺを見てマコをデザインしたんじゃないかと思える感。あやっぺは幸せ者には違いないが、これだけリアルマコになってしまうと、今後の仕事はどうやって繋いでいくのかちょっと不安。いや、心配するだけ野暮かな。あと、意外なところでは宝多役の粟根まことさんっていう人がすげぇはまった。宝多は本当に良いキャラだったからなぁ。残りはどうせ鉄板面子でしか固めてないけど、久しぶりにヒットが出た柚姉ぇとか、相変わらずの器のでかさを見せつけた針目役の田村ゆかりとか、「使われるものには理由がある」を再認識させられる見事なキャスティングであった。 こないだ寝る前に「この世から突然稲田徹がいなくなったら今のアニメはどうなってしまうのだろう」って漠然とした不安に襲われたことがある。正確には「稲田徹と三宅健太と保村真と津田健次郎と黒田崇矢がいなくなったら」なんだけどね。最近「野太い雄の声」が出る新人ってホントにいないんだよなぁ……蟇郡さん、今後とも世界をよろしくお願いします。 「ゴールデンタイム」 5→3 荒ぶる堀江由衣タイム。後期OPはあの「インモラリスト」と同じ制作者ってこともあり、初見ではのけぞるくらいの衝撃があったのである。まー、結局ほっちゃんタイム以上の意味があったかどうかは怪しいのであるが……。 「とらドラ」の作者の作品ってことでファンとしては期待せざるを得なかった作品だったのだが、色々と残念な結果になってしまったのである。大学生が主人公とか謎の部活動おまけんとか、色々チャレンジングな設定ではあったのだが、あんまり面白さには繋がってなかったんだ。その最大の原因を一言でまとめると「共感出来ない」。いや、「とらドラ」が共感出来たのかって言われたら確かに疑問ではあるが、高須目線で大河を愛でることは出来ただろうし、亜美ちゃんの歪んだ感情だって、身につまされて感じ取れる部分はあったはず。「典型的な学園ラブコメラノベ風に見せて、その根っこで人間的なドロドロした部分が見られる」っていうのがとらドラの面白いところだったのだから。しかし、今作の場合にはあらゆるキャラクターが特大のハードルを構えて待ち受けている。謎のお嬢様設定の加賀さん、彼女は結局一体どういう性格だったのか、最後の最後までゴールにはたどり着けなかったように思う。「元々ストーキングしてた男から乗り換える」という設定は面白かったんだけど、そのあたりの感情の機微もあまりみえてこなかったし、結局良い子なのか、痛い子なのか、その全部なのか、捉えどころのないメインヒロインだった。 ただ、このことに関しては加賀さんを責めるのはお門違いである。この作品のラスボスは、当然万里である。序盤からガンガンストーリーをかき回してくれた上に、ほぼ完治せずに渾沌だけを産みだした彼の「病気」に関しては、共感はもちろんのこと、理解すらも追いつかない。フィクションの世界では「記憶喪失」とか「二重人格」なんてものはありふれているのだからそのフォーマットに当てはめて理解出来るかと思ったのだが、彼の場合、2つの人格・記憶の接し方にまったくルールがない。亡霊のように現れたり、何の前触れもなく入れ替わったり、イメージ空間で交流してた気がしたのに入れ替わったら相手の記憶を共有していなかったり。とにかく、彼の記憶はシナリオをかき混ぜこそすれ、盛り上げることはなかった。トラブルが起こればそれが恋愛ドラマの起爆剤として機能するのが普通なのだが、今作の場合には「乗り越えるべき困難に2人で立ち向かう」ではなく、「可哀想な万里という重病患者を回りのみんなで介護している」図にしかなっておらず、切なさ、悲しさというより、痛々しさしかついてこない。どれだけ関係性を進展させても都合のいいところで(悪いところで?)リセットされたり、かんしゃくおこされたりするんじゃ、まともな人間関係なんて構築できるわけがないだろう。多分、今作で一番盛り上がったのは、車がガードレールに突っ込んで亡霊万里が「違う! そうじゃない!」って訳の分からない悲鳴をあげてたあたり。 そんな万里を中心においた結果、当然メインで相手をする加賀さんは壊れキャラになってしまったし、常識人だと思われていたリンダ先輩も、「彼の病気を前提として受け入れて接している人物」という時点で充分異次元の存在なのだ。途中からは適当にしか見ていなかったので定かじゃないが、多分彼女の言動を全て拾い上げていくと、万里に対してはかなり酷い扱いをしているのではなかろうか。病気を病気と思わないのは患者にとって良い側面もあるが、ここまで深刻な症状であるなら、病気に理解のある人は、回りの人たちと協力して治癒に努めるべきだろう。それが無理で、やる気もないのなら、中途半端に「普通の付き合い」をするというのはひどく残酷な行為である。あとはまぁ、やなっさんとか岡ちゃんとかは割と普通ではあるのだが……やっぱりどこかハズれてるよね。世間の大学サークルの人間関係って、みんなこんなカオスなの? 何それ怖い。 結局、かなりチャレンジングな設定を作って、かつてないお話を作り上げようといたことは分かるのだが、やはり先人たちが扱わない設定というのは、それなりに理由があるんだろう。いや、ひょっとしたら原作を読んだら面白い可能性はあるんだ。もっと個々のキャラクターの内面まで掘りさげているだろうし、1つ1つのファクターの絡め方を丁寧に追えれば、もっと「共感」が生まれるように描かれているのかもしれない。しかし、残念ながらアニメはそうした作品性にはほとんど寄与せずに終わった。お世辞にも出来が良いとは言えない作画面はドラマを盛り上げる効果を得られなかったし、のっぺりと進行するために、万里の幽霊とかが出てくるとギャグにしか見えないってのはどうなんだろう。「とらドラ」が画面で得してた分、今作の残念さが際だつのである。 むー、まぁ、ラノベアニメだとこういうこともよくあるわなぁ。残念である。ちなみに中の人に関しては相変わらずなのであまり書くことも無いが、こんなトンデモキャラでいきなり大役を任された万里役の古川慎君は頑張っていたとは思う。あと、岡ちゃん役の木戸衣吹は、可愛い。そして謎の名前キャスト(?)後藤沙緒里と伊藤静の存在感。後藤(弱)さんがこういう役でキャスティングされるのってかなり珍しいんだけど、割と面白いよね。本人も無駄に肝が据わってるので、今後もイメージを覆し続けていけばいいと思うの。あと、わたくし個人としましては当然NANA先輩ですよね。おもろい役だった。 |
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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