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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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「フリージング ヴァイブレーション」 4→4

 予定していたよりは売りが多かった作品だったと思う。少なくとも1期よりもちゃんと見るモチベーションが維持出来たし、この作品に求められているものはそれなりに提供してくれていたのではなかろうか。いや、別にどれくらいエロいかとか、そういう話ではなくて(まぁ、それも大事だけど)。

 個人的に圧倒的盛り上がりを見せたのは5〜7話の展開である。エリザベス先輩の挫折が容赦無く描かれ、この作品の持つ圧倒的なエロへのこだわりがアカン方向で発揮され、そこから立て続けに弟によるサテラ先輩陵辱へと繋がる。「能登麻美子に卑猥な台詞を言わせるアニメ」として、これ以上ないセッティングであった。それ以外でも、もちろんエロい方向への作画演出はそれなりに気を遣ったものが多く、同系統の作品の中でも品質は決して見劣りするものではない。個人的には、やっぱりザベス先輩の浮き沈みの激しさが一番の見どころで、最初にEパンドラの連中と心通わせることが出来た器のでかさを見せつけ、そこから一気に暗部の中枢に食い込むかと思ったらぼっこぼこにリョナられ、確実に再起不能やん、と思ったら愛の力で劇的に復活、そこから更に戦線復帰してサテラ先輩と小競り合いまでしちゃうという。彼女をメインとした物語として見た方が、今作はすっきりしていた可能性も。

 そんな感じで色々見どころも少なくない作品ではあったのだが……やっぱりシナリオ面がぼんやりしてるよね。いや、今回は1期に比べても非常にシンプルで分かりやすい筋立てだった。敵は明らかになっているし、その強大さもザベス先輩のおかげではっきりした。これをたくさんの味方が力を合わせて打倒していく物語だったら、普通に燃えられたと思うのだが……また同士討ちなんだよなぁ。1期もそうだったけど、結局この作品って、ノヴァが出てこないとパンドラどうしで殴り合うしかない。今回は完全に主義主張の面から2派に別れており、似たような能力を持つパンドラが乱戦模様。サテラ先輩もアラスカ帰還後にははっきりした活躍の場が与えられず、一体誰をメインにみたらいいのか、と悩んでしまうことに。ラナに至っては、今作では多分何もしてないし。多分一番中心になっていたのはアミリアなんだろうけども……彼女は彼女であんまりキャラが立ってなくてなぁ。そこにピリッとスパイスを入れてくれる予定だったのがシフォン先輩で、ラストだけを見れば確実に彼女が主人公の物語であるはずなのだが、そのシフォンも主義主張がよく分からない。こいつら、もう少し冷静に話し合うスキルを身につけた方がいいと思うんだけど。なんで問答無用の殴り合い以外に選択肢がないんだよ。脳筋だらけか。

 結局、最終話ではなんか綺麗にまとまった風に見せたわけだが、ノヴァがどうなって、アミリアがどうなって、そしてシフォンがなんでああなったのか、理屈の上ではちょいちょい説明されているけれども、もやっとは残る。挙げ句にラストシーンは確実に「3期へ続く」であり、1シーズンのシナリオとしてはちょっとねぇ。いや、3期があるなら喜んで観ますけども。その際には流石にもうちょっとラナに出番あげて下さいね。

 飛び抜けた個性があった部分で加点だが、最終的なダラダラ感はぬぐい切れずに減点。トータルでプライマイゼロといった感じか。中の人的な盛り上がりはそれなりにあったんだけど、こちらもとっ散らかっちゃったので強く押せる部分がなかったのは残念。能登ライザー先輩がもう少し頑張れればなぁ。あと、一番見ていて楽しそうないず様のキャラが即死だったのもちょっと残念であった。アミリア役の三森も今ひとつ。どうも、彼女はシリアスなところに放り込むと残念な結果になる気がする。ミルキィ、てーきゅう、マイリトルポニーだけで回すわけにはいかないが……うぅむ。

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「境界の彼方」 6→5

 京アニだから。そういう理由で本当に最後まで苦もなく見られる作品には違いなかったのだが、はてさて、求められているものはこれだったのだろうか。

 まず見るべき点を挙げるならば、もちろんそれは「京アニクオリティ」の一言で片がつく。最終話も当然のようにガンガン盛り上がっていたが、とにかく動き、魅せられる動画の数々。本当に細かい仕草にいたるまでが「京アニですよ」というアピールを繰り返しており、この品質で毎クール1本アニメが見られるだけでも随分贅沢な時代になったと思う。結局「Free!」だってこれだって、こんだけの圧倒的仕事量を見せられてしまえば、何も文句は出なくなってしまうのである。そして、最終的にはやっぱり「未来ちゃん可愛い」というのも評価ポイントになるだろう。今作は様々なサブヒロインはいるものの、基本線が真っ当なボーイミーツガールであり、主人公の視線が他のキャラに移ることはない。徹底的に栗山未来のみを彫り込んでいくことが正しい方向性であり、彼女一人(と秋人)がキャラとして立っていれば作品が完成する。始まった当初は口癖の件とか、趣味の件とか、眼鏡の件とか、諸々が阿漕過ぎて苦笑いものだったが、結局、京アニの作り出す「カワイイ」は、阿漕過ぎるくらいにコッテコテのキャラを作り出した方が食い合わせがいい。そういう意味で、真っ当な「京アニヒロイン」として錬成されていった未来ちゃんは、やはり「可愛い」の最先端にあったのだと思う。

 で、そんな充分な下地はあったものの、どうにも見るべきポイントが定まりきらなかった感があるのが、勿体ない作品であった。真っ当なラブストーリーを作りたいのだったら、流石にもっと共感しやすい土壌を作り出さなければならないだろう。「不死の少年と退魔の女性」という組み合わせは、(ラノベ・漫画界隈では手垢がついているかもしれないとはいえ)流石にイメージして心情を追うのが簡単とは言い難い。特に今作の場合はありがちな「妖怪・魔物」とは一線を画した「妖夢」という存在が非常に曖昧なものになっていて、「虚ろな影」「境界の彼方」といった巨大な存在が、どのようなものであるのかが分かりにくい。そして、「境界の彼方」と同一存在であった秋人が主人公ということで、この曖昧さを乗り越えないかぎりは、ラブストーリーとしての主軸に共感を得ることが出来ないのである。たとえば、同じようにぶっ飛んだ関係性にあった男女関係でパッと浮かぶのは「灼眼のシャナ」の悠二とシャナなんかがある。今思うと今作と似ている関係性だが、この2人の顛末を描くのに、なんと6クールもかかっている。それだけかけても悠二の存在ってのは最後まで完全に理解出来るものではなかったが、そこまでジリジリと世界を作り上げて、ようやく「とにかく2人は結ばれている」ということが分かるわけだ。残念ながら、わずかに12話の世界では、この2人の持つ背景を全て飲み込み、物語として楽しむまでには至らなかった。

 結局、「異能バトルもの」なのか、「青春ラブストーリー」なのか、という主軸がぶれた、もしくは両方を取ろうとしてしまったことが、今作のピントをぼやけたものにした最大の理由だと思う。あちらが立てばこちらが立たず。京アニの実力をもってすれば、「曖昧な存在」と対峙するバトルものも描出するのは別段難しいことではなかっただろうが、それが「可愛い女の子との恋愛もの」と同居すると多少ギクシャクしてくる。いや、普通ならばそこをシームレスに結びつけることは可能なのだが(戦争ものと恋愛要素なんて、普通は切っても切れない関係なのだが)、京アニの作り出す「萌え」は、あまりに純度が高く、他のものに混ぜ合わせた時の浮き上がり方が強すぎるのである。おかげで「萌えパートは萌えパート」「それ以外はそれ以外」という線引きが不必要にはっきりと出てしまい、どうしてもそれが1つの流れに乗りきらなかった。個人的に6話がピークだったってことは、やっぱり私は京アニの絵柄に「萌え」の方を強く求めているのだろうなぁ、というのが分かってしまい、なんだか勿体ない気持ちになった。一度、一切女の子が出てこないようなクッソハードな作品も見てみたい気がするんだけど。ん? いや、Freeはちょっと違う。

 さて、そんなちょっと勿体なかった作品だが、中の人的な話題はそれなりに。なんと言ってもメインヒロイン未来ちゃん役の種田梨沙である。まー、本当に器用な子で、今期も「ストブラ」とコレで萌えヒロインフル回転。阿漕なキャラもきっちり立てて、かなりいいお仕事だったのではなかろうか。また、今作には同大沢事務所から大先輩川澄綾子、Freeに続いて2作連続で出演となった渡辺明乃という、頼りになる先輩方が回りを囲むナイス大沢キャストが実現した。これで一気に種ちゃんもステップアップである。その他若い力は桜役の豊田萌絵、マスコットキャラ愛ちゃん役の山岡ゆりなどの名前が見られる。特に山岡ゆりに関しては、着実に「いい役どころ」を押さえているので要チェックだ。そして、個人的に一番のツボだったのは進藤尚美の京都弁! はぁぁ、やっぱり良いわ。あの声、あのしゃべり方を聞くだけで、静留さんのヤンデレズっぷりが脳裏に蘇る。恰好よくて艶のある、実に大人なグッジョブである。

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「俺の脳内選択肢が、学園ラブコメを全力で邪魔している」 4→5

 今期も、最初にゴールインしたのは角川枠の作品。まぁ、最近はなんでもかんでも角川なので「角川枠」という言い方もあまり意味を成さないのだが……「エース枠」? でも、今作はそこまでエースキャストに偏った配置になってるわけでないし……まぁ、そういう作品。「問題児」→「ブラッドラッド」ときて、3作続けて10話完結の半端アニメである。

 番組開始時にはそりゃもう期待を込めて「あかんわ」「どうでもいいな」と思ったわけだが、オープニング映像に引かれて見続けているうちに、じわじわ気持ちよくなってくるという、由緒正しいクズアニメの代表みたいな立ち位置になった。今期はこれと同じようにして、開始時に「あかんな」と思っていたのにじわじわ癖になるアニメが多く、視聴処理が非常に面倒なシーズンであった。今作の場合は、誰に何を言われても「駄目アニメだね」とにっこりほほえんで答える自信はあるのだが、最近は、駄目は駄目でも、良い駄目と悪い駄目があるようなのだ(自分で言ってても訳分からん)。

 今作の場合、まず障壁として立ちはだかるのが、脳内選択肢というこの作品のオリジナリティそのものである。初っぱなから遠慮なく無茶な「選択肢」が乱立し、そこに一切のルールもなければ、(作中視点からは)必然性も意図もない。そんなものを「ルール」として設定してしまっては、もう物語として成り立たないだろう、というのが拒否反応を示した理由だ。実際、脳内選択肢は単に「作品を都合良く導くための万能過ぎるツール」であり、これがあり続けるかぎりは作中人物に共感したり、身につまされるような真に迫ったシーンでグッと来たりということはあり得ない。どう考えても、ドラマを作る上ではノイズにしかなり得ない。しかし、しばらく見ているとそんな一面的な見方が間違っていたことに気がつく。この作品の場合、正しい視聴体制は、「ドラマとして見る」ではなく、「バラエティとしてみる」なのである。作中だけでシナリオが閉じておらず、たとえるならば必死に演者がドラマを作ろうとしているところに、ディレクターがカンペでガンガンアドリブや無茶振りを入れてくるのを楽しむコントみたいな感じ。それならば、選択肢の存在は単なる「笑いを取るための1つの手段」として一般的なものになる。

 そうして、「下世話なバラエティ」として見るとシナリオの無茶苦茶さはほとんど気にならなくなるし、あまりに残念なキャラクターたちのセッティングも、これはこれでコントとして見るべき点が多い。どれもこれも萌えもののテンプレかと思いきや、「お断りファイブ」も「表ランキング」も、結構キャラの立つ残念な奴が多い。特に、メインヒロインとして並立していた雪平、遊王子、ショコラの3人はそれぞれテンプレ属性を保持しながらも一捻り効かせたキャラ特性が可愛らしく、萌え作品として観ながら「おっ、俺ちょろい」と感心したものである。特に雪平だなぁ。しろぶた君が活躍した雪平エピソードでの一気に吹き出したデレモードとのギャップが際だっており、なんかもう、リアリティだのなんだのいう言葉は既にラノベ界隈の作品作りとは無縁の所にあるのだな、というのがよく分かって気持ちよかった。この手のハーレムものは本当に決まり切った展開ばかりでうんざりするのが常だが、今作の場合、横槍としての脳内選択肢のおかげでどんな酷いオチになるのかは最後まで予想がつかず、ちょいちょい挟まれる小ネタからいい角度でえぐりこまれると、ついつい笑ってしまう部分もあったのだ。

 また、アニメとしての画作りも非常に手堅く、いかにもディオメディアらしいビビットで目に痛い色彩も、こういう「嘘臭さ」を際だたせるのにはいい配剤である。スタッフについても、稲垣監督が割と頑張ってくれたのに加え、福田道生、森脇真琴などの名前が連なり、節操の無いギャグを繰り出す基盤設定との相性は良かった。こういう作品がポロッと出てくるので、アニメ視聴は油断が出来ない。まぁ、誰かに感想を聞かれてもあまりおおっぴらに勧めようとは思わないのは間違いないのだが、内心では「中途半端におわったんだから2期があるんだろうなぁ」と期待してしまう部分もあるのだった。繰り返しになるが、俺、ちょろい。

 最後は中の人。今回は主演のショコラ役(とエンディング歌唱)の砂土原かおり以外はあまりエースキャストにはなっておらず、サブヒロインたちなどもなかなか面白い個性的な面子になっている。個人的にヒットだったのは、キャラが立っていた雪平役の近藤唯。ギャップの激しい二面性だったので2役と言ってしまっていい仕事だったが、メリハリを付けて雪平の愛らしさを2割増しにしてくれていた。まだ新人のようだが、今後の仕事に期待したい。その他辻あゆみ、五十嵐裕美、松嵜麗など、「出てくればきっちり仕事してくれる」という中堅層が活き活きと仕事をしていたのも好印象。こういう層にスポットを当てるのってなかなか難しいのよね。そして、なんと言っても主演の豊永利行だろう。今作はハーレムものとしてもコメディとしても、とにかく主人公・奏のキャラがしっかり維持出来ていないと確実にグダグダになる作品。お断りされながらもきっちりイケメン要素を残し、その上での数々の変態発言、突っ込みをフル回転でこなしてくれたのはお見事。男性声優は(女性群と比べると)数が少ないので専門職としてどんどん先鋭化して腕が上がるよなぁ。

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「ガッチャマンクラウズ」 5→5

 日テレプラスではようやく先週末に放送が終了したので、中途半端なこの時期の番組感想である。

 関東圏から遅れての放送ってことで、読売系にお約束のタイムラグ視聴。おかげで世間では評価が色んなところから漏れ聞こえてくるもんだから、フラットな視点で観るのがすげぇ大変だった。何しろ「終了後に監督が土下座した」なんて話まで流れ込んでくるのだから、そりゃ諸々の色眼鏡で観てしまうのは仕方ないところでしょう。ただ、そうした先入観がむしろプラスに働いたのか、終わってみても特に大きな不満はない。そりゃね、どんながっかりが待ってるのかとハラハラしながら観てたら、この程度の幕引きは別に大した問題じゃないと思えるよね。まー、確かに色々と消化不良だし、後半の構成はかなりがちゃがちゃしてたけども……総集編を大量にぶっ込んだガルパンが絶賛されてるんだから、このくらいは許してあげようよ。今後改めてやり尽くしたものを製作し直せばいいのではなかろうか。

 さて、そんなラストの消化不良感は「まぁ、気になるけど仕方ないよね」レベルで済んだ。それ以外の面については、割とよくまとまっていた作品だったのではないかと思う。まず、中村健治の真骨頂とも言える映像面についてはほぼ文句なしだろう。でたらめなカラーリングの世界で、何が起こっているか分からない見づらい何かが展開していく。「つり球」の時には本当に訳が分からなくなるだけの演出だったが、今回はガッチャマンが活躍するのが別次元であり、クラウズによる「大衆の意志」の可視化という大きな命題があったので、この独特の画面構成は非常にマッチしていた。配置としては1つ前の作品である「C」に近いだろう。飄々とした敵キャラであるカッツェの造形も非常に面白く、宮野真守の好演にも助けられ、「何が正義で何が悪か」を問い続けるテーマ性も面白くドラマ化されていた。

 今作最大の特徴は、タイトルにもなっているクラウズ(群衆)であり、正義のヒーローがただ恰好よく敵と戦うだけの「ガッチャマン」ではない。ガッチャマンはあくまでも民衆の意志を受け、それを清濁併せのむための1つの機構であり、決して完全無欠のヒーローではない。それに対してカッツェは純粋悪として描かれるわけだが、こちらも自ら町を破壊して回ったりはせず、あくまでクラウズを経由して民衆を煽るだけで、いわばネット世界での「善とみなされるもの」と「悪とみなされるもの」が戦い続けることが「バトル」となっている。もちろん、ガッチャマンに変身する人間とてその例外ではなく、丈やうつつ、パイマンに至るまで、人間(?)としての弱さを持ちながらも、回りの人間との繋がりの中で変わっていくことをメインテーマとして掲げているのだ。

 ただ、唯一例外として存在しているのが、主人公であるはじめだった。実は、最初この作品は受け入れにくいと感じていたのだが、それは徹頭徹尾「はじめが怖い」からである。何しろ、アホな子かと思っていたら案外そうでもなく、どこまで言っても弱さを1つも見せない。彼女の行いが全て「善行」とみなされることは11話の回想でも明らかであり、「完全無欠のヒーローはいない」と書いたが、実際のところ、はじめは完全無欠のヒーローである。その完全さは、古き良きヒーローのそれすら超越しており、往々にしてある「主人公が悩むパート」すら与えられず、ただひたすら底の知れない「はじめイズム」を貫き通して、全てをぶち破っていった。このはじめの異質さというのは、結局最後まで解消されることはなかったわけだが、途中で「そうか、これがこの作品におけるヒロイズムなのか」と気付いたときに多少楽にはなった。普通ならば屈強な男性が受け持つであろう「完全無欠のヒーロー」像を、この作品では何の前触れもなく、天真爛漫な女子高生が受け持っている。たとえるなら、ルフィがどこまで言っても馬鹿で、強いことに近いかもしれない。彼女がやることは全て正しく、彼女がやれば全て解決する。そうした超越性を「既にあるもの」として受け入れられるかどうかで、今作の筋立ての評価も変わってくるのではないだろうか。

 私の場合には、「そこそこ受け入れた」というぐらいだったと思う。確かに、群衆を左右するネット世界という非常にあやふやなものを取り扱い、カッツェという純粋悪を相手にするのだから、対峙するガッチャマンにも「純粋正義」が必要なのだ。そして、純粋悪と同様に、「純粋正義」も、理屈で説明が付けられるものではない。はじめが何故正しいのかといえば、それは一ノ瀬はじめだからだ、としか言えないのである。この構図は、「クラウズ」の本質を描くためには欠かすことの出来ないものであり、はじめという怪物が何の断りも無しに産みだされたことは、必要なことであったのだ。まぁ、その部分もきちんと直感的に受け入れられるように描くことが出来ればより良かったのは間違いないのだが。

 主人公はじめの異質さと、それを収めきれなかった最後のシナリオの甘さ。気になる点を挙げていくときりが無くなってくる作品ではあるが、繰り返しになるが、決して悪いものではない。「不可視のものを描く」という目的は「C」の時よりも前進して分かりやすく描写されていたと思うし、純粋にアニメーションとしての楽しさは高品質だった。是非とも中村監督には土下座した頭をさっさと上げてもらって、決定している2期に注力してほしいものである。

 最後は中の人の話。今作で一番気になった名前は、OD役の細見大輔さんという方。観ていても「初めて見る名前だなぁ、割と面白いなぁ」と思っていたのだが、なんと、「C」の三國役の人だったのかよ。全然気付かなかった。ギリギリまで単なるオカマ(裏があるのは分かる)で引っ張り、クライマックスでガッツリと男前な部分を見せたODの存在感はかなり楽しめた。舞台中心の役者さんみたいだが、こういうところから男性声優の選択肢が増えるのは嬉しいところ。あとはまぁ、やっぱり内田真礼かなぁ。「はじめは怪物である」と書いたわけだが、その薄ら寒さを助長させたのは内田真礼の何もかも飲み込んでしまうような演技プランによるものだろう。どこまで意識して一ノ瀬はじめを作っていたのかは定かじゃないが、狙ってこれが出来ていたのなら、末恐ろしい存在である。

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「ステラ女学院C3部」 6→3

 今期最後の番組がようやくゴールしたが……そうか、1話目では俺、割と期待出来るっていう判断だったんだなぁ。気合い入ってるのが伝わって来たからなぁ。割とよくあるはずなのに、最近だと久しぶりな気がするなぁ、「1話がピーク」。

 見るべき部分だって少なからずあった作品だ。1話で見せてくれたのは、臨場感を持ったサバゲシーンの描写で、何とも大仰な、舞台演劇のような場面の振り方は、「新しいジャンルとしてのサバゲー」を見せてくれるという期待感があったし、要の部分では画のインパクトも充分だった。組織としての体質が変わったとはいえ、GAINAXの製作スタイルはまだまだ見栄えのある画面を構築できるのである。

 しかし、致命的に伝えたいことが分からなかった。世間的には、大きく「ゆらが何を考えているのか分からないし、彼女の行動に救いようが無い」というのが評価を下げる最大要因になっているように思うが、私も素直にそれが一番飲み込めなかった部分である。主人公が悩むのは構わない。悩んで苦しんで成長するのが主人公の特権と言ってもいい。その結果、人として間違った行動をしてしまうこともあるだろうし、たとえ表面的にクズに見えたとしても、それが「人間味のある」行動で、そこで砂を噛んだことから成長出来るのならば、辛い部分が描かれる意味はあるだろう。シリアスな場面をきちんと描けるのは、良いアニメの条件だ。しかし、今作の場合、ゆらの成長物語としての拠り所が無い。彼女のメンタリティにどうしてもついていくことが出来ない。思いつきで行動して、思いつきで思い悩む不思議な女の子だ。彼女が一喜一憂するたびにどんどんドラマの筋は見えなくなってしまい、他のキャラがそんなゆらに対して共感を抱いても反感を抱いても、「分からないものに反応を示している」というだけで周りのキャラまで分からなくなってくる。

 エキセントリックで「理解出来ないこと」を売りにしたドラマを作るという作劇方法もあるだろう。基本的にギャグになるだろうが、それで面白くなるアニメもたくさんある。しかし、本作の場合は、どうしてもやろうとしていることは「単なるベーシックな成長物語」であるという意図が見え隠れする。見えているはずなのに、そこから出てくるものがてんで理解出来ないものなので、かえって困ってしまうのだ。はたしてゆらは正義だったのか。それを見守るそのらは正しい先輩だったのか。C3部は明るく楽しい部活だったのか。サバイバルゲームは、友情を深めるのに相応しいツールだったのか。最終的に全てのファクターが懐疑的に見えてしまうという、何とも救われない結末になってしまった。

 何故このように奇妙なゆがみを持った作品になってしまったのかは分からないが、脚本の舵取りがまったく出来ていなかったのが最大の原因。個々のエピソードでの違和感は当然として、全体を統括する際、物語がどこに向かっており、そのためにキャラが何を考えればいいのか、という全体像をはっきり示さずに転がしてしまったことが、ゆらを苦しめた最大の原因であろう。「何故ゆらがサバゲーをやる必要があったのか」から始めて、もっと極端なところでは「何故アニメでサバゲーを扱うのか」というメタ部分まできちんと答えが出ないのでは、アニメとして、ドラマとして収穫はない。残念ではあるが、狙いが上手く行った作品とは到底言えないだろう。期待させるだけのガジェットがあっただけに、何とも勿体ない結果であった。

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「幻影ヲ駆ケル太陽」 5→3

 何がやりたかったのかが最後まで分からなかった作品。いや、違うか。正確には、何がやりたいのかは分かるのだが、何故やりたかったのかが分からなかった作品。アニメオリジナルだから何か特別なものが出てくると期待してしまうのはこちらにも責任があるのかもしれないが、この作品の場合、どんな状態で見ても、別段収穫があったとは思えないのが難である。

 この作品を表すのに一番手っ取り早い表現は「劣化まどマギ」である。魔法少女になる運命を与えられた少女の友情物語をメインに置き、敵対するのは人間の邪悪な思念の集合体。そして、物語中盤では魔法少女として戦う女の子に悲劇的な宿命が告げられ、彼女たちに救いのない選択を迫るのである。ダエモニアの禍々しいデザインもそうだし、そもそもバトルとしても萌えとしても抵抗がありそうな独特なキャラクターデザインなんかも、まどマギのつぶれあんパンがなければなかなか出てこなかった設定なのではなかろうか。そして、まどマギにはそれだけの賭けをして得られるものがたくさんあったわけだが、残念ながらこの作品には新しく得られる要素が無い。友情物語としては至って平凡であるし、デザインが変わっているとはいえ、バトル描写が取り立てて盛り上がるようなものでもない。草川監督作品なら何とかそういう動きの面でリカバリーして欲しいという願いがあったのだが、どうも、最近は「カンピオーネ」とかこれとか、惰性で仕事をしているような画が多いような気がする。もう少しビビッとくる戦闘シーンが見たいんだけどなぁ。

 結局、今作で一番盛り上がったのは1話目で冬菜が惨殺されたシーンであるが、あのサプライズもシナリオ上では特に有効利用されることもなくフェードアウトしてしまい、残った面々の「それぞれの物語」は、それぞれにありきたりだったり、あんまり共感出来なかったり。せいらの変心とかもう少しドラマティックに描けただろうし、るなの反逆なんてもっとドロドロ引っ張れたはずなのに、そのあたりのドラマは特に掘りさげないんだよなぁ。そしてそれら全てが、精神的に不安定なくせに、主人公面して都合の良いところだけは乗り越えてしまうあかりに収束する。結局、今作は「太陽あかりがどんな人間なのかよく分からなかった」ところが全てなのかもしれない。最終的に希望の象徴みたいになっていたけど、あの性格で大した実行力もないあかりが、あそこまで人心を集める意味が分からないんだよね。結局ダエモニア混血っていう生まれの特殊さだけで乗り切ったようなもんだしな。一応、最終話あたりの会話でちょっと感心したのは、エピソードの大部分がオープニングテーマ「traumerei」にリンクさせてあった(というか、曲の方がアニメのイメージを歌ったものだった)ので、何となく綺麗に収まったように見えたことだけど、流石にそれだけじゃごまかされない。

 まとめると、「やりたいことは分かるが、この作品でやるべきは多分それじゃないし、やりきったとしてもあまりにペイが少ない」ということ。何が決定打になってこのアニメの企画が通ったのかがよく分かりません。「なのは」みたいなコンテンツを狙ったものなのかな……だとしたらやっぱり「なのは」って凄かったと思うよ。草川さん、あのときの意気込みをもう一度見せておくれよ。

 中の人については、結局キャラにいまいちのめり込めなかったのであんまり無い。シナリオと直接関係ないところにいるキャラの方が見やすかったせいで、シュレディンガー役の井澤詩織とか、三姉妹役の種﨑敦美とか、そういうところにばっかり気持ちが行ってしまったかな。あと、すげぇ微妙なところだけど、ぎんかのおとんが何か好きだった。

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「ロウきゅーぶ!SS」 5→5

 可もなく不可もない作品。いや、悪い意味ではなくね、「こうなるんだろうな」と思っていたことを全部そのままやっていただけなので。2期ものとしては至極まっとうで、ファンの期待も予想も裏切らなかったといえるだろう。

 2期になって変わったことといえば、一番はキャラの数だろう。5年生チームが増えた事で最終的には「主人公側」に属するキャラが倍に。それまでは敵キャラとして描かれていたわけだが、単なるライバルキャラではなく、「最終的に仲間になることが確定しているキャラ」なので、描写もデリケートになる。そのあたりを考えながら中盤までの試合を構成していたので、いくらか視点は散り気味にならざるを得ず、1期と比べたら脳天気に「小学生は最高だぜ!」とはしゃぐだけというわけにはいかなくなった。その分、視点が増えたので多角的に6年生チームを描写することが出来るようになっており、メインとなる智花だけでなく、周りの5人の生活環境も見えるようになり、まともなドラマ成分が広がった印象。まぁ、メンバー全員に因縁があるキャラが綺麗に5人集まってチームになったり、多分にご都合主義ではあるのだが、別にプロットの練り込みでみせる作品でもないし、単純にライバル関係が構築できる分かりやすい設定で話を広げたのは正しい判断だろう。

 ラスボスとなる硯谷の存在も、それまで作ってきたものの延長戦上にあるだけなので分かりやすい。「どの辺が強いか」というのが伝わりにくいのが難点だが、もとからあんまり「強さの描写」が明確だったわけでもないので、常に「何となく主人公が苦戦するレベルです」という設定になっているのも潔いと言えるかもしれない。スポ根サイドの設定を煮詰めるくらいならロリコンサイドの描写を増やすわ! という気概は、ニーズを考えれば正しいものなのだろうし。個人的にはスポ根側でももう少し彫り込んで欲しかったかな、とも思ったが、パンツ返却バトルなんかで異様に盛り上がっている姿を見ると、まぁ、この作品はやっぱりこのバランスでいいのかな、という気もする。最終回を含めてスポーツ要素でもそれなりの盛り上がりにはなっていたし、やっぱり昨今のラノベの中では珍しいくらい真っ当な無難さがあった。これはこれで悪くないのではなかろうか。きちんと卒業までやってくれたおかげで、視聴後は非常にすっきりした後口ですよ。昴さん、もう二度と「小学生は最高だぜ!」と言えないのですね。

 あとは中の人の話だが、メインとなる6年生チームはもうレジェンドなのでおいとくとして、5年生チームはそれを上回るフレッシュな面々で固められていて、なかなか楽しかった(まぁ、年齢で言ったら圧倒的に上だが)。5年生チームも当然歌って踊れるようにならないとな。個人的には洲崎・井口が真っ向からぶつかる図が見てみたいです。

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「ローゼンメイデン」 5→6

 これも実に良いアニメでした。元々のアニメシリーズも好きだったけど、今作はまた違った方向から味わいが出ており、「ローゼンファン」にも楽しいが、「ディーンファン」、何より「畠山ファン」に嬉しい作品になっていたのではなかろうか。

 1期2期などとはあらゆる部分が変わっているのは、狙ったものがまったく違うためである。キャラクターデザインなどからもはっきり分かるように、松尾版の「ローゼン」ははっきりとキャラに萌えるために作られたものだ。当時の盛り上がりを思い返すに、正直アリスゲームがどうこうとか、アニメオリジナル展開がどうこうとか、そういう部分はあまり問題ではない。とにかくドールたちが小さい身体でもってきゃっきゃうふふしながらもそれなりのバトルを展開させ、個性が出せるならそれでOKというデザイン。実際、それが成功をおさめており、かくいう私も水銀党員の端くれとして「オーベルテューレ」のDVDは即買いしたものである。改めて考えてみれば、「アンティークドールが姉妹同士で殺し合う」なんて設定はおどろおどろしいにもほどがあるのだが、それをキャッチーなキャラものに昇華させ、人気コンテンツとして確立した当時の采配も見事なものだったといえるだろう。

 他方、今回の主目的はあくまでも「物語を紡ぐこと」にある。終わってみれば「大人ジュンの精神的成長を描く物語」という何とも地味な題材なのだが、そこにドールという不可解な少女を紛れ込ませ、摩訶不思議な空間に引きずり込むことで、様々な鬱憤を孕んだ大学生の心情面を形作っていく。ドールは当然のように現実世界を動き回るが、あくまでそれはジュンの現実に紛れ込んだ「異物」という存在に留まり、そこに活き活きと駆け回るキャラクターとはならない。こうした「どこか不安定な幻想性」を描くというのは非常にデリケートな作業なのだが、この仕事に見事にフィットしたのが、畠山ディーンという製作体制であったわけだ。ディーンは元々こうした「どこかホラー寄り」の作品は昔から得意としており、個人的に避けて通れない「地獄少女」との関係なども一席ぶちたいくらいに思い起こされるのだが、どうも最近はディーンというと「腐向け」の印象ばかりが強くなり、なかなかこういう方向性での主張が無くなっていた。そんな状況に風穴を開けてくれそうなのが畠山守という存在。「さんかれあ」でも見せてくれた特異なデザインセンスでもって、「現実世界を歩き回るドールの世界」を、どこか儚げに、そしてどこまでも愛らしく、現実の範疇をギリギリ出ないようなさじ加減で描ききった。今回は全エピソードの半数で監督自らコンテを担当する力の入れようで、「さんかれあ」で世に知らしめた畠山ワールドを盤石なものとして開示することなった。他にも名村さんとかわたなべひろしとか、ディーンの古参の仕事も見られたし、今後とも、是非このテイストを大事にして欲しい。

 中の人については……銀様マジ銀様。田中理恵・沢城のやり合いを見てるだけで軽く召される勢。あと今作を見てると、「何で仕事減ったんだろう」という面々の名前が多く連なっているのがなぁ。なっちゃんとか、まだまだ仕事して欲しいのだけども。

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「げんしけん二代目」 6→6

 良いアニメ。やっぱり白い水島さんのアニメは本当に安心して見ていられる。履歴で確認すると、監督作品が「Another」→「じょしらく」→「ガルパン」→「アザゼルさん」→これ。すげぇ振れ幅で白水島と黒水島を行ったり来たりしてるな。順番からいくと次は黒い方の水島になるわけだが……何が出てきますかねぇ。

 「げんしけん」という題材自体は、アニメにすることを考えると地味な部類である。基本的には部室でダラダラしているだけのアニメだし、単なる日常系アニメではなくてその中にちゃんとメインとなるストーリーもあるので、あまり好き勝手に演出で飾り立てるのにも向かない。過去の作品だと「×××HOLiC」あたりに近い制約がかかった原作である。しかし、そんなビハインドは一向に制限にはならず、平然と「それに見合った画」を作り出してくるあたりがしたたかである。アニメ的に独特なところなんてせいぜい女波戸のスタンドが飛び回るシーンくらいなもので、どこまでも平坦なはずなのに、何故か知らないが引き込まれてしまう。こういう画が作れるっていうのはそれだけでもすげぇことだ。

 そして、「オタクと言いながらもリア充が集まって好き放題やっているだけ」というシナリオラインも、普通に考えたらなかなか共感も得にくいし、盛り上がりに乏しいものになるはずなのだが、スーパーヒロイン斑目を中心にして見事に緩急を付け、「腐女子の恋愛」「腐男子という存在」「オタクの恋愛観」といったテーマを巧みに配分しながら、綺麗に着地させることが出来た。11話のクライマックスなんて本当に感極まって泣けたし、登場直後は「いくらなんでも無茶過ぎる」と思っていた波戸君のメンタリティなんかも、気付けば共感が得られるようになってきていた。「原作をそのままアニメにしただけ」とは言うものの、これだけの中身で過不足無くドラマを組み立てることがどれだけ難しいことか。いや、お見事。

 中の人についても、毎回の感想で散々触れていたので今更だが、総取っ替えされたキャスト陣はどれもこれもみなはまっていて、初見の人間は文句をつけようとまったく思わない布陣である。大野さんえげつなかったし、荻さん可愛かったし、春日部さん女神だったし。そして新キャラの並べ方も「これしかない」というポイントをついていて、特に矢島役の内山夕実がお気に入り。やっぱり彼女は現代アニメのサブとして欠かせない人材。あとはなんと言っても波戸君でしょうね。山本和臣による微妙な性別の揺れ方に加えて、遠慮無く萌え声で攻められる加隈亜衣の安定感。スー役の大空直美も、要所で大事な出番が多かったが臆することなくやりきってくれていた。恵まれたアニメだったのではないでしょうか。

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