最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「中二病でも恋がしたい!」 6→7
良かったDEATH。最終的にどのくらいの評価にすべきかは割と悩んだところで、11話あたりの単発の破壊力を考えればもっと高い配点もあり得るし、最終話まで含めた1つの小さな流れとしてはそこまで手放しで褒められるわけじゃない部分があるのも事実。あげようか、維持しようかで悩んでいたら脳内で六花ちゃんが可憐に踊り出してしまったので、最終的に「Lite」の方も含めての評価ってことで加点させて頂いた。この得も言われぬ達成感こそが、京アニ厨たる由縁であるのかもしれない。 今作は実に色々な見方が出来る作品だと思うのだが、1つの話題になっていたのは「シリアス部分の是非」というトピックだろう。7話で六花の生い立ちが判明するまでは、徹底的に中二病という題材を茶化して笑いや萌えに繋げるコミカルなテイストだったのだが、六花が中二病へ向かった原因が明らかになった後は、そうしたコミカルな要素はやや少なくなり、過去と戦う六花、それを守る勇太という2人のラブストーリー中心にシフトした。これを見て「余計なシリアス要素はいらない」と切って捨てている意見を少なからず見たことがある。そうした意見で言わんとすることは分かる。確かに、7話を見たときに戸惑ったのは事実だし、「中二病」という題材をそうした「物語作りの1パーツ」として埋め込んでしまうことで、本義を曲げ、笑うことすら出来なくなってしまうという懸念があった。何より、それまで楽しんできた笑いの要素が無くなってしまうという明らかな変化が、許容しにくい視聴者もいたことだろう。 しかし、そういう見方っていうのはやはりちょっと勿体ないんじゃないか、とも思う。元々「恋がしたい」がタイトルなのだからラブロマンスに繋がるということは分かっていることだし、どうせ物語を作りならば、やはりそれは筋を通した「作品の中心」にあるべきだ。新しい形のラブストーリーを模索する中で、「中二病」というテーマを再解釈し、効果的なツールの1つとして使いたい、というシナリオラインの挑戦は、やはり評価すべき部分であろう。六花にとっては逃げ道でもあったが、それと同時に辛い時期を乗り越えるためのエネルギー源にもなった「若い力」としての中二病。これが近所に住む勇太の手から渡されたものであり、恋の架け橋として機能しつつも、2人が最初に乗り越えなければならない試練としての役割も果たしている。せっかく「誰もが患うかもしれない若さ故の症状」という身近なネタがあるのだから、そこに共感と理解を求めつつ、最大級のフィクションとして大きすぎる役割を付加して物語りを膨らませるというのは、脚本作りを考える上で至極真っ当な方向性だっただろう。「理解を深める」「試練を乗り越える」。どちらもラブストーリーならば必須の要素なわけで、今作は単にそこに「中二病」というファクターを合わせただけなのだから、シリアスだとかギャグだとかいう以前に、「有り得べき物語」だったという話なのだ。 シナリオラインについて、ある程度制作者の方向性が理解出来れば、あとはいかにも堅実な筋運びである。まぁ、最終回の締め方については他にもやり方があったかもしれない、というのはあるのだが(特にくみん先輩のくだりね)、さりとてもっと効果的な代案がある、というわけでもない。12話という尺の中で収めるべき部分を収め、盛り上げるべき部分は盛り上げた。それだけで充分ではなかろうか。六花の心中は充分推察出来たし、勇太が置かれていた何とも珍妙なジレンマについても、不思議なことにきちんと理解出来るレベルまで感覚を共有出来ていた。こういう無茶な部分でもある程度牽引出来るのが、数々の「泣かせる」ドラマを組み上げてきた石原監督の手腕であるし、京アニ作画の強みである。 大筋については、考える部分も多かったので「可」として見たとしても、その上にのっているキャラクターについては、もう「優」でいいだろう。実に阿漕に設定された4人のメインヒロインたち。気付けばまぁ、お互いに綺麗に補完し合いながら引き立っていたのが見事。個人的には、「序盤はずっと六花のターン、六花がドラマ部分に本腰を入れ始めてからはずっと凸守のターン」というイメージ。六花さんは本当に希有な、「正面から可愛がれるメインヒロイン」だった。やっぱり京アニ作画のくせに強さは、六花みたいにコロコロと丸いキャラで活きてくる。執拗に繰り出された下段攻撃のモーションの美しさたるや。同じことは後半の主役(?)である凸守にも顕著。彼女もコロコロしたアクションやダイナミックな表情の変化が見どころなので、画の際だちがダイレクトに魅力に繋がる。11話で風に揺られる凸守とか、すげぇ破壊力だった。森サマーは最初ひどいキャラだと思っていたら、本作には他に替えが利かない「抱擁するキャラ」であることが判明し、少しずつ魅力を上げていった。「クラスのアイドル」→「腹黒鬼畜」→「実はやっぱり素直で良い人!」という変転が小ずるくてよろしい。くみん先輩については…………えーと、畜生です。一色は幸せになるといいね。 などなど、楽しい女の子について話をすれば、最後は当然中の人の話。こちらはメイン4人、一歩も譲らないデットヒートを繰り広げた。森サマーで新たな魅力を見せつけてくれた「永遠の織部やすな」こと赤崎千夏、代表役っていうと今までは雪歩くらいしか浮かばなかったがくみん先輩でぐいぐい押し出してきた浅倉杏美、どちらも期待通りの仕事だろう。また、最近ぐいぐいあげてきているといえば、なんと言っても上坂すみれ。まぁ、凸守の場合はキャラで得をしている部分も少なくないだろうが、それでも11話の演技を含めた「パーフェクトヒロイン凸守」が出来上がったのはすみぺの力があったのは間違いないだろう。流石に中二病への造詣の深さは一線級である。そして、そんな並み居る新鋭たちの中でも堂々の主役を勤め上げた内田真礼こそが、この作品の空気を決定づけた最大の功労者であろう。六花の2つのカラーを出すことが前提にありながら、結局「どちらの六花も六花なのだ」ということが分かるよう、根底に流れる小鳥遊六花を完成させた。よくもまぁ、これだけのキャリアで大役を果たしたものである。最近は若手でもガンガン来るからこういう大仕事も珍しくないのかもしれないが、今作のように1つ1つのキャラ作りが全体の空気を大きく左右する場合には、余計に際だって見えるのである。まあやは大きくなりそうな気がします。 PR
「えびてん 公立海老栖川高校天悶部」 4→3
今期最初に終了した番組は、10話という中途半端な話数であり、なおかつ既に先行配信されていたせいで特に新番組という気もしなかったらしい、この作品。ゴールしたとはいうものの、あんまりゴールテープを切った感慨が無いのは残念至極。 改めて新番チェックの時の感想を見てみたら、最終話を見終わった後の印象とほとんど変化が無かった。今作を語る上で外せない要素は当然「パロディ」ということになるだろうが、そもそもパロディをやるための土台が無いんじゃ話になりませんよね、というお話。おそらくこの作品を楽しく見られる人というのは最低限元ネタを知っている人間ということになるだろうから、半数以上もの元ネタがピンと来ない私のような人間が楽しめないのはある意味必然なのだろうが、問題なのは、果たして元ネタを認知出来たからといって、この作品が楽しかったのかどうか、という部分なのである。 ネタ不足、先細りと言われて久しいこのアニメ業界。昨今の作品では様々な形で「パロディ」という方向性が模索されているが、一通りの方向性は出そろった感があり、単に「パロディをやりました」というだけでは作品としての売りにはなるまい。せっかくなので他作品でのパロディ要素を見てみると、個人的にお気に入りだった作品としては、近年ならたとえば「パンティ&ストッキング」なんかがある。奇しくもメインヒロインの中の人が一緒だったりするが、あちらの作品の持つ破壊力は尋常じゃなかった。何故「パンスト」がパロディを土台に置きながらもあそこまでの爆発力を有したかといえば、絶対的に揺るがないオリジナリティの上に立脚していたおかげである。画面のデザインもそうだし、徹頭徹尾下ネタに繋げるというネタの方向性が、あの枠でしか実現しえない最低のパロディ要素を構築していた。また、もっと近い事例では「戦国コレクション」もパロディを前提とした作品である。こちらの場合、「パンスト」と比較してもオリジナリティが弱く、依って立つ基盤がない、という意味では「えびてん」に近いものがある。実際、「戦コレ」はどうしようもない話数は本当にどうしようもない場合もあったのだが、そんな中でも脳髄に響く致命的な脚本も少なくなかった。こちらの場合の勝因は、元ネタをあり得ない次元にまで咀嚼し、新たなコンテンツとして再構築する徹底した翻案が、「新しさ」を産みだすのに繋がっていたことだと思われる。 他方、こちらの作品はどうだったかというと、「パンスト」のような強烈な個性によって立つことが出来なかったのは1話目の時点で予想出来ていたこと。その上で、「戦コレ」のように元ネタへの偏愛をこじれさせて新たな面白さに繋げようという意識は残念ながら感じられなかった。やっていることはスタイルの模倣、表面的な映像レベルでの「間借り」であり、労力を割いた「真似」をみれば「なるほど、確かに似ている画面だ」とは思えるかもしれないが、それが面白さを産みだすかといえば、決してそうはなっていなかっただろう。「戦コレ」は多数の主人公が毎話毎話切り替わって全く雰囲気の異なった作品世界をモザイクのように繋げていたが、こちらの作品ではあくまでメインとなる天悶部の面々は変わらず中心におり、その固定された世界が、パロディという名目であっちへふらふら、こっちへふらふらと落ち着かないネタ回しに奔走していた。これでは本来原作には存在していたのであろうメインシナリオなど味わうことが出来るわけがないし、パロディとしても掘りさげることは難しい。やろうとしていた方向性は分かるのだが、いくら何でも安直すぎる発想であり、これを面白いというのは難しい。おそらく権利関係やらなんやらで色々と手をかけた部分もあったのだろうが、もう少し有効な使い方は無かったものかと悔やまれる。 中の人については、今期のエース枠だったのであまりコメントも無いのだが、やはりメインでしゃべっていた阿澄佳奈の存在が、いいような、悪いような。基本的にアスミスって声が一種類しかないタイプの声優なのだが、そのせいでこのアニメのパロディ部分は、全部「ひだまりラジオの冒頭の茶番パート」にしか聞こえなかったんだよなぁ。ジョジョパロが入ってくれば完璧だったのに。あ、でも野矢役をやってた伊瀬茉莉也は良いバランスで落ち着いてきたな、とは思う。少年声も嫌いじゃないよ。あとは名塚・しゅが美という不思議な連携を感じさせるボイスが毎週聞けるというのもナイスではあった。しゅが美のおねーさんボイスは貴重ですから。
「LUPIN the Third -峰不二子という女-」 6→6
というわけで、今期最後の評価作品は、今期作品じゃないっていうね。いやぁ、濃かったですな。毎回30分見ているだけでへとへとになるくらいの画面ですよ。1クールで終わっちゃってあっという間だな、というのが印象なんだけど、これを1クール維持出来ただけでも大したものかもしれません。 とにかくその独特の画面ばかりが印象に残った作品だが、あまり「ルパン」の世界に親しくない人間からすると、独特なキャラクター性がまた1つ違った味わいになっているのも見るべき点だったろうか。不二子のキャラはもちろんだが、次元に五右衛門、そしてなんと言ってもエロ親父銭形。このあたりの「毎度お馴染みのキャラ」もコテコテのくどさでもって物語に花を添えてくれていた。ルパンのキャラだけはは「毎度お馴染みの」って感じではあったが、こちらも顔の造形が濃いおかげで、いつも以上の胡散臭さがくせになる味わいである。 シナリオ面についても、元々「ルパン」ってことでどこか都合の良い行き当たりばったりな雰囲気はありつつも、毎話毎話で思いの外狙いを変えてくれていて、オムニバスとして事件の方向性で新鮮さがある。もちろん、そんな中にも1クール作品として1本の芯が通っており、タイトルの通り「峰不二子という女」が一体何者なのか、という謎が少しずつ紐解かれていく展開も破綻なく構成されている。まぁ、不二子の人物像については、他シリーズのように「どこまでもしたたかな女」でいて欲しかったので今作の不二子の悩める様子はどこかもどかしい部分もあったのだが、他のキャラクターがお調子者だらけだったので、その分メインヒロインがバランスを取ったと考えれば許容出来るレベル。この世界の男どもは本当に大馬鹿揃いなので、どれだけポジティブに生きようとも、不二子は色々と苦労しそうである。今回はオスカーさんっていうぶっ飛んだキャラもいたしな。彼は本当に美味しい役どころだったよねぇ。 これだけの労力が費やされた作品、なかなか続編や類似作品を、というわけにもいかないだろうが、最近は映像面で冒険する作品というのが一時期に比べて減ってきているような気がする。この作品を見ていると、画作りやシナリオラインに類似点があるのか、何故か「THE ビッグオー」の記憶が蘇ってくることが多かった。今作や「ビッグオー」のように、映像面でも独自性を打ち出しつつ、しっかりとシナリオが完成されているような野心的なオリジナル作品を今後も見てみたいものである。
「恋と選挙とチョコレート」 4→4
今期の評価もまもなく終わり(あと一本残ってる)、ようやく幕を閉じたこの作品だが、点数に反映しにくかったが、決して嫌いな作品ではなかった。 1話時点では「分かりやすいハーレム」ってなことで、大量のヒロイン勢が自動生成されてボコボコと出てくるのには辟易したものだが、いざストーリーが回り始めると、その中でメインとして機能する女の子の数は思ったよりも少ない。途中ですったもんだはあったがメインヒロインが千里であることはあまり迷わずにすんだし、タイトルの通りに選挙のお話なので、その対抗である皐月、あとはせいぜい美冬がちょこっと粉かけたくらいだろうか。いわゆる鈍感系の鬱陶しい主人公というわけではなく、選挙戦のごたごたのうちに皐月との関係性を作っただけなので、千里一本の姿勢が変わらずに見やすかったのは純粋にプラスだと思う。その上で、回りの賑やかし連中は裕樹に必要以上にちょっかいを出すこともなく、適宜エロ要員として絡んで来るだけだったので、思った以上にメインシナリオである選挙戦を見ることが出来た。 まぁ、ゆーてもそのメインシナリオは大したもんではなく、最後の最後に至って相手方が完全な力業で挑んで来たり、それを裕樹の根性演説で潰したり、序盤で必死に会長が票計算してくれてたのはなんだったんだよ、というような片付け方だったので、途中「割と生臭い選挙のノウハウとかを見て楽しめるのかも」と思ってた身としてはがっかりだったのだが、まぁ、しょせん生徒会長選挙なんだし、こんなもんと言ってしまえばそうなのかもしれない。釘宮部長、やり手とか言われてた割に作戦がおおざっぱ過ぎやった。無駄な設定といえば、むしろ気になったのは冒頭で出てきた裕樹の「何故か相手の顔が妙に見える設定」の方か。結局、あれってなんだったんだよ。何の意味もなかったよな。 曲がりなりにも1クールのあいだ「選挙で戦う」というどうなるか分からないテーマを貫き、それなりに山も作って一本のシナリオが出来上がったのは良かったと思うが、やはりエロゲシナリオとしての限界がどこかにあるのか、他のアニメと比べて面白いかと言われると流石にそうとは思えない、そのくらいのお話でした。途中で千里がぶっ壊れて「恐怖のチョコヤンデレ」になるくだりは割と好きだったんだけどね。ずっと袖握られたまんまで風呂とかトイレ行ったり。もう、あの関係性が成立してる時点で完全に両思いじゃんね。 というくらいの作品です。なかなか話の作りにくそうなテーマの割には、意外に画面に飽きが来るようなこともなかったし、作画面は終始安定していたので、そこは素直に良かったと言える点。これで女の子の顔にもう少し区別が付けやすければ良かったのだが。中の人については……エロゲキャストだとあんまり語るべきことがないなぁ。あ、儀武さんが良い仕事してるよ。
「戦国コレクション」 4→6
これ、最終的にどう評していいのか分からない作品です。何が辛いって、「自分に受け入れられるキャパが無いのが分かってる」っていうのが辛いね。ホントに視野の狭い人種なので、アニメ視聴に他の視点を突然投げ込まれるとそれだけでお手上げになってしまう。古今東西の有名映画パロディって言われても、わたしゃほとんど分かりませんよ。 しかし、それでもかなり思い切ったことをやっているというのは嫌というほど(ホント嫌というほど)伝わってきたのは間違いない。基本的に「何がやりたいのかよく分かる」というのが最大の評価ポイントの人間なので、そのチャレンジ精神は「分からないなりに」敬意を表したいと思う。 いやぁ、最初はどうなることかと思ってたよね。戦国美少女もの+ソーシャルゲームという、救いのなさそうな要素のコンビネーション。どこに応援要素を見いだしたらいいか分からないし、「織田信奈」みたいに絵で見せるでなし、かといって「戦国」の活劇で見せるでもなし。1話目を見て「こりゃあかんな!」と匙を投げても仕方ないレベル。ことこの作品に関しては、1話目で「切ろうかな」と思っていた過去の自分が間違っていたとはこれっぽちも思っていないし、だからこそ切らずに最後まで見られたラッキーに感謝したい。なぁ、こういうのがあるから途中でアニメを切ることが出来ないんだよ。面倒なことしないでくれよ、後藤圭二め。 本作の「意味」が分かりはじめるのは、巷で流れる「どうやらあれって有名映画オマージュのオムニバスらしいぞ」という噂を聞きつけた後から。確かに、言われてみれば1話目ははるか昔、高校だか中学だかの授業中に1回だけ見た「ローマの休日」によく似ていた。そこから続く他の作品も、「なんの脈絡もなく垂れ流している作品」だとすると、あまりにもとりとめが無く、脚本を書いた人間の精神が心配になるレベル。そこに元ネタがちゃんとあるんだ、と言われれば、「良かった、分裂症気味の危ない脚本家はいなかったんだね」となって一安心。そして、「戦国」という要素が無茶苦茶なパロディとして昇華された5話に至って、「ちょっと待て、コメディとかそういう範疇じゃなくて、コレ、おかしいだろ」ということになる。 「どこかおかしいぞ」ということに遅ればせながら気付いた後は、毎回「何が出てくるんだろう」とおそるおそる見るびっくり箱みたいな作品になった。全盛期のミルキィもかくやという恐怖感。このあさってに向けた思い切りの良い企画が、「戦国美少女+ソーシャルゲー」という負の足し算を、見事にひっくり返してみせたのだ。テレビ取材を受けて武士の安全さを訴える塚原卜伝、場末のカフェを盛り立てる松尾芭蕉、コンビニでしおらしくバイトをする前田慶次などなど、「戦国も関係無いし、下手したら美少女すら関係無い」という、とんでもない配置である。そして、それらのミスマッチが「映画のパロディ」ということで更に骨太なシナリオに無理矢理融和させられ、缶詰め工場で働く大谷吉継の物語は涙無しには見られないし、信長を殺した記憶のフラッシュバックに苛まれる明智光秀の葛藤にも息を呑む。砂場の攻防に命を賭ける尼子経久に至っては、ナレーションまで全力でのバックアップ。銀英伝が元ネタとか、しらんわ! とにかく、ありとあらゆるミスマッチをただひたすら掛け合わせ、視聴者に何を伝えたいのかはさっぱり分からないという怪作が、まさかの2クールで提供されたわけだ。これだけのものを放り投げられて、無駄に捨て置いたらアニメファンとは言えまい。本来ならば原典となった映画も見るべきなのだろうが、それが叶わぬなら、とにかくその脚本が何を目指したのかを想像し、それが映像面にどのような「おかしさ」として出たのかを楽しむ。この難行は、本当に楽しかった。毎回「何を楽しめば良いんだろう」から考えられるアニメって、実はすごいものなのかもしれない。 現時点での評価は、「見たことが無いもの」に対する過剰反応なだけかもしれない。「元ネタも知らないくせに、何を偉そうに語ることがあるんだ」と言われるかもしれない。そして、それに返す言葉も無い。しかし、「何かあったんだ」というその奇妙な「乗せられている感」が、とても楽しかったのです。一本一本のエピソードで切り取って単なるショートムービーとして見ても面白い話数もたくさんあるし、そうした「チャレンジの塊」として、今作は実に刺激的で、「結果を伴う」作品だったのではなかろうか。 ま、おかげで中の人について語りにくいという難点はあるのだが……大久保瑠美は頑張ったと思う。あれだけのキャストの中で、最後までなんとか「信長の物語」を維持し続けたのだから、その頑張りは評価されるべきだ。あとのキャラで気になったのは……北条早雲役の広橋涼さんとか、光秀役のぴかしゃとかが楽しかったです。オムニバスのくせに微妙なところでリンクしてて、「あ、こいつまた出てんのか」みたいなところが見えるのも楽しかったなぁ。
「DOG DAYS’」 4→4
期待していたものを期待通りにお送りしてきた作品。何とも妙な話だが、この作品の場合、視聴者からは「何も起こらないこと」が望まれている。そして本当に「何も起こさなかった」のである。良いのか悪いのか、それでも全うしたこの作品の絶妙な立ち位置は見るべきものがあるのかもしれない。 1期の時の最大の不満点である「シリアスいらね」を、見事に取り込んで「じゃ、シリアス無い」という回答を出すことになった本作。1話から最終話まで、誰一人深刻な顔をせず、誰一人思い悩んだりせず、とにかく「なんだか楽しいケモ耳ワールド」で夏休みを過ごして帰って行くだけだった。フロニャルドを訪れたシンクたちご一行は当然楽しんで帰ったし、それを迎え入れた姫様たちも実に楽しそうで本当に満足した様子。それなら、まぁいいんじゃね? という結論しか出てこないという。ここまでなんにも考えないアニメも珍しいのだが、同じく「何も無いこと」を旨とした「日常系」とかのジャンルともまた違う。なかなか不可思議なポジションなのである。 確かに、本作で良かった点といえば、それは「何もなくて楽しそうだったこと」だろう。こと今回はパスティヤージュやアデルなどが加わったことで姦しさが増し、世界のどこを切り取っても賑やかで楽しい場面を見ることが出来た。前作で「シリアスさ」の原因になって悩ましかった土地神や魔物連中も全てドタバタの種となり、とりあえず思いつくだけの「お騒がせ」をする。もちろん、騒ぐと言ってもそこまで大規模なことをするわけでもなくて、どんな事件が起こってもちゃんと1話で収束するし、後に残るのはメンバーの笑顔だけという、遺恨も印象も残さないシナリオばかり揃っている。これが望まれていた姿なのだから、脚本の都築さんもなかなか罪作りな世界を産みだしたものである。 ただ、そうした世界の存在価値を認めた上で、個人的には「まぁこんなもんだろうなぁ」という程度の没入度だったので、結局最後まで印象が上向くというほどではなかった。ぶっちゃけ、こうした「ライト萌え」の要素は、もっと真剣に作り込み、シリアスやギャグを全力でやっている作品なら、副次効果として得られる程度のものという気がする。個人的にはリス姫様は大好きだし、ライオン姫も素敵だと思うが、だからといってこのキャラに入れ込んでグッズが欲しくなる、というほどでもない。もっと魅力的な悠木キャラ、小清水キャラは他の作品を見ればたくさんいるし、そうした他作品は、シナリオだって面白かったりするのだ。今作がつまらないということではないかもしれないが、取り立てて「面白い」が無いっていうのは、やはり評価するにあたって見過ごすことが出来ない失点なのではなかろうか。キャラ絵がもっとも重視されるべき作品だったのに、どうにも安定せずにグダグダしていたのも気になるところで、どうもここ最近のセブンアークスの仕事はパッとしない(まぁ、なのはの頃から作画は問題が多いスタジオではあったのだが)。 結局、1期の頃よりかは的を射た作品作りにはなったと思うが、その的を狙うのがそもそも正しかったんだろうか、というお話である。まぁ、これくらいの作品がBGMとしてダラダラ流すアニメには丁度良かったりするんだけどね。それにしてもリス姫可愛かった。
「ココロコネクト」 5→5
まったくもって意図していなかった騒乱に巻き込まれたおかげで余計なオプションが色々とついてしまった不幸な作品。しかし、その製作姿勢は一貫した理念があり、充分に、与えられた使命を全うした完成度になっていたように思う。 元々不可思議な立ち位置の作品である。学園が舞台で、しかもなんだかよく分からない連中があつまる「文研部」という集団が対象になっていることから、いわゆる「ダラダラする日常系」のようなセッティングに見えるが、決してそんなものじゃない。かといってバトルがあるわけでなし、超能力を使える主人公がいるわけでもなし。徹底的にメインキャラ達が地味な嫌がらせの「被害者」に回り続けるというセッティングからしてなかなか新しいものである。こうした、何とも形容しがたい不可思議な設定をアニメ化するにあたっては、前例が引きづらいので制作も大変だったことだろう。開始直後は「けいおん風の絵柄」ってなあたりも話題に上っていたが、いつしかそうした「何かの焼き直し」という風味も薄れ、すっかり「ココロコネクトの世界」になっていた。 白眉なのは、なんと言ってもその「現象」の与え方で、余計な理屈は付けず、とにかく「人智を越えたもの」によって「起こることだけが決まっている」怪現象を相手取って戦うというのは非常に珍しい。そして、そんな中で「現象を止めるためにあらがう」のではなく、「現象の中で個々の関係を培っていくためにあらがう」というのも特殊なポイント。余計な外装を引っぺがせば最終的に残るのは「痛みを伴った青春劇」である。恋愛もそうだし、自己形成という思春期独特の心の動きも、あの手この手で揺さぶっていくことで、それぞれに成長を促していくのである。考えてみれば、アニメ化された3つの事件は、自己形成と他者理解という、人間関係の基礎の基礎を築くためのルーツに必ず触れている。「ヒトランダム」は自己と他者の境界性を揺さぶることで「自他とは何か」を問い、「キズランダム」ではさらけ出した欲望を先鋭化することによって「自己とは何か」を突き詰める。そして「カコランダム」ではトラウマとなるタイミングの記憶を引っ張り出してくることで「自己を作り出してきたものは何か」を問い直すことを目的としている。「人格入れ替わり」とか「時間退行」とか言われるととたんにSF臭だが、描写の目的だけを考えれば、これはカウンセリングや、意識調査の基本事項と変わらないことをやっているのである。 そうした、ある種「地味な」テーマでありながら、画面を見ていれば決して退屈しないものであるし、「地味な」部分を黙々と掘りさげるしかないために、とても丁寧な描き込みが実現している。最後の伊織についてはちょっとどうかな、と思う部分もあったが、「カコランダム」における義文の立ち位置や、「キズランダム」での姫子の結末などは、納得出来る部分も多かったし、見ていて非常に新鮮だった。今期は割と多かったが、これもプロットが面白くて「原作を読んでみたいかも」と思わせるラノベ作品の1つだ。こんな作品をアニメにしろ、と言われてもなかなか難しかったと思うが、それをしっかりと形にして伝えてくれた川面監督をはじめとするSILVER LINKのスタッフの手腕も、大したものだと思う。川面さんはなぁ、妙なケチさえつかなければいいデビュー作になったはずなんだけどなぁ。同時進行で「乙女はお姉さまに恋してる 二人のエルダー」の方も担当していて、そちらも悪くない出来だったので、川面さんの仕事ぶりを確認したい人にはそちらもお勧めである。 最後に中の人のこと。まぁ、今作は特に中の人の影響が大きい作品でしたからね。数々の無茶ぶりにも挫けずに見事な仕事を見せてくれたメインの5人はとりあえずお疲れ様です。誰が一番かと問われたらやっぱり稀代の名キャラクター姫子さんの中の人と言いたくなってしまうが、今作は5人とも本当に良い仕事だったので比べられない。これはキャスティングした側の手柄でもあるとは思うけど。是非、続編も見たいところですよ。
「この中に1人、妹がいる!」 3→4
読みがハズレてちょっと悔しかった作品。いや、でもさ、これの1話目を見てこき下ろすのはしょうがないよね。期待出来るようには見えないもんね。 いや、最後まで見た現在だって、こき下ろせることには変わりない。大した映像が用意されているわけでもないし、問答無用で主人公に擦り寄ってくるハーレム設定を延々12話繰り返しただけなのは紛れもない事実。キャラクターの心理描写に期待するなんてあり得ないことだし、有象無象の「萌えもの」と一緒に処理してしまって問題無い作品だったのは間違いないだろう。 しかし、思っていたのとはちょっと違う方向にスパイスが効いていたことも認めなければならない。1話目視聴後の新番チェックで、私は以下のような感想を書いた。「ひょっとして、そのうち伏線回収して手がかり集めて、消去法によって学園中の女生徒からたった1人の妹を限定するっていう本格モノにするんだったら面白いかもしれない」。最終的に、実はこれに近い展開になってしまったのが予想外なところである。もちろん「学園中の女生徒から」っていうのは言い過ぎだが、序盤にいきなり携帯の限定で人数を絞っておき、そこから容疑者を二転三転させてきちんと「限定で揺さぶる」「捜査の過程を見せる」という必要最低限のプロットが作られていた(作ろうとする意志が見て取れた、という方が正確か)。単なる痴女軍団にしか見えなかった5人の容疑者たちについても、実は各々に思惑があり、それが偶然にも絡み合って、不可思議な「全員が妹のふりをする集団」という謎現象が形成されている。もちろん無茶苦茶な部分もあるわけだが、「妹」というたった1つのキーワードのためにここまで馬鹿馬鹿しいプロットを真剣に作ろうとした努力はなかなかの間違いっぷりだ。ラノベ作品のプロット部分でここまで驚いたのは久しぶりのことかもしれない。 そして、今作の場合、そうした「各々の目的のための妹争奪戦」という犯人当てのプロットが、それぞれのキャラクターの個性と萌えポイントにも直結している。きちんと将悟とのフラグ立てがイベント中で行われているし、「妹のふりをする」という無茶なシチュエーションも、案外無理なく成立しているという。年齢の問題やDNA鑑定のギミックなど、「最初からそこ調べたら早いやんけ!」みたいな当然の突っ込みポイントはことごとくかわし、なおかつ裏をかいてサプライズにまで繋げて見せたり、実はミステリとしても案外ハズしてなかったりするのである。この作者、一体何なんでしょうね。 まぁ、これだけ褒める部分は褒めるが、その上でアニメとしてはやっぱりしょーもない部類だっていうのも確かなので。意外に楽しんでしまった、という屈辱感も含めてこのくらいの評価で落ち着いておきたい。名和監督は、本当に「こんなん」に縁の深い監督だが、「おと僕」とかこれとか、割とプロットが複雑で見せられる作品の方が向いてるんじゃないか、っていう気もする。そりゃ「R−15」で実力を発揮出来る人間なんているわきゃないわな。 最後は中の人の話。やはりメインの5人を見ていくべきだと思うが、予想外だったのがあやねるが割と良い仕事をするようになってきたんじゃないか、っていうこと。他の連中に比べるとまだどうしても拙さは残るのだが、ボチボチ自分の声の特性は自覚しはじめたような部分があり、甘ったるい部分でも臆することなく演技出来るようになってきている。最終話の印象が強いのでプラスの評価が出やすいのかもしれないが、案外どこかで吹っ切れたらすごい女優(笑)になれる器かもしれません。あと、亀ちゃんの相変わらずのフリーダムさも面白い比較対象になるか。この後亀ちゃんはどこに向かうんでしょうね。 ただ、実を言うとメインヒロインが5人とか言っておきながら、私の本命は衣楠だったりするので……マジで将悟は衣楠と結婚してしまえばいいと思う。小清水キャラは馬鹿っぽさを残しながら伸び伸びしていると本当に気持ちが良いなぁ。秋からはショコラーデさんの活躍に期待。
「織田信奈の野望」 5→5
予想以上に真面目にやって真面目に終わった「戦国もの」。頑張っていたのは間違いないし、それなりに結果を残したのも間違いない。この手の柳の下のどじょう作品の割には、最後まで退屈せずに見られたのがその証拠である。 「思いの外真面目」というのは、それこそ前例が与えた先入観によるものである。「戦国美少女もの」という謎のジャンルはいつの間にやらすっかり定着してしまっており、わざわざ挙げるのもアホらしくなるくらいに似たようなタイトルが乱立した。本作もそんな中の1つであり、しかもビジュアル面では数多ある類似作品の中でも特に「萌え」に特化した作画になっている。おかげでロリータ半兵衛やらに大量のファンがつくことになり、作品としてはこれ以上無い形で本懐を遂げたことになる。個人的には作中ではやっぱり信奈が一番映えていたと考えているので、その信奈の作画が最後まで徹底的に描き込まれ、綺麗なままだったことは、大いに評価すべきことだろう。どれだけベタだと言われても、世の中はやはり「かわいいは正義」なのである。 そんな中で、最後に不満が残った部分も。それは、「キャラ萌え」と「真面目な戦国もの」を両立させる上で発生してしまった多少の齟齬である。この作品の基本プロットは、サルが自分の持っている戦国知識を活かしてシミュレーションゲームのように出世を狙うが、後半になると歴史改変によりそうしたアドバンテージが通じなくなり、あとは男気で見せるようになる、という、いわば「タイムスリップもののお約束の面白さ」と、「少年漫画的根性もの」を加えたサクセスストーリー(かつラブストーリー)である。序盤はとんとん拍子で進んだものの、後半にサルの言動が揺れはじめると、それが元で信奈との衝突も多くなっていく。そして、信奈をみたいがためにこの番組を視聴している身としては、このメインとなる展開にどうしても辛いものを感じてしまうのだ。 ほぼ毎週信奈とサルは意見の相違で衝突していた。信奈の場合は一応「一国の主としての判断」が絡んで来るのだろうが、そこにサルという個人を介入させてしまう迷いみたいなものが不足している。毎回毎回、「サルのおかげで助かった」と思っていながら、何故か次の週にはその功績を忘れ、「サルの戯言なんか使えるわけない」と、今まで以上につんつんした態度に戻ってしまう。そうした「感情のリセット」はサルにも同様にあって、「可愛い女の子とのラブストーリー」として見た場合、その部分だけがどうしても不自然。序盤にあれだけ心を通わせたと思ったのに、中盤以降で「やっぱりお互いこれっぽちも信用してないやないか」と思うとショボンとしてしまうのである。結局、それが元でサルか信奈のどちらかが絶対絶命のピンチになるという展開もお約束だし、後半になると、サルは「どれだけの人から生かしてもらっているのか」ということを回りの人間から次々に説得されるのに、それも学習できずに「信奈のためにここで死ぬ」とわがまま勝手に暴れるばかり。どうも、キャラの考えていることが追いにくく、感情移入しにくい作品であった。 ま、どうしたって1クールのアニメ作品でイベントを繋げていこうとするとワンパターンになってしまうのは仕方ない部分ではあるのだが……もう少し話の展開にバリエーションを与えてくれた方が、付加価値がついて面白くなったんじゃないかな、と思うのである。いや、付加価値っていうのは光秀との料理対決とかではなくてね。 ただ、そうしたラブロマンスとしては不満はあったものの、真っ当な「タイムスリップもの」としての骨子は出来ていたし、落としどころとしては妥当であったと思う。ラストの比叡山焼き討ちの解題の仕方なんかは割と上手かったと思うし。ボスキャラがややショボかったのは残念だが、史実と照らし合わせるとこれは仕方ない部分だったか。あ、繰り返しになりますが、女の子は可愛いと思いますよ。ぼくは信奈ちゃんだけど、実は松永久秀も結構好き。あと、浅井とお市の性別ネタなんかはちょっと面白かった。であるか! というわけで中の人だが、やっぱり伊藤かな恵である。時点は矢作パイセンかな。ここ最近の作品で織田信長を演じた役者、っていうのも結構なラインナップだが、実は光秀を演じた人間を並べる方が迫力がある気がする。参考までに一部作品の信長→「若本則夫」「豊口めぐみ」「小山力也」「大久保瑠美」「伊藤かな恵」。光秀→「速水奨」「喜多村英梨」「田中秀幸」「日笠陽子」「矢作紗友里」。……やっぱバサラのギャグっぷりが半端無い。 |
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
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