最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「アルカナファミリア」 4→3
あかんかったなぁ。途中から本当に適当にしか見ていない「流し見枠」だったもんだから大して語る言葉も持ち合わせていないし、例によって「ちゃんと見れば面白かったよ」と言われればごめんなさいというしかないのだが、残念ながらその「ちゃんと見る」モチベーションが維持出来ない作品だった。 新番チェックの時の印象を確認すると、「分かりやすそうな作品だから単純なドンパチで見せられるようになれば良いな」と書いているのだが、そっち方向での収穫は皆無と言っていい構成だった。そらま、原作が乙女ゲーなんだから、普通に考えてそっち方向の売りは無いっていうのは気付くべきだったんだよな。いざ始まってみると、最初に言っていた「ボスの座を巡っての能力者どうしの戦い」という要素は一切関わらず、その争うべきライバルどうしの仲良し劇場が繰り広げられるだけだった。この作品の正しい顧客を考えたら、実に正しい方向性といえるだろう。過去の記憶に悩む福山キャラ(相変わらず名前を覚えてないので中の人ネームです)や、上司(師匠?)との軋轢になやむよっちんキャラ、親との関係性に苦しんだ代永キャラなど、野郎のデリケートな問題をじりじりと刻み、それをメインヒロインである麻美子が折を見て触っていくという、「少しは戦えよ」と思って見ている人間からするとどうにも魅力が感じられない内容だった。全て見当違いのなせる業ではあるのだが、最後までモチベーションの修正が効かなかったってことは、やっぱりメインとなるべきシナリオラインに求心力が無かったんじゃないか、という気がするんだよね。 せめてバトル要素は無くてももう少しキャラの立ち位置を明確にして、掘りさげたいキャラをまとめてくれればなぁ。最終回のおざなり風味満載の決戦は流石にはしょりすぎだと思うし……キャラの特徴が出にくいのよ。代永・福山・吉野あたりが均等に主役に回ろうとしていた印象があって、「結局お嬢は何がしたいんだよ」とずっと悩ましかった。キャラで印象に残っているのっていうと、遊佐さんの胡散臭いキャラなんかはちょっと面白かったんだけど、全体像が見えないうちだと誰が敵となるべきキャラで、誰が血の通った「家族」なのかっていうのも分からないし、もっさりしてる割には説明不足な部分もあった気がする。単なる初見殺しだったんだろうか。 PR
「夏雪ランデブー」 5(8)→7
放送終了から少し経って、ようやくちょっと落ち着いたので改めてまとめをやろう。まぁ、多分書いてるうちにまた正常でなくなるとは思うけど。 ゆーても、1話で初めて見た時みたいな衝撃は11話も見てれば少しずつ落ち着いていくのですよ。最初は動悸、息切れ、不整脈などの症状だったのが、せいぜい動悸だけになったくらい。最終的にはそこそこ冷静なジャッジになっていると思うのだが、ま、うち1点分が仮に中の人への配点だったとしても大した問題じゃないよ。うん。 この作品を改めて振り返ってみると、設定はそこそこ奇抜ではあるのだが、やっていることはすこぶる地味である。もっと正確に書くと、アニメとしての画面構成がどうあがいても地味な作品。何しろ、メインで絡むキャラクターは本当に3人ぽっきりで、11話のうち10話分くらいは延々この3人がしゃべっているだけなのだ。流石に、ここまでたった1つの人間関係だけに時間を割いたアニメ作品というのは見たことが無い。現在同時にやっている「じょしらく」なんかも「閉鎖空間で延々5人がしゃべるだけ」という非常に限られた空間のお話ではあるが、それでもこの作品よりは外部からのインタラクションは多いだろうし、そもそも人数も多い。やはり「3人」というのは、過去に遡っても類を見ない、あまりにも尖ったセッティングである。 普通に考えると、そんなものはアニメとして成立しない。いくらこの3人の関係性を面白いものにしようとも、それを表現するにはどうしたって3人以外の「外部」が必要になってくるだろうし、「他の人間」を描けば、より簡単に人物像を掘りさげ、画面を盛り上げ、話を盛り上げることが出来るだろう。キャラを増やし続けてしまえばもちろん破綻もするだろうが、少なすぎても、同様に破綻してしまうのが普通なのだと思う。しかし、この作品は決してそこに「おかしさ」を感じさせなかった。たった3人しかいない、というこの状態が、ただの一度もぶれずに、それのみを描ききって幕を閉じた。この時点で、演出には想像を絶する困難を伴っていたことは疑う余地は無い。少しでも見せるために、少しでも流すために、アニメとしての「夏雪」は、誰も見たことのないものに挑戦しなければならなかったのだ。 この重責を任されたのが、松尾衡監督であったわけだ。彼の手腕は既に「紅」の時に嫌というほど思い知らされていたが、今回は更に一歩先の「演出家」としての手腕を見せつけられる結果ことになった。ただ淡々と流れる一組の男女の恋愛事情を、「不自然さをなくす」ことに尽力しながら、充分に「見応えのある」形で組み上げたのは見事としか言いようがない。また、そのためのツールとして、氏のお得意のプレスコ演出が大きな役割を果たしており、「徹底的に男女3人を描く物語」であることを利用し、その3人の運命を任せることにしたキャストたちに、芝居の空気、間、流れを任せた。もちろんプレスコが長所ばかりの手法ではないと思うが、今回に限りは、この「先にキャラクターの思いから命を吹き込んでいく」という方法論は、作品の「不自然さ」と見事に噛み合い、結果を出したのではなかろうか。まるで張り付くような圧倒的「近さ」の芝居、六花や亮介の生活がそこに息づいているかのような「生々しさ」の画作り。そうした起点から、気付けば11話分の「夏雪」の世界が出来上がっていったのだ。 振り返ってみれば、脚本自体にはひょっとしたら陳腐さはあったのかもしれない、登場人物の心理が理解出来ないような破綻もあったのかもしれない。原作漫画だけを読んだ時点だったら、そのような感想も起きえただろう。しかし、原作を通し、アニメ脚本、演出家、そしてキャストの手を通すことによって、そこには「万人の共感を受ける六花たち」が次第に作り上げられていった。制作に携わる人々がみんなで考え、形作ったキャラや物語に、与えられたのは理屈を超えた存在感である。 やっぱり私は、どこまでいっても「アニメファン」じゃなくて「声優ファン」である。だからこそ、こうして「声優」という職業が伸び伸びとどこまでも技術を活かせる作品というのは、溜まらなく好きだ。新たな大原メモリアルとなる今作は、今後とも忘れることはないだろう。もちろん、一進一退のトライアングルを作り上げ、その緊張感をずっと維持し続け、最後にはあまりに綺麗に打ち砕いてくれた福山潤・中村悠一の両氏にも感謝である。
「もやしもん リターンズ」 6→6
先に言っておくと、本作で一番納得がいかなかったのは、途中でエンディングが変わってしまったことである。多分歌っているアーティストの宣伝の意味も込めて、正式なバージョンも流しておかなければいけないってことだったんだろうけど、せっかく作った特別版なのだから、最後まであの愉快な歌詞で通して欲しかったものだ。あと、出来たら2番以降もちゃんと作詞して一本の楽曲として完成させて欲しかったっていうのもある。カラオケで歌っても90秒で終わっちゃうのがなー。まぁ、最終回はきちんと戻してくれたので、そのあたりの気遣いはありがたかったけども。 などとどうでもいいことに言及してはいるが、作品の内容的に不満は無い。エッジの効いた作品の多いノイタミナの中では「安定して人気のある原作を安定したアニメに」というだけのものなので取り立てて驚くような部分は無いのであるが、1期と2期の間の充電期間も長かったおかげか、品質は常に高いものを維持してくれていたし、シナリオラインも1クール分でしっかりとメリハリが効いていて非常にまとまった作品であるという印象を受けた。原作ファンからすると今回のフランス編がどの程度のウェイトを置くべき話なのかは定かじゃないが、遥さんの結婚話がメインというだけでも、わたしはそれはそれは満足なのです。どうなんでしょうね、原作が続いてるってことは、ちゃんとここから3期もあるものなのかしら。あの引き方だと、案外遠くない未来に3期目も見られるのかもしれませんな。 映像面などでも不満点は無いし、シナリオも手堅く、(おそらく)原作ファンにもきちんと応えるものになっていた。それだけで充分といえば充分なのだが、まぁ、いかんせん地味ではあるよね。結局原作つきのアニメってそういう見方になってしまうのが辛いけれども。逆に言えば「そういう見方が出来ればソレでいい作品」というジャンルもあると思う。この作品はその代表ってことで良いのではなかろうか。個人的には、この作品は非常に珍しい「大学のキャンパスライフを中心に描いた作品」という特徴があり、「研究室の仲間達の結束」っていうのが楽しめるだけで、充分オリジナルな作品だと思うし。あ、あとは菌たちですね。この作品のありがたいところは、最後の最後まできちんと「菌が主役」っていう部分を貫いてくれたところ。オリゼーがクニクニと悩ましく蠢く様は、いつ見ても可愛らしかったです。 中の人については……「夏雪ランデブー」の方に詳しく書けばいいと思う。いや、違うか、他の人について書けばいいんだ。個人的な興味から言えばやっぱり沢城ですかね。短いフレーズではあったが、フランス語でも何の違和感もなくまくし立てられる「発声・調音」の妙。そしてサブキャラとして参加するというハンデをものともしない存在感。相変わらずの無双っぷりでした。また、今作は野郎3人組の相性がやたらによくて、「恰好いいキャラ」じゃないので男の方が映えるという希有な作品。阪口さんにこにたん、杉山さん。今回は杉山さんも美味しいところを持って行ったけど、渋声関西弁のこにたんが実に良いのですよ。ちょっとしたラッキーシチュエーションにドキドキ、なんてのもあったし。遥さんと美里の関係性って、今後どうなっていくんでしょうね。そして他の研究室メンバー、かんち、麻美子、樹教授役の西村知道氏。やっぱりこの研究室は良いなぁ。 是非ともこのままのキャストでの3期に期待したいところですな。
「氷菓」 5→5
最後の最後まで、結局苦しんで見続けた作品だった。何がしんどかったかというと、何とか自分の姿勢を正しく保とうと意識するのが大変だった。どうにも、視聴前から「批判ありき」の姿勢で見てしまっている気がして、なるべくフラットに、フラットにと思いながら毎週見ていたのだが、結局、その苦しさは解消されないまま終わってしまった。これは私がふがいなかったのか、それとも作品がそれを許さなかったのか。現時点ではそこは分からないままだ。 まず、新番チェックの時と全く同じ確認だが、この作品は京アニ製作である。加えて、「佐藤聡美単独主演作品」でもある。この時点で、もう最大風速はハリケーンなみだ。楽しくないはずがないのだ。実際、期待していた部分については期待していた通りのペイがあった。京アニの作る動画はいつ見ても素晴らしく、本当にどうでもいい部分にまでこだわり抜いた作画は、圧倒的存在感を示すものであった。キャスト面にも不満などあろうはずもなく、メインヒロイン千反田えるは、立派にそのつとめを果たしただろう。そういう意味では何の不満もない。 何が受け付けなかったかといえば、全ては脚本だ。「京アニが全力でやってしまった」ことで、かえって拒絶要素までもが強くなってしまったのかもしれない。「けいおん」「らきすた」といった「原作時点で何も無いもの」を、京アニが肉付けして色づけしてコテコテに盛りつけるのを見るのは非常に楽しい。アニメスタッフがやりたい放題出来るので、京アニの楽しい部分が全てプラスに働く。しかし、本作の場合はどうやら「揺るがしてはいけない原作」というのがあるらしく、あくまで京アニはそれをサポートする立場だ。そして、「会話がメインの推理劇」という素材は、京アニの味を活かすための素材としては完全にはずしている。どれだけ効果をちりばめたところで、どれだけ画面を賑やかにしたところで、淡々と進めるだけの会話の本質には触れられない。「画と中身が一致しない」といえばいいのだろうか。極端な話、奉太郎がしゃべっているときの映像というのは、彼の話す内容を簡略化して表したものであることがほとんどなのだが、それが全てであり、プラスアルファが現れてこない。そこを事細かに描いても仕方ないだろう、という思いが先に来る。 似たようなデザインはシャフト+西尾維新にもあるわけだが、西尾維新の場合、基本的に並べ立てられた言葉には、1割も意味など無いと言っていい。まくし立てるだけまくし立てて、それはとにかく「しゃべりたい」だけだ。それなら、話の内容を無視して画面は好き放題に遊ぶことが出来てしまう。そんな「張り子の脚本」と、シャフトの「あさっての演出」は、本当に水があった。 しかし、今作の場合はそうはいかない。極論してしまえば、この作品の脚本は「京アニに演出されることに耐えられない」。アニメで必死に意味づけをしようとあがけばあがくほど、その脚本が拙いということが露呈してしまい、ボロが出ることになってしまう。 いちいち例を挙げられるわけではないが、近いエピソードだとバレンタインチョコの話なんかはそのもやもやが分かりやすい回だった。あのエピソードで脚本が描きたかった(と思われる)のは、里志の珍妙な悩みであろう。しかし、あのエピソードを見て、彼の持つ悩みに共感出来る人間がどれくらいいるだろう。彼の取った行動、そしてそれを見て奉太郎が取った行動を理解出来る人間がどれくらいいるだろう。里志の場合にはデータベース云々というキャラ付けがもう色々と無理をしていることもあるが、あまりにも突拍子も無いことしかしないために、「どう演出したって分からない」のである。こればかりは、結局最後の最後まで「そういうものだ」と思って見ることが出来なかった。理屈をこねるアニメのはずが、何故か理屈に合わないことしか言わないし、明らかにおかしいことを言っているはずなのに回りはそれに感心しながら話が進む。こればかりは、画をどういう風につけるか、という問題ではなかったように思うのだ。 繰り返しになるが、当然、スタッフはやれることを最大限にやっていたと思うし、「京アニのアニメ」として、その部分に不満は無い。ただ、やはり何事も向き不向きがあるわけで、今作脚本はどうあがいても「アニメ向き」ではなかったと、そう言うことだ。いやしかし、中の人は贅沢だったなぁ……ほんとにちょい役で色々と驚く名前が出てたからなぁ……。
「うぽって!!」 5→5
今期最初の終了番組が、正確には今期の作品じゃないという悩み。でも、私にとっては7月期新番だったのです。そして、ちゃんと最後までしっかり観られた、充分な評価対象なのです。 始まった当初は、分かりやすい「もうやだこの国」枠の番組の予定であった。擬人化萌えキャラ女子中学生。ミリタリーオタクにも訴えることが出来る、アニメと武器との便利な融合戦略は、単純な萌えとして、非常に阿漕な方向性だと。もちろん、そうした方向性での結果は出ていると思うが、最終的にはなんだかよく分からない方向性のアニメとしても案外面白いものになってしまったのは嬉しい誤算。クライマックスのシリアスバトルは、このアニメの孕んだ様々なゆがみをどうしようもないくらいに明示的にしたが、その分オリジナルな魅力も出ていたパートなんじゃなかろうか。原作がどういうストーリーなのかは知らないが、アニメの盛り上がりは充分に唯一無二の魅力でしたよ。脚本の荒川さんも、無茶な世界につじつまを合わせたり合わせなかったりする作業は案外楽しかったんじゃなかろうか。 大別すると、単純に「萌え」方向の見せ方と「燃え」方向の見せ方の二方向の楽しみ方が出来る、という分け方が可能だと思うので、その2つのカテゴリを分けて見てみよう。まず、シンプルな「萌え」方向は言わずもがな。擬人化ものとして、高見明男のまるっとした萌え画は分かりやすい魅力だし、荒事をこなす銃がモチーフということで、セーラー女子があられもない姿を披露しながら荒れ野を駆けるだけでもラッキーハプニングはナチュラルオプション。性格や外見を銃の特性に合わせて(こじつけて?)作っている部分がギャグとしてもいじりやすくて、キャラクターの性格付けがそのまんまネタとして使いやすかったのは初心者にもありがたい部分。もとが「無茶な擬人化」なので、デフォルメにしたり、銃としての性能をネタにしたイメージ映像を作ったり、画的にも見せやすいセールスポイントがあったのは楽しかった。まぁ、これを見終わったからといって銃器に関する知識がついたとはとても思えないが……ひとまず「銃火器に対して何らかのフェティシズムを感じる層」の気持ちは伝わって来た。 そして、中盤の学園争奪戦、そしてラストの熱海戦と、2つの大きな戦闘を通じて描かれた「燃え」寄りのパート。こちらの方がアニメとしては見せ場が多く、ディティールにこだわった銃の運用方法や、原野戦、市街地戦とバリエーションに富む戦闘描写が、なかなかこだわっていて見応えがある。むちむちの女子中学生が銃器を抱えてしゃきしゃきと戦場を駆け回るなんて構図はどう考えてもおかしい絵になるはずなのだが、この作品の場合には「いや、彼女らは銃ですから」という、説得力があるんだか無いんだか分からない理由付けで説明される。おかげで、銃を扱ったプロフェッショナルとしての様々なシチュエーションが「萌え」を維持したままお楽しみいただけるわけだ。加えて、「銃であること」が「人殺しの道具であること」と同一であるというテーマも維持しており、ラストバトルではそのあたりの深刻な問題にも一応タッチしているという、謎のメッセージ性まである。まぁ、そのへんのシリアスが必要だったのかっていうのは議論の分かれるところだろうが、どうせ「マジバトル」をするんだったら、そういう「ミリタリーものならではのハードさ」をどさくさに紛れて入れ込んでくる節操のなさは、むしろ賑やかさの一部として受け入れて良かった部分じゃないか、と思う。ふんこの最後の気持ちって、現国に対する愛情っていうよりも、「銃器が願う人類不偏の平和への思い」だという風に解釈するとメッセージ性が際だつのですよ。 原作自体がそこまでメジャーなもんでもないし、ジャンルもイロモノだったおかげで冗談半分のアニメになるかと思ったら、予想以上に画作りがしっかりして、飽きずに最後まで見られたのは嬉しい不意打ちでした。こういうのがあるから、油断出来ないのよね。 そして中の人に関しては、「現在のプロダクション・エースがどういう状態か」という報告会みたいな意味合いが強い。エースのエースである野水伊織が順調に仕事をこなしている他、富樫美鈴、美名、合田彩、古谷静佳などが悪くない仕事を保持している。個人的に注目したいのは、エンディング歌唱も担当して今後が期待されていると思われる、しぐ役の佐土原かおり。声質としては若手の頃の川澄綾子に近いだろうか。メイン4人の中でも良い存在感を見せてくれていた。エース勢は無難な仕事をこなす印象が強いが、こういうバーター作品から少しずつキャリアを積ませて安定した状態を作ったあとで表舞台にでるっていう戦略は面白いよね。 あとはラストバトルの敵方が彩陽・明乃っていうのが個人的にツボだった。低音で輝く仕事師はほんとに好きなんです。
「AKB0048」 5→5
実ははらはらしながら観てました。最終回の盛り上がりはなかなかのものだったので、総括前にまずそちらから。 既にこのアニメの世界設定にも慣れたつもりなのだが、やっぱりいちいちおかしな台詞が出てくると突っ込みをいれたくなってしまうな。センターノヴァを絡めた壮絶なAKBの運命もそうだけど、やっぱりメンバーとしての「襲名制」のキチガイじみた文面がなんだか凄まじい。あと、オリジナルメンバーの神格化具合も凄まじく、本当のAKBファンにとって、現存するメンバーの神格って本当にこれくらいのレベルなのかなぁ、とか考えると、これはこれで感心する。この様子だとマジであっちゃんは宗教おこして国が作れるレベル。 そして、そんな神の戯れがアニメ上では「サテライトが巻き起こす超時空ライブ」になるわけですよ。そういや劇場版のマクロスFでも留置所ライブやってたもんなぁ。実は「希望について」は好きな曲なのでね、これが1期目のクライマックスとし用意されているのは素直に嬉しかったりする。自然にライブ演出の中でナギサの声が戻るイベントとか、たかみなを巡る後継者問題とか、色々と重要なファクターにも進展があり、次のステップに続く物語の節目としてもメリハリが効いている。クライマックスでは「それ以上輝いてしまうと!」……どうなるかすごくはらはらしたし。これでね、キャスト陣が歌う歌がちゃんと上手く聞こえたら完璧なんだけどね。生歌だとどうしても「なんでこのレベルのアイドルユニットで宇宙中が熱狂するんだろう……」って気分になってしまうのでね。 やっぱり分からない名台詞。「襲名キララが、高橋みなみにまたたかみなを選んだ!……高橋みなみは……やはりたかみな……」 ちょっと何言ってるか分からないです。 まぁ、結局のところ、1クール観てもろくにメインキャラの名前を覚えないくらいの見方しかしていなかったのだが、これはこれでヘンなところをつついてくるオモシロアニメだったんじゃないか、という気がする。「AKBでアニメを作って一儲け企もうぜ!」という企画はきっとどこかの偉い大人が考えたものだと思うのだが、まさかこんなもんになるとは思わなかったんじゃなかろうか。AKBファンではないアニメファンとしては、この方向性は需要が可能なのでありがたいものであったし、結局ここまでのシリーズはあれこれいいながら視聴を完了させたのだから、文句の出るところではない。まぁ、2期がすごく観たい、というほどモチベーションが上がりまくったわけでもないのだが……あとはここまで地盤が固まった状態から、岡田麿里がどんな無茶をぶちかますか、っていうのが最大の注目ポイントよね。 あれ? 結局楽しんでるのか? うむぅ。
「黄昏乙女×アムネジア」 6→7
今期終了作品もこれでようやく一段落。いくつか書けなかったものもあるけど、これで本数は19本。まぁ、2クールものは終わらないタイミングなので、本数にしたらこんなもんですかね。そして、トリを飾るのがこの作品っていうのはちょっと嬉しいかもしれない。今期の中で何か一本選べって言われたら、悩んだ末にこれを推す可能性が高い。 結局、何はともかく大沼心が好きなんだな。今まで監督作品やメインで関わってる作品でハズレって一本もないし。そして、今作はそんな相性の良い大沼監督作品の中でも、一際「上手く活きた」方向性の作品だと思う。まず、「怪しい」ってのが1つ。骨子となるのが怪談話で、メインヒロインは幽霊少女。つまり「あらざるモノ」を描くお話ということで、方向性としては「忠実に原作通りに画を組み上げる」人よりも、大沼さんみたいに「どぎつく自分テイストは入るけど、その分表現に幅が出る」人の方が有利。それに加えて本作はどうしたってギャグ要素、萌え要素は欠かせないものであり、脱力ギャグで経験値を重ねてきた大沼さんのホームグラウンドとしても機能する。独特の色遣いのセンスも、「怪しくて色っぽい」という夕子さんのパーソナリティを出すのに向いていたし、締めるところはしっかり締めるホラーへのスイッチも、カット割りの多い作風にマッチする。本当に、「大沼版」と言える作劇の展示会場みたいな状態になっていた。 トリッキーな部分を見れば1話が面白いし、まっすぐな物語の描き込みがみたいなら6話がキツくて良い。それを足しあわせた大舞台は10話で用意されているし、その後の2話できっちり1クールシリーズとしてのけじめもつけている。ラストについては「俺の涙を返せよ!」ってな幕引きだが、これはこれで正しい終わり方だしねぇ。基本的にけちをつけるポイントがないのである。相変わらず「アニメのくせに動いてないじゃねぇか」と言われるとそう見える話数もたくさんあるのだが、矛盾するようだが、「動かさない動き」「止める動き」っていうのが見ていて楽しい作品ってのもいっぱいあるのだ。個人的には、そういう軸線をずらした方向で作品を組み立ててくれる人が好きみたいです。ひょっとしたら、「ぎゅんぎゅん動いて楽しいアニメ」を見るのとは全く別な脳のパーツに効いてるのかもしれません。 ストーリーテリングにそつなし、映像はモロ好み。減点要素ナシのところに、キャストも基本的に加点要素だけ。福圓劇場、キタエリフィールドを中心に形成された空間で、堂々と主演女優をやりきった原夕実の胆力に拍手。最初はあまり知らなかったけど、今となってはこの人以外の夕子さんはいないと思える。もちろん、まだまだ伸び盛り。これからガンガン色んなところでスキルアップを目指して業界を席巻する美人のおねーさんになって欲しいもんだ。そして個人的には、やっぱり紫子さんが気になります(2回目)!
「モーレツ宇宙海賊」 6→6
終わってしまうのが寂しい作品ってのは「日常系」のカテゴリに多いのだが、この作品はとても「日常」じゃないのに、なんだかすごく寂しい気がします。実に不可思議な、独特な味わいが癖になる作品でした。 敢えて初期配点から上げなかったのは、ここで何かをとりあげて「ここが面白かった!」と言うことができないもどかしさのため。実際、2クールというそこそこ長い作品になったわけだが、その間、非常に存在感が希薄で、楽しく見てはいるけれど「何となくある」という期間があった。心躍る大活劇があるでなし、腹を抱えて爆笑するギャグがあるでなし、この作品を包む空気は、やっぱりどこか古くさくて、ベタな匂いがして、それでいて、やっぱりどこか吹っ切れてて。こんだけ「海賊」っていう単語が出てくるくせに、結局海賊らしいことを何一つやってないとか、肩すかしもいいとこなんだよ。でも、それが悪いとは決して思わない。「モーパイならこれでいいや」というこの近さ、安心感が、最大の売りだった。だから、特別「すごいアニメ」ではないんだ。でも、「良いアニメ」なのは間違いない。 振り返ってみると、略奪行為や謀略が渦巻く荒事を2クールやったくせに「緊迫感溢れる回」ってほとんどないんだ。主人公の茉莉香が常にどこか緩いっていうのも理由だろうけど、作品が徹底的に「シリアスになりきること」を嫌ってるんだよね。そこを曖昧にする意味があるんだろうか、っていうのは最初不思議だったんだけど、「シリアス」と「ギャグ」をはっきりと分けてしまう構造の単純化っていうのは、ひょっとしたら大量のアニメやラノベ媒体を処理しているうちに出来上がった、あまり良くない認識方法なのかもしれない。この作品を見れば分かるが、「シリアスであること」を強要されずとも活劇は描くことが出来るし、「ギャグであること」に固執せずとも笑いは起こる。この不可思議な「あり得ない日常」のお話を作るための26話だったと考えると、これって結構すごいことだったのかも。ちゃんと風呂敷もたたんでるしねぇ。「おっさんが好きそうな古くさいアニメ」と言われながらも、そこにちゃんと現代アニメっぽい阿漕な要素もまんべんなく張り巡らされている。時代性も、シナリオラインも、常に線引きを許さずに大きな枠組みを提示する。なかなか面白い試みでありました。これをもって新たなサトタツの代表作と言っても文句は言われないだろう。 中の人のことは、まぁこんだけ色んなキャラが出てくるともう大変なんだけども、まずはやっぱり茉莉香役、小松未可子だろうか。CD出したりなんだり、この作品を通じて一気に表舞台に出てきた。「HEROMAN」が好きだった身としては「今更みかこしかー、俺2年前から知ってたわー、ずっと応援してたわー」とか言いたくなるけども(いや、そこまで注目してたわけではないが)、羽ばたいたのを見ると嬉しくなりますね。ただ、個人的には「声優界のみかこ」と言ってぱよぱよの方が出てこなくなるんじゃないか、というのがちょっと不安だけど。 そして本作における花澤香菜のポジショニングも好き。荒ぶる花澤は(略)。あとは御前と松風雅也コンビ、学園パートのサトリナ・ぴかしゃの百合百合コンビ、双子姫様の戸松・金元組もおいしい。なんだ、全部おいしいや。これこそ2期が欲しい作品だなぁ。2期じゃなくてもいい、学園の2年生組がずっとダラダラしてるスピンオフとかでも充分楽しめる気がする。素敵な海賊の時間でございました。
「咲 -Saki- 阿知賀編」 5→5
なんだったんだろう、コレ。最初のうちはこれこそ横目で見る作品の代表格みたいなもんで、「1期シリーズに比べるとこいつら地味だなぁ」っていう印象ばっかり。それでも元々1期も嫌いじゃなかったし、そもそも穏乃の中の人的に見なきゃいけないのは確定してたから、そのまんまダラダラ見続けるのかな、と思っていた。 しかしまぁ、気付いたらエラい話になってたな。この「麻雀を知らなくても何となく楽しい麻雀漫画」っていうジャンルはなかなか斬新だ。テニヌとかそっち系の系譜なんだろうけど、この作品の場合、完全にギャグでやってるのに真剣そのものでむやみやたらにアツいっていうのがすごい。最後の園城寺エピソードなんて、なんか知らんけどラストで泣きそうになったよ、俺。「なんでこれで涙腺ゆるんどるんや!」ってセルフ突っ込みですよ。でも、いい話じゃないですか。スポ根だなぁ。いや、何が起こってるかはさっぱり分かりませんけどね。やっぱり少年漫画に必要なのは「強い特殊能力」と「友情パワー」と「鬼のようなラスボス」だなぁ。最終卓はキャラの配置も良いね。基本的に照と園城寺の一騎打ちかと思いきや、実はすばらさんも割と恰好いいという。くろちゃは完全に噛ませだったが、最終的には園城寺が一矢報いるための地雷として機能して、一応2位になって主人公チームとしてのつとめは果たしたし。完全に設置型トラップだったからキャラとしては機能してないけどな。主人公チームが置物ってのもどないやねん。 まぁ、結局最後の大勝負だけで全部持って行った感はあるのだけれど、全く切りの良くない終わらせ方とか、もう潔くてこれで良しですわ。しばらくしたらまた3期アニメで帰ってきたらいいじゃない。なんだか、「キャラは山ほどいるし舞台となる高校もいっぱいあるからいくらでもサイドストーリーが広げられるし、新作も盛り上げられる」って「ストライクウィッチーズ」と同じデザインだな。まぁ、今回阿智賀が盛り上がったかっていうと、全くそんなことはないんだけどさ。出来たら穏乃にはもうちょっと活躍して欲しかったなぁ。割と好きなキャラだったんだけど。エンディングで流れる丸っこいデザインが特に好き。 中の人的には、思ったほど阿智賀の面々が輝けなかったのが残念だったが、穏乃を見てると、やっぱりあおちゃんは何でも出来るってことがよく分かった。聞いてるだけでテンションが上がる声。他は1期からのキャラが割とたくさん出演してくれたので、そのあたりの賑やかさも楽しかった要素だろうか。こんだけレジェンド級が集まっても、何故かインパクトがでかいのがわはは先輩だったりする。千里山については某作家が方言について疑問を呈したりしたが……まぁ、そりゃ地元民じゃないしな、StylipSの面々は。ぶっちゃけ方言がどうこうよりも単に下手なのが紛れてた方が問題な気がする。その証拠に小倉唯演じる園城寺は大して気にせずに聞けたでしょ。それとも私が関西出身じゃないから気にならないだけで、地元の人間はそれでも気になるもんなのかな。アニメキャラに方言をしゃべらせるのって色々と意見はあると思うけど、そういう様式美だと思って受け入れるのが一番楽なんだよなぁ。 |
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プロフィール
HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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