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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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「ブラック★ロックシューター」 6→7

 流石に点数はおまけしすぎな気もするが、とにかく走り抜けてくれたこと、そして、評価点が私の好物ばかりであったことなどを加味して、サービスセールを実施してみた。何にせよ、もう一度見直したい作品になっているのは間違いないだろう。

 今作の最大の売りは、なんと言っても圧倒的な動画面である。ブラックロックシューターが暴れ回る謎世界で展開されるメカギミックばりばり、弾幕ガンガンの戦闘シーンは、よくも地上波でここまで続けられたものだ、と感嘆する出来。個々のギミックも面白かったし、今石さんの手によるけれん味あふれる圧倒的アクション描写は、本当にこれだけを見ていて楽しめるレベルになっている。元々がキービジュアルから始まった作品であるということが見事に作品の良さに現れており、こけおどしでも何でも、とにかく「見得」を大事にした絵柄のインパクト勝負というのは、8話を走りきった後でも充分評価に値するポイントである。いや、むしろ8話の間を維持し続けたからこそ評価出来る部分なのかな。1話を見た時には、まさかあのクオリティで最後まで続けられるとは思っていなかったですもの。

 そして、そんなバトル描写を生み出すための下地となったのが、マトたちが苦闘を続けた現実世界サイドなわけだが、こちらの物語についても、絵柄が付いてきたことも幸いし、かなり見応えのあるものになっていたのではなかろうか。そもそもの問題点として脚本を書く際に現れたのは、「何故少女が戦うのか」という部分であったと思われる。今のアニメ業界で言っても仕方ないことだが、基本的に「女の子だけが戦う」なんてシチュエーションは、どう理屈をつけたっておかしいのである。それを何とか必然レベルにまで持ち上げた上で、「格好良く戦う場所」を見つけるにはどうしたらいいか。その答えが、「女の子が戦うべき問題の具現化として扱う」こと。この発想の転換は、単純なようでなかなか思いつくものではない。さすがの岡田麿里である。「女の子が戦うこと」というのは、たとえば友情のこと、たとえば恋愛のこと。そんな些細で身近な問題でも、人によっては命懸けに思えるときもあるものだ。そんな「すごく小さな命懸け」を、そのまんま具現化したフィールドの代行者にやってもらうのがブラックロックシューターなわけだ。この設定ならば、キャラクターたちはそれこそ「死ぬ気で」戦えることになるし、バトルの結果が「死ぬほど」辛いものになることもある。この「死ぬほど」のことを、現実サイドの描写ではきちんとその純度で描けていたのである。見事な動画におんぶにだっこにならず、やるべきことをしっかりとやりきった結果だ。今後、吉岡忍という名前はアニメ業界でも無視できないものになっていくのではないだろうか。いくら密度を濃くしたところで、8話というのはシリーズとしてはどうしたって短い。そんな中に、適切な分量のプロットを組み込み、最大限に発揮出来るアニメーションで飾ることが出来たのは、非常に恵まれたことだったのではなかろうか。

 そして、そんな恵まれた世界を作るために欠かせないのが、当然中の人たちだ。花澤・沢城・喜多村・阿澄・能登。もう、これだけでおなかいっぱいですよ。しかもこの5人、今作では恐ろしい密度で絡み合ってましたからね。これ以上何を望めというんだろう。あと、地味にこはっち先輩役の沼倉愛美も良い仕事をしてましたね。幕引きがしっかりしていたので続編なんかは期待出来ないだろうけど、「とある日のマトとヨミ」みたいな後日談も見てみたい気もします。

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「夏目友人帳 肆」 5→6

 常のようにひっそりと、続き、終わっていくこの作品。毎回どのように評価軸を設けたらよいのかと悩んでしまうのだが、やはり、良いものは良いですね。

 毎回同じようなコメントになってしまうのであまり書くことも無いのだが、今期は多少続き物が増えて、シナリオも普段よりちょっとシリアス多めなあんばいだったろうか。あ、この場合のシリアスは「真面目な」というよりも「手に負えない」の意味の方。夏目は本当に、サラッと命の危機を迎えて何となく助かる子。ほとんどがニャンコ先生のおかげだけど、あのボディガード、結構うっかりしてる時が多いからなぁ……

 そして、シリアス分が増えたということは、それだけ致命的で大きな存在の妖怪が多かったということ。「夏目」の一番の特徴は、やはり「妖怪」というものがあるときは友達であり、愛すべき存在であるが、基本的には人に害をなす危険なものである、という徹底したスタンス。世に妖怪ものは多いが、身近な怪異がこうも執拗に主人公や周りの人間の命を訳もなく狙ってくるというのは珍しい。そして、そんな中で少しずつ怪異への理解を深めていくのが夏目君なのである。この独特の作品世界は、非常に危ういバランスの上で成り立っており、少しでも「緩い」方向に進めば命を賭けた妖怪とのやりとりがふざけたものに見えるだろうし、かといって重く重く描いてしまうと、今度は作品の売りであるハートフルな部分が消えてしまう。この紙一重のバランスを保ちながら、原作の持つ牧歌的な雰囲気を押し出せるのは、やはり大森貴弘監督の手腕、ということになるのだろう。また、毎シーズン少しずつ演出担当者が入れ替わっていく作品なのだが、今期は寺東さんコンテ回が多めで、そのおかげかかなりシリーズ全体のイメージが統一されていて見やすかった。取り立てて「この話がすごい!」という回を上げるのが難しいのだが、毎回毎回、そっと静かにエンディングを聞けるのが、この作品の良いところなんだと思う。

 3期4期は分割2クールだったので、今期が終わったことでシリーズも一区切り。もちろん、まだまだやってほしい作品には違いないが、あまり無理に作られるのも困りものだろう。ゆっくりと次の機会を待ちたいと思う。そして、大森監督の次の作品にも期待し続けていますよ。出来れば、その……地獄で少女な新作が見たいです。毎回書いてるな、これ。

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「あの夏で待ってる」 6→6

 振り返ってみれば、今年度は長井龍雪作品を2本も見られるという、充実した年だったんだ。「あの花」の狂乱もさめやらぬ中で始まったこの作品も、なかなかどうして、長井さんの良さが出た佳作となったのではないだろうか。

 既に1話感想時点で書いていたのだが、長井監督の持ち味は細やかな描出力にある。日常生活のほんの些細な出来事からでも行為者の心理や感情は表に出てくるもので、それをわざわざ言葉や動きに出さずとも、画面全体、設定全体でそっと差し出してくれる。今回は青春まっただ中のラブ(コメ)ストーリーだったおかげで「細やか」というよりは大胆に前面に出てくることの方が多かったかもしれないが、シンプルに直球で色恋沙汰を伝えたのは、むしろ黒田脚本の影響が大きいのではなかろうか。こちらも手慣れたもんだが、黒田洋介による脚本ってのはやっぱりわかりやすさが信条。今作でも恋愛関係の絡みや、それがどのような結末に至ったのかという「事実」は非常にシンプル。そのあたりの「わかりやすさ」を優先させた作風が、この作品の魅力だったといえる。

 結果的には、ごらんのように一陣の風のごとく吹き去る、実にあっさりさっぱりな仕上がり。途中なんやかやとドロドロしたようにも見えたものだが、基本的に作中の人間たちが全員善人であり、その善人達が最大限に他者を思いやった結果だけが語られるという、本当にまっすぐな内容。逆に言えば、これだけの中身で何故見入ってしまうのかと不思議なくらい。やっぱり、そこが上手いんだろう。恋愛を1つ実らせるにしても、破れさせるにしても、そこには幾通りものドラマの描き方があるのだ、ということをしみじみと感じ入る一品であった。

 そして、この作品の場合は、しつこいくらいに言及しているが、「おねティ」シリーズとの関係性も作品を見る上で外せないポイントだった。山乃檸檬というジョーカーの存在を自然に導入する方策であったし、宇宙人であるイチカの存在も何のてらいもなく料理できる非常に便利な「受け皿」としてのおねティは、知っている人間にとっては全てプラスに働く相互関係を生み出していた。別におねティシリーズを知らなくても見られるのは当然だが、知っている人間からすると、色々と関係無いところまで邪推して楽しむことが出来るし、そこまでせずとも単純なノスタルジーに浸ることが出来る。結局最後の最後まで「おねティ」とのリンクが明示的に言及されることは無かったわけだが、そうした「すかし」「ほのめかし」も楽しみの1つといえるだろう。邪推する分には自由だし、おそらく答えはないであろう問題を、脚本家の思惑通りにあれこれいじり回すのも楽しいものだ。また、あの時代から10年が経過し、アニメがどう変わって、世間は、日本はどう変わったのか。このアニメを見れば……まぁ、分からないとは思うけど、何かつかめるものがあるのかもしれません。なかなか面白い企画でしたよ。

 中の人については、安定感のある面子は置いておくとして、まずは主人公・海人を演じた島崎信長。はじめは「そつのない若手や」という程度の認識だったのだが、後半になって海人がどんどん「頼れる」男の子になるに従って、なかなか面白い役作りを見せてくれるもんだ、と感心した。これだけのものがメインデビュー作で出てくるってことは、今後もぐいぐい来るんじゃないか、という期待がもてます。そして青い子こと柑菜ちゃんの中の人である石原夏織。田村・阿澄・戸松と、ズラリ並んだ様々な年代の「先輩」たちの中で、一歩も引かない力強い演技を見せてくれた。何度もほめた気がするけど、やっぱりすごい。「最近の若い子はどんどんすごいのが出てくるなー」とか思ってたら、りのんの中の人の方がさらに若かった。里菜ちゃんなかなか年とらねぇな。

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「Another」 5→6

 色んなところで予想の斜め上にとんでいった作品。こうして、また新たな教訓が生まれた。「原作知ってるから(ドヤァ)とかいってアニメなめてたら駄目」。今更こんなことを痛感させられることになるとはねぇ……

 まぁ、原作知ってようが初見だろうが、この作品が動くところを見たら打ちのめされるのは事実。ほんとにね、水島監督にP.A.WORKSなんて楽しそうなおもちゃ渡しちゃ駄目でしょー。あの人はI.G.でもやりたい放題なんだから……大人しくシンエイ動画にしておきなさいよ……いやぁ、すごかったですわ。P.A.といえば透き通るような青とか、宵闇に鮮やかに灯る光なんかのライティングの妙が売りのスタジオっていう印象が強いんだけど、これだけドロドロとどす黒く、血なまぐさく、陰鬱な画面でも、存分に強さを発揮してくれていた。全力で血みどろ、全力で惨劇。もう、これをやっただけでも存在意義はあるわね。

 その上で、賛否が分かれるであろうポイントとしては原作を弄ったシナリオ部分。原作はもう少し「ホラー」としてのじっとりとした怖さ、痛さを醸し出すものだったが、途中からガンガン興がのったかのような大量殺人劇に発展させちゃってのレッツパーリーっぷりは壮絶過ぎる。「やりすぎ」という意見も出てくる部分だ。ただ、この作品、実際に何人死ぬかは直接ネタとは関係無い部分だから、「殺したければ何人殺しても良い」お話なんだよね。それを理解した上で、「せっかくアニメにするんだからもう少し殺しておかないと」ってんで手心を加えてくれたわけですよ。この変更は副次的なプラス効果もあって、たとえば水着回が増え……ではなく、積極的に死人を増やす課程で、どうしたって主人公の榊原と鳴がクラスメイトとふれあう機会が多くなる。そのために、原作では地味だった面々や、全然出てこなかったようなキャラクターにもスポットがあたり、アニメとしての見映えが良くなるのである。やっぱり、せっかく動くんだからより派手に見せて欲しいところだしね。まぁ、派手すぎたおかげで最後にとっておいたメインネタのインパクトがかすんでしまうんじゃないか、という不安はあるのだが……どうなんでしょうね、原作を知らなかった人は、ラストのオチをどんな風に見るんだろう。

 キャラがたくさん出て、いっぱい絡んでいっぱい動くようになっちゃったせいで、特定のキャラに萌えるという、想定外のハーレム作品としての機能まで持ち始めたというのは完全に想像の埒外で、多分こんだけ女子キャラにスポットが当たってファンが増えたっていう事実は、原作者が一番驚いているはずだ。こういうのを業界的には「幸運なアニメ化」っていうんだろうけど、すげぇ方向の幸運もあるもんだ。まぁ、楽しかったら何でもよしだ。この作品のおかげで傘やエレベーターがむやみに怖くなっても仕方ないよね。うえーん。

 中の人については……特にいうこともないですけど。杉浦さんのインパクトしか残ってないですけど。メインネタのために中の人をここまで徹底的に弄ったっていうのも、ある意味パイオニアかもしれませんね。やりたい放題やな。

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「LAST EXILE –銀翼のファム-」 6→6

 ぎりぎりまで点数をどうするかは悩んだのだが、思い出補正と中の人補正込みで、最終的には優良可でいうところの「良」を維持。なんやかんやと心配事も多い作品だったが、最終的には、半年間走りきってくれたと思う。

 点数を下げるかどうか悩んだのは、やはりGONZOというと話題に上る「制作体勢の不安定さ」と「オリジナルシナリオでのぐだぐだ感」の2点。前者については、実は作画の崩れなどはほとんどなかったのであの当時を思い出すのは失礼すぎるのだが、やはり2クールの中で総集編2本という構成はやや気になった。確かに前作ありきのシナリオなので、間に総集編を入れて(1期をすっかり忘れた私も含めた)ビギナーの人に親切にするのは方向性としてはありなのだろうが、それなら、総集編その2はもっと早く入れて欲しかった。物語が煮詰まり、いよいよクライマックスか、と思ったところでまさかの前作総集編というのは、視聴者側としては心情的にプラスに働きにくいだろう。そして、シナリオのぐだぐだ感というのも、中盤は正直少しずつ不安が広がっていった。最終的には無事に風呂敷をたたみきった形だが、それでもファムの出生のこととか、最終的に世界がどのように救われたのかとか、もう少し尺を採って描いて欲しかった部分も多い。

 メインシナリオとしての「戦争」はきちんと描けていたと思うのだが、今作の場合、ファムという主人公の存在自体が、一種のイレギュラーである。振り返ってみれば1期のクラウスだって無茶といえば無茶なのだが、彼の場合には、真っ向に向かい合う敵としてのディーオがおり、2人の関係性の相互作用として、エグザイルの謎に接触していた。今作のファムの場合、結局どこまで言っても「空賊の女の子」であり、戦争をどうこうする力は無いはずなのだ。ミリアとの接触というアドバンテージはあるものの、そのミリアもどこまでこの「戦争」に関われていたのかは微妙なところで、「女の子達がどれだけ頑張ったところで、あれだけ気骨のある軍人さんの集団相手ではなぁ」という現実感の薄さが最後まで気になってしまった。もう少しファムの人柄を「難しく」設定し、根性論以外での彫り込みがあれば共感度も違ってきたのだろうけれど。

 などと文句は並べ立てられるのだが、総じて見れば、やりたいことがおよそやれていた作品であるというのも事実だと思う。今期、同じように「世界を賭けた大戦争」を描いた作品としては「シャナ」があり、あちらは既に「雰囲気だけの戦記物」という風にまとめたのだが、この作品の場合の「戦争」は、嫌でも画面の上に現れる「破壊とうねり」によって表現される。10年の時を経て復活したヴァンシップや大型艦隊の勇姿は、やはり「空を舞う」というその1点において異質であり、それが連なり、対峙することが、何よりも雄弁に「戦争」を語る。そして、そんな兵器群ですら踏みにじってしまうエグザイルの恐ろしさなど、これでもかと大迫力の画面に現れるのだ。ルスキニアとリリアーナは、この大きさを背負い込み、背負いきれずに逝ってしまったのだと、嫌でも実感させられる画面になっている。これだけの画面を維持し続けて作品の内実に反映することが出来たのは、間違いなくGONZOスタッフの力あってこそである。

 「戦争」というテーマの大局を描くのが「破壊」であるなら、それをミクロの視点で見ると「死別」ということになる。今回は序盤にトゥラン王の死という起点があり、起承転結でいうところの「転」ではリリアーナが死ぬ。この「死」は間違いなく「戦争」を表しており、最終的には、全ての「戦争」を背負い込んだルスキニアの「死」によって物語は幕を閉じる。こうしてみると非常に理知的で計算尽くの「死に方」であるのだが、各々の人間にきちんと志があり、一人として後ろを向きながら死んでいないというのが、この作品に希望を持たせる部分であろう。最終的に残されるのがファムという脳天気の固まりみたいな娘であることも、「死」の重みをわずかながら軽くし、前を向かせる要因として働いているのかもしれない。サドリの言を借りれば「世代が変わった」ことが、数々の死と、それに支えられた笑顔で表され、長きにわたるこの世界の「戦争」の結末を1つのまとまりに仕立て上げた。終わり良ければ全て良い、とはいかないかもしれないが、個人的には納得出来る幕引きである。

 あとはまぁ、思い出補正とか、中の人補正とか。思い出補正で言えば、なんと言っても今作のヒーローはディーオだろう。総集編でも大切な役回りを務めてくれたが、常に少し引いた視点から物語を見つめているおかげで視聴者目線に近いビジョンを提供してくれていたし、既にできあがった「信念」のおかげで、複雑な情勢もいくらか見やすいものにしてくれた。最終話でも印象的だった彼のルシオラへの思いは涙を誘うものであると同時に、彼が「戦争」に対して何を思い、どのように動くのか、ということを明確にする役割もある。ついでのついでに出てきたクラウスとラヴィのコンビも、それだけでご褒美でしたね。大人ラヴィだ! わーい!

 とまぁ、何となく嬉しいのは中の人の思い出があるからなんですけどね。今作を壮大な「戦記物」として成立させたのは、やはりたくさんのキャスト陣。この世界の人たちは本当に皆が皆心の中に大切なものを持った人たちなので、そうした信念を描くのは一筋縄ではいかない大仕事だったはず。たとえば王族、沢城みゆき・茅野愛衣に伊藤かな恵ちゃん。中盤最大の謎だったリリアーナの翻心について、ほとんど説明も無しに気づけば納得させられていたのは、やはりみゆきちの豪腕に寄るところが大きいだろう。そしてそれに付き従うルスキニアの興津君や、軍人勢では福山潤、土師孝也さん、こにたん、折さん。軍人さん達は敵味方ともにイケメン揃いでしたな。また、繰り返しになるが、陰の主役だったのはディーオ役の野田順子。みんな本当に格好いい。そしてなんと言っても、メインを務めた豊崎・悠木という今をときめく2人。普段ならあおちゃんを手放しでほめるところなんだけど、流石に今作はあいなまにありがとう、かな。こういう役回りの主人公っていうのは本当に骨が折れる仕事だったろうと思います。みんなみんな、お疲れ様でした。是非とも、平和な世界での後日譚とかも聞かせて欲しいものですね。

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「輪廻のラグランジェ」 5→4

 1話を見て期待した要素に関して言えば、少なからず面白い要素があった作品なのは事実だと思う。制作陣の気合いの入れ方も伝わってきたし、視聴している時点では「なるほど頑張っている」という部分も多かった。しかし、その上で何とも印象に残りづらかったのは、決して同じ時間帯のライバルが強かったせいだけではないはずだ。アクエリオンは本当に色んなところで被ってたけどね。

 最初に目を引く要素は大きく2つ。1つはわざわざ実在する自動車メーカーでコンペティションを行ったというメカデザイン。いかにも分かりやすい「近未来」なデザインは、確かにアニメに慣れた目には新鮮に映る部分も多く、変形のシーケンスや流線型を意識した飛行のモーションなどは、オリジナルというに充分なものであった。しかし、なんだろう、気づけばメカ戦闘は1話のプロレス技KOがクライマックスだったような気がする。そこから先で、「あのデザイン、あのモーションを活かした戦闘シーン」というのがどれくらいあっただろうか。どちらかというと内部に登場している女の子達の妙な搭乗姿勢の方が印象に残っているくらいに、外側のメカの活躍はあっさりしたものだ。結局、ミドリをはじめとするウォクスシリーズは、「ならでは」の活躍というのが見られなかったのではなかろうか。

 もう1つのポイントは、なんと言っても女の子たちのキャラクター。特に主人公であるまどかの場合、ジャージ部という謎の活動に始まり、「常時水着着用」「鴨川愛」「まるっ!」と様々な要素が有り、これが上質な作画で描かれることによって、さわやかエロ混じりでなかなか良いキャラに仕上がっている。さらに典型的素直クールであるラン、典型的天然巨乳ムギナミと3方を囲むことで、オールラウンドな萌えの需要に対応可能。これはある程度結果を出した部分か。しかし、それにしたってどうにもドラマが薄い、と感じたのは私だけなんだろうか。

 びっくりしたのは中盤のヴィラジュリオとムギナミの絡みで、「ムギナミが敵側勢力であり、無垢さ故に平気でスパイまがいの行為を働いていた」という衝撃の展開があったにも関わらず、その部分のジレンマなどにはほとんど触れず、ヴィラジュリオが一方的に(理由もよく分からないまま)ムギナミを切り捨てるという、あまり必要ではなさそうな展開になっている。ムギナミがショックを受けて葛藤するところはいいのだが、肝心の主人公視点であるまどか(そしてラン)は、「ムギナミが敵側だったなんて!」というカタルシスを一切得ないまま、「なんか敵が内部抗争しとる」というだけの傍観者となり、ムギナミは「仲間→敵→仲間」ではなく、「仲間→仲間」という変化に乏しい状態になってしまっていた。ヴィラジュリオについても「冷酷な敵側トップ」という描き方ならムギナミの扱いも分かるのだが、普段あんだけおちゃらけているくせにムギナミとの絡みでだけあんな態度に出られては疑問符が飛び交うのも致し方ない。

 最終回近辺のまどかを巡るあれもこれも似たような印象で、どこにドラマを描きたいのかがぼんやりとしたまま、終始立ち回ってしまった感が否めない。これでは、せっかく作った女の子達のキャラも空回りになってしまい、最悪の場合、「阿漕な萌えキャラ設定ばっかり」という悪印象に繋がりかねない。いっそのこと3人が延々きゃっきゃうふふする学園エロコメディだったら振り切れた面白さが残ったと思うんだけど。

 まとめると「ロボは確かに格好いい部分もあるし、女の子は可愛い部分もある。でも、それがプラス方向に複合せず、バラバラだったおかげでちぐはぐな作品になってしまった」ということ。最終回でも何が終わって何が終わっていないのか分からない状態なのは2期へのつなぎということなので、まだまだ終わらない次の「物語」の構成に望みを繋ぎたいところである。見ていて不快になったり、「つまらない」と思う訳じゃないんです。「面白い」と思いにくいだけで。どこかで一皮剥ければ、突出したものになる期待はあると思っているのでね。

 中の人的には、石原夏織、瀬戸麻沙美という若手の競演が素直に楽しめるのは良かったところ。2人とも来年度以降にさらなるブーストをかけてくるであろうことはほぼ間違いないので、今作はそういう意味では記念碑的な作品といえるかもしれない。まるっ!

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「探偵オペラミルキィホームズ第2幕」 7→6

 うん、酷かったな! まぁ、これでこそミルキィだ。特に文句は無いぞ!

 点数下げたのは、流石にこの作品を「手放し全力でほめる」っていうのはやり過ぎだ、という風にちょっと冷静になったから。あと、やっぱりシリーズものの宿命として、1期の時の爆発力が2期では慣れてしまったこともあり、多少なりとも勢いがそがれたと感じたから……いや、どうだろう。別に変わってない気もするなぁ……やっぱり1期抜きでいきなり2期から見始めたら「なんやねんこのキチガイアニメ」って思うのは間違いないだろうし……あ、分かった。今回はアルセーヌ戦ではなくてその他の要素も絡んできたおかげで、ちょっとシナリオラインがぼやけてしまったから、ということにしておこう。そうに違いない。…………このアニメでシナリオとか言ってもなぁ。

 まぁ、こんだけ笑えればアニメシリーズとして何の不満もありませんよ。これのプロトタイプである「GA」だって、毎回毎回そこまで大爆笑ってわけでもなかったんだし、「あー面白かった、さて、3期はいつかな?」という程度の気持ちで待てるくらいなら充分合格ライン。この作品はGAと違って一応はシリーズシナリオがある作品でもあるので、きちんと1クールで1つの流れを作っておいて(うん、きっと作れてたんだよ)、その上で満足度が高いのだから、やっぱり秀作なのは間違いないのだ。早く3期が作られることを望んでいます。

 中の人、というかキャラクター全般の話だが、これだけのシリーズになってくると、やっぱり個々のキャラの彫り込みにも味わいが出てくる。ただ、この作品の不思議なところに、何故か個々人を掘り下げる話がない、っていうのがある。それこそ「GA」なら「今回は明らかにミント回」みたいな方向でストーリーを作っていたのに、ミルキィの場合は常に4人は一緒で、「ずっとネロだけがしゃべり続ける話」とかはないんだよね。もうこの際だから自由にシリーズ構成を広げて、キャラクターにスポットを当てた話作りでもいいと思うんだけど。

 まぁ、それが無くても興味は維持出来ている。シャロは相変わらず過ぎて正直変化は無かった気がするが、今期1番はっきり個性が出ていたのはネロだろう。1期では醸し出す程度だったド外道設定が大幅強化され、駄目駄目揃いのミルキィホームズの中でも屈指の最低っぷりを見せつけてくれた。そのくせ、何故か憎めないキャラクターなのがまた不思議なところ。そらまるの声って、なんか癖になる愛嬌があるんだよね。是非、3期では「ネロ回」を徹底してやって欲しい。後は「次子回」とかね。なんだか金儲けの臭いがしやがるぜ!

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「灼眼のシャナⅢ」 5→6

 お疲れ様、というのがまず一言目の感想かしら。長きにわたるこの「ラノベ大河ロマン」にもひとまずの終止符。長らくのおつきあいでしたが、なかなかどうして、悪いつきあいじゃなかったと思っています。

 ただ、先にきちんと断っておかないといけないのだが、正直この3期、私はさっぱり理解しちゃおりません。最初に悠二が突然敵側になった時点でちんぷんかんぷんだったところに、たたみかけるような大戦争、何の前触れもなく襲いかかる大量の紅世の徒、それに対抗するよく分からんフレイムヘイズの集団。誰が何をして、何を目指しているのかもさっぱり分からない状態で、とにかく「なんだか戦争っぽいもの」が起こっている様子だけを、ただぼんやりと毎週見守っておりました。

 こうして、「設定もよく分からない状態でなんかラノベ臭いことが起こっている」というアニメは、実はさんざんこき下ろした「境界線上のホライゾン」と同じ状態であるはず。となると、このアニメはつまらないということになってしまうのだが、不思議とそんな気もしなかったのである。思い出補正といえばそれまでかもしれないが、1つ1つのキャラクターの行動の裏側に見える「大望」については、作品を通じてしっかり見えているような気がしたのである。特に、イデオロギーが難しかったのは祭礼の蛇が率いる徒軍団の方だったと思うが、そちらは悠二がしっかり統率し、心酔して彼に付き従うバルマスケの3人の態度からその信念は疑いようが無かった。その下に連なる徒軍団になると色々と好き勝手な部分もあったように見えるが、それでも、内ゲバが起こるでなし、私欲をむさぼるでなし、最終的に悠二の大望に向かって皆が進む姿に迷いが無かった。それに対抗しようとするフレイムヘイズも同様である。紅世の王とフレイムヘイズが絡むと、画面を見てても誰がしゃべってるのか分からなくなってしっちゃかめっちゃかになってしまうことも多かったのだが、それでも何となく「全員がシャナと同じ方向を向いている」という了解があるので、シンプルに理解しようと思えばノイズは排除できたのだ。

 こうして「なんだか戦争っぽいもの」が2クールもの間に渡って延々描かれ続けるという、壮絶な「戦記物」としてのまとめ上げ方は、なかなか綺麗に仕上げようとしても難しいところだ。戦争といっても、作戦があって、布陣があって、個々の兵の働きがあって初めて「戦争」という大きな絵図が生まれる。これを雰囲気だけで「戦争」にするのは簡単ではない。この作品の場合、最低限ディティールに気を払いながら、流れをつかめるほどよいバランス感が維持されていたのではないだろうか。そしてその中にあって、ちゃんと主要キャラクターの感情の動きを描ききることになったのだ。恐ろしい数のキャラクターが大挙したシリーズであったのに、主要キャラの片付いた各々の到達地点には、不満を感じる部分は無い。皆、それぞれの目指すものがあって戦争に挑み、それぞれの未来に向かって、また明日から歩んでいくのだろう、ということが感じられる、よい最終回であった。「ゼロの使い魔」と同じように、クライマックスで流れたのが「緋色の空」っていうのはちょっと面白かったけど……それでもグッと来てしまうのが憎らしい。同時にシャナが叫んだのが「うるさいうるさいうるさい!」だったのもね。お約束って、守ってもらうとここまで安心出来るものなんだねぇ。

 こうして、また1つ長い歴史が幕を下ろした。「ゼロの使い魔」と「灼眼のシャナ」が同時に終了したというのは、なんだか因縁めいたものも感じられる。ラノベ文化の1つの時代区分が、ここで片付いたのかな、という思いだ。こちとらラノベは全く読まないので本当のところがどのような状況なのかは分からないが、いわゆるゼロ年代のアニメ文化としての「ラノベ」は、ここで一区切りという見方もあながち乱暴ではないんじゃなかろうか。1つの時代を作り上げたスタッフの皆さんには、ただ「お疲れ様」と。まぁ、渡部監督の場合、また新しいラノベ作品の看板を探して仕事を続けていくんだろうけどね。

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「バクマン。(2期目)」 4→4

 気づけば終わりました。一応今回は新連載の「PCP」がアンケート1位を取り、サイコーが叔父さんの墓参りに行くところで締め、という終わり方。まぁ、無難なところじゃないでしょうかね。この後に続く「最終回らしいエピソード」ってなかなか無いしな。

 毎週見るには見ていた作品ですが、正直、原作知ってるし、土曜日は必ずピック表書いてるしで、あまりしっかり見ることが出来ていなかった作品。おかげで細かい作画演出などがどんなレベルだったのかははっきり覚えてません。ただ、改めてアニメの画になって時間軸に沿って流れているのを見ると、「やっぱり徹底的に少年漫画だったんだなぁ」というのがよく分かる作品だった。延々仕事場で漫画書いてアンケートや編集長のご機嫌に一喜一憂するだけという、おそろしく地味な内容のはずなのだが、主役2人が無駄にアツく仕事してくれているおかげで、画面から出てくると思われる「退屈さ」はほとんど感じない。さらによく見ると新編集の港浦さんを相手にして「なんかあの人うさんくさい」とか「編集代えて欲しい」とかさんざん酷い会話もしているはずなのだが、そこまで傲岸不遜な感じとか、生意気な感じもしない。あくまで「夢を抱いた若者が頑張っているんだよ!」というポジティブ面が前に出ているので、「これはこれで王道なんだな」ということを中心に読み解くことが出来るようになっている。原作の手柄なのかもしれないが、諸々の不快感を持たずに見られるのは良かったかな、と思う。

 まぁ、2期は例の中井さん騒動とか、シュージンの結婚とか、それに乗じた岩瀬大暴走とか、漫画と全然関係無いところで盛り上がってる部分も多かったんだけどね。シュージンの結婚がらみだと香耶ちゃんがむやみに可愛らしかったから、それだけでも楽しかったんですけどね。蒼樹さんに思いを寄せられ、岩瀬に詰め寄られたのに、結局一番乳のでかい香耶ちゃんと結婚したシュージン……考えてみりゃなんというハーレム設定だ……

 さて、3期は秋からの再会ということなのだが、この後のエピソードというと、いよいよ七峰あたりが登場する泥沼展開。ひょっとしたら亜豆の声優騒動までいくかも……そしてアニメ化問題ですね。さぁ、どこまでアニメで出来る内容なのか……

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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子
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