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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 「ドラゴンクライシス!」 6→3

 1話視聴時での配点は6。これはディーン独特の淡い目の色彩を上手く利用して丁寧に作られた動画面を評してのもので、そのままきちんと丁寧なコンテワークに繋がれば案外良い作品が期待出来るかも、と思ってのもの。ただ、その時点で「まぁ、ラノベ原作だし、動画面が売りの作品って1話が終わるとトーンダウンしやすいんだけど」と逃げも打っているのが私のこざかしさ。そして、悲しいかな大体その予想の通りになってしまったのである。

 最後まで、画面の質は低くない。「キャラ萌え基本のハーレムラノベ」なので女の子の造形にはかなり気を遣っていたのが分かるし、特に英理子とルーの熟女(中の人がね)コンビは最後まで賑やかで楽しんで見ることが出来た。敵方でもオニキスのあまりに型どおりのスカした悪役っぷりは逆に笑えたし、サフィやアイなんかも、悪くないキャラクターだったとは思える。

 ただ、やはりそれだけのものを用意しても、メインシナリオが決定的に味気ない。ドラゴンと人の交流というのがテーマとなっているわけだが、まずもってローズがドラゴンとして「異物」であるという描写が少なく、後半になって竜司が彼女との関係について思い悩む様子がぜんぜん肉薄してこないのである。ローズもローズで基本的に単なる幼女なので、どこまで考えて動いているのか定かでないし、釘キャラとしてはいまいちパンチの弱い出来。竜司がそこまで入れ込んでしまえるような魅力的な部分が積極的にアピールされるでもなし、「こういうキャラだからこういうエピソード」というテンプレートをただ単になぞっていたように見えてしまった。おかげで最終回の活劇にほとんど身が入らない始末である。まぁ、「ラノベだから」の一言で片が付く問題ではあるのだが……

 結局、竜司とローズという中心となるべき2人が引き立たず、そのせいで周りを固めていたサブキャラ達も「単なる添え物」として終わってしまったのが最大の敗因。マルガのエピソードとか、最初にローズが「ドラゴンとは何か」をちゃんと規定し、そこに決定的な「人類との差や闘争の歴史」が刻み込まれていれば、もう少し味のあるお話になったと思うのだが……

 一応最後まで観ることができたのは幸いであるが、そこまで頑張ってフォローも出来ない、というのが最終的な感想。結局一番印象に残っていたのは、毎週毎週楽しみに見ていた、どこか不安な気持ちにさせられるオープニングだったりします。堀江由衣主演のPV映像は、マジで傑作ですよ。これがシリアスな笑いかぁ。

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「お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!!」 6→6

  人生というのは予期しないことが立て続けに起こるからこそ面白い。まさかまさか、この作品が発表された時には、こんなにも安らかな気持ちで放送終了を迎えることになるとは、誰1人として思っていなかっただろう。元永慶太郎監督がお気に入りの私とて、「これは無いわぁ」というのが、正直なところであった。

 だってそうだろう? 妹萌えなんて設定は12人の妹に囲まれたあの時代を紐解かずとも、既に人類のキャパを越えるくらいの量が放出されているわけだし、今更それをタイトルにまで持ってきて正面から戦いを挑むなんて馬鹿げている。前のシーズンまでに「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」「ヨスガノソラ」とそれなりに手強いライバルもいたわけで、コミックスがたった3巻しか発売されていないような中身が足りない作品が見切り発車で1クールだけ製作されたとて、圧倒的なバックグラウンドを誇る他作品に太刀打ち出来るわけもない。そして、なんと言ってもあの絵柄。アニメにするにしたって奇形過ぎるだろうし、たとえ違和感を消せたとしても、どう頑張っても万人受けするようなものには見えない。いわゆる萌え作品として足りないものが多すぎて、数々の粗製濫造作品の一員として、シーズン半ばでフェードアウトしていくことは想像に難くなかったわけだ。

 しかし、人生という名の冒険は続いた。奇形? 大丈夫、キャラが動くことがアニメの本懐ならば、どんなデザインだってそれを魅力に直結させることが出来るだろう。 マンネリ? 問題無い。今まで数多語られてきたテーマならば、それを逆手に取り、また新しい妹像を生み出すことが容易くなるだろう。ライバル作品? なんのなんの。他の作品と比べるのも馬鹿馬鹿しくなるような、ぶっ飛んだ何かをプラスアルファとして仕込んでやれば、そんな浅はかな比較など出来なくなるだけだ。原作にちゃんと信念が込められているならば、アニメを作る時にはそれを徹底的に前景化させてやればいいだけの話なのだ。

 結局、このアニメは面白かった。あまりにぶっ飛んだ奈緒や修輔のキャラクターを中心としながらも、周りを取り囲む彩葉や繭佳、そして新キャラ谷田貝姉妹まで、マンネリズムで何となく登場するキャラクターがおらず、とにかくドタバタした高梨兄妹の生活に一石を投じてやろうと狙っている連中ばかりが集まった。メインとなる設定は「ラブコメ」であるが、奈緒の愛情と修輔の愛情が既にどこか歪んでおり、その歪みを是正するのではなく、さらにひしゃげさせて何がまともなのかが分からなくなるような、倒錯的な恋愛観を持つキャラクターばかりが大挙する。「自分が一番イカれているんだ」と激しく主張し、競り合うかのようなキャラクターたちの競演は、いつしかそれだけでお家芸と呼べるような唯一無二の持ち味にまで昇華されていった。このギャグは、新しい。

 そして、そんなメインシナリオを徹底して突き詰めることに成功したのは、やはりストイックな姿勢でたった一本の芯を貫き通そうと尽力したアニメスタッフ陣の力量に依る。やはり元永監督はただ者ではなかったし、シリーズ構成をまかされた大場小ゆりという人物も、きっとすごい人に違いない。今wikiで確認したら、桜井弘明の奥さんなんだな! しかも脚本の仕事を始めたきっかけが「デジキャラット」の「ビームが出ないにゅ」だとか……真性じゃないですかー! やだー!

 そして、やはり最後に押さえなければいけないのは、中の人たちの全てをぶち上げるだけのパワー。中でも再三再四褒めちぎっている喜多村英梨による一人舞台は、それだけでもこの作品の存在価値を確立させるほどのものである。オープニング歌唱でもその有り余る才能を発揮してくれていたし、要所要所で求められた無茶以外のなにものでもないオーダーをこともなげにクリアする様子は、まさに現代声優界の怪物だ。花形、看板、様々な言い方があると思うが、この作品はどこまでいっても「座長」である喜多村英梨を中心にして、すべてが回っていたのである。もちろん、そんな圧倒的な存在感に負けじと張り合う井上麻里奈、豊永利行といった面々も、相互効果でさらなる盛り上がりを作ってくれた大切な共演者だ。嬉しかったのは、そんな切磋琢磨の渦中に、新人の荒浪和沙が飛び込み、負けないだけの存在感を発揮してくれていたこと。どうしても声優メインの見方だと「これまで活躍してきた有名どころ」ばかりを追いかけがちになるのだが、こういう堅実な仕事ぶりを見せてくれる新人が現れるてくれるのは嬉しい限りだ。今作は色々と(良くも悪くも)刺激の多い現場だったろうし、今後の糧になってくれればいいと思う。

 いやぁ、馬鹿サイコー! 絶対無いだろうけど続編希望!

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 「テガミバチ REVERSE」 5→4

 気づけば終わってました。そして感想を書くのも忘れてました。それくらいの印象しかなかったのが寂しい作品。

 どこが悪いということもなく淡々と原作を追ったのだろうと思われるのが、この作品の最大の売り(原作知らないから憶測だけど)。2クールの尺があったにも関わらず、描かれた問題の大半はノワールという登場人物を巡るあれこれに費やされており、非常に地味なシナリオ運びになっている。ラグとノワールの関係性という中心テーマが面白ければこうした堅実な仕事で何の問題もないわけだが、残念ながらそこまで魅力的な誘致要因となっていなかったのが悩みどころ。ラグが悩み続けていたのは2クール×2期分の苦悩っぷりのおかげで伝わってはくるのだが、それではノワール自身がどうか、と言われると今ひとつ。そして「記憶が残るかどうか」というメインの題材に、この作品の最大の眼目である「心」という要素が絡んでおり、どこかモヤモヤして歯切れが良くないのも残念で、最後のカベルネ戦は問答無用の気合い勝ちだし、締めくくりのノワールの決断についても、納得出来るような、そうでもないような。うーん、実はそこまで真剣に見ていなかったから伝わってこなかっただけという気もするのだが、ジリジリと進まない画面を見ていても、なかなか身を入れて視聴することが出来なかったというのが正直なところだ。まぁ、これって原作の味が合うか合わないかだとは思うのだが……

 アニメとしての基本線は中の上くらい。やはりこの世界独特の青みをベースとした画面作りは、見ていて何となく落ち着くし、替えの効かないものなので1からの世界構築はなかなか労力がかかっていることは見て取れる。この色合いが綺麗に出れば画面映えするので、例えば後期のエンディングアニメみたいなパッと見で分かりやすい見せ方をしてくれると、なかなか面白い。ただ、やっぱり鎧虫をフルCGにしてしまったのは最後の最後までちょっと納得出来なかった部分で、せっかく規格外のでかさの化け物の恐ろしさを出そうとしても、どうしてもメカっぽくなってしまって生々しさに欠ける。最後に戦ったカベルネだけでもちゃんと原画から起こしてくれてればなぁ。

 トータルすると、まぁ、このレベルなら最後まで観られるよね、というくらい。個々のエピソードでは楽しいものもあったし(ニッチの姉妹喧嘩エピソードなんかは色々と面白かったよ)、全体的な仕上がりは充分なものだったのが、最終的にプラスワンの魅力が欲しかった。原作ファンならこれで充分なんだろうけど、未読の読者も引きつけられるようなアニメならではがあれば良かったなぁ。あ、沢城&藤村コンビっていうのは、プラスワンとして充分機能してました。結局、視聴動機なんてそんなもんです。

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 「みつどもえ増量中!」 4→6

 今期最初のゴール作品は、わずか8話という信じられない短期決戦を挑むことになった可哀想な作品、「みつどもえ」である。1期の売上が悪かったのか、それとも原作ストックがないのか、よく分からないが、毎回楽しみに見ていた身としては、この変則構成は実に残念である。別にもう3〜4話くらい作ることは出来ただろうになぁ……

 基本的に1期と何一つ変わらない分割2クールものだったわけだが、この手のショートギャグは基本的に人間関係のゴタゴタが笑いに繋がるものになっているため、キャラの基盤が出来上がって色々といじる要素が増える2期目の方が、当然破壊力は大きくなっている。サブキャラでは吉岡の躍進が目立ったし、おがちんなんかも2期になってよりキャラが立って美味しくなった部類だろう。代わりに栗山っちや松岡の出番は減ったけど、三つ子との絡みを考えると、より親密な友人達の出番が増えるのがまっとうな展開といえるだろう。三つ子のキャラは3人ともばっちり引き立てられ、誰がメインになってもテンションが落ちない、理想のショートギャグになっていたと思う。それだけに、それだけにやっぱりあの1話の暴虐が許せないのだが……まぁ、それ以降は順調に最終回まで持ってきてくれたので、評価としてはプラスで良いのではないでしょうか。

 この作品を視聴する上で欠かすことが出来ないのが、当然中の人の話である(まぁ、他の作品でも全部そうだけどさ)。特に三つ子を演じた高垣・明坂・戸松の完璧な仕事ぶりには頭が下がる思いだ。あけこの場合は慣れ親しんだ、いわば「中の人のそのまんま」みたいなテンションだったが、やっぱりこの残念な感じは天性のもの。最近はジワジワ露出も増えて波に乗っており、業界内でもなかなか美味しいスタンスですがな。ひとは役の戸松遥は、もうこんなところでいちいち褒める必要も無いわけだが、変幻自在の戸松節で作品一の萌えキャラであるひとはの魅力を前面に押し出してくれた。地味にすごいのは、オープニングなんかもキャラ声歌唱で通しているのだが、ひとはのキャラを守りながらもちゃんと声が出せており、歌が成立しているところ。同時期に「STAR DRIVER」で「モノクローム」を歌っており、この対比は実に鮮烈である。そして、アフレコ時に最も汗を流したであろうことが想像に難くないのが、彩陽だ。みつばの可聴域ギリギリみたいな金切り声は、彩陽の地声を考えれば決して楽な音域ではなかったはず。それでもなお、あそこまで飛ばしたキャラ作りをして、ウザさと切なさがない交ぜになったみつばの面倒なポジショニングを寸分違わず行えたのは、流石としか言いようがない。メインとなる三本柱が不動だったからこそ、この作品は成立していたのである。

 他にも、毎度毎度取り上げていたのは杉崎役の齋藤千和。母親との関係性のおかげで中の人と他人とは思えないツンデレお嬢杉崎は、幼千和(おさなちわ)カテゴリでは久々のミドルヒットで、本当にうまうま。それにしても、千和ももう三十路かぁ……確か30までに結婚しなかったら、能登麻美子に一生面倒を見てもらうと言っていた気がするのだが、能登家に嫁ぐ用意は出来ているのだろうか。玄関を開けると同じ目的で順番待ちをしている女性声優が大挙している気もするが。

 そして2期では看板といえるまでに台頭してきたのが、飛び出すマユゲの吉岡役、豊崎愛生。最初は影の薄いキャラだったおかげで「いつもの豊崎だなぁ」と思っていたのだが、キャラが暴走し始めると、独特の愛らしさがキンキンと響いてきて癖になるキャラになっていった。時折暴走する宮ナントカさんとのコンビネーションも抜群だ。その他井上喜久子、三瓶由布子、山本和臣、茅原実里などなど、実に姦しい面々が作品を盛り上げてくれました。ほんと、なんでこんなに本数が少なかったかねぇ。悔しいったら。

 最後に、こちらも何度か触れている2期オープニング「我が名は小学生」。今期ではナンバーワンといってしまって良いお気に入りなのだが、調べていて初めて、これの作詞作曲を手がけた前山田健一氏というのが、あのニコニコ動画黎明期に活躍していたヒャダインと同一人物だと知った。あの当時は割とニコ動関係も見ていたので、なんだか懐かしい名前を見てしまったようで感慨深い。基本的に「ニコニコアーティスト」なんてカテゴリは素人と同義だと思っていたのだが、出来上がるものには出自など関係無いということを思い知らされる。

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 「ハートキャッチプリキュア!」 5→6

 変則的な時期に終わるのでうっかりするとチェックがおろそかになってしまうプリキュアシリーズ。この手の朝番組はなんで改変期から微妙にずらして交代するんだろうね。

 さて、個人的な習慣の話になるのだが、私はあんまり熱心なプリキュア視聴者ではない。基本的にリアルタイム視聴を旨としているので、朝の番組を毎週録画してからチェックする習慣がなかなか身につかないことが一番の理由。また、シリーズを通じて、結局プリキュアを最初から最後まで見続けたという経験がなく、「前のシリーズも見なかったんだし……」という流れになってしまい、春先に見ていたものもいつの間にか追いかけられなくなってしまう。おかげで、すっかり「大きなお友達の番組」の代名詞となったこのシリーズも、アニメオタクあるまじきことだが非常に疎い。そして、その流れはこの作品についても特に変わることはなかった。

 この「ハートキャッチ」も春先に追いかけることをやめてしまい、しばらくは完全にスルーしていたのだが、事態が大きく変わったのはキュアサンシャインの登場から。何せ中の人があの桑島法子なのだ。既にキャラクター側からしたら墓石を掘られたのと同じくらいの意味があるこのキャスティングが、まさか朝の陽光の下で太陽の戦士を自称するヒロインにあてられるとはおもっていなかったし、噂に釣られて見に行ったサンシャインの変身バンクの殺人的な格好良さにクラクラした。そこから、ちょいちょい朝番組でも見始めるようになる。

 そして、立て続けに現れる「史上最高齢の現役プリキュア」。当然中の人も最年長であり、まさかのまさか、セーラー戦士に続いて久川綾がプリキュアになるなど、誰が予想していただろうか。そしてこともあろうに、こんな時間帯に桑島法子・久川綾のタッグが実現。聞く人が聞けばピンと来ること間違い無しのこのコンビネーションは、あのビィートレイン、真下耕一作品には欠かせないレギュラー配役コンビである。つまり、銃声と硝煙の臭いのつきまとうこのキャスティングが、日本全国お茶の間の幼女たちの憧れの対象となったわけだ。ここまで倒錯的な状況に陥って、流石に見ないという選択肢は無くなった。

 そして、見れば見るほどに色々な部分を刺激されるその内容。山田隆司の構成と馬越嘉彦のキャラクター作画。そこにあるのは紛れもないおじゃ魔女の世界。数年の時を経て帰ってきたのは、間違い無くどれみたちの遺伝子だ。佐藤順一の技法がふんだんに盛り込まれたおじゃ魔女テイストはそのまま熱血バトルを交えたプリキュア世界に融合し、また新しい、「古式ゆかしい」アニメのステイルを生み出した。ギャグとシリアスの紙一重を行き交う絶妙なバランス感覚は、常に笑いを絶やさず、なおかつ「正しい視聴者層」に向けての物語としての側面も保持し、間違い無く日曜朝8時半に放送されるべきものになっている。詳しく知らないので憶測でしかないが、これこそが長年蓄積してきたプリキュアというブランドの力であり、そこに古さと新しさを持ち込んだおじゃ魔女組の力であるのだろう。

 ラストバトルに至る流れなどは大先輩であるセーラームーンの対決そのまんまにすら見えたし、別々のフィールドに別れて戦うタイマンだらけのマッチメイクにはジャンプ漫画のようなロマンがある。大気圏をぶち抜いて現れるデューンに、対抗して生み出された宇宙規模のプリキュアととどめの一撃「こぶしパンチ」。なんかもう、とにかくすげぇ。誰一人文句を言うことが出来ない、伝統と革新がここにあった。

 本来ならば怒濤のクライマックスを評したらもっともっと点数は加点したいところなのだが、中盤を全く視聴していない状態で評点を上げるというのは逆に失礼な気もするので、控えめにこのくらいの評価で。現時点で唯一おっかないのは、これだけ個性的で実力のあるプリキュアを生み出してしまって、次に続く「スイート」の連中は大変なんじゃなかろうか、というコトくらいである。

 個人的には徹底的にサンシャイン押しなわけだが、それでも気になるマリンの存在感。えりかは、……本当に良いキャラだったな。「ちょっと地球でも救ってきますか!」って、この台詞が言える中学生はなかなかいない。1年間、本当にお疲れ様でした。

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 「屍鬼」 5→6

 今期最後のゴールインはノイタミナ2枠目。2クールの間、地味に地味に展開してきた作品だが、なかなかどうして、悪くないアニメでしたよ。

 一番しんどかったのは、やはり原作同様にその圧倒的な登場人物の数を処理しきれなかった部分。話数にしてわずか22話であまりに多くのキャラクターが登場するため、それら全てを把握した上で物語を追うのはかなりの困難を伴った。加えてノイタミナ枠が変則的な枠構成になり、数週にわたって番組が無かったりしたため、視聴のモチベーションや記憶そのものが薄れてしまうという、外的要因も多少足を引っ張ってしまったか。物語中盤は「とにかく屍鬼に襲われた村人が減っていくだけ」という状況が続くため、そのあたりのマンネリ感を払拭しきれないと、最後のクライマックスまで持っていくのがしんどくなる。振り返ってみればこれでも色々と切り捨てた要素が多いくらいに詰め込んだ内容だったとは思うのだが、こればかりは致し方ないところだろう。そもそもアニメにする際の難度の高い作品だったわけで、回避しきれなかった問題というのは残されるものだ。

 とは言っても、全体を見据えたシリーズ構成はよく考えられていたと思う。メインとなる視点が複数箇所にわたってしまうのでどうしても散逸的な印象になってしまうわけだが、「屍鬼が現れる」→「少しずつ村全体を蝕んでいく」→「敏夫が屍鬼の存在に気付く」→「対抗策が無く、絶望的な状況で夏野も死亡」→「どん底の状態から、気力で打開策を見付ける」→「一気に反撃へ」という大きな流れは全ての話数を通じて意識されており、アウトラインさえ追えれば些末な状況は拾いきれずとも物語は楽しめる。個人的には中盤以降の「どこをどうやったって人間側に勝ち目はないだろ」みたいな絶望的な状況の描写はたまらないものがあり、長い間陰鬱な物語を見続けていたおかげで、最後にみせた一気呵成の反抗劇の盛り上がりは充分に楽しめた。もちろんそうした「話作りの巧さ」は原作に依拠する部分であろうが、アニメにしづらい原作のデメリットを極力抑え込み、表に出すべき魅力の部分はちゃんと展開出来たのだから、小説・漫画媒体のアニメ化としては成功例と見ていいのではなかろうか。

 個人的に魅力的だと感じたのは大きく2点。1つは、やはり陰惨な「村社会」において、ジワジワと侵攻してくる屍鬼の絶対的な力を見せつけるホラーとしての底力。「死人が起き上がる」というシンプルな恐怖に加え、個々の圧倒的な力と桐敷という組織力までを加えた絶望。尾崎敏夫の回りから少しずつ味方の数が減っていき、最終的には夏野の死亡と室井の変心により、ついに尾崎医院は孤立無援の状態へ。一個人対ムラというどう見ても勝ち目の無い構図にもっていくまでの絶妙な絡め手の描写が、本当に救いのないものだったのが印象的である。

 そして、そんな惨劇を導き出した屍鬼の存在自体が、2つ目の胆。全ては桐敷沙子という1人のキャラクターに帰着するわけだが、「生きるために殺す」というシンプルな理念に加え、「認められたい」という願望から仲間を増やしていく過程で、新たな屍鬼たちも各々に目標や葛藤を抱えている。純粋に不死の肉体を手に入れて悦に入る者や、徹のようにかつての仲間を殺すことに懊悩する者、そして、清水恵のように、生前の思いを屍鬼となったその身体に託し、全く別の思惑で生きていく者。単純な「人間対化け物」という構図ではなく、その下に敷かれた「人間対人間」というドラマが、物語への没入度をさらに上げてくれる。恵・徹・夏野などのキーとなるキャラクターが、他の諸々に埋もれずにちゃんと個々の人生を歩んでいる様子が分かったのが、こうした物語の成功の鍵だったのだろう。

 正直言えば、やはり毎週放送するシリーズアニメには「向かない」作品だったとは思う。あり得ない話だが、劇場作品などで3,4時間ぶっ続けてやってみたり、「刀語」「もしドラ」のように長めの時間を確保したり、一気に放送してしまったり、そういうスタイルの方が可能性が広がった作品ではあろう。その上で、与えられた枠の中で最大限に仕事をし、結果を残したことは評価されるべきだ。ノイタミナという枠の理念を考えれば、今後も1つの目安として、引き継がれていくべき作品ではなかろうか。

 で、個人的な興味は中の人の話に移るわけですよ。壮大な物語であり、魅力的なキャラクターが多数登場するだけに、中の人の活躍もめざましいものがあった。羅列していくと、例えば尾崎恭子役の水谷優子や、桐敷千鶴役の折笠愛。絶妙な艶っぽさを醸し出す大人のエロスはホラーと密接に関わりながら、どちらも末期の壮絶さとのギャップが強烈。ぞくぞくしました。努力賞なら夏野役の内山昴輝。「SOUL EATER」の時にはまだまだ素人感満載だったが、少しずつ自分なりの演技プランが見えてきたみたいです。イケメン枠にはなんと言っても敏夫役の大川透。作品の空気を決定づける屋台骨の役割を完璧にこなす流石の貫禄。恭子殺害シーンの語りとか、本当にたまらん。同様に、最後の最後まで信念を貫き通した孤高のロリコン、室井静信役、興津和幸。室井さんには幸せになってほしいものだ。ある意味イケメン枠ではマッスルじじいこと富雄役の石井康嗣。何をやっても悪辣。

 そして、鬱々とした外場村の中で最後の最後まで異彩を放ったのは、清水恵役、戸松遥。この作品のもう1つの側面を一番はっきりと描き出すキャラクターだっただけに、その内面性の重要度はかなり高かった。戸松劇場に限りなし。最後はもちろん、桐敷沙子役、悠木碧。3話の時点でも軽く触れたが、沙子のキャラ作りについては、彼女にしかなしえなかったものではなかろうか。最終回に至る終盤の盛り上がりは、沙子が支えなければ実現しなかったものであり、一言でも気を抜けば作品全体の崩壊に繋がりかねない重要な役どころ。この歳でここまでのものが仕上がったというのは、本当に見事としか言いようがない。あおちゃん劇場に限りなし。

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 「海月姫」 6→6

 最後の最後まで予定通りの進行をみせた、安定感のかたまりのような1本。ノイタミナ枠というととんでもない冒険心に溢れる作品を発信し続ける一方で、少女漫画原作だと「ハチクロ「のだめ」と抜群の安定感で見せてくれる作品もコンスタントに作り続けてくれている。

 敢えて悪く言うなら、全く予定調和な部分からはみ出ることのない「原作通り」というのは、原作を知っているファンにはつまらなく映る場合もある。壊したら壊したで「原作クラッシャー」と揶揄されてしまうことの方が多いわけだが、それでも「原作と寸分違わぬ出来なら、原作漫画を見ていればいいじゃないか」という意見にもなってくる。この作品の場合、イラストレーションの雰囲気までなるべく原作に近い形を維持していたし、1クール完結のために一応の決着はみせたといっても、基本は原作通りのストーリー進行。新鮮さが得られなかったというのが、贅沢にして唯一の難点といえるだろうか。

 もちろん、そんな文句はお門違いなわけで、人気原作を全く不満のでない形でアニメ化してみせた時点で、不満点は無いに等しい。特に原作の持ち味であるキャラクターの静と動のギャップはアニメ化に際して実に鮮烈な形で現れるようになったし、「腐女子界」と「おしゃれ界」とでもいうべき2つの全く異なる世界の差異についても、アニメらしいちょっとクドめの描写で面白おかしく描かれていた。原作ではなおざりになりやすいくちゃっとした背景も上手い具合にアニメ絵に落とし込まれていたし、そこに動くなんだか妙なキャラクターのアクションも面白い。どこを探しても、減点要素が見あたらないというのが最大の評価点ではなかろうか。

 個人的に一番楽しかったのは、やはり尼〜ずのクドすぎるキャラクターたちの賑やかな掛け合い。原作だとまややのやかましさが際立って他の面々(というかばんばさんとジジ様)が背景になりがちだったのだが、アニメだとジワジワとこの2人が表に出てきて、特にばんばさんがピンポイントでボソリとクリティカルなことをいうシーンのインパクトがでかい。「月海の帰るべき場所」としての天水館の賑やかさが全面に押し出されていたため、団欒のシーンなどではちゃんと「全員がいる」という存在感に注意して描写されていたのは嬉しい部分だ。もちろん、メインヒロインたる月海の持つ魅力が最大限に発揮されていたのも良い。アニメの方が変身前、変身後のギャップを際立たせやすかったので、シンプルなシンデレラストーリーとしても見やすくなっていたしね。

 そして、当然ながらそんなキャラクターの中の人の活躍がめざましいという話ですよ。やっぱり大森監督の真骨頂は音響関係のディレクションにあると思います。尼〜ずの面々は渋いながらも本当に抜群のフィット感だったし、虎之介役は、もうサイガーしか出来ないポジションでしょう。諏訪部・子安と並ぶ男性陣も卑怯なレベルだし、千葉繁と麦人のお茶目なじいちゃん2人とかもたまりません。リアル幼女諸星すみれちゃんも、ここを起点に声優を目指すことになったら面白かろう。個人的に気になったのは女狐役だった北西純子さんという人。あまり聞かない名前だが、どうやら外画の吹き替えあたりがメインフィールドの人のようだ。75年生まれというだけで期待してしまうのは我ながら病気な気もするが、もうちょっと色んなところで聞いてみたい人ではありますね。

 最後はもちろん、月海役の花澤香菜。繰り返し「花澤の真骨頂はトバし系テンパりボイス」と主張しているわけだが、月海は花澤スタンダードの「眼鏡系陰鬱女子」をベースに置きながら、絶妙なバランスでトバしてもくれるという理想の配役。ごちそうさまでした。

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 「おとめ妖怪ざくろ」 6→5

 特に語ることもなく、特に誰かが惜しむでもなく、ふいと終わった今期の影の1本。実に地味な作品だったが、それは決してつまらなかったことを意味するわけではない。

 まず先に不満だった部分からあげてしまおう。やはり最大の難点はあまりに地味で引っかかりのないシナリオライン。原作ありなのでそちらに不平を言うしかないのだが、1話目で想像出来た通りの話をご丁寧に1クールかけてやっただけ、という印象が強く、お話による盛り上がりというものがほとんど無い。ラブコメあり、バトルあり、お涙ありと全ての要素が揃っている作品なのだが、その全てにおいて「ま、そうなるしかないよな」という予定調和の集合体でしかなく、わざわざこの作品を見る理由になりにくいのである。もちろん、そこまで明確なシナリオのセールスポイントがある作品なんてものはそうそうお目にかかれるものではなかろうが、流石にもう少し押しの要素が欲しかったところではある。「これって面白いの?」と尋ねられても、「あぁ、つまらなくないよ」と答えるだけで、「面白いよ!」と胸を張っていえるだけの部分が無いと寂しいのである。

 が、だったら見なくなる作品かというと、決してそんなことはないのである。ベタであるからこそ見えやすい製作側の丁寧な姿勢は、それだけで充分視聴に耐えるものである。作品全体を覆う草花をイメージしたふわっとした世界観や、そこに住まう半妖たちのどこか憎めないキャラクター性、そして主人公チームのおりなす実に分かりやすいラブラブ展開など、ボーッと見ているだけでどこか微笑ましくあり、自然に世界に入っていきやすい雰囲気作りは徹底している。

 作品独自のセールスポイントとしては、綺麗に3つに別れたラブコメ構成があり、全チーム初対面だったはずなのに、あっという間に3組のカップルが出来上がっているというよく分からないご都合主義と、その強引さを気にさせないだけの、濃密な関係性の描写が絶妙な配置。ざくろ×総角、薄蛍×利劔、雪洞・鬼灯×丸竜という組み合わせは三者三様の全く違った恋愛模様を見せており、そのすべてが、「他者の恋愛にほとんどタッチしない」というのがこの作品の恐ろしいところ。ざくろと総角がくっつこうが離れようが、そこに他のチームの連中が邪魔に入ったりサポートに回ったりということがほとんどなく、単に「3本の別々のラブコメが描かれている」だけなのである。これだけ手狭な妖人省に一緒に寝泊まりしていたというのに、横恋慕なんかが一切発生しないというのは潔すぎる。各々のバカップルを見てニヤニヤするだけでも、ある程度楽しめてしまうのは最大の売りと言ってしまっていい。

 終盤に絡むメインボディとなったのがざくろの出征の秘密を巡るハード展開であるが、こちらは正直そこまでの求心力が無かったか。「生まれの不幸」を序盤から暗示していた割に、ざくろ自身の身にはそこまでの「不幸」はなく、どちらかというと母親である突羽根の生い立ちの方がよっぽど悲劇。そちらに持って行かれたおかげで、メインキャラクターたちが背景に回ってしまった感はある。もう少し現在のスタンスに絡めれば没入度も変わった気がするが。

 トータルで見ると、やはりシナリオ面での押しは弱い。それでも、敵味方それぞれのキャラクターがちゃんと成立していたし、減点要素がほとんど無いのは評価すべきところ。最後の巨悪となった乱抗の悪辣さ、そこに利用されてしまった百録・橙橙姉妹の一途さと愚直さ、どれもこれも、どこか憎めない近しさがある。ファンタジーな物語なのに「なんだか卑近な感じがする」と思わせただけで、この作品はアリだったのではなかろうか。

 個人的には、今千秋とJ.C.STAFFという組み合わせの下に、わたなべひろしなどのディーンのイメージが強いクリエイター陣が参加していたのが面白かった。というか、私が愛してやまない小滝礼が参加してくれていただけでも垂涎物なんですけどね。この休みに地元で「地獄少女二籠」のDVDフルコンプ一気買いしました。小滝さん、頑張ってください。

 そして当然中の人のお話。いつものように中原麻衣の独壇場、と言ってしまえば話はそこまでだが、今回は回りの面々も負けじと「我がが我がが」(中原語)と自分キャラをアピールしており、花澤・豊崎・堀江の強力路線に、戸松・寿・17歳の対抗ラインが心躍る。野郎連中も櫻井・日野・梶のトリオに女性ファンも安心である。唯一の不満は……ほら、オープニングを歌っているユニットがあるじゃないか。4人組のはずなのになんで一人だけキャストに起用されてないんだよ。彩陽はいつまで独立部隊を続けるんだ!

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「それでも町は廻っている」 5→5

 今期2本あったシャフト枠の2本目。シャフト枠というだけでなかなかフラットな態度で見るのが難しいわけだが、終わってみればそれなりに世界観を楽しむことが出来、初期の予想よりも無難な着地をみせた、という印象である。

 対比される対象は、同時期に放送されていたシャフト作品「荒川アンダーザブリッジ」。どちらもちょっと独特なテイストが売りのギャグ作品という意味では共通しているが、アニメ単体で見た場合にはこちらの方が好みだ。「荒川」はどうしてもネタ自体が単調であり、アニメにしたときに映えにくい部類のものであるし、時たま入るシリアスとのかみ合わせも今ひとつの部分が多かった。それに対し、この「それ町」はネタの癖が強くて、単純に「ここで笑え」というのが分かりにくいネタ回しが多い。そうした小難しい部分が、シャフト独自の演出技法とかみ合ったときに、独自の味わいが出てくる場合がある。また、「荒川」は荒川住人というネタパーツをつなぎ合わせる形式を採っているために焦点が散り散りになり、中心となるリクがきちんと機能しないとグダグダになってしまう危険性を孕んでいたが、「それ町」は「キャラクター自体がネタ」という構成ではなく、あくまで歩鳥という中心人物が巻き起こすドタバタに回りの「一応常識人」たちが巻き込まれていく形。その分焦点が絞りやすく、歩鳥のキャラクターさえ確立させれば、回りのキャラクターの負担はそこまで大きくならない。描くべき要素が散逸的でなければ、シャフト演出の「空気の変形」が使いやすくなる。タイトルにあるように「町」という単位を1つの笑いのフィールドにしているので、そこから歩鳥へと収束させていく全体構成が見えやすく、コントロールしやすかったのだろう。

 正直言うと、そこまでギャグの波長は合わなかったので、心底面白いと思えるようなエピソードはあまり無かったのだが、少なくとも始まった頃よりは終わった今の方がこの作品のことが好きになった。おそらく、当初勝手に思い描いていたギャグの要素が、実際の作品のそれに即したものに近付くことが出来たためであろう。個人的には5話目の「実に微妙なカード」とか、11話の「ジョセフィーヌの夏」みたいな、ダラダラしながらも世界観が広がっている感じのお話が好き。あくまで空気でユルい笑いを取る。それくらいでこの作品は充分なのだろう。そうして見れば、あまりどぎつくせずにちょっといじったくらいのシャフトの演出方向も、正しい方向だったという気がする。これならそこまで製作側にも負担はなかろうし、2期を望む声にも応えやすそうだ。

 ただ、やっぱり立て続けに2本ずつ製作しているしわ寄せが来ているのか……ちょっと作画状態が不安になった時期があったのは難点である。最終回も背景動画を採用したのに枚数が限られてたせいでカクカクしちゃったり、粗の目立つ仕上がり。キャパに合った演出を心がけないと足下を掬われかねないので、スケジュールとのすりあわせもちゃんとやって欲しいところか。総じて見れば、悪印象は特にないので、「夏のあらし!」みたいに2期が帰ってくるとそれなりに楽しい気がします。

 もちろん中の人の話は無視できないところだろう。当然私の中で最も重要だったのは辰野さんの中の人である悠木碧。あおちゃんの中では一番「普通に」大人っぽい女性像。ほぼ実年齢と一緒ってこともあるし、色々と見たことのないキャラクターが出てきて面白かったです。対抗として、これが事実上のデビューとなる紺先輩役の矢澤りえかが気になる存在。人気キャラ(だよね?)の紺先輩をそつなくこなし、充分にキャラの魅力を維持したことは新人としては文句のない業績であろうし、エンディングの歌唱担当をこなしたことでそっち方面の技能もアピールすることが出来た。声質はかなり好みの部類なので、今後の活躍は大いに期待したい。あとはジョセフィーヌ役の松来さんですかね。まつらいさん……(実年齢からするとそっちの方がふさわしいはずの)歩鳥の母親役より、タヌキ面の動物ボイスの方がはるかにしっくりくるのはどうしたもんでしょうね。

 歩鳥の中の人については……もうどうしようもない。だんだん回りに「あれに慣れてきた」という人が増えているので戦々恐々である。あかんて。

 

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