最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
○「世紀末オカルト学院」 6→8
毎週感想を書いていたので繰り返しになってしまうのだけど、いやぁ、面白かったですね。「アニメオリジナル」「1クール」っていうくくりでここまでの結果を出せた作品って、ものすごく珍しいんじゃなかろうか。 改めて振り返ると、何が面白かったかを取り出すのは案外難しい。現時点では最終話のインパクトが強かったので構成の妙ばかりが印象に残っているんだけど、各回の感想を見返してみると、その時その時で面白さの形式はコロコロと入れ替わっている。1話2話あたりは、思い切りのいいオカルトネタ……というか、ネタオカルトの扱いがギャグとして面白かった。1話のこずえのノリは本当に忘れられないし、モスマンが登場するあたりまでの文明とマヤの掛け合いは分かりやすいボケ突っ込みだけのはずなのに、顔芸などの映像面での見せ方がうまかったおかげか、ネタ以上に面白さが出ていた。 馬鹿馬鹿しいネタの飛ばし加減では、こずえ回でピーク。世界一緊張感のない臨死体験に開いた口がふさがらず、その後の亜美エピソードでもネタの深刻さとそれに対するキャラクターの適当さ加減の温度差が面白い。5話〜8話あたりのネタっぷりは本当に毎回楽しみでした。 飛ばしきったオリジナリティが多少トーンダウンするのが9話10話。ただ、あとになって振り返れば、やっぱりこのあかりエピソードも、最終回でマヤと文明の心情を描く上では必要不可欠なものだったことが分かる。2人の距離が縮まる部分でもあるし、各々の家族観があかりという1人の子供を加えることでさりげなく伏線として提示される。毎回メインキャラはマヤでも文明でもないのだが、他のキャラに目線を振っておいて、その間に2人のキャラクターを掘り下げて回りを固めていっているのが、今になってみるとよく分かる。 そして問題の11話、12話。このあたりまで来ると視聴者によって賛否両論が出そうな展開だが、これまたラストを見れば「もうこれはこれでいいや!」という流れに。魔法合戦なんて話の中身としては本当にどうでもいいし、画面もそこまで目を見張るような要素もないのだが、それまでに張り巡らされた馬鹿馬鹿しさの複層構造のおかげで、何となくこれでいい気がしてくるのが恐ろしい。確実に製作側にダマされているのだが、ここまで憎らしい騙しがおおっぴらに行われるなら、それはそれでいい気がするのだ。何があっても、最終話ではぎゅぎゅっとまとめてしまったのだから。終わり良ければ全て良し。先人達も良いことをいう。 改めて振り返ってみて分かることだが、この作品は1話1話振り返り、その意味をきちんと図ることが出来る。それはつまりシリーズ構成がうまくいったということで、オリジナルとしての様々なビハインドを全て克服したことを意味している。全体がまとまったが故の視聴後の爽快感と、1話1話が突出していたからこその、また見たくなる中毒性。この2つの要素が両立している作品は、昨今ではほとんど記憶にない。13話のサブタイトルを苦もなくそらんじることが出来る作品など、過去のアニメでも1,2本しかないと思われる。それだけ、各話のインパクトがあったということだ。 とにかく褒め倒しているこの作品。指揮を執ったのは伊藤智彦という人だが、正直いうと、全然知らないクリエイターであった。一応調べてみると「サマーウォーズ」の助監督をやったりしているらしいのだが、地上波アニメの重要なポジションで名前が出るのはほぼ初めてのようだ。あの印象的なオープニングのコンテも監督の手によるものらしいし、今作の全体像を見れば、今後に期待が持てるアニメーターの1人といえるのではなかろうか。次回予告に流す懐メロのチョイスやらも含めてなかなかキャッチーな売り方も心得ているようだし、次に名前を見かけるのが楽しみです。 最後は当然、中の人のこと。今作はメインを張った中の人全員が素晴らしいとしか言えない。まず名前を挙げなければいけないのは当然日笠陽子。ぴかしゃのおかげで、マヤのキャラクターが完成した。同様のことは水島大宙にもいえるだろう。だいちゅうだからこそのヘタレ力は、そんじょそこらの若手じゃ無理だぜ! その他サブヒロインに花澤・彩陽。彩陽はエンディング歌唱も担当しており、今作では陰の立て役者といえる。実写混じりの妙ちきりんなエンディングだったが、最終話はBGMとしても機能し、印象的な幕引きを効果的に演出することが出来た。良かった良かった。他にも子安、高橋広樹、画伯に茅原実里、ちょい役の久川綾に島香裕まで、みんなみんな、実に印象的な松代市民でした。そういや神代純一郎の中の人なのだが、お名前を矢島正明さんという。声を聞いて「よくCMで聞く人だー、アニメの声とか珍しいなー」と思って調べたら、なんと御年80間近の大ベテランであった。おみそれいたした。 PR
「セキレイ pure engagement」 5→5
結局、可もなく不可もない。そんな結果と相成りましたこの作品。嫌いじゃないし、毎週それなりに楽しんで観てはいたんですが、終わってしまうと、多分2ヶ月後くらいにはあんまり記憶も残ってないような気がします。 評価出来る点をあげておくと、やっぱり最終話の鴉羽戦に代表されるバトルシーン。拳を振り回す女性キャラクターというのが真正面から描かれるだけでも希有だが、それに作品独特のエロ要素が絡み、実に馬鹿馬鹿しい画面を提供してくれる。原作の売りからしてエロ要素多めなので、そこでちゃんと評価出来るように作られているのは、見るべき点だろう。また、デスゲームものという本来ならばシリアス一辺倒になってもおかしくないはずの設定にも関わらず、終始とぼけた雰囲気が漂っている手頃なギャグテイストも悪くない。今期は鈿女のエピソードが入ってきたのでどうしてもシリアス寄りになってしまっていたが、鈿女との試合についてさえ、結の天真爛漫な「もっと強い奴と戦いてぇ」属性のおかげで、そこまでどっぷりと悲劇に浸かるわけではなく、あくまでハーレムもののいちゃいちゃ設定からの延長として、結たちセキレイの成長を見守る物語の骨子が成立している。どれだけ真剣になろうともおっぱいボインボインのエロアニメは真剣になりきれるはずもないのだし、このくらいのぬるいバランスを維持してくれているのは素直に有難かった。 ただ、逆に難点をあげる場合にも、実は同じ要素を取り上げなければいけない。せっかくデスゲーム設定にしているのに、ここまで緊張感が無いと企画倒れに見えてしまうのである。鈿女のエピソードはようやくデスゲーム設定が活きたシーンであるが、それだって1対多の奇妙な構図が浮き立ってしまい、「殺されてセキレイを失う」という喪失感はあまり画面上には出てこない。最後の帝都タワー登頂戦もそこまで命がけでバトルをやっていたという感じもなく、結局出雲荘メンバーは理由もなしに生き残ってしまう。ギャグ含みなんだからそういうノリでもいい、と言われればそれまでだが、やはり「バトルを見たい」と思っている身としては、そこに命を削る真剣さを読み取りたいとも思ってしまう。製作の底力はあり、ある程度画面に反映させられるだけの下地が見えるだけに、その部分を追究しきれなかったのは勿体ない部分だった。 でもまぁ、まだ終わってない作品の骨組みの部分にあれこれ言っても仕方ない気はしますけどね。以下は、この作品で真に楽しむべき要素、つまり中の人のことである。まず、メインを張った早見沙織。たしか彼女を一番最初に認識したのはこの作品(と「我が家のお稲荷さま」)だった。今期も主人公として、そしてメインボーカルとして安定した活躍を見せてくれた。相変わらず競争の激しい若手枠だが、案外彼女みたいな立ち位置の役者は少ないような気がします。今後とも自分をしっかり持って活動していってほしいものです。そして出雲荘の回りを囲む井上麻里奈、花澤香菜、ゆかな、甲斐田ゆき、大原さやか、生天目仁美といった面々。安定感抜群のこの布陣が、一番の胆だった。花澤を除くといかにも「中堅どころ」ってな陣容なんですが、やっぱりこのあたりの層が我が青春な気がします。 そして、今期はかなり活躍のシーンが増えて嬉しかった松役の遠藤綾。彼女も本当に変幻自在でいかにも「声優らしい」声優である。本人もなんだか謎めいた(妙な)キャラクターだしね。もっと露出増やしてしゃべってくれても面白いのになぁ。 個人的に今回一番好きだったセキレイといえば、やっぱり紅翼。御前は「委員長キャラ」が多いけど、中の人を知ってると、どうしてもこういう役の方が楽しく聞けます。ギャグのノリもよく、近年まれに見る、やられ役として輝く素晴らしいキャラ。「ヤッターマン」であの3人組の演技を聞き続けたいたことが活きたんでしょうかね。今後の活躍も楽しみです。 ま、最終回を見て分かる通り、やっぱりこの作品の中心は関俊彦だったわけだけどね。やっぱりたまらないです。聞くだけで濡れるのも致し方ない!
「生徒会役員共」 6→5
初期配点をやや高めにしてあったのは、確認したら「1話目でまさかこうなると思ってなくてびっくりしたから」。13話終わってみて、ま、そこまで褒めるようなものでもないかと思って平均点まで戻した。ただ、別につまらなかったというわけではない。充分楽しめたし、2期目が作られても一向に構わないくらいの気持ちではあります。 氏家ト全の4コマがアニメになる。これほどの衝撃と誰得展開は無いと思っていたが、アニメ自体は至極まっとうなものとして作られており、思いの外俺得なものになった。もちろん作品の性質上、どう頑張っても素晴らしい動画で見せるスタイリッシュアクションアニメになんかはならないわけだが、ネタを間断なくつなげることで1話1話のリズムを維持し、気付けばあっという間に1クールが終わっていた。「みつどもえ」といいコレといい、割とあっさりやってのけたように見えるが、基本的にブツ切りであるはずの4コマ、ショートギャグにこうした自然な流れを付けるのはいう程簡単なことではなかっただろう。 「みつどもえ」と比較して違う部分は、こちらの方がよりネタの尺が短いこと、そして、オチの種類が本当にワンパターンしかないこと。明らかにビハインドなわけだが、この作品で白眉だったのは合間で連発した印鑑によるアイキャッチだろう。あれによってネタの切れ目を明確にすることで「落ちた」感じが良く出るし、さらに文面次第ではネタを被せたり、捻ったりと自由自在。加えて音声までのせられるので、あのアイキャッチ画面にタカトシの突っ込みをいれることも可能。アイキャッチ部分は「みつどもえ」にもあったが、定型で固めるのではなくネタにあったリズムを毎回考えて挿入していくことで、ブツ切りで本来ならリセットされるべき熱を有効に利用出来ていたと思う。 あとは画面そのもののバリエーション、ということになるが、この作品の場合、そこは基本的になげうってしまっている。どうせ「画面にはお見せできないようなネタ」が大半だし、それをわざわざ見せたからとて喜ぶ視聴者もおるまい。それならもう、原作の淡泊な感じをそのまま活かして、台詞のみの下ネタ、台詞のみの掛け合いをベースにおき、あくまで生徒会室でしゃべっている面々の画はおまけ程度に。極論すればドラマCDにしてもいいくらいのものだが、この作品の場合にはそれで正解だった気がする。 ただ、制作者側はそれでは矜持が許さないだろう。そのため、新人アイドルのPV風の画面を作ってみたり、突如マジモードのラブコメ風にしてみたり、修学旅行に行ってメンバーを隔離してみたり、シナリオ上、画面構成上変化を付けようとあれこれ策を弄している。ただ、この辺は正直言ってあまりプラスの効果が得られなかった気がする。突如テレビ画面の中のテレビ画面でお話が進み始めたり、魔法少女番組の次回予告をしてみたり、色々とチャレンジしている間、「別にそんなんいらないからいつも通りにやってくれりゃいいのに」と思ってしまった。結構ショックである。いや、別にそうしたものが気に入らなかったことは別にいいのだが、「早くいつも通りのアレを見せてくれよ」と思ってしまった自分がショックだ。なんだかんだで、いつも通りのタカトシと女性陣の掛け合いを楽しみにしていたということだ。あんだけワンパターンなのにねぇ。 とはいえ、そうした画面の変化を評価する向きの視聴者もいるだろうし、本当に原作そのままで延々繋がれたら流石に飽きそうなのも事実。少なくとも「スタッフはなんとかアニメにした時点で付加価値を生みだそうとしていた」ということは理解出来るので、そうした理念の部分は評価すべきかもしれない。最終回の流れとか、嫌いではなかったです。 で、「いつも通りでいい」「ワンパターンネタのオンパレード」となると、じゃぁ何が楽しかったんだよ、ということになるのだが、個人的には、もう中の人以外にいない。日笠陽子がメインを張るアニメは名作。今のところ案外信憑性のある仮説だ。そして今回はぴかしゃだけではなく、しゅが美もいるのである。しゅがぴかがいちゃいちゃする作品、というだけでもこの作品は終わらずに永遠に続ける価値があると思います。 そして、そんな素晴らしいしゅがぴかコンビだけでなく、この作品は残り2人のメインも素晴らしかった。1話目の時点で感心した浅沼晋太郎。やはり彼の力なくして、この作品の「氏家ト全っぽさ」は出せなかっただろう。この手のハーレムものの主人公はどうしてもナヨっとしたり影が薄くなったりするものだが(実際原作のタカトシの存在価値ってよく分からないのだが)、アニメの中では、気付けば「タカトシを中心とした生徒会」というモデルが確立していた。これだけ個性的なキャラ、キャスト揃いの中で、確固たる芯を作り上げた彼の功績は大きい。そして、スズ役の矢作紗友里。もうおはぎしか無い、という素晴らしいフィット感。ギャーギャー喚いてるときの彼女の存在感は神がかっている。役に入り、その上で存在感を発揮できるというのは、替えの効かない役者の本質であろう。 他にも、もうどうしていいか分からない小林ゆうのいつも通りのノリ、原作版の畑さんのイメージがどこかいびつに変形した気がする新井里美の怪演など、画面はどうなろうとも耳に楽しくて良い作品でした。そう言えばオープニングを歌うトリプルブッキングの絡み方も良かった。ぴかしゃはこういう歌い方も良いね。特別巧すぎるという程の歌唱力があるとは思わないのだが、何故か何度も聞きたくなる不思議な魅力がある。 作中では1年きっかりが経過しての最終回。でも、この作品なら余裕の2期もあり得るでしょう。再びパワーアップした生徒会役員共に出会える日を楽しみにしております。
「GIANT KILLING」 4→3
今ひとつ盛り上がりきらなかった作品、とでも言うべきか。ただ、当方サッカーには欠片も興味がないので、そのせいでいくらかマイナス方向にバイアスがかかっている可能性はありますが。 序盤のうちは、「なんかぱっとしねぇ画だな」という印象が先行。どうしてもフィールドをたくさんの選手が動き回る時のうねうねしたCGが浮いてしまうし、細かいサッカーのモーションにしても、特別力を入れているというのでもない。別にアニメにせんでも……というのが第一印象。 ただ、それでも「個々の選手の能力だけに焦点を当てるのではなく、監督目線でチーム全体の作戦を主軸に据えた新しい切り口のサッカー漫画」という立ち位置は少しずつ理解出来るようになった。達海のキャラクターがどこまで真面目に考えていて、どこまでセンスがある監督なのかは最後まで分からずじまいだったが、負けまくりの弱小チームが「監督のすげ替え」という転機から少しずつ強くなっていくというシナリオラインは悪くない。どこかをいじるとすぐに勝っちゃう、みたいに短絡的な内容でもなく、1人1人の選手の意識改革から始めて、少しずつチーム内部から変化を促すというのもリアルな部分だ。そういう「ゆるやかな強化」を描いていくという意味では、原作のエッセンスはきちんとアニメに反映されていただろう。 しかし、それでもやっぱり、魅力を維持し続けるというのは難しい。端的に言ってしまえば、いくら何でも遅すぎた。どれだけこだわろうにも視聴者にはフィールド全体など見えるわけもなく、そこで起こっている細かい変化、事件を描写しようとすると、作中の数秒という時間が何分にも、下手したら何話にも渡って展開されなければいけない。ワンプレーに説得力を出すための下準備にも同じくらいの時間がかかると、もう、それはドラマのための描写ではなく、描写のための描写でしかなくなってしまう。サッカーアニメには躍動感が求められる、というのが至極単純な思い込みとしてあるのだが、この作品には、そうした胸躍る動きというものを感じ取ることが出来なかった。偏狭な見方になってしまうが、それでは面白くないのだ。 また、ものすごく気になったのは、外国人監督、外国人選手の台詞を、いちいち英語などの母国語で入れているという部分。リアリティを出すためには必要な演出と判断したのだろうが、おそらくアニメを構成する上で、これは全くいらない要素。何しろ、アニメを視聴する際には、まずどこを見るかと言われれば、画面を、画を見なければいけない。実写の映画ならいざしらず、アニメで1枚1枚、折角アニメーターが丹精込めて作ってくれた動画を見ているのだから、その視線をわざわざ画面下部に固定させて長ったらしい字幕スーパーを読む気にはならないのだ。一部シーンでは英語台詞にオーバーラップさせて日本語版の台詞を被せる、という演出もあったのだから、雰囲気を出すためだったら全編通じてそれで良かったのではないか。ただでさえ画面に情報が多いのに、台詞まで文字情報として提示されると、それは手間という名の責任の押しつけである。「閃光のナイトレイド」の中国語でも思ったのだが、やはりある程度のフィクションをいれてでも、なるべく音声はシンプルにすべきである。複雑な多言語を使う時には、もっと明確な「その言語を用いる理由」がほしいものだ。 かてて加えて、何故かこの作品、毎回放送頭に入る回想(前回の復習)がやたら長い。2クールもあると尺が長すぎたから引き延ばしたのだろうか。今時のアニメで、たかだか2クールでそんな管理をやられては興が冷めますがな。あんまり面白いシーンがリピートされるわけでもなし……何だったんでしょうね。 トータルで見ると、新機軸の作品性というのは分かるし、評価出来る部分ではあるのだが、それをアニメにした時のロス、デメリットがはっきりと出てしまった形。サッカーは野球と違ってドラマの流れが散逸的になってしまうので、こういうリアルタイム形式の作品化は本当に難しいですね。
「戦国BASARA弐」 5→4
んー、ま、終わったと言えば終わったわけですが……我々の求めていたバサラはコレじゃない気がします。 多分どこの感想でも似たようなことが書いてある気がするのだが、1期にあって2期に致命的に足りていないものは、馬鹿さ加減であろう。戦国時代だかなんだかしらないが、とにかく賑やかな「パーリー」が出来てりゃいいじゃん! という1期のセールスポイントは、とにかく人智を越えた、ギャグとしか思えないバトルの数々。元々格闘メインのゲームが原作なのだから当たり前だと思うのだが、装飾過多のバトル画面のアクション、エフェクト、そして掛け合いが、頭空っぽの状態で観ても愉快になれるというのが、バサラの最大の売りだったはずだ。だからこそ、あんないい加減で単純な筋立てでも楽しんで見ることが出来たのだ。 残念ながら、2期にはそれが無い。いや、無いとは言わない。1話の信玄ジャイアントスイングに始まり、最終話は小十郎対半兵衛、幸村対元就、そして正宗対秀吉。同時に行われるどのバトルも各々ユニークなぶつかり方をしていたし、1期の頃よりも大人しいかもしれないが、充分見るべきレベルだったと思う。ただ、残念ながらこれが最終話までお預けだったのだ。 ドラマを見せたい、という意識が製作陣にあったのは間違いないだろう。今回ほとんど戦闘に参加しなかった慶次がうろちょろしてたのも秀吉の悲しい背景を語ろうとしたためだし、半兵衛もそれを臭わせつつ、ついでに自分自身も病身の苦闘を演じてみせる。幸村は小山田の死や島津との交流で器が一回り大きくなり、正宗も一時的な小十郎との別れで自らの足りない部分を知る。色々とやるべきことはあったのだろうが、それらの要素は、どうしたって「馬鹿バトル」との相性がよろしくない。その証拠に、最終話で大爆発した幸村も正宗も、結局その時に考えていることは1期と全く同じ、いつも通りの2人でしかないのだ。そんな輩に、悲喜こもごもと日本の未来を背負った秀吉が訳もなくやられてしまうのでは、折角の馬鹿迫力バトルも魅力半減である。 さらに今回は、日本全土を幸村と正宗が別々に走り回ることになり、どうにも視座が落ち着かない。最終回の戦いが多局同時中継だったことからも分かる通り、あらゆる戦が、あらゆる戦場で巻き起こり、結局力点がどこにあるのかが見えなかった。実際の戦争なんてのはそんなものなんだろうが、アニメで理屈抜きのガチバトルを見せるのなら、もう少し「見どころ」を集中させてくれても良かったと思うのだが。今回サブで登場した長宗我部や毛利にしても、ゲームで知ってたからまだいいけど、そこまで出番が多くなかったので初見ならイデオロギーが見えにくくて大変だったろう。どうせだったらどこか一局くらい戦場を捨象してでも、他のシーンでのバトルをもっと派手にしたり、キャラの心情をシンプルにしたりした方がこの作品に向いていた気がするのだ。 結局、秀吉が瞬殺され、続きだかなんだか分からないものは劇場版へ持ち越し。それじゃ、このアニメシリーズは何だったのかと。繋ぎの役割としても不充分だった感は否めないし、たとえ盲目的なバサラファンでもすんなり満足できるようなものじゃなかったのではなかろうか。実際、知り合いに1人いる腐女子は終わって即「なんじゃこのラスト?」と不満げでした。そらそうだよなぁ。 こういう勢い任せの作品は、2期ともなるとなかなか作りづらい。今回は特に、1期から監督が替わっていまいちニーズに応え切れていなかったのでなおさらだ。ま、まだまだゲームは続いているようだし、この消化不良の気持ちを一掃してくれるような楽しい続報を待ちたいと思う。
「みつどもえ」 6→6
良かったんじゃないでしょうか。正直、この作品がアニメ化すると聞いて、ここまで楽しいものになるとは想像していなかった。やはりアニメは偉大だ。 まず、先に気になった点から上げてしまう。この作品は原作がショートギャグということで、アニメの方もサブタイトルこそ1話につき1つだが、基本的には短いネタを重ねてアイキャッチで繋ぐという、ショートギャグをそのまま活かした構成になっている。短いネタを連打する分、1回1回に選ぶネタのチョイスや、重ねることの工夫が必要になってくるわけだが、折角変態しかいない作品世界の中で、どうもネタが被る。基本的に2人のキャラクターの台詞の勘違いを拾って、そこからどんどんおおごとになっていく、分かりにくくいうと(なんでだ)アンジャッシュのネタみたいなのがベースになっている。中にはそういうネタでうまいな、という回もあったのだが、流石にこれだけ重ねられると、オチも読めてしまうしマンネリ感は拭いきれなくなる。会話劇で進めるにしても、もう少し演出面で差異を強調してみるとか、オチにバリエーションを持たせるとか、一工夫欲しかったところ。ま、原作がそうなっているのだから致し方ない部分ではあるのだが……最後はキャラの属性に着地させればこの作品独自の色は出るんだし、何かアニメでいじれる部分はあったと思う。個人的には杉崎がみつばに「パンツみて下さい」ってお願いするオチなんかが、この作品らしくて好き。 また、パンツもそうだけど、この作品は小学生が主人公であるがエロがメイン、という、今のご時世ではちょっと危険な場合もある作品。もちろん小学生そのものがエロの対象にはなっていないわけだが、あまりにキツい下ネタをやられると少々浮いて見えるときがあった。まぁ、はっきりいえば2話の尿回とかなんだけど、あくまで「勘違いの上で生まれてしまったねじれた映像」が下ネタだからこそ矢部っち絡みのネタなんかは活きてくるわけで、ストレートに下品なものを使ってしまうと、その後のネタの繋ぎがやりにくくてしかたない。ま、この辺は個人個人での好みもあるのだろうが……最終的な落としどころに「3つ子の交流」というテーマがあり、時折「いい話」も見せてくれるのだから、そうした路線に繋ぎやすいくらいのレベルを維持するのがベターだったのではなかろうか。 とまぁ、不満は並べてみたが、これだけ小ネタを並べるスタイルなのだから、出来不出来に差があるのは仕方ないこと。全体的なレベルで見れば、原作よりよっぽど面白くて、飽きさせないものに仕上がっていたのではなかろうか。スポットの当たるキャラクターのどぎつい個性はストレートに伝わってきたし、動きのある画面作り、掛け合いのテンポもいい。正否はどうあれ、無声劇などの様々なスタイルを試していたのも好印象だ。個人的に、原作絵はごみごみしていてどうしても細かい情報を見落としてしまいがちなので、アニメになって時間の流れに沿った「ネタの披露」を作ってくれただけでもありがたいものだった。 個々のキャラクターについていちいち拾っていくと面倒なので流石にそれはしないが、メインとなる要素として、三姉妹と杉崎くらいは見ておきたい。あ、男子勢も良かったですが。 まず、ふたば。実は三姉妹ものとは言っても、この作品においてふたばだけは他の2人と全くスタンスが違う。ギャグはボケと突っ込みで成立するわけだが、ふたばは決して突っ込みには回らず、いわば「災禍」としての意味しか持たないからだ。そして、そんな振り回し役としての任務を、これ以上なくまっとうしてくれるキャラクターであった。なんと言っても8話のメイン回が印象的だが、その他にも周りにいる人間なら平等に被害を与える、ある意味「最もこの作品の中心にある人物」なのだ。そこに迷いがあっては作品が成立しない。また、見のがしがちであるが、三姉妹の間に「良好な関係」が仄めかされる場合、必ずそこにはふたばの存在がある。ひとはが、みつばが、「姉妹のために何かをしよう」と思う場合、必ずそれはふたばなのである。あれだけ迷惑をかけながらも他の姉妹からは可愛がられる存在、そのあたりの絶妙なさじ加減を維持していたことは、シリーズ構成の采配の賜物だろう。 ひとはについては、アニメを見てかなり好感度があがった。一番動きがないキャラクターだと思っていたのだが、作中で最も感情の揺れ動きが激しかったのは彼女だろう。動物に対する愛着が人一倍強かったり、ガチレン関係で憤ったり、傷ついてみたり。そのせいで普段の毒舌クールとのギャップが悩ましいのだが、ギャグの基本は「落差」であるから、いわば彼女は存在そのものがギャグみたいなものである。あれだけ人嫌いに見えて、何故か矢部っちの足下に常駐しているってのもギャップの一つですかね。保健室での松岡との激闘と、体育倉庫での「ぶあああか」は今期でもベストエピソードの1つに数えたい。 そしてみつばである。ふたばは「災禍」でしかないと書いたが、逆に、みつばは最終的に「被災者」でしかない。あれだけのキャラクターなのに(なので?)、最終的には必ず泣きを見るのがみつば。これもまたギャップの1つだろうか。ただ、みつばについて不満点、というか釈然としない点があるとすれば、それは普段のドS設定と、姉妹への愛情のアンビバレントである。「表面的にはドSだが、実は根はいい人」という設定では、ギャグが完全に活ききらない。何せ最後に泣きをみるのはみつばなわけで、「いい人がひどい目に遭いました」ではギャグとして笑えないのは当然だろう。もちろん製作陣もそのへんは分かっていて、あくまでみつばは真性のドSであると強調している。ただ、それでもやっぱり「ドSみつば」と「姉としてのみつば」の両面を描く必要があったために、なんだかちぐはぐな部分が出てしまっていた。体育倉庫エピソードみたいに他のキャラクターの「ギャップ」を活かすためのツールになってくれていればいいのだが、それだとなかなかメインを張ることが出来ないのだ。 そんなみつばが、しがらみを取り払って表情を表に出せる相手が、杉崎だ。やっぱりクラスメイトで一番印象に残ったのは彼女だったと思う。この2人の絡みについても、なんだか微妙な感情(恋愛感情?)があるので単純に割り切っては見られないのだが、余計なことを考えずに徹底的に悪役たろうとするみつばが見られるのは杉崎のおかげ。ありがとう杉崎。お母さんもいいキャラクターだったよ。 で、こうしたたくさんのキャラクターたちに命を与えるのが、中の人の仕事でして……、もう、今作は本当に中の人のおかげで幸せでした。三姉妹は本当に素敵。ふたば役の明坂聡美に関しては「まぁ、いつも通りに」としか言いようがないが、高垣みつばと戸松ひとはは、本当に聞いているだけで楽しかった。本当にいい空気を出すんですよね、この2人は。 そして回りを固める面々、豊崎、茅原、三瓶、山本和臣。宮なんとかさん役の大原桃子とか松岡役の葉山いくみあたりも、ちょいちょい名前は見たけどようやくそれなりの知名度の名前有りの役がゲット出来ました。 で、千和ですよ。歪みねぇなー。杉崎は「弟の面倒を見つつ、面倒な母親に振り回される長女」っていう立ち位置のキャラなんですが、ものすごく中の人とかぶるんですよ。杉崎も将来弟のために携帯電話の料金を支払ってやったり、母親がヒアルロン酸注射をするために毎年出資したりするようになるんだろうかね。頑張れ杉崎。いや、齋藤千和。 「会長はメイド様!」 5→7 最近はどんどん密度が濃くなり、注目アニメばかりがぎっしりと詰まっている奇跡の枠、アニメシャワー。だから深夜に2時間フルで拘束されるのはキツイって。特にここ2週は2時間半連続ってのが続いたから、もうへろへろでしたわ。で、そんな枠の中でも比較的地味だったのがこの作品。前半は「けいおん!!」と「聖痕のクェイサー」、後半は「けいおん!!」と「みつどもえ」というとんでもない作品に挟まれていたので、どう料理したところで多少「箸休め」みたいな扱いになったわけだが、それでも全く他の作品に負けていなかったと思う。堅実ながらも安定して毎週楽しめる、ある意味貴重な作品だったのではなかろうか。 今作を見て、改めて桜井弘明監督のうまさを確認出来た気がする。前作「GA」はどうしても尺が短くて駆け足になってしまったところばかりが目についたのだが、今回は2クールの時間が与えられ、なおかつ原作もそこまで密度が濃いというわけでもなく、ある意味非常にベタでありがちな内容となっているので、作品内で描写すべき要素は分かりやすい。それをいかにもJ.C.STAFFらしく「原作に忠実に」構築していく作業だったわけだが、これに桜井監督独特のアニメ演出の技法が加わることで、良い意味でオリジナルの部分が加えられ、それがアニメーションにすることで発生するプラス要素として働いていた。美咲と碓氷の2人の掛け合いがメインの作品なので、最も重要なのは会話のテンポ。こうした速い切り返しが求められるテンポ重視のギャグ作品は、桜井監督の真骨頂だ。 具体的には、様々な場面で現れるデフォルメの使い方、タイミングや、書き文字によるギャグの後押し、背景のカラーリングによる雰囲気の峻別に、ワイプで画面を変える時の演出の細かさなど、どこまでもあっさりやろうと思えば出来る部分でも、少しずつ「面白くなるように」要素を足していくことで、おもちゃ箱のような賑やかな雰囲気を出すことが出来る。キャラの台詞の読み方なんかもどこか「桜井風」にサジェスチョンされており、そこかしこで「デ・ジ・キャラット」が懐かしくなるような気がしてくる(2期エンディングの「フェロモン星」の絵とか、いかにもだったし)。桃太郎の回なんかは、完全に別世界の中身だったのだから「単なる悪ふざけ」になってしまう可能性もあったのに、全く同じ演出、同じ世界観を維持しつつネタとして不動のものだったのは、ひとえにそれ以前に配備されていた作品の雰囲気作りが1本の筋を通していたおかげだろう。美咲と碓氷は一応真剣にラブコメをやらなければいけないし、キャラの性質上、限界まで崩すことは許されないわけだが、その代わりを三馬鹿を代表とした回りの面々が受け持ってくれたおかげで、メイン2人がシリアスに回りつつも、常にどこかコミカルな雰囲気が漂っているのもいい塩梅だった。 そう、やっぱり最終回のラストに現れているように、この作品の象徴的な存在の1つは三馬鹿だった。原作でもかなり作者に愛されていることが分かるキャラクターだが、最終回では完全にスライムに成り下がるまでに徹底したネタ要員としての扱いが潔く、「元不良の野郎3人組なのに何故か番組のマスコット」という奇跡のスタンスを確立させていたのがすごい。少女漫画ならではの配役である。他にも学校内ではさくらとしず子のコンビが良い味を出していたし、メイドラテにいけばさつき店長や個性豊かな店員たちがいる。これだけ大量のキャラクターが入り乱れた作品だったのに、どのキャラも適切に個性を発揮し、作品全体の雰囲気を盛り上げてくれていた。 そして、なんと言ってもこの作品、メインの2人であろう。少女漫画におけるメインの男役(メインヒーローっていう言葉があるんだろうか?)の扱いについては、少女漫画原作のアニメがあるたびにいちいち触れていたのだが、基本的に「生まれ育ちのいい完璧超人」であることが多い。「ホスト部」の殿、「S・A」の滝島、「スキップ・ビート」の敦賀蓮など、とにかく才色兼備、文武両道の化け物が登場するのが基本で、男性視聴者からするとそこに感情移入したり、逆にメインヒロイン側に感情移入して惚れてみたりということは不可能な状態になる。しかし、この作品の碓氷拓海という男は、もうそうしたくくりすら取っ払ってしまった存在。リアリティがないならいっそ突き抜けてしまえばいい、というのがその突破口で、完璧超人の度合いが常軌を逸しており、さらに性格も「ありがちなイケメン」像を踏襲しつつも、どこか限界を超えている。「ただしイケメンに限る」は妬み嫉みの言葉だが、もう、碓氷だったら何でもいいや、という気にさせてくれる。ここまで飛び抜けていれば、男が惚れても致し方ないし、実際、作中で幸村は惚れている(?)。この碓氷を2クール見守る、というだけでも、この作品は成立していると言っていい。 そんな碓氷が最後まで執着し続けたのが、我らがヒロイン鮎沢美咲。1話を観た時点では「テンプレ通りのツンデレ主人公」と書いており、実際その通りではあるのだが、彼女の場合、ツン期が本当に長かった。彼女がすぐにでもデレていれば、この作品はフツーの萌え作品で片付けられていたのだろうが、あの碓氷の猛攻を受けながら、美咲は強く強く、自分を維持し続けた。この長きにわたる美咲の苦闘こそが、この作品最大の見どころであったわけだ。そして彼女の努力が長ければ長い程、最終回で見せたたった一瞬のデレの破壊力は奥義にまで昇華されたものとなる。いやぁ、眼福でした。 結局、こういう作品は主人公の魅力が全てであろう。鮎沢美咲というキャラは、少女漫画の主人公とは思えないくらいに、男の願望が理想化されたキャラクターであった。もちろん碓氷がいなけりゃ単なる暴力女に終わっていたとも思うのだが、美咲がいたからこそ碓氷はあそこまでの完璧超人としての実力を発揮できたわけだし、碓氷がいたからこそ美咲はヒロインとして存在しえた。この関係性は希有だ。そりゃなぎさ店長も萌えるわ! 個人的にはOPで営業スマイルを浮かべる美咲がお気に入り。この作品は2クール同じオープニングだったけど、曲も含めてかなりのお気に入り。ま、最終回絡みで考えると、一番ずるいのは2期エンディングの美咲ですけどね! 最後はやっぱりキャストの話。この作品も随分キャストが賑やかでしたね。メイドラテの面々しかり、クラスメイトしかり。「オカルト学院」と同じスタンスの「騒がせ屋の花澤香菜」が本当に好き。他に個人的に気になったのは、幸村の中の人かな。聞いたことがなかったのでチェックしたら新人さんで、「ほぉ、新人だけどしっかり出来てるなぁ。最近の若手は本当にそつがない」なんて思ったのに、案外若くなかった。男性声優はデビューが遅咲きだ。いや、女性声優が若すぎるだけかもしれないが。碓氷役のピコリンこと岡本信彦にしたって、こんだけ出番が増えたのもつい最近だしねぇ。 そしてなんと言っても、やはりこの作品は鮎沢美咲のものである。ということは、それすなわち藤村歩のものである。藤村が主人公のアニメは良作になる。個人的には「狂乱家族日記」だって良作だと思ってますからね! え? 「風のスティグマ」? ……お疲れ様!
「あそびにいくヨ!」 5→4
なにかと忙しい作品であった。点数を1点さげたのは、ひとえに最終話のところで出した諸々のファクターに依るところが大きい。これでラストを無難にクリア出来ていたら平均点フィニッシュか、加点もありだと思っていただけに、残念なことこの上ない。やっぱり最終回はすごく感動したり、こんな目に遭ったりするので油断出来ないなー。 「最終回の脚本がどうこうとかいうレベルのアニメなのかよ」という意見もあるかもしれないが、個人的には、1クールを通じて観てきて、充分見るべき点があったし、評価も出来る作品だと思っている。脚本の高山カツヒコは最後に何を思ったのかは想像も出来ないが、それまでのシナリオラインでも色々と気の利いた部分があったし、十把一絡げで「いつもの萌えラノベ」と切って捨てるのは勿体ない作品。あかんかった部分は最終話感想であらかた書いてしまったので、改めて評価すべき点を総ざらいしておこう。 個人的に一番気に入ったのは、細やかな絵で構築される世界設計そのものだった。猫耳巨乳宇宙人というとんでもなく「そっち向け」で安易なネタであるにも関わらず、彼女たちが生活している沖縄の風景は、微に入り細を穿ち、極力リアルを追究したものになっている。毎度毎度アイキャッチで登場していた沖縄らしい名所の数々や美味しそうな沖縄料理の映像は、エリスたちがどうとかいう以前に、「あぁ、騎央は本当にこういうネイティブ沖縄県民としての生活があるのだな」ということを実感させてくれる。海ぶどう、オリオンビール、チャンプルー、豆腐餻。深夜に観るのがきついくらいのぜいたくなグラフィックであった。 そうした絵の細かさはキャラ絵などにもかなり反映しており、止め画、アクションともに、ヒロイン勢の絵はかなり可愛い。描くポイントがエリス、アオイ、真奈美と3点に散ってしまったので作品としての焦点は定まらなかったが、背景などのアピールポイントに負けないよう、キャラクターも生きていたのも評価していいだろう。 具体的な中身に入ると、実はすごく細かい心理描写にも気を遣っていた回がいくつかある。個人的には真奈美対アオイの直接対決が実現した8話が印象的。それまでの2話で2人のヒロインの秘めたる思いを別々に描いておき、それをサバイバルゲームというスタイルでぶつけ合うという構成になっているわけだが、この話の中での諸々のファクターの含意の提示が実に見事だった。ラノベにおける恋愛描写なんてもんは惚れた張れたでシンプルに描かれるものだが、この作品におけるヒロインたちの恋愛感情は「騎央への接し方」というレベルで自身の人生観をそのまま表出したものになっており、向上心や自己顕示欲、そして社会との触れ合い方など、様々なものを統合した1つの結果として現れる要素である。こういう描写が最後まで貫き通せれば、珍妙な四角関係が作品独自のセールスポイントとして打ち出すことが出来たのだろうが。 そして、珍妙といえばなんと言っても9話。未だもってアレが何だったのかは作品全体のデザインとしてよく分からないものになってしまっているが、最近では珍しく、この作者はとにかくSFが好きなんだろう、ということは分かる。アンドロイドの「人との差」だとか、それを通して現れる「人とは何なのか」とか、およそそれを語る土台が整っていない中で書こうとしてしまったので完全に浮いた要素になったが、やろうとしたことは分かった。その上で「異質であること」をそのまま印象を強めるためのツールに転換させ、あれだけインパクトのあるエピソードに仕上げたのは、原作者の意図と、アニメスタッフの力点がかみ合った結果と言えるのではなかろうか。 ドラマを作ろうとする意欲、細やかな描写を実現させるだけのアニメスタッフの土台、それが両立していたのが最大の売りになるべき点だったはずだが、終わってみたら、残念ながらこの結果。うーむ、原作ありの作品を1クールでまとめ上げるというのはかくも難しいものであるか。今回の最終話は純粋な反省点として胸に留め置いて、もし良かったら同じスタッフで続きを作って欲しいという気もする。改めて確認するけど、嫌いじゃないんです、この作品。 最後は当然、最大の見どころである(?)中の人の話。伊藤・花澤・戸松の現代声優花盛り三羽ガラスがメインヒロインというだけで、もう満足すべき部分。エリスはキャラクター性のおかげであまり代わり映えしないものになったのは残念だが、花澤アオイは彼女の安定した部分がよく出ていたし、浮き沈みの激しい真奈美は、戸松のポテンシャルを十全に発揮するための面白い素材であった。若いばかりが売りではなかろうが、若い世代できちんと一本立ち出来る面子が揃っているというのは嬉しいことだ。その他、サブに寿・豊崎・高垣のスフィア連合がおり、アントニア役の野水伊織、主人公の騎央役の田村睦心も無難に仕事をこなした。中堅どころからは、犬の人が堀江由衣、猫の人は井上喜久子と、各宇宙人のトップが双方とも17歳という構図もなかなか象徴的。耳には非常に良い作品でしたよ。
「ストライクウィッチーズ2」 6→6
突き抜けた1クール。終わってみるとメインシナリオ部分はすごく普通のお話をやっただけのような気がするのだが、その合間合間に根深い病巣が確認出来る要素があまりに多すぎる。他では味わえないものを見ることが出来るという、シンプルながら強力な武器が、この作品では一貫して存在していた。 話題性も充分だったこの作品、第1話時点では安定した作画状態と、2期ものの強みである「既に広がった世界観」のそつのない使い方で、無難なスタートを切った。2話目で見事な空戦シーンを見せ、まず1つ目の「唯一無二」を提供する。至高の高村アングルによる文字通り嘗めるようなカメラワークはこの作品でしか見られないものであろうし、この作品においてしか意味のないものだろう。キャラクターが口で語り、目で語る作品というのは多々あれど、尻で語る作品はこれくらいのものである。真下耕一作品の「目のアップが映る時間」と、高村和宏作品の「股間のアップが映る時間」のどちらが長いか、あまりに暇な人は調べてほしいくらいだ。そこに尻があること、それがこの作品のオリジナリティ。 そして、それが突き抜けて戻ってこられなくなったのが、伝説となった7話「モゾモゾするの」である。お前ら軍人なんだから真面目に戦争してくれ、と思わないではないが、やはりこのシナリオが成立して、なおかつ面白くなってしまうのはこの作品の2つ目の「唯一無二」。もう、ズボンだろうがパンツだろうが、本当にどうでもいい。そこにあるものは、ただ1つ、飽くなき戦いを挑んだ男たちの戦果だけだ。求められるものをただただストイックに作り続けること。これこそがクリエイターの真骨頂ですな。 細かい部分を要素別に見ていくと、画面構成で特徴的なのは、空を飛ぶウィッチの映像は遠景の場合はCGでモデリングしている部分だろうか。昨今はCG混じりのアニメーションなんてものは全く珍しくなく、むしろCGを使わないアニメの方が珍しいくらいだが、この作品のようにキャラクター作画にCGを持ってくる例は少ない。その理由の1つは、一部をCGにするくらいなら、もう海外アニメみたいにフルCGにしてしまった方が撮影が楽になるからだ。この作品の場合、そうした方向性は目指しておらず、あくまで遠景で空を飛ぶキャラクターに限りCGを使い、まるで1機の戦闘機であるかのように描かれる。そして、細かい描写の時は普通の手描きに戻るわけだ。こういう方法を採ると面倒なのが、CGと手描きのつなぎ目である。どうしたってCGはそれと分かるものになってしまい、突然手描きになるとそのギャップはかなり目につく。過去にがっかりした例としては劇場版「いばらの王」があり、あれは突然人間がカクカクしたCGになってしまってものすごく萎えるという残念な仕上がりだった。この作品も、CG描写のところは割とはっきり分かってしまうのだが、カット繋ぎの工夫で、そのあたりの継ぎ目を極力意識させないように作られていたのがうまい。空戦シーンは手間を省くためのCGが有効に働いていたので、この方向性でCGと手描きの融和点を探すことが出来るのなら、今後のアニメーションの進展にも貢献できる、意義深いものとなったのではなかろうか。 そしてこの作品のもう1つの特徴としては、今回描かれた501部隊はあくまで世界規模で見たらたくさんある中の小さな「ウィッチーズ」の1つでしかないという点。実際、マルセイユなんて他の部隊のキャラクターも登場していたし、最終回にも知らない顔がちらちら見えていた。それだけ、この作品の世界は広い。たとえ宮藤芳佳の軍役が終わっても、まだまだ横への広がりがあるということだ。 そうした「世界の広さ」は、501部隊の中でも、個々のキャラクターの広がりの可能性を示唆するものだ。芳佳ともっさんを除いた9人は今後もまだまだウィッチとして働けるわけだし、そうしたバックグラウンドがある、と視聴者が思うだけでも、キャラクター描写の選択肢が増える。今回も11人の隊員を13話で描くという無茶なチャレンジに挑まなければならなかったわけだが、各キャラクターに不満が無い程度の出番を与えながら、きっちりメインシナリオにも時間を割くことが出来ていたのは評価出来る部分だろう。そして、そうした効率的な世界拡張に、この「ストライクウィッチーズ」という世界は適合していたわけである。2期ものアドバンテージは、「既にあるもの」を使えるという部分だが、この作品の場合、その「あるもの」の規模がやたらでかかったということだ。私は個人的にそこまで入れ込んでいないのでアニメで語られていないバックボーンまでは知らないのだが、そうした方面で楽しめた人達がいた、ということは漏れ聞いているので、一応興味はある部分なのである。 なんかとっ散らかった話になってしまったが、最後に当然キャストの話。11人のウィッチがそれぞれに魅力を振りまく理想的な萌え作品。その中に沢城みゆき、田中理恵、斎藤千和という、我が声優十傑のうち3人がいるというのはそれだけで一大事。他の面々だってそのほとんどがキャリア充分の実力派揃いで、もう、2期になったからというので随分のびのびやっている印象が強かった。新規参入の世戸さおりさんも、一番大事な役どころをきっちり勤め上げてくれたと思う。今後、これをきっかけに他所でも聞けることを期待しています。 そしてなんと言っても、最後にもっていくのはやっぱりメインヒロインか。宮藤芳佳というキャラクターは、主人公としての強烈な個性を持っているわけでもないのに、何故か視聴者を引きつける不思議な魅力を持ったキャラだった。そして、そんな芳佳の魅力の一端は、中の人である福圓先生が担っていたのは間違いない。代表作としてこのパンツ作品が筆頭に来るのは色々と面はゆいところはあろうが、堂々と誇って、これからも「ストライクウィッチーズ」の看板を背負い続けてほしいものである。 |
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声優のこと全般
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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