最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「HEROMAN」 6→5
ひとまず、2クールの間お疲れ様でした。製作側も、見てるこっちもね。 夕方6時枠でアニメオリジナル。しかもアメリカ人原作者による、いわゆる流行からは少し外れたジャンルと、言うなれば「不利な戦いを前提とした」作品だった。今のお子さんたちが何を楽しみに見るのかはさっぱり分からないが、少なくともこの作品が大ブームになって関連商品が飛ぶように売れて……みたいなことが絶対にない確証はあっただろうしね。 そんな決して楽ではない土壌で、この作品はそれなりの善戦をしていたと思う。特に1クール目のゴゴール初戦までの流れは、その展開の速さが尋常ではなく、次々に襲いかかる絶望的な敵に対し、ヒーローマンとジョーイは苦しみながらも努力を重ね、最終的には勝利を手にする。爽快なアクションとも相まって、きちんとやりたいことが出来ていた佳作だったと思う。無骨なデザインのヒーローマンも、開き直ったようにパンチキックだけで敵を倒していくので、その不器用さが逆に新鮮で、真っ白ボディに赤と青のペイントという、あまり日本人では思いつかない妙ちきりんな外見も、いつしかちゃんとヒーローに見えてきたものだった。 問題にするとしたら後半部分。表面上はスクラッグを倒し、何が敵なのかが明示的でなくなったあたりからだろう。ヒューズとの追いかけっこはあまり目的意識が感じられないものだったし、島での騒動やウィルとの戦闘など、「何か裏がある」と思えばこそ見られるストーリーだったのに、そこをあまり回収せず、最後の最後でノリと勢いが押し切ったのは勿体ない。前半部分も、突き放したような絶望的な設定とそれを乗り越えるためのストイックなまでの根性論が魅力だった部分はあるので、なまじサスペンスな要素を臭わせてしまうと、その食い合わせの悪さばかりが気になって、最後までその齟齬を埋めることが出来なかった。もちろん1つのストーリーとしては風呂敷をたたんだ状態にはなっているのだが、ちょっと結び目が雑多になりすぎたのが悔やまれる。ラストバトルあたりは徹底的にヒーローマンのアクションのみで見せる手段もあったと思うんだけど、ドラマ性を優先してしまったのがなぁ。 とはいえ、全体的には安定した品質を維持していたし、ジョーイを含むキャラクターの描写などもなかなか。個人的にはホリーがお気に入りで、わざわざアメリカを舞台にして描いた分かりやすいアメリカンテイストが独特の味わいになっていた。終わってみればハリウッドなどにありがちな単なるパニックもの、エイリアンものだったわけだが、それでもボンズの熱の籠もったバトルアニメの土台になってくれれば、それなりに見応えはあるものだ。一応「そっち方面」も意識したリナの健全エロとか、こすっからい演出もちょいちょい楽しめたしね。 トータルで見れば「可もなく不可も無し」といったレベルに落ち着いた今作。ラストのDr.ミナミの引きはものすごい気になるし、作中で一番好きなキャラは勿論彼なので、是非とも続編を作って欲しいとは思うのだが、多分この分だと2期を作る流れにはならないだろう。ま、この2クール、そこそこ突っ込みと声援を送らせてもらっただけでも良しとするか。 最後は当然キャストの話。この作品はそこまで中の人のアピールが強いものではなく、もっとも楽しめる部分といったらゴゴール役の石塚運昇だったりするのだが(あと当然ミナミ役の松本保典)、女性キャストでお勧めなのはホリーの中の人、小笠原亜里沙だ。初めて彼女を聞いたのは「WOLF’S RAIN」だったと思うのだが、その頃のやるせない演技は影も形も無く、最近では独特のハスキーボイスが印象的ないい声優になった。来期は「パンティ&ストッキング」でメインヒロインをやるみたいなので、要注目。あとはやっぱりジョーイ役の小松未可子かな。最初の頃は本当になよっちぃジョーイだったので微妙だと思っていたが、最終的には、あまり声質に変化はなかったが、それなりに芯の通った主人公になっていた。中の人はまだまだキャリアも浅く、今後声優活動を続けていくかどうかも定かじゃないが、またどこかで見かけたら、応援してみたいと思わせるだけの仕事はしてくれた。 何はともあれ、お疲れ様でした。 PR
「あにゃまる探偵キルミンずぅ」 5→7
最終回だって? HAHAHA,何を言っているんだ。終わるわけないじゃないか。キルミンが終わったら、……俺はどうやって月曜日を終えたらいいんだ…… 終わって、終わってねぇよ…… 今期終了する中で、最も別れが惜しい作品。1年間ものお付き合い、本当にありがとうございました。思い残すことはいっぱいあります。最終回の超展開と投げっぱなし感、どうしたら良いんでしょうか。結局キルミンとは何だったんでしょうか。アニマリアンの革命は、どのように続いていくんでしょうか。カノンたちのおじいちゃん、結局何だったんでしょうか。カノンの親父さん、画面上に一度も姿を現してないけど、いいんでしょうか。リコたちのママさん、結局変身しなかったけど、何の動物だったんでしょうか。タマオ成長しすぎて時代飛び越えちゃったけどいいんでしょうか。……もう、なんとかしてくれよ…… いや、逆に考えるんだ。これだけ煮え切らない要素があるなら続編だってある、と。誰かこの10月から「あにゃまる探偵キルミンずぅ♯」とか「キルミンずぅダイナマイト7」とかが始まる情報を入手した者はいないか? この際だから「よりぬきキルミンさん」みたいな総集編でもいいぞ。もう、話の内容とかはサザエさんクラスのダラダラでも一向に構わない。ケンロックホームズの名推理をダラダラ流すだけでもいい。どうにかして毎週月曜日にリコやリムたちに会わせてくれ。あの愛らしいグルミンの百面相を見せてくれ。ポチ姉の無駄にエロい愛嬌の振りまき方を堪能させてくれ…… あ、少し真面目にまとめますね。結局、この作品はどこに向けての作品だったのかがイマイチ分からないというのが最大のポイント。キルミンのおもちゃを発売したわけでもなし、放送時間が半端だからそこまで大きなお友達に迎合したというわけでも無し。後半の怒濤のシリアス展開(?)はとても子供さんじゃついていけない気がするけど、あのグダグダっぷりは真正面から物語を作ろうとしたようにもみえない。二ツ木の最期とか、実に寓話的で面白い終わり方ではあったんだけど、彼の目的意識の不鮮明さのおかげでどう驚いていいのか分からないしなぁ。最終回で乱打されたサプライズの数々も、ぽかーんの度が過ぎて全く印象に残らなかったぞ。結局どうなったんだよ、ドクトル! ひょっとしてあれか。やっぱりこの番組の視聴方法は私の姿勢が正しかったのか。毎週「うは! キルミンフォーゼした後はリコの顔とグルミンの顔のどっちを見ればいいんだ!」と叫びつつ彼女たちのコントを楽しむと。幼女は可愛いし、小動物はもっと可愛い。だったら小動物の着ぐるみを着た幼女は至高の愛らしさを誇るはず、という安直な思想は、見事に的を射たものだったわけだ。この勢いを維持するには……フィギュアか? 三次元造形物に手を出せば少しは悲しみも紛れるのか?! 誰か「眼鏡透けてるバージョンのリム」か「髪おろしてるバージョンのリコ」を立体化して下さい。 最後に当然キャストの話。もう、この作品は散々叫んでいるので語るべきものもないのだが、とにかく悠木碧+佐藤聡美という珠玉のコンビネーションが絶対領土の不可侵域。ミジンコ扱いでも構わないので御子神家の父親になりたいです。あおちゃん成分としゅが美分を摂取する新たな手段を考えなきゃいけないのか……どうしよう…… 他にも色々とキャリアの浅い面々が声をあてていたわけだが、探偵団メンバーはもちろん、牙組の男性キャストなんかも割と面白かったです。ママさん役の根谷さん、二ツ木役のおっきー。みんなみんな素晴らしい世界をありがとう。ほんと、神浜市は原色の色づかいが毒々しい街だったので、結局どこの国なのかよく分からなかったよ! 韓国との共同制作だとこういう色づかいになるんだろうな。「アニマル横町」もそうだったし。なんだ、日韓共同制作でも名作は生まれているんだね…… リコリムカムバーーーック! 「オオカミさんと七人の仲間たち」 5→4 気付けば空気のように終了したこの作品が、今期の最終評価1発目。実際は「黒執事」が先に終わってるんだけど、時間帯の関係で感想が書けるほど真剣に見られていなかったのでパスです。嫌いじゃなかったですよ。1期よりは楽しめました。 さておきこの作品。端的に表すならば、「岩崎&J.C.ならこうなるだろうな」と。可もなく不可もない状態で過ぎ去っていたこの作品は、ざっと見た感じではそこまで好意的な評価が見られないのはちょっと残念。ただ、個人的に岩崎良明という人は決して嫌いな監督ではなく、むしろここまで没個性に原作を浮き立たせる作品作りにこだわる人というのは珍しい気がするので、この作品も評価出来る部分は評価したい。 全く原作を読んでいない状態なので完全に憶測なのだが(よって間違ったことを言っていても原作ファンには許してほしいのだが)、この作品の最大の問題点は、「原作が面白くないこと」なんじゃなかろうか。監督へのひいきのためにそういう結論になった気もするのだが、正直言って、この作品が何作も続く人気ラノベシリーズとはとてもじゃないけど思えない。筋を追っていても、何一つ新鮮なものが得られないのである。 キャラクターの造形については、1話目視聴時点では期待できる部分もあった、テンプレ臭の強いキャラがほとんどとは言っても、「個性的な面々が集まって恩返し組織を営む御伽銀行」という設定自体は悪くないのだし、ここからオオカミさんと亮士を中心としたラブコメ+学園コメディにするなら、それなりに話らしいものは作れるはずなのだ。それなのに、この作品はその設定から一歩も先に進もうとしない。「ツンデレキャラとして設定したのでこの人はツンデレっぽく振る舞います」「腹黒キャラという記述があったので、この人は腹黒として読んで下さい」というサボりだけが見え隠れして、その上っ面だけで話が進行してしまう。最後まで見終わってまだ興味が維持出来ているキャラクターといえば、魔女子さんとアリスさんくらいなもので、この2人の共通点は、「まだエピソード中でメインを張っていない」ことである。他の連中はそれなりにスポットが当たってしまい、「底の浅さ」が確認出来てしまっているのだ。例えばオオカミさんの設定の1つである「ジムに通ってずっと強さを求め続けている」という状態は、「あれだけ好き勝手にさらわれて、しかもバトルで特に活躍したシーンもないのに何を言うか」と思うし、林檎の腹黒設定も、白雪姫エピソードを見たら一切説得力がない。おつうさんの恩返し属性なんて意味すら分からないし、乙姫・浦島コンビはあれだけ登場シーンが多かったのにそのバックボーンに全く興味も魅力も感じない。本当に、話を作るのが下手なのである。 こうした「全く面白味を感じさせない原作」を、なんとかアニメ的に盛り上げようと努力するのがアニメスタッフの仕事。作画面は非常に良好で、その部分は評価すべき部分だろう。加えて、最も分かりやすいアニメの注力ポイントといえば、なんと言っても新井里美によるナレーション。賛否が分かれた被せ気味のナレーションだったが、今にして思えば、あれがこの作品に唯一与えられた「オリジナル要素」であった。一貫して流れ続けたみっこ節によって、なんとかこの作品は作品として維持されたのだ。未だに「あり得ない語尾!」とか聞くとちょっと面白い。 ただ、残念なことにこのナレーションについても、どうしても「作品を描写する能力が欠けるために、それを補うツールとして用いられた」という印象がある。みっこナレによって「可愛らしい」とか「強そう」とか「腹黒そう」と言われると、何となくそんな気がするという効果があるのだが、あまりにそれに依拠しすぎて、他の部分での欠落が目立ってしまう.実際、作中でみっこの語るナレーションに対し、「いや、そうでもねぇけど」と思うことも何度かあり、画面の中での物語の不備が浮き立つシーンも見受けられた。「そこは地の文(ナレーション)で説明するのではなく、なんとかしてシナリオや画面で見せるべき部分だろう」と、そうした不満ばかりが起こってしまうのだ。 こうした「不備の目立つ」構成にしてしまったことは、アニメスタッフの責任であろう。ただ、「じゃあどうやったら面白くなったのか」と言われると非常に難しい。みっこナレは、これはこれで充分魅力的なものであったし、ナレを入れること自体が悪かったわけではない。むしろそこまでやっても脚本の山の無さをフォローしきれなかったと見るべきで、普段の岩崎監督の「原作維持」の方向性は、あまり良い結果を生まなかったということだ。原作もののアニメ化も、難しいのである。 そして、この作品で最も悔しいのは、いかにも岩崎J.C.らしい豪華過ぎるキャスト陣。御伽銀行だけでも、御前、かな恵ちゃん、ホの字、川澄、きみきみに豊崎。その他にも釘、中原、甲斐田、美佳子におはぎにしゅが美などなど、若手から中堅まで、完璧すぎる布陣を敷いているのに、何故こうも印象に残らないのか。ここまで残念な気持ちになったのは「ポリフォニカ」以来である。おそらく、どれもこれも「ま、このキャラ設定ならこの人でしょう」という安直なセッティングでやっているおかげで、全員が「どこかで見たキャラ」にしかなっていないせいだ。川澄や釘の使い方なんか、既に一周回ってネタレベルかもしれない。同じようにテンプレっぽく集めた「れでぃばと」はそれなりに堪能できたんだけどなぁ…… 最終話で突如しゅが美キャラが登場し、なんかそれだけで許せる気になったけど心を鬼にして点数は下げる。最終話はどうせ新キャラなんぞ感情移入も出来ないだろうから、脳内で律ちゃんに変換していたのは内緒。
「さらい屋五葉」 6→6
毎週の感想文を読んでもらった方が話は早いのだが、基本的には存分に楽しませてもらった作品。粗製濫造、ものすごい消費スピードでアニメが浮かんでは消えていく中で、こうして強烈な自己主張を持ちながらも、どぎついものとしてはそれが現れず、ひたすら自分のペースで構築されている作品というのは、非常に特殊で、好感が持てました。 本作で評価すべき部分は様々な切り口があるわけだが、最初にあげるべきは、その徹底した演出プランだろう。始めに原作ありきなのでシナリオラインはアニメスタッフがいじれる部分も少なかっただろうが、とりたててアニメ的な見せ場もない「地味な」作品を、ごまかすことなく正面から「地味に」描くことにより、かえってその魅力を引き立たせることになった。具体的には、時代劇につきものの切った張ったのシーンを極力廃し、「暗」と「静」を基盤とした世界のみでシチュエーションを固めていった。作中では何人もの人間が刀で斬られて命を落としているはずなのだが、それが具体的に画面上に現れることは少なく、あくまで「斬った側」の心情にフォーカスを当てることで、心の奥のザワザワした感情や、冷え切った狂気のような感情を画面上に表出させることが出来た。この方向性は、おそらく成功だったのではなかろうか。 「描ききらない」という指針はその他の人間ドラマにも現れており、主人公の政之助が口べたで人付き合いが苦手なこともあり、キャラクターどうしのコミュニケーションには、必要以上の会話が乗らない。元々気むずかしそうな梅がそうだし、口数の少ない松吉、最初から最後まで得体の知れない弥一など、この作品の男共は、本当に「背中で語る」を地でいくキャラクターばかりである。そして、そんな硬派な演出が、作品の物寂しい空気や、一口では語れないもどかしさなどにも直結している。台詞の数が減るからこそ、一言一言の重みも増し、「最初からこうすりゃ良かった」「恩人が3人になっちまう」などの台詞が活きてくる。最終回など、弥一は墓の前でなにかをしゃべるでもなく、ただ嗚咽を漏らすだけだし、そこに助けに来たマサも、特に慰めの言葉をかけるわけでもない。この「会話のない関係性」が、この作品をがっつり見せてくれた一つの要因だ。 そして、そんなシナリオラインを決定づけるのは、やはりアニメの画の力。マングローブの制作ということで独特の風合いはそれだけでも見どころであるが、暗く湿った江戸の町の空気と、同様にじっとりと湿って先の見えにくい五葉という組織の空気が見事にマッチしている。基調が鈍い色であるおかげで、楓の葉の赤色や匕首の銀色など、ピンポイントで彩りを加える要素も画面映えするし、必要以上に押しつけないさりげない風景の1つ1つが、政之助達の生活の実感を与えてくれる。動くばかりがアニメでなく、しゃべるばかりが作劇ではない。こういう骨太な演出方針と、それを実現させられるだけのスタッフを見ると、まだまだ知らないものが楽しめそうだと思える。とにかく、楽しかったです。 もちろん最後はキャストの話。今作は渋く渋くという、やや専門外のキャスティングになっており、さらにいくらか腐女子向けのサービスも動いていたので全部が全部分かるわけではないのだが、それでも政之助と弥一の2人の魅力だけは分かる。浪川大輔、櫻井孝宏。現在もっとも脂ののった2人の共演は、本当に耳に楽しかったです。他にも梅役の高塚正也、松吉役の内田夕夜など、周りを支えるキャストもやたらかっこよかったのが印象的でした。女性キャラはほとんどいなかったけど……一番可愛かったのは、ネコ? 「四畳半神話大系」 5→6 視聴後の感想が、「面白い!」とか「凄い!」じゃなくて「なるほど!」というものだった。こうして最終回まで見終わった段階で「満足する」じゃなくて「腑に落ちる」作品というのもなかなか珍しいかもしれない。 正直なところ、中盤の展開はかなりダレていて、あまり真面目に見る気も起こらなくなった時期があった。個々のエピソードにギミックはあるものの、結局それは繰り返し繰り返しの天丼構造を垂れ流しているようにしか見えず、悪評ばかりが集まった「エンドレスエイト」と本質的にどこが違うのかと、訝しんだこともあった。どれだけ画面に変化を加えたとして、この作品の中心に居座っているのは浅沼晋太郎による「私」の語り。その本質が替わらない限りは、この作品の「繰り返し」に意味はないのではないかと。 しかし、6話からの3択問題のあたりから、ようやくこの世界の意味が分かり、それによって「この作品の見方」も分かった。なるほどという「納得」は、この作品が「繰り返し」などではなく、あくまで「積み重ね」であることが分かったことに対する反応だった。 「繰り返すだけでなく、積み重ねている」。このシンプルな作品構造は、言葉にすれば簡単であるが、実際のシナリオと画面の構成に落とし込むのは非常に難しい。単に「昔出てきた要素をサブイベントとして臭わせる」程度では、それは要素として散り散りになってしまい、「1本の世界」としての収束をみない。この作品の前半は、そうした「収束」のための準備段階として蒔かれた種であった。 城ヶ崎や羽貫といったキャラクターが地固めを始め、「私」の様々な経験が四畳半を取り囲み、10話でついに「砦」として完成するに至って、この作品は真の姿を現す。夢うつつの中で過ぎ去った数多のifは全て現実であり、そのすべてが並行した四畳半世界に存在している。そして、それを10話の「私」が断片から回収をしていく。次第に「語り」も視聴者目線にシンクロし始め、最終的に、「私」の目線は視聴者に重なる。モザイクのようにちりばめられた概念の断片は、この「私が作品世界から逸脱し、視聴者に並び立つためのツール」であり、後から「振り返る」のを容易にするための、圧縮ツールの役割を果たしている。最初は「結局『あること』をそのまま描写しただけの画面ではないか」と思っていた個々の演出が、全て結晶として四畳半の各部屋に沈殿していたその様子は、メタフィクションの中の結末としても実に新鮮で、わずか2話の中に10話分以上の中身が詰まっているという事実は素直に心躍るものであった。最終回の小津との関係性、10話以上もただぶら下がり続けた白のモチグマンなど、物語の風呂敷をたたむためのツールも機能的に配置されており、「改めて1話から見直してみたいな」と思わせるだけの説得力を有していた。これは確かに、凄い。 「語りによる世界構築」という部分は、最初の感想でも書いた通りに、新房シャフトの演出と被る部分がある。その印象は別に間違っていないし、今でも替わらない。ただ、一つ見込み違いだったのは、西尾維新作品は「語りの負荷を増やすことで構築される要素を前面に押し出した」作品構成であり、この「四畳半」は、「語りが全てを負担しないことには成立しない物語」だったということだ。「この構成でなければ出来ないこと」をやったという意味では、むしろ全く別なジャンルのパイオニアであると捉えてしまってもいいのかもしれない。そして、そうしたチャレンジをするに際して、湯浅政明という才能は実に見事にフィットしていた。観念レベルの昇華という難題を、いきなり1話から「湯浅テイスト」で固めることで自然に解決し、自分の演出技法の1つの結果として飲み込んでしまった豪腕は、特筆すべきものである。 そして当然、この作品を作ったもう1人の男は、浅沼晋太郎である。「私」の世界である四畳半を視聴者と同じ目線で見るということは、「作品世界に埋没する」ことを良しとする声優の仕事の中でも異色のミッションであったろうし、純粋に体力的、技術的に高いハードルであったことは間違いない。今後しばらくは、この作品が彼の代表作である。他にも小津役の吉野弘行、明石さん役の坂本真綾など、癖の強いキャラクター達をコミカルに演じてくれたキャストの皆さんにお疲れ様を。 全部が全部これじゃパンクしてしまうが、1クールに1本くらい、こういう「挑戦」があるのはいいことだ。それにしても、最終回のオープニングエンディング入れ替え演出は笑わせて貰った。「これから本編が始まるからね! 終わりじゃないからね! 見てね!」って、そんなに不安ならやるなよ。素晴らしい馬鹿の結晶でした。
「荒川アンダーザブリッジ」 5→4
難しい作品だったとは思う。ロケーションがずっと橋の下なので画面の変化が非常に乏しい上に、会話の中身をネタにする場合が大半なので、キャラクターの動きを見せるでもない。そうした作品をアニメにして画面映えさせるというのは、生半なことではない。だからこそ、この作品はシャフトがアニメ化したともいえるだろう。 しかし、結局根本的な問題は解決していなかった。最初のうちこそエキセントリックなキャラクターの掛け合いを楽しくみられていたのだが、次第にそうした刺激にも慣れてしまう。なまじストーリーものとしての側面を打ち出そうとしてニノとの恋愛模様やリクと親父の対決ストーリーを中軸に据えてみても、それまでの消耗品的な、散逸した笑いの流れとの相性が悪く、どうにもとってつけた感が否めない。最終的には、そうしたちぐはぐな側面ばかりが目についてしまい、いまいち楽しむことが出来なかった。どこかでこの作品について「イカれたキャラクターさえどんどん出してればいいと思ってる」と評価しているのを見たことがあるが、辛辣ではあるが真理だろう。 もちろん「シャフトだから」とか「シャフトなのに」という風に先入観をもって見るのはあまり良くないことだとは思うのだが、企画としての骨子はやはり「シャフトでなければ出来ないスタイル」というものを求められてのものだったと思えてしかたない。そこにこうした「無難な」演出スタイルを見せられると、肩すかしを食らった感じになってしまう。「ひだまり」でも同じような感想を書いたが、あちらは原作がそもそも「空気系4コマ」なので「無難な」スタイルでも食い合わせは悪くなかったが、こちらは勢いで押さなければいけない純正のギャグマンガだろう。となると、毎回笑いを生み出すためには、どうしたって変化は必要だ。にも関わらず、演出段階でそうした変化を否定してしまっているために、少しずつ面白さは消えていくことになってしまった。責めるのは酷な話ではあるが、やはり、期待に応えたとは言い難い。もう少し脚本部分でそのあたりの「慣れによる失速」を計算できていれば、コントロール出来た部分もあると思うのだが。 評価出来る部分というと、まずは山本沙代によるオープニング映像。エンディングもなかなかだが、やはりオープニングのあの独特の雰囲気は特筆すべき部分。大沼心や尾石達也、龍輪直征と、やはりシャフトはこのあたりの仕事には一家言あるらしく、チャレンジングな仕事ぶりが好印象。そして、流石にしつこいからもう触れなくていい気もするキャストの話。「千和とみゆきちさえいれば、世はことも無し」。あ、ニノ役の坂本真綾もいい仕事でした。
「WORKING!!」 5→6
今期最も無難に面白かった「安定枠」。オリジナル回はあったが、基本線は原作からの劇的な改変があるわけでもなく、やるべきことをやって1クールにまとめるという、お手本のような「原作もののアニメ化」である。4コマ漫画だから尺のはかり方などはいうほど楽ではなかったはずなのだが、流石に「スケッチブック」などで培った平池監督の手腕は手慣れたものであった。 個人的には、あのちょっと書き殴った感じの原作のテイストが好きなので、そこの再現度がちょっと気になった部分。決してうまいとは言えないはずなのに勢いはあるあのノリ。アニメにして整った絵になるとあの勢いは損なわれてしまうんじゃないかなぁ、という懸念は有って、実際、画面が綺麗になるとちょっと違うイメージにはなった。ただ、その代わりに動画部分でノリの良さをカバーしており、特に伊波さんが全力で振り切る拳骨のダメージと言ったら実に痛快。他にもプリプリ起こる種島とか、小鳥遊四姉妹の奔放さとか、きちんとアニメの枠を利用した演出が光ったのは純粋にプラスの要素と言えただろう。 原作ではそこまで最優先で押していない(気がする)恋愛要素をメインパートに据えてシメの1話に用意してきたあたりもなかなか気が利いていて、どんどん恋する乙女になっていく伊波さんが可愛らしい。最終話冒頭の、彼女の部屋の定点カメラから捉えたカットなど、なんだかもきゅもきゅしてしまう愛らしさがある。もちろん、先輩も可愛いですよ。 そう、なんだかんだで結局この作品もキャラクターの吹っ切れた個性の勝負。そういう意味では、個人的にMVPをあげたいのは山田だ。登場が遅れたので出番が多いというわけではないのだが、あの独特のテンポと「イラッ」とする感じ、本当に山田はスタッフに愛されていました。 あとはキャストの話になるよね。山田押しということは、やっぱり広橋にお腹いっぱいということ。あー、ウザ可愛い。種島先輩もアスミスにとっては何度目かの「代表役」といえるキャラクターになったろうし、せっかく面白い声の幅があるのになかなか活躍出来ていなかった藤田咲にも、伊波というアピール出来る役が回ってきた。個人的には藤田というと「まなび」の桃葉とか「つよきす」のカニみたいなロリっ子役なんだけど、伊波さんはほんと、普通の可愛い子でしたからね。あとはやっぱり小鳥遊四姉妹かしらね。特に梢姉さんの中の人が御前ってのが……もう、なんかそのまんまじゃねーか。酒キャスって、新しい概念だな。
「Angel Beats!」 6→3
ある意味、今季最大の話題作といえたのが、この作品だろう。1話視聴時点では、多少戸惑いながらもP.A.WORKSの技術力に期待票を投じたのだが、結局最後の最後まで、その期待感は膨らんだり、実ったりすることがなく、不安が失望に、懸念は現実になってしまった。作画スタッフが力を入れている部分があることは分かるのだが、「薄桜鬼」の点数に4を付けたことを考えると、流石にこれはあのレベルには達していない。がっかり感も込めてのこの点数である。 良かった部分を先に挙げておくなら、やはりそれは作画スタッフのがんばり。非常に独特な世界観だったので、現実と空想の境目の微妙なラインを取った「嘘くささ」みたいなものを表現するのは、実は案外難しいバランスだったはず。そこを「それ相応に」満たしてくれたことは、評価出来るポイントだったと思う。と言っても、どうにもキャラクターデザインがそれらの景色に馴染まなかったのも事実で、私が見たかったP.A.クオリティとは言い難い。「true tears」や「CANAAN」で描かれたあの圧倒的な描写力はどこへいってしまったのか。 そして、それ以外の面については、およそ評価に値する部分が見あたらない。総合して一番駄目な点を指摘するならば、それは「まとまりのなさ」とでも言うべき部分だろうか。この作品には様々な「見どころ」が用意されていたと思うのだが、それら全てが有機的に結びつくことなく、個々に散り散りに置かれているだけ。どれだけ親切な視聴者でも「こういう設定で1シリーズやりたいんですけど」という設定のラフを見せられただけでは、アニメを堪能した気分になることは出来ないだろう。確かに「説明」は呆れるくらいにされていたが、視聴者が求めているのは「説明」そのものではなく、それを通じて「伝えること」、「理解させること」である。この作品には、決定的にそれが欠けている。 様々な考察などはおそらく他所様でなされているだろうからあまり細かい部分には触れないが、3話の記事で納得いかなかった岩沢の消失などを皮切りに、ユイの願い、天使という存在、ゆりの目的意識、音無のモチベーションなど、ストーリーの根幹に関わっているキャラクターの心情を全く追うことが出来ない状態では、ディティールを追うことなど出来るはずもない。それぞれに付された「説明」は実に行き当たりばったりなもので、シナリオの全体像など有ってなきがごとしだ。細切れになったエピソードそれぞれでは完結しているのかもしれないが、残念ながらそんな小さなスコープでストーリーを追うことなどあり得ない。 結局、最大の問題点は脚本の甘さということに落ち着くのだろう。世界設定をきっちりと説明しきって厳格なルールに基づいた「ゲーム」としてこの世界を描くのか、それともある程度イレギュラーな感情というファクターを優先して物語を紡ぐのか。その大前提が決まらない状態では大筋も決まらない。「死の悲劇と心残り」という要素をメインツールとして使うはずなのに、序盤では徹底的に「死なないこと」をネタにしたギャグを突っ込むという食い合わせの悪さにも頓着しない。「心残り」と「達成感」という2つの極をキャラクター造形の核とするはずなのに、そうした起点を全く描かずに上っ面だけのキャラクターを重ねていく。ライブシーンを売りとして強調しているのに、作中で全く重要な役割を果たさず、添え物としても不要になる。なんだか、意図的に視聴者を振り回そうという意図があるとしか思えない、「不親切な」セッティングである。個人的には、こうした方向性はどう見てもデメリットしかなかったと思うのだが、ひょっとして私が気付かない部分でなにか決定的な効果をあげていたのだろうか。謎である。 繰り返すが、この作品は個人的には面白さを感じられない作品であった。敢えて楽しかった点といえば、ユイがギャーギャー言ってるあいだのテンションくらい。ユイはキタエリキャラとしても実に良い動きを見せてくれていていい清涼剤になっていたのだが、「あの別れ」のせいで全部台無しになっちゃいました。どこまで考えてキャラクターを描きたかったのか、分からないことこの上なし。 P.A.WORKS.の次作でのリベンジに期待したいです。 「デュラララ!!」 7→8 毎回のレビューを見てもらった方が話は早いが、とにかく面白かった。そこだけ報告できれば、まず充分である。 この作品の長所はなにか、と問われたら、やはりまずその構成自体を評価することになるだろう。同原作者の「BACCANO!」と似たような構造を持つ群像劇なのだが、「BACCANO!」は時代をまたぎ、さらにファンタジー要素を多分に含んだ作品だったため、ファンタジー小説としての盛り上げ方をみせることが出来たし、突飛な設定から突飛な話を作っているおかげで、ストーリーの「引き」を作ることはそこまで気を遣う作業ではなかった(もちろん、それでも巧いとは思ったが)。 しかし、この作品は、「非日常」と謳ってはいるが、あくまで現代日本の日常生活と地続きの、「リアルを含む」物語である。主人公の竜ヶ峰帝人は平凡な高校生だし、ダラーズのメンバーだって普段は単なるオタクだったり、単なるチーマーだったり。池袋という街は特殊ではあるが、そこにあるのは「あくまで共感の及ぶファンタジー」でなければならない。そのあたりのさじ加減が、この作品の最大の魅力だったと言えるだろう。突然登場する首無しライダーはデュラハンで、身近に生活する女子高生は妖刀に乗っ取られた「母親」だったりもするのだが、そうした「完全ファンタジー」の要素が、気付けば日常にするりと忍び込んでいるさりげなさが憎らしい。逆に、恋人に惚れすぎてピッキングから侵入しちゃう女子高生や、恋愛感情が高ぶりすぎてライバルの家に包丁片手に襲撃してくる女子高生の方が、「リアル」なはずなのにどこか現実感に欠け、理解の及ばない不気味さがある。こうした「日常」「非日常」のギャップを隠したり、際立たせたりするさじ加減が、実に見事である。 原作を読んでいないのでどこまでが準拠している要因なのかは分からないが、こうした様々なファクターを1本の流れとして描いていくパズルのような組み上げ方も、大きな魅力である。伏線の張り方と回収の仕方では、大森監督ほど心得た演出家はなかなかいないのではなかろうか。「地獄少女」シリーズの時もそうだったが、この人の場合、伏線を出すときはきちんと「ほら、これが伏線だよ」と丁寧に出してくれるのだが、回収する際に、それを押しつけがましく提示するということをしない。あくまでも物語の中の「現実」として、さらりと拾って、それを自然な形で視聴者に伝えてくれる。例えばチャットの声がちゃんとキャストの音声に入れ替わった流れとか、最終回の「ルート3点」の発言など、きちんと見ているとそれが実に大きな意味を持っていたことが理解出来るようになっており、この作品独特の「絡み合いの巧緻さ」を十全に伝えてくれるわけだ。今作のスタッフは、どの回のコンテを見ても、そうした「描くポイントの重要性」をきちんと理解した上で作劇していたことが確認出来るだろう。 シナリオがかっちりしており、それを描く演出の手腕も保証済み。となると、あとは実働部隊の仕事。ブレインズ・ベースによる安定した作画ベースも、この作品のクオリティをワンランク押し上げた大切な要因。丁寧なロケハンによる池袋の町並みの構築や、マシンや仮想物質などのCGワーク。独特のフォルムを持つキャラクターたちの挙動など、「動画で見せる」作品でこそないものの、全く違和感を抱かせずに、「本当はあり得ないもの」を描いてみせた。また、レビューでは何度も触れた色設定の細かさや、曲げる時は徹底して曲げる演出重視のデザイン作りなど、「メタレベルを気にせず徹底的に物語に没入できる」だけの基盤を揃えてくれたのはありがたい。本来、アニメを作る人たちの目指すところって、「見事さ」ではなくて「自然さ」だと思うので、こういうスタイルのスタジオがあるというだけで、頼もしく思えてくる。 現時点で、私の中の大森貴弘株は下がる気配がない。「学園アリス」で出会ってから、「地獄少女」シリーズに「BACCANO!」、「夏目友人帳」と、どれもこれも高水準を叩き出している。そしてめでたくこの作品も、株を上げる可能性こそあれ、決して落とすことはなかった。さて、次はどこでお目にかかれるか分からないが、大森貴弘+ブレインズ・ベースの活躍に期待したい。何卒、何卒「地獄少女」シリーズの4期をぉ!! と、願望を吐露したところで最後は当然キャラとキャストのお話。今作を毎週楽しみに見ていた要因としては、やはりその魅力的なキャスティングが無視できない。そして、そんな中でもやっぱり沢城セルティの魅力は頭抜けている。「顔が無くて声が出ないキャラクターの声」という、あり得ない配役ではあるのだが、こと音響には力を入れる大森監督である。実に見事に「セルティの声なき声」をアニメで再現してくれていた。音響のはたしょう二氏も語っていたが、このセルティと沢城みゆきのコラボレーションは、現代アニメの持つ音響技術と、役者の持つ表現力の1つの完成形と言ってしまっていい。 その他を見ていくと、このアニメはどうやら腐女子受けが随分良いらしいのだが、その原因である静雄×臨也の2人が強烈。最初は「小野Dはこういう役はちょっと浮くだろうな……」と思っていたのだが、これがなかなか。ブチ切れた中にもお茶目さをにじませる平和島静雄というキャラクターが、何とも愉快な形で表出していたのではなかろうか。また、希代の胡散臭さを誇る折原臨也も、神谷浩史のはまり役。最近色んなところで声を聞きすぎて食傷気味の神谷兄ぃであるが、この臨也だけは別。胡散臭い1人語りに、独善的なマシンガントーク、そして高らかに謳う「人ラブ!」という利己の極致。やっぱりヒロシは曲者キャラがいいよ。 そして、今回妙にはまってしまったのが、紀田役の宮野真守。基本的に宮野は声質が浮つくからあまり好みではないのだが、それを理解した上で、紀田正臣はいい配役だった。胡散臭くしゃべっても、真剣にしゃべっても、どこかに臭う紀田の頼りなさ、踏ん切りのつかなさは、ラストへの流れの中で実にいい仕事をしていたと思う。あとは男性キャストだと、個人的にはドタチンと湯馬崎が好きかな。あの街で一番強いキャラが湯馬崎だと言われても驚かない自信がある。 残った女性キャラでいえば、短いインパクトだと贄川春奈だろうか。中原ヤンデレ福圓ヤンデレに伊瀬茉莉也のヤンデレ。花澤まで病んでしまって、世界規模のヤンデレ祭には大満足です。声優ラブ! |
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