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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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「アイドリッシュセブン Second BEAT!」 5→6

 いつの間にか珍妙な世界観に適合していた。なんやこいつら。変なところが癖になりそう。

 「男性アイドルものだし、1期は気力が持続しなかった作品だもんなー、最後までみるのかなー」とか思ってたのに、いつの間にか「これ、次回どうしたらええねん」っていう頓狂な興味で引っ張られるようになってしまった。4月期新番として始まり、コロナの影響でこんだけ延長した時点でもうダメだと思っていたのだが、延長した甲斐があったという。

 何がハマるってこともないと思うんだよね。ぶっちゃけ、まだメインのメンバーの名前すらろくに覚えてないし。こんだけ数が多いと男性キャラの顔を識別できる自信がなくて、はなから把握することを諦めている(だいたい中の人の名前で呼ぶことになる)。しかし、本作の場合はそうして「どんなキャラがいるかよくワカンねぇや」っていう状態であるにも関わらず、作中で起こる事件があまりに殺伐すぎて、純粋に「事件の真相は?」っていう興味だけで引っ張られてしまった。それぞれのキャラクターについて、「お前らアイドルやってる場合じゃねぇだろ」ってくらいにとんでもないトラブルを抱えているもんだから、アイドルものっていうよりもサスペンスものみたいな楽しみ方になってしまったのである。途中から絶対にブリタニアの息がかかってたし。ゼロ・レクイエムはインパクト絶大。

 さらに、今作のツダケンはとても悪いツダケン。今期は(今期も)あらゆるアニメでツダケンが出すぎていたもんだから「こっちのツダケンってまだ生きてるんだっけ?」みたいな状態になっていたくらいなのに、その中でも突出して悪いツダケンだったもんでインパクト抜群でる。妹ちゃん捜索エピソードでの妹ちゃんの扱い、完全にNTRものの脚本になってて、ツダケンに寝取られた結果があんな風になっちゃったかと思うと変な性癖を刺激されまくって大変。そのほかにも「そんな救いのない展開にせんでも……」みたいなトラブルがガンガン押し寄せてきて、そんな状態でも最終的にアイドルパワーで打ち破ってしまえるという勢いも良い。TROYCAのアニメーションはやっぱり綺麗よなぁ。ライブシーンもうまいことはめ込まれていたし、それ以外のシーンも「そりゃ延期もするよな」っていうクオリティを維持している。今後とも、このレベルでの作品を提供してもらえるなら続編も追いかけられるだろう。

 あとはやっぱりマネージャーちゃん可愛い。全然意識してなかったのに、途中で「私まだ未成年ですよ!」って言われて「ファッ!?」ってなったわ。

 

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「無能なナナ」 6→7

 とりあえず原作全巻買いました(報告)。まだ読んでないんですが、これからゆっくり読もうと思います。

 こちらも毎週感想を寄せていたので改めて書くこともない作品ではあるのだが、実は私の高配点アニメの中ではかなり珍しい部類に入る。何故かというと、「別に映像部分がそこまで頑張ってないから」である。ブリッジによる作画は特段悪いものではないが、アニメーションとして目を見張るような部分も無い。原作の絵柄からしてあんまり「綺麗な絵だなぁ」と思ってみるような作品でもないので、アニメは原作の普通感も含めてそのまま映像に乗せている。普通、私がアニメを見るときにはやはり「何故アニメにしたんだろう」という部分を重要視したくなるので、脚本・構成に加えて映像作劇の部分も加点要素としてみていくことになる。つまり、映像が平板な作品はトータルで高得点になりにくい。

 しかし今作の場合は、本当にプロットというかギミックというか、原作脚本の時点でもうこれだけの点数をつけてしまえるだけのポテンシャルがあった。度肝を抜かれた1話目で「出オチっぽいけど1話目だけでも面白かったから6点」と判断したわけだけど、そこからきちんと「1話目のギミック」に意味を残し、純粋に延長線上に面白さを上乗せしていった。まさかこの設定、このキャラクターで特殊設定本格推理ものを展開するなんて誰も思わないやん。

 もちろん、純正のミステリとして見た場合には穴もある。特殊設定ミステリってのは設定を盛り込んだ上で全ての別解を排除しつつ推理の整合性を持たせるために尋常ならざる手間が必要になるので、今作がその部分を全てフォローできているとは全く思わない。ただ、ある程度はそうした「特殊設定のハードル」を理解した上で、多少のこけおどしとおもねりを活用しつつ、「そこはそれとして、能力ものとして楽しんで欲しい」というサービス精神に満ち溢れている。読者が求めているものは「完璧なロジック」ではなく「完璧風ロジック」なのである。今作においては、その「風」の見せ方が非常にコスパの良い主軸となっているのだ。

 もちろん、映像部分においてみるべき点が全く無いとも思わない。今のご時世、作画が崩れないというだけでも一定の価値はあるのだし、シリアスと虚飾(ナナから見たら「コメディ」とは呼べないだろう)の緩急はきちんと見せ場になっているし、台詞が多くて冗長になりがちな推理要素についても、ナナとキョウヤのひりつくような駆け引きを中心に、終始緊張感を維持しながら展開できている。この辺りは石平監督の熟練の技というか、普段見せないものを見せられるだけの理解の深さみたいなものが出ている部分なのではなかろうか。改めて、この人が「ログホラ」と「ヘボット」という2作の監督だと言われたら「うへぇ」と天を仰ぐしかない(ログホラ・ヘボット・今作と、全部最終評価が7点なの怖い)。

 あとはまぁ、繰り返しになりますが「大久保瑠美主演・中原麻衣助演」という天地開闢以来の完成度を誇る布陣への感謝ですね。中原麻衣に関しては今更説明不要かと思いますが、私の中の「声優十二神将」の1人であり、不動の神格を持つ声優。彼女は「サイコ」と「レズ」という2本の柱を持つのだが、今回は「レズ」を感じさせずにただただ「女の子どうしの友情」を掘り下げるためだけにその全てを捧げる贅沢なキャスティングである。前にもどこかで書いたが、私の中で百合営業の金字塔はすでに「秘密ドールズ」で確立してしまっているのでね。

 そしてもう1柱の神格である大久保瑠美。彼女の代表役が「直球表題ロボットアニメ」のモリであることは論を俟たないが(ですよね?)、モリにしろ「ゆるゆり」のちなつにしろ、彼女は何故かツインテールと縁が深い。「ピンク髪腹黒ツインテール」は大久保瑠美のイデアとしてまるで誂えたかのようなフィット感があり、今作の大看板を打ち立てるのにこれ以上のキャスティングはなかった。あとはまぁ、彼女の如才なさというか、非常にクールで頭の切れる一面もこの役にはいい具合に落とし込まれているし、今作を放送する上でついでに作られていたおまけ番組「ナナチャレ」でも彼女の勇姿を楽しむことができる。ほんと、なんでこんなにトーク回しがキレるんだろ。今作をもって、私は彼女を神のステージにあげることにしました。それくらいに、尊さが満ちている。

 よし、いい具合にキモい声優語りが出来たので満足です。とりあえずお約束のように「2期はマダカナー」って書いとくけど、原作読んでから言わないとだな?

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「アサルトリリィ BOUQUET」 5→7

 鈍器でひたすら殴り続けるような百合。最初に「タイトルが『暴行百合』ってどういうことやねん」みたいなことを書いてたのだが、まさに百合で殴りつけるような作品だったので大体あってた。

 感想は毎週書いていた通りなので改めてまとめることはそこまで多くないが、毎度のことながらブシロードはコンテンツの作り方が本当にうまいな、と思わされる作品。「スタァライト」の時もそうだったんだけど、思い切り目的を絞り込んで「販促」に徹していて、とにかく届く層に魅力が届けばそれでいいのだ、という割り切り方をしている。スタァライトならば「ミュージカル」という旨味をアニメの中で(無茶なレベルまで)磨き上げ、舞台から入った人はアニメで楽しめるし、アニメから入った層は舞台が観たくなる。その際に「アニメの1シリーズとしての見栄えの良さ」みたいなものはそこまで重要視されないため、観念的な要素も遠慮なくぶっこんで、とにかく「舞台であること」に意味を増し増しで付与できるようになっていた。

 今作も同様に「舞台」がコアに存在しているコンテンツだが、歌い踊る「ミュージカル」であったスタァライトと違って、純正バトル要素を盛り込み、ちゃんちゃんばらばら出来る部分や、大掛かりな戦闘描写をダイナミックに盛り込む活劇の要素が強い舞台である(まぁ、観たことないから憶測ではあるんだけど)。その中に、「バンドリ」から脈々と続く「女の子たちのきゃっきゃうふふな日常」をふんだんに盛り込むためにいよいよもって「百合」をタイトルにまで持ち出し、思春期の少女たちの心のあれこれに遠慮なく踏み込んだシナリオラインを構成する。今更「百合→学園での姉妹関係」なんて繋がりはありきたりすぎない? とか思われそうなものだが、今作ではそこですら開き直って、しまいには結婚を示唆するような過度な情愛を平然と盛り込むし、そんな「乙女どうしが惹かれ合う感情」というパーツに、「まぁ、レアスキルが関係してるかもしれないからね」なんて言い始めてバトルで使われる要素にまで混ぜ込んでしまおうというしたたかさを見せる。「お姉さまが好きだから戦う」とか「妹が大切だから戦う」はいくらでもあっただろうが、「戦いの結果の一部として妹が好きだと思ってるんじゃなかろうか?」なんて話の運び方は見たことがない。挙句に、最後に言及する問題が「百合は何を生み出すことが出来るのか?」という自己言及にまで至る。あれだな、今の時代は百合を作る方も観る方も、精神修行としてひたすら禅でも組んで言及を続けろということだな。

 そうして生み出された「百合世界探訪」が弾けるようなアニメとなり、鮮やかな燃えと萌えの接続を果たす。もちろんあまりにもエッセンスを貪欲に取り込みすぎたせいで筋立てがガバガバになっていた部分なんかもあるのだが、それを飲み込んでなお、鬼気迫る探究心を感じるのである。ただがむしゃらに梨璃と夢結の2人の関係性へと収束していき、一つの卵細胞のようにして大海を漂うその情景は、もう性とか愛とかいう次元の話がどうでもよくなる個にして一の物語であった。

 なんかね、こういう話題を書き連ねてると、自分でも訳が分かんないこと書いてる時があるよ。私は詩人には向かない。

 

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「魔法科高校の劣等生 来訪者編」 5→5

 えっとね、普通だった。これはね、悪口じゃないんだ。思ってたよりもずっと、普通の作品だった。

 なんかこう、勝手な妄想でしかないんだけど、この作品が「ラノベ文化」と「なろう文化」の架け橋的な存在だったのかなぁ、と思う。もちろんこの作品が何かをなした、という意味ではなくて、時代の変遷の中、読者の求める作品の質が変わっていく中で、「ラノベ的な充足」を持ちながら「なろう的な欲求」を満たす先駆け的な作品だったんじゃないかという気がするのである。そのあたりの変化を、当時の私は拒絶した。面白くないと唾棄した。ただ、そんな過程を経て現れた現代のアニメシーンを見続けていて、実はこの変化はさらなる続きがあり、先を見据えた流れの中ではごく当たり前の変化の一環でしかなく、この時代にはまだ「割と普通の小説観」は残っていたんじゃないかと思ったのである。

 残念ながら今期分を観ても特段面白い作品だとは思わない。それも当然の話で、1期を真面目に観ていなかったせいでキャラなんてさっぱり覚えてなかったし、司波家の裏でぐるぐるしてる陰謀なんてものも全く認識できない。そんな状態で「2期」を観て完全に楽しむのは不可能であり、それはこの作品の質とは一切関係ない、「2期もの」あるあるでしかない。その上で、分からないなりになんとなく画面を見て、筋を追っていて、「あれ? 何も嫌うような要素はないやんけ……」と思ってしまったわけだ。それが「普通」である。作画なんかを見たらむしろ気合が入っている部類だし、作画がヘニャヘニャの「ヴァールハイト」を楽しんで観ているのに、今作を忌避するのはフェアではないだろう。

 時間に余裕があるならば、改めて今作1期を観るべきなのだろう。製作陣が変わっているので、もしかしたら1期は本当につまらなかったのかもしれないし、単に当時の私が狭量だっただけなのかもしれない。ただ、まず間違いなく1期を見直したりはしないだろうから、この謎は闇の中である。だからこそ、今作を観ただけで「普通だったな」という感覚は大事にしておかなきゃいけないだろう。今後も次々と新しいアニメは生まれてくるし、アニメファンの求めるものは変わり続ける。そんな中で、今吐き捨てているものが、もしかしたら改めて価値を持つ時代も来るかもしれないのだ。そんなことを考えながらアニメを観なきゃいけないとなると、やはりこの道は修羅の道であることよ。

 んで、なんで妹単独でアニメ化やねん! いい仕事だね! キモウトさん、やっぱり単体で輝いてるもんなぁ。こんだけ臆面もなく妹エンドを叩き出せる作品、なかなか無いだろうに。

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「ヒプノシスマイク -Division Rap Battle-」 6→5

 やっぱ抗争始めようとするチンピラとか軍隊が突然マイク取り出す様子は何回見ても慣れない……。そう考えると、マイクとか無しでフォニックゲインを高めてるシンフォギアはまだ空気読めてるよな。まぁ、最後がフリューゲルで終わるところは同じだけどな(あれはフリューゲルなのか)。

 1話目で「ファニーだな!」と感じたその内容は特に変わらず。最後までバカバカしく、どこまでも突き抜けた世界観には違いない。ただ、ぶっちゃけ「慣れた」というか「飽きた」というか……毎週マイクでバトルする展開は変わらないのだからその周りのお話で盛り上げてもらわなきゃならんのだが、この作品って、「マイク」と「ラップ」を取るとすげぇ普通なんだよな。いや、そりゃ一番大事な要素を取り除いたら何も残らないに決まっているのだが……出来ることなら、そうしたツールに「慣れてきた」後にも引き続き空いた口が塞がらないような「もう一歩」が欲しかったところ。バトル展開とか、ガワを剥がすと見どころが無いんだよな。

 まぁ、その「ガワ」はやっぱり面白かったけどね。わけのわからん職業の連中が集まってるおかげでラップの言葉選びが「いや、その職業でもそうはならんやろ……」みたいなお花畑な内容になってるし、こんだけむちゃくちゃにされた世界の割にどっかで社会常識を守ろうとしているようなラップの構造はむしろそれ自体をギャグにしている感すらある。「思ったよりおとなしくなった」とは思うが、それでもやっぱり4チーム入り乱れての覇権争いの賑やかさは見ていて楽しい部分であるし、毎週「今回のラップはどんなテーマじゃろか?」というところだけ見ていてもPVとしてそれなりに見ていられるのである。

 あとはまぁ、結局俺はラップバトルにあんまり興味がないんだろうな、っていう結論になるだけだ。どうにも古いタイプの人間なのか、好きな音楽なら繰り返し聞きたいし、自分でも歌いたいのよね。ラップバトルってその場でのインスタント勝負だから再現性が著しく低くて噛み締められる感じがしないのよね。いや、でもカラオケにめっちゃ曲入ってるんだけどな。ファンの人はこれ全部覚えた上でカラオケで歌ってるんだろうか。ラップ好きってすげぇなぁ。

 

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「神様になった日」 5→3

 私の頭の中の滝昇がいちいち出てきて「なんですか、これ」っていう。いや、もう揶揄とかでもなんでもなくて、本当に分からん。なんだったんですか、これ。

 映像部分はよかったですよね。P.A.WORKS大好きおじさんがフォローすべき部分はそこだ。ヒナは最後までちゃんと可愛く描けてた。そこはOKだ。ただ、可愛い子には何をさせるべきなのか? そこがなんだったんですか、これ。

 結局私はこの作品の脚本を書いている麻枝某という人物のことがよく分からない。「CLANNAD」は非常に良い作品だと思ってたのに、そこから先のP.A.WORKSとの連携では毎回「なんですか、これ?」なのだ。いや、正直2作目に至ってはあんまり中身も覚えてないんだけど……3作目となる今作は、随分間も空いたし、私の視聴姿勢も色々と変わっているかもしれない、ってんで一応ちゃんと見てたつもりなんですよ。……ついていけるところまでは。

 結局「佐倉ボイスの幼女の脳をぐちゃぐちゃして、機能不全にして抱え込みたい」っていう異常性癖が突き抜けた作品だったんだろうか? 何故あの導入、あの中継から、このエンディングにたどり着くんだろう? ごめん、マジで理解が追いつかない。あのスタートだったらこの終わり方じゃなかろうし、この終わり方ならあの繋ぎ方じゃないだろう。一連の久米田作品みたいに、「最後をシリアスで終わらせることも一種のネタみたいなもの」と解釈すればいいのか? それにしちゃぁシリアスの趣味が悪すぎるし、そこに至るまでの導線が雑すぎる。「ヒナが好きなんだ」って言ってて、一番驚いたの主人公じゃないの?

 とにかく分からないことだらけの作品だったので、どこを突っ込んでいいかも定かじゃない。わかっていることは、私の中ではこれで何かが3連敗したということだけである。流石に今回の経験はキツかった。今後、4度目があった時に、私はついていけるのだろうか。

 

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「ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」 6→7

 Q:現在最新のガンダムアニメといえば? A:ラブライブ。

 推せるアイドルでしたね。もともと良い作品だとは思ったが、最終回で不覚にもうるっと来てしまったので勢いで加点。今期は割と良作が多かったので、多少贔屓目に配点して差別化を図ることにしましたよ。

 今作でとにかく感心したのは、この構成そのものである。過去にラブライブシリーズは2組のユニットを世に送り出し、文句のない成功を収めている(Aqoursについては若干の議論の余地はあるかもしれないが、知名度と人気で言えばやはり一級品には違いないだろう)。そのような状態での3期だか2.5期だか微妙な新規プロジェクトを押し出すにあたり、普通は過去の成功をなぞったデザインで提供するのが安全策だ。しかし今作は、そうしたバントのような安全策を取らず、「1人1人がアイドル。全員がライバル」という新しいデザインを強く打ち出し、これまでに無い形でのシリーズ構成で魅せるチャレンジに出た。どうしても視聴者サイドは「1つのユニット」としてのラブライブ作品に馴染んでいるためにこうしたバラ売り感の強い配置では、下手をしたら空中分解してしまうおそれもあったのだろうが、そこをうまくつなぎとめるかすがいの役割を果たしたのが、「私」の具現化というこれまた斜め上の発想から生み出された侑ちゃんである。侑ちゃんの存在は見事に「個々のアイドル」をまとめ上げる同好会の主軸となり、さらに野放図に広がりかねない1クールアニメの方向性を定めるための縦軸の物語を構成する中心要因となった(そのおかげで歩夢があんなことになった)。とりあえず、このデザインが狙い通りにいったというだけでも興味深い部分である。

 あとは、そうして用意された舞台の上で、個々のキャラクターがどれだけアイドルとして魅力を発揮できるかという勝負。お当番回が1回ずつあてがわれ、それぞれにソロ曲を持ってのライブを行うというのが大前提。これまたお仕着せであれば単なるルーティンワークになってしまいかねない部分なのだが、縦軸の物語との接続もそつなくこなし、「自己紹介」がわりのエピソードを並べたてた結果が綺麗に繋がっている。これまでのラブライブシリーズが大きなコース料理であるとするなら、このニジガクは次々と違う献立が試せるバイクング形式みたいなもの。そして、どの料理も互いに邪魔をすることなく、最後のメニューへの導線になっているのである。視聴者側が「どのように観るべきか」という体勢を早々に整えられるように分かりやすい作劇を徹底しており、シンプルに「次の料理はなんだろうね」とワクワクできるようになっているおかげで、たとえ1つ2つ好みに合わない皿があったとしても、あまり大きな瑕疵には感じられないのである。繋がりが密でないことを、逆に武器にしているともいえるだろう。

 もちろん、こうしたライトな感覚を「物足りない」と感じる人もいるとは思うが、もともとがソシャゲから生まれたプロジェクトであり、これが「ソシャゲの販促」であることを考えるなら、現代のアニメ観・ゲーム観に即した面白い攻め方であるってのは認めても良いと思うんだ。常々書いている通りに、私はとりあえず見たことないことにチャレンジしてみるという作品作りが好きなのである。

 あとはまぁ、個々のキャラにどんだけ推しができたかって話で……1人1人にスポットがたくさん当てられるおかげで、まっさらな状態から視聴した私からすると、もしかしたら過去3組の中で一番入り込みやすかったかもしれない。はっきりは覚えてないけど、アニメ1期目終了の時点って、μ‘sAqoursも全キャラをきちんと把握できてた自信が無いのよね。のんたんが完成形に至ったのなんて2期後半だし。Aqoursに至っては果南とか今だにピンと来てない可能性があるし(ひでぇ話だな)。ニジガクで推したいのが誰かと言われると悩むところだが……かすみんが予想以上に可愛かったのがちょっと悔しい。矢澤なんて俺は全然刺さらなかったからあの手のキャラはどうでもいいと思ってたのに……。あとは璃奈と、愛さんのカップルかなぁ……果林さんの「お前、別に歳は大して変わらんのになんでそんなに熟練の空気出してんの?」感も割と癖になる。優木せつ菜がみせるポンコツムーブも捨てがたいしなぁ……うーむ。まぁ、こうして悩めるというだけでも幸せというものだろう。

 今後もラブライブプロジェクトは続いていくだろう。ニジガクがアニメで今後展開されるかは分からないが、もし実現するなら、今度はちゃんと「わかった」上で追いかけられることを嬉しく思うよ。

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「ご注文はうさぎですか? BLOOM」 5→5

 あいも変わらず、以外の言葉が見当たらぬ。でもなんだろ、今期はそこまでクリティカルに刺さった印象は無かったかな。いや、これまでも別に無かった気もするけど。

 この手の作品の割には、一応それなりの進度で作中時間が進んでいるのは特徴で、3期目となる今回は割とそのあたりの「変化」がフィーチャーされているので「変わり行くもの」を忌避してしまいがちな私には何か抵抗が生まれた可能性はある。つまり、チノちゃんには永遠の中学生であってほしいという気持ちがどうしても作中時間との齟齬を起こしてしまうわけだ。でもまぁ、みんなして少しずつ自身の成長を感じて、変わっていこうとする様を見るのもそれはそれで劇的ではあるので、実に難しい問題だ。そして、難しい問題を考えながら観る作品じゃないやろ、ということを考えてしまうのが難しい問題だ。

 まぁ、今後とも変わらぬパワーでもってこの世界は守り通してほしいとは思いますよ。正直、キャスト陣があれでナニなので、もうアニメの続編を頑張らずとも無限にドラマCDを作り続けるとかでもいいんですけどね。こんだけ甘ったるさに全振りしたキャスト配置って、なかなか無いよなぁ。甘兎庵に骨を埋めたい人生だった。

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「安達としまむら」 5→5

 個人的には「日野とながふじ」だったら7点くらいつけてたと思います。日野のお母ちゃんのCVとかでさらに加点が続くし、何よりも永藤が終わりなき永藤だから。そっち方向のスピンオフとか無いの?

 色々と難しい作品である。真剣に向き合わなきゃいけない作品だとは思ったのだが、なかなか良いところを拾いにくい作劇になっていた気がする。一番の難点は、やはりアニメ化が難しいデザインそのもの。モノローグ中心の作劇になっているので、アニメーションにした時に画に見どころが乏しく、1枚画で引き込めるほど作画レベルが高くない。キャラデザなどの見栄えで勝負するべき作品だと思うのだが、どうにもデザインが安定せず、余計な心配ばかりが目について素直に「かわいい」と思いづらかった。そして、画で引っかかるとモノローグとの接続もノイズが増えてしまい、なかなかその精神性に寄り添いづらい。

 そして、寄り添いにくさという意味では扱われているテーマそのものが正面から見辛い。というのも、他作品でも何回か言及している部分なのだが、わたしゃ(身につまされるからなのか)コミュ障がコミュ障部分で悩んじゃうというテーマがどうにも苦手なのである。「ひとりぼっちの○○生活」みたいに完全にネタ扱いしてるのもキツいのだが、今作における安達は間違いなく疾患に近い精神的な問題を抱えている。思春期の情動の一種だと思えばそこまで深刻に考える必要もないのだろうが、彼女が内へ内へと入り込んで煩悶している様子を見ると、恋愛ごとで思い悩む可愛らしい少女という以前に、社会に溶け込めずに忌避してしまうドロップアウターの懊悩が見えてしまうのである。そして、安達はそうした社会との断絶を救済する存在としてしまむらを置いてしまっている。単純な恋愛要素で処理するならば(ほぼ)対等であるはずの「恋人」関係になるはずだが、この2人の関係においては、常に「しまむらが救うもの、安達は救われるもの」という構図がちらつく。実際にそうではないとしても、そう見える部分がある。そのことがどうしても気がかりになってしまった。

 まぁ、最終的には安達はそうした障壁を乗り越えて大望を成し遂げることになるのだから結果オーライだし、安達の精神性から逃げずに描き続けた「世界と、恋心と」という2つの命題を結びつける百合ドラマってのはむしろ私好みの設定ではある。これで宇宙人がちょろちょろ出てきて話をわけのわからない方にかき回すような要素がなければ、もう少し入り込みやすくもなったし、真正面から受け止める覚悟もできたのだろうが……肝心なところでのはぐらかしが、「ずるい」と思ってしまうのである。最後の最後で決めるまでの「溜め」の部分が、なんとももどかしく見えてしまうのである。極まった世界を作っているのは間違いないので、ほんのちょっとベクトルがずれていれば大ハマりした可能性もあるのだが……。

 まぁ、好きなものだからこそ、身構えて「騙されないぞッ!」みたいな姿勢で観てしまうのは悪い傾向なのかもしれない。素直に漏れ出してくるエッセンスを飲み干せばそれでいい作品だったのかもしれない。じゃぁ、永藤おかわりもう一杯。

 b

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