忍者ブログ
最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
[83] [84] [85] [86] [87] [88] [89] [90] [91] [92] [93]

「虚構推理」 5→4

 欠損萌えの新たな発生地。ここから新たな性癖に目覚めてしまう青少年がいたらなんとも罪深い話である。いや、でも欠損痴女はなかなか見ないジャンルだな……。

 これまたご多分にもれず、「推理もののアニメ化は難しい」という宿命に則った作品である。終始画面が地味なものになりがちで、ひたすら説明を続けられるだけなので「別にアニメじゃなくてよくね?」という感想で事足りてしまう。わかっちゃいたことだろうが、そう簡単にブレイクスルーできるものではないだろう。それでは何故、今作がわざわざアニメ化されるに至ったのか、その部分はなんとなく察することができる。

 1つは、今作が狙ったコンセプトに一定の新奇性が感じ取れること。単なるミステリではなく、「嘘でもいいから相手を説得してレスバで勝てばそれが真実」というセッティングはそれなりに興味深く、例えばそのために探偵は超常的な方策でもって最初から事件の真実を知った状態でスタートするし、荒唐無稽な推理であっても、「聴衆が興味を持ち、面白いと思ってもらえたら勝ちやすい」なんてのも既存のミステリとは一線を画す設定だ。そのあたりの世相というか、ネットで沸き起こる噂やデマの類をミステリの真相と絡めるというのはチャレンジに違いない。

 ただ、残念ながらそのチャレンジは成功しているとは言い難い。「どこまでいっても推理は虚構」というのは、実はミステリ業界でも永遠のテーマではあり続けており、結局は探偵側に集められた手がかりを都合の良いように解釈して「一番ありえると読者が思える解答」を導き出すのが探偵の役目。例えば突然透明な宇宙人がやってきて被害者を暗殺する可能性は絶対に考慮されない。なればこそ、そこに「虚構」を大胆に持ち込むことも許されるのではないか、というのが本作のチャレンジだと思うのだが、やはりそこには視聴者側の認識に大きな隔たりがある。

 結局、ある程度の暗黙の了解がある状態で互いに「分かってて」書かれ、読まれるのがミステリであり、そこを大胆にぶっ壊して、新たなルールを設定しましたと言われたところで、なかなか折り合いをつけるのは難しい。そのために必死に「未来決定能力」などの補助装置を用意しているわけだが、現時点ではそうして設定をして回った分の労力に見合うだけのペイが出ているとは言い難い状態だ。暗黙のルールをぶっ壊して設定されたものは結局「作者に都合のいいルール」でしかないわけだし、想定された「ネットの聴衆」の動向にはロジックはない。そのあたりにもっと厳密なルールを課せば正当性は上がるのかもしれないが、そうするとせっかくブレイクした部分の妙味が薄れてしまう。どうにもコスパの悪い設定である。

 ちなみにもう1つ、今作がアニメ化された要因だと思われるのは非常にわかりやすい側面で、「そりゃ、女の子が可愛くコミカライズされてんだから、アニメにしてもウケるだろ」という判断である。こちらはまぁ、至極正しい判断であり、実際、おひいさまはかわいい。私はどっちかというと紗季さん派であるが(中の人の影響も大いにあるな)、非常にキャッチーな設定のヒロインがあけすけに主人公とイチャイチャしながら突拍子も無いことをやっていく基本設計は、まごうことなき萌えアニメのフォーマット。そりゃアニメにしたくなる気持ちもわかる。ただ、如何せんベースが「推理もの」であるため、いざ話が始まると頑張って整えた萌えの文脈を活かす場面に乏しく、結局1話目とか最終話とか、おひいさまがイチャイチャするシーンが多い方が面白いという本末転倒な結果になってしまう。延々顔のない妖怪と殴り合う主人公の図がダラダラと流されるだけの画面は、不死設定も相まってまったく緊迫感がなく、せいぜいスクリーンセーバーくらいの扱いである。そうしないと画面が保たないという時点で、やはりアニメの映像としては力不足の感は否めない。

 キャラデザを含め、萌えキャラ方面の強度は充分なクオリティに仕上がっていたので、なんだかもったいない話である。「推理とかいいから、もうずっと下ネタトークを続ければいいのでは?」という身も蓋もない結論になるな。

 結論・上坂すみれがアイドルになるとだいたいイロモノ。

 

拍手

PR

「22/7」 4→3

 で、なんやったん? 俺の好きな四文字熟語は、「支離滅裂」だぜ!(CV村川梨衣)

 まぁ、正直第一印象は悪かったですよ。主に中の人の凄まじさが原因だけど、そもそも秋元系プロジェクトに対しては偏見に近い印象しかもってないし、此の期に及んでまだ「アイドルアニメ」を繰り出してこようってんなら、そりゃ色眼鏡で見てしまってもしょうがないだろう。その上で、「壁の設定とかがあまりに突飛だし、突き抜けたら『AKB0048』みたいに変な方向に化ける可能性はあるな?」という期待もあった。しかし、今作は残念ながら突き抜けることはなかった。いや、確かに突飛な要素はたくさんあった。ただ、それは本当に理解できないだけであり、「支離滅裂」でしかないのだ。このアニメは、一体アイドルという職業の何を伝えたかったのだろうか。一番読み取りやすいメッセージは、「アイドルは超越的な存在から命令されることをただひたすら機械的にこなすだけのシステムなのだ」というどうしようもないものだけだ。最終回ではそれをぶち壊すことでカタルシスを得ようとしたのだろうが、「壁」という存在がそれまでのストーリーで成立すればこその「破壊」である。なんだか分からないものをなんだか分からないうちに壊されたところで、「まぁ、こっち系のアイドルってなんかぶっ壊してアナーキーなイメージ出すことあるよね」くらいにしか響かないのである。

 結局、アニメファンは「アイドルアニメ」に何を求めているんだろうか。私は少なくとも今作におけるアイドルの扱いに楽しさは一切感じなかった。よく分からないうちに集められたこと、ろくに意思疎通のフェイズも設けずになあなあで結びついたこと、1年の活動期間で国民的アイドルになった理由がさっぱり分からないこと、そして分からないままに解散騒動で友情が深まった気分を醸し出したこと。要素としては何も間違ってはいない。過去のアイドルアニメと同じ「事象」を辿っているはずだ。しかし、我々が見たいのは事象ではない。内実なのだ。アイドルという総体ではない。個々のキャラクターであり、人間が起こすドラマなのだ。「壁」のシステムは、お手軽に事象を連ならせ、その間にあるはずの最も重要であるはずの要素を廃却した。これで、何を楽しめというのだろうか。

 まぁ、一応キャラクターデザインに力が入っており、キャラ絵などは独自路線で魅力を生み出そうとしていたことは伺えるのだが……流石に今回のアニメを見て、「よし、このアイドルは是非応援したいな!」と思う酔狂な人間は現れないのではなかろうか。まぁ、これ以上推しコンテンツが増えても困るだけだけどさ。

 それにしても、中尾隆聖はよくアイドルユニットに迷惑かけるよな……(参考・WUG)。

 

拍手

「推しが武道館いってくれたら死ぬ」 6→6

 オタクってのはつくづく幸せな生き物だよなぁ、ということを感じさせてくれるアニメ。これだけ暗澹たる世の中なだけに、生きるための糧は多いに越したことはない。些細なことでも天上の快楽を得ることができるオタクは、たとえ周りからどう見られていようとも幸せな生き物に違いない。

 素直に気持ちの良いアニメになった。原作の時点でそれなりに好きなつもりの作品だったんだけど、アニメになってキャラクターデザインがシュッと見やすくなったおかげだろうか、もしかしたら原作よりも馴染みやすくなっていたかもしれない。もちろん原作絵には原作絵の良さもあるだろうが、アニメ化するに当たって作られたキャラデザは線を少し減らし、それでいて原作絵の持つ細やかさを体現できるバランスになっていて、アイドル連中が本当に「あ、これは現実にいたら可愛いやつだな」ということが納得できる。まぁ、この絵だとモトイさんの妹の玲奈ちゃんだってめっちゃ可愛いし(一応アイドルにそっくりっていう設定だし)、なんならえりぴよさんが可愛くも見えるのだから困ったものだが。まぁ、我らが主人公・えりぴよさんは、そうした外見の些細な要素など吹き飛ばすくらいに歪んだパワーに満ち満ちておりましたが。

 今作の良いところは、「クソオタク」という題材を決してネガティブな文脈で描いていないところである。世にオタクを題材にした作品は数あれど、そのほとんどは主人公サイドに引け目や負い目があり、こそこそと日陰の生活を送っていたり、逆にそんな鬱憤を変な形で発散させてしまったり、基本的にマイナスのステータスからスタートさせることが多い。それに対し、今作では(確かにえりぴよさんの生活には色々問題はあるが)決してオタク活動が後ろ暗いものとは見なされておらず、人生の全てを費やすに値するものとして、非常に前向きに描かれているのだ。その結果としてアイドルとの恋愛感情なんかにもつながっていくので「オタクの妄想」の極致といえばそれまでなのだが、何故だろう、あまりそうした臭さというかいやらしさを感じさせず、「あぁ、楽しそうだなぁ」ということだけを伝えてくれる。私はドルオタでこそないものの、こうして1つのコンテンツに振り切った愛着を示す心持ちは理解できるつもりだ。やってる本人は本当に楽しいし、周りで同じように熱を持っている人間は皆幸せだからそうした活動に邁進できる。そんな前提があるだけで、今作は気持ちの良い作品なのである。

 そして、そんな「オタクもの」の中に遠慮なく混ぜ込まれていく百合成分。原作ではあんまり感じなかったのだけど、チャムの内部の関係性も色々すごいことになってるので、かなり濃密な感情のやりとりが行われる世界であるな。これ、別にえりぴよさんが男性だとしても問題なく成立するお話ではあるのだが、そこの性別が逆転するだけで、何故か「都合の良すぎるオタクの妄想」という印象が薄れてしまうから不思議なものだ。最終回エンディングとか、思いがけないところから膝を撃ち抜かれてもんどり打ってしまった。そこでのデュエットは卑怯やろがい……しかも、デュエットで二人して「片思い」を歌いあげるのがこの2人なんだよ。ちくしょう、なんてことしやがる……。

 そのほかにもぐう聖というしかないくまささんのまっすぐさとか、ドルオタ入門編ながらも着実に沼にハマる様子が初々しい玲奈ちゃんの様子とか、見ていて楽しい要素がそこかしこに散りばめられていて、ラブコメもの・オタクもの・シュールギャグなどなど、多方面に楽しむことができる作品でございました。そして、やっぱりそんな作品の中心になって引っ張ってくれたのはえりぴよ役、ファイルーズあいだったんじゃなかろうか。このパワー、やはり何かオンリーワンなものがある気がするな。

拍手

「マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝」 6→5

 「おっ、この世界線のマミさんはなかなか頼りになりそうやんけ!」→「あっ(察し)」。

 こうして数年越しで絶望にまみれるマミさんが見られるというだけでもありがたい話ではあるが、さて、結局この世界は本編とどんな繋がりがあったのか。そのあたりの整合性はあんまり考える意味はないのかしらね。とりあえず、本編のことは忘れて観るのが正しい、と割り切って受け止める。

 本編とのコネクションがなくなってしまえば、結局本作は「ソシャゲアニメに成功無し」の一例として並ぶことになってしまう。「まどマギ」ワールドの持つ凄絶なドラマ性はどうしたって薄まってしまうし、芯となるシナリオは結局わかりやすいバトルものの構図だ。どうしたってゲームのシステムにのせるにはこういうシナリオにする以外にない。本編の持っていた最大のセールスポイントは、ほぼオミットされてしまったとみていいだろう。

 その上で、「アズレン」「FGO」ほど点数を下げなかったのは、一応シリーズ作品として片足を突っ込んでいたおかげだろうか。最初からどういう作品が来るのかという気構えがあれば、どれだけ肩透かしだったとしても、持ちうる美点を受け入れることは可能である。本作の場合、アートデザインを作成するイヌカレーは本編からの引き継ぎであり、世界設計に関しては充分に既存の作品に肩を並べられるものになっている。また、この世界の魔女の造形などはハナから「訳のわからないもの」としてデザインされており、シナリオを追いかける上で「訳がわからない」という部分があまりネガティブな印象を与えない。むしろこのトリッキーな演出こそが最大の見せ場であるから、「何が起こってんねん」と思いながらもそんなカオスな情景を楽しむことは可能だったわけだ。まぁ、現代芸術みたいなものを美術館に見にいて「あー、完全に理解したわー」って言ってるのと構図としては大して変わらん気もするけど。

 あとはまぁ、「町の怪談話」をテーマとしてその出どころを1つ1つ当たっていくっていう構造(おそらくゲームではこれがステージとか章の概念になるのだろう)が細かく区切りになるので、何もわからない部外者でもシナリオを追いかけやすかったってのはあると思う。あんまり謎や伏線をごっそり抱えた上で進まれると「もう何がなんだか」ってんで放棄したくなるけど、ステージ構造さえ理解できれば、そのエピソードでまとまった要素が理解しやすいのでね。元がアニメから始まったソシャゲってことでそのあたりは移植しやすい部分があったんじゃないかな。

 とりあえず、お話は全然すっきりしないところで一旦休止。2期目がいつ始まるのかは定かでないが、多分その頃には今回の設定全部忘れてそうな気がするな。まぁ、世界のあり方を揺るがす中原麻衣がいることさえ覚えておけばいいか……(平常運転)。

 

拍手

「異種族レビュアーズ」 5→6

 とにもかくにも、制作スタッフにはお疲れ様といいたい。規制に負けずに、よく戦った。その戦いに意味があるかはまた別の話。チャレンジあってこそ進歩は生まれる。チンポも擦れる(うまいこと言うた)。

 これの評点あげることで人間性を疑われたりはしないだろう。アニメを観る人間は、きちんとアニメと現実の区別がついているお利口な人たちばかりなのだ。まさか今のご時世で、数々の放送局からお断りを入れられて放送できなくなるアニメなんてあるわけが……うぅん。我らがKBS京都はきちんと最後まで放送をやりきったのだぞ。さすが京都、悠久の歴史の中で、この程度の放送は造作もないことよ! まぁ、俺はAT-X版で観てたから関係ないんだけども……。とにかく、そうしてきちんと「やるべきこと」に踏み込んだ結果の放送規制。いわば名誉の戦死。それだけでもまず頑張ったと讃えてあげていいだろう。

 で、そんな作品が楽しくなっていたのは、別に「うわー、エッチなアニメだ〜! おっぱいだ〜! ×××だ〜!」なんて中学生みたいなはしゃぎ方ができたからではない。踏み込むべきところに踏み込んだ結果、きちんと新しい扉を開けることができたからである。本作はエロ要素が真っ先に目に入るわけだが、そのエロを目新しいものにするための「異世界」要素も抜かりない。というか、そもそもの制作理念が「ダンジョン飯」の風俗バージョンなわけで、「いろんな種族がいたら性風俗はどうなるんだろう?」というもしもの世界を、面白おかしく、時には意外な形で描いてみせる手管に抜かりはない。もちろん中心にあるのはギャグなので「いや、それは世界観としておかしくない?」みたいな要素もちょいちょい挟まってはくるわけだが、それこそ「こまけぇことはいいんだよ」の精神。とにかくエロに特化した異種族のお店がたくさんあったら、男たちが夢見るどんなプレイができるんだろうね、という妄想日記をひけらかし、そこに個性が出ていれば目的は果たされるのである。人間には三大欲求があるのだから、「ダンジョン飯」が評価されてこれが評価されないというのは不公平というものだ(ダンジョン飯のファンから怒られそうだな……)。そのうち睡眠欲を満たす異世界ファンタジーが出てくるかもしれませんね。いや、多分俺が知らないだけで既にあるんじゃねぇかな。

 「異世界モノ」としてのファンタジー要素をきっちり果たしながら、あとは下世話なネタ回しで楽しむだけである。まぁ、絵柄が絵柄なのでこれを見ただけでシコリティが止まらない、なんてことは全然ないし、ぶっちゃけAT-Xでおっぱいが見えたからってそんなに差があったわけでもないのだが、「複数人のレビュアーによる様々なお店の解釈の差」みたいなものが出てくるので紋切り型の評価で終わっていないのは面白い。人間社会だけでもこれだけの性癖があるのだから、種族が広がればその可能性は無限大。まぁ、おかげで毎週のようにミツエ嬢が出てくるのは勘弁して欲しかったが……わざわざ毎回登場するサキュ嬢にはちゃんとオリジナルでキャストを当ててくれていたり、本作のメインコンテンツたる女の子の描写に力を入れてくれているのは良いところだ。

 せっかくなので個人的な性癖から評価しておくと、一番興奮したのは間違いなくメイドリーちゃんのゴーレム回ですね。あれだけを突き詰めた設定が多分一番良い。キャラクター単位で分けると一番刺さるのがメイドリーちゃん、時点はクリムきゅん。……結局、一発勝負じゃなくてキャラクターってのは積み重ねですからね……いえ、決して「顔文字ネキの喘ぎ声が聞けるだけでたまんない」とか「富田美憂にこんな仕事させてる罪悪感だけでご飯3杯は軽い」とか思ってるわけじゃないですよ。えぇ。

 さぁ、この漫画の薄い本を出すのです(意味あるか?)

 

拍手

「ポチッと発明 ピカちんキット」 ー→6

 おい、嘘だろ、お前、終わるのかよ……流石にこんだけ長い作品だとロスがキツい……。

 確認したら、放送開始が2018年の1月期。つまりまる2年以上のお付き合いになったわけだ。毎週毎週、だいたい適当に流し見するだけの作品だったが、そうして付き合い方の方がかえって依存性も高まるのかもしれない。来週からエイジに、ポチローに、そしてギバさんに会えなくなるという事実は如何とも受け止め難い。誰か助けて。なんで朝番組ってこうも喪失感が強いんだろう。

 本当にしょうもないアニメである。朝アニメに特有の「遠慮ない狂気」が見え隠れする時もあったが、それでも「ヘボット」みたいな爆発物ではなかったし、ピカちんキットの新作が出なくなってからは、そこまで刺激的な内容が多かったわけではない。特に後半戦のバッジシューター編になってからはだいぶ惰性で動いてる感があり、ピカちんロボの出番が減ってしまってからは微妙な印象の回も多かった。しかし、それでも毎週ピカちんワールドに触れ続けているという事実は大きかった。どうでもいいYoutuberとのコラボ企画でもなんでもいいので、とにかくピカちん博士の茶番が見られるだけでよかった。我々はもう、二度とジミー君の悪そうな笑みを見ることができないのである。なんてこった。

 喪失を嘆くことは思考の停止だ。ここは無事に2年もの放送に幕を下ろし、大団円を迎えたことを祝す方向に舵を切るしかなかろう。最終回ではたくさんのキャラが総出演してこれまで溜めに溜めたギバ君シナリオのクライマックスを迎えた。プロポンまで出てきたのに他のピカちんロボがあんまり出てこなかったのは納得いかねぇが……まぁ、ピカちんロボって全部呼ぼうとすると地味にものすげぇキャスト呼ばなきゃいけないからしょうがないか。とにかく最終回っぽい雰囲気をそこかしこで醸し出しながら、きちんとエイジの人生の伴侶に答えを出した。考えてみりゃ、「未来からきた少年の手で、メインヒロイン(と思しきキャラ)と主人公がくっつかないことが確定している世界線」ってすごい設定だよな。巡り巡って、最終的に真ヒロインとサポートキャラとラスボスのCVが全部寿美菜子っていうわけのわからない世界になってしまったわけだが、最初からギバさん派だった人間からしたら、2年がかりでようやくたどり着いたトゥルーエンドである。エイジもきちんとそのあたりの判断ができる男でよかったよ。

 この2年間でいろんなことがあった。エイジの中の人が産休とったのはもう随分前のことになるし、なぜか少しの間だけポチローが声変わりしたなんてこともあった。最終回を迎え、気づいたらギバさんの中の人がイギリスに留学したりもする。時代が流れ、ピラメキは次の世代へ受け継がれていくのである。また、新たな世代で次のピカちん作品が生まれることを願っております。

拍手

「耐え子の日常」 ー→5

 書く意味が全く無い感想やな……。いや、でも、なんか、こう、嫌いじゃない……。

 日本全国でどれくらい視聴者がいたのかもよく分からないわずか2分のショートアニメ。いや、でもこの2分間で走り抜けてくれる感覚はまごうことなきショートアニメの生き様やで。ちなみに普段ならスルーしかねない枠をわざわざチェックしてた唯一にして最大の理由は、主人公の耐え子以外のキャストがなぜか響所属声優で埋め尽くされていたからです。愛美・紡木という、「響所属のヤベーやつ」2人の共演作品になってたからです(あととのぴーもいるよ)。そして、今作は耐え子以外は全員ヤベーやつというわかりやすい作品世界になっているので、ヤベーやつのヤベー演技が素直に楽しめるのです。前から言ってんねん、実は界隈で一番ヤベーやつは愛美だって。ナチュラルサイコパスを演じさせるとすごくハマるんだって。

 最終回で掟破りの愛美歌唱まで乱入してきたのは最高でした。こういうのが終わると、地味にロスがでかかったりするのが怖い。

 

拍手

「織田シナモン信長」 6→6

 猫も好きだけど犬も好きぃ……。これにて謎のケモクール終了。半年間ずっとケモ要素に浸かりっぱなしだったが、一体なんだったんだろうな……。

 ギャグアニメなので好き嫌いははっきりするタイプのやつだろうけど、僕は大好きだったんですよ。どんどん癖になっていく芸風が悔しくすらある。いや、別にネタ回しが特別斬新だったり面白かったりするわけではないのだが、なんだろうね、適度なユルさの中にちょっとしたスパイスを混ぜたくらいのバランス感な。こんな設定の話なんだから戦国ネタをゴリゴリに詰め込んでくるし、ありきたりな武将いじりが出てくるんだろうな、と思ってたんだけど(まぁ、実際そういう要素も多いけど)、意外とニッチな戦国トリビアでネタを回してきたり、もう武将云々が関係なしにとにかく犬要素で愛嬌を振りまいたり。そして最近のアニメではお約束のBLネタ、オタクネタ。そういう欲張りなネタ回しが、1話に1個くらい刺されば儲けもんですよ。あとはほら、柴犬の愛らしさでなんとかしてくれるから。

 そして、何と言っても私に刺さりまくるのは中の人要素のフル活用。下手したら今期もっともベテランを贅沢に使った作品になってんじゃないかな。賢雄さんと玄田さんあたりは割とこういうネタにホイホイ出てくるイメージあるんだけど、古川さんとか中尾さんのやりたい放題は今の時代には本当に貴重。まさかご本人の描いた犬の落書きがあんなに堪能できるとは……(そこかよ)。挙句次回予告では毎回おっさん声優が顔出しで犬と触れ合ってくれるという誰得サービス。「犬と戯れる部屋着の玄田哲章」とか、もう絶対他で見られない絵面やぞ。古川さんも賢雄さんも、みんなして犬の前では等しく笑顔。良き哉。

 直司は業界一有名な犬で間違い無いんだろうな。

 

拍手

「恋する小惑星」 6→5

 どっかで見た「すずはみゃー姉と松本の間にできた娘」っていうのがすごくしっくりきて笑ってしまった。確かにそんな雰囲気あるよな。気質が松本、声だけみゃー姉(何故か松本の声は先生の方に遺伝した)。

 軽い冗談から始めてみたが、改めて、きらら系作品の新しい時代を感じさせる作品である。テーマ設定が斜め上すぎるのでそこをどう料理するかに注目が集まりがちだが、それ以外の部分、「女の子の可愛いを見せるよ」という最大級の目的についても、従来通りの方法論を踏襲し、その上でテーマを料理するためにあれこれと考えてくれているのが分かる。頑張る女子高生の姿は永遠不滅の存在なのだ。

 そんなこと言っておきながら評点は削っているのだが、これはひとえに、なんだかもったいなかった気がしたため。何がもったいないって、どうにも話が性急すぎた感があるのだ。1クール12話という尺の中で何をするかは原作の区切りとの兼ね合いもあるのだろうが、せっかく興味深いテーマで、女子高生どうしの関係性も色々と掘り下げようがあったとは思うのだが、1クールで先輩の卒業に新入生の加入、そして最大のイベントであるきら星チャレンジまで、とにかく目まぐるしく情勢が動き、周りの人間関係も刻一刻と変化する。そうした状況下で、一気に溢れ出てきた新キャラの情報を把握するだけでも煩雑な部分が多く、期待していたほどの密度にまで掘り下げられなかった気がするのだ。

 おそらく理由としては「とにかくきら星チャレンジをゴールにしたい」という構成の兼ね合いだろう。確かに、ただでさえ地味なテーマの作品なのでなんとかしてクライマックス感を出すためには、特別なイベントで、特別な情景が必要になる。部室で望遠鏡を眺めてばかりではそれもかなわないため、沖縄旅行&研究発表というイベントがラストに来る構成になるのはごく自然なこと。そのためには、事前に1年以上の時間経過が必要になってしまうのだ。

 そうした事情は理解できるが、その結果として「もっと撮れ高がありそうな部分」が端折られてしまうのは残念至極。いや、原作でももしかしたらこれくらいのテンポで進んでいたのかもしれないけど、せっかく緩やかな時間が流れているアニメ空間なのだから、本当に何気ない地学部の日常で1話を使ってもらうとか、もう少し初期メンバーの関係性を描いた物語が見たかったところ。結果的には先輩の退場が早まり(いや、全然退場してなかったけど)、新入生や沖縄での友達など、ラストにかけていきなりキャラが増えてしまう結果となった。どうしても慌ててキャラを消化している印象になるので、「もったいない」と思ってしまうのはしょうがないだろう。

 ただまぁ、繰り返しになるけど、構成の問題でこうするしかなかったというのも理解できる。あれもこれもと全部欲しいものばかりをかき集めても作品は成り立たないわけで、何が一番描きたい部分なのかを取捨選択するのは当たり前のことである。今作はあくまで、単にイチャイチャする女子高生の日常を描きたかったのではなく、きちんと正式なイベントに参加して研究発表で結果を見せるみらたちの姿を見せたかった。そして、その目的は抜かりなく達成していたとは思うのである。動画工房による安定した作画によるきらら作品は、それだけでも見ていてホッとする存在なのは間違いないしね。

 なお、アイキャッチのたびにいちいち心がテーロスに旅立っていた模様(いらんオチ)。

拍手



忍者ブログ [PR]
カレンダー
01 2025/02 03
S M T W T F S
13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28
ブログ内検索
カテゴリー
プロフィール
HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子
ーーーーーーーーーー
↑越えられない壁
沢城みゆき 斎藤千和 
中原麻衣  田中理恵  
渡辺明乃 能登麻美子
佐藤利奈  佐藤聡美
高垣彩陽   悠木碧
最新CM
[02/11 NONAME]
[02/06 NONAME]
[01/30 NONAME]
[01/27 デュッセル]
[01/21 デュッセル]
バーコード