最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「ケンガンアシュラ」 5→6 すでに配信の方では1年近く前に終わってるわけだが、地上波放送はこのタイミングで最終回。今後はこうして1年くらい時間が前後することは平気で起こりうるんだろうなぁ。 個人的には、実は凄まじくエポックメイクな作品だったと思ってる。ここまでCGのウェイトを増した作品が、まさかゴリゴリの格闘漫画のアニメ化として実現するなんて思ってもみなかった。たとえば「蒼天の拳」なんて同様に格闘要素がメインでゴリゴリのCGアニメだったわけだが、あちらは本当に「浮いてんなぁ、軽いなぁ」というのでハマる要素が無い作品になってしまったのだが、今作のCG処理はほんとにうまい。細かい技術的なところはさっぱり分からないのだが、モーションの取り込みが、派手な格闘性と喧嘩せずにかみ合っていて、見事な“こけおどし”を実現しているのだ。多分テクスチャの使い方なんだろうけど、「肉感」とは別の「モーション感」みたいな部分で、本来なら相性が悪いはずのCGデザインがトンデモ格闘バトルを描くためのツールとして的確に活用されているのを見ると、今後のアニメ制作の1つの方向性として勝負に出て、成功したんじゃないかと思うのだ。 間に挟まっているダンガンロンパパート(?)のインパクトも面白い。台所事情で言えば絶対に「止め絵で説得力を持たせるシーンが増えれば楽」っていう理由での演出だと思うのだが、今作のように「試合と、そのバックグラウンドの回想」というシーン分割がはっきりしている作品なら、ここまで思い切って演出を変えても不自然ではないし、えも言われぬ迫力を出すための「絵の説得力」が上乗せされている。若干ホラー寄りのイメージにはなるが、まぁ、今作の場合は大体のキャラがホラーみたいなもんなので問題ないだろう。普通、「アニメ化します」と言われたら「どんな風に動かしたらいいんだろう」と考えてしまいそうなものだが、こうして大胆に「一番いいカットで止めておこう」という判断ができるのは、その1枚絵の説得力に相当な自信があるということだ。これ、制作がラルケなんだよね。岸監督の下で着実に多方面に力をつけてるなぁ。 そしてもちろん、濃すぎるキャラたちに魂を吹き込む贅沢なキャスト陣がたまらない。ゲップが出るくらいの密度なので毎回クライマックスみたいになっているアニメの展開にも一切怯まず戦える。女性キャラは少ないのだが、ゆーみんとかともよちゃんとか、場所を選ばずに暴れられるメンツが濃いおっさん連中の中で活き活きしてたので不満はない。まぁ、女性キャラで一番かっとんでたのは間違いなく司会進行の子だったけども……。 そして最後になるが、どうしても二虎の登場シーンでは悲しくなってしまうのはしょうがないところであった。役回りがあまりにも……。改めて、ご冥福をお祈りします。
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そんな……もう土おじさんに会えないなんて……え? 帰ってくんの? いや、土おじさんが帰ってくるかどうかは分からないの? 頑張れ! 一迅社! 色々と新鮮な作品でございました。前にも書いた通りに、こうした「悪役令嬢もの」はすでになろうではテンプレートの1つとして定着しているという話なのだが、今作はアニメとして最初に生み出された作品であり、私からすればほぼファーストコンタクトである。そのため、このジャンルの1つの指針として見させてもらったわけだが、なるほど人気が出た理由はよくわかる。まずもって女性主人公のなろうアニメ自体が少なかったというのもあるのだが、やっぱりお約束のなろう太郎(大抵黒い)が剣を振り回してドヤ顔してる画面に飽き飽きしているので、ただでさえ「脇役」と言われていたちょいキツめのルックスの女性主人公がフル回転で暴れまわっているというだけでも面白い。今作の場合は内田真礼の功績もかなりでかいだろうが、アニメ全体の歴史を考えても、こういうシャープでややキツめの女主人公って意外と少ない気がするのよね(あくまでマリアみたいな純正タイプと比較して、という話だが)。 そして、異世界(ゲーム世界)に転生しての目的が「成り上がり」というプラス方向ではなく「破滅からの脱却」というマイナスをゼロに戻すモチベーションなのが見るべき点で、特に「乙女ゲーム」なのでとにかく内容が恋愛に特化している(最後の会長編だけ突然魔法ファンタジー要素が多めにはなったが)。「自らが恋愛ゲームの1要素である」と認識してる主人公ってのは立ち回りに有利な点が多く、特に「何がなんでも相手の好感度をあげようとしゃにむに頑張る」という行為が外部から裏付けられているのはおいしい設定だ。他のなろう系、ラノベ系の場合、「主人公が何かをすると知らずに好感度が上がる」というデザイン自体が匂い立ってしまうものだが、今作の場合、カタリナはもともと嫌われまいとして愛想を振りまいたり、相手のことを考えたりしているわけで、好感度を上げること自体がストーリーの根幹。彼女がこれだけ頑張っていたのだから、そりゃ逆ハーレムが形成されることも致し方なしである。そこに明確な「理由」が見えるというだけで、食傷気味だったハーレム設定も随分気が楽になるものである。 ただまぁ、だからって全部が全部丸く収まるかというとそうもいかず、やはり最後まで気になったのは、「そこまでゲーム世界という設定に自覚的なくせに、致命的に察しが悪いカタリナ」という配置がどうしても浮いてしまっている。ハーレムを形成する要請上、彼女が鈍感難聴になっていくのはしょうがないことではあるのだが、全てが「恋愛フラグ」でデザインされているはずの世界で、何故ここまで察しの悪いことになるのだろうか。一応「自分は破滅すると思っているため、他人に好意を寄せられていることに全く気づくことができない」という理屈づけはあるのだが、カタリナだってゲームの1キャラだったわけで、そちらに好意のベクトルが向いていることを客観的に分析できても良さそうなものなのだが。その辺りに生前の「リアル恋愛に興味ない女子」が残っているあたりに、なんだか妙なバランスの悪さを感じてしまった。 まぁ、とりあえず百合を含むハーレムエンドという万事丸く収まる大団円を迎えたのだから、これはこれでよしと……思ってたら、2期あるの? いや、綺麗に終わってたやん? これ以上何かやる要素あるか? 蛇足以外の何ものでもなくないか? いっそのことマリア視点の純正百合ギャルゲー編が展開されたら見てみたい気もするのだが……。
「本好きの下剋上(第2期)」 5→6 適宜神官長に萌えていくタイプのアニメ。最後の最後まで冷静だったのに、突然感応ヘッドギアを装備して一気に真相に迫ったのはちょっと笑った。色々と見るべき点が多い作品だってのは認めるところなんだけど、たまに魔法の設定がガバいのはしょうがないな。 1度感想は書いたが、他のなろう系とは一線を画す、見どころのある作品だった。やっぱり食傷気味になっているのは圧倒的チート設定からの頭空っぽ展開なのであって、「異世界転生からの前世記憶無双」というテーマ1つとっても、調理の仕方でちゃんと普通に食べられるストーリーになるのである。今作のマインの場合、フィジカルはむしろビハインドを背負った状態での戦いになったおかげでどこまでいってもチートはチートになりきらず、さらに「身食い」の制約が明確化することで、そのビハインドが直接生存目標になり、物語の大上段のモチベーションに成り上がった。マイン自身もそのことは重く受け止めて必死に生きようともがく姿が描かれるし、その途上で出会う人々との繋がりは素直に心惹かれるものになっている。 1期の頃にまだ引っかかっていた映像部分も2期目にはすっかり慣れ、むしろ感想で書いた23話のように独特なデザイン性を研ぎ澄ませて見せ場に転化させるまでになった。こちらとしてはキャラデザがどうこうってのはあくまでも第一印象でしかないわけで、そのデザインを使って何を見せるか、どう見せるかの部分が最大の眼目。今作においては、しっかりと「このデザインだからよかったんや」という理由を明示してくれたので文句の出るところではない。不思議と最後まで「かわいいなぁ」と思うような女の子は出てこなかったのだが、むしろ野郎キャラの細かい表情に見どころが多かった気がしますね。この世界、性根の悪い人間がわかりやすく「悪い」顔になってくれるので道徳的な部分がとても見やすいのである。ほんと、「世界名作劇場」みたいな作劇だね。 「本」という1つのテーマを掲げて始まった本作が、2クールという決して短くない時間を経て、無事に「本が作れる」ゴールまで到達。原作はここからもさらに続いているらしいのだが、まぁ、ここで終わっても別に物足りないとは思わないくらいのレベルだ。紙ができて、本ができて、それが製品化されて、さらに図書館の管理権限も事実上ゲット。これより上もあるかもしれないが、あとは拡大生産なので話の刺激は似たり寄ったりだろう。ちょっと早い段階で本を作っちゃったもんだから(?)、最後に謎のファンタジー強化週間に入って突然騎士と一緒に魔物討伐に出向いちゃったのは必要な行程だったのかはよくわからない。まぁ、戦うのがドラゴンとかじゃなくてトロンベだってのも今作らしいこだわりで面白い部分だったけどね。魔力があるってことは、多分あれ以外にも魔術的な驚異はその辺に転がってるんだよね。さすがにあんだけ仰々しい「騎士」の文化があるってことは、まだまだ上の敵がいて、今後はそういうのと戦う展開になる可能性もゼロではないのだけど……ルッツは冒険者じゃなくて商人の魂を貫き通してほしいなぁ(勝手な心配)。 とりあえず、「これくらいならなろう展開も悪くないな」という1つの試金石として貴重な作品になっている。いや、なろう系に「なろう」という名前が着く前には、普通にこういうジャンルも受け入れて見ていた気もするのだが……人間の認識って、不思議なものですね。 「波よ聞いてくれ」 6→6 実に刺激的な作品でございました。今作がコロナダメージを耐え切って放送を終えてくれたのは、厳しいアニメ事情の中ではありがたかったですね。 正直、賛否両論ある作品だろうとは思う。何といってもラジオというテーマ設定そのものが「アニメ向きでない」のは当然のところで、「画がない」ことを武器にするラジオと、「画がある」ことを武器にするアニメ、互いの良さを際立たせるためにはどうしたってぶつかる要素があり、その部分については、今作がベストの答えを出したとは思わない。ラジオドラマ展開パートなんかは多少ダレていた部分もあるし、どうあがいてもセリフのウェイトが大きくなってしまうため、その内容があまりに説明的になりすぎたり、クドくクドく押しまくる沙村節が全部気持ちよく入ってくるかと言われりゃ、そりゃ受け付けない人間だって多くいることだろう。そうして色々とハードルが高いデザインだったのは間違いなく、100点を出すのは不可能だったはず。 しかし、そうした瑕疵は認めつつも、作品の面白さをアニメに落とし込むという部分ではかなり意識的な構造だったし、ある程度の成功はあったと思っている。「画があること」の武器は振りかざしにくいとしても、「声があること」は原作漫画とは異なる武器として使うことができるわけで、ミナレがとにかく無茶苦茶な状況で無茶苦茶なことを言い散らかすというオールウェイズマシンガンのテンションは最大の武器として遺憾無く発揮されていた。破天荒すぎる性格なのであまりに戯画的な印象にはなるものの、そこは流石の沙村作品。「周りの世界自体も全部無茶苦茶なやつで固めればいい」という身も蓋もない解決法でもって、ミナレというキャラクターを危ういバランスで成立させている。行きつ戻りつする彼女の実りの無い人生の中でも、終わってみれば間違いなく成長を感じさせるものになっていたし、1クール作品としてもあまり綺麗に風呂敷をたたんでくれたものだから後味もスッキリしている。これまた原作にあたってみたいと思わせるだけの力のあるアニメだった。 あとはまぁ、やっぱり不思議と女性キャラが色っぽくなるのよね。「無限の住人」もそうだけど、沙村作品のあけすけなエロスって、不思議とハマる部分があるんだよね。マキエさんの能登成分増し増しのキャラ設定とかも美味しかったし、瑞穂ちゃんは最後の最後まで可愛いままで貫き通してくれたし。その辺りに満たされる要素が多かったな。そして何よりもミナレの存在感。ほんと、沙村キャラのイデアみたいな設計で、どうあがいても映像化不可能に見えるのに、それをなんとか形にしてくれた中の人・杉山里穂が文句なしのMVP。この仕事はコアな声優業のニーズを一気に増やしたんじゃないかなぁ。まぁ、もともと外画系での仕事は多かった人みたいだし、どのあたりを本人が望んでるのかはわかんないけども。
「LISTENERS」 5→5 とても雰囲気系作品。よく言えば雰囲気作りには成功していた。ただ、その雰囲気が何を伝えたいのかは、何故か変換できない。 ほんと、当初抱いた「全盛期のGONZOとかボンズのオリジナル作品みたいやな」というイメージがそのままで貫かれた作品である。オリジナルアニメということで「奇抜な世界観」を生み出すことを心がけ、そのインパクトを生み出すことには成功しているのだが、「じゃぁ、その世界で何をする?」という肝心のストーリーテリングの部分に関しては、「まぁ、なんとなく成し遂げた感じを出してもらえば……」というくらいのもの。これが本当に全盛期のボンズだったら2クールの尺で冗長とすら言えるレベルでその世界の内実を垂れ流してくれたものだが、残念ながら今作にはそこまでの手間はかけていられなかった。1クールで「成し遂げた感じ」を出すために、今作はロードムービー風の短くスピーディな場面転換を採用し、「1キャラ1要素」を貫き通し、本当にサクサクとお話が進んでいく。よく言えばハイテンポだが、悪く言えば本当に上っ面を撫でたような印象で、「雰囲気」を維持した結果、視聴者がちゃんと付いてこられるかどうかを度外視して物語をひたすらに推し進めてしまった。 「音楽」という今作の目玉要素も、すでにアニメ業界ではあらゆる手段で使い倒されている素材であり、そこまで目新しい展開は実現しなかった。イクイップメントのトンチキなデザインなんかは何か理由があるのかと期待していたのだが、本当に奇抜さを優先した結果のデザインであり、格好いいとも思えないし、プラスの価値を生み出したとは言い難い。キャラデザの野暮ったさは時に面白みに繋がった部分だが、やはり現代アニメでメインストリームにはなり得ないものだっただろう。挑戦的だった部分は買いたいのだが、やはりトライアルにつきものなのは、エラーなのである。 個人的には、毎回のエンディングの処理とかは嫌いじゃなかったんだよね。オサレを突き詰めてデザイン性で勝負してる部分については、好き嫌いの分かれるところかもしれないけど僕はよいと思った。多分、そうしてMVみたいなデザインを突き詰めていくのが、もともとの制作意図に一番近いものだった気がする。でもさぁ、流石にリッチーとライドが生きてた展開はどうかと思うよね……そこに救いは求めてないし、そういうところで安易な処理が行われると興ざめしてしまうというか……。 「新サクラ大戦 the Animation」 5→4 良くも悪くも、悪くも悪くも、王道展開をひたすらやってたなぁ、という印象。例えるなら、戦隊とかプリキュアの劇場版ストーリーを1クールかけてやってる感じ。お約束じゃない? 「ゲストキャラ1人を迎え入れるけど、友情を育んだその個体が実は敵の最終兵器で、奪い返された後に家族として守るために戦う」みたいな展開って。 おかげでシナリオラインに引っかかる要素は何一つ無い。こういう作品って、大局に引きが乏しい分、あとは既存のキャラクターをどれだけ掘り下げられるか、っていうミクロな視点での見せ方が重要になってくると思うんだけど(戦隊映画なんて、まさにそうして個々のキャラの小ネタの多さで勝負が決まるみたいなところあるし)、今作の場合はゲームをプレイしていない人間はまずもってキャラに対して思い入れを抱くのに苦労する。もちろん、ゲーム未プレイの人間のことも考えた上でアニメを作っているので理解できないってほどではないし、尺には余裕があったので1本ごとのエピソードを見れば愉快なお話もある気はするのだが、どうしても「でもあんまり知らないしなぁ」みたいな引け目を感じてしまう。「ゲームをやってればもっと刺さるシーンなのかなぁ」とか思ってしまう。勝手な被害妄想といえばそれまでだが、多分、そういう要素が無いとこの作品が特別楽しいと感じられる要素はあまり無いのである。クラーラが可愛いくらい。クラーラの声が可愛いくらい。 こうしてみると、やっぱりサンジゲンデザインってのも良し悪しなんだろうなぁ、という気がする。現金なもので、自分の愛着があるバンドリ界隈とかだと全然気にならないのに、親しみのないキャラだと「やっぱまだ固いんだよなぁ」とか思ってしまう。いや、多分バンドリだって固い部分は多いのに、思い入れのせいで勝手にその「固い」部分に意味を見出したり、脳内で勝手に保管してしまうのだ。キャラクターコンテンツって、そういうもんなんだろう。できればそうして「固さ」を感じなくて済むくらいにこのアニメ一本で没入させてもらえればありがたかったのだが……なかなかそうもいかないね。個人的にはバレバレ正体の白マントのくだりみたいな「ギャグとして笑わなきゃいけないのにピンとこない」部分がやたら気になっちゃったんだよ。 とりあえず、「サクラ大戦ってコンテンツは、やってるお話は今も向かいも変わらんなぁ」という安心感みたいなものを感じつつの終幕。エンディングテーマは好きだったよ。
「かくしごと」 5→6 カクシの中の人のご家庭も、もしかしたらお子さんが姫ちゃんくらいの歳なのかなぁ、とかどうでもいいことを考えてみる。まぁ、あの家庭の場合は奥さんの方が「かくしごと」だけども。 なんだかいいバランスだったな、という作品。そもそも久米田作品ってぇとおよそどんな傾向にあるのかは容易に想像できるのであまり大きな期待は持っていなかったし、実際に、何か「大きな」ものがあったわけでもないのだが、不思議と新鮮な感覚があったのは事実である。おそらく、これまでの久米田作品のほとんどがシャフト作品であったため、どうしてもその印象が強くなっていたことが理由なんじゃなかろうか。別にシャフト演出が悪いというわけではない。むしろ久米田漫画のデザインとの親和性は高いし、あれはあれでオンリーワンの面白さが提供できる形式だ。ただ、今回は「そういうもの」が来ると思っていたところに、ちょっと違う形での「もう1つの久米田作品」が提供されたことが、結果的に変化球扱いになったのだ。感覚的には、ひたすらドロップカーブしか投げないと思っていた投手に突然キレのいいスライダーを投げられたような感じ。 久米田漫画のお約束の1つに、「散々ギャグをやり散らかしておいて、何故か締めるときだけやたら真面目」というのがあり、実はアニメでその部分に触れいている作品はない。「絶望先生」はとにかくネタ連打アニメになって完結はさせていないためだ。しかし、今作はおそらく最初から原作の終了に合わせる狙いがあったのだろう。「真面目な久米田」の部分も加味した上でアニメを構成することが、スタート時点からの申し合わせになっていた。そのため、毎回終わりにちょっとだけ姫ちゃんの独白を挿入してシリアス要素を匂わせておくことで、最終回だけ突如シリアスになるという高低差のキツさを緩和させたのである。この構造が存外面白いものになっており、別に毎回テンションが下がるほどの落差があったわけでもないのに、少しずつ少しずつ最終回への心の準備ができるようになっていて、スムーズに大団円をまとめることができたのだ。実は割と無茶な構成だと思うのだが、これが機能していたことで、また1つ新鮮な久米田テイストが味わえたのは新発見だと言えるんじゃなかろうか。 あと、なんかやたら脇を固めるキャストが充実してる。姫ちゃんのクラスメイトとかさ。ラスナさんが最終的に看板作家になっているあたり、冴えない彼女が一番冴えてるのがお約束。
「八男って、それはないでしょう!」 4→3 俺もそれはないと思う。なんもないと思う。まぁ、もともと何も求めてはいなかったが……。 変な話だが、ある部分において、なろう的な嫌悪感はそこまで強くない作品だった。異世界転生ものではすっかりおなじみになった「これ、転生設定の意味ほとんどないじゃん」作品なんだけど、今作の主人公は、いわゆる「訳知り顔のクソオタクムーブ」の比率が他の作品に比べて少ない。幼少期には「前世」を思い出して身の不運を嘆いたりしていたが、成人後の物語については、単に「幼い頃にたまたま魔法の才能に目覚めた世間知らずのラッキーなやつが無双する」だけの話になった。よくあるオタク知識を披露してのセルフツッコミとか、いわゆるマヨネーズムーブはそこまで多くない(まぁ、まさにマヨネーズだったのは笑ってしまったが……)。ある程度割り切ってしまえば、「そういうファンタジ-世界(ナーロッパ)のお話」というだけで処理できるのだ。もしかしたら、今作が割となろうの中でも年季の入った作品らしいので、そこまでパターン化・形骸化を進めすぎたなろう文化の悪い部分は強く出ないものだったのかもしれない。 ただ、そうして「そこまでひどくない」部分はありつつも、「じゃぁ面白い部分があるのか」と問われると、それもまた見つからない。放っておいても女の子が寄ってくるようなお約束のチーレム展開なんかはストレートに襲いかかってくるし、出世物語だというのに一切の爽快感や達成感がなく、どこまでも都合よく、勝手な正義を振りかざしているだけなのに周りが評価してエレベーターのごとく上がっていくだけのお話は、やっぱりなんのカタルシスも得られないのである。これ、せめてもうちょい女の子の数を減らして「八男」っていうタイトル部分のファクターにも独自の味付けができれば、一応は「何か違う」作品として成立した気がするんだけどね。まぁ、我々視聴者サイドが散々「なろうの成れの果て」みたいなものを見せられたあとでこれが出てきてしまうと、歴史認識も歪むので多少同情の余地はあった気がするけども。 ちなみに、個人的に一番面白かったのは、散々「長男である俺が何故認められない!」って暴れてた杉田が長男じゃないってところ。「お前典型的な次男気質じゃん!」っていっつも思う(僕も次男なので)。 「球詠」 5→5 どれだけ放送本数が少なくとも、どれだけ放送時期がずれ込む作品があったとしても、こうして終わっていく作品はきちんと存在しているのだ。今期もボチボチ最終回シーズン。その口火を切ったのは、なんとも評価の難しいこの作品から。 結果だけ見れば平均点から平均点への推移。「まぁ、普通レベル」で終わった作品なのだが、その評価はかなりはっきりとした高低差が存在している。もう、見ていた人ならお分かりだと思うが、今作はとにかく作画が足を引っ張っていた。ぶっちゃけ、作画部分での情けなさだけで評点すれば3点がいいとこである。これがコロナの影響なのか、もともとスタジオが持っていたポテンシャルなのかは分からないが(最終回まで納品できていたとするなら、コロナは関係なかった可能性が高いが)、ファンからすればとにかく「勿体無い」という感想になるのだろう。これで「恋する小惑星」と同じくらいの制作体制で作られていたなら、もしかしたら大化けしていた可能性もあるものを。 作画がダメだったのは、とにかく力の入っていない外注丸出しのヘナヘナキャラでも一目瞭然だが、実際の野球モーションになるときのCGモデルの使い方もかなりお粗末なのが情けなさに拍車をかけている。最近はこうしてモーション作劇をCGに頼るスタジオも増えており、我々の目が慣れてきたことを差っ引いても、全体的に「こなれた」成果が作れる時代になってきている。どちらかというとそれ以外の部分をCGのテイストに寄せることで解決を見る場合が多いが、今作の場合にはどうあがいても「CGっぽい」作画を普段から寄せて作ることが不可能だったようだ。それに加えてモデルの扱い方も全く慣れていないようにしか思えず、背景から浮く、モーションの力のかけ方がアニメとしておかしいなど、とにかくどれを取ってもマイナス要因にしかならない。ただサボるためのツールとしてCGモデルが出てくるなら、いっそ投球シーンなんかは一枚絵を適当につないでいった方がなんぼかマシだろう(実際、同時期に放送されている「メジャー」はそれで充分に機能しているのだ)。できることならば、コロナの過ぎ去った平和な世の中が訪れた際には、なんとか芳文社の全精力をもってリメイクしてほしいと、そう思ってしまうくらいの残念な作品である。 しかし、そうして「残念だ」と悔しがるということは、「作画さえよければ」という思いが募る作品だったということでもある。「女の子の野球漫画」というよくあるようでそこまで多くないテーマだが、今作は私がよく使う「進化型きららアニメ」の先を見据えた1つの答えを提示してくれている作品だと思う。スポーツもので比較するなら「はるかなレシーブ」があったが、やはり、潜在的に野球というスポーツはドラマづくりがやりやすいという利点があり、掛け値無しで「面白いドラマ」が作れるのである。序盤は魔球を使う主人公ってことで「なんだかなぁ」と思ってみていた部分はあるのだが、いざ試合が始まると割とあっさりこれが打たれたりして、野球自体が決して超常バトルになったりしない。決勝戦では一番顕著だったが、最もウェイトを置いて描かれるが参謀役の采配と苦悩、そして勝負のあや。「単に女の子が可愛い」ではなく、どこまでも「野球ドラマがやりたい」という欲求で物語が作られているのがわかるのである(そもそも作画だけ見たら女の子は可愛くないしな)。そして、序盤から形成されていったチームの友情関係が最終戦できちんと伏線として機能しており、1人1人の選手の心情が試合の行方を左右するファクターとして説得力を持つ。自分でもなんでか分からんのだが、最終回はやたらと泣けるポイントが多かった。クライマックスとなった希の打席、ベースを回る希が芳乃を指差すシーンで泣いてしまったのはしょうがないとは思うのだが、その前の打席、バント失敗して戻ってきた稜に対して芳乃がかけた「もっと練習しようね」という一言がやたらと刺さった。消沈して戻ってきた選手にその言葉がかけられるのは、本当の友達だ。 細部まで見ていけばきちんときららイズムを継承した「女の子のいちゃいちゃ」がありつつ、それが野球というスポーツと自然に結びついて効果的な見せ方ができている。そういう意味では非常に良い作品だった。作画のレベル次第では年間規模でも優秀賞が取れる可能性があるんじゃなかろうか。今作の大ファンの知人がいるのでちょっと引き気味で見ていたのであるが、これで安心して、原作を買おうと思う(多分、2期は作られないだろうしな……)。 というわけで、7点の要素と3点の要素があった作品なので、均して5点。そういうこと。次のきららアニメは何かなぁ。幸せになれるといいなぁ。
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声優のこと全般
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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