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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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「ダーウィンズゲーム」 6→6

 なんや! おもしろがったらあかんのかい! ……いや、だから毎度毎度言ってんじゃん。結局わし、デスゲーム設定好きなんだって。

 とはいえ、「そういう」作品群の粗製乱造も既にピークを超え、今やアニメも漫画も数多のなろう系に押しつぶされかけているのが現状(まぁ、なろうとの複合作品もたくさん出てそうだけど)。そんな中でアニメ化されたこの作品、1話目時点でそれなりに感触も良かったのだが、見続けているうちに「そう、そう、そう!この感じ!」(CV関智一)ってな感じで盛り上がり、なんとも懐かしい、プリミティブデスゲーム欲求を満たすことができた。そんな欲求がある人類がどれだけ存在してるかわからないけども。少なくとも「ナカノヒトゲノム」で溜まった鬱憤は解消されたはずだ。

 ただ、考えれば考えるほど、どういう部分が私自身の求めているもので、何を見たから満たされているのかはよくわからない。別に主人公が飛び抜けて賢いってわけでもないので展開としては御都合主義のオレツエー部分はあるだろうし、「克明に描かれた死の恐怖の描写が!」みたいな筆力を見込んだ作品でもないだろう。どこかに差があるとするなら、強いていうなら「きちんと殺し合いゲームとして描こう」という意識というか、目指すゴールの定め方みたいな部分なのかもしれない。形式上のルールが設定され、それが主人公と視聴者の間で共有され、多少なりともドキドキしながら「死ぬの? 生きるの?」という部分を見守る。そりゃもちろんデスゲームもので主人公が死ぬはずがないことなんてわかってるけど、それを言い始めたら「バトルロワイヤル」だって同じわけだし。どうやって生き延びるんだろう、どんなバトルが展開するんだろうとワクワクしながら見守るこの感じこそ、デスゲームものの真骨頂である。

 そして、素直にアニメーションとしての出来もよかった気がする。序盤から見せ場が多かったのはなんといってもシュカの操るチェーンアクション。1話目(2話目か)で初披露された時点で「なかなかいい動き見せるな」と思っていたわけだが、クライマックスまできちんとクオリティを維持していたし、その他のシギルの見せ方もこけおどしにならずに説得力は持っている。まぁ、この手の作品にお約束の「銃持ってる連中、敵は当たりすぎだし味方は当たらなすぎ問題」みたいなものはあるけど、その辺はお約束だからしゃーない。最低限「命張ってんな」という認識さえ与えられれば充分だ。

 あとはまぁ、単純にキャラが見栄えするかどうかだよね。クライマックスでは小林裕介VS松岡禎丞という「異世界最強決定戦」みたいなバトルが勃発してたし(松岡くんは別なゲームで斉藤壮馬とも対決中だが)、なんといってもシュカである。上田麗奈である。当方、前世でどんな罪を犯した業なのかはわからないが、「人の命をなんとも思ってない早見沙織」とか、「ゴミを見るような目で見下してくる茅野愛衣」とかが大好物である。そんな中に「彼氏のために他者を惨殺する上田麗奈」は当然入ってくる。うえしゃまボイスで「どうして生まれてきちゃったのぉ? 神様の失敗作なの?」とか言われるご褒美をもらえる時点で、この作品は石版にデータを彫り込んで人工衛星に乗せて射出するだけの価値があるだろう。そういうもんである。

 なんかいろんな要素を拾った結果「うえしゃまボイスで昇天OK」という結論にしかなってない気もするが、まぁ、諸々ひっくるめて平均点以上の作品になってたんではないかと。ちなみに、今更どうでもいい訂正を1つ。新番チェック時点で「この作品、読んだ気がする。冒頭のパンダ戦くらいまでは記憶にあるんだけど、続きは読んでないんじゃないかなぁ」と書いていたのだが、アニメを見てたら「あっ、知ってる展開だわ……」ってなったので、子安との対決くらいまでは読んでいた模様。記憶にさっぱり残ってなかった時点で、やっぱり原作はあまり面白くなかった疑惑はあるのだが……まぁ、アニメで印象変わったし、今度漫画喫茶にいったら続きを手に取ってみようと思います(嘘でも買うっていえよ)。

 

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「群れなせ!シートン学園」 5→5

 最終決戦で木野日菜VS金朋っていう謎の対決が繰り広げられたのちょっと笑った。やっぱりけものアニメに金朋は必須か。

 「馬鹿馬鹿しいなぁ」っていう初回の印象は何も変わらないままだが、そのバカバカしさが案外愛着になるタイプの作品だった。あんまり細かいことは気にせずに、思い出したように「いろんな動物トリビア」を織り交ぜるだけというネタ回しは、もしかしたら余計な神格化が施されなければ「けものフレンズ」がたどり着いていた領域なのかもしれませんね。まぁ、こっちはかなり下ネタが多いので、ああいう全年齢的なイメージにはならなかった気もするし、けものと一緒にのけ者もいるのだが……。住み分けができているなら良いことである。こっちの方が「動物をテーマにしたギャグ漫画」としては至極思いつきやすい設定なので、安易だとは思いつつも受け入れやすかったのである。

 初回放送を見て「なんでメスだけ人型なんだよ!」って噛み付こうと思ったら「だってそっちの方が可愛いしエロいだろ!」って言われて「あっ、はい」っていうしかないやつ。「この世界に連中以外の人類とかいないのかよ」って文句つけると「だとしたら問題でも?」って言われて「いや、別に……」ってなる。そういうもんです。

 あとは程よく可愛く、程よくゆるく、そして程よくエロく。事あるごとに発情期がらみのネタを展開されるインパラさん(CV高野麻里佳)とかがエロくて良いですね。トランスセクシャルのハイエナ(CV津田美波)なんかも的確になんらかの性癖を刺激してくれるし。そしてなんといってもランカ(CV木野ちゃん)で色々と悪いことをしてる気がする罪悪感。これくらいのカロリーで肩肘張らずに摂取できるギャグアニメは、必須じゃ無いけどあればあったでありがたいものである。

 しかし、杉田相手に髪の毛が抜けたりなんだりするお話はNGでは?

 

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ID:INVADED」 6→7

 ハイパーな作品であった。1クールに1本くらい、こうして一筋縄ではいかないオリジナル作品が出てきてくれると、アニメもまだまだ捨てたもんじゃないという気になる。

 まー思い切った作品である。普通なら「わけわかんねぇな」っつって設定の不備とか矛盾とか、そういう部分が気になってしまうばかりで、1話目からして強烈に視聴者を振り落としてくるような作り。視聴者の熱が冷めやすく根気もない現代アニメ業界において、こうした冒険的なアニメ作りはリスクが高いせいでなかなかチャレンジする作品がなくなってしまったのだが、今作は容赦無くそれを断行してみせた。改めて1話目での感想を観てみると私はアニメ「C」を引き合いに出して「わけわからんけど気になる」と書いているのだが、もうちょい最近の作品で比較するなら、この分からなさ、手探り感は「迷家」なんかに近い部分もあったかもしれない。あちらはそうした「分からない」設定が実際に視聴者をどこかに置き去りにしてしまったようなのだが(私は最後まで楽しみましたがね)、今作はどうだったんだろうか。

 そうした「分かりにくい」先人たちと比べて今作が白眉だったのは、分からない要素、意味不明な要素を、アニメという媒体の強みである「画面の構成」で魅力として叩きつけてくれたところにある。1話目で展開された富久田のイド、バラバラの世界からスタートして「目が覚めたら名探偵」「誰だか分からないカエルちゃん」「支離滅裂な世界の中でしか成立しないロジック」などを、とにかく画面の鮮烈さを押し出すことで展開していく。こうした「頓狂な映像」はダイレクトに今作の魅力につながっていく部分で、その後構築されたイドはどれもこれも「普通のお話を作っていたら絶対に出てこない」画面ばかり。それらのファンタジーともサスペンスともつかぬ非現実が、理屈を追う前段階から魅力として作品に入り込むきっかけを作ってくれた。ぶっちゃけ「トクナナ」を作ったNAZが制作ってことで不安ばかりがあったのだが、今期の作品の中では珍しく、間に総集編を挟むことすらせずに1クールを理想的なクオリティで走りきった(まぁ、今作こそ間に解説のための総集編を入れて欲しい作品だったが)。監督のあおきえいはもともとTROYCAの持ち味である白を基調とした淡い色彩の映像展開が特徴の作風だったが、今作においても余白を大胆に使うシンプルな構成に難解なオブジェクトを多数絡めることによって、カロリー高めの映像部分を効率的に作り上げたようだ。

 そうして生み出された「わけのわからない世界」は単なる見た目だけのこけおどしに終わらない。舞城王太郎の脚本はどこかで思い切って踏み外しているはずなのに、ギリギリで片足一本を「ミステリ」の土俵の中に残して踏ん張っているような印象。これで完全にイミフの領域にぶっ飛んだら妄想以外の何物でもないが、視聴者が「ミステリ」としてもみることができるラインを保持することで、興味を引き離すことがなかった。一体どんな発想から今作の設定が飛び出したのかは想像すら出来ないが、ミヅハノメの設定が作られた時点でまず一勝みたいなところがある。ミヅハノメの中において、探偵はすでに「名探偵」であることが保証され、彼らは動機などのバックグラウンドを考慮せず、ただその世界のありようだけを見て「推理」を展開する。そこにあるものは全て手がかりであり、余計な現実がシャットアウトされる。こうして「手がかり」をどのように拾うかはイドに委ねられ、名探偵に委託される。そうすることで、ミステリにありがちな「探偵主観から見えている世界の正しさ」が強引に保証され、短い時間しか確保できないアニメの枠の中で「それっぽいこと」ができるようになるのだ。こうして手がかりと事件をつなぎ合わせる世界構築は、もしかしたら後期クイーン問題みたいな面倒くさいメタ構造への一種の揶揄なのかもしれない。

 周到なのは、別にイドの中の事件そのものが現実の解決に直接リンクしないという部分。あくまでイドの中の「名推理」は手がかりを掘り起こすための舞台装置であり、そこから天啓としておりてきた「解決」は、最終的に現実世界での地取り捜査へとフィードバックされていく。この辺りの「刑事物」との接続も絶妙なところで、今作の世界をギリギリ現実に残すための大きな要因となっている。考えれば考えるほど、今作の常軌を逸した設定は、それぞれにきちんと役割を持っているのである。

 こうして、アニメオリジナル作品が「映像」と「脚本」の二人三脚でもって綺麗に作品としての完成形を見せたことは、オリジナルアニメの成果として文句のないところ。最終回でミヅハノメが崩壊しなかったことで、この世界の探偵たちはまだまだ捜査を続けることができるようになった。現在はコミック版でも新たな事件を捜査中であるが、もしできることなら、アニメ続編でもまたとんでもない世界を見せて欲しいものである。

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Fate/Grand Order -絶対魔獣戦線バビロニア-」 4→3

 ちょうど「アズールレーン」と同時期に放送が終了したことで、綺麗にビッグタイトルで「ソシャゲアニメに成功無し」が並んだことになる。やっぱり、構造的にテレビアニメに向かない媒体なんだろうなぁ。

 今作の場合、アズレン以上に「既存のユーザー以外に興味ないで」という方向性がはっきりしていたので、顧客の中に含まれていない私にとってはさらに厳しい作品になった。一応、これまでなんだかんだでFateシリーズがアニメ化されたら観るようにはしていたはずだが、これを見終わったことで、そろそろそうした縛りは外して、自分には無理なジャンルとして離脱した方が良いような気がしてきた。まぁ、あまりに多角的に広げすぎているので、シリーズとしてひとまとめにするのも乱暴な判断なのだろうけど。ただ、同じようにして「訳わからんなぁ」と思って観ていた作品として並べてみても、まだ「Last Encore」の方が興味が湧いた気がする。あっちも世界設定なんかはほとんど説明がなくて、終わり方もなにが起こっているのかさっぱりわからなかったが、少なくとも「なにが起こってるってんだ?」と気にさせてくれる要素は多かったし、1クールアニメとして「なんか階層ごとに敵サーバントと戦って、倒したら上に行けるんやろ?」って部分は了解が得られた。今作の場合、多分全部説明はしているのだろうが、初見の人間が分からない設定を全部垂れ流して先に進めていくだけなので、そもそもルールテキストを読もうという気すら起こらないのである。半端に「なんか知ってる気がするFate的な情景」が見え隠れするくせに既存の作品と一切関係がないっていう混乱しか引き起こさないトラップの存在もタチが悪い。

 そして、シナリオラインも非常にわかりやすい「あー、そういうソシャゲなんやろな」というくらいの扁平なもの。バトルやって、称号とって、ピンチになって、またちっちゃいイベント挟んで……。そりゃま、極論すればどんなバトルアニメだってそういうもんだろうが、普通のアニメや漫画ならばそうしたバトル要素のウェイトを調整し、どこが重要で、なにがサイドイベントなのかくらいは分かるものである。本作の場合、とにかく一本道の上にノルマとしてバトルが存在しているだけなので、バトルの目的設定があまりに淡白だし、なんとかドラマを仕上げようと人の生き死にやらが関わってくるが、それだってあまりに義務的で身が入らない。というか、そもそも世界を知らないからそこに生きるキャラのこともわからないんだって。それに加えて身内だけに分かるだろうと思われるネタ回しを展開されればされるほど、どんどん部外者は冷めていく。まぁ、そうやって熱の強い人間だけを引き上げて、受け入れられることを目指した作品なのだろう。

 私がやっていることはチュートリアルもマニュアルも全然読まずにレバガチャみたいな状態で本編に突入して「わけわかんない!」と文句を言っているようなものなので、単なるノイズみたいなものだ。制作側もそうしたユーザーの感想はあまり気にはしないんじゃなかろうか。ただ、どこかでマニュアルを手に取る気にさせるタイミングがあっても良かったんじゃないかと、そう思うだけの話だ。

 

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「アズールレーン」 6→4

 1クールぶりの終了やね! これ、時期的にコロナ案件じゃなくて単に万策しただけのはずなんだけど、なんか冬クールとごっちゃになったおかげで色々どうでもよくなった感はあるよな。

 半年ぶりに新番チェックの点数を確認したら初回が6点だったってことで少なからず期待していた部分はあったのだろうが、終わってみれば「ソシャゲアニメに成功無し」の一例に新たに名を連ねるだけに終わってしまった。これはまぁ、最終回までの時期が開いて完全にモチベーションが消失したこともマイナス点にはなるのだろうが、やはりアニメとしての構造自体が、ソシャゲアニメの難を解消する方向に動いていなかったことが最大の理由であろう。話の筋はわかりやすいものになっていたので余計な混乱を招くほどではなかったが、結局美少女動物園に終始してしまうと一見さんがキャラへの愛着を抱くようなものにはならないのである。まー、新規層と固定ファンのどっちを大事にするかって言われたら、やっぱり選択の余地はないのかねぇ。

 映像部分に関しては、例によって比較対象になる「艦これ」アニメに比べれば良い出来にはなっているが、スケジュールがこんな状態で良くなってなければお話にならないだろうし、力尽きる直前には相応の限界を感じさせるものにもなっていた。こうした作品群を見ていると、もはや日本のアニメ全てに万全の作画を望むのは贅沢な話なのだろうと諦める部分もあるな。でもまぁ、ラスト2本で締めるべきところを締めてくれたのは悪くないところではあるのかな。海上戦闘って迫力のある演出は難しそうだし、見せ場になる部分に迫力があったのは素直に評価して良いところだろう。

 あとはあんまり入り込めなかったシナリオラインのお話になるわけだが、個人的には「茅野愛衣が中原麻衣に人生狂わされる系百合展開」という部分だけで加点してるきらいがある。しょうがないじゃん。この2人、直接関わってはいないけど「やがて君になる」でもキーパーソンになった2人なんだよ。何回だって言うけど、俺の中で中原麻衣は百合営業の金字塔なんだよ。彼女に人生を狂わされる女の子キャラがたくさんたくさん出てくるなら、それはとっても嬉しいなって。まー、こうしてみると見どころになってるのがメインの方じゃなくてレッドアクシズサイドばっかりだったってのも構造としてどうなんだって話だが……。

 さぁ、どこかで「成功するソシャゲアニメ」を生み出せるコンテンツは無いものか。今のところ一番の成功例って……「ラストピリオド」とかじゃね?

 

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「うちタマ?!〜うちのタマ知りませんか?〜」 5→6

 このアニメの点数あげるのはなんだか癪なのだが……楽しかったのだからしょうがない、畜生、こんな安易な餌に釣られタマ〜。

 スタート時には「まーた安易な擬人化企画かよ。せっかくコンテンツとして成立してる良いキャラクター商品に泥塗るような真似しやがって!」という憤りにも似た気持ちはあったのだが、なんとなぁ、決して「安易な擬人化」なんかではなかった。そりゃま、タマとポチがどっちもオスで、それを人型にしてしまったらそっち系のデザインになってしまう部分も少なからずあるのだが、今作の場合、「単に人型にして笑いのタネにする」っていうのではなしに、あくまでも動物たちの心象風景としての人型を設定することで、これまでの蓄積を破壊することなく、新たな味付けを追加することに成功している。いや、それにしたってやり過ぎの部分はあるのだが……。なんだろう、可愛い系キャラクターコンテンツということで、「マイメロ」とか「ジュエルペット」みたいな「子供向けアニメが孕む無邪気な狂気」みたいなものを内包することに成功している感じだろうか。可愛いキャラに許される構造に、やりたい放題の深夜枠特権を調合したことによって生み出される、奇怪なキメラである。

 そして、「人型と動物型を併用する」という作品独特の構造をシナリオラインにきっちり活用するという貪欲さも「安易な擬人化」とは程遠い理念である。大胆な叙述トリックで度肝を抜かれることもあったし、「この世界でそんな話までするのかよ!」というサプライズが突然降ってくるので油断ならない。既存のキャラアニメだったら「再生産」で終わってしまうところだが、今作の場合はきちんと深化を見せているので文句のつけようがないのである。個人的には、「こんなキャラになっちまった!」とショックを受けていたベー(幼少の頃はベー推しだったため)が、最終的に他の誰とも違う謎のステータスを付与されたのが痛し痒しであった。まー、この三丁目次元でちょっとくらいの不思議は誤差みたいなもんだが、それをキャラ属性として肯定してしまえるベーの存在は「それありなのかよ」という悩ましいものである。それ以外にも、ノラがあのストーリーを展開したのもびっくりだったし、モモやブルのキャラ設計も謎が謎を呼びクセになる代物である。うーむ、こうして書き上げていくと、俺、普通にファンになっている気が……。

 まぁ、これも懐かしさ補正ってことでどうかひとつ。

 

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「魔入りました!入間くん」 5→6

 今期はEテレアニメの終了から進行していくのね。最近はNHK本放送もそうだけど、アニメのスケジュールが割と自由だよなぁ。この作品も23話終わりだったし。やっぱり自由度が高いのは良いことだ。

 とにもかくにも、実に愉快なアニメだった。なまじ原作を知っていただけに「大したことないアニメやろ」ってんで侮っていたのだが、1話目の時点で減点要素も特になく、繰り返し観ていくうちにそのテンポが癖になり、いつのまにやら土曜夕方の癒し枠としてすっかり定着した。思えば「境界のRINNE」や「クラシカロイド」と同じ枠なのだから、そりゃご陽気アニメが流れれば嬉しいに決まっている。ヒロアカの裏番組ってんで「流石にジャンプアニメの裏でチャンピオンアニメって……」と思っていたのに、気づけば甲乙付け難い存在になってるしね。

 まぁ、動画を中心としたアニメ全般のクオリティで言ったらそりゃぁ「ヒロアカ」に勝るものではなかろうが、別にそんなものは無くても問題なく成立する。アニメの製造過程に関して、ハラハラドキドキ過ぎる昨今ではあるが、今作は大きな崩れもなく、求められる内容を求められる品質で実現していたし、監督の森脇さんを中心とした作劇スタッフの間で雰囲気をつくり上げるための共通認識が強固に作り上げられていたのだろう、2クールの間、常に望ましいデザインでの「入間ワールド」が展開されていた。ギャグをギャグとして面白く描けるってのは、やはり間違いのない才能である。

 考えてみれば不思議なもので、入間くんの持つラッキーな性質や、よくわからないうちに全てを成功に導けるステータスはいわゆるなろう系のオレツエーと紙一重であるはずなのだが、今作を観ていてもその部分は一切気にならないんだよね。入間のキャラ設計がイラつかない方向にデザインされているのも大きいだろうが、彼が1つ1つ成功を積み重ねていく過程に嫌味がないんだよね。ラッキーマン体質が中心にあるが、それ以外にも謎の特殊能力がいくつも備わっており(多分そこが一番のどないやねん要素なのだろうが)、さらに彼の持つ本質的な優しさが問題解決に大きく貢献してくれる。人間性から生み出される「成功譚」なのでそこにきちんとドラマが感じられる。学園祭編なんかはその最たるもので、作中で一番緊迫感のあるエピソードであるにも関わらず、徹頭徹尾、入間はいつも通りに他人を思いやることだけで問題を解決まで導いたのである。少年漫画の歴史を考えればこれもまた王道といえるのかもしれないが、なんだか久しぶりにこういう真っ当な「良い話」を見せてもらった気がする。

 あとはまぁ、賑やかなサブキャラ勢のキャラの立て方もベストマッチしているのが大きいか。ギャグ漫画のくせにヒロインがちゃんと可愛いんだよ。序盤ではアメリ会長の圧倒的存在感に「こんな早見沙織は反則だろ!」と思っていたが、そこから一気にクララがまくりに入り、両雄並び立つヒロイン強度の高さを見せつける。ことにクララは朝井彩加が持てる芸人根性を全て叩き込んだ超力作であり、あやちゅ株を大きくあげる素晴らしいキャラクターになっている。どれだけ緊迫感があっても画面にちょろっとクララを出すだけで戻るべき場所が提示される、「世界の中心」に位置しているキャラという認識だ。彼女のおかげでアスモデウスあたりのキャラが縦横に駆け回りやすかったってのはあるんじゃなかろうか。そうしてお気楽ギャグばかりかと思わせておいてキリヲみたいな「モノホン」のキャラが絡んでくるのも油断ならない。子供向けの枠で作られているにも関わらず、しっかりと多方面に楽しみが得られたのはお見事だ。

 無事に続編の製作が決定したが、放送はなんと1年後。なかなかもどかしい焦らし方をしてくれる。まぁ、NHKが主導で動かすアニメ作りで、しっかりスケジュールを確保して作ってくれるというのだからむしろ朗報なのかもしれない。のんびりとこの1年を待たせてもらうとしましょう。

 

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「ラディアン2」 5→5

 変なタイミングでの最終回で、今期(一応春クール)一発目の終了作品になったのはこちら。NHKの制作体制はやっぱり自由だよな。こうしてあんまり枠にとらわれない制作スタイルが維持できる方が、作品のクオリティのためには良いと思う。まぁ、なかなか簡単にはできないんだろうけども。

 ひとまず、1期から続いておよそ4クールお疲れ様でございました。今時のアニメとしては珍しい枠での放送だったし、そんなに話題になるようなデザインでもなかったのは間違いないが、こうして大きな物語にきちんと決着をつけてくれるというだけでも存外ありがたいものだということが再確認できた。深夜アニメの場合、どうしても「全然区切りがよく無い状態でも1クール分適当に作る」みたいなデザインが多くてモヤモヤすることが多いのだが、今作は(終了してはいないが)ある程度見やすい区切りを意識した上での制作スケジュールが確保されていたおかげで、最終回の視聴後はなんのわだかまりもなくスッキリ出来るのがありがたい。適当な視聴体制ではあったけど、それでも「あぁ、大きな物語を一本摂取したなぁ」という満足感がある。

 作品の大枠が現代では珍しいようなわかりやすい冒険ファンタジーになっており、なるほどこれはEテレで放送するのも納得できる、という内容。1期の頃から「迫害と差別、多様さと相互理解」というテーマ設定は一貫しており、2期目となる今回はそこにたくさんの人間の思惑が交錯する「戦記物」としてのテイストも加わった。なかなか全体像を把握するのは大変だが、尺に余裕があるおかげでキャラの数の割には混乱する要素も少なく、まっすぐなシナリオラインでお子さんたちにも理解はしやすいだろう。その上できちんと問題提起がなされており、独自の世界観も維持されているので想像力を働かせる余地もある。なんだか十年単位でタイムスリップしたような古式ゆかしい設定ではあるのだが、かえって今のアニメではそれが新鮮に映るような気がした。今時、オタク向けのアニメじゃこういうのって出てこないだろうし、原作漫画を描く作家だって、分かりやすくキャッチーな方向を狙いがちなのでこうした地道な積み重ねが効いてくるデザインは作りにくそう。区別する意味はないかもしれないが、やはり元々日本の作品ではないっていう違いは、根本的なところに存在してるんじゃないかなぁ。

 アニメとしてのクオリティは可もなく不可もなくだが、今のご時世、大崩れせずに最後まで運用されたというだけでもありがたく思わにゃならんね。岸ラルケは原作ありの作品に強いっていう定説がここでもまた補強された印象。まぁ、テイストは毎回違うので「原作あり」っていうだけでくくる意味はあんまり無さそうだけど。2期目は話のサイズがどんどん大きくなっていくところで「これ、収拾つくのかなぁ」と不安になって見ていたんだけど、いちいち個性のクドいキャラがいい具合に「気になる」話の引っ張り方をしてくれて、大局の中でも個々のキャラが興味を引っ張ってくれるデザインは見やすかったんじゃなかろうか。個人的には最後の最後まで一切扱いがぶれなかったドク周りの話が好きですね。敵キャラだと後半続々登場したクセが強すぎる審問官連中も楽しかったし。

 元々の接し方としては「どうせ子供向けだし適当に見ておこう」くらいだったし、終わってみればやっぱり雑な扱いにはなってしまったのだけど、終わったと言われるとなんだか寂しい気もするし、改めて最初から見直したい気もするような作品。これくらいの付き合い方が、アニメとしては正しかったんでしょうかね。

 

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「バビロン」 5→5

 な? とりあえず新番チェックの文章コピペしておくと、「『なんだこの投げっぱなしなクソ展開は!』ってアニメ放送終了後に叩かれる未来が見えるな」。なんだこの投げっぱなしなクソ展開は! 原作通りやんけ!

 とりあえず、もうここで今期の感想はゴールってことでいいだろう。一応総数を数えておくと38本。前クールの34本よりも微増で、全体的に低調だったクールだが、その分意地になって切らずに視聴を続けた作品が多かったってことかもしれない。まぁ、今作のように時期がずれ込んだり、完走するのが大変な作品も多かったわけだが……今後はこれがスタンダードになったりしたら嫌だなぁ。

 さておき今作のお話に戻ろう。厳密にいうと、なんとラストはかなり大幅な改変がなされており、より救われない要素が1点追加されている(あの後、どうあがいても正崎は詰んでるので続編がありえない)。原作とアニメのどちらの締め方が良いかは意見の分かれるところだが、どちらもきちんと今作の伝えたい部分は伝わっていると思うので、「アナザーストーリー」とでも解釈すれば良いか。

 さておき……まぁ、こういう評価になってしまうんだろうな、という作品である。それは分かっていたことなので構わないのだが、やっぱり改めて「原作読めよ……より丁寧に絶望できるから……」とは思う。昨今のアニメの消費状態を考えるに、今作を1クール作品として組み上げてまともな評価が出てくる方が難しいだろう。筋だけを追って「投げっぱなし」「むちゃくちゃ」と言われるのが関の山である。何故そういう評価につながるかといえば、結局現代アニメの消化スタイルってのは、とにかくあらすじがわかればそれでいいのだ。起承転結があり、落ち着くべきところに落ち着くのが美徳だとされるのだ。そんな中でチャレンジングな作品作りは難しいだろう。

 原作を読めばわかるが(もしくは原作を読んだ上でアニメを見てもわかるが)、本作の最大の眼目は誰が死ぬとか殺されるとかいう話ではなく、「なぜ死ぬのか」「殺してもいいのか」という「生と死」の問題をひたすら突き詰める部分にある。「自殺は悪いことなのか」なんて道徳の教科書で議論されるような話を、改めて大人になってから考えるための本なのである。もちろん作者の野崎まどは哲学者でもなければ思想家でもないのでそこに結論を出したり、読者に押し付けたりもしないし、専門家が見れば表面的な議論にしかなっていないのかもしれないが、読者に「考えさせる」力は充分に持ち合わせるドラマ作りが行われている。今作を読んで、「あれ、何が正しくて何が悪いんや? 分からなくなってきたぞ?」と一瞬でも迷ってしまったなら、それでこの作品を視聴した意味がある。そういうお話である。ただ、アニメ化するに際し、どうしてもそうした思索的な部分は間引かねばならず、画面映えする「正義の味方VS邪悪な魔女」という構図の方がフィーチャーされるのは致し方ない。そして、そういう作品として受け止めるならば、確かに「なんだこの投げっぱなしは」でも感想としては間違っていないのである。

 しかしまぁ、そういう内情を鑑みた上で、今作は割と頑張っていたんじゃないかとは思う。ピークだったのは2話目の曲世登場回だった気もするのだが(あとは青山譲や櫻井孝宏による「伝聞的な曲世評」が描かれる回も良いな)、肝心の「生死論」についてもギリギリまで逃げずに描こうとしていたし、アニメ的に退屈になってしまうことを言い訳にはしていなかった。ラス前のサミットの回なんて、なんで各国首脳陣が宇宙空間を漂っているのかという謎しかないのだが、あれだって精一杯アニメ的な作劇をするための苦肉の策だし、それなりに効果を発揮していたとも思う。もともと「アニメ化に向いてない」作品だったところを、最大限に「アニメに」仕立て上げただけでも、今作スタッフにはお疲れ様と言いたい(まぁ、放送スケジュールについては……うん)。

 改めて確認するが、野崎まどってのは本当に厄介な作家である。オタク趣味的な要素が多分にあるのでメディアミックスに向いているようにも感じるくせに、作り上げる作品が徹底して「小説媒体がベスト」という制約だらけの作品を世に出し続けている。文章表現で伝えられる物語を小説として展開しているのだから「小説家」冥利に尽きるというものだが、それがなかなかメディアで理解されにくい部分があるみたいだ。いっそのこと、どこかの頭のおかしいアニメ制作者が「野崎まど劇場」のアニメ化とかいうトチ狂った企画を立ち上げてくれれば、もしかしたら世間も諦めがつくかもしれません。絶対無理だろうけど。いや、誰かやってくれませんかね? 「大オーク」だけでもアニメ化しませんかね?(誰が得するんだ?)

 

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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
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