最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
分かれ道の、その先へ。最終話! これは、バンドアニメだ。 大方の予想通りに30分まるまる使ってのラストライブ。もう、今から来月が楽しみで楽しみでしょうがない(わたくし、day1のみ現地参戦!)。視聴中も、すでに来月のステージと重ね合わせてしまって涙が止まらなかった。2Dと3Dの重ね合わせが実現するバンドリプロジェクト最大の強み、それはやはりライブである。見事な接続、見事なエンタテインメント。我々はただ、天を仰いで降り注ぐ「享楽」を甘受すれば良い。 先週のさきうい逃避行から「結局諸々どうなったんだよ」という部分をもっと言葉を尽くして説明すると思っていた人もいるかもしれない。まぁ、そういう要素はあっても構わなかったが、繰り返すが本作はバンドアニメだ。しばらく忘れていたかもしれないがバンドアニメなのだ。であれば、そのバンドの姿を見せることで結末を示す。これが一番誠実な答えの開示である。2つのバンド、10人の少女。その全てに祝福を。 せっかくなので本作にのみ許される「キャラ単体での総括」で簡単にまとめていこう。どうせライブ当日まで今回の映像は擦り切れるまで視聴して備えなければいけないので、残りの時間でたっぷりと読み込みはさせてもらうが、とりあえず初見で辿り着いた私なりの「彼女らが辿り着いた現在地」への雑感である。
高松燈:今シリーズではブレることなく我が道を走っていた燈。バンドのセンターとして、堂々たる姿も見せるようになってきた。もちろん円陣なんてうまくは出来ないけれど、迷子でも進み続ける彼女に後退は無い。同じ日に、同じ志で、全く違う場所で同じようにライブを行なっているかつてのメンバーのことを、燈は誇らしく思ってくれているだろうか。
Ave Mujica:再結成に再結成を重ねて辿り着いたひとまずの「スタートライン」。新たに神となった豊川祥子を中心に、世界の荒波にのまれながらも突き進みことを決めた5人の新たな「共犯者」たち。Mujicaとしてのスタイルは「清濁合わせ飲む」ことで成った。豊川の恐ろしさ? そんなものは自分が豊川になってしまえば何も怖くない。それを卑怯と謗る者がいるだろうか。かつてのように、お嬢様のごっこ遊びと嘲る者がいるだろうか。そんな連中は、ただ音楽でねじ伏せればいいのだ。女神の下に集いし4人の騎士は新たな戦場へ向かう。たとえそれが、血に塗れ穢れた道行きであったとしても。 バンドリのバンドは「暴れ者」が混ざっている。世間に喧嘩を売ることを厭わないバンド、Afterglow、RAISE A SUILEN、そして3つ目にAve Mujicaが名乗りをあげた。これからも彼女たちにはさまざまな苦難が待ち構えていることだろう。しかしもう、解散は許されない。死なば諸共に、彼女たちの企みは続いていく。
バンドが、成った。 PR バンドリが……成り申した、第12話。キラキラドキドキを追えるバンドが、また1つ増えた。 今回のお話を一言でまとめるなら「こまけぇことはいいんだよ!」。視聴直後なのでまだ視聴者の感想などは一切漁っていないが、想定される不平不満として「なんも解決してへんやんけ」「祥子のわがままで豊川がどうにかなるもんじゃないだろ」などなどが考えられる。実際、ここまで状況を泥沼化させた豊川の(というか定治の)隠蔽体質は何一つ解決の糸口を見出していないし、彼が主張し続けていた保身にこだわるならば、今回の祥子の小さな反乱など塵芥に同じ。ただの駄々っ子でしかない。そんな解決を大上段に振り翳して、何を鬼の首を獲ったかのように勝利宣言しているのかと。おそらくそうした文句は出てくるんじゃなかろうか。 もちろん、そう見たい人は見ればいい。例えばそれに反応して「まぁ、定治は結局グループ内で弱い立場やからな。直系の祥子が本気で内情を知り弱みを握れば、グループ内で定治より上にいける可能性はあるやろ」みたいなフォローをしたところであまり意味はない。元々の世界観が多分に劇画的であり、リアルな財閥経営事情など考え始めても答えは出ないのだから。あとは、この作品が「バンドリ世界線の物語として成立したか否か」だけを考えれば良い。そしてその答えが、「成った」である。 祥子がどうやって島に辿り着いたかもよく分からないが、この世界ではバンドメンバーが困っていたら必ず誰かが駆けつけるのだ。それが隣の部屋でも、学長室でも、別な学校でも、別な国でもだ。祥子からすれば元々別荘があって何度も訪れた保養地を訪れるなど造作もないこと。そしてそこにいる「幼馴染」を引きずり出すことも。実際、前回突っ込んだ通りに初音がやっていたことは浅慮であり、不誠実な部分もあったのかもしれないが、「祥子目線で何か不都合が生じたか」といえば全くそんなことはない。おそらく168億だって別に関係なかろうし、ただ「ごめんごめん、初華だと思ってたけど実際は初音だったわ」というだけなのだ。今隣にいる少女こそが彼女が求めたバンドのセンターであり、その彼女が数年前に自分に逢っていたのか、そしてなんと名乗っていたかなど瑣末な問題。いわば、初音は勝手な罪悪感から過度に自分を苛んでいたにすぎない。 しかし、これまでの付き合いからそれをとやかく言ったところで初音が心底納得してくれるとも思えない。祥子目線で一番手っ取り早かったのは初音が間違ってないとか、自分は気にしてないとか、そんなことを説明することではない。「お前がいなければ私が困る」と、ただそれだけを伝えればいい。「お前の事情など知らぬ」と、「こまけぇことはいいんだよ」と、伝えてやればいい。この作品は本当にワンフレーズに幾つでも意味を乗せてくる周到な脚本だが、ここにきてあの台詞がまた輝きを増す。「あなた、ご自分のことばかりですのね」。いつかは1つのバンドを終わらせるために絞り出したその一言が、今度はバンドの再生のために紡がれる。「お前の人生を寄越せと言っている」。天衣無縫傍若無人、最強の令嬢プロデューサー・豊川祥子誕生の瞬間である。 「本気を出せば定治すら潰せる」と、祥子が思っているかどうかは分からない。しかし、「気にしなくても問題ない」と判断したのは事実だろう。今後の彼女が豊川というぶっといパイプをバンド活動に振りかざすかどうかもまだ分からない。少なくとも彼女の信条を考えれば極力グループとの接点は減らしていくとは思われるが、少なくとも定治の横暴を拒絶するために、自身が「豊川の上にいる」ことは示していくことになるはずだ。何がとんでもねぇって、そのついでに「お父様を頼みました」でクソ親父の世話まで定治にぶん投げたこと。事情を知ってしまえば、もはや定治など恐るるに足りず。そんなら今まで自分が散々振り回されてれ来た「横暴な金の力」でもって、飲んだくれの1人くらい世話できるだろうというのである。とんでもない話だ。しかし、そこまでしてようやく、豊川祥子は帰ってくることができる。 「何もかも全て無かったことにしましょう」。一見無責任の極みに聞こえる発言が、祥子の再誕宣言。豊川とのしがらみ、解散含みのゴタゴタ、人格の分離と統合の果ての仮面の破綻。色々あった。色々ありすぎたが、全ては過程でしかない。辿り着いたその先の姿を見せる以外、自分たちの姿を世に知らしめる方法はないのである。バンドに救われたこの命、全く別な方向を向きながらも結果的には自分に人生を預けた4人のメンバー。全てをあるべき形にするのに、過去などもはや無用の長物だ。「我、忘却を畏れるなかれ」。かつての祥子はここまで見越して名乗ったわけでもなかろうが、因果はめぐり、仮面の内側へと収束していくのだ。 祥子の赦しを得た初音はそれだけで全てが贖われた。初めてメンバーを下の名前で呼んだ祥子は自分のことを「初華」と呼んだ。それが祥子の与えた仮面の名だ。もはやそこに罪などない。 負けず嫌いで努力家のドラマーも、嫉妬深いベーシストも、足元がおぼつかない情緒不安定なギタリストも、丸ごと彼女の籠の中。加護の中。デウス・エクス・マキナの何が悪い。どれだけ醜い終局でも、その全てを書き換えろ。真のマスカレードのために。 エンドロールに「一人芝居」がクレジットされるアニメ is 何、第11話。なんかもう……ね……かつてMujicaのライブで現代舞踏の人をわざわざ呼んで幕間で踊ってもらってたことがありましたが、あれもそのままMujicaのイメージが繋がってたってことなんだなぁ。 もう、完全にミステリの解決編のフォーマット。私も人並みにはミステリを読みますので、こんな雰囲気の「小説のラスト80ページ」くらいを嫌というほど読んできましたよ。でもね、これ、バンドアニメなんですよ。あんまり1人の女の子の生まれの不幸とか、人物入れ替わりトリックについて語ることは求められないジャンルのはずなんですよね。これが11話目に入るのは「金田一少年の事件簿」だけですよ。どういうことですか。未だに私はこのギャップに慄いていますよ。 今になって心の底から思うのは、世の考察班ってやっぱすごいな、ってことですね。まぁ、当たり外れ構わず好き放題妄想を垂れ流すばかりなので、その100万本の矢のうち1本が刺さったってのが事実でしょうけど。個人的に放送直後の考察で思わず笑っちゃったのは「祐天寺若麦=椎名真希」説とかですね。言えばいいってもんじゃねぇぞ。 ただ、多分KiLLKISSの映像が公開された時点での考察班は本当に色々捗ってたのは事実でしょう。まだモーティス事変すら明るみに出ていなかった時期だと思うんですが、映像で初華のシルエットが分裂するところから「三角初華双子説」は結構見かけたんですよ。まぁ、当たらずといえども遠からずですよね。3ヶ月前の私はTwitterでタグを漁りながら「まーたオタクがアホな妄想垂れ流してら」と鼻で笑ってたんですが、ニアピンすんのかい。なんなら当ててる人もいたかもしれんのかい。……流石に「It’s MyGO!!!!!」時点の島の描写からそこまで論理的に導き出すのは不可能だったとは思うんですが、私の中の「いくらなんでもバンドリがそこまで無茶苦茶なプロット組むわけないやろ」という常識ブレーキの敗北です。やりやがりました。 今の私の心配というか妄想は、「これ、まじでガルパに実装された時にこいつらの扱いどうしたらええねん」なんですよ。モーティスの存在はさ、多分今後も残り続けるわけですよね。あそこはやっぱり「若葉睦/モーティス」が「奥沢美咲/ミッシェル」と同様の扱いでいいんですかね? 特訓前が睦で特訓後がモーティスみたいな。……流石にそんな扱いにしたらダメなテーマだよな。最終的には睦に人格統合は果たされてる状態になるから、時折「モーティスっぽい睦」が見られたりするんでしょうか。もはやガルパ内ではアニメ放送前の「ママみ長崎そよ」は存在しない扱いなので、そうして存在ごと削除されて実装されるんでしょうか。 そして今回はそんなモーティスよりもさらに難しい問題、三角初華なのか、三角初音なのか問題ですよ。ステージネームが「初華」だと考えれば一応RASのメンバー、「レイヤ」とか「マスキング」と同じ扱いで処理はできるんですけどね。あれもカード名は「和奏レイ」や「佐藤ますき」ではないですからね。でもさ、それ以外のプロフでは嘘書いちゃダメだから「三角初華/本名:三角初音」ってことになるんですよ。いや、「ドロリス/三角初華/三角初音」かな。もう、こいつには己の罪を死ぬまで背負って生きろって言ってるようなもんですよね。 とまぁ、場外の心配ばかりが先立ちますが……とりあえず大方の予想通り、初音(今回に限っては厳密性を維持するためにこのように表記)はお祖父様(定治)の隠し子でした。何がキツいって、ジジイも婿養子だったもんでTOGAWAグループでの立場があんま強くなかったらしいところ。お前、その立場でクソ親父にあんだけマウント取ってたんかい。いや、これまでの人生で散々煮湯を飲まされたからこそ、同じ立場の清告には厳しくあたって、指導しようと思っていたのかもしれないが……ただ、少なくとも初音をめぐっての定治のムーブは普通にグダグダなんですよね。 初音母子が表舞台から身を引いたのは母親の意思だったからよしとしましょう。でもさ、その母子をよりによって豊川グループの別荘のある島に住まわせるなよ。もうちょい別なとこに置いとけよ。そしたらそもそも事件は起こらなかったのに。そんで初音の上京後の隠蔽体質と保護欲求の葛藤もあまりに半端すぎて意図的に泥沼を作ろうとしているようにしかみえないのよ。あれ、定治は「島で祥子と仲良くしてたのが初音だ」っていう理解だったのかしら? だとしたら初音から余計なことを暴露されると自分の地位が危ういから囲い込むのは理解できなくもないが……いや、東京に出てきた田舎の娘っ子1人なんて、多分どうとでもなるな。排除でなく保護の方向に動いたのは、やっぱり血のつながりからの情なんだろう。だとしたら、そのまんまの名前でアイドルデビューまでさせちゃうのは悪手すぎるだろ。ほんと、先々を考える能力がないんか。まぁ、初音が勝手に先走って清告と接点を持っちゃったあたりは単なる事故なんだけども……さしもの大グループの重鎮も、初音の中に蠢く祥子への偏愛まで汲み取ることはできなかったということか。 本人による熱烈一人芝居で語られた「初音」の生い立ち。これによってバンドリ史上最も「病ん」でいる初音から祥子への想いが明かされた。うん、まぁ、彼女が生きてきた十数年の重みを考えれば、目のハイライトが消えがちなのも致し方ないとは思う。「祥ちゃんをとらないで」でモーティス殺害に及ぶのもやむなし(むしろ未遂で終わったのは偉いまである)。私の中で今井リサ・白鷺千聖・青葉モカと並べて愛情重すぎ四天王を結成することを許可しよう。 ただなぁ、これ、祥子側に一切責任がないのはちょっとかわいそうなのよね。結局祥子目線では「島でよくしてくれた優しい初華ちゃん」だったわけでしょ? Mujicaのロゴマークが三日月モチーフなのとか、純粋に「センターにあの素敵な初華を置けば光り輝きますわ!」っていう発想だろうし。「知り合いの才能をフル活用して168億稼ぐ」プランとして何も間違ったことしてないし、「アイドルにはしてあげられなかったけど、近いジャンルで活躍できるようにしてあげれば初華もそこそこ満足するのではなくて?」くらいの考えだったと思うのよね。ただ、それが初音にとっては重すぎる提案だったというだけで……。このすれ違いはどうしようもないよ。強いていうならカミングアウトのタイミングを逃し続け、いっときの安寧に耽溺していた初音が悪いといえば悪いのだが、それだってしばらくは祥子の身の上を知らないままでやってたわけで、祥子と豊川の関係を知らなかったら、ガチで「わーい、祥ちゃんとバンドできるー」っていうあの反応でなんも間違ってないんだよ。別に真初華に迷惑かけてるわけでもないし。まー、なんにしたって嘘はよくないっていう教訓だね。 現状1つだけよくわかってないのは、初音は勝手に崩れ落ちていたが、「彼女の存在が清告に知られてしまった→168億事件」っていうつながりはあるんか? 多分そこは関係なくない? もし彼女の言ってることが本当だとすると、定治が「むぅ、清告には俺が一番知られたくない隠し子の事実を握られてしまった! 余計なことをされないよう、あいつを排除するために168億の借金の責任を負わせよう、レッツゴー地面師!」ってことでしょ? いくらなんでもそれはクズすぎるし、そんなんされたら多分清告だって逆上して初音のことを洗いざらい豊川にぶちまけてから退場するとかしそうなもんじゃん。清告がクソ親父になったのは、ほんとに初華事変とはなんも関係ないとこで失敗しただけなんじゃなかろうか。 だとすると、初音が後悔していた「私が祥ちゃんの人生をめちゃくちゃにした」は単なる勘違いだ。いや、まぁ、余計なことしてバンド結成後に台無しにしたのは事実だし、その後ものうのうと隣に居座って都合のいいことばっかやってたのはやっぱ悪いんだけども。そこんところはもうちょい祥子と事実を突き合わせた方がいいと思うよ。まぁ、豊川上層部の話なんて絶対に祥子には分からないだろうけど。 今回はもう、構造を飲み込むのがやっとでなかなか内面に切り込むとこまで思考が及んでいないが、やっぱここまでの構造をよく作ったな、と改めて今作のデザインに感心。仮面のモチーフとか、あまりにも完璧に伏線回収が決まりすぎてんだよな。尺をとんでもなく食い潰しそうな今回のネタばらしも、「初音の一人舞台」っていう構造をモーティス劇場とかでしっかり下準備しておいて、一番端的に、効率よく伝える工夫ができてるんだよ。全部この「初音×祥子」の物語に収束させるっていう前提があればこそなのよね。 なお、そのとばっちりでどうやら八幡海鈴さんはマジで単なる面白い女のままでゴールしそうな予感。なんで初音の一人舞台回なのにひとネタぶっ込んでくるんだよ。ひとんちのポスト漁るのはノルマに忠実すぎる。 まるでバンドアニメみたいだな、第10話。これまで何度も見届けてきた、バンドリアニメの真骨頂であるライブシーン。しかしその意味すらも、この作品は捻じ曲げてくる。仮面はまだ、剥がれない。 オープニングもエンディングもカットし、CMが入るのが冒頭5分時点と、とにかく特殊編成でこれでもかとライブシーンに全力を注ぐ。これまで散々「どこがライブアニメだ」とか「ライブシーンが全然ないじゃないか」とか言われていた今作だが、満を辞して繰り出された新曲2曲と、それに付随する渾身のライブシーン。見事な演出とサンジゲンの真骨頂であるダイナミックな見せ方。本来であれば、「ラストに持ってくるライブシーン」は禊ぎの存在であるはずだ。過去のバンドストーリーは、必ず最後の演奏シーンが救いとなっていた。RoseliaのSong I am、RASのBeautiful Birthday、MyGOの詩超絆、そしてCRYCHICの春日影。事を成し、バンドを繋ぐのがライブシーンであるべきで、そこに相応しい言葉は「大団円」以外にない。そりゃそうだ。「みんな同じステージの上で音を合わせる」なんて、こんなわかりやすくて安直な「関係性」の描写はないのだし、バンドリプロジェクト自体、そうしたものを描くための「バンドメディア」なのである。ライブの新曲は、最大限の「ハレ」の表現であるはずだ。 しかし今作は違った。話数にしてまだ10話目。そして木っ端微塵に砕かれたAve Mujicaというバンドの再生が、たかだか1話2話でできるはずもない。あくまでも「道半ば」でのライブシーン。「何も繋がっていない」ライブシーンだったのだ。 とはいえ、もちろん今回の「再生」のために全力で頑張った人間はいる。今回も問答無用でMVPを持っていく最大の功労者は祐天寺若麦。誰もが後ろ向きな動機でMujicaという存在に縋り付く中、唯一正面を向き、前に進むためのMujicaを選択することができたのがにゃむである。まだ自分が一番輝ける場所かどうかは分からないが、追い詰められた彼女にとって、もはや「勝つための」場所はここしかない。おまけに「怪物」若葉睦の体たらくまで見せられて、失望のままに終わるわけにもいかない。幼稚で半端なモーティスなんかじゃなく、なんとかして「若葉睦」を引きずり出し、向き合わなきゃ行けない。見届けなきゃいけない。見せつけてやらなきゃいけない。そのために彼女は、Mujicaの再始動を決意する。やっていることは八幡と同じはずなのだが、2人の明確な差は社会経験と、人の心を理解する真っ直ぐな性根。RiNGでの顛末を見届けた結果、にゃむは最短でステージを再建するルートを突き進むことになる。 熱意は人一倍だったが空回りを続けた女、八幡海鈴。こいつについてはまだ何一つ問題が解決していない。モーティスという駄々っ子問題児もMujicaの抱えた難題ではあるが、ぶっちゃけ精神的な幼さでいえば海鈴も似たり寄ったり。モノマネ機械のモーティス同様、彼女だって少ない手札だけで精一杯虚勢を張っていただけなのだ。彼女が最優先していたのは誰でもない、椎名立希という「信頼できる」友人(知り合いか)の言葉。ただ一言「信用」という言葉がひっかかっていた海鈴は彼女なりのやり方でMujicaメンバーの信用を勝ち取ろうと必死になっていたが、その行動は祥子にもにゃむにもほとんど響いちゃいない。とんちんかんな空回りを修正してくれたのは、ここでもやはり立希。「信頼を取り戻すためには」という道徳の授業を、1から始める他ないのである。釈然としていなかった海鈴が最終的にはいうことを聞いちゃうくらいには、立希は信頼されている。 おかげでモーティスのお守りをなんとかこなしていた海鈴(そよママに全部任せたいところだが)。彼女の思惑とは全然関係ないところであれよあれよと進んだMujica再生計画にウッキウキのご様子だったが、彼女はおそらく「お前の努力が身を結んだわけじゃない」ことや「ここにあるのはまだお前の望む居場所としてのMujicaではない」ことにも全然気づいていない。八幡海鈴が本当に「信用」を知るまでには、もう一山、大きな荒療治が必要となるだろう。 とはいえ、形の上では達成されたMujicaの再生。上述の通りににゃむの功績が大きいが、にゃむがとった手段は「情に訴えるのではなく理で詰める」という彼女らしい方法だった。端的に言えば「お前が始めた物語だろうが」であり、こんだけとんでもない状況に巻き込んじゃったメンバー5人に対しての責任を取れ、と祥子に要求しただけ。そして、この路線で詰められると祥子には思い当たる節があるあるある、ありまくる。よりによってあの日のそよさんまでフラッシュバックした日には、自分がやらかしてきた大きすぎる前科に押し潰されかねないくらいだ。祥子は不器用な子で、そして責任感も人一倍大きい。「責任取れ」と言われたら、そりゃ形だけでも返礼は考えねばならぬ。168億の負債を抱えた親父と同じにならないためにも、貸し借り無しで対等に世間と渡りあわねばならないのだから。 幸いにして、モーティスと祥子の間での利害関係は今のところは一致。前回触れた通りに「互いに幸せになれるMujica」ならこの2人が共存する可能性は存在している。海鈴の調教の副産物であるエアギターは祥子が望むものではないが、再生Mujicaは祥子の箱庭ではなく、ただのハリボテである。そこに放り込むモーティスがエアだろうがなんだろうが別に構わないのだ。そう言われてしまえば、モーティスだって頑張れる範疇の提案。睦を「殺した」罪悪感もあって、駄々っ子モーちんも首を縦に振るしかなかったのだ。ちなみに祥子は今回睦に対して1度たりとも「モーティス」とは呼びかけず、ずっと「睦」と呼んでいる。彼女の中で、一緒にステージに立つ人間は若葉睦をおいて他にないのだから。 こうして再生したAve Mujica 2nd(仮)。浮かれているのは「元鞘です!」と表面だけ見ている海鈴だけ。そして再チャレンジの機会を得たにゃむも、一応スタートラインには立てた。正直に自分と向き合った彼女はついに「アモーリス(愛)」の自認が。彼女は「怪物」に目を奪われ、魂をも奪われた。しかしそれは決してネガティブなことばかりではない。毎週書いていることだが、「圧倒的才能への羨望」はバンドリ世界線では最大級の動機である。紆余曲折を経て、アモーリスはようやく白鷺千聖の、青葉モカの、氷川紗夜のステージまで上がってきた。及ばぬ自分を認め、眩しい他者を受け入れる。そこから始まる戦いだ。「愛を恐れない」、アモーリスはここに確かに立っている。 ドラムは自分なりに上を目指す。ベースは浮かれ気味で確かなラインを刻む。キーボードは義務感に駆られて粛々と音を綴る。未だチグハグなバンドの中で、ギターが歌を生み出し始める。まぁ、そう簡単に睦が消えるなんて誰も思っちゃいませんて。結局は「睦が悲しまないMujica」はそこまで見つけるのは難しくなかったってことだ。フェーダーを上げる1カットで「キャラクターの復活」を示す演出、ここでしか出来ない心憎い見せ方である。ギターが歌を歌い始めれば、若葉睦にもいつか救いの手は差し伸べられるだろう。 しかし。 仮面はまだ剥がれていない。八幡海鈴以上に都合のいい表面だけを享受し続ける女。三角初華。さぁ、ようやく彼女が断頭台へと登るのか。冷静に考えて、初華に対する祥子の態度はあまりにも冷たすぎる。そりゃ祥子の立場も苦しいところは多々あったが、当時あれだけ世話になっていた初華に対して、あまりにも対応が塩すぎていた。今回だって「流石にそれはないんじゃ」と思えるような態度だったわけだが……どうやら、祥子は何かに気づいていたようである。ライブ中も一度たりとも目を合わせなかった、三角初華という存在に。豊川邸への来訪時にも何やら含みのある入り方をした初華に。 初華、お前の罪を数えろ。 やはたァ……とがわァ……みすみィィィィ……祐天寺! 第9話ァ!!! 視聴者の多くは同じような状態だと思うんですが、ここ最近の私は、このアニメのことを反芻してるだけで1週間終わります。なんなのこのコールタールみたいなアニメ。 どっから突っ込んだらいいかも全くわからないんですが、結局若葉睦を中心に物語は回っています。ややこしいのは中心にこいつが鎮座しているせい、そしてそれに対して祥子が未だ正しい対処法を見出していないせい。でもそれはしょうがない。誰も正解なんて分からないんだから。 多少強引だが単純化するために二極化させると、現在「CRYCHIC復活派」と「Mujica再生派」の2派閥に分かれて、本当の意味での修羅場を演じている。こんなに「修羅場」という言葉がしっくりくるアニメは初めてだよ、という程度には修羅修羅している。そしてそれぞれの主張には恐ろしいほどのエゴが込められており、当然簡単に解決などできるわけはない。 CRYCHICとMujicaという2つのバンドをどちらも生み出した諸悪(?)の根源、豊川祥子から考えていこう。彼女については、「クソ親父を切る」という選択さえできれば一応問題は処理できる。168億が無ければMujicaを始める必要すらなかったわけで、このアニメも存在しなかった。かつては親父を最優先にしたおかげでCRYCHICが解散する羽目になり、我が身を引き裂く思いで離れたバンドの「全てを忘れ」、父親を救うための存在がAve Mujicaだった。しかし年端もいかぬ少女に出来ることなどたかが知れており、夢は潰えてMujicaが空中分解。無理が祟って後に残ったのは2つのバンドの亡骸だけ。何も出来なかった祥子は弔いだけを考えていたが、「Mujicaの消滅=親父の放棄」なので、まずは父親との縁が切れる。現時点で、祥子が父親をどうこうしたいという意識は表れていない。 するとこの時点でややこしいことに「CRYCHICの復活」は選択肢として復活する。そして彼女には「バンドを殺した」という負い目があり、「CRYCHICの壊滅」については、元メンバーのほとんどがMyGOという拠り所を(あれだけの苦労を伴って)生み出したおかげである程度の禊が済んでいる(長崎が冷たい目でこっちを見ているが)。ただ、彼女の最大の傷は若葉睦という最大の理解者を「壊して」しまったこと。睦を壊した原因であるMujicaを再生させるなどという選択肢があるはずはなく、現在は「睦のために」CRYCHICをやり直したいと考えている。動機が完全に他者にあるというのは、これまで己のためにのみ屍を重ねてきたことを思えば当然の末路か。 転じてその若葉睦はほんとにややこしい状態。睦自身はそこまで難しい話ではない。実は彼女も最大の動機は「祥子の幸せ」であり、「祥ちゃんが苦しむ」というただ1点においてMujica再生は選択肢にない。そしてCRYCHICのやり直しも「祥ちゃんが救われるから」なわけだが、ここだけが少し問題で、睦と祥子はCRYCHICの再生の動機を互いに依存している状態にある。つまり、お互いに「わたくしは別になくても大丈夫ですわ」「私も」という対話が成立すれば、まぁ、ぶっちゃけCRYCHICはなくてもいいのである。まーそもそも長崎そよはあれだけの仕打ちを受けてCRYCHIC復活の夢をメタクソに潰されたわけだし、「昔とは違う」の一言で済ませてくれたのは彼女の最大の優しさとすら言える。また、ご丁寧に祥子を思って「CRYCHICの詩」を書こうとした燈は、もう「CRYCHICの歌」が作れなくなっていることまで提示されている。まぁ、そのことを指摘したのが審判として全く信頼できない三角だったわけだが……おそらく燈もそのことは薄々分かっていたはずだ。改めて確認するが、やはり「CRYCHICの再生は無い」のである。 さて、転じてMujica再興派の戦力はどうなっているか。まず、その筆頭になったのが前回飛び出した「面白すぎる女」八幡海鈴。彼女のクレイジーっぷりは散々迸っていたわけだが、正直、何が彼女をそこまでさせるのかはまだ分からないままだった。「居場所になるバンドへの憧れ」は頭では理解できるが、これまで積み重ねてきた八幡海鈴の悪行を思えば、まだそれが本心だったのかは定かじゃない。この女に「本心」などというものがあるのかどうかすら分かっていない。しかし、今回の顛末でそれがちょっとずつ保証されていくようなヤな確実性がある。 根幹にあるのは「居場所への羨望」。それは間違いない。しかし、そのために彼女1人でどこまで奔走するというのか。まず「モーティスへのギター講習」(正確にはエアギタープレイヤー仕草講習)を行い、バンドとしての体裁を整えるところから始めた。もう、この時点でこいつがおかしいことは分かるのだが、とにかく「入れ物」を作らないことには自分が「入れない」のだ。仮面を被ったお人形に慣れすぎた哀れな傀儡が、必死に糸をたぐろうとしている様子はあまりに滑稽である。 そして半端な形で「モーティスは抱き込んだ」と判断し、続いてにゃむにも「信用取引」を持ちかけるが、祐天寺はどう足掻いてもMujicaを再開する動機がない。自分にとっては間違いない醜聞。「演じること」に対する余計なトラウマを植え付けた地雷。ストーカーじみた空気の読めない粘着を行うめんどくさすぎるベース。何が楽しくてこんなところに戻りたいものか。おそらく、祐天寺がMujicaに戻るとしたら、そこに「一番格好いい自分」がいないとダメだろう。演技では若葉睦に勝てない。それでも同じ板の上で「戦える舞台」があることに気づけば、もしかしたらにゃむは再び戦場へ戻ってくるかも知れない。 しかし、残念ながらガラクタ人形の海鈴にそんな人間の心は分からない。都合よく(?)初華を取り込みついにMujicaの過半数を取り込んだと判断した海鈴は揚々と祥子のところへ。「睦がかわいそう」を最大の要素として取り上げる祥子に対し、「そんなん言うたらモーティスだって可哀想やろがい」というゴネを展開。まぁ、モーティスの言うことを全面的に信じるのであれば「Mujicaの消滅はモーティスの消滅」にもなりうるわけで、一応殺人の罪を訴えることにはなるのだが……それだってモーティスという幼い紛い物が勝手に宣っているだけである。祥子を引き戻す要素としては弱い。当のモーティスはというと、結局CRYCHICとMujicaの間で揺れ動く睦との折り合いがつかず、「互いに殺し合っている」状態に。しまいには睦を封じて自ら「睦を演じる」というおもしれー最終手段に出るが、そんな大根芝居では野良猫に笑われるだけ。決して人間にはなれやしない。もっと根源的なところでの「統合」が必要である。それはつまり、「CRYCHICとMujicaの統合」であろう。より正確に言うなら、「祥子と睦が幸せになれる形でのAve Mujica」。おそらく今作のゴールはそこになるとは思うのだが、おそらくモーティス程度の思慮ではそこに思い至ることはないだろう。 そして、睦と祥子が必死に手を取りあい、なんとか自分の生き様を探す中、海鈴が涙ながらに自分の生きがいを求める中、にゃむがプライドをかけて生き方を定める中、誰の顔も見ず、ただただ狭い殻の中で嗚咽を漏らす人間が1人。さぁ、三角初華。いよいよお前の出番だ。 海鈴のモチベーションがなんとも捉え所が無いのに対し、初華の願望は実にシンプル。そしてそれ以外にないためにただひたすら純度が高い。ANON TOKYOからの情報提供を受け、豊川祥子の紆余曲折を思い、その隣に自分がいないこと、そして、全く相手にされていなかったことを最悪の形で知る初華。ことここに及んで、RiNGに乗り込んだ自分の姿すら、祥子は捉えていなかったではないか。祥子はこれほどまでに自分を軽んじていたのか。いや違う。三角初華は、祥子からの依頼を果たせなかった役立たずだったのだ。「すべてを忘れさせて」というオブリビオニス(忘却)を、顕現させられなかった。だから捨てられた。家庭事情の話かと思っていたかもしれない。「忘れさせるべきこと」が世知辛い世の中の話だったら、楽しくみんなでバンド活動ができて、お金も稼げるMujicaがあればこともなしだと思ったかも知れない。しかし実態はそんなもんじゃなかった。祥子にとってCRYCHICは本当に大切で、後から割って入った自分が簡単に「忘れさせる」ことなどできなかったのだ。その最大要因だった高松燈の詩を改めて認め、祥子にこびりついたCRYCHICの残滓の重さを知る。 ダメだ。自分と祥子が並び立つ場所はMujicaしかないのだ。衣装部屋にあった「オブリビオニス・廃棄」の文字列が深く深く突き刺さる。終わらせるわけにはいかない。どんな手を使っても、Mujicaを取り戻す。もはや「手段のためには目的を選んでいられない」。祥子がどうなろうと、それが初華の幸せなのだから。そのためには、八幡に存分に働いてもらわなければ。ドMの八幡、こいつはいい動きで祥子を追い詰めてくれそうではないか。あの仮面を、また被ってくれそうではないか。それだけで、夢が叶うなら。 「き〜〜んも」。 Happiness to you, 第8話。さまざまな局面が変貌していくターニングポイント。薄皮を剥くように明らかにされていく少女たちの素顔。どうでもいい情報ですが、カラオケDAMの端末は履歴に同じ曲が複数並ぶことはありません(ほんとどうでもいいな)。 まー、私もこれまで散々八幡海鈴という女について期待したり慄いたりいじり倒したりしていたので今回のお話はギャグとして見てしまう側面が強いんですが、一見ファニーに見える彼女のあれこれが、全て切実な彼女の内面から出てくる表現であることを考えると、「笑うしかない」「笑ってられない」というのが正直なところ。ただまぁ、事前に睦という「極まった症例」を見てしまっているので、八幡海鈴の葛藤はまだ「思春期の情動」として一般化できなくもないかなぁ、という思いもあり、まだ心穏やかに受け止められる部分はある。 今回のお話は大きく分けて2つの局面が描かれる。1つはモーティス。前回のCRYCHICラストライブで完全に浄化されたと思われた若葉睦だったが、それは視聴者側の勝手な願望であって、睦の中に生み出されたモーティスからしたら緊急事態。何を勝手に美しい思い出にして自分を消そうとしとるんや、という話である。一見すると綺麗に掃除されたかに見える睦の私室だったが、残念ながらまだ鏡台はひび割れたままで、自分を映すには至っていない。 ただ、我々も話が簡単になるからあっさり受け入れていたモーティスという存在も、より客観的に考えれば面倒極まりない存在であり、その実存をどこまで認められるかは難しいところ。こうなってくると「そもそも人格とは何か」という哲学(心理学?)にまで食い込んだ話をしなければならなくなる。 ここで1つ新たな情報が提供される。それは、「信頼できない観測者」(厳密には、視聴者視点で信頼に足るかどうか分からない観測者)である森みなみからの証言。「睦は生まれながらにして役者であり、そのすべての挙動は演技だった」という話(お笑い芸人わかば、初の顔出し回想)。よりによってそんな話をCV沢城みゆきでさせるんじゃねぇよ、とは思うが、みゆきちボイスだからこそこの恐怖感が際立つというのもあるかもしれない(実存する怪物に言われたら説得力しかない)。ただ、「生まれながらに演技をしている人格」というものが仮に存在したとして、それは果たして「演技」なのだろうか? その辺りの感覚をみなみちゃんともうちょっと詰めたい思いはあるのだが、森みなみもあの通りの性格なので、いかに大人だとて十全に信用できるとも思えない。バンドリ世界線において(少なくとも今作の枠内において)「大人」は完全なるものではなく、往々にして不完全な部分ばかりがピックアップされることが多く、みなみちゃんはその最たる存在だからだ。少なくとも実の娘を「怪物」呼ばわりする親を信用するのは難しいだろう。 奇しくも時を同じくして、モーティスからも似たようは話が提出される。モーティス自身も含め、睦の外側に見えるあらゆる人格は仮初のものであるという主張。それまで数多存在していた仮の人格は、睦がギターという拠り所を見つけて「不必要」になったために淘汰され、最終的には「睦ちゃん」に集約されるはずだったところを、モーティスのみがMujica絡みのゴタゴタの調整役としてかろうじて生き延びたという話だ。この言説もずいぶん突飛なもののように感じるが、よくよく考えればそれって単なる「思春期までの成長における人格形成」の一形態と言えなくもない。子供というのは、生まれながらに何かを決められるものではない。無限の可能性、ありうべき「自分」があって、成長という名の無数の挫折と断念を経て、その行く先が絞られていく。そうして一意に自分を定めて「安定」していく様を人は成長と呼ぶことがあるわけだが、モーティスからしたらそれは「喪失」であり、自己の消滅すら内包した遠回しな自殺とも言える。モーティスが幼児のままで動かぬ性格を持っていることはまさに幼年期の体現であり、成長を拒否し残す無限の可能性、甘美で安易な「夢」の残滓でもある。これを消すことを成長というのならそれは欺瞞でもあるが、果たしてそれを避け続けることが正しいのか。若葉睦という少女は、歪んだ家庭環境の中で長らく「自分」を見つめる機会を与えられてこなかった。しかしギターに出会い「自己」を見出し、今ようやく人格を得ようとしているところだ。 ただ、悩ましいのはその「睦」が目指している理想の自分は「CRYCHICの自分」であり、祥子も、立希も、それがもはや終わったものだと断言している。睦はそこを諦めたくない気持ちを持ち続けているが、おそらくそれは叶わぬ夢なのだろう。若葉睦はCRYCHICを手放し、新たなギタリストとして「自己」を確立する場を模索する必要がある。もちろんそれがAve Mujicaである必要はないし、祥子のことを考えればそうではない方が良いとは思っているわけだが、そこにモーティスは反発している。「モーティス」という名を与えられた人格は「ずっと昔から睦ちゃんと一緒にいた」わけだが、今たった「2人」だけで生き残るほどに顕在化しているのはAve Mujicaというバンドが受け皿になり、明確な「入れ物」を用意してくれたおかげ。睦がMujica以外のバンドを組めば、おそらく「モーティス」は不要となる。2つの「未来の可能性」が共存するためには、なんとしてもAve Mujicaでなければならないのだ。しかしそれは、モーティスの、若葉睦という1人の人間のエゴでしかないのだ。 転じて、今回語られた2つ目の局面、八幡海鈴に話題を移そう。ややこしいモーティスの話に比べれば、どうやら海鈴さんの過去はおよそ想像通りのものだったようで、すげぇ簡単にまとめると「あまりにバンドに入れ込みすぎちゃったからぶっ壊れた過去があり、そのせいで責任を取りたくない、『信用できない』スタンスを取るようになった」とのこと。まぁ、バンドという集団を形成する段にはよくある話で、ディティールは違うが山吹沙綾とチスパあたりにも似たような話があったし、同じくサポートメンバーとして複数のバンドを掛け持ちしたレイヤ、マスキングあたりも「バンド内関係」には悩んでいたこともあった。海鈴さんの場合、残念ながら「一発目」のショックが大きすぎて、その後のバンド活動全般に大きな影響を及ぼしたということらしい。 これまで秘密のヴェールに包まれていた八幡の日常も一気に明かされたことでその精神性への考察(妄想)も色々と捗ることになる。一番に注目されるのはやはり家庭環境だろうか。地獄の豊川家、煉獄の若葉家と対比的に描かれた熊本の祐天寺家、その他バンドリ世界の「家庭」は温かいものが多いが、どうやら八幡家もふつーにほんわかなご家庭らしい。ちょいぽっちゃりめだがとても人が良さそうな八幡母(CV渕上舞)。娘さんのパンクな生き様もふわっと受け止めて放任しているらしいが、多分彼女の生い立ちにおいて家庭環境はマイナスには働いていなそうである。まぁ、母親の容姿に抵抗があるのかどうか、徹底した体型管理はストイックすぎる部分もあるが、そこはまぁ、思春期の女子なら想定の範囲内だろう。元々ミニマリストの気があるようで、「都内でもそこまで思い切った物件あるかい」と突っ込みたくなるような打ちっぱなしコンクリアパートの室内は本当にものがない。味覚がおかしくなりそうなカロリーメイトの山にプロテイン、そこに対比的に持ち込まれる「目玉焼きをのっけた焼きそば」の話から、彼女がバンド活動を続けるにあたり、そぎ落とし続けたものの大きさが滲み出ているかのようである。まぁ、30のバンドを掛け持ちするには、どこかでタイパを突き詰める必要もあるのだろう。そこまでして彼女がバンドにしがみついているのは、根底に何かしらの情熱があるからなのか、「親の世話にならずに」生きることへの執着があるのか。 しかし、そんな効率厨になった八幡海鈴の前に投じられた大きすぎる一石。それがどうやらCRYCHICだったようだ。あの豊川祥子が救われたCRYCHICラストライブ。一度は喧嘩別れして崩壊したはずのバンドが、1人の人間を窮地から掬い上げた。何故なのだ。自分を突き放したあのバンドは、何も後には残さなかったというのに。この感情を嫉妬というのかどうか、少なくとも海鈴自身は認識できていないが、周りの連中は着実に外堀を埋めてくる。よりによってあのCRYCHICには海鈴が信頼に値すると判断した数少ない人間の1人である椎名立希が含まれている。あのツンケンしたクールガイ椎名立希が身も世もなく泣きじゃくるほどの経験が、CRYCHICにあったというのか。バンドというのは、そこまでの存在なのか。海鈴はその存在をまだ知らない。 ストイックな彼女のこと、分からないことがあれば知りたくもなるのだろう。悔しくもなるのだろう。「元鞘」を目指してまずはオブリビオニスの再起を促すも当然失敗。一番話がつきそうな「効率厨」だと思われたにゃむちに話を持っていき、言質を取ることには成功した。あとは、歪みきった状態ではあるが同じモチベーションを持つモーティスをなんとか「使える」状態まで持っていければ、何かしらの糸口は掴めそう。……なんとまぁ、不器用なことで。おそらく彼女は本当にいろんなことを「知らない」のだ。ある意味でモーティス以上に無垢で、まっさらで。さらにタチの悪いことに、モーティスが自然に維持していた「幼児性」というか、成長の拒否を、海鈴は自らの鉄の意志で行なっていた。バンドに裏切られたことで、人間関係の構築、自分からの積極的な他者への介入を遮断し、目を向けてこなかった。そこに一歩踏み込んできた空気を読まない女が椎名立希だったせいで、彼女に対してだけは、どこかで埒外の反応を示してしまうこともあった。やり方が分からないことが多すぎて、カラオケボックスのドリンクバーで戸惑っていたお嬢様・豊川祥子のように、海鈴は間違ったどか買いをしたりする。ミニマリストの彼女がアホみたいな買い物をするという対比構造には、過度のストレスを受けた混乱があり、何かを変革したいという欲求が見て取れる。 赤ん坊のようなモーティス、何も分からない世間知らずのティモリス。2人の結びつきはAve Mujicaの再びの萌芽となりうるのだろうか。そして、此の期に及んで海鈴からろくすっぽ話すら持ちかけられないほど信頼されていない三角初華は。 Ave Mujicaは「死」を経験し、祥子は「忘却」した過去に向き合った。だからとて5人にはまだバンドへの「愛」はなく、何を「恐れ」ているかも分からない。その先に待つのは、「悲しみ」だけなのだろうか。 いい最終回だった。第7話!!!!!!! 冗談でもなんでもなく、今回は最終回です。これ、ガルパやってる人間ならわかるんですが、演奏しながらメンバー1人1人の独白を入れていくっていう形式は各バンドごとのメインストーリー最終話のフォーマットなんですよ。つまり、今回はガルパに実装こそできなかったが、実質「CRYCHIC」というバンドの最終話だったのです。4月のライブ、現時点で意味が重なりすぎて会場潰れるんじゃなかろうか。 前回の雰囲気から何となく、今回で「モーティス編」は最終話になりそうだ、という予感はあった。全て自分が悪かったということをすでに認めている豊川祥子、そして間を取り持つ長崎そよ。この2面攻撃でもって、モーティスという仮初の人格が成立しなくなるのも時間の問題。前回時点ですでに睦自身が何とか表に出ようと必死になっている様子が描かれたわけで、「睦を守りたい」が最大のモチベーションであるモーティスが今更その存在を頑なにする意味がなかったのだ。それでも何とか祥子憎しの感情で表にで続けたモーティスだったが、そんな虚しい人形の心を溶かしたのが、かつての同志・CRYCHICのメンバーたちであった。 今回全員で集まって誤解を解いた通り、そもそも睦はCRYCHICが憎かったわけではない。純粋に大切な存在ではあったが、ギターという唯一の存在証明すらもバンド活動の中で表現しきれなかった自分がもどかしく、それが一番不器用な言葉で出てしまっただけだった(それにしたって不器用が過ぎるが)。まぁ、あのタイミングでは睦だけが祥子の件を知っていたのだし、祥子1人を悪者にするわけにもいかないので「バンドは楽しいから存続しよう」などと言えるはずもない。睦なりに悩んだ末のあの発言だったのだろう。 そうして、長年後悔し続けた睦の懊悩はモーティスも知るところ。睦はギターが好き、そして(祥子は別にしても)CRYCHICも好き、というのがモーティスなりの理解。だからこそそよに対して心を許してもいたし、ギターに憧れるから楽奈にくっついてもいた。モーティスの一挙手一投足が、睦の中のCRYCHICへの想いを体現していたとすら言える。だからこそ、最後の一押しはそのメンバーたち。すったもんだの末に祥子の口からもCRYCHICの名が出たことにより、モーティスも祥子を許すことを決意する。歴史的な雪解け。まず、1つのピースがつながった。 CRYCHICの最終章ということで、当然祥子と睦以外の3人にもスポットが当たる。前回からフル回転だった長崎そよ。そよが持ってきたシナシナきゅうりが役に立ったとは思えないが、少なくともそよにしかできない返礼だったのは間違いない。CRYCHICという十字架を背負い続けているのは睦もそよも同じこと。今改めて、2人が力を合わせて過去を乗り越えた。そよ目線だと、あの夜祥子から受けた手痛い扱いについても、責めるに責められないしちょっと恥ずかしいところだったのかもしれないが。 これまで蚊帳の外だった、というか、割り切ったつもりでいたのが立希。まぁ、短気な彼女はあんな揉め方をしたバンドメンバーに対して、自分から和解案なんて持ち出す気はさらさらなかっただろうが、①今やってるバンドに支障が出そう ②何よりも燈に支障がでそう ということで渋々和平へ乗り出した。思えば随分月日も流れ、久しぶりにあった祥子は想像以上に縮こまってしまっている。椎名立希さんは怖い女だが、怯えている女子供には優しかったりするのである。途中、姉との関係性で何だか妙な気掛かりを残してはいるが、まぁ、CRYCHICについては泣き虫立希ちゃんにはこれくらいで良いのだろう。 この度、しばらく元メンバーは4人で対話しており、メインボーカルの燈は介在しないままで話が進んでいた。しかし、やはりCRYCHICはMyGO同様に燈の歌で成り立つバンド。最後に燈は「新曲」を持ってきた。それが今の祥子を一緒のステージに立つ一番の道具だと考えたのだろう。そして燈は相変わらず正直だ。同じステージに立ち、同じ歌を歌い、あの頃の甘い思い出に戻ってしまえばそれで終わりだったかもしれないのに、敢えて本心を言葉にしてしまう。「全然分からない」と。かつて、祥子は初めて燈の歌詞を見たときに「私の歌」だと言った。燈は「今の祥子は分からない」という。同じステージに立つとはいうものの、それはCRYCHICの再結成を促すものでも、祥子を慰めるためのものでもない。自分たちの「今」を見定め、先行きを暴き出すための暴力的なまでの本音の吐露だ。そうした真っ直ぐな燈の言葉に、祥子はいつだって動かされてきたのだから。 こうして紡がれた2つの歌。誰もがその意味を理解し、「なんで」なんて誰も言わない春日影。穏やかな春を謳ったこの歌。春は別れの季節でもあるのだ。豊川祥子の、若葉睦の新たな旅立ちへ、かつてのメンバーが最高の花向けを送り届けた。 (観客にいた愛音と楽奈は楽しそうだった。楽奈、空気読んで必要なときだけ姿消すのすごい) これで終われば、1つの物語としては綺麗なものだ。しかしまだ問題は残っている。モーティスがまた眠りについたとして、まだ睦はマイナスからゼロに立ち戻っただけ。彼女の人生は、まだその先が真っ暗で何も見えていない。豊川祥子にしても、睦に対する過ち、CRYCHICへの過ちこそ贖罪を遂げたものの、彼女の暗澹たる人生は何もプラスに転じていない。改めて作る必要があるのだ。祥子と、睦が、輝ける場所を。 そして次の曲が始まる。開始を告げるは八幡海鈴。ただでさえ謎に包まれた彼女の本心、先週に引き続き、たった一言で全てを持っていくパワーファイター。彼女は何故、春日影に唇を噛んだのだろう。彼女は「成されたバンド」に何を思うのだろう。 そして未だ埋伏を続ける三角初華。まず間違いなく、この物語の最終章は三角初華の章であろう。 新たなマスカレードの幕が上がる。 長崎そよ、捲土重来の兆しあり、第6話! まだまだびっくり設定が飛び出すぞ。これ、ほんとにバンドリ世界線の物語として成立してるんだろうか……これまで超常的な要素が絡んだエピソードってほとんど無かったと思うが……(花咲川の怪談エピソードとかRoseliaのホラーエピの時なんかあったかなぁ)。 相変わらずの渦中。どこから手をつけていいかもさっぱり分からない展開になっているが、何とか要素をまとめていこう。ほんとなら最後に触れたいところだが忘れないうちに「今回触れられなかったこと」に言及しておくと、まずは何と言っても「三角初華、1コマも登場せず」というのがエグい。前回も含め、多面的な展開になった時でも必ず全てのメンバーに触れるようにしていた今作だが、ついに今回は初華が一切登場しなかった。しかしこれは「描く必要が無かったから」ではない気がする。とにかく周到なシナリオを構築してくる今作スタッフのこと、何の意図もなければ、むしろにゃむと同様に「ちょっと現在の状況を挟む」くらいの描き方をするはずだ。実際、にゃむは「現在にゃむは自分なりの活動に邁進して頑張ってますよ(あとラーメン銀河に激辛ラーメン売ってますよ)」ということを示すためだけに1シーンだけ登場している。それに対し、まださっぱり問題が解決してるように見えない初華の方だけ登場しないという、このぽっかりと空いた陥穽がどうしようもなく怖い。この1ヶ月、初華はどこで何をしているというのだろう。 にゃむは上述の通り「うまいことやってる」状態であることが伝えられた。まぁ、激辛食レポが望んだ姿かどうかは分からんが、少なくとも本人の望むルート上にあるのは間違いない。言及されなかったってことは巴もマスキングもバイトしてないタイミングでの撮影だったっぽいですね。 そして更なる刺激をぶっ込んできたのは八幡海鈴。きたきたきたきたきたキタァ! ついに鋼の硬度を誇ったティモリスの仮面にヒビが入った。いったい何が彼女を不愉快にさせたのか、それは現時点ではまだ分かっていない。いくつものバンドの最後を看取ってきたであろう海鈴にとって、別に「あのバンドに愛着なかったんか」とか言われることはそこまでストレスではないはず(「YES」と答えればしまいなのだ)。しかし、明らかに立希のあの一言で海鈴は苛立った。それは言った相手が立希だったことが要因なのか、はたまたAve Mujicaというバンドが彼女の中で何か特別な意味を持っていたからなのか。「崩れた」ことによってようやく八幡海鈴という1人の人間を探る糸口が見えたが、ここから先がまだ長そうだ。それにしても……たった一言、「頑なに守ってきた丁寧口調が崩れる」1ワードだけで胸中に蠢く不穏な感情が漏れ出る脚本が本当に周到。本当にこの作品をやるための準備が着実に「It’s MyGO!!!!!」の時から積み重なっていたことが分かる。 さぁ、残るは祥子・睦、そしてモーティスということになる。そしてここに新たに楽奈とそよも絡んでくるため、話はCRYCHICというバンドの記憶へ。豊川祥子は、今も昔もあったもんじゃない。身の回りの状況を受け入れるだけで手一杯だろうし、自分がやらかしてきたことを思えば過去なんて振り返りたくない。何もかもを忘れて「知りませんわ」と言いたくなる気持ちも分かる。そして残念ながら、そんな彼女の思い出したくない「過去」を一番喚起するのが高松燈という存在なのだ。彼女が丁寧にしたためていた大量の付箋は燈との思い出の大切さを物語っているが、今やそれら全ては彼女を苛むものでしかない。睦の現状についても大きな後悔は抱えているものの、ここまで己の無力さを思い知らされた彼女には、贖罪の機会も再起の意志も起こり得ない。 そんな祥子が残した最大の病巣がモーティス。今回のお話、まずもってモーティスがそよのことを悪しからず思っていたという事実は少々意外だった。どう考えても睦にヤなプレッシャーを与えてクソ女ムーブをしていたわけで、睦のメンタルを第一に考えているモーティスからしたら、ここ最近(MyGO編からの時系列)のそよは敵視されてもおかしくなかったはずだが。しかし実際には幼い思考しか持たないモーティスがママ味溢れるそよを肯定する。モーティスの判断基準は「CRYCHICが好きだったから」とのことで、そよは「睦もCRYCHICが好きだった」というモーティスの一言にショックを受けていた。そんなことすら伝えられないような「あんまり親しくなかった」間柄の2人だが、それでもモーティスはそよを受け入れている。もしかしたら、あの寒々とした若葉家の中で、初めてモーティスの言葉に耳を傾けたのがそよだったことも理由なのかもしれない。少なくともCRYCHIC時代にもよくしてもらっていたはずだし、モーティスには長崎そよという裏表女の悪い部分は認識されていないのだろう(まぁ、自身の「二面性」に比べれば可愛いものだし)。 三日三晩の診察と看病(?)の結果、そよはモーティスという人格を認めざるを得ないと結論づける。Ave Mujicaのメンバーが秒で受け入れてたのがどう考えてもおかしいトンデモ現象なのだが、今にして思えば「メンバーに興味がない海鈴」「祥子以外に興味がない初華」あたりは悪い意味で睦の異状を気にしなかったのだろう。にゃむだけは何かしら反応してもおかしくなかったが、もしかしたら「2つの人格」についても若葉睦の演技力の延長線上として捉え、「認めたくない」という感情があったのかもしれない。とにかく、そよは睦のことをよく知った上で真正面から初めて「モーティス」に向き合った人物であり、そのことでモーティスからの一定の信頼を得るに至った。 そしてもちろん、そよはこんな異常事態を放っておくことはできない。いや、彼女にとって睦がどういう存在かを一意に定めるのは難しいかもしれないが、おそらく彼女の中で、「唯一すがる場所であるMujicaを失ったモーティス」という図がかつてのCRYCHICを失った自分と重なってしまったのだ。「またしても祥子によってバンドを奪われてしまうのか」という感情から、彼女はとにかくモーティスに力を貸そうと考えたのだろう。たとえ睦に対して愛憎入り混じっていたとしても、自分の人生を滅茶苦茶にしたあの事件を、繰り返す理由にはならないのだ。 そしてRiNGに連れてこられるモーティス。見せ物の如き彼女の容体を、まさかの柚餅子色の心眼が見通す。ほら、猫ってたまに何もない空中をじっと見てる時とかありますから……まさかの設定。要楽奈はそのオッドアイでもって2つの世界を見通せる。……何だその設定。このためのオッドアイだったんか?! そんなキャラデザあるぅ? もしかしたらゆにこが「オッドアイ」から思いついた脚本かもしれんけど……こんなところで楽奈に新しい属性が付与されるとは……。 とにかく、楽奈の人智を超えた理外の才にモーティスは新たな依存先を見つける。しかもありがたいことに、そよが「睦ちゃんに色んな刺激を与えてみては」という(心理療法的にはそこそこ正しい)アドバイスをしたところに、これ以上ない天然ギタリストという属性までもっている。楽奈の暴走ギターによって、「ギターしか頼るものがない」睦がついにわずかな意識を取り戻す。それまで必死にギターケースを抱えて駆けずり回っていたモーティスの頑張りもようやく実を結んだと言える(踏切でちゃんと一時停止できるお利口さんである)。しかし、残念ながらモーティスと睦が対等に対話できるというわけでもない。祥子に対する評価が真っ二つに割れた2つの魂は、主従を巡って虚しい争いを繰り広げる。その様子が、新たな火種になるとも気付かずに。……未だ物言わぬ人形の姿しか取れない「睦」の瞳にホワイトノイズが反射してまるで泣いているかのように見える演出がゴツいです。モーティスはテレビの画面を通して睦に外の様子を伝えているが、「外の世界に直接触れないように」という過保護な精神からきているこの行為が、睦の一番恐れていた「テレビカメラ」という存在を介在させているのがあまりに残酷。「スマホ(カメラ)」という睦の恐怖の対象にいち早く気づいてかばいにいった長崎そよ、現時点ではモーティスすら超えて睦の一番の理解者になった。 そしてそんなそよさんを信頼し、祥子が居を移したことを知らないモーティスはよりによってクソ親父ハウスの住所を伝える。睦があれだけ頑なに守り通した秘密があっさり漏れた結果、そよさん、何故か2週連続でホラー展開の犠牲者に。……まぁ、月ノ森のお嬢様からしたらクソ親父アパートはそれだけでホラーかもしれん(そよさんが再婚前に住んでたアパートもここまで安っぽくはない)。おかげで一発で祥子の窮状を理解することができた察しのいいそよさん。地面師がらみの168億円事件がMyGOメンバーに共有され、相変わらず全く意識しないところで「またなんかやっちゃいましたぁ」と情報を漏らす愛音経由で、そよは祥子の現状を聞くのである。 長崎そよは、CRYCHICを抱えながら生きることを誓った女。MyGOという新しい居場所のおかげで前を向いて歩くことはできるようになったが、燈と一緒に、その影を背負い続ける女。そんな人間に、発起人である祥子が「何も知らん」などとのたまっていたことが伝わった。あの日、「自分のことばかり」と自分を蔑んできたあの豊川祥子が、あろうことか睦を犠牲にして何もかもを終わらせたという。 長崎そよは抱えて進む。忘却(オブリビオニス)など絶対に許されない。反撃の無路矢をあげろ。 さぁ、アニメが地獄の3丁目だというのにライブをやるらしいぞ。しかも今回はこないだのシングルを買った人は抽選でご招待。漏れてしまった人も、なんならCD買ってない人だって無料で配信が観られちゃうという、ちょっと信じられないような慈善事業ライブだ。開始数分で「こんなライブやって金取らないとか、運営は馬鹿なのか!?」と思ったが、違うな。これは撒き餌だ。こんなもんを見せられたら、今後は死に物狂いでライブチケットをもぎ取ろうとする人間が激増するだろう。もう、逃げられないのだ。人の心がない企業、ブシロード。ありがとうございます。
<以下、セトリに従い、いつも通りにリアタイツイート垂れ流し方式です。今回はアーカイブもないので、何が起こったのかを確認しようがないけどな。俺もないせいで自分が何を思って書いたのかもよく分からない>
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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