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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 新章突入!? 第5話! いや、オムニバス形式でヒーロー物語を繋ぐって構成自体に別に文句はないのだが……シャオユエチンはどうなっちゃったの!? ねぇ!? そこはいつ明かされるの!?

 これはあれですかね、一通りこっちの話やった後にまたナイスの方に戻ってくれるのか、それともナイスの話はナイスの話で、すでに1つの悲劇として成立してる扱いなのか……流石に前者だと思いたいが、モノがチャイナアニメなので何が起こってもおかしくはないのがちょっと怖い。これまでの経験上、物語構成のドライさというか、悪いことを振り切って悪く描く筆致って中国作品は強い気がしてるんだよなぁ。ちょっと心配はしてみるが、一旦終わっちゃったものはしょうがない、切り替えて新しい物語を追いかけていくしかないだろう。

 公式サイトのストーリー欄を見ると前回までが「ナイス編」で今回からが「魂電編」となっている。作中だと簡体字だったのでよく分からなかったが、「コンデン」は日本式の表記だと「魂の電気」で魂電。次なるヒーローはこいつ。CVは緑川光、仮面で顔を隠し続けてウン十年のベテランヒーローらしいぞ。しかし、ナイスの時と同じで今回も扱うのはヒーローそのものではなく、その影で必死に生きる一般人。リンリンはナイスの能力をどういう理屈かわからんがそのまま引き継いでいたが、今回の主人公であるヤンチョンはほんとにただの一般人。そしてそこに「信頼値」という言葉がようやく導入された。

 いや、前回まででもどっかでこのパラーメータのことは説明されてたんかな。俺が覚えてないだけかもしれないが、これまで疑問だった「ヒーローはどこからどうやって力を得ているのか」という問題がちょっとだけ解決。どうやらこの世界には「信頼値」という各自固有の数値が存在しているらしく、詳細は全くわからないが何かしらの社会的な影響を及ぼしている。「生まれながらに信頼値ゼロ」のヤンチョンはどうにも卑屈になったし、実際、信頼値がゼロだったもんでオーディションに落とされるという酷い目にもあっている。これが「素養」であるとしたら富める者がますます富み、貧しき者はただ滅びるだけの地獄絵図になってしまうのだが……ラストでヤンチョンのリストに燦然と輝く「1」の表示は、おそらくヒロインの弟・ユズからの「信頼」を得たおかげで獲得した1ポイントだと思われる。となると、このステータスは「他人からの信頼」を得て上昇していく。おそらくナイスたちヒーローはこの信頼値がずば抜けており、そこ由来でヒーロー的パワーを得ているということなのだろう(まぁ、信頼の質によって能力が変質してしまうリスクもあったが)。

 一般人の平均信頼値がどれくらいなのかは定かじゃないが、少なくともヤンチョンはたったの「1」で電撃を迸らせることができていた。当人の資質が関係しているのかもしれないが、ここから彼がヒーローへと成り上がっていく展開は期待が持てるということだ。1話目の「英雄譚」はこれまでにないまとまった(当たり障りのない)内容で、今作で初めて、穏やかな気持ちでエンディングを迎えられた気がする。それだけに今後の不穏さを感じ取れるわけでもあるが……本物の方の魂電がねぇ、ただのヒーローでは終わらない空気を匂わせてるのよねぇ。そしてこの先、ヤンチョンとヒロイン、そしてそのお友達の若社長の三角関係がどのように展開していくのだろうか。

 それにしても、花江君が終わったら次は信長ヒーローなのか……鉄板すぎるし、気持ちがTARITARIしてきた。

 
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 毎度引きのエグさがすんごい、第4話。今回は実に良い最終回だったし、流石にハッピーエンドやろ、と思ったらあれだもんな。思わず「Ave Mujicaかよ」とか突っ込んでしまう。

 まじで、序盤の流れからすると「こういう最終回だろ」と思ってたことをわずか4話目でやっちゃうという狂気のシナリオライン。絶えず刺激を提供し続けるそのエンタメ精神は鬼気迫るものがあり、現代の「ウケる」ドラマ作りってのはこうして刺激の連続でひたすらに視聴者を惹きつけるのが正攻法になりつつあるみたいだ。ある意味でMujicaもこの路線だったわけでね。もしかしたらこれが中国人気質に合うのかしら? いや、でも日本人にとってもおもしれぇもんな。

 今回のお話を観るにあたって確認しなければいけなかったのは「この世界におけるヒーローの力の源はなんなのか」という部分。ぶっちゃけここ2、3話の間も「なんで主人公は偽物のはずなのに飛行とか超パワーとか、ナイスの力がそのまま使えてるんだっけ? これも事務所が与えてるものなのか?」とかよく分からない状態で、「1話目で説明あったかもしれないけど忘れちまったわ」ってんですっとぼけて観ていたのだが、どうやら「ファンの声援が力を与える」が文字通りの意味になる登録者システムになっているようだ。理屈は分からんがとにかくヒーローは民衆の「かくあるべし」という理想像からエネルギーをもらい、その通りのヒーロー像になっていく。そういやシャオユエチンも「ファンがそう望んだもんだからナイスのところにしかワープできなくなった」とか言ってたな。今回もファンが「あんなシャオユエチンは偽物に違いないのだからナイスは騙されて出てこないで」という声援によって軟禁状態にされていた。そこを打破するためには、一度「理想とされるナイス」を脱却する必要があり、主人公がリンリンに戻った時点で「ヒーローとしての束縛」が解除されていた。どこまで人為的に操作できる要素なのかはよく分からんな。

 まぁ、とにかくそうしてヒーローが「像」に支えられているこの世界。つまりは無力化しようとしたらヒーロー本人を叩くより、それを支持する民衆をコントロールする方が確実だ。そしてそんな情報操作のプロフェッショナルが今回戦ったゴッドアイだったわけだ。こいつ、もっと能力をうまいこと使いこなしてれば少なくとも公的には最強の座にありつけらたと思うのだが……あぁ、でも単にライバルのゴシップをぶっこ抜くだけのパパラッチヒーローにはあんまり支援者もつかないか。だとしたらこいつ自身の能力も使えなくなるかもしれんな。今回の一件では最後まで情報解析力は使えていたわけで、それってゴシップを暴露した後でもゴッドアイ支援者はそれなりにいたってことなんでしょうかね。

 細かい設定は結局よく分からんが、無事に主人公が「ナイスとして」ではなく「リンリンとして」世間から認められることになり、いよいよタイトル通りの「ヒーローへの道」が拓けた。まぁ、当人は別にヒーローになりたくてなってるわけじゃないのだが……ひとまずシャオユエチンさえ救えれば今回のミッションはクリアだった。……のだけど……。

 シャオユエチン、毎回エンドで何かしら悲惨な目に遭ってるな。これで死ぬのは3回目だもんなぁ……今度こそ流石に死んだ気がするんだが、これで復活してきたらまじで不死身の能力者の可能性が出てくるな。


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 2、3話くらい飛ばしちゃったんじゃねぇかと思うくらい話に脈絡がない、第3話。最後にシャオ・ユエチンに話が戻ってきたから良かったけど、最初にスタンドが出てきた時に「こんなやつ……いたっけ?」ってだいぶ困惑した。

 まぁ、世界観としてはあくまでも主役は「ヒーロー」であって、ナイス1人の物語になるかどうかも未だ確定はしていないってことだわな。今回はナイスが目指すべき「上」のヒーローを描くことで彼が登るべき道が苦難だらけであることを伝えるお話になっており、トップ10に入るだけでも街1つ巻き込んでの大騒動を引き起こさなきゃいけない。いや、今回は別にナイスのせいではないのだが……この世界におけるヒーローという存在がまだ良く分かってないんだよな。基本的には「ヒロアカ」と同じ感じでいいとは思ってるのだが……。

 なんかふわふわしてんなー、という印象があるのは、多分「トップヒーロー」という存在さっぱり見えてこないせいじゃなかろうか。前回の引きを見て「いや、ナイスがトップヒーローじゃなかったんかい」と思ったし、大人気の彼がベスト10にすら入っていないという。同じような世界観でも、厳然たるトップが最初の最初に提示されていた「ヒロアカ」との違いはそこにある。オールマイトという存在が最初に出てくればこそ、「この世界のヒーローってこういうものなんだな」という理解がすんなりいったが、この世界はそれが見えず、明らかにオールマイトっぽい「スタンド」がようやく出てきたと思ったら、そのスタンドもギリギリ10位だという。そして、そんな10位のスタンドが何故か象徴として巨大石像になっていたり、その実態を探ったら装備品によって強制的に「倒れない」ヒーローを演出させられていたり、内実がなかなか安定しない。シンプルに「強い!」というだけでヒーローを構築していないあたり、今作の曲者っぷりが窺えるんじゃなかろうか。

 かてて加えて、そんなスタンドの引退劇が繰り広げられるにあたり、衝撃の展開としてサプライズヴィラン・マッドウルフが登場し、彼女のモチベがま〜ゆがんでいる。いや、1人の少女の願いとしてギリ理解を示せなくはないのだが、そのために彼女がやらかしたことが街の半壊。いくらなんでも被害がデカすぎてどんだけ純朴な願いだったとしても許容できない。一応、爆弾の設置も人が死なないように計算し尽くしてやってたんだろうか? 単なるお絵描き好きの女子高生にそんな器用な真似ができたとも思えないのだが……やっぱこの世界の人間はヒーローだろうがヴィランだろうが、何かしらの特殊能力を抱えているんでしょうかね。

 ただ、そうして無茶苦茶な筋立てで終始首を捻りっぱなしではあるのだが、やっぱり映像表現が面白いから観ちゃうんだよな。今回も映像のテイストをかき分けることで現在と回想を明確に区別する手法が採用されており、全く違うアニメが2つも3つも混ざり合っているようなカオスな印象。画面が派手になるので観てて退屈はしないんですよ。もうちょいシナリオラインで寄り添ってくれれば忌憚なく楽しめそうなのだが……この辺の感性はお国柄の違いなのかしら?

 
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 「ステージの撮影は、言い伝えで禁止されています」、第2話。すげぇ世界観だ……。これさ、「撮影」っていう技術が言い伝えられるほど昔から存在してるってことは、多分キラキランドは現代と比較しても技術水準は抜きん出てるってことだよな。……そのうちキラキランドに侵略されるんじゃねぇか?

 ということで、設定周りが割とトンチキなのが楽しかった2話目。来週以降はいちいち感想書かない気はするんだけど、流石に私としては「祝・女王役の中の人プリキュア再出演」ということで今回ばかりは記事立てする動機とさせていただいた。大原さやかはどう足掻いてもプリキュア役で登場なんて不可能オブ不可能だが(いや、西村ちなみや久川綾だってプリキュアやったんだからワンチャンあるといえばあるか?)、そのポジションなら問題なくキャスティングされるのである。前回登場時は悪の総合商社のOLとしての登場だったが、今回めでたく光サイドで登場。ただ、君臨する女王としては若干お茶目要素ありと、なかなかいいキャラになっているのが喜ばしい限りである。こんな見た目がぷにっとした役やるチャンスなかなか無いからなー。

 などと中の人の話に終始してしまいそうだが、2話目もぼちぼち良き感じで進行している。気がかりなのはやはりキャラ作画部分で、メリハリが強いもんでちょっとの崩れで大きくイメージが損なわれるハイリスクハイリターンなデザインだよなぁ、というのは1話から継続しての印象。特に今回登場した「2人目」であるななちゃんは「ウインク」になるということでこれまた「目」に特徴があるキャラなので、すでに「顔のバランス難しいよ〜」という苦労が見て取れる。今後訪れるであろう東映作画回でどれくらい踏ん張れるかに注目。

 同じリスクはもちろん主人公のうたも抱えているのだが、少なくとも現時点では「アイドル」「ファンサ」に特化したキャラの見せ方は明快で狙い通りの効果が出ていると思われる。「正体バラしたらあかんよ」というルールも共有されて行動方針も明確だし、「プリキュアだけどアイドル」というよく分からない状況も飲み込める度量のでかさというか、天真爛漫さは今のところ魅力に繋がっているんじゃなかろうか。「アイドルという評判にかまけて慢心してしまう」なんて展開、普通ならもうちょいシリアスめに一旦落としてからあげるシナリオラインになりそうなもんだが、「落とす」深度はかなり浅めにして、「ちょっと打たれちゃったけど、反省して気ぃ引き締めます!」をわずか2〜3分で処理しちゃったのは潔い。まだ2話目だってのにアイドルが落ち込んでる姿を描くのはなんか違うからね。

 そうして底抜けお気楽なうたに対し、2人目のななは素直な青キュアポジション。アイドルだったらキュートときたら次はクールがセオリーですからね。もう、全幅の信頼をおいて任せられるたかみなの安定感も盤石。アイドル業も手慣れたもんよなぁ。あとうたの親友役は村上奈津実が担当。こちらも蘇るかつてのニチアサ感が良い。……キャストの話ばっかりだけど、やっぱこうしてみるとあっちもこっちもアイドル経験者ばっかりなのは時代ですなぁ。

 
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 最終回じゃねぇよ、最終回であるもんかよ……………………最終話!!!! 史上最も「観たくなかった」話でした。終わってしまうんだなぁ……しばらくはロスで苦しむことになる。ただひたすらに滂沱の涙。でも、いろは達が前を向いていなら、僕らプリキュアおじさん達も強くならなくちゃ。

 もはや今回のお話だけで何をか言わんや、という感じなのであまりコメントもまとまりません。ガオウを見送り、それに伴ってニコ様(とメエメエ)ともお別れ。1年の締めくくりは単なる番組終了ではなく、作中でも数々の別れがあるのです。そしてニコ様は当然ニコガーデンとアニマルタウンの接続を切るのが目的で動いているわけで、どさくさに紛れて4つのパクトも全回収。おめぇ、そこでパクト回収するなら鏡石置いてくなよ、とは思うが、これが一応、(形式上の)ニコ様のけじめだったのだろう。ある程度覚悟していたプリキュア当人達(と我々視聴者)はグッと涙を飲んで一度は堪えるこの別れ、多分なんも考えてなかったのはメエメエだけだろう。これまであんまりこういう別れのことは想定してなかったもんなぁ。

 しかし、今回の「お別れ」は「ひろプリ」の時と同様に「さよならだけど、さよならじゃない」パターンだったので世界に一条の光。ひろプリの場合は「スカイランド、意外と近い」という「なんじゃそら」な接続だったが、今回は変身能力こそ戻りはしなかったが、鏡石の温情により対話機能だけは復帰するという特別仕様。まぁ、今まで頑なにしゃべってこなかった大福ニキまでしれっと話せるようになってるのもどうかと思うが、これにて、またこむぎたちの日常は元の姿に戻ったのである。今後、すくすくと成長して色々と拗らせるであろうまゆさんに対し、ユキがどんなお小言を言い始めるかが今から楽しみである。出来ることなら、毎週3分くらいでいいので仮面ライダーの前に「今週のアニマルタウン」っていうスポット番組とか放送してくれませんかね?

 結末については色々な可能性がある中での1つの大団円。文句を言うつもりは全く無い。きちんと最終回で分身高速撮影まゆが見られたし、どこまで行ってもこむぎがこむぎであり続けたことが全てを丸く収めたことが改めてよく分かるよい幕引きだったんじゃなかろうか。ガオウとスバルにしても、こむぎがここまで屈託なく突っ込んでくれたおかげで解決した問題も多かっただろうし。最後の最後まで徹底して「手を繋ぎ合う」ことを貫き通せた、見事な戦士でした。しいて今回ピックアップする要素があるとしたら、個人的に一番嬉しかった感涙ポイントはトラメきゅんのスタンスですね。ザクロだけ残して一足先に向こうに行っちゃったもんだから「なんか残念だな」と先週までは思ってたんですが、最後に「迎えにくる代表」としてトラメが出てきたことで、ガオウとスバルの道行きが祝福されたものであることが十全に伝わるようになっているのがとても良い。改めて、トラメ・ザクロの両名には本当にお疲れ様。ザクロさん、最後の最後までほんとにいい女だったよ。

 さて、阿漕なまでに接続して来週からはアイドルの時代。最初に触れたのがすみれママンだったのがどうにもこうにも。そのアイドル、キラリンウサギが出世した姿らしいぞ……。先に謝っておきますし、そんなことはないように努めますが、「わんぷりを終わらせた存在」として私が新しいプリキュアにヘイトを向けたら誰か「それは違うだろう」と叱ってください。

 
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 ただ美しく、第49話。この1年間の物語が、ただこの結末のため。

 わんわん泣きます。もう、あとは何も書かなくてもいいくらいに。なんかもう、嬉しくってね。こむぎが幸せそうにしてくれてる、それだけで何もいらないんですよ。

 野暮を承知で書き足していくと、ここに至ってしっかりとこむぎがセンターキュアの仕事を果たしてくれたことがまずありがたいですね。終始4人で描かれてきた今作の構成。時に猫組の方にスポットが多く当たって「こむぎたちがなおざりじゃないか」なんて不満が出ているのをみたこともあったのだが、全てはこのエンディングへと繋がっていたのですよ。格闘禁止、ネガティブな感情禁止、なんなら人並みの理知と理屈すら封じられた史上初の「センター犬キュア」。そんな無茶苦茶なこむぎが、気づけばまごうことなきセンターへ。こむぎだから出来た解決策。こむぎにしかまとめ上げられないこの難局。結果だけを見れば、此度の騒動も全てスバルという「人」のエゴであり、彼が我が身の悲劇を呪い、負の感情をあたりにばら撒き続けた結果なわけだが、それを望んでいないのはスバル自身であり、その友・ガオウであったのだ。古き友と心を繋ぎ、浄化へと至るためには人と動物の境を超えた存在がどうしたって必要。その特使の任を任されたのがこむぎだったわけだ。「ガオウに謝罪したい」というスバルの思い、ただいろはとお話ししたいというこむぎの願い。その気持ちに貴賎も大小もない。出来なかったことがあるなら、出来る者が代わりに手を差し伸べればいいのである。たとえ過去にどんな過ちがあったとしても、反省を重ねて、その度に正しい道を模索するしかないのだから。

 今回は「ワンダフル、ゴー」でももちろん泣かされたわけですが、個人的にはこむぎとガオウの対話シーンで、最後までガオウが人語を話さずこむぎにだけ思いを「語って」くれたシーンが好きでしたね。ここでこむぎの特権性が強調されて、プリキュアとしての役割が明示されているので。「動物と話してみたい」なんて夢は遥か昔から人類が持ち続けているもの。そう容易くは叶えてもらえないが、プリキュアにくらいは、夢を叶える力があってもいいじゃないですか。いや、大福さんも叶えてましたが。

 来週が来てほしくない。次週は(望まれたこととはいえ)ザクロ・スバルとの別れが待っている。そして、我々視聴者は1年の締めくくりとしての別れが待っている。今週1週間が無限にループし始めたら、私が次の時代へ進むのを拒否した結果だと思ってください。

 

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 最強美女概念ザクロさんをありがとうございます……第48話! ほんと、ザクロさんにとっても一番いい結末を迎えられそうなのがほんとにほんとに嬉しい。脚本が、ほんとに……。強いて言うなら大団円にトラメきゅんも混ぜてあげたかったけどね。

 さぁクライマックス。最終決戦はアニマルタウン全域を巻き込んでの総力戦となり、ここでガオウがニコ様とぶつかっての頂上決戦……だったが、そこで敗れたニコ様が最後の力を振り絞りガオウをマスクオフ。「最も効果的な場所、最も効果的なタイミング」でのマスクオフ。どこぞの配信者ドラマーもびっくりの完璧な流れ。ぶっちゃけ、ガオウの「中身」についてはさっぱり意識してなかったんですが……そう来たんか……。以前どこかで「そうかも」みたいな意見は見た気もするが、ぶっちゃけあまり必要性を感じてなかったから想定してなかったんよな。正直驚きました。しかし、改めて正体を表したスバルの存在が認識できた今だからこそ、いろんなところが腑に落ちるし、今作のシナリオの如才なさも確認できた。

 そう、ガオウは実際にはガオウではなく、その親友のスバルだった。元は人間だった彼は恨みを抱いたまま眠っていたがガオウの無念を引きずった状態で復活。友の仇を打つために今回の行動に出たのだと言う。基本的には暴れるのがガオウだろうがスバルだろうが被害自体は変わらないが、ここで「本人」と「その友人」であればモチベーションが大きく変わってくるし、大義名分にも差が出てくる。ぶっちゃけ、暴れてるのがガオウ本人であればどれだけ詭弁を弄したとしても人間サイドには贖いきれない罪があるだけに完全決着が存在しなかったんですよ。いくらいろは達が理想論を語ろうとも、過去が覆らないのであればそこに恨みを持つガオウは浄化されずに暴れ続けることができる。そこに無理矢理な説得と解決を見てしまうと、何かしらのわだかまりは残る。

 しかし、これが実際には「友の仇討ち」であったとなるとかなり「解決の手」が見えやすくなる。まずもって、非常に酷な言い方にはなるが、ガオウ自身が死んでしまっており、もはや彼の意思を完全に再現する術はない。現在暴れているスバルはあくまで「スバルがそう思っているから」暴れているだけで、ガオウ本人がどれほど人間を恨んでいたかはもはや知りようがない。であれば、「ガオウはこんなこと望んでない」理論が通るようになるのだ。もちろんそれとて死人を利用した詭弁には違いないが、今作の場合はより代弁者としての資格を有するザクロさんが発言できるのが大きい。かつてガオウを愛し、その意思を引き継いだスバルをも思い続けるザクロは、唯一にして最大のガオウの理解者、そして代弁者である。彼女がスバルを説得できれば、少なくとも「スバルの恨み」は浄化されうるのだ。

 また、ここに来てザクロとスバルという関係性がフィーチャーされることによって、本作における重要な関係性を全て「人間と動物」にまとめ上げることができる。こむぎといろはが理解し合えるように、ユキとまゆが愛し合うように、ザクロがスバルを思う気持ちは本作で最も大切な感情に寄り添うことができるのだ。もちろん「飼い主とペット」と言う間柄ではないが、本作はもはやそのようなラベル付けに意味がないことも提示している。動物が人間を想う気持ちがその逆と等価であるなら、ザクロの想いは最優先でスバルに伝わるべきものなのである。この構造が完成した時点で、もはや何の心配もなくなった。

 さぁ、あとはザクロさんに頑張ってもらうし、小難しいことでまだスバルが文句を言うなら、あとはこむぎが理屈抜きで叩き伏せてやればいい。今にして思えば、ザクロさんの目標に向かってまっすぐな姿勢はどこかこむぎに似ているのかもしれない。わんこのパワーで、落ち込んだ友達を元気にするんだワン。

 お話の結末は見えた。あとはアニメとしてどれだけこのフィナーレを飾り立てられるか。その辺りについても本作のスタッフは抜かりなし。戦闘シーンではキラリンアニマルのバーゲンセール。改めて「ペンギンもライオンも得られる結果は一緒なんだよな……」とか「ハムスターさん、やっぱ出番ないな……」とかいう話はあるが、ここに来ていろんなお友達との連携を見せる姿は、戦闘スタイルにバリエーションが少なかった今作の最大限のファンサービスである。自分なりの結論が出て活き活きしているフレンディの頼れる感じがたまらない。そして何といっても……タイヤ再び!! そんな意味の分からん伏線あるゥ!? 同日のブンブンジャーでブンの字が機能停止してるんだが大丈夫か?

 フレンディが友情を繋ぎ、ワンダフルが華々しくその道行きを示す。その「わんだふる」、余すことなく叩きつけてくれ。

 
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 あけましてプリキュア、第47話。2週間ぶりのプリキュア、まさか1週間休まれるだけで寂しくなるプリキュアに出会えるとは思ってませんでしたね。そんで前回の予告の時点で「お正月ムードにかまけてちょっとご陽気な回でもやってくれるのかしら」と思っていたが、流石にこの話数でそんな余裕はなかった。新年一発目からガチシリアス。ここから一気にクライマックスに持っていくのがプリキュアカレンダーである。

 とはいえ、流石に「正月」の彩りがないのは寂しいので、Aパートは晴れがましいアニマルタウンの風景から。殊更にプリキュアメンバーにスポットを当てるのではなく、町民オールスターズがごそっと登場することによってハレのムードを演出するあたりがアニマルタウンのいいところ。「みんな友達」という雰囲気を伝えるのが今作における一番の祝賀になりますからね。まぁ、いろんな問題の根源とも言える鏡石神社にお参りに行くのがそれほどめでたいかどうかは微妙なところだが……ことあるごとにニコ様の笑顔が挟まれるのが絶妙に「お前の力の一端やぞ」というニュアンスが出ちゃうのがなんとも……ええんやで、巫女の烏丸さんは悪くないからな。

 とはいえ、やっぱりみんなしておめでたいと感じているのは間違いない事実。何故かこの街の正月の遊びにはメンコが加えられたりしているが、今時の幼児ってメンコって言って伝わるんでしょうか。俺さ、小さい頃にメンコって文化は一応通過はしてるはずなんだけど、いまだにあの遊びのゲーム性がわかってないんだよな。叩きつけるだけでターゲット裏返すのむず過ぎない? この街のお子さんたちはその辺も達者みたいだけど。

 参拝シーンも色々と見るべき点はあるが、やはり個人的な興味はユキまゆへと向いてしまう。「ユキと初詣は初めて」ってのは別に「アニマルタウンで」という限定は必要なく、ふつーに家猫と初詣に行くご家庭はなかなかないだろう。犬は庭駆け回れるけど、猫はこたつで丸くなる季節なんだからしゃーない。晴れ着をうまいこと着込んでお外に出てこられたユキちゃん乙。まぁ、その結果が蛇地獄で大変でしたけどね。猫年に改めてお祝いしましょう(この国には十三支あるって、「えとたま」で学んだんだ)。

 もう1つの注目ポイントとしては、大熊ちゃんが電話してきた相手がいろはじゃなくてまゆだったというのも良きポイント。普通に考えたらコミュ力モンスターのいろはのところに電話がかかってくる方が自然な気がするが、「みんなといると思った」とはいえ、電話の相手がまゆだったことから、まゆがこの一年で友達の輪を広げたことが伝わってきてとても良い。正月から実家のお手伝いでハードワークな女子中学生ガンバ。猿と蟹は……まぁいつも通りに。「カニの良さを広めたい」という謎のモチベーション、この子も将来どういう道に進むのかが気になりますね。海洋学者か、はたまた水族館にでも勤めるのか。

 などなど、祝賀ムードを一通り演出しておいて、Bパートはもう本編に入っていきます。幕引きが近くはっきりと前景化されたガオウの怨嗟。残された手駒はかつての同胞たちの霊体のみとなったが、そんな「狼の軍団」を組もうとしたところに、ついにザクロさんからの進言が。彼女なりに年末年始の間ずっと悩んでいたとは思うのだが、いよいよ切羽詰まった様子のガオウを見て、このままでは良くないと判断したのだろう。決意の進言である。しかしそんなことで止まることなどできないガオウの決意を前に、苦しみながらも付き従う決心をするザクロ。もはや彼女の中でもモチベーションは大きく揺らいでしまっている。

 そしてそんな彼女の苦しみを真っ先に感じ取るのは「かまう、繋ぐ」ことを最も大事にしている猫組。改めてザクロの説得にまわり、もはや彼女も陥落寸前の様子だ。すでに彼女には、この復讐が無意味なものであるという結論が出てしまっているのだ。最後にこの天秤を押すのはいったいどんな要素になるのだろうか。

 そしてやってくるガオウと狼の群れ。残すは最終決戦のみ。でもなんだろう、もう、あまり悲壮感はない気がする。救いの未来までのカウントダウンだ。

 追伸:「フレンディリボン」ってなに? そんな便利技、今まであったっけ……。

 
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 「あなたのおうちのわんだふる」の右端の子、パースがエラいことになってませんでした?! 第46話。まぁ、猫は液体なのでフォームチェンジも自由自在ということで。

 猫だんごで迎える聖夜、アニメ史上最ももふもふぬくぬくなクリスマス回となった。当然、ホワイトクリスマスに相応しい今回の主役は雪のように白い美猫・ユキさんである。本にゃんからすれば1人だった子猫時代の記憶ってのは本当に辛いものだったはずなのだが、今となってはそれすらもどこか輝きが感じられるようになっているというのは、今がどれほど幸せかを示すものだろう。

 今回はとにかく「ユキのこの1年での変化」が色々とフィーチャーされており、分かりやすく自分の口でその成長を語ったりもしてくれている。端的に表現するなら「この世界に自分とまゆ以外の存在があることを知り、その大切さを学んだ」とのことで、あんなに頑なだったまゆさん守るマシーンだったユキさんも今は昔である。キラリンアニマルたちに気遣ってその溢れる才能でサービスしてあげたり、あれだけ渋っていた近所の猫との会合にも率先して参加できるようになるなど、とにかく人の(猫の)輪が広がって博愛を表現できるようになっている。当然その想いはこむぎに対しても同様であり、忌憚なく「友達だから」と言えるようになった。もう、それだけでこむぎはうれションものであろう。まぁ、猫だんごに一匹だけ犬が混ざってたら違和感半端ないだろうけども。それでも待ち合わせの時間を忘れちゃうくらいに安心して寝こけていたのだから、よっぽど快適だったんだろうな。

 そして、そんなユキさんとの対比構造(もしくは共通構造)が浮き彫りになるのは、ただ1人ガオウの傍らに残されてしまったザクロさん。一昔前ならガオウ様との時間さえあればいいと考えていた可能性もあったが、今となってはトラメの喪失はやはり大きな意味を持ってしまっている。1人ずつ欠けていく現在の構図は、どうしたって彼女たちが一度は経験した「絶滅」への傾倒を意識せざるを得ず、自分が倒れたらガオウは再び同じ苦しみと悲しみを味わうことに。何としてもここで踏ん張らなければ、想い人の願いをかなえることができないのだ。

 そう考えると、ここでユキさんがザクロに理解を求める構図も残酷といえば残酷か。ユキの場合は「世界がまゆだけではない」というのは真実だったわけだが、ザクロからしたら「世界がガオウだけ」なのもまた真実。根本的に置かれた境遇が異なるので、ユキ側から一方的に「私と同じような境遇なのだから、同じように目を啓けるはずだ」というのは傲慢でもある。しかし、そんなふうに伝えたいくらいにはユキの中では大切な真理であり、まだどこかでザクロとの融和は果たせると思っている。そこにあるのは置かれた境遇の違いをも乗り越える、ただ動物としての生き様がある。必ずしも同質でなくても良い。周りにすがるべき存在があるのならば、形は違ってもザクロやガオウにも救いの道はあると、ユキはそう信じているのだ。培ってきた友情に、それだけの価値があると信じているのだ。だからこそ「救う」とかいう言葉でなしに、彼女は「かまう」という言葉を使う。ここにきて「仕方ない、かまってあげる」という猫らしいフレーズが彼女の本質に肉薄するのは実に心憎い。あとは、その「かまい」がザクロに届くかどうか。

 まぁ、こればかりはザクロさん本人と、あとはこれまで沈黙を貫いているガオウ様がどう考えてるか次第なのでね……来年年明けはガオウ様がガショウ様になりそうなので、とりあえずその結果待ちといったところでしょうか。

 今回のその他のトピックとしては「ありそうでなかったキラリンウサギと大福ニキの絡み」とか、「ペンライトを振るのが世界一似合う女・まゆ」とかがありました。

 
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子
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