最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
そういや先週で沙季さんも私のツボである「作中でヘアスタイルが変わるヒロイン」になってましたね、第10話。髪の毛を無造作風にいじってる感じが少ない筆数でちゃんと表現できてるキャラデザは偉いと思う。 あいもかわらずじっとりしっとり進むお話。そして毎回なんとも不思議な構図が多くてどうしても画面に見入ってしまう。変な言い方になるけど、ほんとに度胸のある画作りだ。とても理にかなってる部分もあるし、大胆に視聴者に委ねて余白を残している部分もあるし。ほんとにきちっと考えてるスタッフが作ってるんだろうなぁ。 まぁ、ここまで10話も積み重ねてきた作風なので今更追加で何か語るべきこともないかとは思うし、そもそも語られるほど方法論についてのまとまった見解もないのだけど、やっぱりどうしても目を惹かれてしまうのは、兄妹をはじめとした家族の交流の中心地として描かれるリビングの風景。今回は特に兄と妹だけではなく、そこに「母」と「父」も絡んだおかげでその重要度はいや増している。今までずっと「ママン」とか「うえしゃま」としか言ってなかったキャラだが、ちゃんと「亜季子さん」「太一」と名前で認識してやる必要があるかもしれない(今更)。 最大の焦点となったのは、母・亜季子さんと三者面談の絡み。父・太一が忙しいらしく、沙季の分も悠太の分もどっちも保護者として参加しようってことなのだが、学校での2人の立場を考えての気遣いがとても甲斐甲斐しい。悠太たちからしたら「そんなん気にせんでもいいのに」だけど、その辺りが親世代と少年少女の認識の違いでもありますね。そしてそんな案件から「母と息子」の距離感を定めていくというのが今回のお話。 そして、そんな対話が発生するのは当然リビングなのである。今回もやたらと存在感を放つ位置に置かれているのは、以前も言及したカウンターの上の花瓶である。ここ最近ちょっと認識してなかったことを考えると(確認してないけど)多分最近はあそこに花がないこともあったんじゃなかろうか。その花がまた強調されるようなライティングで画面の端に戻ってきており、母と娘の対話をじっと見守っている。ここでの花の存在感は、おそらく生けた本人であろう、亜季子さんの存在を示唆しているように見える。ここでは「母」に当たったスポットがそこから派生するあれこれを暗示させており、娘との対話では当然微動だにすることなく、同じ灯りの中におさまっている。しかし、こと悠太との対話となるとまだ構図が不安定なのか、画面の中を花が移動していたり、そもそも部屋の外からの超遠景の静止アングルで切り取っているので花自体が見えない画角だったりする。亜季子さんの出勤前のシーンは悠太との位置関係が「手前」と「奥」になるカットがあり、画面上では重なり合っているかのようにも見えているのだが、周りの灯りは暗く、2人の距離・すれ違いみたいなものがまだ印象に残る描き方。これは同じようにバイトに出ようとした沙季の時の描写と対比するとわかりやすい。 また、悠太の作った晩ごはんを沙季と2人で食べたシーンも興味深い。このシーンでは当然カウンターの上の花も見えているのだが、2人の食事が終わり、肩を並べて後片付けを始めるシーンになると、それまで色彩豊かに画面内で存在感を放っていた花がスッと消えてなくなる。まぁ、未だ間取りがよくわかってないので「映ってない画角」なのかもしれないが、その場合でも意図的に花の存在を画面から消していることになる。上述の通り、花の存在感が(少なくともあの夜は)亜季子さんの存在を含意するとしたら、皿洗いシーンにおいては親の存在などかき消えた、完全に「2人の関係性」に言及していることの示唆ととることができる。……2人とも、いつどうやって親御さんに相談するんでしょうね。 他にも、次の夜に今度は「娘と父」の2人での食卓になった時にもやたら遠景でとって「この2人の関係はどんな距離感なんだ!」とヤキモキさせられるし、不思議な距離感が続くこの4人家族の内実が、何気ない描写からしっかりと刺激を持って伝えられている。なんかもう、ずっとこのままこの家の壁として行末を見守りたいですね。 PR 奇跡的な偶然、第10話。いや、ほんとそれが言いたかっただけなんで特に中身のない話なんですが……。 いや、でもやっぱこの上田麗奈絶賛応援ブログ民からすると今回の事件は神がかった何者かの意思を感じてしまう出来事ですよ。視聴してた皆さんもそう思いませんでしたか? それともこれって単なる声ヲタの悪い病気? まぁ、ゆっくり療養してもろて……。 なんのことやら分からない方のために説明しておくと、今回のお話は赤猫の店員、ハナの元飼い主が店に押しかけてよりを戻そうとする話なんですよ。そんで、その元飼い主のCVが上田麗奈だったってだけの話なんですが、ハナちゃんはスマートでキュートでプリティーな白猫なんですよ。元は長毛種なんだけど、ラーメン屋で働く都合上短く刈っているので見た目はまぁ、普通の猫。お腹にあるハートマークの模様が特徴。 ……お分かりですね? 設定があまりに猫屋敷だったんです。しかもハナちゃんは元々ネットでアイドル猫として活躍してたということで、2人は「インフルエンサー」だったわけですね。もちろん、どちらの場合も猫が人語を解するのは当たり前のこと。まとめると、「CV上田麗奈の人物が真っ白でキュートな猫を飼っていて、その子は人間の言葉を話すネットアイドル。チャームポイントはハート型の模様。お互いのことを思い合って、本音を伝え合うまでは距離感が難しかった」と。ここまで設定が合致するというのは、これはもう奇跡というしかないのではなかろうか。まぁ、1クールに1、2回くらい奇跡が起こってる気がするけど……。 ちなみに、ハナちゃんと飼い猫のヨーコは思いのすれ違いから別れ別れにはなってしまったけど、そんな様子を見たからこそ、ユキまゆには末長くにゃんだふるでいて欲しいという思いを一層強くしました。結局これ、にゃんぷりの感想では? さまざまな物資が不足しているはずだけどYES/NO枕はちゃんとある島、第8話。いや、現実世界でもどこで売ってるか知らんが。 他にも「70回分以上の肉じゃがの材料」や「キャサリンのくっそエロい水着」など意外に物資は充実しているこの世界。どうも最初期に描かれた「スーパー跡地に物品回収」の光景のせいで必要以上にカツカツのイメージがあったのだが、存外生活に困らないくらいの供給はあるのかもしれない。 さておき問題はそんなことではなく、今ある最大の資材であるアトリをどう扱うべきかというお話。前回がデート回で、今回仲間内にもすったもんだがあったことを(強制的に)シェア。夏生とアトリの関係は全員の知るところとなった。こうなってくると俄然気になるのはそばにひっそりと控えている水菜萌さんの存在である。何しろこのご時世は「負けヒロイン」というものにやたらスポットが当たっており、今作における水菜萌さんのムーブもそりゃもう模範的な「負け」。あの某作品のせいで「水菜萌視点をメインにした展開も見てみたいのだが……」なんて気になってしまう。まーとても気立の良い水菜萌さんのこと、話してる言葉もだいたい本心だろうし、そもそも今回のケースは「いうてもアトリはロボやぞ」という最後の切り札があるせいで根源的に「負け」に陥らないという不思議な状態ではあるのだが。このポジションの水菜萌さんが「でもアトリには心があるって言ったよなぁ」って言質取ってくるムーブ、ほんとに自傷行為みたいに見えて怖いのよね……。夏生の選択が自身だけでなく周りの人間も大きく傷つけたり、救ったりするかもしれないってことを肝に銘じとけよ。 でもまぁ、残念ながら夏生さんも今は周りの人間のことなんて考えてる余裕がない。前回の顛末でやっちゃったことはもう認めるしかなく、それならいっそ自分の認識を根本からひっくり返して「OK、アトリは人間と同じだ」にしてしまった方が面倒がなくていい。まぁ、そうなると今度はロリであるという問題が上乗せされるのだが……そこはおいおい考えるしかない。何度かのテストを重ねた結果「うーん、心があると判断しても問題ない気がするんだよなぁ」というところまで進行したため、夏生さんも(自分の心を守るために)一大決心でアトリに対し「人として扱う」宣言。その結果がカーテンなのはちょっとズレてる気もするが、まぁ、大きな一歩を踏み出したと称賛して然るべきだろう。 ……とまぁ、そこまでなら話は簡単だったのだが……割と急転直下で問題点に辿り着いてしまいましたね。私もすでに先週時点で書いていた話だし、「心あるアンドロイド問題」ではお約束の話ではあるのだが、結局アトリの反応は全てプログラムである。学習と対策を重ねてベストを探るという愚直なトライアル&エラーはコンピューターの得意分野であり、アトリも常々そうした方法論で動いていることは肉じゃがが明確に示していた部分。高性能ヒューマノイドなのでそうした反復行為が料理や計算の枠を超え、人と人とのコミュニケーションにまで及んでいたというだけの話。アトリに与えられた最上位命令が「夏生の願いを叶える」であればこそ、アトリの反応は積極的に夏生の「好きな」方向にチューンされるのは至極真っ当な計算機の働きなのである。そんなこたぁずいぶん前からわかっていたはずなのだが……目の前でアトリと接していた夏生からしたらそう簡単に割り切れる問題でもなかったのかもしれない。最悪のタイミングであまりに機械学習が露骨すぎるアトリのログを見てしまったことで、いきなり有頂天からどん底に叩き落とされた気分になった夏生くん、ほんとにロボ付き合いが下手な男だ。 まー、ここまで来たらアトリの行動原理の是非を簡単に判断することはできないが、今作がこうして大上段の命題として掲げているのだから考えてみる価値はあるだろう。そして個人的には、ここまでのアトリの積み重ねがあるのだから、計算だろうがなんだろうが、それはもう、1つの人格が導き出した戦略として認めるべきではないかという気がしている。「全てを計算づくで、学習しながら最適解を探す様子がキモい」というのは人間的な感情ではあるが、冷静に考えれば生身の人間とのコミュニケーションだって同じこと。どのような線引きをするかはもはや哲学のレベルだが、人間だってトライアル&エラーを繰り返して最適解を探すしかない、ポンコツな計算機の1つでしかないのだ。これまで必死に「心」の所在を考えてきた夏生であれば、アトリの行動に「心」を認めてもいいような気もするのだが……これももしかしたら「不気味の谷」的なものなのかもしれませんね。「人は人、ロボはロボ」と、はっきりと行動原理が分かれていればその構造の類似性から目を背けやすかったが、ロボの方が歩み寄り、人間的な行動原理に近づき、一定のラインを超えてしまったがために感じる薄気味悪さ。こればっかりはなかなかロボには理解してもらえないかも。 まー、どこまでいっても最終的に「キスはクリアできたみたいだが、その先は身体機能的に無理なのでは?」という問題にぶち当たりそうなんですけどね。エロ漫画のロボならデフォで搭載してるだろう機能を、アトリが備えてるとは思えないよなぁ。 武道の殴られ続け記録更新中、第8話。原作だと最初の武道の台詞のところで魔雲天のパンチをカットしてカウンター入れる描写が入ってるんだけど、その後もひたすらマウント取られ続けてるっていう矛盾が発生してしまってるおかげでアニメではカットされている。おかげで武道さんはここ3週間くらいずっとおねんねしっぱなしである。 Aパートはアトランティス戦の決着。いいですね、ちゃんと格好良かったです。アトランティスの全身緑色で皮膚なのか鱗なのかもよく分からない形質ってなかなかアニメで表現するのが難しそうなんだけど、ちゃんと「緑色の筋肉」みたいな躍動感が出てたんじゃないでしょうか。それはマーリンマンも同じなんだけど、こいつら「水棲超人」って括りだけ同じくせに何もかもが違うのはどういうわけなんだろうな。まぁ、超人世界に進化の系統樹とかの話を持ち出してもなんの意味もないんだけど。ちなみに今回アトランティスはアイキャッチのTIPSでも「古代アトランティス帝国の系譜」っていう触れられ方をしているんだけど、多分古代アトランティス帝国の人に魚要素はないぞ。あと同じくTIPSで「セントヘレンズ大噴火、昔はネックハンギングからしか出せなかったけど、キン肉マンとの試合の後でトレーニングしてどっからでも炸裂させられるようになったんだ!」というフォローまで。ありがとう謎TIPS。まぁ、理屈は1ミリも分からんけどな。 そんな頑張り屋のアトランティス、多分タワーブリッジの練習は1回もやったことないと思うけど(多分やってたら友達から冷やかされる)、土壇場であの技を炸裂させたということはやっぱり当人の思い入れが強かったということなのだろう。イイハナシダナーと思ってしみじみ聞いていたが、ふと今回冷静になって考えたら、アトランティスが固執するのってむしろロビンじゃなくてキン肉マンが正しいんだよな。負けてんだから。苦汁を舐めさせられたキン肉マンのことをさっぱり話題にせず、自分の勝ち星の記憶であるロビン戦を擦りたおすアトランティス、考えようによっては単なるヤな奴のはずなのだが……それ以上に「えっ、テムズ川で戦わなきゃいけないの? ほなロビン風味出してあげないとお客さんも可哀想かぁ」みたいな気の遣い方に悪魔なりのショーマンシップを感じる。多分、素直にそのまま受け取ってふつーにイイやつなんだろうな。ちなみにどうでもいい話ですが、こんな可愛いアトランティスは先ごろ発売された「悪魔超人熱海旅行殺人事件」で被害者役です。かわいそう。 心臓を2度も貫かれながらも気合のタワーブリッジで痛み分けまで持ち込んだアトランティス。そのメンタルは本当に凄まじいものがあるが、もっと凄まじいのは無惨にマーリンマンの背骨を粉砕し、死にまで至らしめたタワーブリッジの威力。本家ロビンでもダイレクトに死に直結するタワーブリッジなんてほとんど出したことないだろ。これまでの完璧超人の死因が自殺&赤き死のマントと分かりやすい殺処分だったのだが、マーリンマンだけは直でフィニッシュホールドから死亡という壮絶な最期を遂げた。アトランティスさんは「地獄でやり合おうぜ」と言っていたが、マーリン目線ではご勘弁被りたいところだろう。まぁ、鏡を使えば死の国からこっちに簡単に出てこられるんですけどね! 転じて一気にユルい雰囲気になるBパート。今作では貴重な主人公の試合である。だいぶ長いシリーズになったが、現時点でスグルの直接のバトルは4回。まぁ、決して少なくはないが多くもない。そしてそのうち1戦が「2世でよく見たやつだ……」というちょっと不安がつきまとうギミック超人とのバトルである。でもまぁ、ピークアブー自体の設定はそれなりに面白そうではあるよね。コピー技とか使うキャラはどんな格闘漫画でも定番だけど、こうして「相手を模倣し、さらに上をいく」という「青眼虎」戦法(俺は本当にこの表記が好きだな)はキン肉マンでは初めてだろうか。まー、「んなわけあるかい」っていうギミックではあるんだけど……スグルの現役復帰第一戦ということで「基礎から思い出してスグルのいいとこを出していく」ギミックとしてはちょうどいい。 ただ、やっぱりちょっと油断するとギャグバトルっぽい流れはゆでらしいトンチキシチュエーションが出がちなのは注意が必要で、これも原作ではスルーしてたんだけど、突然観客が「可哀想だろ!」「あやしてやれよ!」ってヤジ飛ばすのほんとゆで。どゆことやねん。「リング上に何も分からない赤ん坊が上がってる」っていう前提をなんの疑問もなくスグルも観客も受け入れられるのすごいよな。さっきまでボコボコふまれてたやないかい。まぁ、次週からはシリアス一辺倒になるので雰囲気は安定することでしょう。 この試合でも注目せざるを得ないのはやはり中の人の頑張り。石下翔弥くんのピーク、程よくキモい感じが演じてて楽しそうでいいですよね。そしてようやく本腰を入れて聴くことができる宮野真守のキン肉マン役。まー端々で「マモやないかい」ってなるのは付き合いが長すぎるのでしょうがないが、そっちよりもむしろ所々で「えっ、すごいきっちりキン肉マンになってる」って思う瞬間があることを褒めるべきでしょうね。別に神谷明の模倣をするってわけじゃなくて、むしろ「キン肉マンはこういう話し方をする」に合わせてる感じがちゃんと伝わってくる。面堂役に続いての配役ってことで、元々神谷明との相性は良かったとは思うんだけど、そこで似せるだけの作業にしないのがマモのお仕事ですよ。そしてそんなキン肉マンのためにカメハメが出てきます。どっちかと言ったらそりゃカメハメの方が先代には似てないわけでな。今回はもう「このキン肉マンに何かを伝えるにはこの声しかない」ってんで兼ね役で任されてる状態なわけで。ちなみに今調べてて初めて知ったのだが、元々カメハメ役をやっていた蟹江栄司さんという人(ラーメンマンなどとの兼ね役)、当時めちゃめちゃ早逝してたのね。神谷さんはそうした過去のお仲間の分も背負ってるんだから、歴史の長さにドラマを感じるなぁ。 一応確認しとくけど、義妹となら問題なく結婚できますからね、第9話。まぁ、2人にとってはそういう問題じゃないってことなんだけども……。 その感情に名前をつけたなら。2人の中にわだかまっていた感情に、それぞれが認識を与える。プールを巡るすったもんだのおかげで、悠太は沙季の過去に触れることになり、彼女のことを想い、彼女の立場を考えて行動することになった。「裏方さん」と言われてはいたが、そうしてさまざまな視点から客観的に見て最大限のサポートを施すことができるというのが悠太の人としての強みであるようだ。その結果、これまでの人生で与えられてこなかったものが久しぶりに手に入ったことで沙季はすっかり悠太を尊敬の眼差しで見るようになる。自分では思いもよらなかったことをやってくれた人、そして最大限に自分のことを考えてくれる、世界では母親に次いで2番目の存在。そんな特別になった人間に、素直に賛辞と感謝を送れるのは沙季が純粋に人として出来た部分なのだろう。 そうして沙季からまっすぐな感情を返されたことにより、まず悠太が明確な「名前」を与えてしまう。まー、そりゃ花の高校生、男女複数人でのプールイベントなんてうらやまけしからんことをやれば誰だってテンションも上がるし、色んな妄想も膨らむ時期ではあるのだが、そんな時に隣に寄り添った水着女子から素直な褒め言葉をいただいたら、その結果完成する感情は「好き」に違いない。はっきりとそこに形を与えてしまったことにより、悠太は思い悩むことになる。 まぁ、「好き」にも色々あるわけで、妹が好きな人間だってたくさんいるのだからその感情自体に何の問題も無いはず。なんなら上述の通りに義妹だろうがなんだろうがふつーに結婚までできるんだから、堂々とLOVEを育んでしまうことだってOKなはずだ。しかし、現状ではどうしてもその感情に負い目を感じてしまう。親同士の再婚がほんの数ヶ月前のこと。それまでの父親の人生を見ていればこそ、「男女関係なんて……」と面倒臭さばかりが先立つ状態。そんなタイミングで「実は妹になった子が好きになってしまったのですが」なんてことを家族で話したら、両親だってワタワタするだろうし、やはり社会通念上どこか変な目で見られることは避けられない。「裏方」の人間だからこそ、悠太はそうして渦中に飛び込む選択はどうしても躊躇ってしまう。そして何より、あの「契約」を結んだ沙季自身が、悠太のそんな感情に一番戸惑ってしまう被害者になり得る。そんな状態で、悠太は「妹」に負担をかけることなんてできない。 と、悠太が一方的に思っているだけで……沙季は沙季で、ほぼ同じベクトルなのにちょっとレイヤーがずれた状態で悩みを抱えている。彼女はまだ、自分の感情に名前をつけていない。悠太同様に、はっきりと形を与えてしまうと心の中で無視できなくなってしまうという危機感は感じていたのだろう。これまでずっとつけていた秘密の日記、おそらくあと少し筆が進んでいたら、そこには明確に名を与えられた感情が表れていたに違いない。しかしすんでのところでブレーキがかかり、沙季は自分の感情にも鍵をかける。あえて明確に形を与えるために、口に出した言葉は「兄さん」である。尊敬もした、敬愛もした。ただ兄として。妹が頼れる兄を好ましく思うのは当たり前のことなのだ。そしてそれ以上ではない。そうして自分の心に別な名前を与えることで、沙季は何かを守り抜く決意をした。その決心に、2人の意志が寄り添っていないとしても。 まー、2人同時に「緩やかな禁忌感」からすれ違い思いとどまる兄妹関係という形が明確になったので、ある意味ではフィクション的妹ものとして分かりやすい構図にはなった。そこまで明確に提示されていない「禁忌」なのだが、それも致し方ないと思える程度の交流であるし、ここまで形作られてきた2人の人間性を見ればこれもやむなし。視聴者目線だと、「多分この親連中なら、息子娘が付き合い出しても何も文句言わんだろうけどなー」と思ってしまうのだが、たった4人の家族の中の話、そう簡単に処理できるものではないだろう。悠太は「沙季が迷惑に思う」というので自制し、沙季は「悠太から言われたら断れないだろう」と相手のアクションを待つかのような姿勢で自分に蓋をする。互いが互いを言い訳に使いながら、奇妙な距離感は熱を増していく。 今回もいい具合の演出が多くてじっとりしながらもただ見守ってしまう画面。結構色んなところに工夫が施されてるので使い回しのカットを繋いでるだけでも含みを持たせられているのが偉いね。個人的には、花火を見る2人がほぼ隣同士だってのにわざわざカットを割って別々に映るところに「どちらからでもない断絶」を感じとるし、その後の駐輪場のシーンで悠太がライトの光の中に入れず思い悩むカットなんかも悠太の人間性がよく表れていて興味深い。決して望んで「裏方」になってるわけでもないのだが、なかなか自分の人生においても「主人公」に足を踏み込めてないご様子。沙季がこんだけの内容、こうした構成のお話でことさらに「主観:客観」という言葉を使っているのも暗示的で、今回のように沙季視点から始まって悠太視点にスイッチしたりするカメラの置き方も、今作のじりじりした心情劇の表出として面白い。 まー結論としては「さっさと付き合っちゃえよ」しか出てこないんですが、世の中の義理兄妹の皆さんは、マジでどんな距離感で接してるんでしょうかね。それとも、年頃男女の義理兄妹なんて、ほんとにラノベの中のフィクションでしか存在しない概念なんでしょうかね。 心の在り方、第7話。本気でそっち方向に切り込んでいくなら、もう止められまいよ。 前回夏生の過去エピソードが明かされ、「憧れのあの人」がアトリ本人なのかどうかが話題になっていたが、あまりに状況証拠が揃いすぎているせいで、夏生も認める以外になくなってしまった。もうちょい粘って違う可能性を出すと思ってたんだが、よりによって竜司にあんだけ綺麗に詰められたら言い逃れもできそうにないしな。小市民シリーズだったら30分かけてやる論破劇を開始10秒で終わらせてしまった竜司氏、なかなか優秀。 そうして「憧れの人」が目の前のポンコツヒューマノイドであるというヤな事実を突きつけられてしまった夏生はどういう方向でバランスをとりにいくかというと、「自分の人生を変えたあの人がアトリだというなら、アトリにはそれなりの人格を持ってもらわなきゃいけない」という考え方の転換。いや、夏生本人がそこまで意識的に思考を向けたかどうかは分からないが、今回の彼の振る舞いを見るに、「もういっそアトリを完全に人間として扱えれば楽なのにな」という方向に考え方をシフトさせたのは間違いないように見える。それはもちろん日常生活のいざこざを回避するためでもあるし、「ロボットの心」というものがあればあったで興味深いという学術的な興味関心もあるだろう。問題は、そこに「心のあるヒューマノイドだったら愛せる」という思惑があるのかどうか。 LIKEとLOVEの問題。まぁ、話はそれだけで片付けられるようなものでもないのであくまで夏生とアトリの関係性のいち側面を切り出すだけの行為だが、キャサリンが言ってるように「知識がないよりあった方がいい」のは間違いないだろう。夏生が過去のあの女性に未だ憧れを持ち続けたいならば、その関係性をLOVEにまで引き上げてやるのが周りの世話焼きババアなりの気の使い方。どう考えても性教育にしかならない導入で保健体育を行なったキャサリンだったが、はてさてどんな授業をしたものやら。とりあえずアトリには「恋愛感情」という特別な「感情」が存在することを外的知識として付与した。 ただ、こっからがヒューマノイドの難しいところでね……まず、夏生からアトリに向けての感情は今回大幅に方向修正して以前よりもかなり柔和なものになっている。それはもう、恋愛感情を向けてもいいかもしれない、というくらいに思い切ったシフトである。まぁ、これまでのアトリの言動を見れば不可能とまでは言い切れないのでその判断は一旦良しとしよう。 こうなってくると、問題はアトリ側である。彼女はこれまでずっと「夏生のため」と言って動いてきたわけだが、さぁそれはLOVEという「感情」にまで成熟するものなのだろうか? 知識は入れてもらった。「感情のようなもの」を表現するだけのスペックもある。そこまでの条件は揃っているのだが、さぁそこから「恋」が生み出せるのかといったら、これはまた一段上の問題である。夏生は何度も「アトリは本当に人間同等の感情を発生しうるのか」と検討を重ね、最終的には「その可能性もある。そうあってくれれば嬉しい」に帰着した。そして、「そうあってほしい」という夏生の「望み」を受け、アトリは「夏生の願いを叶える」方向に動くように設定されているのだから、次なる目標は「夏生の望む通りに感情を身につける」ことである。しかし、夏生の希望に従うような動きを見せれば見せるほどに、それはあくまで反応としてのプログラムの範疇に収まってしまうようにも見える。結局感情なんてものは他者との関係性の中で自己に内在しているものを認識する以外にないわけで、今のアトリにそれを認める機能があるのかどうかは分からない。どこまで行っても「あるかもしれない心」であり、夏生が認めれば認めるほどに、アトリの中でそれは未解決のままで残されることになってしまう。……意外に厄介な問題ではないか? 今回はサブタイ通りにデートしてるだけで終わってしまったが、まだまだ荒事を起こそうとしている連中は控えている様子。ここからもう一波乱起こった後に、夏生の目にはアトリがどう映るんだろう。 今回ロンドンの男の子ポール役を演じた声優さんは将来Wikiに「キン肉マン 完璧超人始祖編:ポール」って書かれるんだよな……第7話。後から見て「誰やねん」ってなる。まぁ、新人さんらしいのでポールを足がかりに頑張ってください。(いきなり何の話?) でもポール君が今作の中で果たした役割はとても大きい。キン肉マン名物「友情パワーの大切さを伝えてくれる無垢な少年」であり、テリーにぶん殴られてキン肉マンに火をつけたり、幸福の青い鳥ブルーサンダーを連れてきてくれたり、過去にも困った時にはぽっと出の少年にお世話になっているのだ。今回そんな少年が示してくれたのは、今作における悪魔超人の立ち位置、というか上手い使われ方。原作ではすでにステカセがウォーズマンリスペクトを匂わせてその辺を示してくれていたが、アニメではそこがカットされていたのでこのアトランティスが明確に示してくれた「昔戦った正義超人たちのことは尊敬してるんだぜ」というムーブ。カーメン・BHにその要素が1ミリもなかったのでここまで原作を読んできた読者もちょっと意識の外に出ていたことだったが、そこをよりにもよってアトランティスが示してくれたことにより、おっちゃんたちはすっかり悪魔超人にキュンキュンしてしまったのである。 だってさぁ、アトランティスだよ? どっかでインタビュー受けた安元も言ってたけど、ロビンのマスク握りしめての「ケケケ〜!」は当時数々の少年少女にトラウマを植え付けたに違いない。悪を自称する悪魔超人の中でもとびきりの汚れ役、それがアトランティスだったのだ。そんな彼がさ、曲がりなりにも自分が倒した相手にきちんと敬意を払っていることがわかり、かつての因縁を思わせるリングで次々にエモを展開してくれるわけじゃん。この展開を読まされたら、もう「そうか、この新しいキン肉マンはこういうシナリオ作りができる作品なんだ……」って全面降伏するしかないじゃん。アトランティスの一番上手い使い方は間違いなくこれだよ。 冷静に考えりゃ変な試合なんだよ。そもそも「水棲超人って何?」って話で、多分アトランティスもマーリンマンも日常生活はふつーに地上で送ってるんじゃねぇのか? 肌が乾くと死んだりするんだろうか? そんなよく分からん、ふつーの漫画だったら噛ませポジにしか見えない変な「水中専用キャラ」がさ、よりによって水上リングでぶつかって互いに水中での強さを主張しあう。これだけ聞いたらどんだけしょっぱい試合だよって思うよ。ほんとなら一番かわいそうなのはアトランティス当人で、今まで独占してたはずの「水の中で強そうな超人」っていうアイデンティティを完全に奪われてオリジナル要素を全剥奪されかねないんだから。マーリンマンの方も、露骨なキャラ被りの中で完璧超人らしい強さを見せつけなきゃいけないとかいう無理難題を押し付けられ、最終的にはヒレを回すくらいしかやることないわけですよ(キン肉マンの超人、とりあえずパーツ回転させすぎ問題)。 しかし、この試合が6つの試合の中でもトップレベルの激おも感情増し増し試合になってるのは全てアトランティスの動きのおかげ。ロビンへの敬意、ロビンの思い出語り。「そうか、お前にとってあの一戦ってそんなに大切なものだったんだな……」っていうだけでおっちゃんたちは「朝まで呑もか!」ってなるじゃない。いいやつだなぁ、アトランティス。 そんなアトランティスの特訓シーン、アニメではちょい追加されており、ステカセにも蹴られたり、なぜかカーメンがのどの上に乗ったりしてた。原作だと全然気づいてなかったけど、アトランティスが「岩のような皮膚に変化して……」って言ってるシーンでアトランティス殴ってるのがよりによって魔雲天だったからちょっと笑ってしまった。その後のアトランティスが感慨深く喉を触ってるカットは原作コミックでは連載版から描き直しが入っている特別なシーンだったし、ほんとにいいアニメとして描いてもらっています。ところで、原作時点で思ってたんですが、「ウィークポイントをストロングポイントに変える」ってのが悪魔超人的発想だってのはいいんですが、アトランティスがこんだけ苦労したってことは、キーパーツを無効化して呪いのローラーまで取り付けたサンシャインってどんだけ努力を重ねた結果だったんだろうね。 閑話休題、こうしてアトランティスばっかり持ち上げるとマーリンマンが不憫な気もするが、彼は彼で「こやつ受け身が巧みすぎる」というアトランティスの変な台詞でフィーチャーされた「受け身のうまさ」がしっかりアイキャッチネタで活かされてたり、ちゃんとリスペクトのある描かれ方にはなってるんですよ。説明がないとどう考えても「魚が口の中から浮袋を出したなんて一瞬でわかんねぇだろうなぁ」っていう必殺技も含めてね。多分、今後「キン肉マンカルトクイズ」とかが作られた時に難問になるであろう必殺技第1位、ピラニアン・シュート。 原作3話区切りが基本なのでよもやのところで今回はおしまい。いい見せ場作ってもらったなぁ……。 今作で唯一にして最大の問題はもしかしたら義妹よりも義母の方がエロくて気になることかもしれない、第8話。まぁ、甚大なる補正がかかってる可能性もあるが……こないだ某所で見た母娘の(中の人の)トークが眼福でした。 今回はタイトルの「義妹」の方も引き続き気になるのは当たり前だが、どちらかというともしかしたら「生活」の方が注目すべき要素だったのかもしれない。何しろ今回の1話で何が起こったかというと、「悠太が沙季のことを思い、プールに誘う」→「沙季、拒絶」→「悠太頑張る」→「沙季受け入れる」というだけの話。それ以外のキャラはほとんど登場もしないし、悠太だって頑張るっつっても何か特別なことをしたわけじゃない。何となく沙季に寄り添っていただけだ。こんだけ何もない平熱な状態なのに、視聴中に特に退屈だとは思わず、環境音楽のようにその「生活」が流れていくという何とも不思議なテイストは相変わらずである。 個人的に今作で気に入ってる部分は、音響の使い方。基本的にBGMも抑えめな演出方向になっているのだが、おかげで細かく入るSEなんかが印象深く聞こえてくる。今回でいうと、例えば沙季が聞いていたカセットテープのケースに手を触れてがちゃんと崩す音。世代じゃない人は分からんかもしれないが、確かにあの音か「カセットテープのケースの音」だった。わざわざ画で見せずにこのSEで「何かを崩さなきゃいけない」という沙季の心情を示すあたり、音の持つ効果をきちんと活かしている。 あとこれは単純に心地よいってだけだけど、朝食シーンでトーストにバターを塗る音。よく焼けたトーストにバターナイフを乗せるザリザリという音が食欲をそそる。そして当然そんなトーストを食べる時のさっくり音。このシーンはいかに朝ごはんが美味そうに見えるかが重要なので、音の持つ力というのも案外バカにできないわけですよ。 というわけでそんな「朝食」とか、何気ない日常のワンシーンから紡がれていく2人の関係性。今回はざっくりまとめると「沙季が余計な誤解を解いて悠太の歩み寄りを受け入れる」というお話なのだが、2人にとって、互いのイデオロギーのすり合わせというのは単なるラブコメとかと違って「家族の今後の生活」にずっと影響するもの。だからこそ悠太たちもその辺は意識して強めに主張している。そして、こうした何となくの「生活」ってのは意識したからなかなかどうなるってもんでもないのだけど、逆にちょっとしたことで大きく変わっていくものなのかもしれない。今回の沙季は、初めて悠太に朝ごはんを全部任せることにしたわけだけど、彼の口から出てくる提案はちょっと新鮮だったり、彼の何気ないパンの食べ方に不思議と興味が湧いたり。「朝ごはん文化」なんてものは各家庭で色々と違うことの代表みたいなものだが、それを意識して、ちょっとずつ合わせていける。そんな気持ちになった沙季は、間違いなく悠太へ一歩歩み寄れたのだろう。 まぁ、そんな悠太は「何となくの習慣で」自転車を持ってきちゃったわけだけど……「生活」って、そんなもんですよね。 玄田さん、復帰できるといいなぁ……第7話。先ごろ体調不良による休業が発表された玄田さん、こちらの作品ではまだ頑張ってくれてました。まぁ、年齢も年齢だししょうがないとは思ってますけどね。ここ最近はちょっとずつ衰えも見えていた気がするし……持ち味がハードな声音の人はやはり大変だよなぁ、としみじみ思います。ちなみに隣ではさらに年配の麦さんがいつも通りにへろっと活躍されてます。すごいよね。 タマ編完結。個人的にはここまでがコミックで事前に読んでた部分なので、来週以降の展開は何も知らなくて楽しみになってます。異世界冒険ものとしてはそこまで奇を衒ったものではなく、バトル要素なんかも割と少年漫画的な王道を行ってる作品だとは思うが、センセーの持つスキルが独特なのでその辺りの絡みで充分に個性は出せてると思ってる。元々「転移者を送り返す」と言われていた能力だったがそれはあくまで「作家として語ること」の一環であり、今回は仲間のタマに対して同様のスキルを駆使することで彼女の真価を発揮させることができた。まぁ、カイバラのグラトニーを止めた機構とかはまだ謎なのだが(有毒なので本能的に捕食を拒否しただけなのかしら?)、最弱最弱言われながら、このままどんどん傲岸不遜にチートの道を突き進みそうである。また、僧侶・武闘家・盗賊とパーティー編成もそこそこ安定してきてるし、もう1枚前衛職が揃えば(全員の動機はヘンテコだが)割と真っ当な冒険者パーティになるのかもしれない。まぁ、今作の場合「冒険」すらあまり必要ない要素なのだけど。 あとはまぁ、冒頭の玄田さんの話でも触れたけど、「いいキャスティングだなぁ」っていうのが一番のお楽しみポイントですかね。タマ役の鈴代紗弓がハマっているのはもちろんだが、やっぱり個人的に無視できないのはその兄・レオン役の内山夕実。ゆーみんはさぁ、ここ数年でしっかり業界でも不動のポジションを手にしたよねぇ。前々から応援してた身としては、こうして中堅ポジションの世代でしっかり足跡残してくれる役者になってくれるのが一番嬉しい。ゆーみん、るみるみと実績を重ねたところになぐりこんでくる悠木碧像、あまりに解釈一致である。あとはまぁ、神谷・小野Dが楽しくやってくれてればそれで。カイバラは結局最後まで1ミリも救いのない状態で殺されたのが実にらしくってよかったですね。 さて、この調子だと魔王殺しの転生者たちを1人ずつ排除していく流れなんだろうけど、他の連中にどんな癖の強いのが揃ってるか、今から楽しみですね。 |
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