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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 マスコミ間のどろどろした関係性に、色んな邪推が止まらない第10話。フジテレビが協賛してるこの作品でこの内容って……色々ひどいなぁ。

 前回の「天才子役」が他のエピソードとは完全に孤立していたのと同様、今回の主役である田辺満雄(置鮎龍太郎)はこれまでのエピソードでは1度も登場していなかった孤立キャラクター。前回と同様に独立してエピソードが描かれるのかと思ったのだが、今回は逆に他の回のキャラクターが積極的に絡んでくる、賑やかなエピソードとなった。具体的には、直接田辺と絡んだキャラクターだけでも猪野、岩村の2人、その他坂東もきっちり顔出しで登場しているし、池山も名前が出ているのに加えて義父の野村教授が田辺に絡んでいる。彼が最後に携えていたのは星山の書籍だ。10話までのキャラクターのうち6人がここで登場しているわけだ。他の回と違って田辺は他に顔を出さない一方通行のセッティングになっていたために、何とも不思議な印象を受ける。

 そして、最後まで見るとこの「一方通行」の理由が判明するように出来上がっているのが面白い部分。今回は「伊良部の注射」というこの作品のキーアイテムの能力を逆手に取った、一種の叙述トリックが展開されている。それが、田辺の年齢トリックだ。

 改めて見返すと、アバンで真っ先に注射を打たれるという構成からして今までと違って不自然な部分があり、それに続くように描写される17日のエピソード(岩村に最初にインタビューされ、倒れるシーン)では、田辺の顔はほとんど描画されない。描画されるのは唇を噛むときのアップや目のアップなどで、実はこの時点でよく見ると深い皺が刻まれた「老人」であることは読み取ることが出来るのだ。もちろん、前もって「注射後の田辺」を見てしまっている(前回の予告も同じ効果がある)ために、その映像で「実は田辺が老人である」ことにはなかなか気づけない。そして、18日に目が覚めた田辺はもう青年の姿になっている。これはおそらく、パニック障害で倒れたことによって、既に自らの中に現実との不和が生まれていることの表れだろう(実際、伊良部に「老人」という言葉を出された時に不思議そうな顔をしており、青年の姿は自覚的なイメージになっていることが確認出来る)。もちろん、「動物に変身しないな」という伊良部達の疑問は、「既に田辺は何らかの別なシンボルをまとっている」ということを視聴者に伝えるための伏線となっているわけだ。

 とはいっても、田辺が老人であることは、そこまで劇的などんでん返しとして用意されているわけではない。オチがすんなり入ってくるようにじわじわと視聴者に予期させる準備もそこかしこに用意されており、一番のヒントはやはりたびたび現れる回想シーン(田辺からすると『幻』)だろう。高度成長期を思わせる数々の実写が並び、次第にその中で取材に明け暮れた田辺の姿も現れるようになる。この実写映像の取捨選択も興味深く、例えば「栄光の3番」長島茂雄のイメージは田辺と野球の繋がりも同時に想起させるし、建設途中の東京タワーは、田辺のメディア人としての一面を連想させる。もちろん、これらの映像は昭和の激動の時代を思い起こさせるモチーフとしても機能しており、田辺の年齢を含めたアイデンティティの記述として多重の意味を持っている。社長室で夕日を見てフラッシュバックが起こるというシーンも、沈みかけた夕日が人生の下り坂を進み始めた老齢の田辺のイメージを喚起させる。

 もちろん、そんな細かな描写よりも、田辺を取り巻く数々のイメージが、日本の大妖怪、渡邊恒雄のイメージと被っていることが、「老人」への接続に直接的な役割を果たしているのは間違いない。田辺の経営している大日本新聞社は日本放送=読売新聞であるし、グレートパワーズはジャイアンツだ。ご丁寧に「ナベマン」というあだ名まで明記されており、新聞、メディア、野球と日本の文化の中枢を掌握してきたナベツネを知る人間ならば、ナベマン=ナベツネという対比は絶対に頭から離れない。その「前もって存在する知識」が、最後のオチに自然に結びつくように出来ているわけだ。これはなかなかうまい。もちろん、(フジテレビから見れば)他社のお偉いさんを貶すような内容には出来ないために、「報道人として真摯な姿勢で挑み、現在のメディアの腐敗と脆弱さを嘆くひとかどの文化人」という田辺のキャラクターがきちんと描かれているのも面白い部分ではある。この作品を見た後では、なんかナベツネもいい奴のように見えてくるしな。

 そして、ここまで理解出来たところで、ようやく今回の「一方通行」の理由が分かる。これまでのエピソードで田辺と他のキャラクターの絡みを描いてしまったら、他者視点から「ナベマンが老人であること」が他のエピソードで分かってしまうのだ。そうならないようにするために、田辺はこれまでのエピソードでは登場するわけにいかなかったということだ。

 とまぁ、色々な伏線と余談を挟みつつ、最後には野球場で坂東の打ったホームランボールをアメイジング・グレイスに合わせてキャッチ(未遂)することで、ナベマンは時代の変化を悟り、ゆっくりと老人に戻っていく。今回の症状である「パニック障害」はいまいち理解しにくい症状だったのだが、おそらく伊良部のいうような「権力への固執」が一因としてあり、さらにその固執が「自分が時代を変えなければいけないという義務感」に根ざしたものであることが理解出来る。途中、田辺の時代観は完全に昭和のそれに戻っており、「アメリカの属国として立脚している未熟な日本を変えなければならない」と述べるのだが、この台詞が今の日本でもほとんど変わりなく使えるあたりが、小憎らしい風刺といえるかもしれない。

 今回もなかなか技巧に富んだ面白い回だったが、全てが片付いて老人となった田辺の声もきちんと演じ分けられる置鮎の技量には舌を巻く。じじいになっても格好いい声って、こういうのなんだろうなぁ。

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 これまでとは随分イメージの違う演出になっていた第9話。確かにここまでのエピソードに今回の主人公である安川ヒロミが全く登場していなかったのは気になっていたのだが(ひょっとしたら気付かなかっただけでどこかにいたのかもしれないが)、今までのような同時並行演出はここでいったん終わりということなのだろうか。

 今回の患者、安川ヒロミ(羽田野渉)の症状は、残念ながらあまり共感を覚えるようなものではない。勿論「キャラを守らなければ」という防衛意識というのは誰しも多かれ少なかれ持っているものだろうが、流石に一般人はタレントのように自分のイメージに固執する必要は無いので、心の病に発展するようなレベルでの悩みというのは少ない。以前友人と話していて暴露話が盛り上がった時に「お前はそういうこと言っちゃ駄目だ」とたしなめられた記憶があるのだが、他人の押しつけるキャラというのは、時として「知らんがな」という場合だってあるのだ。

 しかし、子役として売れてしまった安川の場合、他者の見る目についてはそれこそ病的なまで染みついており、既に必要無くなった成年後も、それが心から離れなくなってしまった。症状として表れるのは「笑顔」という表情のみなのだが、今回は安川の「表情」が非情に印象的に描かれることで、その深刻さを表現している。序盤は笑顔を崩さない安川の口元よりも上の部分に影がかかってなかなか見えないようになっているし、ビタミン注射を喰らった後には(そして幼少期から既に)、シンボルとして登場したアザラシの顔が頻繁によぎるようになる。これは当然、過去に一世を風靡した「タマちゃん」などから連想される、かわいらしさだけが先行した「客寄せ」商売のメタファーであろう。これらの描き方を複数重ねることによって、序盤の安川は笑顔以外の表情が一切表に出てこないわけだ。

 そして行われる荒療治。とはいえ、放っておいても安川が事務所を首になるのは避けられなかったわけだし、伊良部が助言をせずとも安川が自分のイメージと現実のすりあわせを行うのは必要事項となっていたはず。たまたま都合のいいオーディションで都合のいい流れになったおかげで、「イメージチェンジするんだ!」という一大決心が、逆ベクトルに吹っ切れてあのような結末を迎えることになった。「伊良部の思いきった治療」とはいうものの、あの流れで吹っ切れるようならば、結局今までの路線でもいけてた訳だから……マネージャーの管理が下手だったってことになる? いや、バラエティ番組の出演を受け入れられるようになったのは今回の顛末のおかげなのか。オチの部分の安川がどのようなポジションに落ち着いたのかが分からないために、何がどう治療されたのかがよく分からない展開だった。多分懐かしさとスベリ芸で返り咲いたってことなんだろうけど、絶対あれは芸人生命が短いタイプだぞ。

 とまぁ、本筋はほどほどにしておいて、気になったのは今回からの「別路線」の演出である。例えば、安川は18日に集合の象徴であるファミレスに顔を出していないし、当然他のエピソードのキャラクターも誰1人として顔を見せていない。唯一今回のエピソードに関係があったのは安川が受けたオーディションの原作者である星山純一だが、彼もわざわざ名前を出しておきながら当日のオーディション審査員を欠席している。これまでのエピソードでは「顔を出していること」が明示的に描かれていたのだが、今回は敢えて「顔を出さないこと」を強調しているようにも見える。

 また、毎回バンクのように同じ映像が使われ続けていた注射のシーンが、今回は別アングルの別シチュエーションに書き換えられている。マネージャーが見ていたからついたての陰で注射したとも考えられるが、普通に考えたら注射は隠れてするもんじゃない。打っている時のマユミの恍惚とした表情の追加や、毎度のように汗だくで盛り上がる伊良部のカットの変更など、ことさらに「今までと違う」ことをアピールするような構成になっており、もちろんBGMも定番の物から新しい物へと変更されている。

 他にも、安川は診察中に歯車仕掛けのイスでくるくると回り続けていたり、伊良部がマネージャーの背後に瞬間移動したような描写があったり、伊良部が「ひろ君」の存在に気付いた時には3体の伊良部(大・中・小)が全てオーバーラップして驚く描写があったりと、これまで暗黙のうちに慣例とされていた部分がぶっ壊れたかのような変化が気になる。今後は本当にオムニバスとして作っていくのだとしたら、時系列いじりはあくまで作品の1要素でしかないので無くなっても構いやしないのだが、これまでのような賑やかな雰囲気が無くなってしまうのはちょっと残念。来週登場するキャラクター(置鮎)も過去のエピソードに登場していないので、また単独エピソードになってしまうのかなぁ(一応グレートパワーズはスワローズの対戦相手だったけど)。ただ、ラストシーンで伊良部の病院を訪れたのが誰なのか気になる(流れからすると次回主人公の田辺の来訪なのだろうが、ラストシーンは伊良部の見ているテレビから24日のことであると分かるし、田辺が来訪したのは17日であるはずなので、計算が合わないことになる)。

 最後にキャスト話。マネージャー役は折笠富美子。振り回される苦労人役にもしっくり来ます。不幸が似合う女性は格好いいね。そして今回メインだった羽田野君だが、役が役だけにイケメンの彼が奮起すればするほど中の人が滑ってるみたいに見えて可哀想だった。……いや、おいしいと思うべきなのか…… 

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 久しぶりに中の人のインパクトがかなり強かった第8話。浪川の時もそうだったけど、中の人のイメージがしっかりあるかどうかで、随分視聴時のイメージも変わるもんだ。

 今回の依頼人、岩村義雄(岩田光央)の症状は「確認脅迫」。「火を消したっけ?」とか「電気消したっけ?」とか「鍵かけたっけ?」とか、この手の不安というのも日常生活では非常になじみ深いものだが、それが度を超えた時に「病気」となってしまう。実際、今回の岩村の症状は発端だけならば誰しも経験したことのあるものだが、タイトルの示す通りに「いてもたっても」いられなくなる段になるとその深刻さがよく見える。「煙草の火を消したか」「ガスを止めたか」などの共感が持てる不安要素から始まり、次第に「煙草の火の粉は飛ばなかったか」「電気のコンセントはショートしないか」などのちょっとついていけない妄想にまで発展することで、それが分かりやすいように演出されているわけだ。

 そんな岩村に対して、普段ならば適当なことばかり言っている伊良部も、実はこれまでよりも具体的な対策方法を何個か提示している。「灰皿をやめてバケツにする」「火災保険に入る」「他人と同居する」なんてのは分かりやすい提案であるし、途中で岩村が実践していた「写メをとって直接視認できるようにして安心感を与える」もおそらく伊良部のアイディアだろう。実際、写メ作戦はわずかながらも効果を現しており、とりあえず「これまで持っていた不安」だけは解消されている。ただまぁ、ラストは「落としたライターが発火しないか」というこれまたとんでもない不安に負けており、しばらくは症状と対策のいたちごっこが続きそうな気配。前回に続いて、病気の完治を予期させないエンディングである。

 実を言うと、今回のシナリオは前回の「ハリネズミ」と構図を同じにしている。それまでは心的に分かりにくい病巣を遠回しに見つけることによって打開する展開ばかりだったのに、最近2話は「別に病んでてもいいじゃない、みんな同じなんだし、役に立つこともあるんだから」という消極的な対策になっている。前回の猪野の場合は他者との意識共有で逼迫感を薄めて、今回は「症状があったからこそのポジティブ要素」を明示することで「何となくおしまい」という雰囲気を出したわけだ。

 ただ、この幕引きはちょっと納得いかない。猪野の先端恐怖症は、他者との差を埋めて心的圧力を和らげることにより、ラストシーンでは回復の兆しを見せているのだが、今回の岩村のラストシーンは、まったく病状が改善されていないことを示すもの。一応住み込み下宿で共同生活を送ることで不安を回避するという解決はほのめかされているものの、それはあくまで作中で試みた「失敗した対策」の延長であり、今後も岩村は予期せぬ不安との戦いを強いられることになるだろう。そこがどうしてもすっきりしないところ。最後にアケミに「脅迫で良かったじゃない」などという直接的な台詞を言わせているのも押しつけがましい感じがして、ちょっとシナリオラインに不備があったのでは、と思わざるを得ない。まぁ、そんなにパターンが増やせるスタイルでもないし、このくらいの引っかかりは致し方ないところかもしれないが。

 とか何とか言いながら、今回は中の人の活躍によって割と楽しく見られたのも事実。世間的に岩田光央と言えば「下ネタ大好き、変態親父」の印象が強いのだが、フリートークを聞くと、意外と気遣いの多いインテリゲンチャであることが分かる(これまた一面的な見方ではあるが)。そんな岩田の一面が面白い形で現れたのが今回の岩村という役で、非常に真面目で、知識を調べ、蓄えることを生業とするルポライターの人生がきちんと伺える。もちろん彼の持ち味であるコミカルな面もしっかり活きており、何度も自宅に駆け戻っては溜息をつくシーンや、ビタミン注射で変身したアライグマの顔でもにゃもにゃと不安と戦う様子など、岩田ならではのキャラ作りが見える。実写の顔写真にちょっと長めのぼさぼさ頭っていうギャップも面白かった。

 今回も一応時系列表を作ってみたが、実はあまり大きな変化はない。最初のうちは面白い要素だと思っていた注射器の量も5本目以上になるとあんまり見えなくなっちゃったし、他者との絡みもほとんど無かったし。気になるのは伊良部の診療室の内装かな。24日にクリスマスパーティーをやることはしってるんだけど、それ以前にも鳥が増えたり、おもちゃが散乱したり、微妙な変化が観察できる。何か意味があるんだろうか。 
<8話時点での時系列表>

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 最近「空中ブランコ」で検索来訪してくれる人が増えてて微妙に嬉しい第7話。面白いアニメだと思うのになかなか話題にならんのよね。

 今回の主人公は、1話からもちょいちょい出てきていたゴーグルヤクザ、猪野誠司(高橋広樹)。特徴的なゴーグルのおかげで背景にいてもやたらと目立つキャラクターだったが、今回ようやくメインで登場。アバンからいきなりロシアンルーレットによる脅しをかましたりと、なかなか堂に入ったその筋のモノ……と思ったのもつかの間。彼の症状は先端恐怖症。非常に聞き馴染みのあるこの病名だが、実際に重度の症状に悩まされている人間というのはなかなか見たことがなかった。そして、実際に見ると……結構間抜け。そりゃま、誰だった刃物は怖いんだけど、猪野の場合は冒頭に拳銃突きつけて啖呵切ってるだけに、筆記用具や野菜スティックにまで怯える様は非常に滑稽である。注射後の変身がチワワというのも皮肉が効いており、最後には敵対組織のヤッパのヤスと2人してチワワになってきゅんきゅん怯えているのが可愛らしい。

 今回の治療は、実は非常に珍しいケースである。というのも、これまでのエピソードにおいて、様々な神経症の「原因」は、およそではあるが根本を提示されいてることが多かった。1話から順に並べると「人見知り」「妻の浮気への鬱憤」「執筆ストレス」「台頭する若手への不安」「秘密をしゃべりたい衝動」「孤独感」。しかし、今回の猪野の先端恐怖症の場合、何故そういった病気になってしまったのかという原因が明示されていない。そのため、今回はラストシーンでも病状が完治したという描写はなく、「そのうち慣れる」というぼんやりした幕引きになってる(最後にケーキにフォークを刺したカットを「治った」と見ることは出来るが)。伊良部の治療も、「逆療法で注射を刺そう」とか「サングラスをすればいい」とか、具体的な割には効果が出ないものが多く、いつものように「気がつくとベストの治療をしてたんだね」みたいな達成感が薄い。

 代わりに、「怖がってもいいじゃないの」というある種消極的なメッセージ性みたいなものが伺えるのが今回の新機軸。主人公が刃傷沙汰に関係するヤクザもので、そのヤクザが女から「足を洗えばいい」と再三言われていることから、「刃物が平気でも自慢になんかなりゃしないんだから、苦手なりに生き方を見つけた方がいい」みたいなメッセージが読み込めるのだ。虚勢を張った神経の細いヤクザものよりも、それを尻に敷いてやりくりしている女の方がよっぽど強そうに見えるのは端的な部分である。

 今回は猪野のコミカルなキャラクターも相まってテンポのいい演出が見どころとなっており、敵や子分の前で威勢のいい姿を見せながらも、女の前では一人の悩み多き若者になり、刃物を突きつけられれば滑稽なまでに怯え上がる猪野の表情が面白い。女にやり込められると背中の般若がショボンとしたり、「サンマはやめろよぉ!」と飛び上がって逃げたり、ゴーグルを入手してしたり顔でシャーペンを目に近づけてみたりと、中の人の高橋広樹も、実にのびのびとやっていて楽しそうだった。次回はあの岩田光央が登場。どんな素っ頓狂なキャラクターが飛び出すのか、楽しみです。

 そうそう、サブイベントの話だが、今回1224日に猪野が読んでいる新聞に、坂東が逆転サヨナラを演じたという記事が載っている。確か4話では坂東がベンチから声を出しているシーンで終わっていたはずだが、こういうところで別エピソードのエピローグが見られるというのは面白い趣向。そこで、以前からやりたいと思っていた時系列表を簡単にではあるが自作してみた。まだ見てないエピソードもあるので抜けはあるだろうけど、改めて見ると伊良部の激務っぷりが確認出来る。参考までに今週までを載せておこう。横の行が名前の人物に関わるイベントで、セルの色は何話で描かれたかを表している。 
<第7話時点での時系列表>

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 重層的な時間軸がじわじわとその存在感を増してきている第6話。なるほど、色んな所に前のエピソードの登場人物が見え隠れするし、町中で騒いでいた岩田光央も今後の主人公キャラだ。うーむ、本気で時系列表作ってみようかなぁ。

 今回の主人公は入野自由演じる高校生、津田雄太。入野はリアルで若者なので、今回のキャスト陣では文句なしの最年少。「下手したらリアル高校生ぐらいだっけ」と思ったが、確認したら一応二十歳は過ぎてた。いつの間にか大人になってた。まぁ、デビュー(千と千尋)からもう8年も経ってるしね……

 そんな彼の病名は、ケータイ依存症というこれまでで一番具体的な病名。予告を見た時点では「おいおい、それって精神病なのか?」とか「ありそうもない病気だよな」とか思っていたのだが、これが見ているうちにものすごく身につまされる話になっていくのが実に痛い。このエピソードはぼっちには見せちゃいけない気がする。ほんと、精神的にきついって。

 雄太の場合はネット検索などにも携帯を駆使しているのでかろうじて「携帯がものすごく好きな青年」というぐらいのごまかしは効くが、そうした用途がなく純粋に連絡手段のためだけのツールとして携帯を認識すると、この脅迫観念は何らかの対人障害ということになる。雄太も決して人と会話できないとか、対人不全があるわけではないのだが、その距離感にどこかおかしなところがある。そしてそのおかしさは、携帯には関係ない、普通の対人関係のレベルで起こっていることだ。繋がろう、繋がりたいという意志は携帯という形に具現化し、その細い繋がりは、携帯を通さないリアルの方が真に迫って突き刺さる。クラスメイト達とのどこか希薄なやりとりと、不安なコミュニケーションは、まさに携帯メールを通じてやりとりされるようなどこかおぼつかなげな信頼感であろうし、そんな細い繋がりにすがりつくからこそ、雄太は更に孤立していく。あぁ、駄目だ、書いているだけで怖い。ほんと、携帯なんて持ってても百害あって一理もない気がする。

 それでも、一度持った携帯を手放すことはもう出来ない。持ち始めた時には「なんかどこにいても呼び出される気がして気にくわない」と思っていた小さな機械も、今ではすっかり「忘れてくると家で鳴ってるように思えて気が気でない」という悪魔の道具に。これは、確かに病名を取り上げて現代の新たな病巣として扱うだけの意味があるツールだろう。今回は伊良部の活躍を描くシーンが少なく、その生々しい携帯の「繋がり具合」が細かく描写されていたのが憎らしかった。

 雄太のシンボルは、そのひたむきなキータッチを象徴するキツツキ。注射による変化の後は、しばしば彼がくちばしで携帯をつつく描写が確認出来る。そして、ラストシーンでマユミによって「治療」が施された時には、窓に映ったキツツキが雄太の顔へと戻ってくる。一心にキーに向かって話しかけるしか無かった青年の、苦い成長の一歩である。でもまぁ、あのクリスマスのエピソードの後に学校にいくのはかなり勇気がいる気がするけど……あぁ、本当に気が滅入るようなエピソードでした。多分、健全な対人関係がある人はこんなの観ても平気なんだろうけどね……どうにも引きこもりで人付き合いが苦手だとね……

 さ、気分をリフレッシュさせて次のエピソードだ。今度の主人公は高橋広樹。なかなか絵になる役者ばかりで攻めてきますな。 

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 今更ながら「うわ、平田さん顔濃いぃけどイケメンじゃね?」と知った第5話。モノがモノだけに真っ先に中の人ネタが出てきてしまいます。すみません。

 今回は伊良部の元同級生が依頼人という、一風変わったシナリオ。この手のオムニバス作品で主人公の同僚や先輩なんかが絡んでくると妙な生活感やリアリティが出てちょっとドキドキする。古畑任三郎の菅原文太の回とか、好きだったなぁ。

 毎回奇妙な神経症を患ってやってくる依頼人達だが、今回は3話の星山に引き続いて、名目上は「強迫神経症」。そして、分かりやすく言い換えるならば「破壊衝動」とでもいうべきもので、今までの症状の中では最も共感できる内容になっている。今回作中で池山が挑んだ「治療」の数々(エレベーターの中で粗相したり、電車の中で懸垂したり、駅の非常ベルを押してみたり)は、誰しも一度は「やりたい」と思ったことがあるのじゃなかろうか。そうした「今あるモノを壊してしまいたい」というどうしようもない欲求が、今回のメインテーマ。

 シナリオ構成は非常にシンプルで、その原因はマスオさん状態になった相手先の家に息が詰まること。そして、必死で自己を押し殺すことの反動が、全て「義父のアレ」に集約される。おかげで伊良部の治療も単純明快だ。実は私の回りにも1人「アレ」疑惑が色濃い人がいたりするのだが、その人がしゃべっているとどうしてもみんなして視線が1点に寄ってしまうし、何かあると「押さえ方が変」だの「ちょっとずれてる」だのと盛り上がってしまう。つけまつげやつけ爪だったら誰も文句を言わないのに、何で「アレ」だけ妙な背徳感があるのだろう。不思議なものだ。

 今回は症状にも何となく共感が持てるし、構成上「原因」→「治療」という流れが非常に分かりやすかったので、余計なことを考えずに存分に演出を楽しむことが出来た。非常ベルシーンの訳の分からないイメージ映像も味があるし、本筋の持っていきかたもシンプルなだけに爽快で、クライマックスの「はずす」シーンの異様な緊張感、背徳感と、それに伴う何とも言えない高揚感はすごい。あれだけ画面がぐちゃぐちゃなのに、なぜかそこのところだけは嫌というほど伝わってくる。カタルシスが大きいだけに、池山が最後に自宅でくつろいでいるシーンは、これまでのどの患者のエピローグよりも幸せそうで良かった。平田さんも、きっと顔に似合わずお茶目な人なんだろうなぁ(よく知らないけどさ)。

 今回も相変わらずの演出であるが、序盤は野村家の華々しい日常の演出と、次第にひび割れていく池山の限界っぷりが印象的。特に冒頭の同窓会のシーンは、巨大な薔薇が大写しになったり、奇妙に歪んだフレームが画面に張り巡らされたりと、どこかシュルレアリスムを思い起こさせる「高貴さ」の演出が味わい深い(巨大な薔薇はマグリットの「闘牛士たちの墓」のオマージュじゃないかとも思ったのだが、考えすぎか)。

 そしてビタミン注射での変身は、今回はカメレオン。学生時代には悪戯好きで、野球が大好きだった池山が自己を殺して回りに同調しようと色を変えていることのメタファー。ストーリーの進行に応じて少しずつ色を取り戻していくのが非常に分かりやすい描き出し。最初の「変身」に時間がかかったのは、同業者の注射に一縷の抵抗があったからだろうか。

 そうそう、今回も見えにくいけどちゃんとゴミ箱の注射器が増えている。一応話数順に処方してるってことになるのかな? 話数と言えば、今回は随分4話とのリンクが強調されており、坂東がイップスで苦しむ姿が端々から伝わってくるし、なぜか画面の切り替えで見事な空振りまで披露してくれている。こりゃぁ、1話から見直して他のリンクも探さなきゃならんかな。誰か、本当に時系列の表を作ってくれ。

 次回の主人公は入野自由。ようやく若手の登場ですね。ケータイ中毒って……それも精神病なのか? 

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 主人公坂東が何を頑張っても、すべて浪川にしか見えない第5話。多分個人的に顔を一番良く見ているせいだと思うのだが……おもしれぇんだもん。実年齢でいえば、野球選手としてはまだまだ現役の歳なんですけどね! なんか「Number」に掲載されててもそんなに違和感もないな。

 今回の症状は、野球のイップス。作中で伊良部が説明している通り、イップスといっても様々な症状があるようだが、坂東の場合には「ファーストへの送球のための投球がうまくいかない」という非常に局所的なもの。今回ストーリーは非常にシンプルで「後輩に脅かされる恐怖、嫉妬心」などが原因になっていたわけだが、これがどう発露すると「1塁に送球しようとしたときだけ失敗する」という症状になったのかはよく分からない。まぁ、必死でいいとこ見せようとするとかえって変な力が入って失敗するってのはありがちな心理状態だけどねぇ。ゴールデングラブ賞3回の身にこの症状はきつい(ところで打撃成績はどれくらいなんだろうな)。

 症状、原因、治療法と、今回はどれも特に面白い捻りがなかったのは残念だが、この作品としてはあり得ないほどの大群衆がひしめく神宮球場の様子はなかなかの圧巻。スタンドを埋め尽くすぺらぺら人間や、どこか真に迫った実況と解説。実写取り込みによる(おそらく)現実の神宮とアニメによるフィクションがない交ぜになり、いつものように非常に不安定な画面を形成してくれる。イップスが発生したことを示すスコアボードの全景(とボール)、坂東の焦りと拘りを示すかのように大写しになるサードベース、乱闘シーンを表すためにコマ送りで突然プレイヤーが消え去るベンチなど、どれもこれも現実の映像ながら、そこに表される「事実」は全てフィクション。相変わらず、このもやもやした感じがたまらない(なんでヤクルトが実名で所属球団になってるんだろうと思ったら、ヤクルトってフジテレビの協賛なのね)。

 また、今回も伊良部の野放図な活躍は健在で、野球なんてやったことがないようなボロボロのフォームにも関わらず、逆シングルや難しいショートバウンドに限ってはプロ顔負けのモーションで動いてみせる。あげく「野球は飽きた」と言い出して今度は舞台脚本に手を出し始める。タイトルを見ると、握っているのは前回登場した星山の作であることが分かる。

 今回ようやく気付いたのだが、シリーズ中で診察を受けにくる患者たちって、全員同じような日にちに来院してるんだね。カレンダーをめくる演出を見て何となく時間軸が進んでいるんだとばっかり思ってたんだけど、全部12月中の話で、同時並行だったのか。誰かにまとめた一覧表とか作って欲しいもんだけど、話の流れから、あの台本を握っていたのは星山の治療が終了した後なんだろうな。なかなか面白い試みだ。

 また、これも今更気付いたのだが、冒頭でマユミが施す特大注射、あれの使用済み注射器って、シリーズが進むごとにゴミ箱の中に溜まっていってるのね。そういう所はこだわって描写してんだなぁ。

 次回の主役は平田広明。ここ最近ではすっかり「お化けギャルソン」のイメージなんだけど、相変わらず腐女子人気が高そうなところが来るよなぁ。 

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 声優ファンにはたまらないサービスが続く第3話。考えてみりゃ実写(もどき)声優が顔出しで演じてくれてる地上波作品なんだから、腐女子とかがもっと食いついてくれてもいい気がするんだけど。今回も三木眞ですよ。なんでイマイチ話題にならないんだろう。

 今回の症状は、比較的シンプルな神経症である「強迫神経症」。主人公の職業がやや特殊なので視聴者が共感を得るのは難しい部分があるが、病状自体は誰でも何となく心当たりがあるものだろう。それが自分の生業に関わっちゃうと大変、ということ。ただ、病状はシンプルだが、今回の患者である星山の場合は、その原因に面倒な事象が絡んでくるので話はやや複雑になる。

 彼の場合、単純に「確認を迫られること」が病気の根幹ではなく、作家活動に関わる様々なコンプレックスや軋轢が集まり、「既存のキャラクターがどうかを確認する」という行為に集約される。それは例えばパターンと言われることに対する抵抗であるし、実体験を伴わない作風に対するコンプレックス、自分が本当に書きたいものに対する背徳感などである。それらを見ないようにするために、たった1つ、自らが現在執筆している作品に対して疑問を投げかけるという行為が生まれるわけだ。伊良部は相変わらず適当なことをいいながらも、問題をまとめ上げ、「先輩作家との口論」という舞台を設けることによって、その病巣の治療に成功している。1話の山下や2話の田口に比べると、治療後の態度にもまだ違和感は残るものの、啖呵を切ることで自分が本当にやりたいことに対する姿勢が決まったという風に解釈していいのだろう。というか、そう解釈しないとラストシーンの意味が分からないからね。

 で、3回目ともなると演出面にも随分慣れてゆっくりみられるようになってきたのだが、相変わらず実写を使ってあれこれ「表出」させようとする姿勢が面白い。今回特に目を引いたのは、星山の本名である「鶏」を絡めた演出で、まず、毎回恒例の注射を打たれた後の面相の変化が、ニワトリ。そして嘔吐するシーンでは必ず大量の羽毛が舞い、「身をちぎられるような」苦しみを演出する。最後のシーンでは、彼の心の充足を示すかのようにして、弱々しかった羽毛に羽根が増えているのも芸が細かい。ニワトリと言えば「3歩進んだら物事を忘れる」と言われるように物忘れの代名詞でもあり、「忘れること」のメタファーであるニワトリが、彼の病的なまでの(実質病気だが)確認癖の痛々しさを強調する。嘔吐することで生み出される「中身のない卵」は彼自身が疑問に思っている「形骸化した小説」を表すし、最後に吐き出した時には、卵以外にも彼の思いを詰めた様々な本が飛び出している。彼を追い詰めることになった先輩作家の名字に「鍋」の文字が入っているのも、非常に端的な物語の遊び心といえるだろう(鶏は鍋に入って苦しむところから料理になるものだ)。

 もう1つ意味が分かってきたのは、ホスト役である伊良部のシェイプチェンジの演出意図。大、中、小と3パターンの姿を持つ伊良部であるが、基本的にメインの人格が大で、外出するときは小が多い。そして、中と小は基本的にカットをまたがない。診察室でのカット割りを見ると分かりやすいが、カットが変わるとたいていはスタイルも変わるようになっており、あたかも「患者が複数の伊良部に囲まれて問診を受けている」かのような錯覚を覚える。時には場所を移して、時にはまったく同じ椅子に座りながらコロコロと姿を変えていく伊良部は、そのちょっと危険なエキセントリックさが非常に面白い味として表現される。もちろん、大と中を見事に演じ分ける三ツ矢雄二の怪演もたまらない。

 そういえば、今回パッと出の携帯小説家の女の子がくぎゅでしたね。どうせなら女性声優も顔をトレスしてくれれば面白いのに……いや、別にいいんですけど。気付けばここでもエルリック兄弟そろい踏み。

 次週はヤクルトのサードを務める男のイップスの話らしい。中の人は我等が英雄、浪川大輔。イラストに落とし込んでもその眉毛には一部の揺るぎもない。男らしいぜ、裸王! 

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  癖の強い演出も、早くも馴染んでしまっているのが恐ろしい第2話。方針が理解できるだけで、煩雑に見えた画面の情報が実は非常にシンプルで分かりやすい情報の集合だと言うことが理解できる。ある意味、至極まっとうな作品といえるのかもしれない。

 2話目の主人公は、チンコが勃ちっぱなしになってしまうという、世にも恐ろしい疾患に見舞われてしまった公務員、田口哲也。顔は櫻井孝宏。病気の原因は一方的に浮気をして離婚していった元妻へのストレスで、溜まりにたまった鬱憤をはらさんと四苦八苦する姿は、コミカルながらも非常に痛々しく、なまじ実写混じりであるためか、ギャグとして処理しきれない嫌な現実味がある。確かに回りにはとても説明出来ない「病」であるし、もしばれたら言い訳のしようがない。区役所の職員が全員女性ってのは流石にないだろうが、町中でも仕事場でも、一切気の休まる暇がない。

 今回はあまりに下卑た題材だけに、描かれるべきものは非常に明確で、田口視点の視界に飛び込んでくるのは、どれもこれも女性の刺激的な映像ばかり。普段ならば「サービスシーン」として処理される部類のものなのだが(まぁ、この作品の場合はあまりエロさは感じられないんだけど)、彼の苦境においては、それは単なる苦行にしかならない。行く先々でやらかしてしまう失敗も、男性ならば心静かに同情してしまいそうなものばかりだ。個人的に妙な説得力があったのは、数ある「サービスカット」の中でも、やけに情感が籠もっていたのが職場の同僚の、ごく普通の、特に露出があるわけでもなく、ボリュームがあるわけでもない胸元のカット。一般的な意味での「セクシー」でなくとも、普段見慣れている刺激とも言えない刺激が、否応なく病の重さを伺わせることになる。

 そして、そんな彼の最大の心因である元妻との関係性が、今回の山場となる。自分と連れ合った時には想像も出来なかった彼女の現状を見て、とにかく全てをぶちまける算段をする田口。しかし、結局ぶちまけることが出来たのは脳内だけで、彼女から懐妊の報告を受け、一言「おめでとう」とだけ言ってその場を去る。「この淫乱女が!」と「おめでとう」。あまりに違いすぎる理想と現実だが、その「現実」の方が、結局彼の目指すべき答えだったというオチ。陳腐な結論ではあるのだが、最後の同僚に向けて言い放った「言わないよ」の一言のおかげで、なかなか味のある読後感(視聴後感?)に仕上がっていた。流石に小説原作だけあって、ベースとなるシナリオラインは良くできている。

 そして、そうした分かりやすいシナリオラインを盛り上げるのが、この作品独特の一見エキセントリックな画面描写である。とはいっても、冒頭で書いたように、冷静に見れば実は非常にシンプルな構成理念で仕上げられていることも見て取れる。分かりやすい例で言えば、田口の怒張したモノを表現する様々なメタファーは、単一の対象の目先を変えることで画面に変化を出す効果がある。最も頻度が高く、最後には田口の顔と入れ替わったりした「サイの顔」や、背景に見える雄大な赤富士、よく分からない機械のシルエットに、鞄を引っかけてぐるぐる回す描写まで、当然「直接描くことが出来ない」対象ながら、画面に様々な形で姿を現して飽きさせない工夫がなされている。

 他にも、元妻との思い出が大量の写真の中で変化を起こし、田口の心的な状態を表してみせるカット、メインとなる登場人物以外を紙人間で処理して重要度の差を付ける演出など、物語の筋を見えやすくするために、情報の取捨選択を行った結果の産物が、独特の色彩を生み出しているのが面白い。個人的にはちょいちょい登場する「福井っち」の存在だけはあまり感心しないのだが(今回最後の説明は流石に興ざめだった)、それらも含めて、「説明のための画面」がきちんと作品のための要素として解題されているのは見るべき点であろう。興味の尽きない作品である。

 最後に、お約束ながらキャストの話。今回観ていて愉快だった理由の一つに、主人公田口役の櫻井が非常に楽しそうだった、というのがあるだろう。良くも悪くも本人に「合う」役どころだったと思うし、ちょいちょい入るアドリブじみた台詞も面白かった。そしてたまらんのが、元妻役の大原さやか様である。不倫が原因で分かれた女やもめの役。なんでこんな役が多いんだろう。浅野真澄大先生から「幸薄そう」と言い放たれた経歴は伊達ではない。まぁ、今回は幸せそうでしたけどねぇ。結婚して幸せになったキャラがアリシアさんしか思い浮かびません。今後とも、ハチクロの理花さんを越える幸薄キャラを切望します。

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