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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 コウキのお母さんは文句なしの和服美人、第8話。中の人的に間違い無いところだね。ただ、今回のお話は、惜しくもコウキのお母さんとは違う、別な「お母さん」のお話でございます。

 実際の季節に少しずつ追いついて、りんたちの生活も夏休みに突入。うだるような暑さの中で今回行われたイベントは、大吉の祖父宋一の墓参りである。季節柄、手土産にしたいと思っていたリンドウの花はまだ揃わなかったが、りんが顔を見せることが一番の土産になるという大吉の説得を受けて、2人は心おきなく墓に参ることが出来るようになった。ああいうところでスッとりんが一番求めているであろう言葉を選べる大吉って、本当に偉いと思いますね。「出来れば墓前に自分のリンドウを供えたい」というりんの気持ちを決して無駄にせずに、それをくみ取りながらも善処した答えを提案するっていう、理想の教育者じゃないですか。自然に出てきた言葉だとしたら、もう既に父親の貫禄ですよ。

 そして、墓参りについて、ちゃんと理解している風のりんちゃんも随分賢い。最愛の人の死に接して大きく精神的に育たざるを得ない部分もあったのだろうが、あの歳で「人が死ぬこと」の意味をちゃんと理解していて、その上で「故人との接し方」についても大人の分別がついているようなのだ。私が子供の頃なんて、墓参りは鬱陶しいだけの催し物だったような気がするけどなぁ。「墓」なんてものは基本的に生きている者の自己満足の産物である、という見方も出来ると思うのだが、仮にそうだったとしても、それはそれで価値がある。そうした「墓を大切にすることの意味」を、りんはきちんと理解しているのだ。

 そしてもう1人、故人を故人として忘れずに居た人物がいる。それが今回の主役、吉井正子である。しかし、何事もつつがなくこなせるりんや、誠意と行動力で社会を渡り歩く大吉とは違い、正子は非常に不器用な人間である。数年前に「りんを手放す」という決断をしたことからもそれは確認出来るが、時を経た今になっても、その頼りない部分は変わっていない。彼女にとって、自分が生きていく上で必要なものが、何なのかはっきりしないのだ。

 社会生活を営む上で、人は様々な役割を担う。正子の場合なら、漫画家であること、女性であること、恋人であること、そして母親であること。普通の人なら、そうした役割のバランスを取りながら日々を過ごすところだが、宋一は、正子の不器用な人柄を見て、「母親であること」を担わせるのは無理だと判断したようだ。彼女自身もその判断を受入れ、りんを手放すことによって、生涯を通じて1つの「母親役」を喪失させた。そして、手放したからには、残りの役割に全力を注がねばならないと思うのが、正子の人柄。たまたま、今の段階ではそれが「漫画家としての自分」であり、その役割を維持し続けなければ、すべてが壊れてしまうという強迫観念とも言えるプレッシャーに苛まれている。

 実社会において、この「焦り」は正しいものであろう。本人が言うように、漫画家なんて人気商売は、時機を逸したらどうなるか分からないものであろうし、出来ることを出来る限りやり続けても、まだ足りないくらいの立場。そういう意味では、彼女がぶっ倒れるまで動き続けるのはある意味間違ったことではない。しかし、偶然が重なった夏の墓参りの席で、彼女はそうした追い込みに、自ら揺さぶりをかけてしまった。一度は捨て去った「母親であること」を思い出してしまったことに加え、大吉の姿を見て、「女であること」もフィードバックしてきた。こっそりと草むらから2人を見守るあのシーンにおいて、りんに目を向けるよりも大きなウェイトで、大吉の後ろ姿を見ていた正子は、「母親」というよりも、一人の「未亡人」である。普段どれだけおかしな振る舞いをしたとて、やはり血のつながりは忘れられるようなものではないし、残した想い出は完全に消え去ることもない。正子の今後の「軸」は、どこへ揺れていくのであろうか。

 今回のエピソードにおいて、最も重視されたのが「繋がり」であろう。1つ目は、正子とりんという母子の血のつながり。毎日健康な生活をして、大吉に大切にされているりんの綺麗な髪の毛と、不摂生のせいでぼさぼさになってしまった正子の髪の毛。状態が全然違うにもかかわらず、この「髪」の繋がりで、大吉は「正子は母親である」という事実を思い出した(また、その後で正子も何かにすがるかのようにして何度も髪の毛を握り締めている)。更に、大吉が走り去った後に上方から俯瞰で見た正子のシルエットは、見慣れたりんの立ち姿に酷似している。どれだけ会わずとも、どれだけ忘れようとも、そこには「繋がり」が見える。

 そして、正子が垣間見た大吉と宋一の血の繋がり、さらには全く同じ台詞を心中で吐くことで繋がった大吉とりんの繋がり。最後の1つだけは血縁としては遠いものであるはずなのに、生活を共にして、互いに大切に思い合っているからこそ生まれる「繋がり」が見える。こうした「縁」の妙が画面に現れるのを見ていると、「絆」という言葉の意味がしみじみと感じられるのです。

 そしてオチは安心のコウキ・大吉劇場。胸にグッとくる部分もありながら、ちゃんと笑いにも繋げてくれる描写が、本当に上手い。今日もゆっくり寝られそうです。

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 結婚って難しい、第7話。これまで順風満帆な家族関係がほとんどだった本作だけに、春子さんのリアルな悩みっぷりは痛々しいものがありますね。私事ですが、最近血族たちの「夫婦」を立て続けに見る機会に恵まれてしまい、どうにもリアルな「夫婦の在り方」について考えてしまいます(注:うちの親戚連中の夫婦関係は円満です。多分)。

 大吉のいとこである春子は、序盤の葬儀のシーンなんかでも登場していたキャラクターで、ちょっとだけおうちでの生活も描かれていた。確かに、どこか姑とうまくいっていないようなちぐはぐな描写はあったが、そこまで強くプッシュされた部分でもなかったので、まさか家を飛び出すまでの不仲になっているとはおもわなんだ。それだけ、些細なところから不満は爆発するってことなんだろうか。

 今回のエピソードでは、2つの事象が大吉に投げかけられている。1つは、大吉がいうところの「すっ飛ばした」過程である「結婚」ということについて考える機会。確かに、結婚どころか恋愛も何も無しでいきなり子持ちというあり得ない状態で落ち着いてしまった大吉は、そこに欠けている「伴侶」というものをこれまで一切考えることがなかった。自分に時間がなければわざわざ作るために部署を移動して解決させたし、微妙な子供との関係性も、りんが実に良くできた子供だったおかげであまり問題にならずに済んだ。元々一人暮らしの長い身だったので、家事や生活習慣でりんを煩わせることも(そんなに)無い。つまり、「すっ飛ばした」ことが問題にならなかった。本来ならそうした経験を持っていそうな正子にも一切「結婚」の断片が無く、「2人の親」が自然に当たり前の行程をスルーしたままで現状に至っているのである。

 今回、そうした「すっ飛ばした」過程である「結婚」の1つの形を持ち込んで来たのが、春子である。しかも、嫁姑問題という実にシンプルで分かりやすい問題を抱えての参入は、正直言って大吉には理解の及ぶところではなかっただろう。あくまで「幼い頃に見ていたあの春子」が、幼い頃と同じように泣いていたのを見て、放っておけなかっただけである。そこに共感も無ければ理解も無い。単に「りんとの家庭」だけを持った大吉には、共感など持てるはずがないのだ。しかし、少しは「そうしたこと」を考えるきっかけを与えたことも事実。あの後で春子はどんな顔をして家に戻ったのかは分からないが、今後も大吉は春子の家庭を1つのモデルケースとして観察することで、「夫婦関係が成立した家庭とは、そしてその家庭における子供との接し方とは」ということを学んでいくことになるのだろう。問題は少なくない春子の家庭でも、子供と両親の関係は円満そのものであり、「親子の愛情」というこの作品のテーマが揺らがなかったのはありがたかった。

 そして、春子の突飛な行動によって大吉が得たもう1つの事象は、やはり「母は強し」という1点だろう。春子自身は「自分一人の生活力ではどうしようもない」と折れてしまった部分こそあるものの、子供と一緒に生活を築き上げていこうという覚悟は大吉以上のものがあるし、自ら渦中に舞い戻る決断をした春子の行動は、これまで大吉がりんのために費やしてきた努力とはまた別の苦労である。そうした精神的な重圧に立ち向かおうとする「母」の姿は、吉井正子からは一切感じられなかった、1つの新しい「母親」の姿である。

 そうした「母」の強さを端的に表したのが、エンディングに入る前の短いワンカットであろう。大量の荷物を詰め込んだ重たい荷物を軽々と持ち上げ、ひょいと肩に担いで何事も無かったかのように家路につく春子の背中。それまで一切見せなかったような大胆なカメラワークのおかげでインパクトが大きい上に、ラストシーンなのだからもう少し余韻を持たせた表現にしてもいいように見えるのに、実にあっさりと、非常に短い時間で切り取ったシーンになっており、「このぐらいじゃ、細腕で子育てをしている母親はへこたれませんよ」という信念が強烈に伝わってくる。大吉が回想した、夜の台所で泣き崩れた「少女」の春子と、麗奈の前では強さだけを見せ付ける「母親」の春子の対比が実に面白い。

 そして、最後のCパートは「女は面倒」の1シーン。こうしてみると、やっぱり大吉とコウキは同じ目線で仲が良い。ほんと、ショッピングについていくのは男にとって拷問以外の何ものでもないね。

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 そういやシリアルとか最近全然食べてない気がする第6話。子供の頃は無闇にああいうのに憧れてたもんです。お気に入りだったのはケロッグのチョコクリスピーだった。主にチョコが溶けた牛乳目当てで。

 さておき、今回のお話も、あらすじだけを見れば「りんちゃんが小学校に登校しました。一緒に木を植えました。楽しかったです」というだけなのだが、きちんと1話1話の中で描かれるテーマが示されており、それをちゃんと立てようとする構成が整っているおかげで、何気ないシーンでもじんわりと伝わってくるものがある。今回は「繋がっていくもの」というのがメインテーマとなっており、それが具現化したのが、「生誕のたびに木を植える」という宋一じいちゃんが残した鹿賀家(河地家)の文化であった。大吉も、そのお袋さんも、そしてりんも、宋一じいちゃんの作り上げた「育て方」の中では同じく「子供」であり、偶然にも大吉とりんはその木の種類までが一緒。2人は「半年前までは知りもしなかった」間柄だったにも関わらず、1本の木によってつながれた人生の道程は、はっきりと2人の絆を示すものになっていた。

 この「木による時代の蓄積」の見せ方がいかにもアニメらしい見事なもので、例えば大吉の母、幸子を象徴するギンモクセイを大吉が見上げるシーンでは、幸子本人は単にちっちゃくてお茶目なおかあちゃんでしかないのに、長い年月を刻んできた樹木は、立派に年輪を重ね、あの大吉が見上げるまでの勇姿を誇っていることが緻密なCG処理を施した群葉によって描かれている。しかも、大吉目線だとものすごい大きさに見えるのに、カメラをうつすと実はそんなでもないあたりが丁寧(ギンモクセイはそこまでの大木じゃないからね)。あくまで大吉から見れば、「母の歩んだ人生の年輪」が大きなものであることが示されているわけだ。もちろん、大吉のキンモクセイはりんのものに比べれば圧倒的に大きいものであるし、その差はそれぞれの間に等しくある。そうした、「1本の血脈」としての繋がりが、見事に画面にフィードバックされているのである。吹き上がったキンモクセイの花による「人生の道行き」の図は、シンプルながらも実に分かりやすい演出である。

 また、樹木単体の成長というのも個々に人生を表すツールとして用いられている。大吉とりんが植えたびわは、まだ芽すら出ていない種でしかないが、りんが生まれた折に植えられたキンモクセイは、いくらか育って「飛び越えるのは無理」なくらいになっている。りんが歩んできた6年間は、宋一の見ている環境で、着実に枝葉を付けていた。そして、大吉との新しい関係性は、これから芽を出して、新たに育まれていくものとなるであろう。

 サブイベントとしては、大吉がコウキとちょいちょい絡んでいるシーンがなかなか面白い。おっさんになってからちっちゃい男の子と絡んでも、何故か男の子同士だとどこか同じ目線になってしまうようなところがあって、大吉の場合、コウキとのコミュニケーションが普通に悪ガキ同士の会話に見えるのが楽しい。こればかりはりんには分からない「男同士」の対話であるが、大吉がりんだけの時には見せない子供っぽい部分がたくさん現れるので、りんのお姉さん属性も加速していきそうである。正直、りんは大吉のことを「親」だとは見てないみたいだしね。あくまで対等な立場の同居人なんだものな。

 そして、毎回書いてるのでいい加減飽きてきたが、やっぱりりんちゃんが可愛いのである。最近は気分が落ち込むようなイベントも減り、楽しそうな様子が多く見られるおかげで、目がちょんちょんと落書き風に描かれたデフォルメ顔がよく出てきます。これがまた可愛い。びわの上をぴょんぴょんと跳びながらはしゃぐシーンが小憎らしい演出になっており、わざわざカメラアングルをちょっと上に置いてりんが飛び上がった時にだけちょろっと見えるようになっている。おかげで小さいりんが精一杯飛び跳ねている図がよく分かり、愛らしくて仕方ない。眼福。

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 歯磨きってあんな角度であんな風にやるものだっけ? 第5話。我が家の場合、本当に小さい時は寝っ転がって親がやってくれた気がする。いや、正直言うとあんまり覚えてないんだけど……みんな、歯はちゃんと磨こうね!(切実)

 今回のトピックスは大きく分けて2つ。1つ目は、ついに面会が叶って初登場のりんの実母、吉井正子さん。先週の引きからドキドキしていたのだが、さぁ、難しいキャラクターが出てきたぞ。これで本当にりんに興味がないだけの駄目な女が出てきたりとか、りんに会えなくて涙を流すような必死な女性が出てきたら話は簡単なのだが、そんな漫画みたいなキャラクターが出てくることはなかった(漫画なのに)。吉井正子は、確かにどこかズレたところのある人物ではあるが、それは、ダイキチが初見で判断出来るような、分かりやすいものではなかったのだ。

 りんを手放したことについては、特にこだわりがあるようには見えない。本人がいうように「母親であるべきでなかった」という理由付けは既に数年前に済んでおり、今更「子供を捨てた」と言われても、他人と相談して放棄した母親像を責め立てられても知ったことではない。しかし、いわゆる常識、モラルが無いというわけではないので、娘が元気でいると聞けば嬉しいし、当然娘には幸せになって欲しいとも思っている。誰もが、近所の知り合いの子供や、親戚の子供にはそうした感情を抱くのであるし、自分の人生に面倒を引き起こした憎悪の対象などにはなっていない。あくまで「母親であること」「自分と繋がった人生であること」を放棄しただけであり、正子は意識的に「それ以上の関わりを持ってはならない」という自戒を維持している。彼女の中では、今現在の関係性が、完璧に出来上がったものとして成立しているのだ。

 大吉も、そうした正子の「普通の部分」は短い会話で理解した。しかし、その上で、自分が想像していた「母親像」とは違っている部分が納得出来ないのも事実。「お腹を痛めた子供」であるなら、もっと愛情を持つべきであるというのが、古くから教えられている典型的「母親像」であり、複雑な事情は理解しながらも、そうした「良い人物」を期待してしまうのも、常識人ならば仕方がない。結局、2人の意識のズレは、正子の人生遍歴によってもたらされたものであり、どちらが正しいとか、間違っているという類のものでもないのである。

 この絶妙に「正しくない」スタンスの吉井正子というキャラクターだが、非常に安易な見方をすると、実は現代の「母親像」としては1つの形としてありそうな気もするのだ。よく言われることとして「子供が生まれれば親は親として成長していく」という慣習があるが、実際には、多分そんなことはないのだと思う。もちろん、子育てをしていく上で培われる経験や、養われる人間性があるのは事実だろうが、それだけで全てが決まるはずもない。実際のところ、これまでの日本の生活様式では、子供が出来れば確実にその祖父母との関わりというものが生まれ、周りの子持ちの先輩との関係が生まれ、そういった先人達との接触で、初めて得られるものもあったはずなのだ。

 しかし、今の日本の生活スタイルでは、そうした人と人との自然な繋がりは薄い。実際、正子は大吉の祖父との関係性だけが子育てをする上での繋がりであり、その中で想定されたりんとの関係性が「断絶」だったのである。そんな状態で、通常通りの母性を養え、というのも無体な要求であるような気がするのだ。「母性」というよりも「親の在り方」のレベルで、今の社会は確実に変質しており、諸々の社会問題も、そうした変化の過程で生まれる歪みではないかと、そう思ってみれば、まだ鹿賀家の問題はそこまでおかしなものではないのかもしれない。

 とまぁ、色々と考えてはみたものの、1つだけ確実なのは、大吉はりんのことを考えているし、正子も同様に考えてあげられるだけの能力を持っていたということ。これまでのお話は「大吉とりん」という大人と子供による子供の話だったわけだが、今回は大人と大人による、子供の話。2人の大人がきちんと考えてあげられるのだから、りんの将来は、多分心配ないのだろう。毎回よく分からないところで変なところを刺されるこの作品だが、今回は正子との別れ際の大吉の台詞、「俺はりんにとっての一番を考えます」っていう台詞が、突然涙腺に来た。大吉の台詞って、本当に裏が無くて真っ直ぐなんだよなぁ。

 そして、そんなまっすぐな大吉とりんのいつも通りのコミュニケーションが、2つ目のトピックである。すっかり関係性が固まった「親子じゃない」2人。大吉はりんを「子供扱い」するのは当然のことなのだが、要所要所でちゃんと「鹿賀りん」として見てくれているのがすごく良い。冒頭の朝食を用意するシーンでは、自然に棚の上のボウルを取った後に「頼む」と一言。りんに「してあげる」のではなく、りんに「お願いする」立場でのコミュニケーションだ。そうしてちゃんと見てあげているからこそ、りんは自分で考えて、決断するだけの自我を獲得している。大吉との養子縁組をサラリと拒否し、「鹿賀りん」という名前が大事だ、という主張も自然に出来るし、大吉の感情の変化をみて、「だっこしてあげればよかった」という気遣いだって出来る。「りんに考えてもらう」ことを望んでいた大吉からすれば、そうして平然と期待通りの振る舞いをしてくれたりんを見て、涙腺が緩むのも仕方ないことだろう。まぁ、実際のところ、大吉を「お父さん」とは見られないわなぁ。「じいさんの子供」っていう意味では対等だしなぁ。

 ……本当に、Cパートのりんの愛らしさがたまらんなぁ。なんか作画が独特だったけど。今回の、すごく小さい萌えポイント。大吉が歯磨きしようとして「もうちょい上(向いて)」って言ったときのりんの「あい」っていう返事。りんはすごく良い返事が出来る子です。あと、幼稚園のお遊戯の様子はダイレクトに可愛かったです。あぁもう……

 あと、吉井正子役が坂本真綾だったのも個人的にはミドルヒット。真綾って、役者としてみると「すごく上手い」っていう人じゃないんだけど(歌い手としては別格)、独特の「現実感の薄さ」というか「どこか魂が抜けてるっぽさ」みたいな感じが、ハマると凄く面白い役になるんですよ。「ホスト部」のハルヒとか「SOUL EATER」のクロナとか。今回の正子役も、どこか現実感が薄くて、それでいて人間的に放っておけない感じなんかが、すごく良い味になってる。これは良いキャスティングだ。

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  なにこれすごい、第4話。驚いたのは、冒頭の保育園のシーンの美術設定。これは思い切った見せ方をしてきたもんですなぁ。ふざけた色味の保育園のバックグラウンドが非常に面白い形で浮き立っているところに、意外なことにキャラ作画が違和感なく溶け込んでいるのが素晴らしい。パステル調のほわほわっとした絵柄で見せられると、この作品独自の暖かみも増すってなもんですな。やっぱりこういう原作の持つタッチが画面に際立つようになるのがアニメーションのうま味。同時に実写ドラマをやっている珍しい媒体だけに、そのあたりの差異をはっきり出して、アニメのすばらしさをアピールしていって欲しいものです。

 さて、そんな冒頭の描写は置いておくとして、今回も実に穏やかな心持ちで堪能させていただきました。小学校に行く準備を始めるりんを見守る大吉は、まだ3ヶ月しか一緒にいないというのにすっかり父親の顔。「心もちゃんと成長している」っていうことを掛け値無しで見守ることが出来る男親って、実は結構すごいことなんじゃなかろうか。りんちゃん自身がすごくしっかりしているおかげで子供っぽい仕草とそうでない部分、背伸びしたい要素と素が出る部分は見分けがつきやすいんだろうけど、それでもやっぱり「子供」として見てしまうと、なかなか一人の人間としての接し方は疎かになってしまうもの。大吉の場合、りんとの出会いがあの印象的な葬儀の場だったので、「人の心を持つ女の子」としての視座が持ちやすかったのかもしれない。それでも、腫れ物に触るように扱うんじゃなくて、ちゃんと一人前の「家族」として接することが出来ているあたり、本当に過ごしやすくて、りんには良い環境なんだろうなぁ。これまでじいちゃんのところで1人で育てられてきたはずなのに、ちゃんと保育園ではお姉さんの役割も務めているのがすごいね。

 そして、そんなりんちゃんも早くも小学校に進学である。新しくできたお友達、二谷家との交流もそこそこに、特異な環境で育ったという負い目を全く見せず堂々と社会に飛び出すりん。今回は初めて「大人の飲み会」に連れて行かれたりもしたが、特に臆することもなく、持ち前の社交性を発揮する優等生ぶり。そりゃ、あんだけ可愛かったら周りの大人達は放っておかないよなぁ。「お持ち帰りしたぁい!」って、母親である女性が言ってたから冗談ですんだけど、もし飲み会の席に俺がいて同じこと言ったら、一気に引きはがされるんだろうな……それでもいいから、誰か今度の飲み会にりんちゃんを連れてきて下さい。

 今回一番キュッと来たのは、「影飛び越しただけー」と笑うりんちゃんを見て、大吉が思わず抱え上げて走り出したシーン。訳の分からない行動ではあるのだが、あんなところで突然無垢な笑顔を見せられちゃ、もう、抱きしめる以外にやることがない。とにかく大事にしたい、という思いが、「抱えて走る」というよく分からない行動を取らせたのである。大吉、羨ましい男。

 そんな楽しげな毎日とは一線を画したリアルで進められるのは、りんの母親、吉井正子を巡る諸々である。今回、ついにじいさんの遺書から連絡先を発掘し、大吉は迷いながらも連絡を取ることになった。その結果は次週を待つしかないが、「こんなに可愛いりんをおいて逃げた親」に対して、大吉はどのように大人の対応を見せるのか、これまでフワフワほっこりだったこの作品に、1つ目の山場が訪れそうではあるな。

 そして、私事としては、今回初登場の二谷君ちのお母さんが、もうね。「黒髪美人で素晴らしい母親に見えるけど、離婚歴とか少し幸薄そうな気がする」キャラクターといえば、もう、この人の声しかないわけですよ。最近あんまり聴けなかったから久し振りです、さぁや。結婚前から「未亡人っぽい」ことで有名だったという、よく分からないステータスが完璧に活かされた配役で、もう、それだけでこの番組を聴き続ける決意が出来るくらいにはまります。リアル産休に入る前にガンガン仕事をこなして欲しいものです。

 ちなみに、勝手にピックアップした「大原さやか人妻役ランキング」を掲載しておくと(順位は特になし)、結婚発表直後にファンが大暴走したアリシアさん(ARIAシリーズ)を皮切りに、未亡人なのに息子が駆け落ちして言うこと聞いてくれない高須のやっちゃん(とらドラ)。息子も連れ合いも何故か死神だったという衝撃の事実が明かされる故人、黒崎真咲さん(BLEACH)。旦那が生粋の変態である木村の奥さん(あずまんが大王)。同じく息子が変態な上に娘と血が繋がってない、高梨家の母(おちんこ)。夫が殺人犯な上に不治の病を患って、あげくショックで記憶が吹っ飛ぶという三重苦の、ちょい役の奥さん(地獄少女二籠の4話目)。気の迷いで浮気したら神域に居たはずなのに追放され、そのまま出来の悪い息子に封印の中で買い殺されたあげく、結局死ぬ、突羽根さん(おとめ妖怪ざくろ)。世界規模の組織の中枢まで食い込んで旦那と2人で最強の名を欲しいままにしたのに、気づいたらやっぱり未亡人になってて、単なるボロアパート管理人をやってる美哉さん(セキレイ)。……すげぇ、枚挙にいとまがない、っていうのはこういう状態を言うんだろう。でも、個人的に一番幸薄かったのは、「ハチクロ」の理花さん。結論、さぁやキャラは、家庭を持ってもうまくいかない。ご本人は幸せであることを祈るばかりです。

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  いい大人といい子供の第3話。ノイタミナでは逆に珍しいくらいの現象だよね、根深い悩みを抱えた人間も、底意地が悪い極悪人も、今のところ1人も登場していない作品。一番大変なのはりんちゃんなんだろうけど、それが見えないように出来ているからかなぁ。

 順調に進行しているダイキチとりんの共同生活。次第に回りからの理解も出始めたおかげで、最初の頃の慌ただしい子育て生活も少しずつ改善されつつある。もちろん、大吉の払った大きな「犠牲」によるものではあるのだが、当の大吉本人はそこまで悲壮な空気は漂わせておらず、仕事に対しても「駄目なら駄目じゃないことを出来る範囲で」というスタンスがはっきりしている。今のところ特別りんに肩入れしているようにも見えず、勢いで引き取るといってしまった手前の意地みたいなものもあまり感じられず、純粋に「何となくりんに迷惑をかけたくないため」というだけの理由ですんなり動いてしまっていることが、特に違和感なく共感出来るのは、やはり子供という存在がそれだけ大きいためなのだろうか。それとも単に大吉が人格者に見えているからか。ま、こちとら働いてないから、「収入を減らしてでも残業の無い部署に異動する」っていう決断の重大さはいまいち分からんのだがね……

 大吉の実家、河内家も少しずつ巻き込んで進行するりんの母親探しなど、シナリオラインは着実に重要なルートを進んでいる。今後もこの「りんの親子関係」をベースに進むことになるとは思うのだが、今のところ大吉の奮戦ぶりばかりが作中で語られているので、出来ることならりんちゃんの保育園での日常なんかももう少しみたいところですかね。ほんと、りんの可愛い顔の可愛らしさといったらどうしようもない。今期は幼女が強いアニメクールだなぁ。

 そして、そんな幼女分とは相反する要素ではあるが、実はこの作品は働く大人たちも強い。昨今のアニメ事情を考えると、「普通に会社勤めしている社会人達のコミュニケーション」というのが映像で流れるのは意外とレアケースだったりするのだ。改めてアニメ文化の偏りを実感する事態である。こうした「大人の交流」ものがコンスタントに提供されるだけでも、ノイタミナという枠の独自性は際立っているように見える。

 そして、普段あまり見られないシチュエーションが見られるということは、中の人たちも普段あまりやらない役が出来るということ。過去を振り返ってみても、植田佳奈が子持ちの役をやっていたことなど記憶にないし、まして鹿野優以が1児の母になったことなどあろうはずもない。そうした役柄を演じている顔馴染みの面子を見る(聞く)のは、なかなか新鮮で面白いのである。まぁ、実際植田佳奈なんて、りんちゃんくらいの娘がいてもおかしくないわけだからねぇ。鹿野だってそうだな。もっとこういう作品が増えたら耳にも楽しいんだけどなぁ。

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  台風のおかげでレッツL字、第2話。くそう、画面が小さくなるとどうしても見にくくなっちゃうよう……この作品はまだ画面の描き込みが淡めだからそこまで内容の理解に影響はないんだけど、ディティールを見る必要もありそうな次の番組「No.6」の方は目が疲れました。子育てアニメの次の枠が子作りアニメってのは斬新な構成だよな! 作ってねぇけど!

 というわけで子育てアニメですが、もうね、りんちゃんが可愛いね。それだけだね。才気溢れる私の知り合い(御年二十歳前後)がこれの原作を読んで「娘が欲しいです」と言っていた気持ちがよく分かるね。欲しいね。ただし、この歳になって「幼女が欲しいね」とかポロッと言っちゃうと手が後ろに回りやすいから注意だ。でも、このアニメ観たらそう言わざるを得ない。

 今期は「幼女が欲しくなるアニメ」がこれの他に「異国迷路のクロワーゼ」があるのだが(残念なことに「ロウきゅーぶ」では欲しくならない)、「クロワーゼ」が「異物としての少女」を魅力的に描き出しているとするなら、こちらのりんちゃんは自然体の魅力。いくらかしっかりしすぎている感もないではないが、実際の言動にそこまで強烈に現れるわけではないし、本当に「良くできたお子さんじゃ」と言えるくらいの良い塩梅でリアルさが留まっている。きっと死んだじいさんがよっぽど愛情を込めて、丁寧に丁寧に育ててくれていたのだろう。わがまま勝手とは無縁で大人の言うことをちゃんと聞いて、それでいて幼さ故の新鮮な視点や振る舞いも残している。これが理想の幼女か……

 この作品で一番阿漕なのは、大吉が無駄にぬぼっとでかいところだと思う。原作でどのように描かれているのかは知らないが、大吉のでかさのおかげで、りんの小ささが更に際立って見えるのだ。まるで人形のような小さなりんを抱え上げたり、肩車してやる図を見ていると、本当の親子とは言わずとも、そこに早くも奇妙な信頼関係が出来上がっていることがよく分かる。りんは当然良い子だが、大吉もなかなか良い奴なのでつけいる隙がない。まぁ、真面目に働いている社会人の時点で私は太刀打ち出来るわけないのだが……

 とにかく、良いものを見せてもらっているのだよ。子役キャストって耳に障る場合が多いんだけど、今作の場合はほとんど気にならんのだよなぁ。単に私がこういう配役に慣れただけなのか、それともりんちゃんの中の人、松浦愛弓ちゃんが上手いからなのか。どっちにしろ快適で何よりである。

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  なんか知らんが終わったらしい最終話。よし、前回までの疑問は何一つ解決されなかったぜ! ま、覚悟してたからショックはないけどな!

 というわけで、伏線回収とか意外な展開とか、一切そういう気遣い無用なラストバトル。もう、しっちゃかめっちゃかな上に無駄に格好良さが追究されていて、これまでの「結局ディールって何さ?」感に拍車をかけつつ、それでも何となくねじ伏せられそうな勢いがずるい。毎回こんだけのバトル描写でやってたら身が保たないのは確実だろうが、結局この作品がやりたかったのはバトルだったのか、なんだったのか。いや、冷静に見ると今回のバトル描写も、いわゆるバトルメインの作品に比べると結構手ぇ抜いて描いてあるのが分かる。特に最序盤のシーンなんかはカクカクしてて演出なのか手抜きなのか分からないところがチラチラ見受けられるし、クライマックス以降も、動いているように見せかけながら適宜誤魔化して枚数を稼いでいるシーンもある。こういうのは「手抜き」っていうんじゃなくて見せ方の巧拙だとは思うんだけど、いかにもしたたかな監督らしい見せ方ではあるな。

 アントレどうしの戦いについては割と普通の殴り合い。最後の一撃だけは「グレンラガン」や「スタドラ」でもすっかりお馴染みになった白黒線画パンチなんかも炸裂したし、グリングリン動き回るカメラワークなんかで阿漕な見せ方がたまらない部分があったが、シナリオ的にはアセットどうしのバトルの方が見応えがあったか。公麿のスタンスに最初は疑問しか無かったのにいつしかそれが信頼へと変わっていった真朱と、三國を信じて、彼が動き続ける直接のモチベーションとなりながらも、最後には彼が戦うことに疑問を抱いたQ。暴れ回る悪辣なQと必死にそれを説き伏せる真朱の争いは、「未来」どうしの戦いということもあり、完全に公麿と三國の代理戦争となっている。実質、この試合が2人の勝負を分けたと言っても良いだろう。時間停止などの絶大な力を見せ付けるQに対し、愚直に正面からぶつかっていく真朱が公麿の若さと勢いを体現し、足を止めてしまったQを打ち破るまでの流れは、相変わらずさっぱり意味は分からないが、奇妙な説得力があって面白い画面であった。

 そしてエンディング。やっぱり一番の大ネタは、実はあの運転手のおっさんが絶対神だった、という部分ですかね。そりゃま、キャスティングに三ツ矢雄二を置いている時点でただもんじゃないことは伝わってくるのだが……真坂木を最前線に配備しつつ、自分はあんなところで金融街のあれやこれやを見ていたんですなぁ。彼に捕まっていた竹田崎もご愁傷様である。

 結局日本が救われたのか、三國は何で負けて、公麿はどこが勝っているのか、分からない。分からないままだが、改めて1から見直したら分かるかと言われると、とてもそうも思えない。今後改めて設定集とかが出たら購入を検討するレベル。一番知りたいのは、「なんで真朱は消えちゃったんだよう」ってとこかしら。極東金融街が消滅したからか?

 普段から「1つの作品が分からないまま終わるなんてのは甘え」という意識はあり、この消化不良な感じは何ともやるせないのだが、この作品のずるいところは、かなり早い段階から「あぁ、この作品は分かるとか分からないとかいう次元の問題じゃないんだろうな……」という覚悟を決めさせたところ。中盤から「どないやねん」を連発していたおかげで、最終回の「分からん」の印象が強くないのである。ほんとずるい。でも、見ちゃった。見終わっちゃった。やっぱり最終回でもう1回書いておこう。「どないやねん」。

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  何がなんでも最終決戦へ、第10話。まぁ、一言で言うと、ずるいよね。

 三國の決死の輪転機も、北米金融街による対抗政策の前では無力だった。アジアの崩壊因子がアメリカに弾かれ、一時は危機が去ったと思われた日本に跳ね返る。必死にはじき飛ばした「C」を前に、三國は再びの輪転機起動を決意するが、そんなことをすれば現状で既に甚大なダメージを被っていた日本が保たないことは明白。何とかしてこれを打開しようと、ジェニファーと公麿はついに打倒三國へと動き出す。

 反乱の時を伺っていた竹田崎の手引きで三國の資産価値をたたき落とし、そこに奇襲をかける作戦で挑んだ2人は、実力のない公麿が三國の片腕である堀井を叩き、ジェニファーは自らのアセットジェルジュの秘策で三國を叩く狙い。公麿は真朱とのコンビネーションを完成させて見事に堀井を撃破してみせたが、三國の牙城は揺るがなかった。策を打ち破られたジェニファーは、無念の涙を流しながら、アセットを公麿に譲って力尽きた。最後に残されたのは公麿と三國の2人。何故か「黒い」カードを有していた公麿は、真坂木の誘うままに、三國との最終決戦へともつれこむことになる。

 

 とまぁ、見ている間は嫌でも盛り上がってしまう王道展開。最初は信頼していた師匠とも呼べる人物を乗り越えていく少年主人公。なかなか勇ましいし、見ていて興奮するのは間違い無い。堀井戦での無茶なディールや、ジェニファーの無念の籠もった散り際なども最終決戦への盛り上がりを更に引き立てており、「これに勝った方が正義なのだ」という全体像が明確に浮かび上がる。これはこれで、良いものだ。

 でもまぁ、この番組は全てにおいてそうなのだが、本当に「何で勝って、何で負けるか」が分からない。ジェニファーが負けたのは「やっぱり三國って強いよねー」の一言で片が付くのだが、「俺は強いよ」と言っていた歴戦の猛者である堀井が、特に理由も無く公麿に負けていたのはどうしたことか。やはり公麿の未来、つまり真朱が絶大な強さを持っているというだけのことになってしまうわけだが……才能がある男同士が才能だけにかまけてぶつかり合うっていう構図は、別に面白くないんだよね。対戦中に繰り返し描かれていた真朱と公麿の心の交流は、これまでの演出構造が効果的に働いた良いシーンではあるのだが、「真朱なんて出さなくても戦えんじゃね?」という公麿の意識に根拠が無いし、動機も今ひとつなものなので、考えれば考えるほどに消化不良である。

 そして、最後の最後に残された対三國戦。この期に及んで、未だに「結局この世界で正しいのは誰なの?」という部分が分からないので、どう応援したものかが分からない。確かに、日本の現状や公麿がその目で見てきた現実への影響を鑑みれば、三國の行動が正しくないであろうことは分かる。だが、だからといってそれを止める公麿が正しいのかといえば、絶対にそうではない。この戦いで三國が倒れたとして、その後の日本をどうするのか、公麿には一切のプランがないはずなのだ。じゃ、傷口を最小限にしようと尽力して自己犠牲を惜しまなかった三國の行動は、やはり評価されるべきものだったのではないか。

 次週でどういう流れになるのかは想像もつかないが、このモヤモヤは、最後までモヤモヤしてそうな気もする。結局最大の悪役である真坂木(金融街)にダメージを与えられていないのがなぁ。とりあえず今週はQが可愛かったのでそこだけは良しとしておこうと思います。

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