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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 2週跨ぎでニャー将棋、第8話。これ、歌はまだ終わってないよね。どっかで3番を披露する機会があるんでしょうか。

 Aパート、引き続き川本家で将棋の普及に務める二階堂君。なんと自費出版の超豪華絵本だったらしく、彼の才能が優しく素敵な方向に余すことなく発揮されている。どんだけ良い奴なんだ、二階堂。まぁ、どれだけ優しく教えてもモモちゃんにはまだちょっと難しいかもしれませんが。ひなたちゃんが将棋を覚えたら、零を見る目もまた変わってくるんでしょうかね。2週間ぶりに見るあかりさんは相変わらず圧倒的な包容力。「ニャー将棋音頭」も歌ってくれているので、短い時間でかやのん成分をフル充填出来る素敵な作品なのです。ちなみに、「ニャー将棋音頭」は一応川本三姉妹の歌ってことになっているのだが、モモちゃん(というか久野ちゃん)は台詞以外のソロパートねぇのな。歌わせてあげたら……どうなるんだろ。そういや久野ちゃんのソロ歌唱って聞いたことないや。某所でアイドルやってるんだから出来るとは思うのだが、モモちゃんのキャラのままで歌うような曲じゃないってことなのかね。

 Aパートはほのぼので良かったのだが、一転、Bパートはなんだかクールな展開。一人、幸田家から逃げ出した零にはもう関わらないだろうと思っていた「姉」である香子が、突然彼の家に押しかけてきたのだ。今作の特徴でもある、光源を押さえた夜景中心の風景の中に、金色に染めた彼女の髪が流れる様子がなんだか印象的。当然、零からしたらあまり顔を合わせたくない相手なのだろうが、香子はお構いなしで彼の家へと上がり込む。

 「零→香子」という方向での感情はこれまでモノローグを重ねてきたおかげでイメージしやすいのだが、今回フィーチャーされるべきは、「香子→零」という方向での感情である。彼女は、自分の人生を滅茶苦茶にした(と少なくとも彼女目線では思える)「弟」に対し、現在はどんな感情を持っているのだろうか。香子自身はすでに将棋からは足を洗い、将棋が全てである幸田家の中では事実上のドロップアウト。つまり、今となっては直接零を恨み続ける因縁は無いとも言えるわけだが、なかなか簡単に割り切れるものではない。では、彼女はただ恨み骨髄で零をにらみつけるばかりかというと、どうやらそうでもないらしい。なんだかんだ言いながらも「姉弟」の関係であり、零は自分がドロップアウトしてしまった将棋の道でタフに生き続ける「巧者」でもある。父のお気に入りであることは疎ましいが、父が認める人間であると思えばこそ、彼女も零を無下に扱うわけにもいかないのかもしれない。

 そうした香子の複雑な感情が、今回の押しかけ劇に表れているようである。好き放題にわがままを言うのは姉の特権。家に転がり込んで突然の宿泊。やっていることは二階堂と同じだが、二階堂は本当に善意(というか友達感覚)でやっているのに対し、香子は確実に「零が嫌がる」ことが分かって泊まり込むことにしている。そのあたりは確実に性格の悪さが出ている部分だろう。しかし、ただ零を困らせることだけが目的かというとそういうわけでもないらしく、一人で味も素っ気も無い部屋に住まい続ける弟の行く末を気にしているようにも見受けられる。零が将棋に対してどんな感情を持っているのか、その全てを理解しているのは二階堂には無い香子だけのアドバンテージで、零だって、そうした自分の丸裸の本音を見透かされていればこそ、余計な気遣い無く香子に接することも出来るのかもしれない。長年一緒に暮らしたが故の不自然な近さと、どこまでも相容れない精神的な距離、何とも不可解な2人の繋がり。

 次の対戦について、相変わらず余計なことをチクリと刺してから出ていく香子。確かに「余計な一言」なのだが、捉えようによっては、「同情から負けたりするんじゃねぇぞ」という激励の言葉とも取れる。ひどく歪だが、どこか通じている気持ちを窺えるような、不思議な姉弟関係であった。彼女の現在の最大の難点は「暴力を振るうようなろくでもない男と暮らしている」という部分だが、それだって、将棋以外のものさしで自分を見てくれる他人を求めての結果だろうしなぁ。誰が悪いと一言で片付けられないだけに、この家族の問題もまだまだ根深そうである。

 零が次の対局で勝つのかどうか(勝てるのかどうか)、そのあたりで、また香子の存在意義というのも変わってくるのかもしれない。

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 ニャー将棋、ニャー将棋! 第7話。なんかもう、そこだけで残りの記憶が全部吹っ飛んでしまった。贅沢キャストから謎のキャラソン(?)へ繋いで将棋の普及に邁進してくれるアニメ。なんて素敵なこころざし。

 一応冒頭から見ておこう。前回風雲急を告げる登場だった高橋君。威圧感のある巨躯に圧倒された零だったが、高橋君すげぇ良い子。二階堂もそうだけど、零のまわりはなんだかんだで信じられないくらい良い人間が集まってきてくれるのは本当に贅沢である。そりゃひなたちゃんが子供ながらに惚れてしまうのも致し方ないな、と思える好青年だ。零に近づいたのは「若くしてプロの世界で戦う先輩」から1つでもいいから人生訓を得ようとする、貪欲で真摯な成長願望の現れ。もちろん、初対面の先輩に礼を失することもなく、いかにも体育会系の接触ながら、兼ね備えた知性も感じさせ、人間的な器の大きさも見せつける、最高のファーストコンタクトであった。零は零でこれまでずっと周りの人間の顔色をうかがいながら生きてきたこともあり、彼の混じりっけ無しの熱意をしっかりと受け止め、若輩ではあるが、出来る限り熱意に応えようと居住まいを正した。これはこれで素敵な人間関係。その脇では、どさくさに紛れてひなたちゃんが高橋君に接近できるなんてラッキーもあるのだ。あ、でも高橋君は四国の学校に行くって言ってたよな。ひなたちゃん、離れ離れになっちゃうことは知らないのだろうか……。

 そうして出会えた素敵な後輩との出会いは、もちろん零にも大きな影響を与える。彼にとっての高橋君の意義とは、「自己に内在する感情の顕在化」である。今回、高橋君が「何故改めて高校に行き始めたのか」と問い、零の返答に対し、さらに自分なりに言葉をかみ砕いて確認するという行程があった。零は「分かってくれる人がいる」と喜んでいたが、実際には、零は返答を口にした時点では自分でもその気持ちを消化しきれていなかった可能性がある。そして、高橋が改めて「他者の言葉」として明文化したことにより、これまで自分の中にあったコンプレックスのような、得も言われぬ感情を、他人の目線を通して理解することが可能になった。さらに、この理解の仲介者となった高橋君が目の前に存在することで、自分の感情が特別なものでなく、他者と共有出来る普遍的なものであることも確認出来て、零に特有の孤独感、疎外感も解消出来るという働きがある。二階堂のように零の内面を気にせずグイグイ来る人間も結果的には彼が殻を破るのに一役買っているが、高橋のように、冷静に零を見て察してくれる理解者というのも大事な存在なのかもしれない。

 そんな幸せな邂逅から転じて、Bパートでシーンは川本家へ。ここでも高橋君との関係性をより深めていくわけだが、個人的にちょっと楽しかったのは高橋のカレーへの反応である。そりゃもう、男子中学生ならカレーで喜ぶのは当たり前だが、「温泉卵までのってるとか最高じゃね?」みたいな素直な反応が、「こいつ、どれだけ大人ぶった振る舞いをしていても、やっぱり根っこは男子中学生なんやな」という安心感みたいなものを与えてくれる。言葉の選び方も非常に素直で、ここにも彼の人柄の真っ直ぐさみたいなものが窺える。ひなたちゃんが幼馴染みなので肩肘張らずに接することが出来る、ってのも良いところなのかも。まぁ、対するひなたちゃんの方は肩肘張るどころじゃないけども……やっぱりあかりさんが女神なんだよなぁ。カレー食いたし。

 で、零ちゃんの対局の様子がついにバレてしまう、なんてハプニングもありながら、ビデオ視聴ではさらに二階堂という唯一無二の存在も確認出来て、今回は本当に零君の幸せが噛みしめられる回となっております。いや、本人は迷惑そうにしてるけども……。零の立たされている状況を本人よりも理解し、さらにそこに厳しくも熱い言葉を投げかけてくれる真っ直ぐな二階堂。彼がこの後テレビの解説役に呼ばれるのかどうかは怪しいのだが……いや、かえってこういうキャラがお茶の間に人気になるかもしれないな。零ちゃん、そろそろ「親友」認定をOKしてあげてもよいのでは。零が声を荒げて怒れる唯一の相手が二階堂。つまり、壁も陰も全て取っ払って、腹を割って対話出来るのが二階堂。零本人はその大切さにまだ気付いていないようだが、きっとこの後、ありがたみが分かる時が来るのだろう。

 で、ここまでだったら本当に「イイハナシダッタナー」で終わるエピソードだったのだが……。ニャー将棋! これ、今週は歩・桂馬・金だったので、残る駒については次週以降に曲が流れるってことなんですかね。映像も楽しいし、川本家の皆さんで歌う楽曲も楽しすぎる。このキャストで歌が出せるっていうだけでも一大コンテンツですやん。いや、久野ちゃんがどのくらい歌うのか知らないけどさ。そしてこの「ニャー将棋」、なんと駒の1つ1つにオリジナルでCVが与えられているという謎……。今回出てきたのは野中藍と白石涼子でした。川本家が大沢キャスティングなのに対し、ニャー将棋は青二キャスティングですかね?(シャフトキャスティングやな)

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 「どれだけ寝ても眠い」、ワシもやで零クン! 第6話。もう、いちいち零の言ってることがハートの深奥に刺さって、抜けなくて、辛い。

 最大の問題は、零はまだまだお若い高校生で「辿り着ける安寧」に行き着いてしまい、そこから動く動機を失ったということ。なおワシ(略)。しょうがないやん、ぬるま湯の中で生きていけるようになってしまったら、人間は努力もせんし、変化なんて求めないんや。零君は学校と対局以外は寝る。私はアニメと食事以外は寝る。つまり、挟み撃ちの形になるな。来るな社会、見ないぞ現実。戦え世界のニートたち。

 冗談はさておき(?)、前回判明した零の過去から、現在に繋がるまでの彼の「生き方」を確認したお話。でも、上では冗談めかして書いたことだが、彼の生きる指針の問題ってけっこう重大なことなのである。私は知りたい、世の中の多くの人たちは、何故今を生きているのかと。死にたくないから生きているのか、守るべき家族のために生きているのか、明日食べるご飯が美味しそうだから生きているのか。私の場合は明日やるアニメが面白そうだったり、明日新たに現れる声優が楽しみで生きている節はあるわけですが、残念ながら幼少期からハードモードの人生を生きることになった零にはそうしたモチベーションがほとんど無い。家族の葬儀の際には、生きることに必死になって何とか幸田家にすがりつくことで、「桐山零の人生」を選択することが出来た。あの時の「生きる」は、ただひたすら、家族3人の「死」という現実から目を背けるため、やぶれかぶれで選んだ道だ。そして、あの時ついてしまった「生きるための嘘」は、結果的に幸田家の姉弟2人の人生を歪めることになってしまった。カッコウの托卵に喩えられた彼の「生き方」は、ただ自分が生きれば良しというものではない。「他人の人生を台無しにしてまで、自分が生きるべきなのか」という問いになってしまっていた。そんな問題にまだまだ若僧の中学生が答えを出せるはずもなく、彼は家を飛び出して「何故そうしているかも分からない」生活へと転がり込んでしまう。寝て、起きて、将棋を指して。それでも世界は動いている。彼のまわりだけで何かが止まっているかのように。

 しかし、そんな零の生活にも何とか変化を与えようとしてくれる人間はちゃんと存在していた。今回登場した林田先生もその一人。幸運にも将棋好きで、プロ棋士としての零の立場にも理解を示してくれる上に、歯に衣(オブラート)着せぬ物言いでずけずけと大胆に零と接してくれる(多分)いい人。なんとも歪な零の高校生活も、理解のある教員のおかげで何とかやっていけているようだ。それにしても、ちょっとでも手を抜いた将棋を指したら「なんです、これは?」とか言って叩きつけてきそうな声の先生である。櫻井は今期も大忙しだなー。滝センは結婚経験があったが、こちらの林先生はどうなんでしょうね。声優界でも名うての独身貴族・櫻井孝宏が立派な大人の役をやっているのを何とも微妙な距離感で見守ってしまうな。

 さておき、そうは言っても遠巻きに気にかけてくれる教師1人だけでは、零の世界は大きく変わることもない。やはり最大の要因となりうるのは、川本家の人々ということになる。「どこへ行きたい?」の問いに答えたあかり姉さんの南国リゾートのイメージがやたらと具体的だったんだけど、この貧乏家族が南国リゾートとか行ったことあるんですかね? それとも、単にあかりさんのおっぱいが出したかったからああいう映像になったんですかね?(だとしたらありがとうございます) 「黙っててもご飯が出てくるところに行きたい」は普段から家事をしている人間なら定番のお願いですなぁ。

 そして、その妹のひなたも絶賛青春中。百円のマックシェイクに頭と懐を悩ませるのはいかにも中学生であるが、あれだけ真剣にやりくりを考えてるところにあっさりおごっちゃうのもどうなんでしょうね。ご飯の前に甘いものいっぱいとるとお母さん(仮)に怒られたりしないかしら。まぁ、その辺はあまり頓着せずにサラッと思いつきでお金出しちゃうあたりが零なんだろうけど。このまま良い雰囲気になる展開なのかと思いきや、なんと2人の前に現れたのは以前ひなたがお弁当を渡しそこねたあの野球イケメンではありませんか。ナニコレ、一体ここからどういう展開になるっていうのさ。この作品、あんまり色恋の話題は出てこないと思ってたんだけど、これってひなたと零で何か関係性が作られたりするんかなぁ。

 ちなみに、今回の作劇は相変わらず零の精神性を構築する深いところのお話ということで、もったいぶった抽象表現も多く用いられた画面構成だったが、ちょっと間を持たせすぎていてあんまり好きじゃないタイプだったのが残念。いや、原作でそういう演出になってるなら別にいいんだけど、流石に零が泳ぐシーンは尺取りすぎだった気がするんだよね。太陽のカットもやたら長かったし。本作は「シャフトらしいがシャフトなだけじゃない」作品作りが楽しいので、くどさも出しつつ、見やすい画作りを今後も続けてほしいもんである。

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 ママ味あふれるかやのんにいだかれて頭を撫でられたい人生だった、第5話。もしくは久野ちゃんとお手々繋いで保育園から帰りたい人生だった。その場合、まず久野ちゃんを保育園に入れる必要があるけど、まぁ、何とかなるやろ。

 毎度の事ながら川本家の多幸感を導入にしてみたものの、今回はあんまりそっち方面は関係無く、ついに明かされた零の過去のお話。おおよそ予想していた通りの内容ではあるが、家族をいっぺんに失った原因など、かなりダイレクトでどうしようもないものだった。あの年齢の子供が、両親と妹をいっぺんに失ってしまったら、普通は一体どうなってしまうのだろうか。

 零の場合、様々な不幸が折り重なって、現状が構築されていったことが描かれている。一番の不幸は親族関係がグダグダだったことであり、病院の長男だった父親と、その座を狙っていた叔母の存在など、まぁ、ここまでは典型的な昼ドラ展開だ。そのまま施設送りになっていたら、おそらく桐山零の人生はその後も一切の起伏を持たず、ただただ陰鬱に、何の救いも、悲劇も無いままに収束していったのではなかろうか。しかし、彼には幸か不幸か、そうはならないルートが用意されていた。それが、父親のライバルだったいう幸田の存在。友人の友達を引き取り、実の息子同様に育てるという幸田の決断。それだけならばいっぱしの美談であるが、残念ながら、このルートにも3つの大きな不幸が折り重なっていたのである。

 1つは、幸田が「将棋を何よりも優先する」という行きすぎた人物だったこと。もちろん、人の心を持ち合わせぬ将棋マシーンなどではないのだが、問答無用で才能も好みも問わずに実子に将棋をやらせていたことはどこか歪んでいる。零を引き取った条件にも「将棋をやる」ことが暗に含まれていたようであるし、傍から見れば「実の子ではない零も分け隔てなく育てた人格者」になるのかもしれないが、幸田の存在は零をただ救い出したというだけではないのが難しいところだ。

 2つ目の不幸は、いざ引き取られる際に、零が「生きるための嘘」をついてしまったこと。つまり、彼は決して将棋が好きではなかったこと。そうなのだ、物事の上手下手は、好き嫌いと直結するわけではない。元々「忙しい父との接点」というやむにやまれぬ事情で将棋を始めた零は、才能こそあれ、別に将棋が好きなわけではなかった。しかし、葬儀の場では異様な親族間の雰囲気があり、そして何より、将棋盤を通じて心の対話が出来た幸田との繋がりを切ってはいけないという焦燥感もあったのだろう。子供ながらに、それを「契約である」と捉えた零は、ここで初めて嘘をついた。それが彼にとっての生存戦略であり、施設送りになったときの「ホッと出来ない」生活とを秤にかけた上での結論である。それが果たして正しかったのかどうか、答えはまだ出ていない。

 そして3つ目の不幸は、こうして嘘をついてまで「契約」した零に、将棋の才があったことである。もし、これで芽が出ない程度の才能、性格だったのなら、多少なりとも幸田との関係は変わっていたかもしれない。彼とて冷血なわけではないのだし、平々凡々とした「家族」として、かえって上手くやっていけた可能性すらある。しかし、幸田の性格を畏怖した零は、彼の恩に報いる意味もあったのだろう、将棋に真剣に取り組み、身につけてしまう。そしてそのことが幸田の家族をバラバラにし、彼自身の人生にも障害を生む結果となってしまった。将棋をやれば他人が不幸になる。しかし、その「他人」に迷惑をかけないようにするためには、もっと将棋をやるしかない。一度選んでしまった「契約」の中で、零は選択の余地を持たなかった。かくして、桐山零は今でも一人、寒々としたアパートの一室で将棋盤に向かっているのである。

 こうした零の生い立ちが語られることで、現在彼を取り巻く川本家や二階堂といった人々の重要性が改めて確認出来る。川本家とは、「家族を失った者どうし」という慰みがある。二階堂は、零の前に現れたまた別な「将棋を指す理由」を与えてくれる人物である。今はまだ澱のように淀んだ彼の将棋人生も、少しずつまわりに広がる「家族」の輪を経ることで、明るいものになっていくことを願うばかりである。

 今回は陰鬱な内容がほとんどだったために、久しぶりにいかにもシャフトらしい画面が多く見られた。そんな中でも川本家の猫軍団や、モモを襲った犬の謎のテンションなんかは相変わらずの抜け方で実に愛らしい。詰めるところは詰めて、抜くところは抜く。こういう作劇に助けられる部分は多いですね。しかし、「犬 小林ゆう」っていうキャスティングは何とも……あと、零の幼少期の声がゆーみんなんだけど、今回ゆーみんボイスも色んなところから漏れ聞こえて来てスーパーサブキャラ声優の面目躍如。

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 もう「かわもとけ!」っていうタイトルでいいんじゃないかな、第4話。将棋アニメだと思った? 残念! 三姉妹日常アニメでした!

 だって可愛いしなぁ、Aパート、「ひな」。三姉妹の次女、ひなたが色気づいて頑張っちゃうお話。羽海野チカのデザインとしてはお馴染みのテンパりグルグルお目々がこれでもかと堪能出来るお話。そして、一応貴重な姉妹喧嘩(?)のお話でもある。今確認したらあかりさんとひなたの年齢差は10歳近いのね。これだけ離れているとやっぱり「お姉ちゃん」というよりも「お母さん」に近くなってくるのか(作中では全員「おねえちゃん」ではなく「おねいちゃん」と発音しているのは原作のこだわりなんでしょうかね)。まぁ、持ってる属性の差もあるのかもしれないけど。同じ血を分けた姉妹なのにポジションが違えば随分キャラも違うもんだなー、と思っているところに、「やっぱり姉妹だから似るものなんだね」っていうエピソードが差し挟まれ、嫌でもほっこりしてしまう。あかりさんがあれだけ家庭的で、何でも出来てしまうのは、あくまで自分の肩に家族の生活がかかっているからなのかしらね。ひょっとしたら下手だった料理を猛特訓した時期なんかもあったのかもしれません。いやー、でも料理が苦手な人間は「材料が揃ってるから何でも作れるわよ」とは言わないか。「家庭的」という言葉を煮詰めて固めたような存在、あかりさん。そして今はまだ青春真っ盛りのひなた。はっきりした対比のおかげであかりさんがまるでゴールインしているかのように見えてしまうが、彼女もまだまだ青春出来るし、しなきゃいけない身の上なんですけどね。とりあえず、幼馴染みの高橋君に「川本さんちの娘さんはどう思います?」って聞いてみたいね。「しらねぇ、あんな奴」みたいなテンプレな返事してきたらぶん殴りたい。

 Bパート、「ブイエス」。多少なりとも将棋アニメらしさも出していかないと。相変わらず元気な二階堂君により、零の日常は脅かされる。でも、二階堂君はよかれと思ってやってるのだろうし、実際、放っておいたらまた内にこもりそうな零を強引に外の世界に引きずり出す役目は重要である。無茶苦茶わがままなこと言ってるんだけど、どこか憎めない二階堂のキャラはとても素敵です。お坊ちゃん育ちのおかげなのか、根っこの部分で人間性が出来てるんだよなぁ。デブのくせになんか格好良いような気さえするのである。そんな彼の魅力を、幼児ならば一発で感じ取れる。モモちゃんの導きにより、二階堂が川本家に襲来。そして、彼の“ふくふくしい存在があかりさんのストライクゾーンとか何とか。デブ専……ってわけではないんだろうな。デブはデブでも汚いデブでは駄目なんだ。堂々と、風格と気品の漂うデブでないと。まぁ、国や文化によっては肥満って文化的成熟や社会的充足を表すステータスになったりしますのでね。生活の苦しい川本家からすれば、憧れの対象になるのも分かる気もしますけど。いや、あかりさんの場合はそうした社会的な背景は関係無く、本能的なものなんでしょうけどね。でも、あかりさんも立派ですよね。ボディの一部が特に。

 ほんわか川本家、そして愉快な二階堂という二段構えのおかげで、今回は零もネガティブなこと、意味深なことを言う機会はほとんど与えられなかったが、一応、夢に見るような不思議な女性の存在だけが一応気掛かり。完全に寝込みを襲われるビジョンだったが、過去に誰と何があったんでしょうね。零君、あんな性格の割に女性3人の家族に溶け込んでそれなりに上手くやっていけてるのはずるいわ。さっさとあかりさんの料理でふくふくしくなってしまえばいいのに。

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 グッと来るなぁ、第3話。生き様で魅せられる格好良いデブって憧れますね。

 前回は将棋要素がほぼ無しという構成だったが、今回はAパートが将棋話、Bパートが家族のお話である。Aパート、前回颯爽と登場した愉快なデブ、二階堂晴信についてのお話。子供の頃の追憶から現在の関係性に繋がるが、基本的に零と晴信の関係性は子供の頃から変わっていないらしい。人生の逃げ道として無心に将棋を続ける零に対し、貪欲なまでに生の体現として将棋を追い求める晴信の熱量の差は体格以上にはっきりと表れており、子供の頃のエピソードを聞いてしまえば、もう彼をデブだなどと笑うことは出来ない。籠められた熱量がそのまま棋譜に表れ、だからこそ零に忘れがたい強烈なインパクトを残していくのである。基本的に人付き合いが苦手な零にとって、こうして良きライバルであり、良き友になれる人間がいるというのは非常に幸せなことなのではなかろうか。花岡さんに大事にされているのもよく分かる、好青年でございました。

 Bパート、激戦を制した零が「帰る」べき家、川本家。普段は三姉妹に猫を加えた圧倒的な萌えの巣窟みたいな場所になっていたが、今回はそんな中でもちょっとしっぽりしたお話。普段は零自身の生い立ちばかりに目がいってそちらの暗い要素を考えてしまうが、やっぱり死別の傷跡というのはどんな家庭にだって根深く残っているもので。お盆という1つの区切りをきっかけとして、それがポロリと感情の隙間から漏れ出てきたようなお話でした。どれだけ気丈に振る舞おうと、中学生にはまだまだ重たい現実だしね。こうして少しずつ心の内面を見せあうことで、零も川本家にまた少し近づけるのではなかろうか。

 今回はAパートとBパートで多少毛色の違うお話を組み合わせながら、そのどちらでも、色々と画的に面白い部分が多かった。やっぱり、今作における「シャフト演出の次の一歩」は長年シャフトを見てきた身としては非常に刺激的である。Aパートは盤を差し挟むライバル2人の様子を、2つの時代に分けて描く静かな動きを見せるお話。こちらは、赤青2つの風船がつかず離れず空をたゆたうイメージで2人の関係をゆっくりと表示している。そしてBパートは、普段ほわほわと明るい川本家のイメージを、送り盆の火でもってどこか寂しげに、作中の言葉を借りるなら「けだるげに」描くカットが印象的。おそらく原作の画面構成の巧さも大きいのだろうが、光源の見せ方や、陰影の取り方が何とも叙情的で、古き良き日本の伝統文化の有り様を魅せてくれる印象深いシーンになった。また、その後ひなたが1人で夜道を歩いていくシーンはいかにもシャフト的な構図が多いシーンだが、「物語」シリーズのように無機質な町並みでなく、前のパートからの家族的な温かみを残しつつも、うら寂しい夏の夜の空気を醸し出す絶妙な色の取り方が何とも印象的。「家族の温かみ」を離れ、一人号泣するまでに到るひなたの心情をそのまま切り出したような、絶妙な「無機」の取り入れ方だ。単にシャフト的な演出を万人向けに「丸く」するというのではなく、きちんとこれまで培ってきた独自性の妙味を活かしつつ、それを使ってキャラクターの心情ににじり寄る表現は大したものだ。こういう画で見せられるアニメがもっと出てくるといいなぁ。

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 僕の楽しみにしていた幼女と女子高生の絡みとなんか違う、第11話。神原のスタンスがまさかあんなところに行くなんて、予想出来るわけないやん。

 Aパートは「神谷兄ぃ、このアフレコでどんだけ時間使ったんだよ」っていう感想が先に立つ。これまで特に情報も出てこず、どんなやつなのか全く分からなかった「1人目」だが、存外したたかなやつだったようで、正面から阿良々木さんにぶつかり、さらにこすっからい手を使って阿良々木さんを潰そうとする悪辣さを持ち合わせている。ただ、目的意識は随分ピュアなようで、わざわざ臥煙さんが一週間かけて必死に説明してくれた奇跡的な復活劇も、あっという間に「一人の女を巡る元カレと今カレの喧嘩」になってしまった。分かりやすくて結構なことではあるのだが、なんか、ホントに噛ませっぽくなっちゃって「1人目」が可哀相。現役当時はもう少し真面目で骨太なやつだったのかもしれないが、今となっては本当に単なる未練がましいストーカーだからなぁ。時の流れとはかくも残酷なものである。

 もちろん、そうした時の流れというのは「老獪さ」を身につけるための時間でもあり、斧乃木ちゃんの機転で助かっていた阿良々木さん(童女には踏まれておくものだ)も、危うく勝手に浄化されてしまうところだった。流石に怪異退治の専門家はやることがせこい。そして、そこに駆けつけたのが……ごめん、なんか知らない人。まぁ、何となく聞き及んではいるので「傷物語に出てくる人だよね」っていうくらいは知ってるけど、尾石さんが手こずってるせいで僕は「傷物語」の話をしらんのだ。正直、「チョロ松のところにトド松が駆けつけてくれた」くらいのイメージにしかならんわ。どうやら臥煙さんが言っていた「助っ人」とはこのエピソードという男のようであるが、さて、どんな人物なのか。阿良々木さんとは既に一悶着終えているようなのでコミュニケーションはスムーズだったが、臥煙さんが連れてくるくらいだし、何となくつかみどころのないやつである。この話で活躍してくれれば何となくイメージが固まって「傷物語」を劇場で見やすくなるかもしれないけど……もう残り話数がないんだよなぁ。

 そしてBパート、今回の目玉となる神原VS忍の舌戦。うーむ、神原さんってこんな人だったかしら……確かに忍の言うように「恋愛脳」ではあるし、殺そうとする忍の脅しに屈しない胆力を持ち合わせていたのは事実だろうが、何故ここまで忍の現状に首を突っ込もうとしていたのか。目の前の「間違い」に我慢出来ない質であったか(火憐ちゃんにそれが受け継がれているのか)? でも、元々神原って最初の「するがモンキー」では撫子に匹敵するくらいに「ずるいやつ」であったはずなのだが……あの一件で完全に改心して「正義感」だけが残ってる状態なのかなぁ。それとも、自分の生い立ちから「人が会わない」ことに人一倍敏感になっているとか。まぁ、とにかく(先週阿良々木さんが)期待したような幼女とのいちゃいちゃ展開が無かったのは残念。ただ、今回のバトルは神原の熱演も相まってなかなか身の締まるものになっており、なんと戦っている最中は画面の変化を放棄し、止め絵の量を増やしてほぼ「状況をそのまま」という、今作にあるまじき構成になっている。今回みたいに真正面から理屈も屁理屈もなしに思っていることをぶつけるシーンの場合、こうして余計なこけおどしを取り去って静かな画でガッと見せてくれる方がありがたい。この辺りのさじ加減は、ちゃんと考えてシナリオと画面の組み合わせを作ってるな、っていうのが感じられてホッとする。ともすると「なんかそれっぽくしておけばいいだろ」みたいなごまかしがやりやすい作品だからねぇ。

 なんとか神原の説得が成功し、その勇ましい場面を見て阿良々木さんも自分の戦いに赴くことに。負けるな阿良々木、今負けたら君は完全に熟女マニアとして死ぬことになる。可愛い後輩や大事な彼女を置いて死ぬわけにもいくまいよ。なお、今回神原が頭の傷を見せるときの「ぅん」っていう吐息のシーンが無闇に可愛かったことだけは付記しておく。いい女なんだけどなー。

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 今回も今回とて話が動かぬな、第10話。臥煙さん、流石に話長いよ。絶対そんなにもったいぶる必要無いやつやんけ。

 まー、話が長いのは今作ではいつものことだからしょうがない。前回も書いたけど、ここのところの説明展開は画に「それらしさ」が無いのであんまり観てて入り込むような感覚がないのはちょっともどかしい。いつにも増して荒唐無稽な話をしているのであんまり画面ではっちゃけられると話が聞けないっていう問題もあるのだろうが、多分今回は話をしているのが特に冗談の入る余地が無い臥煙さんオンリーだって言うのも問題なんだろう。もう少し阿良々木さんが積極的に突っ込んでくれたり、神原が突拍子も無い茶々を入れてくれれば賑々しくなることもあるのだろうけども、そんな雰囲気じゃないんだよな。そして、そんなボケる余地の薄い臥煙さんが今回の一件では割とマジになっていて、あんまり笑ってられる状況でないってのも遊びが入りにくい一因なのかも。

 今回の一件、忍の1人目の眷属の灰の問題は、どうやら忍にとっては割と「デリケートな部分」らしい。前回の引きに使ってた「15年前云々」はややはったりじみた内容ではあったが、とにかく忍とその眷属の関係性のおかげで、この町がごたごたしているのは事実らしい。阿良々木さんはそんなごたごたの元凶を背負ってしまった最大級の不幸体質ということになるのだろうか。忍は普段ならば割と老獪にことを処理してくれているのだが、今回は自分の過去の因縁に関する問題ってことで、どこか歯切れが悪い。臥煙さんの態度からして、まだ何か隠していること(言いたくないこと)はあるんだろうなぁ。ま、500年も生きてればそりゃ色々ありますからね。20年そこら生きてるだけの若僧が首を突っ込むところではありませんよ。

 というわけで、大まかな状況説明を終えた後に今回のメインとなる「アニメ的見せ場」が訪れる。神原と忍のイチャイチャ劇場(仮)だ。いや、全部阿良々木さんの勝手な妄想であるが……神原に幼女を預けるとどうなるのだろう。確かに気になるところではある。まぁ、忍はファイヤーシスターズみたいに影響を受けることはないだろうけども。さらに、ここまでのシリアス説明展開で色々と鬱憤が溜まっていたのか、神原さんが何週ぶりかで大暴走。というか、この世界のよく分からない倫理観が大暴走。ライトノベルとは一体何だったのか。個人的には謎のテレビシーンでのコメンテーター風神原がとても良かったです。やっぱり渡辺明夫絵の女の子は何を着せても様になるな。

 神原にいいように弄ばれて今度は阿良々木先輩が書店で暴走。「最近ロリコン疑惑を持たれている」って、誰にだよ。別に八九時と遊んでるところはそんなたくさんの人には見られてないだろうに。並んでる幼女も少女も童女も全部人外なんだからそれは既にロリコンではないのでは? でもまぁ、阿良々木さんが気にするならしょうがない。「ロリコンだと思われたくない」←分かる。「じゃぁ熟女ものを買おう」←? 「それでBL小説を買う恥ずかしさが紛れるぞ」←???? 阿良々木さんの闇は深い。

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 ずっと聞いてるだけアワー、第9話。まぁ、この作品では割とよくあることなんだけどね。こういう回を見てると、やっぱり「物語」シリーズのアニメ化ってのは尋常ならざる無茶な所業であって、それをどうにかこうにか成立させているシャフトって特異な存在だな、ということが再認識出来るわけです。

 これまた本作ではお馴染みであるが、今回の臥煙さんの説明はありとあらゆる部分が持って回った言い方をしているために、あれだけ説明のテキストで埋め尽くされていたというのに、現在何が起こっているのかは今ひとつ分かっていない。長口上の内容をまとめると「忍が死んだと言っていた最初のサーヴァントがまだ生きてたんだよ」「それが妖刀を取り返そうとしているよ」ということくらいしかはっきり分かっていない。鎧武者の怪異が町を訪れたのが15年前、というのは阿良々木さんが生まれて間もない頃ということになるが、そのタイミングに何かがあった、という示唆こそあれ、それが正確に何なのかは全然分からないし、今回、過去の怪異がまとめて襲ってきたことの説明もまだ待ちぼうけをくらっている状態。前回の時点では「過去の怪異に似せた何か」なのかとも思っていたのだが、今回阿良々木さんははっきりと「蛇切縄」と認識しているので「そのもの」であるようだし、臥煙さんの台詞からして、シリーズスタート時点で様々な怪異が阿良々木さんの下に集まったこともどうやら偶然ではないらしい。まー、この手の「シリーズもので累積した偶然を後から偶然じゃなかったと説明する」ってのはなんだか阿漕な話な気もするが(例えばコナンや金田一が「お前の回りで人が死にすぎるのは偶然だと思っていたのか?」とか聞かれたらそりゃショックだろうよ)、利用出来るものは全て「伏線っぽい感じ」で使っていく原作者の貪欲さは評価したい。とにかく、事ここに及んで、巻き込まれ体質の阿良々木さんの苦難の人生の理由がはっきりするということなのか。そうなのか?

 とりあえず、そんな大きな話になってしまっているために説明は長い。Aパートこそ襲撃してきた怪異を3人で打ち倒すシーンで動きがあったが、白蛇神社に着いてからはもう臥煙さんしかしゃべってない。久しぶりに「本作らしい」展開になってきた。過去にも、こうして歴史を語り尽くす展開というのは何度かあったわけだが、そのたびに、シャフト演出は奇をてらった画面構成でその冗長性をくぐり抜けてきた。一大絵巻物に仕上げたり、羽川さんの旅行記をパノラマ風に綴ってみたり、見ているだけでも退屈しない画面というのは作れるもので、さらにテキストの補分として映像面にもさらに意味を持たせるシャフト的「多重構成」が極まったのも今作の手柄。1期の画面の密度は相当なものだった。

 ただ、今回の話に限っていうと、「奇をてらった」部分は面白く見られるものの、画面自体にはあまり意味を含んでいないように見える。コンテ担当の潮月一也氏は元々作画出身の人で、「画面を退屈しないように面白おかしく動かす」ことについては意識を割いているが、そこに意味を読み込ませるところにまでは注意を回していないために、どうしても「何となく面白そうな画が動いている」という印象が否めない。臥煙さんの熱弁のおかげで退屈ってこともないのだが、もうちょっと「シャフトイズム」が匂い立つ画面構成が見たかったものである。まー、元をただせば無茶な脚本書いてる原作者が一番悪いわけだが……。

 ま、それはさておいても作画状態は安定してるんだけどな。忍はシリーズを重ねるごとに愛嬌が増している気がする。幼女も童女も可愛いんだなぁ。もう、それでいいじゃない。

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