最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
ガハラさんがいい女、第3話。相変わらずシナリオ面はなかなか進まないけど、それがこの作品の芸風だから一向に気にならないのが恐ろしい。
これまでの2話で「前シリーズに比べて映像が安易である」ことには何度か触れているのだが、今回は新キャラが登場するなど、ようやく直接的に脚本面が動き始めたおかげで、映像の方に凝らされた趣向も見えやすくなってきた。貝木登場シーンからガハラさんとの会話にまで施された「枯れ木」による不吉なイメージの統制や、不安定な部分で歯切れが悪くなった神原やガハラさんの心情なんかは、やっぱり「この画」での見せ方を心得ているなぁ、と素直に感心出来るだけものものだ。 そして、今回の最大の見どころは、ほぼしゃべりっぱなしとなったガハラさんの勇姿だろう。しっかりと阿良々木さんと絡んだのは本当に久し振りだが、相変わらずのひどい性格。言いたいことは全部言っちゃうし、やりたいことは全部やっちゃう暴君には違いないのだが、何故かどこかでかわいげがあるのが不思議。理不尽なまでのツンと、そこからほのかに匂い立つデレのバランス感が実に憎らしい。阿良々木さんが「自分が誰の男かくらい心得ている」と返答した際の「あら、そう」の一言なんか、すごく短い一言なのに、やっぱりすごく嬉しそうなんですよ。冗談めかして告白じみた台詞をしゃべるときのガハラさんも憎らしくて良いのだけど、そういう作った表情よりも、どこかでこぼれる本音を見るのが楽しい。最終的にこれも中の人礼賛になっちゃうんだけどね。 仕方ないよ、今回に至ってはエンドロールでキャスト4人しか出てなかったし。本当に、漫談アニメだなぁ。 PR
変態しかいねぇ、第2話。ま、分かってたことなんですけど……撫子が完全に痴女になってしまったおかげで、頑張ってる神原さんが雑魚キャラっぽくなっちゃうじゃないですか。
本当に、「単にしゃべっているところに画を重ねているだけ」と言われたら反論のしようがない作品。「化物語」の時には1クール(+α)でエピソード5本だったのでガンガンシナリオも進んだのだが、今回は1クールでメインとなるお話が2本なんでしょ? そりゃぁゆっくりしますわな。そして、ゆっくりしてても別に問題無いように見えるのがこの作品の恐ろしいところだよね。だって、台詞がおさまるタイミングがほとんどないんだもの。中の人達も大変だよなぁ。 台詞が続くだけでなく、ちゃんと画も「動いて」いるのは「化物語」の時よりも製作体勢に余裕がある証拠だとは思うのだが、やっぱり、シナリオ進行が遅い上で「動く」となると、どうしても意味のない画面が多くなってしまう。「化物語」の時のように「台詞でフォローしきれない内容面を、抽象度を高めた画面情報で埋めていく」という方法論ではなく、「1期でも話題になったシャフト的な野放図な画面をそのまま踏襲する」という目的の画面に見えてしまうため、「ま、見てて退屈しなくていいけど」というくらいのもんである。いや、そのための画面を構築するのだってものすごくセンスと労力を要する作業だとは思うんだけどね。今回のコンテ演出は八瀬祐樹氏という名前だが、これまでもシャフト作品で実績を重ねてきていたし、過去には「デュラララ!」の大事なエピソードで演出を任されたりもしている。今後注目すべき名前かもしれません。 とまぁ、面倒な話はおいといて、とにかくエロかったりバカだったり、そういうトークの中身を延々堪能すればいいのですよ。前回はガハラさんと八九時が頑張ってくれたので、今回は当然撫子と神原。撫子については、痴女じみた台詞と花澤ボイスの融合度がたまらんものがありますが、個人的には前バージョンの髪型の方が好きですね。どこかで見た意見だが、「前髪全開はよほどの美人じゃないと似合わない」という格言があるのです。撫子はまだその域ではないな。つまり、前髪全開でカチューシャをつけても似合う女の子というのは……あとは分かるな? そして神原さんはめいっぱいの視聴者サービス。でも、何故かあまりエロさを感じないのは、やっぱりエロに恥じらいが必要だからだろうか。「案外普通なんじゃない?」って言われてテンパるってことは、やっぱり「変な奴」キャラを作ろうとして必死になっているってことなのかな。いや、神原さんの発想は確実に変人には違いないと思うのだけど。相手にしてる阿良々木さんのレベルが高すぎるんじゃないかな? せっかく妹のことを心配するいいお兄ちゃんっぽい顔を見せたと思ったのに、すぐに後輩からパンツをひんむかれるんだから、本当に阿良々木さんってば。真宵フェイスの阿良々木さんはちょっと笑った。 あぁ、あと今回はオープニングが火憐Verになり、エンディングも正式版が遅れて登場。どちらも流石に視聴者のニーズを理解していらっしゃる。最近はぐっとキタエリ歌唱のアニソンが増えてきたね。良いことだ。次の進出先は、戦隊ヒーローかな。デカマスター役で。
満を持して、11話、最終話。もし異なる時間軸があるのだったら、この2話を一週間おきでちゃんと見る世界も欲しかったものであるが、現実には一挙放送。とても分割して1話ずつ見ることは出来ないので、ここは一気に2本分。
○11話 これまでも実に見事な絶望感を提供し続けてくれた最低最悪の地獄の使者キュゥべえは、今回だって一切の容赦無く、絶望の一言のみをつむぎ続ける。まどかがワルプルギスすらも凌駕する存在となり、全てを破壊し尽くす災厄となった原因は、それを回避しようと必死に抗うほむらの行動自体がもたらしたものであった。ほむらの能力のおかげで事象自体はリセットされ、何度でも繰り返されるが、そこに巡った因果は決して打ち消されない。つもりにつもった因果の芥は、いつの間にか、まどかを世界の中軸たる圧倒的存在にまで上り詰めさせていた。 さらに、キュゥべえの弁舌はまどかにも等しく振るわれる。「人間は家畜の気持ちを汲むことがあるのか」と。これまで数多の悪役が吐き捨ててきたこの台詞だが、ここまで理知的に、懇切丁寧にその言の正当性を訴えた存在というのは初めてであろう。そのあげく、自らの正しさを補強すべく、キュゥべえはまどかを歴史の回顧録へと招待する。歴史の転換点となった「願いから始まり呪いで終わる」魔法少女達の人生の蓄積。それが一気にまどかに襲いかかり、まどかを徹底的に打ちのめす。ほむらとまどかは、別々の方向からその信念を打ち砕かれていく。 「ループ」を封じられたほむらは、最後の堰を破られ、溜まりにたまった胸の内をまどかに吐き出し尽くしてしまう。繰り返す世界の中で、自分自身は何もかも失い、どこかが壊れた存在となってしまった。しかし、そこに残されたたった1つの「道しるべ」である、まどかという存在。全てを依拠するたった1つの願いがまどか自身であることを、最も伝えてはならないまどかに伝えてしまった。もう、後に残された可能性など無かったのだ。全てを失い、最後の戦いを迎えるほむら。持ちうる全ての武力をたたき込み、無理矢理にでも目的を果たそうと試みるが、これまで全ての希望を打ち砕いてきたワルプルギスは、それくらいでは打破できるはずもない。前にも進めず、後ろにも戻れない。絶望にうちひしがれるほむらのもとに、まどかが現れる。そして彼女は、「ごめんね」という絶望的な一言を漏らした。 ラス前ということで、事実上のクライマックスはこの話数だった。様々な思惑と歴史が入り乱れた10話とは打って変わって、この10話において語られたのはたった2つのファクターだけ。まず1つは、ほむらの願いの顛末。キュゥべえにその存在を看過されたことにより、唯一残された時間遡行というツールを封じられるほむら。八方ふさがりの状態に置かれた彼女は、既にあの頑なな暁美ほむらではない。弱々しく、みんなに守られていた時代のほむらに戻っていた。伝えてもしょうがない事実を吐露し、後悔だけがそこに残される。 そして、そんなほむらの願いを手に入れた「鹿目まどかという存在」こそが、もう1つのファクターにして、この物語の全て。意外だったのは、今回フォーカスがあたったのが「ほむらにとってのまどか」であり、さらにもう一つ「家族にとってのまどか」であったこと。言い換えれば、家族との接点は、魔法少女という要素を取り除いた、まどかの「世界との接点」と見ることも出来るだろう。「嘘も吐かず、悪いこともしないでそだった良い子」であるまどかが、次のステップとして宇宙存在にまで拡張してしまう狭間のエピソードとなっているわけだが、そのための橋渡しとして、家族という視点を導入し、まどかを世界と隔絶させる役割を果たした。 まどかママの苦悩は実に痛々しい演出がなされており、前半では担任の先生との居酒屋トーク、そして後半にはまどかとの直接対話という2段構えで強く訴える構造になっている。胸を締め付けられるシーンの多い今回だが、一番辛かったのは、まどかに説得され、ママが彼女の背を叩いて送り出したシーンだろう。確かにまどかママは魔法少女について何もしらないし、娘の「隠し事」がどれほど大きなものかも知らない。しかし、これまで十数年間の娘との関係性において、そこに秘められた思いの大きさは感じることが出来たのだろう。娘を失うことも、ひょっとしたら予兆としてあったのかもしれない。だからこそ、愛娘の頬を叩くこともしたのだ。その上で、娘はずっと探していた「自分の願い」を確信していた。そんな状況で、実の親が自分の願いを優先させず、娘の思いを遂げさせることがどれほど辛い決断だったことか。あそこで抱き留めないことに、どれだけの勇気と優しさが必要だったことか。大小様々な悲劇が繰り広げられたこの作品、最も悲痛な強さを見せたのは、ひょっとしたらまどかママだったかもしれない。 最終回の「大オチ」へと繋がる話数なので、これだけでは完結しない1本ではあるのだが、これまでこの世界を構築してきた全ての要素が一気に収束を見せる、実に印象的なエピソードとなった。この一ヶ月間で修正が入ったのかどうかは定かでないが、画面の質もこれまでの作品の中でも断トツの出来(2原を送っているのがサンライズとサテライトってのがすごい)。ワルプルギスとほむらの総力戦の馬鹿馬鹿しいほどの大迫力は「これ、劇場で見ないと」と思わせるだけのクオリティであるし、キュゥべえがまどかを巻き込んだ歴史のスクリーンや、不安を徹底的に煽り続けるいつも通りのイヌカレーも、最後の一暴れとばかりにやりたい放題である。「一ヶ月分の期待感を受け止めきる画面」など、本当ならば望むべくもなかったと思うのだが、それを実現させただけでも、スタッフには賞賛を送りたい。コンテを受け持ったのは、なんと「オカルト学院」の伊藤智彦監督ではないか。こんなところでいい仕事をしてくれるとは。 ○12話 そして最終話。 ほむらの思いを全て理解しながらも、魔法少女となる決心をしたまどか。絶望感にうちひしがれるほむらだったが、その願いはほむらをも含む全ての魔法少女の願いの結実。「魔女になる因果の消滅」、それこそが、最大最強の魔法少女、まどかの願いとなった。 まどかの願いにより、魔女は消え、悲劇は失われ、宇宙が入れ替わる。そして、鹿目まどかという個も消え去る。 残されたのは結果だけ。魔女となるべきだった数多の魔法少女達は、その未来を否定されて消えた。魔女の運命を受け入れられず、魔女によって殺されたマミや杏子は、消滅の咎を背負わされた不遇の魔法少女として、その任務を果たし続けた。魔女になる因果を逃れることで願いすら打ち消されてしまうさやかだけは、その呪いのみがキャンセルされ、願った未来へと消えた。そして、全ての人々の意識から、鹿目まどかが消えた。唯一、彼女の覚悟と最期を見届けた、ほむらを除いては。全ての因果がキャンセルされ、鹿目まどかだけが消え去ったはずの世界。そこに残された魔法少女であるほむらの頭には、見慣れないリボンが巻かれ、彼女の手にした武器は、あの盾ではなく、弓矢へと変わっていた。そこに、何者かの「概念」を残しながら。 さて、ご覧のような最終回を迎えたわけだ。この「オチ」については、おそらく賛否が入り交じって様々な意見が出ることと思われるが、先に私の感想を述べておくならば、一切の不満は無い。「いくら時間軸の因果が重ね合わさったからって、人類創世からのエントロピー云々をキャンセルするほどのエネルギー量はないんじゃない?」とか、「そもそもその願いに対応するシステムをインキュベーターが対応出来るの?」とか、根本的な疑問がたくさん出てきて、おそらくそれらを解決する術はないと思うのだが、それはこの1本の物語を見る上では不必要な心配であるし、脚本家と製作陣が作り出した「まどか」の世界は、それを説明するための舞台ではなく、「見せる」だけのものである。形の上では決着がつき、更に最低限の理屈もある。そして何より、「なんだかいい話」なのである。概念存在に昇華したまどかが幸せなのかとか、記憶を失うことがほむらにとって幸せなのかとか、心情面でも気になる面は多いのだが、それを本当に真剣に悩みたいなら、「火の鳥」あたりを読んで考えればいいこと。まどかは幸せであると言っているし、ほむらだって、手にしたかったものをきちんと手に入れた。そこに何の不満があるだろう。「魔法少女は、夢と希望を叶えるんだから」というまどかの言葉こそが、この作品の全ての結末を表しているのではないだろうか。 脚本家が徒に問題を残すような妙なシナリオで意地を張らず、シリーズ作品として綺麗な答えを見せてくれた。それがまず、この最終回で一番嬉しかったこと。「終わるために終わった」と見る面もあるやもしれないが、ここまでの12本のエピソードに無駄が1つもなく、全てが綺麗に最終話に繋がっていたことを考えれば、長さにフィットした絶妙な着地点だったと見ることも出来るだろう。「世界再構築」というトンデモ展開にも関わらず個々の細かいエピソードにごまかしをつくらず、全てのキャラクターにエピローグを用意してくれていたのも嬉しい。さやかの存在だけはちょっと可哀想過ぎる気もしたけど……最後の最後で、魔女として死んでいった「あの未来」がリセットされ、「利己」に苦しんださやかが「利他」に還れたことだけでも、救われたと見るべきであろう(最終話の台詞に「なんの後悔も無い」を入れた底意地の悪さはちょっと気になるが)。 マミが、杏子が得られた幸せは「普通の魔法少女」。魔女が消えても「魔獣」と呼ばれる瘴気の化身は存在し続け、そのためにインキュベーターと魔法少女という存在はあり続けたようだが、その先に不幸な未来は無い。あくまで「魔法少女として死ぬ」という未来が得られたのだ。ほむらの様子を見ると、キュゥべえのとの関係性も改善され、白い悪魔としてのキュゥべえも失われたようである。ちょっとふざけながらコミュニケーションを取れるほむらとキュゥべえのやりとりは、視聴者から見るとなんだかやるせない部分もありつつ、やはりどこか喜ばしいものに見えるのだ。 そして、そんな魔法少女としての存在を残した上で、この物語の主人公、ほむらには、まどかの記憶が残された。多少ご都合主義のきらいはあるが、やはり彼女の中に生き続けてこそのハッピーエンドである。何が嬉しいって、まどかの弟の中にも、まどかの存在が生きていたこと。「まどか」がほむらたった1人で背負い続ける概念になってしまったら、ほむらの孤独な戦いだけがクローズアップされてしまうが、数は少ないとはいえ、鹿目家の家族たちには、わずかながらも「まどか」が残っていた。それを知ることが出来ただけで、ほむらには「まどか」が感じられる。孤独な戦いを続けてきた彼女には、ほんのささやかな贈り物であろう。 最終回は概念宇宙に飛ばされたまどかとほむらがクライマックスに用意されたおかげで、アニメ的な見せ場がなかなか見えにくかったのはちょっと残念だったが、最後に弓矢を引き絞るほむらのシーンなんかは、これまでの鬱々とした作品の雰囲気をぶっ飛ばすような、期待感に溢れた最高の締めだったと思える。3話や7話を見ていた時点ではこんな気持ちで幕を下ろせるとは誰も思っていなかっただけに、本当にありがたい幕引きであった。 とにもかくにも、1つの世界が無事に幕を閉じた。今は、それだけの安心感を噛みしめることにしよう。
全ては収束、第10話。本当にネット分析班の的確さは頭が下がる。今回一気に回収された伏線は、おそらくリアルタイムで言うなら2〜3話くらいの時には推察されてたし、それを下敷きにして話題が進んでたもんだから、割と細かい部分まで「予定通り」になってるんだよね。あんまりそういうページとかは見てないつもりなんだけど……こんだけ話題作だと嫌でも目に入ってくるもんだから、「うお、すげぇ」って素直に感心してる。ま、1話のアレは割と明示的だったから、今思えば案外読みやすい展開だったのかもしれないけどさ。
これまでブラックボックスだった「暁美ほむらの心情」が全て吐露され、曇りガラス越しで見ていたようなシナリオが全てオープンになった、ターニングポイントとなった今回。だが、むしろ今回のエピソードをどうこう言うよりも、これまでの話数を見直してほむらの行動を追う方が面白いのかもしれない。ま、ちょっと大変なので、今回はあくまで1話分の感想ということにしますけど。 「ループ説」は既に各所で語られていたのでそのギミックを拾う意味は薄いと思うが、「何週目であったか」、そして「どの周回でほむらが何を得て、何を失ったのか」というのは、人格形成を考える上で重要なポイントだろう。一応まとめておこう。 心臓を患い、病弱な少女としてまどかのクラスに転校してきた「1周目」のほむら。自分が「生きること」について悲観的だった彼女は、そこで初めて魔法少女のことを知り、この世界に足を踏み入れる。この時のチームは、マミが師匠でまどかがルーキー。憧れを持って見ていたほむらはこの時点ではまだ単なる傍観者だ。しかし、彼女が見ている前でマミはワルプルギスの夜との対決で殺されてしまい、無謀な戦いに単身挑んだまどかも力及ばずに息絶えた。そして、悲観と執念から、ほむらも魔法少女の世界へ踏み出し、時間逆行の力を手に入れる。 「2周目」では、魔法を手に入れて願いがかなったことを素直に喜ぶほむら。出会い頭にまどかに自己紹介し、マミと合わせて3人で戦い抜くことを決意する。しかし、残念ながら彼女の魔法は、こと戦闘においては最弱レベル。なかなか戦闘では2人のサポートもしにくい。独自の研究で爆弾という自分の特性にフィットする武器を発見した彼女は、その力で最大の魔女を打破しようと意気込むが、その過程で、まどかがついにソウルジェムを穢され、魔女として発現することに。ここにおいて初めて、ほむらはキュゥべえの真の狙いを知ることになり、「共に戦う」選択をしてしまったことを後悔し始める。 「3周目」にも状況は好転しない。「キュゥべえが諸悪の根源である」という真実は、仲間には全く伝わらない。この段階では杏子とさやかも魔法少女となっており、ほむらがどうにか働きかけてワルプルギスを打倒しようとしたことが伺える(当座の問題として、とにかくワルプルギスの夜を乗り越えない限りまどかに未来はないのだから、とにかく魔法少女たちは人員を増やして手を組むべきである)。自らの武器も強化するなどの努力を続け、ほむらは力による状況打開を模索し続ける。しかし、結果は最悪の方向へと向かってしまい、「最終周」同様にさやかが魔女化。最悪の事実を知ってしまった他の魔法少女達は暴走し、杏子がマミに、マミがまどかによって、魔女化を未然に防ぐために殺されてしまう。2人きりで挑もうと誓ったワルプルギス戦も、何とか打破にこそ成功したものの、2人にかかる精神的負担は大きく、2つのソウルジェムは同時に魔女化の危機に。そして、ここでまどかが自らの命を賭してほむらを救い出したことで、彼女の使命は望みをつなぎ止めた。まどかの意志を完遂するため、最愛の人を自らの手で葬り、ほむらは「4周目」へと飛ぶ。 「4周目」のほむらの目的は明白。誰一人未来を受け止められないのだとしたら、「もう誰にも頼らない」。魔女を作らないこととは、すなわち魔法少女を作らないこと。目覚めてすぐにまどかに忠告をすると、全ての魔女を自分一人の手で撃破することを心に誓う。しかし、単身で戦い抜くには、ワルプルギスは強大すぎた。自らの危機を契機として、キュゥべえはものの見事にまどかをその手中に収めてしまう(第1話冒頭)。それでも、ほむらは諦めない。「私の戦場はここじゃない」。いつもと何一つ変わらない口調で「勝ち名乗り」を上げるキュゥべえを無視し、ほむらは孤独な戦いへと身を投じる決意をする。 まどかを救えなかったほむらは、満身創痍の状態でついに「5周目」へ。しかし、徹底的に関係性を絶とうと先回りするも、やはりキュゥべえはまどかの下へ。マミは早々に討ち死にし、さやかの魔女化も発生してしまっている。残された最後の1つ、「まどかの契約」だけが残されている状態である。 4回もの時間跳躍を繰り返したほむらの物語がヴェールを脱ぎ、この物語の真の主人公である暁美ほむらが姿を現した。それはあたかも、前原圭一からスポットがずれ、ようやく古手梨花が心中を語り始めたかのようである。 何度となく繰り返す謀略と抵抗の物語だが、その本質は「ループ」ではない。その中で、少しずつ前進している部分にこそ意味がある。それはつまり、ほむら自身だ。一歩一歩魔法少女としての能力を高めていくほむら。ループをしても過ごした時間の経験値は蓄えられていくようで、最初はろくに打撃すら出来なかったほむらが、技術を手にし、武器を手にし、武力として単純に成長している。 そして、ループを重ねるごとに積み重なっていくのは、「繰り返し」であるはずのまどかとの関係性である。「1周目」では「初めての友達」として最高の出会いを果たしたまどか。最後の最後まで「一般人」のほむらを気遣い、守り抜こうとしてくれた。「2周目」では一緒に戦い抜いた戦友のまどか。しかし、そんなまどかが魔女へと変貌する最悪の瞬間を目にすることで、ほむらは自分を責めさいなむ。「3周目」では、一度は2人で一緒に魔女になるのも悪くはない、とすら思ったほむらに対し、最後のグリーフシードを使い、まどかは自らの命をなげうってほむらを救い出す。「護りたいものがたくさんあるから、世界を滅ぼしたりして欲しくない」。親友のその願いを胸に、ほむらは辛い辛い戦いを続ける。そして「4周目」では、既に「魔法少女として」自らの命を救ってくれたまどかが、今回は「親友として」彼女を救う選択をし、それが最悪の結果に繋がってしまう。どの時間軸においても、まどかとほむらの接した時間は短いはずなのに、その全てにおいて、まどかはほむらの親友であり続けた。この関係性の重複こそが、ほむらを無謀ともいえる戦いに駆り立てる原動力になっているわけだ。 「どうやって戦っているのか」が分かり、「何故戦っているのか」も分かった暁美ほむら。残された時間で、彼女が次なるワルプルギスとどう向き合うことになるのか、「5周目」の彼女に望みを託す物語は、「ワルプルギスの夜」と「キュゥべえ」という2つの脅威を前に、クライマックスを迎える。 すべてが「説明」であるはずの今回だが、描くべきことがシンプルで伝わって来やすい内容だったおかげか、これまでのようなひねた盛り上がりに加えて、1つのドラマとして印象的なシーンが数多く存在している。マミの久し振りの復活(そして何度もの死)などはシリーズファンにしてみれば悲鳴のあがる代物であるが、ほむらが1人で努力し、少しずつ武器を改良し、戦い方を身につけていく修行パートなんかも、少なからず燃え上がれる部分だろう。なるほど、あの爆弾や銃火器は魔法ではなくて、あくまで現実にあるものを魔法で出し入れしていただけなんだな。女の子の細腕じゃ扱えそうもないものも多かった気がするけど……それくらいのフィジカルは魔法で何とかなるのかな? バトルシーンにしても、今までのように「これからどうなるのかという不安」ではなく、「これまで何をしてきたかの回顧」を描くパートなので、画面が鮮明で素直に燃えられるダイナミックなものが多い。冒頭、ほむらが最初にひっかかったゲルニカ風魔女と、颯爽とそれを打ち抜くマミの銃、まどかの弓矢。2周目では謎のセーラー服お化けとの対決をマミさんが見事なサポートで支え、ほむらに「初白星」を提供する友情パワーも伺える。あのシーンを見ると、1話2話あたりでほむらがマミに対してきつくあたっていたことを懐かしく思えるだろう(実際は「まどかを契約に向かわせる全てのファクターを排除したがっていた」だけなので、本来、ほむらはマミに感謝と尊敬を抱いていたのだから)。 そして、やはり最も印象的なのが、3周目でまどかとほむらが互いのソウルジェムを手に横たわるシーン。自分を犠牲にしてほむらを助けるまどかと、そんなまどかの願いを背負って修羅となるほむら。二人の友情が最も端的に表現されたこのシーンは、不覚にも目が潤んでしまった。まどかは今まで空気のような存在だった気がするのだが、今回たった1回「魔法少女として」登場しただけで、この存在感と信頼感はなんなのだろう。おそらく、ほむらがこれまで試みてきた数々の努力が「全てはまどかのため」であることが描写されていたおかげで、それが遠因となって「偉大なる魔法少女まどか」の存在を我々に浸透させていたのだろう。心憎い脚本である。 そして、そんな健気な少女たちの対抗勢力、キュゥべえの悪辣さも、今回極まった。4周目で行われた「ほむらを餌にした契約交渉」は背筋が寒くなる迫力があるし、その後に行われた「勝利宣言」の熱の籠もらない様子も本当に恐ろしい。文句無しで、ここ最近のアニメでは最も残酷で凶悪な悪役だろう。 こうして善と悪が二極化し、クライマックスへと突き進む本作だが、1つだけ気がかりな部分がある。「ループする時間軸」といえば、上にあげたように「ひぐらしのなく頃に」があるし、最近では「エンドレスエイト」が話題になったわけだが、全てに共通するポイントとしては「どうすればループが終わるのか」という部分。ほむらのループの場合は簡単で、とにかくまどかが無事な状態でワルプルギスの夜を乗り越えればいいということになるが、現時点では既に自分の意志で4回も時間跳躍を行っており、いうなれば「無制限のリセット」が可能な状態にある。つまり、「今回駄目でも次があるじゃないか」と視聴者に思われてしまうと、ちょっとインパクトが弱いのだ。「ひぐらし」では確か梨花の神通力が弱まって「これ以上のループが出来ない」という危険な状態になったし、「エンドレスエイト」はそもそもループからの脱却が目的で、「終了トリガー」を見付けるのがテーマだった。今回のループについては、何が「終了トリガー」として設定されているのか。 考えられるのは、前々回キュゥべえが仄めかしていた「ほむらの能力看破」がある。4周目までのキュゥべえは、ほむらがどのようにして魔法少女になったのかについて言及しておらず、「自分の契約を経験していない魔女」としてイレギュラーであるはずのほむらに、さほど警戒はしていない。その結果、目の前で彼女に時間跳躍を許しているのだ。しかし、5周目の世界において、ほむらはあまりに深くキュゥべえの活動に干渉しすぎてしまい、彼に自分の能力を見破られることとなってしまった。もしここで、キュゥべえがほむらに対して何らかの対策を講じてきたとしたら。まるでパイツァダストを解除した吉良吉影のように、一時的にでもほむらの能力を「解除」してしまったら、ほむらは「6周目」へ向かうことが出来ず、今回のワルプルギスの夜が最後のチャンスということになる。おそらく、キュゥべえも何か狙っているのは間違い無いだろうし、ほむらとキュゥべえのまどか争奪合戦は、今回が山場となるのだろう。刮目刮目。 今回は辛抱できずに蛇足で書かせてもらうが、ようやく本領を発揮出来た悠木碧、斎藤千和の師弟コンビの持つ迫力が素晴らしい。特にまどかはこれまでずっと怯えて振り回されるだけの役だったというのに、一転して「最強の魔法少女」となったおかげで、全てを守り抜くかのような大きさと暖かさを有し、ほむらの行動原理に大きな説得力をもたらしている。そして、そんなまどかの影響で少しずつ変わっていくほむらの内面性も、わずか20分の間で実に明示的に表示されている。だからこそ、ここには千和が抜擢されたということだ。4週分の経験を蓄え、我々のよく知っている「暁美ほむら」が完成したところで、「オープニングテーマ」が流れるという今回の構成も絶妙。あくまで、ほむらの誕生からこっちが、「魔法少女まどか☆マギカ」なのだから。 行くも地獄、戻るも地獄のこの作品。同じ地獄なら……見なきゃ損?
めくるめく巨悪、第9話。欲望とか、衝動とか、そういうものによって突き動かされる悪党っていうのは、まだ「分かる」からそこまで怖いものじゃないんだ。一番怖い悪役は、自分がまったく悪いと思っていない奴。
前回の衝撃展開を受けてのエピソードなので、今回はシナリオライン上は静かに物語が進行した印象。最終的には魔法少女の席がまた1つ空席になってしまうという大事件が起こっているわけだが、前回のさやかのやりきれない最期を見た後だと、今回の杏子の最期は、本人の顔に浮かんだ笑顔のおかげでそこまで悲壮なものには感じられず、間違っていると分かっていても、後味は良い。このささやかな「救い」の物語が、次回以降のワルプルギスの夜による最大の災厄の序章でしかないとしたら、さらなる爆弾が恐ろしくなってしまうのであるが。 今回1つ目のトピックは、当然杏子というキャラクターの行く末である。登場時は完全に敵対勢力として描かれていた杏子は、気づけば最も人間的な思考を有し、最も希望を感じさせてくれるキャラクターになっていた。杏子は物語に含まれない過去の部分で既に「失った物語」があったが、その部分はアニメではほとんど前景化されない。そのため、彼女の魔法少女としての活躍と、新しく得た大切なものを守るための信念の戦いのみが描かれ、この作品の中では最も「幸せな」扱いを受けている。こういう捻り方も脚本家の手の内だとは思うのだが、視聴後の爽快感は最初で最後なんじゃないかと思えるくらい貴重なものなので、今回の彼女の勇姿は、最後の励みとして心に刻んでおきたい名シーンである。 思えば、あらゆる事象が倒錯したこの世界において、さやかと杏子という2人の魔法少女の人生は、最後の最後で綺麗に入れ替わって幕を閉じたことになる。「利他」を信念として生まれたさやかは、「誰かを救った分、誰かを呪っていく」とほむらがいう通りに、自分が救った以上の不幸を引き起こすことになってしまった。見返りの無い「利他」という精神が礎となった存在であったばかりに、彼女が生まれ変わった魔女は、その根源に利己の要素がない純粋な害意として存在している。彼女が命を賭して守ろうとした信念とは、真反対の存在に帰着してしまったわけだ。 そして、そんなさやかと対峙する杏子は、元々「全ては自己責任である」という開き直りをみせた「利己」の象徴であった。それがいつの間にかさやかという「他者」を得てしまい、今回はその救出のためにまどかにまで頭を下げ、自分が一切得をしないさやか救出という無謀なミッションに挑むことになる。結局、それは不可能以外の何物でもなく、自分も含めて誰1人得をしないものであったわけだが、それでもわずかな「利他」の可能性を信じて、彼女は戦い抜いた。その最期は、まどかという他者を救い、さやかという他者を牢獄から解き放つための最大の自己犠牲である。個人の憎しみと慈悲が釣り合うというのなら、さやかの残した絶望は、杏子の生み出した希望と等価交換なされたのかもしれない。2人のシルエットが赤と青で絡み合い、1点に収束して沈んでいく描写が、2人の「完成形」を暗示しているようで実に印象的であった。 そして、その果てには「魔法少女2人がソウルジェムを破壊して消え去る」という結果だけが残される。この「ジェムの破壊」こそが、地球上、宇宙上のエントロピーを無視した新たなエネルギー発現機会であり、宇宙の救済者たるインキュベーターの求めていたものであった。彼にとって最良の結果となった2人の魔法少女の愛憎劇は、全て計算のうちにあったものなのか。 キュゥべえが恐ろしいのは、「感情がない」という自らの個性を認めつつも、それが「感情を理解出来ない」とイコールでは無いという部分である。これまでも「人間は訳が分からない」などの台詞を吐いて認識のズレを主張してきたキュゥべえだったが、今回の発言では、さやかの魔女化によって引き起こされた杏子の救出作戦が、ワルプルギスの夜を見越しての「魔法少女殲滅戦」の意味を持っていたことが明らかにされている。つまり、彼は「感情」というリソースに理解も示さないし、共有もしないが、それを前提とした上で利用することが出来るのである。杏子が理外の行動を取り、勝手に死んでいくことを、彼は理解した上で押し進めたのだ。そして、それが純粋な自分の目的のためであり、最大効率で行われたことに満足している。作意はあっても悪意が無いために、あれだけのことをしながら平気でまどかの枕元やほむらの部屋に現れることもできるのだ。本当に恐ろしい「悪役」である。 キュゥべえの話す目的意識については、当然地球人ならば賛同出来るものではない。たとえ一切の嘘偽りがなかったとしても、宇宙規模でものを考えて献身出来る少女などいるはずがないし、そもそも彼の話の真偽を知る術もない。まだ宗教団体が「来世で幸せになれる」と説く方が身近に感じられるくらいだ。それでも、キュゥべえは事実を包み隠さず話せたことに満足したらしく、「宇宙を救うために死ぬ気になったら、また連絡しろ」という冷酷非情な台詞を残して消えた。そして、その前提として、ワルプルギスの夜というまどかの契約トリガーは仕込んであるのだ。完全に外堀を埋めてしまった状態で、まどかは宇宙規模の犠牲となってしまうのだろうか。 もう、考えることもおっくうになるくらいひどい話満載の今作であるが、今回は久し振りに作画面での面白さが際立った。特に魔女さやかの生み出したイヌカレー空間は、荘厳さを持ちながらもさやかの「1人の人間」としての不完全さもイメージさせており、彼女の未練が画面一杯に広がっているような虚無感を与えてくれる。また、そこで必死に戦う杏子の派手な戦闘エフェクトも、彼女の大ざっぱながらも気骨に溢れる人柄を体現しているようであった。 冒頭、杏子がさやかの「死体」を運んで線路を歩くシーンでは、足下の線路が何度も交錯したり、×印を描いてさやかと杏子の「交わり」を暗示している。いや、ひょっとしたら純粋に今の環境が「駄目だ」ということを表しているだけかもしれないが。ほむらが絶望的な宣告をした後に、画面上を電車が走り抜けるのが何とも切ない。前回のエピソードではさやかが魔女となる最後の一押しとなった「電車の走行」は、今回まどかたちの歩く向きとは逆方向に向かっており、さやかの意志が既にここにはないということを暗示しているようである。無機質なオブジェクトによる画面の流れの生み出し方は、久し振りにシャフトらしさが堪能出来た気がする。これ以上、「負への流れ」は見たくないとも思っているのだが……次週は、どうなる?
ネット考察の力を感じずにはいられない第8話。そんなに熱心に見回っているつもりはないのだが、今回回収されたネタの7割はネット上のシナリオ考察で予測されていた気がする。もちろん、その上で衝撃度が下がらないのがこの作品の恐ろしいところだが。
実に様々な事件が巻き起こった今回。敢えて一言でその本筋をまとめるなら、「光と影の分離」ということになるだろうか。次第に闇が溶け込んでいくソウルジェムのように、これまでたゆたっていたこの世界の善と悪は、今回をもって言い逃れ出来ない段階まで分化された。具体的には、「キュゥべえ軍VSほむら軍」の分化だ。ほむらの最大の目的であるまどかの存在がクローズアップされ、それに伴ってキュゥべえの正体が(一部とはいえ)明らかになった。Incubator(保育器)たるキュゥべえの目的である魔女の育成の結果、さやかは最悪の結末へとたどり着き、さやかの安否を気遣っていた杏子は避けられない流れに巻き込まれて現実を目の当たりにする。一人一人の価値観に揺さぶられた少女達は、結局行くところまで行ってしまった。 今回最大のトピックスとなったのは、やはりさやかの末路だろう。必死で差し伸べられたまどかの手をふりほどいてしまったことを契機に、彼女はほむらの最終警告を遮断し、杏子の救いも受け入れることが出来なかった。前回確認した「利他」と「利己」に揺れた彼女の孤独な戦いも、次第に穢れていくソウルジェムに浸食され、硝子細工のごとき決意は些細な衝撃で容易く砕けてしまう。「利他」とは、心を砕くべき「他」が存在してこそ成立する理念。彼女が信じるべき「世界」そのものの価値が崩壊すれば、彼女の理念は維持出来なくなり、それはつまり、支えを失った魔法少女としての存在意義も否定されることになる。「魔法」の「少女」であった魂の亡骸は、彼女の懊悩を取り込み、見事な「魔女」としての孵化を果たした。 「魔女の保育器(Incubator)」。それがキュゥべえの本当の姿であった。これまで何度となく言及されてきたあまりに残酷で心ない契約の様子も、ゴールが災厄の象徴たる「魔女」であるなら、不思議でもなんでもない。キュゥべえは「奇跡」という安価な代償を先払いすることにより、膨大な魔力を有する魔女を生み出すためのコーディネーターであったわけだ。いつも通りのセールストークでまどかを手にかけようとしたキュゥべえは強硬手段に出たほむらに狙撃され、まるでチーズのごとく穴だらけになるが、「替わりの素体」がすぐに現れ、用済みになった「使用済みケース」を「回収」していた。あくまで、地上をうろつく白い獣は各所の「種」に繋がるルーター基地のようなもの。その本体は、保育器としての概念そのものといえるのかもしれない。 そんなキュゥべえに対抗しようと必死の活動を続けるほむら。さやかの魔女化を阻止しようと強硬手段に出たり、まどかの契約を阻止するために実力行使に出たり、今回はかなり切羽詰まった様子がうかがえる。そして、達観して奇妙な洞察力を手にしたさやかに、その心中を看破され、さらに直接攻撃に出たことで仇敵であるキュゥべえにも能力の一端を掴まれてしまった。これまで情報戦においてはかろうじてリードしてきたほむらだったが、ジワジワと窮地に追い込まれているようである。 さやかの見抜いたほむらの本質、それは、まどかを守るというたった1つの彼女の意志である。まどかさえ守れるならばその親友を手にかけることも厭わないし、多少の傷も恐れることはない。常に防壁を張ったような空虚な彼女の言動も、たった1つの目的を隠匿するためのペルソナである。たが、キュゥべえの強攻策を阻止するため、そんな彼女の防壁にも綻びが見え始めた。さやかに「空っぽの言葉」と指摘された彼女の行動だったが、まどかの説得の時には全てが剥がれ落ちてしまっている。彼女にとってはまどかが全てであり、最大の弱点。それを看過されてしまったことで、いよいよキュゥべえとの関係性に変化が現れるかもしれない。 はっきりと別たれた「光」と「闇」。そんな展開を示唆するかのように、今回の構成では「光と闇」というモチーフが印象的な構図で多用される。分かりやすい部分ではいちいち「闇から光へ現れ、闇へと帰る」ことを徹底したキュゥべえの移動シーンが上げられるし、ほぼ暗闇の中だけで活動を続けていたさやかの心象風景もその一部。さやかが光に照らされたのは、最後の望みであるほむらの説得を受けるシーンだ。ほむらの背後から照らすスポットが、ギリギリのラインでさやかを捕らえている。しかし、その光も杏子の乱入で消え去ってしまった。その後、彼女には二度と光が当たらない。電車の中で男2人に詰め寄る彼女の「真っ黒な」姿は、彼女が人として見せた最後の姿としてはあまりに切ないものがある。車窓の外に流れる風景、きしみを上げる車輪。本来なら明るいはずの電車の中の風景が、暴走の果てに行き着いた彼女の最期を演出するラストステージになってしまった。 対照的に、たとえ夜のシーンであっても常に光の中にあり続けるのがまどかだ。たった1人だけ、ほむらの「本当の声」を聞くことが出来る少女まどか。未だ蚊帳の外に置かれ続ける彼女だが、さやかが失われ、ほむらも策を失いつつある現状、彼女に残された未来は一体どんなものなのだろう。終わらない絶望の続きは、まだまだネットの住民の予想の範囲に収まるものなのだろうか。 今回は久し振りに蛇足で中の人のことも少し。どうにもたまらん迫力を叩きつけてくれるのは、さやかの中の人、喜多村英梨だ。今回はほむらとの対話の時の空虚な感情とか、電車のシーンの鬼気迫る台詞なんかは彼女の真骨頂。サブタイトルにもなった最期の台詞「あたしって、ほんとバカ」は涙無しでは聞けない台詞になっている。これが出来るからこそのキタエリだ。そして、対抗するのはほむら役の斎藤千和。正直言うと、これまでのほむらの声、抑え気味の演技はどこか虚ろで、釈然としないものがあった。戦場ヶ原ひたぎとかと同じトーンではあるのだが、ひたぎの時と違い、「クール」ではなく「空虚」だったのが気になっていたのだ。だが、それがほむらというキャラクターの本質であることが明らかにされて、ものすごく納得した。おかげで、今回まどかにすがりついた時の彼女の慟哭との対比が素晴らしかった。 あとはキュゥべえの中の人、加藤英美里ですかね。キュゥべえを演じるっていうのはどういう気持ちなのかは想像も出来ないが、これだけフラットな「悪役」を貫くというのは、前例が無いだけに難度が高そう。自分の「肉」を食べ終わった後にゲップするみたいに「きゅべぃ〜」っていうのがやたら可笑しかったけどな。あれがアドリブなら笑える。 折角なのでこのブログオリジナル要素としてMTGのカードの中に「インキュベーター」が無いかと思って確認したら、「ウルザの保育器(UDS)」と「マイアの保育器(MRD)」がヒットしました。後者の方は凶悪さとかではキュゥべえに近いと言えなくもない。嘘だけど。
完全にさやかが主役、第7話。そこまで画面に動きが大きく出ているわけではないのに、今回もあらゆる場面から怒濤の展開てんこ盛り。「食い入るように見る」というのはこの作品のためにある言葉。
1つずつ処理していこう。アバンは、ストップ安がまだ止まらない、外道の中の外道キュゥべえさんによる商売の心得だ。「聞かれなかったから答えなかった」「私がやってなかったらあなたはこんな危険な状態になっていた」「ガタガタ言うなら痛みで黙らせる」など、ヤクザもんもびっくりの脅迫商売。いわば「面倒みたったんやから身体売らんかい」ってことだものなぁ。その一方的な物言いに、強気なさやかも完全に挫けてしまう。 そして、そんな外道の所業を知っていながらも黙って見守っていたほむらさんと、彼女の態度にちょいと裏切られた気分のまどかさん。最初のうちはマスコット扱いだったキュゥべえも、気づけば「あいつ」呼ばわりですよ。「人間の価値観が通用しない生き物」ですよ。「どうしてこんなひどいことするの?」と言われる段になって、もう絶対にまどかとは相容れない気もする。 ただし、この言い合いにおいて、ほむらが冷静にキュゥべえ側の主張を踏襲しているのは見るべき点だろう。「奇跡は、人の命でもあがなえるものではない」とは、確かに事実であるし、そういう見方もあるだろう。そしてキュゥべえ側の主張はこの1点にのみ集約されている。「願いを叶える奇跡と、魔法少女になる奇跡。同じ奇跡ならばその出入りは等価である」と。我々人類は、魔法というもののコストパフォーマンスに幻想を抱きすぎているきらいがあるわけだ。 もちろん、そんな「理屈」で納得出来るほど少女達も強くはない。どうにかさやかの心の穴を埋めようと、再び傾きかけるまどかの気持ち。しかし、ほむらはその一点においては頑なだ。「感謝と責任を混同しては駄目」とは、酷であるが真実でもあろう。まどかの行いは、「自分で出来る範囲のこと」で奇跡を埋め合わせようとする、「出過ぎた真似」でしかないのだ。彼女の主張は、常に正しい。 もう1つの議論が巻き起こったのは、犬猿の仲だと思われたさやかと杏子。前回同時に認めがたい事実を突きつけられた2人の魔法少女は、あまりに違いすぎるスタンスを正面からぶつけ合うことで、理解と対立を深める。 「先輩」の杏子は、ソウルジェムを巡る一件を突きつけられても、立ち直りが早い。おそらくこれは、過去に同様の過酷な運命を戦い抜いてきたが故の経験値の差であろう。「やってしまったこと」はどうしようもないわけで、あとはそれを埋め合わせるべく、自分に利するように世界を生き抜くだけだ。そのためには他者の犠牲もある程度は容認するだろうし、世界から逸脱してしまった魔法少女の特殊性を飲み込めば、多少倫理に外れたとしても受け入れるべき。あくまで利己にこだわれば、受益も被害も、全てが「自業自得」。言うのは容易いが、なかなかたどり着くのは大変そうなテーゼである。 他方、そんな杏子の生い立ちと誘いを聞いても、さやかの信念は踏みとどまった。「やってしまったこと」はどうしようもない。その部分においては、杏子の励ましを受けて立ち直れた部分であろうし、時間をかけて少しずつ回復した部分だろう。そして、その先に見た信念は、杏子と異なる「利他」の精神。自分が魔法少女になったのが「自業自得」であるならば、それによって変質した世界の責任を、他者に押しつけることはフェアではない。変わりゆく世界も、自らの生き様も、全て一人で飲み込んだ上で、手にした力で何とか改善していく。実に前向きで、正しい方向性といえるだろう。 2人の魔法少女は決別し、お互いの存在を理解しきらないままに次のフェーズを迎える。何とか自己の復旧に務めたさやかに、さらなる試練が覆い被さってきたのだ。遠因とはいえ、自分を魔法少女にする原因を作り上げた友人、仁美。彼女が、さやかのたった1つの願いであった上條恭介に対する気持ちを打ち明けてきた。この仁美の行動には、言ってしまえば責任も咎も無い。あくまで彼女は自分の気持ちに正直に行動したのだし、中学生のメンタリティを考えれば、幼馴染みのさやかに話して義理を立てたことも、立派とすらいえる行動である。そして、仁美にそんな行動をおこさせたきっかけは上條の復学、つまりはさやかの願いの成就であった。 さやかの「願いが変質させた世界」が、さらに彼女を苦しめる。ひたすらに「利他」のために動いてきたと信じ続けた彼女が、一瞬でも仁美を救ったことを後悔したと吐露する。それはつまり、上條の回復という願いに、これ以上ない利己の精神が内在していたことを示す最大の証拠である。利己の象徴たる杏子と決別して意志を固めたにも関わらず、わずかな期間でそれが瓦解してしまったのだ。そして、そこまでを認めた上で、未だ彼女は上條に対して具体的なアクションを起こすことが出来ないでいる。何も言わずに退院した上條。明日になれば行動を起こすといった仁美。全ての環境が、彼女の「利他」の精神を苦しめる。 そして彼女は、自分に嘘をつき続けるために、「魔法少女」という真実を突き詰める選択をしてしまった。「自分は、自らの幸せが欲しかったから上條の回復を願ったのではない」という幻想を現実にするために、無理矢理「魔法少女になること」に価値を付加してしまった。典型的な代替行為は、対岸から彼女を見守り続けるまどかや、根源的なレゾンデートルを別った杏子の目にも異様に映る。何しろ、彼女の願う「価値」には、終わりがないのだから。 今回のエピソードは、「後悔」という言葉が要所要所で重要な役割を果たす。杏子が歩きながらさやかに聞かせた言葉は、「すべてが自業自得なら、後悔なんてあるはずがない」。このフレーズはご存じの通りに5話のサブタイトルにもなっている、さやかが変身直後に語ったものである。「利他目的を果たすことが出来たのだから、後悔なんてあるはずない」と答えたさやかと、「利己の追究が出来れば、後悔なんてあるはずがない」と勧める杏子。彼女は続けて「これ以上後悔するような生き方を続けるべきじゃない」とも訓告している。しかし、さやかはあくまで「後悔なんてしない」と決意を語るのである。2人の信念が明確に違うことが分かる部分だ。 そして、この「後悔」というフレーズは、さやかと対面した仁美の口からも出てきている。さやかが魔法少女というファクターと対峙する姿勢については、我々視聴者はその真偽を判断することは出来ない。彼女が「後悔しない」と言っていることは、ただの強がりかもしれないし、心の底から出た言葉かもしれない。しかし、こと上條との関係については、彼女の嘘は明示的である。上條との関係を濁すさやかに対し、仁美は「もう自分に嘘は付かない」と明言している。どっちつかずでぐずぐずしているさやかとの対比である。そして、そんな仁美が「さやかさんは後悔しないように決めて下さい」と進言しているのである。ここでも登場した「後悔」という語が、最終的にはさやかの欺瞞を脆くも打ち崩してしまったわけだ。彼女は後悔した。仁美を救ったことを後悔した。そして、その後悔したことを後悔した。もう、どうにも止まらない負のスパイラルである。 そして、この負の連鎖の根幹には、「魔法少女という契約をしてしまった」という事実があるわけだ。そして始めに戻る。キュゥべえの悪辣さに。つまり、奴が動き続ける限りは、この連鎖はまだ止まらない。
色々衝撃的だったのに、後番組の「Rio」のせいであんまり残ってない第6話。もうね、このサブタイトルは「Rio」の方にふさわしいと思いますよ。おかしいとかいう次元じゃねぇけど。
さておき、今回は魔女も使い魔も登場せず、純粋に魔法少女どうしの対人関係のみが描かれるという、一応シリーズ初の構成になっている。ただ、この状態でも普段からの殺伐とした空気が一向に緩和されず、むしろ根深いものにすらなってしまうのがこの作品の恐ろしいところ。そして、そんな絶望的な状況を作り出しているのは、全てあの白い悪魔なのである。放送開始当初は「みんな、いくらなんでも穿った見方をしすぎだろう。腐っても魔法少女もののマスコットキャラなんだから、最終的にはすごく大きな目標を持った良い奴なんだよ」とか思ってたんだが、最近はその悪辣さを隠そうともしないな。 「人間は分からないなー」みたいなことを平気で言いやがるが、依頼を出す側なんだから先方のデータくらい調べておけよ。「何にせよ、彼女が何かを企んでいるのは確かだ」じゃねぇよ。お前だお前。穢れたシードを回収って、最終的にお前が穢れの集合体になる姿しか思いつかねぇだろうが。もしくは魂をジェムに閉じ込めて食べやすくなった魔法少女でも吸収するのか。さやか絡みでどんどんまどかに対する外堀を埋めようとするのもえげつない。 ディープな分析は他の場所で色んな人がやってる人がいるので、あくまで個人的に印象に残ったシーンをピックアップしていこう。今回はイヌカレー空間が発動せず(代わりにDDRの画面内で暴れてたけどな)、アクション面での演出はほぼ無い状態。さやかのジェムを回収しに駆けるほむらがちょっと特殊な動きを見せていたが、その他にはあまり印象的なパートがない。そんな中でちょっと気になったのは、冒頭のシーンで杏子が戦闘を避けて退場するカット。独特な形状の武器を使って跳躍する姿がなかなか格好良くて、魔法少女の特殊な身体性を確認することが出来る。 イデオロギーの差がどんどん拡大していくことが分かるさやかとまどかの口論のシーンも、次第に荒廃していくさやかの精神性が救われなくて辛い。確かにまどかが言っていることは甘っちょろいし、実際に命を賭けていない人間の戯言であるのは事実。しかし、魔法少女と戦うことが本懐でないことくらいは、さやかも冷静なら判断出来るはず。それが出来なくなっているのは、着実にキュゥべえがさやかを追い込み、「洗脳」しているせいである。改めてさやかの主張を確認すると、マミの存在がすっかり彼女の中で偶像となって認識をゆがめてしまっていることも分かる。こうなると、あの悲壮なマミの死すら、キュゥべえの策略だったのではないかとすら思えてしまう。「キュゥべえも何か言ってよ」とのまどかの懇願に対し、キュゥべえは思いっきり話題をねじ曲げて訳の分からない返答をしている。本当に、パニック状態に持っていって顧客を追い込む手管に長けているようにしかみえない。 混乱するまどかが、夜のリビングで母親と語らうシーンは、個人的には今回のベストショット。あまりに理解力のありすぎるお袋さんの男前っぷりには頭が下がる。一体どんな人生を歩んできたら、こんな達観を持つ立派な母親になれるものだろうか。ただ、流石に大人の美学はまどかには難しすぎたのかもしれず、言ってることが乱暴なのは間違い無いので、扱いの難しいアドバイスだったのは確かだ。ただ、個人的には中の人が透けて見えるせいか過激さばかりが際立ったアドバイスにも聞こえたけどな。「はやく大人になって、ゴトゥーザ様とお酒飲んでみたいな」って、あおちゃん、それはアカンと思う。その人はアニメと違ってウィスキーをロックじゃなくてストレートで飲む奴だ。あ、茶々入れてすみません。珍しくハートフルなシーンだったので余計に感じ入ってしまいました。 そして、地味に衝撃度が強いシーン「上條の退院」。何気なく描かれてたけど、今週一番ショッキングなのがここだった気がする。どれだけの献身を施しても、結局さやかは報われていないという……ひどい話。杏子が「上條をボロボロにしてやろうか」って提案したおかげで「元気になった上條」というだけで対比的に幸せな気もするが、さやかの心情を思えば、「勝手に自宅に帰った上條」って、これ以上救いようのない状況は無いと思うのだが。すさみきったさやかが杏子の提案を飲み込んじゃう可能性すら無視できないレベル。 そして、あのラスト展開へ。血みどろの争いをするのかと思ったさやかと杏子だったが、白い悪魔の前では等しく被害者でしかなかったために、対決はなんだかなあなあに。ジェムこそ命、ジェムこそ本体。それが魔法少女としての契約。さっさと説明すりゃいいのに、キュゥべえが最初に吐いた台詞が「友達を放り投げるなんて」。もう、開いた口がふさがりませんよ。っつうか、契約時にまず説明しろよ。そこ説明しない契約とか、クーリングオフ効くんじゃないか? 一応キュゥべえの言ってることも一理あるっちゃあるが…… さて、ここからどういう展開になるんでしょうか。今回の一件で、さやかと杏子の因縁もなんだか尻すぼみ。少なくとも即死イベントは避けられたように見える。そして、こんな現状を叩きつけられたらまどかの契約イベントなんて夢のまた夢だ。キーワードとなるのはほむらが仄めかしていた「ワルプルギスの夜」だろうか。強大な魔女の来襲イベントみたいなものだろうが、ほむらも杏子も、そこなら協力体制が敷ける……のか? もう、何も信用できない状態だから静観するしかないんですけどね。 どうでも良すぎる余談だが、「ワルプルギスの夜」は同じくシャフト制作の「ダンスインザヴァンパイアバンド」でもサブタイトルとして登場している。千和とあおちゃんは、1年で2回も同じスタジオのアニメでこの名前に触れているわけだ。だからどうしたってこともないけどさ。
史上最も禍々しい契約シーン、第5話。その耳(?)は何? その手つきは何? キュゥべえの勧誘の強引さも目に余るし……もう、幸せな結末なんてありゃしないの?
改めて語られるさやかの契約。冒頭、夕日に照らされた契約シーンは、ビルの屋上に伸びきった二人の影が余計な不安感をあおり立てる。どこかの考察で「キュゥべえ」=「魔性の者、九尾の狐」という推論を見たことがあるのだが、妙な形の観葉植物を背負って契約を施したキュゥべえから伸びるシルエットは、まさしく九尾のような禍々しさがあった。 上條の手の治療と引き替えに得られた「引き返せない運命」は、あらゆる人々に絶望をもたらす。契約したさやか本人は、自らを「幸せだ」と言ってみせた。上條は順調に回復し、不安定だった精神状態も戻りつつある。復帰戦となった演奏も周りの人々の祝福に囲まれつつ行われ、こちらの「現実」は順風満帆。その光景が見られただけでも、さやかの笑顔は嘘ではない。「友達を2人も無くしていた可能性」を排除することにも成功し、現時点において、さやかは決して後悔していない。しかし、やはり「素人魔法少女」にとって、これからずっと戦い続けなければいけないという運命は荷が重い。キュゥべえに連れられた初のパトロールも、まどかの気持ちがなければ自分を奮い立たせることも難しい状態であった。彼女の重責は、これから少しずつその身に刻まれていくことになるのか。 そして、そんな友人を止めることが出来ず、あまつさえ変身する理由の1つにすらなってしまったまどかは、何も出来ない無力な自分にひたすら後悔ばかりを積み重ねる。さやかを止められなかった自分。さやかに心配をかけてしまった自分。そして、さやかのために何もしてやれないのに、一人前に心配だけをしている自分。「魔法少女の立場になければ、他人を責める権利など無い」とは、先週のキュゥべえの言葉であるが、ついに対等な立場ではなくなってしまったまどかとさやかの間では、両者がどれほどわかり合おうとしても埋められない溝があるのだ。「変身しないままでいる無責任さ」がまどかの重荷であり続け、さやかもつい最近まで同じ立場にいただけに、その気持ちを充分に理解出来る。選んでしまった者と、選ばないことを選んだ者。今後の2人の友情は、どのような形で維持されることになるか。 そして、そんな2人の様子を遠くから見守り、大きな後悔を抱いているのが、ほむらである。自分に近付いてくれていたまどかに対しては充分な警告が与えられたが、さやかの方にまではフォローが行き届かなかった。彼女の目的は相変わらず謎であるが、さやかの現状については、ほむらは「後悔している」と明言する。キュゥべえをして「イレギュラー」と言わしめたほむらは望み云々を差し置いても、「他者の契約」を阻止することを至上命題としているようだ。 その上で、彼女の言葉は辛辣だ。「どのような献身も見返りなどありえない」とは、さやかの現状に対する否定であるし、そのものずばり、「さやかのことは諦めて」とまどかに断言した。「どうやっても償いきれないミスである」「一度魔法少女になってしまったら、救われる望みなんて無い」と、現状が最悪の展開であることを吐露している。「全てを諦めた」と語るほむらにとって、つかの間の幸せを手にしたさやかも、それを見て悲嘆に暮れるまどかも、等しく後悔の的であった。 サブタイトルとは裏腹に、数多の後悔が渦巻く今回。事態はさらに面倒な方向へと進み、初仕事に張り切るさやかが命を削り合ったのは、宿敵である魔女などではなく、同業者でポリシーが対立する魔法少女、杏子。遠慮無しに命を奪いに来た杏子と、怒りをぶつけるさやかの対決は、「誰にも止められない」とキュゥべえは言う。巴マミは、人々を守るために命を失ったが、杏子はその命すら自らの益と成そうとしている。その姿勢だけはさやかは許すことが出来ない。どちらかがへし折れるまで続く対決は、介入したほむらに預けられることに。 とにかく、現状認識の絶望感だけが際立つエピソード。端的にそのことが伝わってくるのはまどかとほむらの対話のシーンで、冷静に聞いていると、ほむらの中では「魔法少女になること」は「死ぬこと」と同義の最悪の事態である。マミの死が最悪の悲劇であるのと同様に、さやかの契約も「地獄と同義」であるというのである。この時点で、もうさやかの契約は本当に失敗以外のなにものでもないという描写になってしまっているわけだ。一応、形の上ではさやかが「幸せだ」と言っているのに、この扱いはひどい。しかも、そこまで必死に決断した契約の結果、さやかは一切望んでいなかった「魔法少女との対決」に巻き込まれているのである。この時点でさやかの選択からは「街を守るため」という大義名分すら失われており、残されたものは上條の回復というほんのささやかな幸福だけ。既に転落の秒読み段階に入っているかのようだ。 そして、そんな悲劇の裏側で、キュゥべえはあの手この手でまどかに契約を迫っている。もう、本当に悪魔の所業。窮地で登場したほむらの勇姿が、この作品で最も格好いい「ヒーロー」に見えたのは、自分で火種を広げておきながら静観しているだけのキュゥべえとの対比効果もあるのだろう。ほんと、一体奴は何を考えているのだろうか。 今回メインとなったさやかの心情についても、現時点では色々と複雑である。性根がシンプルな子なので実際の言動だけをみればほとんど裏表は無いのだろうが、まどかとの関係性は簡単には割り切れないものがあるだろう。「自分は変身出来ないけど協力したい」と嘆願するまどかに対し、さやかは最終的に「その気持ちは本当に嬉しく思う」と受け入れたわけだが、まどかが最初に申し入れてきた時には、彼女は一瞬だけ笑顔を消して、口元を結んだカットが挿入されている。それは、自分から窮地に飛び込もうとする友人を気遣ってのものだったのか、それとも、確実に運命を分かった「ただの人間」に対する苛立ちだったのか。そのことを判断することが出来るのは「同じ魔法少女の立場に立った者だけ」である。 後半パートの見せ場は、新キャラ杏子の本格参戦。多節棍と槍を組み合わせたような奇妙な武器を操る新たな魔法少女のバトルシーンは、実に流麗で見応えのあるアクションに仕上がっている。対するさやかが単なる剣によるシンプルな武装なので、トリッキーな遠距離武器と槍による波状攻撃が映えるのだ。おかげで、どうしてもさやかの方が噛ませ犬っぽく見えちゃうんだけどね。これだけ打撃メインの肉弾戦を演じておいて魔法少女を名乗るのもどうかと思うわ。一応、望遠鏡で覗く時なんかはそれっぽい「魔法」を使っているみたいだったけどさ。 その他、河原でさやかとまどかが語らうシーンでは、川縁で無機質に回り続ける大量の発電用風車が不気味な圧迫感を出していたり、上條の演奏シーンで大写しになる落日が、どうしても不安なイメージを喚起したり、どの画面をとっても爽やかさや安心感とは無縁の作品。今回もエキセントリックな魔女の使い魔のデザインが、ひとさじの狂気を確認させてくれます。「ぶーんうっわー!」って叫んでる使い魔の鳴き声って、多分あれあおちゃんだよな。……この作品、少ないキャストでのインパクトの出し方がたまらんものがある。野中藍の悪辣系魔法少女って……配役的になんか「とらドラ!」っぽいイメージになってる。 |
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Thraxi
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声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧 |