最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
一番気になったのが先生の英語の授業だった第4話。あまりにぶっ飛んだ内容だったものだから「最近の保健体育は進んでるなー」とか思ったら、英語かよ! 30歳云々言い出したらほむらの中の人とか仁美の中の人がナイーブになるからやめろよ!
前回の騒動のおかげで、嫌でも注目が集まる今回だったが、むしろちゃんと「話を作りに来た」ので好印象でした。あれだけ世論ではキュゥべえが悪者扱いされ、魔法少女への勧誘についても、やれ悪徳業者だのやれ詐欺まがいの恐喝だの言われていて、そのあたりの見る側とキャラクターの温度差がどの程度のものか、というのは無視できない因子になっていた。マミの一件があってなお、キュゥべえがまどか達を勧誘し続けていたとしたら、それこそ悪魔の所業。そして、まどか達がそのことに恐怖心を持たなかったとしたら、流石に異常である。 マミの喪失というファクターは予想通りにまどかとさやかにショックを与えており、2人の中で「魔法少女になる」などという選択肢は無くなった。「優しさがより大きな悲しみを産む」とほむらに言われたまどかは、マミを犠牲にして自らの進路を修正した己の行為に慚愧の念が強いようだが、だからといってわずかな期間に育んだ友情のみを代償として、命を賭けるような行動に出ることは出来ない。「あたし、無理」の一言が全てを物語る。既にこの世にすら残っていないマミの幻影にひたすら謝り続けながら、見てはいけないものに出会ったことへの後悔ばかりが先に立つ。 一方、さやかもマミの死に対する衝撃は大きいが、彼女にはもう1つの「人生の喪失」の物語がある。不慮の事故によりそのアーティスト生命を絶たれてしまった不遇の少年、上條恭介。恭介に強く思いを寄せるさやかだったが、これまでただひたすら信じ続けていた彼の回復と、日々の献身に対する自己満足。「恭介はいつかまた演奏が出来る。自分はそんな恭介の為に頑張っている」。そんな幻想が、ふとしたきっかけから全て崩れ落ちた。「自分は嫌な奴だ」とエレベーターの中で独りごちた彼女。前回3話の中でも、マミから「献身が望みであるのか、献身による自己の幸福感が望みなのか」と問われ、そのスタンスは揺らいでいるところであったがために、この変化は、彼女の人生を変えるのに充分なインパクトがあった。 かたや、友情を育んだとはいえ、つい先日であったばかりの、素性もよく分からない「先輩」の死。かたや、自らの人生を捧げてすらいる気になっていた、最愛の人の「喪失」。天秤にかけた時に、彼女の中に既に選択の余地は無かった。マミの命を賭した「訓戒」とほむらの「忠告」を無視し、さやかは魔法少女になった。 やはりこの作品は、「魔法少女になるとは」という部分が最大のテーマとなっているらしい。このテーマ設定は実はものすごく斬新で、過去のアニメ作品ならば1話で確実に終わらせている部分だ。「魔法が使えるってどういうこと?」「これまで持ちつけなかったような力を得て、環境や自己が変わらないことなんてあるの?」「そもそも、何で面倒なのに魔法少女の任務なんて引き受けちゃうの?」などなど、誰もが何となく考えていたような疑問を、徹底的に「ひどい」シチュエーションで掘り起こしたのが、この作品である。その結果として、メインヒロインであるまどかが全く魔法少女になりそうもないという看板詐欺が実現しているわけだが、窮地に陥って選択の余地無く魔法少女の任を与えられたマミ、悪魔の誘惑のごとき「安易な」解決に手を出してしまったさやかと、それぞれに異なった動機が設けられた。「魔法少女になるなんて、ひょっとしてこれくらいの覚悟が無いとだめなんじゃないの?」という、ライターの悪意がにじみ出ているようだ。 悔恨と恐怖に留まり続けるまどか、一時の激情から禁断の麻薬に手を伸ばしてしまったさやか、それを険しい顔で見つめるほむら、新たな火種杏子、そして、未だ真意の読み取れないキュゥべえ。まだまだ先の見えないこの作品だが、シャフト演出だのなんだのという些事はさておいて、純粋に楽しくなって参りました。 今週は(今週も)、本当に印象的なシーンが数多く、列挙していくと、まずは台所でまどかが泣き出すシーン。「生きているとパパの料理が美味しい」って、突然そんなことを娘に言われた両親はどうしたらいいやら。弟さんの声がナニなのでさらに涙を誘います。そして、屋上でキュゥべえと会話している時のキュゥべえのひどい台詞、「非難できるとしたら魔法少女の運命を背負った者だけ」。いや、その理屈はおかしい。ほむらとまどかが2人で歩く帰り道、ほむらの放った一言「魔法少女の最期なんてそういうものよ」。いや、過去にそこまでの覚悟がある魔法少女なんて見たことねぇし。 しかし、やはり今回の最大の見せ場は、病室での上條君ご乱心のシーン。CDプレイヤーを叩き割るという、リハビリ中の身とは思えないパワフルな行動に出た上條君に対し、さやかは決定的な一言を放つ。今回のサブタイトルにもなっているその台詞は、「奇跡も、魔法も、あるんだよ」。そして窓の外を見れば、そこには1つの影……「そっちは駄目ぇぇぇぇ!」と叫ばずにはいられない、痛々しさの溢れる名シーン。来週もきっと、怖い。 PR
予想外のことが起きるんだろうと覚悟しながら見つつも、やっぱり予想外な第3話。「画面がちぐはぐだし、製作側は穿った血だまりな見方をさせたいのかどうか分からないなぁ」と斜に構えてみていたはずなのに、もう、もろに血だまり方向に進んでるじゃないですか。こうなってくると、何が起きても「意外」ではないぞ。
今回は、2話かけてずっと描かれている「魔法少女になるとは」「人生における最大の望みとは」という点がさらにクローズアップされ、メインキャラクターのより深い部分へと踏み込んでいく。マミの魔法少女としての活躍を後ろから見学し続け、さやかとまどかは自然に「魔法少女になる」という方向へ歩を進めている。確かに、颯爽と魔女を退治し続けるマミを見れば華々しいものであるように見えるし、その上で「願いが何でも1つ叶う」という提案も魅力的だ。 しかし、魔法少女になるというのは生半なことではないと、マミは釘を刺す。さやかの願いの種類を察し、「自らのためか、それとも他者のためか」と問いかけたり、まどかの何とも不思議な動機にもすぐに頷かなかったり。これまではあまり言及されてこなかった「魔法少女になること」のリスクについても、多くは語らずとも臭わせることはしていた。 利己であるか利他であるか。そのことは個々人が活動するための最大のエネルギーになると考えることも出来るだろう。さやかの望みは、一見すると非常に利他的な「上条という知り合いの治癒」であろう。それが純粋利他的である場合と、あくまで他者に幸福を与えることでフィードバックされる自分の幸福感を望んでの場合、結果は同じだが、そこには大きな隔たりがあるという。また、まどかは仕事に打ち込む母親の姿にも、「活動するためのモチベーション」という要素を考える。仕事をすることで得られる結果を求めているのか、それとも仕事自体をもとめているのか。大好きな母親の姿を見て、まどかは自分なりの魔法少女との接し方を感じ取る。 既に魔法少女として活動を続けるマミは、残念ながらそんなことを考える余裕は無かった模様。多くは語られなかったが、どうやら命の危機に瀕した状態で、キュゥべえとの契約を選択せざるを得なかったようだ。命を長らえたことで後悔はないというマミだったが、親しくなった3人の関係性において、その動機が三者三様になってしまっているのは気になるところ。マミは純粋に己がため、さやかは他者に幸福を与えることを通じての己が幸福のため、そしてまどかは、活動すること自体に幸福を見いだすため。そんな微妙なズレを知ってか知らずか、ほむらは常にマミに釘を刺し続けていた。 そしてその時は訪れた。上条の入院している病院に現れた魔女を打倒するために結界内に侵入する4人。そこで、まどかはマミに対して魔法少女になる決意を告げる。「本当の意味での友達が出来る」と喜んだマミだったが、そのことで慢心が現れたのか、油断を突かれ、魔女に一瞬で食いちぎられてしまった。目の前で頼れる先輩を亡き者とされた2人を尻目に、ほむらは魔女を倒し、シードを持ち去ってしまう。「魔法少女になるというのは、そういうこと」。彼女にも、絶対にゆずれない夢があるのだろう。まだ入門すらしていない2人の魔法少女への道は、いきなり決定的な障壁へとぶち当たってしまった。 3話目にして、マミの死亡(?)。もう、どうにもとまらない。要所要所で印象的なカットが多い本作だが、一瞬にしてマミが喰い殺され、だらりと垂れ下がる半身が大写しになるカットは、それまでの異様な画面と違って実にシンプルな構図だ。それだけに、どうしようもないぐらいに「表すべきもの」が分かりやすすぎる。これが、この作品の悪意なのだろうか。また、そんな魔女を眉一つ動かさずに破壊するほむらのアクションも、爽快さとは無縁の悪魔的な所業。今回は魔法空間のモチーフが「病院とお菓子」という倒錯的なものであるが、これまでのイヌカレー画面とはちょっと違って華やかなイメージをもっていた「お菓子」の画面や奇妙な愛らしさすら感じさせる魔女のデザインが、一転して「血みどろ」へと転換するシーンは本当に救いようがない。これが毎週続くとしたら……どうしたらいいんだろう。 もう、世界設定や「裏側」についての考察などは無意味なのでやらない方がいいだろう。いくらでも憶測や妄想は出来るが、今の時点では何を考えても無駄だろうし、かえって頭空っぽの状態で見た方が面白そうだ。また、現時点においては、マミの活動やキュゥべえの勧誘活動については、『本心から行っている』という風に描写されているように見える。正しい視聴者ならば、そこにクリエイターの個性などは考えず、描かれた通りに素直に受け取るのがベターであると思う。ただ、途中で心が折れなければの話ではあるが。 「衝撃を与える」という目的で考えるならば、この作品は本当にハイスペック。今回はようやくエンディング画面も描き下ろされたが、シャフト作品でありながらビィートレイン作品のような印象も受ける、黒い方黒い方な画面作りは本当に容赦がない。これまで作られてきた「シャフトっぽい画面」のテンプレートが、ようやく「シャフトらしい」ではなく「まどかマギカらしい」画面になってきたのだろう。イヌカレーフィールドもワンパターンにならずのそのエピソードごとにちゃんとコンセプトが見えるようになっているし、毎回どんな「とんでもない」画面が飛び出してくるのか、期待せずにはいられない。 今週の駄目ハイライト。後藤邑子さんがべろんべろんに酔っているシーン。スピリタスを余裕で干すような人間がくだを巻いている姿は、なかなか見られるもんじゃござんせん。
引き続き異質な第2話。本当に「異質」という言葉がしっくり来る作品。「異常」とか「異様」ではなく、異質。
さて、今期の新番組の中では、どうやらこの「まどか」が話題性では頭抜けているように思われる。数年ぶりとなる新房シャフトのオリジナル作品というだけでも話題性はあるし、その食い合わせの悪いスタッフ陣は何が出てくるか分からないために、良くも悪くも目が離せない存在となっているのは確かだ。ただ、2話まで視聴した時点で、そこまで明確なセールスポイントがあるようには受け取れない。確かに異質な画面を作り出すことに成功しており、それが昨今のブランド力の影響下で「流石シャフト!」と膝を叩かれる要因にはなっているようだが、今のところ作品の内容が画面の見え(見得)と融和しているとは言い難い。あくまで「普通のラノベ・漫画の様な筋立て」を、ちょっと特殊な効果を巡らせた画面で表現しているだけであり、そこに「この画面でなければならない理由」が見られないのである。 個人的なシャフト観から言うと、新房昭之はあくまで画面のメッセージ性を重視する作家。「宇宙戦艦ヤマモトヨーコ」などで惚れ込んだ彼の画面作りにおいて、異質さというのは独特のコンテワークの結果ついてくるものであり、異質さを求めたから得られるものではない。そして、そんな彼の独特の感性が様々なクリエイターに影響を与え、「ぱにぽにだっしゅ」、「化物語」などで、作品の属性を最大限に引き出す「見得」を生み出していたわけだ。個人的にシャフトの頂点にあったと考える「ひだまりスケッチ」の1期5話(上坪亮樹演出)や2期1話(尾石達也コンテ演出)、「化物語」5話(武内宣之コンテ)、そしてするがモンキー全編(尾石達也)などは、その粋ともいえる出色の出来である。「何故その演出技法を取るのか」を、理屈ではなく、物語に埋没しながら答えが得られるためだ。 翻って、この作品の場合、現時点で「何を見せるべきものであるか」が判然としない。魔法世界からバトルまでの怒濤の流れはアニメとしてのレベルは高いし、余計なことを考えなければ楽しんだりおののいたりするのに不足はない。しかし、そこに横たわる「異質さ」の正体が掴めないが故に、どっぷりと入り込むまでは至らないのである。正確には「異質さを表示する理由」というべきか。オリジナル作品であるためにこうした敷居の高さが見えてしまうのは、ちょっと勿体ない部分ではなかろうか。 そして、そんな捉えどころの無さのせいなのか、ファンの間ではストーリーに対する憶測が飛び交っている。虚淵玄の脚本ということでただじゃすまないだろう、という読みが先立っているようだが、世界滅亡後説、全部夢説、世界ループ説、魔法少女悪人説、はてはキュゥべえラスボス説まで。とにかく「裏をかくシナリオ」の可能性がまことしやかに語られる。ただ、現段階の個人的な想像では、2話までの演出では、そうした「単なる悪意」を含んだサプライズではない気がする。 確かに、劇団イヌカレーが生み出す画面の怪しさたるや、想像を遙かに超えたものになっているし、マミとほむらの確執など、単なる「友情努力勝利」なお気楽魔法少女ものでないことは確かだろうが、「何か怪しげな事」をやるには、画面が「怪しすぎる」。「不可解なこと」で風呂敷を広げる目的ならば、むしろ後々の演出効果を考えれば、もっと「怪しさの質」を調整する気がするのである。ここまで全力投球で序盤から世界がぶっ飛んでいるとなると、そこにはむしろ物語の本質は無いのではないかと、そんな風に邪推してしまうのだ。「画面が怪しいのは、世界が怪しかったからです」って、それじゃ面白くないだろう。気持ち悪くて生理的嫌悪感すら抱いてしまう魔法世界の造形は、脚本家の悪意ではなく、もっとメタレベルの低い、作品世界の中の何かを表示している。そうでなければ、シャフトがシャフトとして立脚できないのだから。 ま、現時点ではなんの根拠もない印象論なので、数話後にはあっさりと自説を翻している可能性もあるが、今の段階では、「うーん、怪しさがとまらないな」と思いながら、しばらく慣れそうもない画面のギャップを楽しむだけである。やっぱり梶浦音楽には有無を言わさぬパワーがあるので、音響を聞いているだけでもゾクゾクしますわ。
久し振りに面白かった気がするので記事を立ててみた第9話。……いや、オープニングのインパクトだけだったかもしれないけど。とにかく凄かったよ。
シャフトでチョーさんが遊んでるのを見ると、本当に楽しそうでたまらない。同じように歌の仕事でものすごくテンションを上げていたのが「ひだまり」シリーズで歌ってくれた「男の子パズル」だ(是非fullで聞いて欲しい名曲だぞ)。ほんとに芸達者な人だよなぁ。今回はチョーさんだけじゃなくて芳忠さんとか立木さんまで絡んでたからエラい騒ぎですよ。1期も1回だけあった特殊オープニング(「タイトルなんて自分で考えなさいな」)のクオリティがやたら高かったし、シャフトらしい変化球を見せてくれるときはやっぱり輝いているなぁ。1期でマリアだけ特殊オープニングっていう時点でおかしかったわけだが、今回は誰が出てくるんだろうと思ったらまさかの高井オープニング。ありえねぇ選択肢。 とまぁ、オープニングの話だけで満足なんだけど、最近はあまり注目してなかったこの「荒川」だったが、今回はそれなりに面白かった。特にBパート以降の筋肉話は、無駄な作画の労力がきちんと実っていて、作画がちらほらやばいことがあった(むしろ「それ町」の方がだけど)最近のクオリティを考えれば頑張っていたと思う。台詞回しのキチ○イっぷりも気が利いていたし、このくらいのレベルのギャグが毎回見られれば満足なんだけどなぁ。 今回なんでそんなに楽しめたのかと悩んだのだが、多分、中の人絡みで面白かったんだろう。千和ステラが2キャラ演じ分けて無茶苦茶やるのには慣れたが、今回「変身」してしまった鉄雄の中の人は三瓶由布子である。「男の子」キャラならば経験値の高い三瓶であるが、流石にムキムキマッチョの筋肉ジャンキー役は初めてであろう。千和ステラのようにまるきり声をかえるのではなく、いつもの鉄雄の延長線上でしっかりとそのマッドな部分が出ていて、すごく新鮮だった。後半になると新谷演じる鉄郎の方も変身したわけだが……こちらは別に変わりなかったな。 シャフト作品は中の人に無茶ぶりしてくれるところが楽しめるポイントですね。「マギカ」が始まるのが今から楽しみです。
何となく方向性は分かった気がする第2話。これまでのシャフト作品の中でもかなり動く漫画なので、演出方針としては正しいんだろうな。
Aパート、何故か先生を意識する歩鳥と、買い物先で警官とのバトル。お巡りさんの中の人が千葉繁っていうキャスティングは流石に狙いすぎだと思うのだが、「あの」お巡りさんよりもよっぽど常識人の設定になっているせいで、あんまり中の人ではっちゃける要素がないのは勿体ないか。演技の方はかなりトバしてるんだけど、画面でそのあたりの迫力を前面に押し出してこないからちょっと温度差がある気がするんだよね。 温度差、という意味では、冒頭からの歩鳥や辰野さんの動きもそう。なんだか無駄に枚数を使った動画になっている気がするのだが、残念ながらそこは「動かす必要が無い」パート。いや、別に動いてもらっても構わないんだけど、相変わらず中の人のトーンが単調なおかげで、画面のクオリティが無駄に浮いてしまっている。なんだか「実験的に色々な動きを取らせてみていますが、ストーリー上、画面は無視して下さい」みたいな仕上がりなのだ。シャフトは毎回紙芝居だのなんだのと非難を受けることが多いので、余力のあるこのあたりで思い切って動かすことにしたのかもしれないが……無駄遣いっぽいよね。それとも毎週このくらいの出来で出てくるんだろうか。だったら文句も無いが。 Bパート、空回り気味に頑張る歩鳥と、それを見守るばあちゃんの話。こちらもシャキシャキと動いて、文字通り「ドタバタ」が起こる勢い勝負のネタ。お巡りさんも含めて参加人数が増えて、こちらの方がAパートよりも随分賑やか。個人的な好みの範囲だが、この作品の売りの1つにはこうした「商店街を巻き込んでのドタバタ」みたいな要素がある気がするので、Aパートよりもこういうノリの方が好きかもしれない。「大人気ない」みたいな説明臭いネタは出し方が難しいのでアニメにしたときのインパクトは弱まっている気もするが、それまでの歩鳥と辰野さんの立ち回りが賑々しくて、それだけでも何となく楽しめる気がするのである。まぁ、ひょっとしたらあおちゃんの台詞が多かったから楽しかっただけかもしれないけどさ。 「シャフトらしくない」ことは、今のところそこそこいい方向に機能しているように思える。製作期間があったのか、それなりに人の手もかかっているようだし、単純な質でいえば今期では高い方に入るんじゃなかろうか。その上で、今回は龍輪さんのコンテ回ってことで、相変わらずの癖も発揮されている。このあたりを受け入れられるかどうかの勝負だよなぁ。
マリアとステラが出てくれば満足してしまう姿勢を自省したい第3話。もう、そこだけ楽しい。すごく楽しい。
1人目・ステラ。世界で最も雄々しい「パジャマパーティー」を聴いた。髪をほどいたステラはもう桃月学園のロリっ子教師にしか見えない。でも、ベッキーの方が声はやや低い気がする。彼女の夢は巨大化らしいが、一体どこへ行こうとしているのか。Cパートの潜水モードとか、もう目標達成出来てないか? 2人目・マリア。なんであんな漫画持ってたんでしょうね。笑いを堪えて「ぷくー」ってなってるマリアさんは本当に素敵。「そのとおりねぇうふふ!」っていう台詞の言い方がドつぼ。リクが土下座しにきたとき、ちゃっかり一番いい女王様ポジションに座って見下しているさりげなさがたまりません。この2人の男性観を聞いていると、なんか中の人もこれでいいんじゃないか、って気がします。いや、気のせいですけど。 3人目はニノ。実を言うと、今回のニノがこれまで見てきたなかで一番可愛かった気がします。特に威嚇モード中。真面目なエピソードにまってしまうとぐっと見るモチベーションがさがるんだけど、ニノだけは奇人変人に徹しないで適度なヒロイン成分を維持しててもいいかもしれません。 一人だけ触れてない女性キャラがいるって? 中の人が悪いんだよ。
何かひどいものを見た気がする第2話。もう今期この作品の感想は書かなくてもいいだろうと思ったけど……あれはなぁ……
というわけで、もうたった1つだけ。画伯がひどい。もう、色々ひどい。アマゾネス=小林ゆうっていうキャスティングは、そりゃまぁ、知ってる人たちはみんな「まぁ、そうなるよね」ってくらいに鉄板の布陣で、確か某ラジオで沢城も「そりゃ仕方ないですよ」みたいなことを言っていたが、あれはどうなんだ? 最初のアマゾネスパートは別に構わんが、女子高生モードだと何を言ってるか全然ワカランじゃないか。画伯は役に入りすぎると回りが見えなくなるんだから、ちゃんと回りがディレクションしてやれよ。鶴岡さん! とまぁ、画伯の登場で全てがどうでも良くなった本作だが、中の人ネタはおさまらず、3人現れた天狗(?)は全員中村悠一。ゆうきゃんは本役がラストサムライのはずだから、これで合計4役。どんだけ頑張ってんだよ。面白いよ。 そして謎の戦隊物かぶれの新キャラ。登場時に中の人が関智一だったので「へぇ、シャフト作品でセキトモって珍しいな」と思ったのだが、まぁ、こういうキャラなら納得。確かに地球を守りそうな声ではあるからな。 あとは……特にない。今回の一番面白かった台詞は、ビリーの「まぁ小松菜でも噛め」。いい声で訳の分からんことを言うな。
満を持して、持し過ぎちゃってどうしような最終話。配信開始直後に観てたんだけど、そう言えば記事にしてなかった。どれだけ待ち望んでいたとしても、流石にここまで待たされちゃキツいキツい。
そして前話同様、待たされたとはいうものの(この作品としては)普通の仕上がり。最終話らしいまとめ方というのでも無し、「なんでこんなに時間かかったんだよ」という文句が口をつくのも致し方ないところ。ほんと、なんでこんなにかかったんだろう。シャフトが前クールまで色々と仕事を詰め込み過ぎたのがいかんのかねぇ。 もちろん、足かけ1年経過してしまった全体像を考えなければ、ラストエピソードとしての「つばさキャット」は完結している。Aパートはほとんど阿良々木がネコと会話するだけで終わる。画面も動きは薄く、無機質な背景、目のアップ、回想などが時間を埋め尽くす会話劇の後ろをクルクルと流れていく。もちろんいつも通りに文脈と一見切り離された変化は加えられており、例えば劇団イヌカレーの作った画と元絵の合作。エンディングでは実に印象的な画面を提供してくれているイヌカレー。「絶望先生」ではまるまる1話の製作に携わったりしていたが、普通の作画とのコラボレートは初めてだろうか。ネコの語る羽川の真実がどこか不可思議なデフォルメ絵と絡み合い、2人の間に交錯する奇妙な現実をコラージュする。他にも実写を交える、回想の絵に別な台詞を重ねるなど、相変わらず会話劇に含みを持たせる手際は手慣れたもの。少しずつ煮詰まっていくあやかしとの対話が、奇妙な画面の中でネコの思惑に結実する。 ネコに襲われる阿良々木。「恩人」羽川の手にかかることを一時的に諦めかけた阿良々木だったが、そこによぎるのはひたぎの存在。普通のラブストーリーなら、「ひたぎがいるから僕は死ねない」という単純な決意になりそうなところを、阿良々木さんの場合はそんな簡単には割り切れない。「自分が羽川に殺されるとひたぎは確実に羽川に復讐しちゃうから自分は死ねない」。彼の思い描く結末は確かに「最悪の」ものであるが、この最悪さは質が悪い。ネコの提案する「阿良々木が死ぬこと」の結末よりも酷い結末が羽川に降りかかり、さらにひたぎにも不幸が降りかかる。そりゃまぁ、死ねない。 そんな彼が最後に頼るのは、奇跡でも、愛の力でもなく、超越した力の権化、忍野忍。思わず彼女の名前を呟くと、待ち構えていた忍がネコを一蹴してしまう。「前回と同じ」結末であり、何ともあっけなく、適当な解決策。お話としてはどうかと思うが、これがこの物語の「結末」。朦朧とした羽川に怒られて、阿良々木も無事に日常に帰ることが出来た。 すべてが終わったことを確認し、ひたぎとデートの約束をした阿良々木。そしてラストエピソードは、忍野との別れ。まぁ、アニメ視聴者は忍野のパーソナリティがよく分からないので、彼が何を考え、何故あの場を立ち去り、それに対して阿良々木が何を思うかはよく分からない。 「終わらない日常」という幕切れ。未来が面々と続いていく阿良々木とひたぎのことを考えれば、実にまっとうな終わり方。何ともあっけない。このヘロッとした感じも、ひょっとしたらこの作品の性格の表れなのかもしれない。 まぁ、色々と釈然としない部分もあるけどね。それはそれ、これはこれ。
最終回? な最終回。まぁ、2期が確定してたみたいだし、ここで無理矢理最後っぽい雰囲気を出すこともないんだろうけどさ。それにしたってやりようがある気がするんだが。
Aパートは、これまで紹介されてこなかった珍奇な荒川住人にスポットをあてる。具体的には美容師のラストサムライと、謎のカップル、ビリー&ジャクリーン。見た目にはこれまでのどのキャラクターたちよりもぶっ飛んでいる面々なのだが(まぁ、村長も凄いが)、結局わずか15分の登場では、なかなか面白さも伝わりにくい。というか、面白いのかどうかもよく分からない。 ラストサムライは容姿のおかしさとそれに反する普通っぽさのギャップを狙っている部分があるんだろうが、それにさらに「やっぱり根本的におかしい」という要素を足し合わせようとするとややこしくなる。結局トータルすると星とかシスターみたいな既存のキャラの対応のおかしさの方に目がいっちゃうしなぁ。まぁ、日本がパラグアイに負けた直後に「サムライブルー」とかいうネタが食い込んじゃったあたりが奇跡的ではある。 かたやビリー達カップルだが、こちらは容姿のおかしさが基本的に全て。会話の内容もおかしいっちゃぁおかしいのだが、それでも散々ここまで奇人変人ばかりを見せられてきたので、ちょっとやそっとじゃ驚きやしない。やっぱり最終話でまとめて登場してきた意味がわからんなぁ。 Bパートは、さらに最終回っぽさが薄れ、子供達を手製の遊園地に連れて行くお話。先にアトラクションの名前を出されてしまうと大体オチも予想出来るという、よく言えば平常運行。悪く言えばマンネリ。今週になってようやく気付いたのだが、鉄人兄弟って「施設に対して異様に怯えている」っていう特徴以外は普通の子供なんだよね。村長のこだわりっぷりと、ぶっ飛んだシスターの「絶叫」観あたりはそれなりに面白かった部分だろうか。結局、遊園地について何も解決を見いだせなかったリクだったが、一体1人で何をしようとしていたのでしょう。 そして、最後のCパートにはよく分からない新キャラ(CV小林ゆう)が登場して,特に何もせず。さらに、宗教の勧誘のようなリクとニノの掛け合いがあってエンド。もう、訳が分かりませんでした。出来ればあの意味の分からないリク&ニノパートはない方がすっきりするんだけどなぁ。 最終回まで結局よく分からないままで終わってしまいました。今週はアバンのリクが荒川の面々に思いを馳せる映像が気合いの入った作画で期待を持ったのだが、結局いつも通りだった。この作品、何だったんでしょうか。 |
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プロフィール
HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧 |