最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
絵に描いたような大団円、最終話。いや、大団円っていうほど特別な何かがあったわけではないんですけどね。クロードのお姫様だっこがあっただけで、もうこの作品は終わりで良いのではないかと。
湯音がギャルリの人々にもすっかり認知され、街のマスコットとしても受け入れられ始めた矢先の出来事。少しずつ膨れあがっていたクロードと湯音の間の軋轢。些細なことをきっかけに、湯音の不安は爆発し、あらぬ方向へと向かいはじめた。急に姿を消した湯音に、クロードは毎度のようにテンパってしまう。そこらじゅうに湯音の所在を尋ねて回り、うっかり一番聞いてはいけないはずのアリスにまで声をかけてしまったり。そりゃぁもう、罵られるのは当然なわけで。未だ心の交流がうまくいかず、湯音とちぐはぐな様子を見たら、アリスさんじゃなくてもお冠ですよね。 そして、探し求めた湯音はやはりギャルリの中にはいなかった。なんと、ギャルリの上にいたのだ。なんとかして、自分に出来る範囲でギャルリの役に立とうと背伸びする湯音と、そんな彼女の意志をくみ取ってやれなかったクロード。二人のすれ違いは明確に現れ、湯音は一度は屋根から落ちてしまった。しかし、彼女はガラスの上で一命を取り留める。彼女が小さな子供だからこそ、無事で済んだ。 「子供であること」、「何も出来ないこと」。そんな湯音の無力感は、積もり積もってどうしようもない状態になっていた。元々このパリを訪れる前にも、姉の汐音の容態について、自分が何も出来なかったことに絶望していたのだ。遠く海を渡ったこの地でも、自分は守られてばかりで何の役にも立てない。湯音は、子供ながらに必死にその現実に抗おうとしていたが、結局うまくいかなかった。ギャルリの自分、日本での自分、何一つ変わらない現実に、湯音は参ってしまったのだ。 そして、そこに文字通り「手を差し伸べた」のは幼い頃に父を亡くし、同じような経験をしていたクロードだったのだ。ようやく湯音の窮状を理解出来たクロードは、これまでやんわりと拒否してきた自分語りを、屋根の上で始めることになる。父親のこと、グラン・マガザンのこと、そして自分のこと。結局、子供が何も出来ないことは当然であり、「そこにいることが仕事だ」という彼の言いつけは、お為ごかしではなく、本当にそう思っての発言だった。何も出来ないことは辛い。しかし、誰もがみな、それを経験して大人になり、だからこそ子供を見守ることが出来る。湯音はまだ出来ることは少ないが、それでもそこにいるだけで救われる者もいるのだ。クロードも、ギャルリの人々も、そして汐音も。 前回抱えていた汐音とのエピソードも、クロードの自分語りで一気に解決してしまうという、思い切った構成の最終回。これまで必死にあれこれ奮戦してきた湯音に対して「何もしなくていいんだ」と説き伏せるというのはある意味申し訳ないエンディングな気もするのだが、ギャルリを中心とした「人の和」というものは、えてしてそんなものなのかもしれない。1つ目の役割は「まずそこにいること」。一人一人の人間の存在を肯定的に見つつ、明日への希望があればそれでいいじゃないか、というお話。いかにもこの作品らしい、ふわっとして、誰も不幸にならない結論ではないか。 汐音のことや、カミーユとクロードのこと、実をいうとまだすっきりと片付いたわけではない問題は残っている気もするのだが、この作品はこれでいいんだろう。湯音もクロードも、まだまだ明日を生きていくのだし、その中で、問題がわき起こったり、解決したり、色々と経験していくことになるのだ。これからも、ギャルリの人々に幸多からんことを。 PR
予想外の方向から話が重い、第11話。うーむ、私がこの作品に求めたクライマックスはコレジャナイ気がするんだけど……どういう心境で見守ったもんだろうか。
前回に引き続き、商談であまり触れて欲しくない部分に触れられ、ちょいと御機嫌斜めのクロードさん。おかげでせっかくアリスが湯音を誘いに来てくれたのに、勢いでおじゃんにしてしまうくらいのツンケンぶりである。湯音とクロードの関係も随分スムースになってきたと思いながらも、どうしてもこういうときのクロードは頂けない。もう少し「幼女を相手にしてるんだから」っていう優しさをもって欲しいもんである。 もちろん、クロードだって何も学ばないわけじゃない。気合いを入れ直した湯音を見て、必要以上に自分が気を遣わせてしまったことを反省し、代替案としてみんなでピクニックに行くことを提案。めでたく、いい陽気の日を選んで「家族」3人でお外へ出発。そこで「幼女に酒」という禁断の手法を繰り出し、オスカーが一番面倒な状態を残して一時退場。心神喪失状態の湯音は、そのままの流れで今までひた隠しにしてきた姉との事情をポロリと漏らしてしまった。あまりに重たい話にクロードは一旦は話題を逸らそうとするが、ここに来て「湯音を見ない」という選択肢が責任放棄であることに気づき、意を決して彼女の過去話を聞くことに。そして、そこで明かされた姉との逸話は、湯音をボロボロと泣かせるのに充分なお話だった。気落ちする湯音と、慰めるオスカー。クロードは、こんな難しい状態で、最後に湯音に何をしてくれるのか? というわけで、最後のエピソードになるのはクロード・カミーユ間ではなく、意外にも湯音とその姉、汐音のお話だった。日本人には珍しい碧眼に生まれてしまった汐音は、それが原因で回りの人々に迫害されていたが、湯音の慰めのおかげで幸せを掴む。だが、その時に湯音がうっかりいってしまった一言が、湯音に大きな後悔をもたらしている。可哀想なのは、湯音が当時その台詞を言ったとき、当然何の悪意もなかったことだ。ただ子供心に姉を思って漏らした言葉が、結果的に姉の不幸を体現する形になってしまったという、クロードの言葉を借りれば「単なる偶然」である。それでも、信心深い湯音は忘れ去ることなど出来ず、ずるずると傷跡を引きずってしまっている。ひょっとしたら、単身でパリに渡ってきた理由も、姉との生活に息苦しさを覚えたせいなのかもしれない。この心の傷は、ちょっとやそっとで癒せるものではないと思うのだが、さて、クロードたちはどうやって湯音を元気づけるのだろうか。 意外だったのは、クロード同様に、我々視聴者も汐音の現状については全く知らなかったということだ。これまでのエピソードでも度々登場していたはずなのに、「碧眼であること」も含めて、湯音が思い悩むような状態になっているというデータは一切表示されていなかった。そのために、どうしても「幸せな姉妹」の印象が固まってしまっており、今回の悲しいお話が、あまりスッと入ってこなかったのである。どうやらオスカーは知っていたみたいだけど、確かにわざわざ進んで話すような内容でもないからなぁ。 ま、今にして思えば、能登ボイス+和装の令嬢というセッティングで、幸せ一杯の生活なんて出来るはずもなかったんだ。必ず「呪い」的なものとセットになりますよね。おっかない。碧眼は隔世遺伝だと思うんだけど、湯音の家系はどこかで欧米人の血も混ざっているのかもしれないですな。羽衣狐よりかはよっぽどマシだけど。 さて、予想外の方向に行ってしまったが、とにかく次回でなんとか湯音を慰めて、また幸せな団欒に戻ってきてもらわないと困ります。クロード、ここ一番でしっかりしてくれよ。
これこそ異国情緒ファンタジー、第10話。前回までのカミーユ嬢のあれやこれやは既に片付いた問題なんでしょうか、今回はいかにもこの作品らしい、ひっそりとして、それでいてどこか懐かしいような、唯一無二の良さが出ていると思います。
敢えてシナリオ上のトピックをあげるなら、それはクロードが亡き父親に向ける思いだろうか。これまで、クロードとオスカーの2人家族という構成には特に疑問も持たなかったために、その間に位置するはずのクロードの父親ジャンにはほとんど注目が行かなかった。しかし、このお話の重要なポイントを担っているのが「ギャルリの繋がり」であるならば、3世代にわたってギャルリの顔である看板を作り続けてきた職人の存在は無視できないものである。長きに渡り信頼を勝ち取ってきたアンセーニュ・ド・ロアの文字通りの「看板」は、親子3代で繋がって初めて、その価値があるのだ。 しかし、今回クロードは初めて父親という存在とぶつかり合うことになる。湯音は「お父様と勝負する?」と何だか楽しそうであったが、常に先代の亡霊に囚われているような感覚になるクロードからしたら笑い事ではない。伝統は守りつつも、自分は自分、親父は親父。町の人たちにも、そうした努力と信念は伝わってほしいとは思うのだが、伝統と革新というのは実に難しいバランスの上でなりたっている。「親父さんのように」と、つい悪気無く言ってしまうのも致し方ないこと。クロードは、先代を越えて始めて先代と同等に見られるわけで、まだまだ試練は多そうである。 で、そんなお兄ちゃんの苦労話とは全然関係無いところで、湯音が見付けてきた倉庫の奥の幻灯機。今回のお話は、この幻灯機を巡っての、この時代の何とも言えない不思議な「現代感」が最大の見せ場。シーツにうつして単なる影絵を投影させたり、連続写真機でそれを動かしてみたり。現代の技術からすれば本当に取るに足らないお遊びではあるのだが、湯音やアリスから見たら紛れもない「魔術」。そしてそれは、町のたくさんの大人達にとっても同じだったようで。有志で集まって見せた見事な幻灯ショーは、この時代の娯楽の雰囲気や、それを取り巻く町衆の活気なんかが分かりやすく伝わってくる名シーンであった。しかし、ちょっと呼びかけただけで昼日中からあんだけの数の人が見に来るってんだから、随分のんきな時代だったんだろうなぁ。 もちろん、湯音・アリスの可愛さもばっちりアピール済み。今回はなんと言っても、2人の描いた愛らしい猫とミミズのイラストだろうか。アリスさんは、天井画のようなダイナミックな題材の方が真価が発揮出来る大物気質のようですな。お世辞にも「動いている」とは言えないへろへろした連続写真が、一切の容赦無くショボかったのが実に楽しい。それでも2人は喜んじゃうんだから、もう、本当に可愛いったらありゃしない。今宵も素敵な時間でございました。
こういう回もあるのか、第8話。なんか、一昔前のテイストだよねぇ。画面構成や動画の付け方も、なんだか普段とはちょっと違ってて、「アイドル」とは別方向に気合いを入れていた印象。いや、割と面白かったからいいんですけど。
「ぷちます」知識として持っている「あずささんは方向音痴」という属性。「ぷちます」内だとちょっと油断するとアマゾンに飛んだりする超能力として描かれており、流石にギャグなんだろうという認識でいたのだが、今回のエピソードを見る限りでは、どうやらあながちギャグでもなかったらしい。いや、完全に笑いどころには違いないんだけど。ギャグとシリアスでやってることがそんなに変わらないっていうのは、あずささんの凄いところかもしれません。唯一違うところは「どたぷーん」っていわないところかな。 適当にフラフラ出歩くだけでもめ事を大きくし、気づいたら大団円になっているという魔力のごときあずさパワーがコミカルなドタバタアニメとして痛快。途中からどんどん「いや、そりゃねーだろ」という突っ込みのレベルが上がり、なにげに婚約相手のことを「石油王」と呼び捨てる謎の女性とかは、もうスルーしてもいいくらいのレベルですよ。そもそもあの連中、撮影現場の教会で一体何をしていたんだろうね。 そして、あずさの陰に隠れてはいるが、サブヒロインとして活躍した菊池真君。こちらも、「ぷちます」知識だと「まるで男の子」という要素がギャグとして扱われるわけだが、今回のエピソードを見る限りでは、どうやらあながちギャグでもなかったらしい。確実にプロデューサーよりも男前の真君。最初からタキシード姿でのモデル撮影の依頼だったとしたら……なんか可哀想だな。本人はどういう仕事がしたくてアイドル稼業を続けているんでしょうね。そういや、バックで流れていた挿入歌が、大して興味がない私でも知っている、あの「エージェント夜を往く」だ。へぇ、亜美真美以外でも歌えるんだ(今更)。 そして、実は影の功労者である美希についても、何度目かの大活躍。彼女が本気を出すと回りにいる者が皆惹かれてしまうという魔の魅惑があるという噂を聞いたが、どうやらあながちギャグでもなかったらしい。……なんだろう、俺やっぱりアイマスについて知らないことばっかりだな。
ずっとロリのターン、第9話。クロードとカミーユまでロリ化しちゃったら、もうこの作品のアダルトはじいちゃんしかいなくなっちゃうじゃない。子供時代のクロードは、フランス人っていうよりイギリス出身の魔法先生みたいだよな。声的に。
これまで少しずつ積み上げてきたクロードとカミーユの微妙な関係性。今回は、回想シーンをメインに構成することで、そうした過去の諸々を一気に具体化させてきた。この作品の主人公は誰なんじゃい、とは思うが、湯音は相変わらずアリスに振り回されて楽しそうにしてるので、それはそれで良いこととする。ジャパニーズ・ティーにミルクも案外良いものですよ。 改めてカミーユの過去が語られたわけだが、これまでのエピソードでも重ねて暗示されてきた物語であるだけに、今回新たに感じられる部分は少ない。とにかく身分と言う物に囚われ、同時に自分を束縛することで何かを保ってきた感のあるカミーユ嬢。作中に現れるありとあらゆるファクターが、彼女の窮屈な人生を具現化させ、あざ笑っているかのように見える。6話で登場した鳥籠状のクリノリンに加え、きつくきつく締め上げる彼女のトレードマーク、コルセット。そして前回からずっと存在感を示してきたふてぶてしい家猫に、何度もクロードとの間に立ちふさがった、重たい鉄製の裏門。全ての小道具が、ぎゅっと家の中に押し込まれるカミーユの人生そのもののメタファーである。そして、カミーユはそれを受入ながらも、完全に許容しきれず、あふれ出た不満や苛立ちを、不安定な状態でクロードにぶつけることになってしまう。 幼い頃、クロードは当然無邪気な少年であり、仲良くしてくれるカミーユとは素直に「友達」でいたいと思っていたであろうし、彼女のために労を惜しまずに楽しさを共有しようとしていた。もちろん、カミーユだって気持ちは同じであったはずだが、幼い彼女の中に、既に「鳥籠」は植え付けられていたのだ。クロードとの仲がばれたらクロードにも迷惑がかかってしまうという強迫観念と、自分は家のために上流階級の相手と結婚するのだという諦観。幼い子供が持つべきではない感情であるし、十全にその意味を理解していたとも思えないのだが、彼女の中で、それは絶対だった。精神的に幼いところにそんな無茶な拘束だけが与えられたら、確かに不安定になってしまうのは避けられないだろう。クロードの誘いの中から「家を出る」ことについてだけは強い拒否反応を示し、本当なら仲良くしたいと思っていたクロードに対し、必要以上に素っ気ない態度に出てしまう。悩めるお姫様は、その歪んだ心理状態を解決出来ないまま、大人になって「ごまかすこと」だけを覚えてしまった。はたして、彼女とクロードの最終的な着地点はどのようになるのだろうか。 こうしてみると、気の重い生活を強いられていたカミーユを救ったのが、妹のアリスであったことが再確認できる。奔放なアリスの存在は、姉のカミーユにとって、「叶わなかったもう1人の自分」でもある。自由に飛び回る妹を見て、まるでそれが自分の喜びであるかのように共有することで、カミーユはこれまでを過ごしてきたのだろう。共依存の関係にあると見れば、これはこれで良い姉妹像なのかもしれない。
まさかの舛成コンテ回、第7話。確かに言われてみれば……って、すみません、分かりません。流石に単発コンテで見抜けるほどの習熟度は持ち合わせておらんかった。要精進じゃな。
今回は慎ましい生活をしている側の代表選手であるやよいと、あり得ない富豪生活を送る伊織を対照させたエピソード……と思いきや、実際は経済状態についてはそこまで深いテーマとしては扱っていない。まぁ、貧乏人が云々とかいって苦労話でみせようとすると、あまり見ている側も気分がいいもんじゃないし、アイドル間で意識しなきゃいけないほどの格差を意識させても何の得も無いですからね。貧富の差については、序盤に伊織がさらっとネタにする程度で、今回はやよいの生活態度から「アイドルを目指すということ」を描きます。 実を言うと、これまで見てきた中では一番中途半端な立ち位置に見えていたのが高槻やよいというキャラクターであった。どうにも「ゼノグラシア」の時の小清水やよいのイメージが強くて、ああいう突き抜けた元気要素が無いと、あとは「ぷちます」で得た小銭属性だけしか残らず、しかもこれまでのアニメの中ではそこを掘り下げる機会もなかったために、「単にふわふわしてるだけのよく分からない娘」という程度の認識だった。声の出し方なんかもちょっと俗世から隔離された感じのキャラ造りになっていて、正直、あんまり興味の湧くキャラクターではなかった。 しかし、そういう「どこかぼんやりして頼りなさそう」なキャラが、ひとたび自宅に戻ると一家を統べる長としてきちんと機能しており、下の兄弟たちからもちゃんと尊敬されているというギャップは、キャラ造りの上ではなかなか上手い。もちろんどれだけ自宅で頑張ろうともアイドル稼業での駄目っぷりは帳消しにはならないだろうが、「この子ならばどんな苦境にあってもその内乗り越えてくれるのではなかろうか」という静かな期待感が得られるので、自然に応援したくなるという仕組みである。実際、庶民派アイドルというスタンスは他のキャラには無いものだし、目線の近さを売りにするなら、こういう「守って上げたい」タイプの方がニーズにはあっているのかもしれない。 そして、今回はそんなやよいの見せ場に加えて、それを真逆にしたはずの伊織にも出番が多かったのが見どころ。金持ちキャラってのはこういうエピソードでは世間知らずをひけらかして周りをドン引きさせるのが常なのだが(実際、同じ声のキャラであるナギとか大河なんかは、周りを意に介さない金持ちっぷりが純粋にいけ好かないキャラになっている)、伊織の場合、きちんと高槻家の環境に馴染みつつ、「兄や姉がいる立場」という共通点を利用してやよいの弟と気持ちを通わせることで、庶民階級との接点を設け、精神性の成長を見せるというそつのない動きを見せている。伊織は「ハプニングを通じての成長」で、やよいは「これまで見せてこなかったしっかりした顔」という、2つの見せ方でキャラクターの新しい魅力が出ているので、なかなか充実したエピソードだったのではなかろうか。ちなみに響は……まぁ、どこにいても使いやすいのでね。ゴーヤって味噌汁にも入れるものなんですね。 そうそう、いつものように挿入歌や新しいエンディングで歌唱の方も披露してくれたわけだが、個人的に、キャラを前面に押し出して賑やかさや朗らかさを見せるやよいの歌唱は結構好きかもしれません。
アリス嬢のあふれ出るクリエイティビティに驚き隠せない第8話。天井画ってものすごい労力がいるんだぜ(ソースはギャラリーフェイク)。適当な絵とはいえ、あれだけ大きな作品を子供の手1つで作り上げたアリスの才気は将来パリの藝術シーンを塗り替える気がするぞ。
さて、前回の風邪引き騒動が収まり、クロードを伴って再びブランシュ家を訪れた湯音。歓待の仕方も随分慣れたみたいで、アリスは適度に引きずり回しながらも、お茶を出したり、おとぎ話談義で盛り上がったりと、なかなか順調な交友関係を築いている。特に作中でアリスが文句を言っていた「おとぎ話における男尊女卑の現れ方の国民性」議論はなかなか興味深いものだ。言われてみれば、日本の昔話ってそこまで男性主権で話が進むものは多くないよね。「おじいさんとおばあさん」なら平等な家庭だし、「○○太郎」みたいな物語は男が主人公だけど、全部武闘派だったり幸せとは限らなかったり、女性蔑視というよりは「女性がたまたま描かれない」物語だし。「かぐや姫」「鶴の恩返し」なんかは、女性主体で女性の意識をクローズアップする作り。なるほど、案外昔から日本人の男女観ってのはフラットだったんだな。 で、そんな「男女の関係」について、今回いよいよカミーユ様が吼え始めた。これまではおしとやかで気品溢れる令嬢を演じ続けていたカミーユ・ブランシュ嬢。その立ち居振る舞いは相変わらず完璧なレディであり、クロードを手玉にとって翻弄する様子は見事な上流階級っぷりではあるが、人間関係については諦観を越えたドロドロとしたわだかまりがあるらしく、なかなか表に出てこなかった「鬱憤」が、今回ついに湯音を相手に漏れ出てきてしまった。突如湯音を相手に繰り出された数々の辛口コメントは、これまで見せてきた淑女の顔とは一線を画す、「女の鋭さ」が見え隠れしている。突然色んな方向から予想外の釘を刺された湯音も、恐縮を通り越してぽかんとするしかない。 アリスは一切持ち合わせていない、カミーユならではの「身分故の悩み」。彼女は「結婚すらも一族繁栄の道具」と語る通り、自らの立場をわきまえて色恋にうつつを抜かさぬように心に誓っているようだが、身近にアリスという自由の化身がいることもあって、鳥籠の中の生活には腹に据えかねる部分も多いみたいだ。アリスと違い、クロードという直接的に心をかき乱す相手もおり、「良い子」でいることによる負担は並大抵のものではない。しかし、なまじ物わかりの良い性格に育ってしまったため、もう自分が引き続けたレールからは逃れることが出来ない状態になってしまった。だからこそ、奔放なアリスには憧れのまなざしを送り、これまで見たこともない文化の申し子であり、既知の世界では計り知れない湯音に対しては小さな敵愾心を燃やすのである。 野良猫のようなアリスと、絶対に家から出されない家猫が象徴するカミーユ。どちらが幸せなのかは一概に言えないだろうが、少なくとも、今回の作中において、野良猫は元気な声でニャーとなき、自由を謳歌しているのに対し、家猫は窓辺に横たわって外を眺めるのがせいぜいである。そして、クロードはどちらの猫も得意じゃない…… ふぅむ、どこもかしこも、そう簡単にはいかないようだね。 今回はカミーユメインで、少しじっとりとした中身に食い込んでくる内容だったが、やはりそんなことはどこ吹く風で、アリス嬢は元気いっぱい。個人的にお気に入りなのは、現時点でも充分に幼いアリスの、更に幼い回想シーンでの活躍である。紙芝居だけでなく巨大なパネルを用意して自分なりの物語を綴ったり、この時分から既に没入していたらしいジャパネスク趣味をそのまま創作物語に取り入れてみたりと、実に伸びやかな感性が、富裕層のどこか気怠げな世界観とは一線を画した新鮮な美術センスを見せてくれている。好奇心旺盛な上に克己心も強く、このまま日本とフランスの文化親善大使にでもなってくれれば、両国の友好に大きな力を貸してくれる大人物になるのではなかろうか。やっぱりパリジェンヌは芸術に理解があってこそだね。 まぁ、それとは別に、今回もあおちゃんボイスが響き渡ったのがたまらないね。普段のアリスでも充分幼い声の「ロリ役」なのに、回想に入るとますますそのロリ度に磨きがかかり、きちんと子供が年齢別に描き分けられているのが分かるのが流石。最近は「うさぎドロップ」のおかげでリアル子役の声を聞く機会が増えたが、あおちゃんはリアルを飲み込んで更にワンランク上のバーチャルロリを実現させているのだ。やっぱり本職は化け物だし、あおちゃんは核弾頭なのである。
竜宮小町が実在のアイドルだったら一体どういう立ち位置になるのだろう、と思い悩む第6話。やっぱり実際に歌って踊っているのを見ると、なんか妙な組み合わせだ。ロリ2人と保護者1人のアイドルユニットって、ちょっと斬新過ぎやしないだろうか。律ちゃんも思い切ったことしたもんだなー。
今回は誰のお当番回になるのかと思ったら、竜宮小町のデビュー経過というイベントが挟まったおかげか、特に中心人物はおらず、強いていうならプロデューサーが功を焦るイベント回。確かに、わざわざ入社したプロダクションのアイドル達が「仕事無くてだらだらすること」に慣れきってしまっており、その一方で自分以外がプロデュースした企画が当たって意識改革までおこしてるって言われりゃ、社会人なら誰でも焦る。「自分がしっかりせにゃ」という気になる。でもまぁ、そこは身の丈にあった仕事をしろ、というお話です。 焦れば焦るほどとんちんかんな采配をふるうことになってしまう駄目P。明らかなミスキャストの連発に加えてダブルブッキングまで引き起こし、ついには本来面倒をみなきゃいけない女の子達に心配される始末。うむ、なかなかの駄目人間だ。しかしそこはアイドル育成がテーマのこの作品のこと。指示する側がヘタレでも、1人1人がきちんと目標を持って活動を続けていけばいつかは花咲くときも来るはず。みんなが一丸となってもめ事の解決に成功した。結局、焦ったところで何もいいことはないので、適材適所できっちり仕事をしましょう、という結論である。 しかし……いくら人数が多いとは言え、こんだけ個性的な面々が集まってる事務所なんだから、キャスティングは大して難しい仕事じゃない気がするんだけどな。雪歩やら響やら貴音やら、「何が得意」というステータスより「何は絶対無理」っていう人材が多いわけで、消去法で仕事を埋めてけばミスもでなかろうに……まぁ、アイドル名乗ってるくせに人前に出られない雪歩とかに問題がある気はしますけど。「プロデューサーが信頼してこの仕事を任せてくれたんだから、きちんとやりきろう」という発憤の仕方は出来ないものかね。 今回は竜宮小町がテレビライブシーンを見せてくれたのでこれがまず際立っていたことに加えて、美希が珍しくやる気を出し、そのチートっぷりを見せ付けてくれたのが印象的。どこかでみた情報だけど、ステータスの高さで言ったら美希が他のキャラクターを抜いて圧倒的らしいですね。ただ、気分屋なので機能するタイミングが限られているというデメリットがあるだけで。うむ、シミュレーションゲームとかだと壊れ性能になるか全く使えないかのどちらかになるタイプだな。個人的には、律子を後衛において真や響を突っ込ませ、貴音で機を窺うプレイングが好みです(よく分からん)。 今回の「プロデュースゲーム」的な内容を見ていて、「声優育成ゲーム」ってのを作ったら面白そうだなー、とも思った。何人か駒を獲得して、それを適材適所でオーディションに割り振って仕事を稼いだり、アイドルユニット作って売り飛ばしたりするゲーム。当然フルボイス。難度1の入門編が青二や俳協や81、個々のユニット能力は高いけど数が少ないのでスケジューリングが難しい大沢、数も質も豊富だけどアイドル売りの条件がやっかいなアイム、しばらくすると社長が問題を起こして一気にイメージが下がるアーツ、最初弱いけど補正値がでかいプロフィット。そして時節柄がんがん難度が上がるバオバブ。「役者たちの他事務所流出を食い止めろ!」。あれ、面白そう。
雨降って地固まる、を分かりやすく説明してる第7話。これを別の言葉でいうと、「いつも通りの話」というのである。分かりやすさは時に武器にもなるのです。
シナリオを簡潔に書くと、「またクロードと揉める」→「風邪を引く」→「幼女が倒れちゃったもんだからクロードがなんか罪悪感に苛まれて勝手にツンデレぎみに謝ってくる」→「Happy end」という流れ。うむ、分かりやすいし、阿漕だな。でも、これでいいな。今回もちゃんとアリスは大活躍してくれたし、特に言うことはありません。「おかゆの作り方は知ってるくせに臼や筆はしらんのかい」とかは、当時の情報網がどのようなものだったのか分からないので突っ込まないでおきます。 さて、今回はいつも以上に湯音とクロードの間のギスギスっぷりが加速しており、一時はクロードが「湯音を強制送還するか……」まで考え始める始末。湯音も一人で抱え込んで悩むタイプだけど、クロードもよっぽどだよね。個人的には、あんまり一緒に生活したくないタイプである。ただ、今回の問題については、一概にどちらが間違っているとも言い難く、人種や国籍を別にしてもなかなか難しい問題だ。大ざっぱに言えば、性善説を信じる日本人と性悪説を唱えるフランス人の諍い。 客観的に見れば、流石に湯音の態度は不用心が過ぎる上に一介の使用人としては出過ぎたまねをしていると思うし、クロードはクロードで、ちょっと物言いが粗雑すぎる気もする。最初のうちは「まぁ、今回のことは湯音の方がちょっと悪いかな……」とか思って観ていたのだが、クロードが「子供は野獣」だの「あいつから悪い病原菌をうつされた」だのと言い始めた時には、「ちょっと偏見が過ぎるんじゃないか?」と思ってしまった。これも日本人的な考え方なのだろうか? そもそも、「子供は理性のない野獣」という考え方にびっくりだ。日本人ならば、普通は湯音がいうように「子供とは純真無垢の象徴」という認識が一般的であり、子供に対して慈愛を与えろ、というのが当然。いかに浮浪者の子供とて、それを迫害せよ、という教えは出てくるはずもない。おそらく日本にも貧しい子供、盗みを働く社会層の子供もたくさんいたであろうが、それでも一般的には「子供を信じる」方に傾く。しかし、こと生活がかかった商売人目線からすれば、それだって理想主義の安易な物言いであるのは確かなのだ。ふむ、やはり道徳という概念は難しいものである。ただ、この作品の場合にはただ1つの大前提、誰もが守らねばならぬ金科玉条がある。それは、「湯音は正義」。うむ、それなら仕方ない。 |
ブログ内検索
リンク
最新記事
(01/22)
(01/22)
(01/21)
(01/21)
(01/21)
(01/20)
(01/20)
(01/20)
(01/19)
カテゴリー
プロフィール
HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
アーカイブ
|