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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 綺麗だなぁ、可愛いなぁ……最終話。ホントに良い物を見せてもらったわ……ボロボロ泣いてるんだけど、何も悲しくないのでニヤニヤしながら泣いているという、傍から見たら気持ち悪さマックスの状態での視聴になりました。

 正直、そんなに明確に泣くようなポイントがあったわけじゃないとは思うんだよ。実際、るるの最後を看とった冒頭のシーンなんかは、前回たっぷり味わったのでそのまま自然に流せるようになっていたし、そこさえ乗り越えてしまえばあとは「悲しい」部分は一つもない。しかし、これまでの蓄積が1つ1つしっかりと答えを出していくごとに、やっぱり感極まる部分はあるものでね。二匹の熊が喜び踊り狂うシーンなんかでも、無駄に泣けてくるのはどうしたことだろう。

 今回最大のトピックは間違いなく「紅羽の真実と、紅羽の選択」である。ここまで3人の主人公を中心にして様々に視点を変えながら物語は展開していたが、やはり最終的には紅羽の物語に落ち着くことになった。言われてみれば確かに不自然な部分ではあったのだよね。「銀子がヒトになることを望んだために紅羽が記憶を失う」っていう因果関係は。「銀子が好きを失う」というのであれば、それは「銀子が記憶を失う」べきだった。実際、真実は裏返しの構図になっており、あの日銀子がヒトになることを望んだのは、銀子自身ではなくて紅羽の方だった。断罪のコートは、それは彼女を傲慢であると責めたが、幼い子供にそれを判断しろというのは無理な話だろう。「彼女が熊だからいじめられるのだ」と認識すれば、「彼女が熊でなければ」と思うのは当たり前のこと。そこに代償としての「好きの剥奪」を迫られても、小さな子供にはそれが釣り合った条件なのかどうかを判断することは出来ないだろう。結局、紅羽はこうして一番の「好き」を失い、銀子は熊の世界へ戻され、「ヒトと熊の間」で長い年月を待つことになった。これまで銀子は自分のことを罪熊だと言い続けていたが、改めて見れば、自分勝手な想いから銀子に厳しい人生を強いた紅羽も充分に「罪人」だったのかもしれない。

 その後の時代についてはこれまで語られた通りであるが、この記憶を紅羽が思い出したことで、彼女の決心は確固たるものとなった。銀子から紅羽へとかけられていた愛情は純粋に彼女の本心であり、彼女が壁を越える願いを抱え、ここまで苦労し、命を投げ出すまでの指命を果たそうとしていたのは、全て紅羽自身の責任だったのだ。となれば、もう彼女にこれ以上の負担を強いることは出来ないし、今度は紅羽の側が責任を果たす番である。クマリア様に改めて願う。壁を取り除きたい、二人で壁を越えて本当の好きを手にしたい。彼女を嵐に巻き込み、鏡を割って手を差し伸べてもらったのだから、次に紅羽がするべきことは、手を伸ばしてそれに応えること。自分を破壊し、紅羽は熊との境界を越える。

 好きが届き、クマリア様は再びその姿を取り戻す。これまでのモノローグなどから分かっていたことだが、その姿は泉乃純花のものである。純花の姿をした眼鏡のクマリア様が降臨し、ユリを承認する。そこでの紅羽は、純花の姿を見ても一切の躊躇いを持たず、その視線の先には銀子だけがいた。純花は大切な友達であり、彼女の「好き」を取り戻してくれた大切な人であることに変わりはない。しかし、今彼女が応えるべきは銀子であり、彼女を受け入れ、彼女に受け入れてもらう時に、そこに純花を介入させる余地は無かった。二人のユリは承認され、本当のキスを交わした2匹の熊は、そのまま次の次元へと旅立つのである。

 「次の次元に旅立つ」という結末は、常人には理解し得ないものである。彼女たちは一体何を成し、これからどのようになっていくのか。それは誰にも分からないが、少なくとも物語はここで間違いなく終わる。澪愛の描いた絵本もここで終わり、アニメもここで終わるのは間違いないだろう。しかし、それでも時間は進み、世界は続いて行く。彼女達が去った後にも、この世界には断絶の壁が残りつづけているし、学園はそのままの姿でヒトの世を作り続ける。その代表となったのは、最後までヒトとして、嵐の中心を維持し続けた大木蝶子である。残された「ヒト」として、蝶子は最後までめざましい活躍を見せてくれた。「壁を越える者への嫌悪」を強く示し、最後まで「私たちは透明であらねばならない」「悪は排除すべし」の姿勢を崩さずに透明な嵐を維持し続けた。「透明になったら、誰があなたを見つけてくれるというの」という紅羽の訴えに対しても、彼女は一瞬の躊躇いこそみせたものの、最後の最後まで、理屈ではなく信念で「透明であること」を崩さなかった。なるほど、これまでたくさんの「ヒト」が透明であることを望み、そのたびに熊に滅ぼされてきたが、最後の最後まで残った蝶子こそ、ヒトの体現者、嵐の体現者として最良にして最適である。熊へ辿り付いた紅羽を見て、他の生徒たちがその力を維持出来ずに挫けていく中で、彼女は必死に叫び続けていた。「迷うな」「考えるな」。それこそが「透明な嵐」であるための条件。彼女もまた、自分の世界を求め、貫き通したもう一人の主人公であったのかもしれない。

 透明な嵐には、常に「悪を排除する」ことが求められる。このことは、不可思議な矛盾を孕んでいる。何しろ悪になってはいけない、異分子はいけないと言い続けながら、その異分子を常に内部に見出し、排除することでシステムが回るのだ。椿輝紅羽という「悪」が消え去り、ヒトの世界は平穏になった。しかし、システムはまた次の悪を求め続けている。新たに登場した亜依撃子は、クマリア様をその目で認識してしまったおかげなのか、サーチイビルの最中に集団を抜け出し、排除された百合川このみに手を差し伸べた。彼女は新たに壁を越える存在として、嵐の中に飛び込んでいくことになる。最終的にこのみさんはとてもとても美味しい役回りになってちょっと嬉しい。サイボーグ熊にされたときには本当にどうなるかと思ったものね。毎週ゲスゲスビリビリいうだけの機械になるのって、どの熊よりも悲惨な扱いじゃないかと思っていたのだけど、最後にこういう救いが差し伸べられるのは良いな。常に嵐があり、熊があり、そこにユリがあるのだ。

 また、当然といえば当然だが、るるの物語にもきちんと結末が用意されていたのは嬉しいところ。そうだね、るるは銀子に想いを伝え、好きを、未来を残して退場したわけだが、彼女にはまったく同じようにして無償の愛を訴え続けていた大切な弟がいたのだった。ひょっとしたら、最終話で最大の救い、ハッピーエンドが与えられたのはるるだったのかもしれない。初めて心からの笑顔で会話出来た姉弟の笑顔は、本当に眩しい。みるんと2人で幸せに過ごせるといいなぁ。

 いい最終回だった。ユリに幸あれ、熊に幸あれ。


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 語る言葉が見あたらない、第11話。なんかもうね、最終的に出てくるのは「綺麗だなぁ」っていうすごくアホみたいな言葉になってしまう。本当に色んなところで見映えが良くて、端正で、それがつまり「綺麗」。ギブミー表現力。

 今回がラス前ってことで、これまでモザイクのように組み上げられてきた全ての要素がどんどん透けて、見通しが良くなっていく。もうここまで来れば意外なことはほとんど無く、収まるべきところに収まっていく。そして、それが全て「今まで見てきた景色」に色をつけていくおかげで、単なる説明以上のカタルシスになる。わずか12話のお話で展開されるイクニ作品なんてどうなってしまうんやと冷や冷やしていたが、この尺だからこそ組み上がる絵っていうのもあるものでね。正直、濃厚なイクニファンにとってはこういう「端正さ」っていうのがどう映っているのかは気になるところなんだけど、私みたいに必死に1クールを追いかけている人間からすると、非常に助かるし、「こんな形もできるもんやなぁ」と感心し通しである。

 シナリオラインとして今回付加された「カイソウ」は銀子の「あの日の真実」。「ともだちの扉」を開けて出会った銀子と紅羽は、あの雪原で単に「銀子が救われた」だけではなかった。気付けば幼い紅羽は銀子を背負って歩くこともままならなくなっており、結局どっちがどっちを助けたのか分からないような状態に。あんな窮地だったからこそ生まれたのが「本当の好き」なのだろうし、その状況を知っていたからこそ澪愛も2人の間に本当の好きを見出すことが出来たのだろう。しかし、そんな2人の間にもやはり透明な嵐が吹き荒れる。今更になって、最初の最初に疑問に思ったこの作品タイトルの意味がはっきりと分かる。「ユリと熊が出会って嵐が起こる」。なるほど、まさに今回展開されていた回想シーンの通りである。銀子が雪原に倒れた「熊の社会」に、まず「排除」があった。「足手まといは排除しましょう」「排除だ」「排除だ」、そう言われて銀子は死を覚悟した。そして救われて移り住んだヒトの世界、今度は救ってくれた友人が自分のせいで排除される。足手まといでもなく、群れになんの危害も加えていないはずの紅羽が、「銀子が熊である」という理由だけで嵐を引き起こし、排除されてしまう。

 この「排除」のシーンも非常に刺激的な画面になっており、文字通りに「突き上げをくらった」紅羽は、一体何をされたものなのか、ボロボロの状態で地面に横たわることになる。これ以上無い形で自己承認を否定された銀子は、熊にも排除され、ヒトにも排除されたという事実をどんな気持ちで見ていたのだろうか。はっきりと異なっているのは、ヒトと熊は排除に全く別な意味を持たせているということだろう。熊の排除は「名付けの排除」。クマカロンたちによって「ヒトリカブト」と名付けられた銀子は、個として認識されながらも「足手まといになった」ために排除された、翻って、ヒトの世界では排除を行う個人の顔さえろくに見えない状態。透明な嵐によって突き上げられた紅羽は、顔の見えない力によって名を奪われる。彼女はあくまで「悪」でしかないのである。こうして苦汁をなめさせられた幼い銀子は、「自分がヒトであれば、透明にならずに済むものを」というシンプルな気持ちから断絶のコートに初めて立つことに。いつも通りの承認を経て、彼女は一度「好き」を手放す。ここで分かる新しい事実は、澪愛が彼女のペンダントを銀子に与えた理由だろうか。以前のエピソードでは「ユリーカとの大事な思い出をそんなに簡単に手放すのは何故?」と疑問に思ったものだが、澪愛から見れば、紅羽は何らかの外的理由で銀子との記憶を消されるという異常事態に陥っていたわけだ。このような異例の事態を打開するために、彼女は自分の「好き」の象徴である、2人を繋ぐ鍵を銀子に託すことで、娘たちの幸せを願ったのであろう。

 こうして熊の世界に戻った銀子だったが、既に扉を隔てた向こうの世界を経験した彼女は異物にしかならず、もとより入れるはずもなかった熊の世界から追い出され、ひたすらクマリア様からの神託を待つ。その途中でるるとの運命の出会いを果たし、彼女は「本当の好きを求める」傍らで、るるから無償の「好き」を受け取り続けていたという。これまで中心的だった「銀子と紅羽」の物語に、改めて「銀子とるる」の物語が浮き上がってくる。銀子はるるに対し、はっきりと「最初から本当の友達だった」と断言している。言い換えれば、既にるるとの間に「本当の好き」が存在していたということでもある。思えば何とも数奇なもので、るるはかつてみるんという最愛の弟から「無償の好き」を提供され続けたにも関わらず、結局それを受け入れることが出来なかった。そんなるるが今度は銀子に向けて無償の「好き」を提供し続けるものの、現状ではまだそれは形を成さない。更に銀子は紅羽に向けて全身全霊をかけて「好き」を訴えているのである。この一方向性はどうにも揺るがない。「るるは本当の友達だった」と銀子が述懐した直後にアイキャッチが入るわけだが、彼女達の持つその「好き」の一方向性は、「愛の弾丸(LOVE BULLET)」として形容されるものである。

 現在の銀子は、「欲望」であると語る自己に内在する感情、百合園蜜子によって走り続けている状態だった。何度も挫けた彼女の人生、あまりの苦境に挫けそうになり、いつの間にやら「好き」が理をこえ情をこえ、本能にまで行き着いた。狩るものと狩られるもの、熊とヒトとの戦いはここに極まり、熊は嵐と戦い続けるが、嵐とヒトも激しくぶつかる。既に「嵐」の頂点へと達した大木蝶子。今回彼女はあまりにもはっきりと彼女たちの真実を語っている。「この世界に神様なんていない。透明な空気だけが世界を支配する」。結局「嵐」とはそういうものなのか。上も下もなく、支配といえばそれは「空気」なのだと。個が失われ、世界が透明になることこそが、ヒトの生きる世界なのだと。絵本を破り捨て、神の存在、好きの存在を真正面から否定する蝶子。前回までは殺熊光線のためにサイボーグ熊を使っていたわけだが、今回ついにサイボーグ熊のこのみさんも力尽き、ヒトはヒトの力のみ、その猟銃で決戦に挑む。

 対抗する熊は何を持って勝負するか。百合園蜜子は「欲望」を振りかざす熊の化身であったが、最終決戦の地へ向かう銀子は、「本当の好き」に辿り付くために、そんな蜜子を振り払い、道を違えた。自分の中の「欲望」との決別、つまりは自分との対面。やはり、月と森を隔てる鏡に映っているのは自分自身だった。千に砕き、万に引き裂くことが、2人を遮る最後の「壁」を超える手段。銀子はついに、紅羽の下へと辿り付いた。最後の「好き」をためされるその場で、どうやらこれが最後の試練だろう、ヒトからの狙撃と、熊による自己犠牲。るるは、弟のみるんがかつてそうしたように、本当の好きを与え続けた相手のために、ためらいなくその身を捧げるのである。

 今回どうにも言葉にならなかったのが2つの「綺麗」。1つは銀子と蜜子の対話だ。自己の内部との対話、なんていうととても陳腐な印象もあるのだが、蜜子はあくまでも蜜子であり、「銀子のクマ性」とかいう単純な存在には還元されない。その証拠に、彼女は退場する際にその象徴である腕章を残している。彼女が単なる銀子の野生の体現であるなら、あそこで腕章はいらないはずだ。蜜子という別個の存在を銀子の内部に取り込んで対話させることで、銀子の孕んでいた問題をものすごく端的に、非常に少ないシーンで全て語ってしまっている。この複層構造がこんなにサラリと組み込まれているというのが既に驚きだし、構造がちゃんと「百合」に還元されて一歩も世界観からはみ出ないようになっているのがすごい。

 そしてもう1つの「綺麗」はやはりラストの銀子とるるの対話だろう。るるの登場に際し、ちゃんとその前に蝶子がLINEで「ともだちの扉が開いている」という情報を受け取っているあたりに如才なさを感じるのはもちろんのことだが、ここに来ていきなりド直球で描かれる「別離」は、ここまでのお話で「死」がどんどん象徴的なものになっていたこととのギャップのために、何とも不可思議なインパクトがある。るるが銀子に与え続ける無償の愛、それは理屈では説明されないある種理不尽なものであるのだが、このシーン1つでそんな疑問が指し挟まる余地は無い。何しろ、「るる、かしこ〜い」のだから。彼女が集めて来た「好きの未来」の存在も、この物語に結末を刻むための重要なパーツとなるだろう。ヒトが否定した未来を、熊が再構築して希望を与える。この状態になって、その渦中にある紅羽はどのような決断を下すのだろう。どのように嵐と向き合うのだろう。

 シャバダドゥ。

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 サイボーグ熊とは、第10話。わざわざ機械のボディを手に入れた熊が発電の為に使われる……謎だ……。

 歴史の真実がどんどん詳らかにされていく。今回は回想とるるの供述によって、銀子と紅羽を結んだいくつかの事象が明らかになった。澪愛がユリーカに殺されたあの日、澪愛は「ともだちの扉」を通じて銀子を壁の向こう側へと送っていた。8話でそのシーンが描かれた時にはそのあたりが微妙に隠れた状態になっていたので、澪愛が扉を使って熊の世界との接続が出来たことは一応新情報だ(前回の扉の演出で気付くべきだったけども)。ともだちの扉は誰でも開閉できるってものでもなさそうだが、澪愛は「月の娘と森の娘」を執筆できたことから考えても、あの扉をある程度使いこなすことが出来たのだろう。そしてその娘である紅羽も、幼少期のあの日、無意識のうちに扉を通って銀子と出会っている。椿輝の家に伝わる何か、ってわけではなく、「本当の好き」に通じる素質の有無が扉との接続に関わっているように見える。透明になろうとする「こんな世界」の人間達は、基本的にあの扉に辿り付くことさえできないのではなかろうか。

 そして、るるがその身を賭して紅羽に伝えたユリ裁判の真実。今まですげぇ適当に「何となくこなすバンク的お約束セレモニー」くらいの認識になっていたユリ裁判。あそこでのユリ承認は、やはり「女の子」になるためには必要不可欠な儀式だったらしい。熊の世界に戻った銀子は、クマリア様の審判、壁の審査を受けて「承認」されることで、人間の身体を手に入れた。つまり、これまで見てきた熊の子たちの中で、人間ボディを持っている連中は全てユリ裁判をくぐり抜けた者たちということになる。百合園蜜子も、百合川このみも、全員裁判を受けて、その結果「何か」を選択して人間の身体を手に入れた。ユリーカ先生の裁判ははっきり描かれていたので分かりやすかったが、どうやら「人の身体」を手に入れるためには「大切な何か」を失わなければならないらしい。そして、それが「紅羽との本当の好き」だったのではないかとるるは推察している。この推論が正しいのかどうかは、現時点では確定していない。お話的にはなるほどそんな展開になりそうなのだが、実際には、紅羽は澪愛が銀子を壁の向こうに返したその日の晩に既に銀子のことを忘れてしまっており、もし銀子が「紅羽との再会のために壁を乗り越える決意をし、そのためにクマリア様の審判を望んだ」のだとすると、時系列がおかしくなってしまうのだ。澪愛の手でペンダントを受け取り、壁の向こうに行ってから初めて、彼女はユリ裁判を受けたと考えるのが自然だろう。まぁ、そのあたりの時間軸については後から事象を歪めることはいくらでも出来そうだから何ともいけないのだけども(クマリア様がどの程度の全能性を持っているかは定かでない)。

 とにかく、紅羽はあの夜のうちに、「本当の好き」の記憶を失い、更に大切な母親までもを失った。そんな過酷な人生だったからこそ、彼女は強く生きねばならなかったし、それ故に透明になることを拒んでいたと考えられる。その異質さは成長するまでの長きに渡り「悪」と認識され続け、泉乃純花と出会うまで続いたわけだ。純花との出会いが彼女に新たな「好き」を与え、透明な嵐との対立姿勢を明示化した。そこに人間世界に舞い戻った銀子が乱入し、あとはご存じの通りである。銀子が失ったものは「紅羽からの好き」、紅羽が失ったものは「記憶」と「純花」である。こうして簡単な構図にして確認してみると、銀子と紅羽の間では平等な関係性になっていないことが分かる。紅羽にとって、蘇った記憶である「銀子との好き」も本当には違いないのだが、それに加えて「純花との好き」も紛うことなく本物。そのために「紅羽との好き」だけを行動原理とする銀子と相対した時、「純花」というファクターの分だけ偏りが生じてしまう。それが、現在生まれている軋轢の原因となる。

 今回最も感じ入ってしまった場面は、るると紅羽の別れのシーンだった。全てを吐き出し、自己犠牲のうちに真実を伝えたるる。熊であることもばれてしまい、彼女が銀子に嫉妬し、取り返しの付かない結末を迎えたことも明るみに出た。そんな状況でも、紅羽はるるをかばい、在りし日の澪愛が銀子にやったのと全く同じようにして、彼女を壁の向こう側へと送り届ける。そんな献身的な紅羽を見て、るるは思わず「ともだちになれた?」と尋ねるわけだが、それに対する紅羽の返事はまさかのNO。彼女がそう返答したことには、様々な葛藤が込められていそうだ。まず、扉が閉まった後の「これでいいんだ」という独白からするに、彼女は純真無垢なるるを、これ以上「透明な嵐」の吹き荒れる人間世界の犠牲にしたくなかった。「熊と人の友情」は、銀子と紅羽、そして澪愛とユリーカがかつて結んだ関係であるが、それは超えてはならない禁断のつながりであり、2つの前例はどちらも悲しい結末を迎えている。結局、これまでの騒動から紅羽が受け入れねばならない教訓に「人は人、熊は熊」という厳然たる区別である。銀子のこと、るるのことを思えばそんな残酷な事実は受け入れたくないだろうが、るるが生き延びるため、彼女がこれ以上不幸にならないために、紅羽はるるを突き放した。彼女が一言「ともだちだ」と言ってしまえば、るるは再び壁を超えて苦難に巻き込まれるかもしれないのだから。

 そして、そんな優しさに加えて、紅羽の中で未だ熊に対する葛藤があるのも事実だろう。銀子との記憶が蘇ったとはいえ、「銀子が純花を見放した」ことも紛れもない事実。銀子との関係はアンバランスなままであり、「月の娘」の方から二人を分かつ「鏡」を砕く決心には至らない。だからこそ彼女は、そんな状態でるるだけを受け入れるわけにはいかなかった。熊は敵である。次に見つけたら殺すことになる。そう言い聞かせることで、彼女は純花との関係性を自分の中で必死に守っているのである。「受け入れない」ことを決心した紅羽の胸中、そしてその言葉を受けたるるの胸中を考えると、2人の別れのシーンは本当に切なくてしょうがなかった。

 今回は銀子がほとんど登場しなかったため、オープニングで描かれるトライアングルの最後の一辺、「紅羽とるる」に焦点が絞られることになった。るるが銀子に対して何故あんな行動に出たのかが本人の口から説明され、それでも後悔の念からペンダントを届けに来たるるを、紅羽はわざわざお風呂に入れている。最序盤では「風呂を貸して」と言ったら激怒していた紅羽が、である。特番の時に中の人たちが言っていたように、バスタブの中での関係性はキャラクターの親密さを如実に表している。このお話の中心はあくまでも銀子であるが、その回りの2人の距離もぐっと縮まっており、こんな状況でさえなければ、とても平和な「百合の園」が楽しめたかもしれなかったのである。残念無念だが……まぁ、るるはおっぱいが大きいのがよく分かって良いですよね。

 そして、そんな熊の動向に目を光らせる学園側の動きも大きくなってきている。残された学園側のキャラクターは、前回登場した大木蝶子のみ。彼女はこれまで以上に熊との対決姿勢を明示化しており、謎の組織クマタギ(略号はKMTG,熊とマタギの複合語なので、そりゃまぁ、熊を撃つのが目的だろう)を結成、殺熊光線車までもを用意した、分かりやすい「熊を殺す者」である。これまで熊が出没するというと警戒するばかりで攻撃などしてこなかった人間サイドであるが、ここに来てはっきりと「熊は見たら殺す」という態度を明確にし、これまで以上に境界の存在感が増している。このセッティングは、おそらく最終的に問われるであろう「熊と人のつながり」、つまり銀子と紅羽のつながりがいかに過酷なものであるかを明示するためのものだろう。熊は人を食べる。人は熊を殺す。そんな状況で、熊と人が互いを理解し、本当の好きを手にすることが出来るのか。……しかしまぁ、流石にサイボーグ熊はエグすぎやしませんかね。「毒をもって毒を制す」と言っていたが、そこに熊を介入させる必要性はこれっぽちも無いのだが……人間の悪辣さ、残酷さを際だたせるための措置なのか、それとも単なるクマタギジョークなのか。サイボーグこのみさん、元気そうで何よりでしたけども。ひょっとしたら、「熊と人を複合した力」であっても、熊と人が理解し合うことを認めないっていうねじれの強調なのかもしれないな。何よりも熊を憎んでいるはずの連中が熊を利用してその恩恵を受けるっていうのは、それだけで痛烈な皮肉になっているわけだし。結局、最終的には大木たちの猟銃は熊ではなくて紅羽に向けられているのも非常に倒錯的。透明な嵐の持つ暴力性の理不尽さがよく表れている。もちろん、嵐の中にいる人間にとっては、それは理不尽でも何でもない、単なる「自然現象」である。このままの調子でいくと、大木蝶子が最後まで透明な嵐の代表格ということになるのだろうか。……針島さんが可哀想やな。

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 シャバダドゥってんじゃねぇよ、第9話。コイン式双眼鏡もあるくつろぎの空間、それが断絶の壁。セクシーは名前からしてもエロキャラであって構わないわけだが、あそこまで素直に「この世界で唯一の男性性」を発揮してくれたのは希有な例だよな。シャバダドゥ。

 前回が8.5話だったので2週間ぶりの衝撃展開。1週間休みだったことは非常に苦痛だったわけだが、まぁ、特番は特番で面白い部分もあったのでまた良し。個人的には仕切りを担当してる美穂姉ぇってのが割と貴重だったのでそれを見てるだけでも楽しかったし、生田善子は地声でもるるっぽいうわずり方が特徴的に出てて、上手く行けば面白い声優になってくれそうで期待感が増した。冒頭にやった生ゴリゴリが凄く好き。あと監督はまぁ……変わらんよね。いや、あんまり昔のイクニを知ってるわけじゃないんだけど、大体あのイメージであってるわ。監督の台詞で気になったのは「スタッフも全ての人間が具体的に中身を把握してるわけではない」みたいな話(ディティールはうろ覚えだけど)。やっぱり監督の中にある「お話」を全て解題してスタッフに伝えてるわけではないのだよね。それでこんだけまとまった構成が作れるんだから、やっぱり周辺スタッフも含めてのイクニ作品なのだろうなぁ。

 まぁ前回のことはさておくとして、既にお話は9話目、もう、多分先週あたりからラストまではずっとクライマックスのまま突き進むのだろう。全12話って尋常じゃない密度にしないといけないのだものなあ。追いかける方もしんどすぎて嬉しい悲鳴である。今回は「ユリーカ編」の終幕といった趣のお話で、前回あれだけ密に絡みがあった銀子と紅羽の間に一切やりとりがなされないお話になっている。ここまでのお話では「どのように運命の2人を繋げるか」というお話を続けてきたのに、今回はまさに断絶の壁に遮られたかのように、2人の運命が二元中継で進んでいく。この「収束から再びの分離」っていう流れが起承転結における「転」の役割を果たしているのだろうね。そのために必要だった道具立てがユリーカ先生であり、彼女は今回見事に職務をまっとうして退場していくことになったわけである。井上喜久子ボイスによるギャルルルのテンションが楽しくて仕方ない。

 前回、るるからの告発によって紅羽に「破壊」されてしまった銀子。前回の引きからは撃たれるか撃たれないかは分からなかったのだが、そこは割とすんなり紅羽が引き金を引いてしまった。彼女の心情を考えれば致し方ないところではあるのだが、最終的に2人が本当の好きを見つけるのだろう、ということを半ば確信している視聴者目線からだと割と意外な展開である。それだけ銀子の犯した「罪」は重く、それを告発したるるの気持ちも重いということ。銀子はそのまま屋上から落下し、死を迎えるはずだったが、そこは軽めの奇跡、例の花壇がマジカルなトランスフォームを果たし、そこに開いたのは「ともだちの扉」。人と熊の狭間に位置するその空間で、銀子は再び自己を問われることになる。前回の次回予告で分かっていたことではあるが、まさかの蜜子さん再登場でテンションは上がる。ただ、彼女が「死んだ」のは事実であるようで、あくまでも審判の場としての「ともだちの扉」の中で銀子が自問自答するために、彼女の「罪」を代表する存在として蜜子が具現化したようである。

 銀子の中に潜む罪は、「好き」のなれの果てでありながら、ある意味では「好き」とは真逆の感情である。銀子ははっきりと「純花には死んでほしいと思った」と発言しており、隠し立てできない殺意がそこにはあった。もちろん、そこで自ら手をあげて殺すことなど出来はしないのだが、折良く(折悪しく)蜜子が純花を襲うことになったため、彼女はそれを見殺しにすることで実質的に純花を殺したのである。今回表れた蜜子はそうした彼女の「殺意」の体現であり、人ではなく、「熊」性の体現でもある。狭間の世界で「熊」が一時的に分離した銀子は自問自答の末に罪を認めたが、そこから先の行動はまだ決まっていない。紅羽に撃たれてしまったことにより、彼女はあまりに重い罪を改めて認識せざるを得ない状態になり、その罪が残っている限り、紅羽に本当の好きを望むことはできない。だとすれば残された道はただ一つ、「紅羽の好き」ではなく「自分の好き」をまっとうするために、彼女は自分の「熊」性を受け入れるしかない。クマダークへと推し進められた彼女の自我は、再び人の世界に戻って紅羽を食べることになるのだろうか(まぁ、ならないだろうけども)。

 そしてもう一方の極、人側でも、いびつな熊の妄念は実を結ぶ。ユリーカによる紅羽の醸成計画は最終段階にいたり、るるを操って銀子を排除した後には、長年待ち望んだ箱の花嫁、紅羽を食べるだけである。彼女が断絶の壁からのコールを偽装して呼び出しした時にはちょっと驚いたが、考えてみりゃ彼女は一度ユリ裁判を受けているので、壁とのつながりはあるんだった。「黒幕」としてのユリーカの行動原理はひどく分かりやすく、澪愛から受けた裏切りへの恨みを晴らすため、その娘を喰らいにいって返り討ちにあった哀れな悪役である。ただ、今回の彼女の独白を聞いていると、彼女の生まれの不幸には同情を禁じ得ない。「人に拾われた熊」という立場こそ銀子に似ている部分はあるのだが、彼女はそれ以前に「熊の社会」にいた形跡がなく、最初から「人の世界」で(とりわけ変な)人に育てられたはみ出し者。人として育ち、人を愛することを義務づけられた彼女が初めて熊として人を食べたのは、愛するユリーカに裏切られたそのときが最初であり、人でありたい、人になりたいという想いが強すぎたからこそ、彼女は自分の熊である部分を見せつけられ、意識せざるを得ない状態になってしまった。彼女の歪んだ狂気は「純然たる人」である澪愛を、紅羽を食べて「箱」にしまうことで代替されるものではないはずなのだが、「自分が熊である」ことを突きつけられた彼女には、もうそれ以外の選択肢がなかったのである。「熊が作った檻」としての嵐が丘学園があり、人をこれ以上ないほどに「人として」育てながらも、その中では自分の「熊」に追い詰められていく。何とも理不尽な人生である。

 彼女が紅羽を襲おうとしたときに(おそらく無意識に)とった行動は「かかとを鳴らす」という、あの男の残した負の遺産だった。熊の姿になるに際し、彼女がどう足掻いてもぬぐい去れない歪んだ「人」を見せるその姿が実に痛々しくて、泣きそうになってしまった。そして、彼女の最期は、自分で育て上げた「人らしい人」である学園のシステム、排除の儀に狙撃されてしまうという結末なのである。何とも皮肉な話ではないか。澪愛の写真を折って彼女が作ったのは百合の花。最初に作る手順から鶴を折っているのかと思いきや、実はユリ。「鳥→ユリ」という変化は彼女の部屋のレリーフに刻まれたモチーフであり、前回も登場したが動から静への端的なシンボルでもある。結局、彼女は「澪愛」というただ1つのゴールに落ち着き、そこで留まるしかない存在だったのだ。もっと早くに気付いていれば、彼女にも救いはあったかもしれないのだが。

 こうして、ユリーカの物語は幕を閉じる。それでも彼女の作ったシステムは回り続け、学園では新たにサーチイビルからサーチベアへと矛先を変えた排除が行われる。透明な嵐は、ただ紅羽を迫害するだけのシステムではない。彼女の意志とは関係無しに、ただ不協和を排除していく。紅羽がそのシステムに救われたという現在の状態は、透明な嵐が紅羽に歩み寄った結果ではなく、おそらく紅羽の「好き」が揺れ、彼女が透明になりかけていることの表れであろう。はたして紅羽はここから再び「好き」へと立ち戻れるのだろうか。残されたキーパーソンは、何と言ってもるるだろう。彼女の想いについて、今回ユリーカは「銀子は知っていたのに無視をした」という風に解釈していたが、るるは以前「銀子が自分の方を振り向いてくれなくても構わない」と断罪のコートで発言していたはず。彼女の気持ちがどこに向かうのかによって、銀子の行動も変わってくる。そして、銀子が「森の熊」であるか、「森の娘」であるかによって、紅羽にも変化があるはずだ。残されたのは3者の関係。オープニング映像のように綺麗な世界が待っているのかどうか……。

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 このクライマックス感、第8話。最終回直前であるかのような凄まじい緊張感である。まだ8話目だぞ。残りの話数で何すんねん。

 ついに牙を剥いた(爪を広げた)ユリーカ。彼女の名字が持つ「箱」の文字の通り、今回は「箱」という言葉が新たなキーワードとして徹底的にフィーチャーされている。まぁ、元々「壁の外と内」という概念が重要だったお話なので、「内と外を隔てるもの」としての概念が補強されただけとも言えるが。「箱」の本質は内部と外部の2つの世界を切り分けることにあり、トポロジー的にも(ものすげぇ大雑把に言ってしまえば)「断絶の壁」と同じではある。幾原作品に限ったことではないが、結局物語の進行というものは二者択一の選択を繰り返すことで進行するものであり、ドラマのあらゆる局面も、切り分けていけば「内」と「外」に二分される。これまでは「壁」というタームや、「透明か否か」という表現でそれを表してきたが、今回は新たにそこに「箱」という言葉が加わった。

 今回赤裸々に語られたユリーカの半生を追うと、この「箱」というのが彼女の人生観を左右する重要な概念となっていることが分かる。「ヒトの中に捨てられた熊」という不幸なスタートを切った彼女の人生は、一切余剰を語られなかった「彼」と呼ばれる人間によって生きながらえる(「彼」の性別に関する議論は後述)。彼は非常に明確な信念を持ったちょっと変な人間で、「大切なものは箱にしまわなければ穢れてしまう」という。そんな彼を唯一の関係者として育ったユリーカは、「純粋なもの」として彼という箱の中で育てられたが、ある時、彼は「より純粋なもの」を見つけたといってユリーカのもとを去る。この時に彼が何を見つけたのかとか、彼とユリーカがどんな関係であったのかは、今回はさしたる問題ではない。あくまで、「ユリーカに彼のイデオロギーが徹底的に植え込まれた」ことさえ理解できればいい。「箱の信念」を与えられたユリーカは箱の内外を「純粋」と「不純」に切り分けて生きてきた。そこに、「箱の外の純粋」というイレギュラーである澪愛が現れることで物語は動き、いわば「ユリーカの箱が開いた」状態へと移行する。彼女の中で絶対であったはずの「箱基準」が、澪愛というたった1つのイレギュラーで崩れたためだ。

 しかし、自体は我々の知っている通り、悲しい結末へと辿り付く。澪愛に子供が生まれ、彼女の「本当の好き」が娘の紅羽へ移った(と、少なくともユリーカは思った)のだ。ユリーカにとって、澪愛は「本当の好きを持つからこそ純粋」なのであって、自分以外に「好き」を認めた時点で澪愛は穢れてしまう。そのことを怒り、悲しんだユリーカは、再び自分という「箱」の中に澪愛をしまい込むため、涙ながらに彼女を食べることを選択したのである。その決定打となったのは、澪愛が「好きの証」であるペンダントを銀子に譲ったことであるが、彼女がそのような行動に出た意味は、まだ完全には明らかになっていない(娘の「本当の好き」を大切にしたためであろうが、そこであのペンダントを譲ってしまうのは、現時点ではいささか薄情に映る)。

 シナリオだけをなぞれば、彼女の行為自体は特に意外なものでもないし、これまでずっと用意してきた「黒幕」なので、満を持しての「クマダーク!」も「いよいよ来たか」という感じではあるのだが、ここに来て「境界性」というモチーフがはっきりと描かれたことによって、様々な含蓄を伴った、この作品そのものといえる不可思議な存在感を持つことになる。まず、今回るるがしれっと口にした「クマリア様は壁の神様だから」という一言。今まで「壁の神」なんてフレーズは聞いたことが無かった気がするのだが、どうやら熊側から見たクマリア様は「境界の維持」を司るものらしい。そういえば銀子が入れられた教会でも「壁の番熊」が「クマリア様のお手伝い」だったんだっけ。熊から見れば「ヒトとの隔たりを表す断絶の壁」は尊いものであり、2つの世界を隔てて秩序を守る大切なものである。しかし、ユリーカは何の因果かそんな壁を越えてしまった「穢れた」存在である。境界を維持することを生まれながらに否定し、ヒトとして生きることを選んだ熊。箱の教えによって純粋さを尊ぶ彼女こそが最も曖昧な存在であるというのは何とも皮肉な状況。そこで彼女は「壁」という二分法ではなく、「箱」という二分法、言い換えれば断絶の方法を学ぶ。ヒトの中で生きていく為には、ただ何かを一面的に遮断するだけでは駄目なのだ。箱の中に入れ、全方位からの隔離を成さなければ、彼女はヒトの世界で生きていくことが出来ない。クマリア様の代弁者たるジャッジメンツを前にしたユリ裁判では、彼女は最終的に好きを諦め、箱になることを選んだ。「自身」という箱の中には、食べることで同一化を果たした澪愛が入っている。ただ、あくまでそれは彼女の思っていることであり、彼女を食べてしまった時点で、既に「好き」を諦めている。つまり、ユリーカにとって澪愛を「純粋なもの」として自身の中で守り続けることは既に目的ではなく、そうして「不純だと認定したもの」を抹消することにより、何よりも自分自身の存在を、必死に箱の中に隠している状態であろう。

 そんな彼女が手に入れたのが、嵐が丘学園という巨大な箱である。もちろん、彼女の守る「箱」なのだから、不純なものを入れておくわけにはいかない。箱の中身は常に純粋であるべきだ。しかし、彼女は熊である。正確に言えば「熊を捨てたヒトのようなもの」であるが、どっちつかずであるのは間違いない。そんなユリーカが「純粋なヒト」を箱の中にしまい込むのもためらわれるし、だからといって熊を認めるわけにもいかない。そこで彼女が作り出した純粋さを維持するためのシステムが、透明な嵐ということになる。好きを諦め、「群れ」としての合一性だけを目的とした透明な嵐という存在(現象?)は、ヒトから「ヒト性」を奪い、純粋な群れを維持するギリギリのシステム。これを維持し続けることで、彼女は学園の純粋さを保つ。もし、そこに熊が現れればそれは排除する必要があるし、本当の好きを掲げる学生が現れれば、それは自らの手で処分することも厭わない。針島は、ユリーカを前にして「本当の好きを手に入れた」と宣言したがために、彼女の箱から「排除」されてしまったわけだ(排除された子供たちも、彼女の部屋にあるチェストボックスという「箱」にしまわれて純粋さを維持されるのは皮肉な措置である)。こうした「箱性」というのは幾原作品ではよく出てくるモチーフであり、個人的にはピングドラムの渡瀬が閲覧していた図書館の本箱(氷の世界)が印象的だった。

 ユリーカの「どっちつかず」の境界性は他の部分にも表れており、1つには前述の通りの「男性性」というキーワードがある。今作はタイトルに関する「ユリ」の名の通り、徹底的に「男」を排除している。何故こうなっているのか、ぶっちゃけ色々想像しながらネットでも意見を眺めてみたのだが、なんかメタレベルの高い結論が多かったのでここでは深入りは避ける。今回のお話に繋げて言うなら、「純粋さの維持」ということになるだろうか。何しろ澪愛が紅羽を授かった描写はあるというのに、そこにすら父親は一切現れない。ユリーカの「好き」が揺らぐきっかけだって、本来なら「子を成した」→「澪愛が愛した男がいる」という流れになるのが普通であるはずなのに、わざわざそこをズラして「子供が生まれたこと」をきっかけとしているくらいである。この世界で「男」を想起させるキャラクターは現時点でわずか5人(正確にはクマカロンのお父さんとかもいたけども)。そのうちジャッジメンツの3人は、「境界の守護者」だと自分たちで明示しており、明らかな超越存在であるとともに、境界的で曖昧な存在でもある。決して「好き」が絡まない「外野」としてのみ、純粋な「男キャラ」は存在出来る。4人目は、るるの過去話に登場したみるん王子である。「王子」と言っていたのだからそりゃぁ男だろうし、「好き」に関係してくる男キャラとしては非常に重要なのだが、彼の場合もまだまだ子供だったので「男性性」は強く意識させないキャラになっているし、るるとの関係性も男女の情愛とはほど遠いところにあり、あくまで「るるの寵愛を崩しかねない不穏分子」としての男性性である。結局るるはみるんという存在を破棄して銀子と行動をともにしているというのも注意すべき点だ。対して、ユリーカにとっての「彼」は絶対である。何しろ澪愛との決別のシーンでは彼の語った人生訓がフラッシュバックしているわけで、澪愛に裏切られたと思った時点で、彼女の中でのプライオリティは彼が澪愛を上回っている。まぁ「彼」と言ってもCV能登麻美子なので相変わらず曖昧ではあるのだが、「男性との関係性がイデオロギーの根幹を成している」時点で、彼女は不純であり、イレギュラーである。

 そしてもう1つ興味深い対比として、動と静の境界性というやや抽象度の高いモチーフも存在している。具体的には、彼女の居室や学園のホールに刻まれた「ユリから鳥へ」というレリーフの存在。これまであまり意味を見出せなかったこのレリーフであったが、今回、紅羽が銀子と対峙する雨の屋上のシーンで、紅羽の動揺をあおり立てるかのようにして鳥のモチーフが登場している。片方の極が「ユリ」であることから、この「鳥」は「ユリ」と対比的な存在であると考えるべきだろう。この世界での「ユリ」はジャッジメンツが承認する「本当の好き」(今回は本当の箱)の象徴であり、不動の存在である。他方、鳥というのは動物であり、動き、変化するものである。やや読み込み過ぎではあるかもしれないが、ユリーカが1つの「ユリ」に収まらず、「箱の管理人」として飛び回り、「ユリ」を切断して回っていることの表れといえるのではなかろうか。

 今回、こうして様々な側面から語られたユリーカの人生(クマ生?)。非常にエゴイスティックであり、紅羽を陥れ、銀子を亡き者にしようとする態度などは許し難いものであるはずなのだが、何故か不思議と涙を誘うものがある。彼女が失意の果てに澪愛を食べるシーンなんかは、不思議と泣きそうになってしまった。「空っぽで透明」な彼女を満たすことは永遠に出来ないのだろうか。たとえ紅羽を「食べた」としても、彼女が満たされることはないのだろうし……なんだかひどく空しい気分にさせられるお話。

 そして、こうした彼女の策謀の中、銀子と紅羽もそれぞれの戦いを続けている。母の死を乗り越え、一度は銀子を許し、本当の友達になろうとした紅羽。しかし、そこには最後にして最大の「断絶の壁」が待ち構えており、ユリーカが伝え、るるが告げた「純花の真実」が立ちはだかった。銀子にはもはや逃げる気などなく、彼女の猟銃を受けることで「本当の好き」を成そうとしている。なるほど、だからこそサブタイトルが「LOVE BULLET」なのか。「月の娘と森の娘」でも、月の娘は猟銃を握り締めて壁の前に立った。熊を破壊するための弾丸は、壁を取り払うための武器にもなりうる。立ちはだかる「境界」を前に、紅羽の決断はどのように揺れ動くのか。今回のるるの立ち位置がちょっと不憫だったので、出来れば彼女にも幸せと言える結末を迎えて欲しいものだけど。あと、これはむしのいい話であるが、出来ればユリーカも救われてほしいと思ってしまった。彼女の純粋さにも罪はなくて、ある意味「生まれの不幸」ではあるんだよなぁ。箱を開けてくれる存在、澪愛と純花。その2人の「好き」を受けた紅羽が、ユリーカも受け入れられればなんとかなると思うのだが……流石に銀子に加えてそれ以上の慈愛を示すのは難しいか。うーむ。

 今回の結論:熊を見つける一番の方法は、新巻鮭。

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 「ユリ薬局」はまだ分かるとして、「ユリ内服薬」とはいかなるものか、第7話。キン肉マンにおける「超人」、トリコにおける「グルメ」と同じで、とにかくなんでもいいからユリってつけるとこの世界風。そもそもベアトラップの負傷(包帯グルグル)+全身やけどに内服薬ってのも謎だけどさ。あくまでもイメージの問題。全身包帯グルグルで志々雄真みたいな銀子なんて見たくないしな。

 相変わらずザクザクお話が進み、各方面から話題の種を放り込んでくる容赦無い展開。色々と勝手な妄想をしている私みたいな人間からすると、そろそろ過去の憶測が自分の中でつじつまが合わずに歪んでくるくらいの時期であるが、ちょっとくらい見当違いでも清濁併せ呑んで読み進められるイクニ作品の懐の深さよ。想像するだけなら自由で、思ってた通りの演出になればそれはそれで嬉しいし、予想の真逆を行かれても「そうなるのか!」って驚いて楽しめてしまうのだから節操の無い話である。やっぱりいくら考えても考え足りずに見られるアニメってのは本当にありがたい。もちろん、そんな余計なことせずとも「来たパンチを全部受けきる」くらいのスタンスでも楽しめてる気はするけども。今回も、プラネタリウムの光がサーモンにあたってきらめくシュールな絵面とか、戦場での銃撃がそのままアイキャッチの「LOVE BULLET」に繋がる演出とか、刺激が多くて良い。

 今回メインとなったのは、いよいよヴェールを脱いだ百合城銀子の生い立ちである。これまでのエピソードの中で「椿輝家に拾われた後」と「るると出会った後」に関しては描かれていたが、それ以前の彼女の人生は完全なブラックボックスだった。今回ようやくその箱が開けられたが、まぁ、「箱の中身もなんじゃこら」って話でね。熊の国(森の国)の内部世界の言葉を解題するなら、彼女はいわゆるみなしごであり、生まれながらに(?)被っていた王冠にちなんで「ヒトリカブトの銀子」という二つ名をつけられていた。ま、当然「トリカブト」にひっかけての呼び方なのだろうが、あの王冠を「かぶと」と呼ぶのはいささか無理があるため、この呼び名で本質的に意味をなすのは「ひとり」の方だろう。熊のコミュニティで生まれながらに孤独だった銀子。そこには明確な理由は無く、何となく回りに溶け込めずにいただけ。仕方がない「トリカブト」は毒を望んだから毒があるわけじゃない。生まれながらに毒草なのである。もちろん、トリカブトも使い方によっては薬草になるはずなのだけど。

 そんな彼女も憧れはあり、いつか「本当の好き」に出会うために教会に赴き、そこではレディ・クマスターからの啓示を受けて番熊として断絶の壁の防衛任務を与えられる。家族もなく、求められることのない群れのはみ出し者に防衛を任せるというのは皮肉な話だが、「人と熊」の境界というどっちつかずの場所に「はみ出し者」を置いておくのはある意味自然ではある。「ヒトと熊の争い」という構図は、ヒト側から見ると「惑星クマリアの影響で覚醒した熊が襲ってきた」なのに、熊側から見ると「クマリア様の承認を得るため、超えてはならない境界を犯す害獣であるヒトを排除せよ」となっているのが不思議なところだが、おそらく熊にもヒトにも侵略の意図があるわけではなく、イデオロギーの異なる2つの「群れ」の接点となる境界面では、常に諍いが起こり続けているというのが現状なのだろう。ヒトはあくまで「壁」を構えようとし、熊は「番熊」を設けて備えている。どちらも侵略の意図など無いはずで、境界を越える承認が与えられれば、番熊も壁も必要ないはずなのだ。

 しかし、この時点では、まだ銀子のような「番熊」はたくさんおり、「ヒト排除!」のためにみんなきちんと仕事をしていた。逆に考えれば、この時点で彼女は特別でもなんでもない、普通の熊である。そんな彼女に転機が訪れるのは、仕事に失敗し、命すら落としかけた戦場で、女神クマリアと紛う人間の少女に助けられたこと。ヒトと熊を断絶させるのが仕事であるはずの銀子が奇しくもヒトとつながってしまい、彼女は物語の上でも、彼女の人生の上でも、特権的な立場となる。彼女が物語の中心にいるということは、それ即ち「銀子と紅羽の関係」、つまり「月の娘と森の娘の関係」が今作の焦点であるということの証拠である。このただ1つの関係性だけを見ればお話は非常にシンプル。今回与えられた一番の問題は、何故紅羽は今の今までそんな大切な「好き」の記憶を忘れていたのかという部分だが、きっとそこには未だ知られざる銀子の「罪」が関わっているのだろう。気になるのは、冒頭で澪愛が読み上げていた絵本には間違いなくハッピーエンドとなるページが存在していたこと。「月の娘と森の娘」は、間違いなく幸せな結末があり、二人は結ばれていた。そりゃまぁ、母親が娘のために作った絵本なんだから、普通はそうなる。しかし、これを澪愛が読み聞かせていた時点で、既に紅羽の記憶は失われており、澪愛の覚えていた「クマリア様のことを教えてくれたあの子」は椿輝家から姿を消しているようなのだ。この時に銀子が何をしでかしたのか、っていうのが最後の焦点かな。

 さて、今回新たに説明された部分はせいぜいこれくらい(あと、針島さんがクマショックされたことくらい)だが、相変わらず1つ1つのファクターを巡る絡み合いが興味深い。今回は大きく2つのタームについて、また新たな視点が与えられたので確認していこう。1つは「排除」。これまで「排除」という言葉が用いられたのは、ほぼ全て透明な嵐によるなんらかの行為を示すものである。排除の儀が行われ、その結果として「群れ」から除外させられること、それが排除である。今回は熊サイドの話がメインだったので「透明な嵐」について語られる文脈はほとんど無かったが、興味深かったのは学園内でうわさ話をしていた女生徒たちが、紅羽のことを「回りを不幸にする女」とだけ呼び、その名前さえろくすっぽ覚えていなかったことである。排除の儀の際には対象の名前が必要であり、排除する側は必ず名前を認識しているはずなのに、いざ儀式が終わってしまえば、矛先を向けていた者の名前すらろくに覚えてもいない。このあたりの捉えどころのなさ、「過ぎるのを待つばかりで後に何も残さない」虚無感が、「透明な嵐」の透明たる由縁である。

 翻って、今回語られた熊サイドの場合、「排除」はより明確に行われる。銀子が理不尽に迫害されていた構図は、紅羽が学園内で無意味に排除されていた構図に非常によく似ている。そして、誰とも知らぬ「透明な嵐」の排除と違い、熊側が「ヒトリカブトの銀子」を迫害する時には、どの熊にも1人1人細かく名前が設定されており、クマ美やクマーガレットやクマカロンたちが直接手を出してくるのである。熊たちは決して、透明になることを願ってはおらず、むしろ排除された身寄りのない熊たちこそが、「本当の好きを知らない透明な存在」に近い状態であった。こうして排除された銀子は、番熊となって同じ境遇の熊たちと一緒に戦場へ駆り出され、そこでクマリア様を待ちながらヒトを「排除」し続ける。だが、ヒトの反撃を受けて満身創痍となった銀子は、最終的に仲間達の群れからも「排除」されてしまう。この時に排除された理由は明確に語られており、「足手まといは排除する」「力の弱い者、まわりと同じ行動が取れぬ者が排除される」という。再び「いらない熊、ヒトリカブト」になってしまった銀子は、こうして2度目の「排除」を宣告される。ここで興味深いのは排除に至る動機付けである。「足手まとい、力の弱い者」が排除されるというのは明確に弱肉強食、鮭肉サーモンの熊側の理を表したものだが、「まわりと同じ行動が取れぬ者」が排除されるというのは、確実に「透明な嵐」によるヒト側の「排除」を意識した文言となっている。ヒトと熊の境界となる断絶の壁において、銀子がこうした「中間的排除」を受けているというのはなんだか面白い。そして、こうして「どちらからも排除される可能性がある」銀子が、紅羽と出会い、ヒトと熊を繋ぐきざはし(絵本の中で言うならば「はしご」?)になる権利を得ている。紅羽が現在悩まされている透明な嵐の「排除」に対し、有効な打開策があるのだとしたら、それはひょっとしたら「熊側の排除」を経験している銀子からもたらされるものなのかもしれない。

 そして、「排除」に抗う銀子が拠り所として持ち続けたもう1つのタームが「承認」である。今回、ナレーションを除くとジャッジメンツが一切登場しない初めてのお話であり、当然ユリ裁判も行われていない。これまでユリ裁判の中を中心に使われていた「承認」という言葉が、女神クマリアの行う救いの一環として用いられている。クマリア様を信仰し、ヒトの排除を続けていれば、いつかその者は承認され、本当の好きを与えられるという。これまでユリ裁判で行われてきた「承認」と、「クマリアの施し」が同じものを意味するのかどうかはまだ不明である(そもそもユリ裁判がなんなのかすらよく分かっていない)が、1つ明らかに異なっているのは、「クマリアの施し」は、ただ妄信的に救いを求めるだけのものであるのに対し、ユリ裁判で「承認」を受けるためには、自分の心に明確な「好き」を持ち、それを訴える必要があるという部分。銀子は既に「紅羽への好き」を持っているからこそ断絶のコートに入場することを許されているわけで、身寄りのない捨て熊が集まっていた教会とは一線を画す。そして、「本当の好きが承認」されるとどうなるのか、という部分が判然としないと、この物語のゴールは見えてこないだろう。与えられるのは誰で、与えるのは誰なのか。どうやら銀子にはそれが見えているようであるが、紅羽がそこに辿り付くまでに、あとは何が必要なのか。

 個人的に気になったのは、紅羽やるるが読み直していた絵本の声である。今回、シナリオだけを考えれば一切必要無かったはずなのに、絵本を読んでいたるるの声は、次第に泉乃純花のナレーションにスイッチしていった。そして、「境界を越えるのは大きな罪である」「好きが本物であるなら友達が待っている」「貴方の好きは本物?」といったクマリア様の言葉は、純花の声で語られるのである。「境界を越えることが罪である」ならば、銀子は既に罪熊であるが、それを乗り越えるためにも、銀子の「好き」を本物だと認め、「承認」してくれる第三者が必要になる。そして、紅羽の方も、現段階では「本当の好き」の対象が銀子に決まったわけではなく、これまでずっと大切にしてきた純花という存在が彼女の心から消えたわけではないだろう。最後に再び、「好き」の行方を巡る物語には泉乃純花が関わってきそうである。

 さて、Cパートでるるに向けて銀子の「罪」を告げたのは一体誰で、何が目的なのか。そして、銀子の「罪」とは一体何なのか。早くも(そしていつものことながら)クライマックス感満載である。ガウブルしながら待ちましょう。

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 過呼吸になりそうなほどの展開、第6話。今作は全12話らしいのでこれで半分なわけだが、正直「まだ6話しか放送してないの?」ってな密度だ。Bパート終わりの展開でグッと掴まれてそれだけで満足してたのに、そこから容赦無いCパートだもんよ。

 今回もたくさんの要素が入り交じっていて忙しいお話。今作(というか幾原作品の全て)の厄介かつすげぇところは、1つ1つの要素を何かに還元してパラフレーズする意味があまり無いところなんだ。例えば「透明な嵐」とはなんぞ? という質問に対して、それは「いじめの構図」だよ、とか「無個性の現出だよ」とか「全体主義の表れだよ」とか色々と説明は出来るのだが、そのどれもがぴったりと当てはまる「正解」にはなり得ず、結局「この世界における透明な嵐なんだよ」としか答えようがない。1つ1つの要素が、同様に曰く言い難い他の要素とも有機的に絡み合うので、結局どこから糸を解きほぐすべきなのかが見極められないところなのだ。おかげで、結局この世界は「ユリ熊嵐」として見るしかないのである。もちろん、それが出来る(代替の効かない世界を、それオリジナルとして見ることが出来る)というのは恐ろしいことなのだが。

 今回登場した順にトピックを並べていくと、まずは「泉乃純花」そのものが今回大きくフィーチャーされた最大のトピックになっている。紅羽との出会いが描かれ、彼女が紅羽に対して抱いた「好き」の根源が理解出来る。これまで、透明な嵐によって排除されていたのが純花で、紅羽がそれを守ろうとして戦っている構図なのかと思われていた部分は、実はまるきり逆のものだった。元々、透明な嵐に狙われ続けていたのは紅羽の方だった(その理由はまだ不明である)。しかし、「本当の好き」を持っていた純花は排除の儀でこれに抗い、矛先を自分に向けることで犠牲となっていた。興味深いのは、紅羽を排除しようとする「排除の儀」に、紅羽自身は一度たりとも参席していないという部分。透明な存在でなければ参加出来ないという制約はおそらく典型的なイジメの構図ではあるので、クラスメイト(というか学園全体?)は紅羽だけがいないところでコンセンサスを取り、その力を「嵐」として行使しようと考えていたのだろう。最初から「排除すべきもの」が決まっている予定調和でしかなかったのだ。しかし、そこに純花という異物が混入してしまったために、先に純花の排除に動く。ただ、この時に純花にぶつけられる力は、一切の隠匿が行われておらず、直接的に純花に退去を命じるものとなっていた。純花は紅羽と違って「嵐に立ち向かう」のではなく、「自分が嵐を全て受け入れる」形での対処を望んだため、この直接的な力に対しても、無抵抗でその意志に逆らってはいない。結局、「嵐」は針島という具体的な使者として表され、彼女は悪質な方法で純花を「排除」し、更に彼女を利用して、その後の紅羽の排除までもを企んだわけである。先週の時点で「純花は自分がいなくなることを悟ったような発言をしているが、これは何故か」という疑問があったわけだが、彼女は早い段階で「嵐による排除」を受け入れる決意をしていたのであった。ただ、結果的には彼女は「熊による排除」で退場することになるわけだが。

 そして、そんな純花と紅羽を結びつけていたもう1つのキーワードが、紅羽の母、澪愛が描いた絵本、「月の娘と森の娘」である。これまでにも、るるの過去を語るレキシとして絵本のような「お話」は登場していたが、純粋に作中で「お話」として登場したのはこれが初めて。そして、その中に描かれているのは、人間と熊の関係そのものである。「森の娘」は、描かれた出で立ちからして熊そのもの。澪愛はおそらくこれを執筆した時点で幼い銀子とは出会っていたであろうから、現時点においては彼女(と紅羽)と銀子の関係を描いた物語だと見ていいだろう。キーアイテムとなっているペンダントは、絵本の中では「月の娘が落としてしまった」ことになっており、実際には澪愛の持ち物が現在銀子のものになっているという事実だけが分かっている。「月」が人の町、「森」が壁の向こうに対応するとしたら、実際には「落とす」という自然落下ではペンダントは移動しないわけで、何らかの不可避な力によって銀子が壁の向こうに引き戻されたことへの暗示と見られるだろうか。そして、森の娘がなんとか月の娘に出会おうと必死に手を伸ばすところまでは、銀子の現在の状況に一致している。

 問題は、「月の娘」の方が、紅羽の現状と一致していないところである。もちろん、これは予言書でもなんでもない創作絵本なのだから一致する必要はないのだが、作中での意義を考えるなら、澪愛は自分の娘と銀子の間に、2人を繋げる「本当の好き」が存在することを感じ取るか、予期していたということになるだろうか。ひょっとしたら、紅羽が忘れているだけで、銀子との共同生活の中で何かもっと劇的な事件が起こっていたのかもしれない。澪愛という一個人が作った絵本であるにも関わらず、その中に登場するタームは、全て熊との関係性を表すために用いられる独特のものばかりであり、澪愛は熊側の事情にも通じていたことが伺える。彼女たち家族が、単に「熊を1人養っていた」だけとは考えにくいだろう(そういえば、様々な専門用語が飛び交うユリ裁判というのも明らかに「熊側」の制度である。裁判官は熊だし、食べるか食べないかを裁くし。クマリア様の造形もどう見ても熊だし、この世を隔てる断絶の壁を司っているのは、おそらく「作った」人間側ではなく熊の方なのだろう)。

 1つ気になるのは、絵本の中で「月の娘」が猟銃を携えて鏡に向かっていたこと。まぁ、絵本の中の「月の娘」は「森」に何があるか分からずに恐る恐る下りてきているわけで、何らかの用心をしていても不思議ではないのだが、それにしたって絵本の作品世界にそぐわないだろう。「鏡を割る」ための道具にしても物騒だが……2人を隔てる最後の防壁が「鏡」というのもなんだか気になる部分だ。最後に向き合うのは自分自身、本当の好きを見つけるためには、打ち破るべきは自分である、ということか。しかも「千に割り、万に砕く」必要があるという。「壁」を超えるための試練は、どの次元においても易しいものではない。なんにせよ、今回大きく揺れ動いた紅羽の気持ちは、このままいけば上手いこと月の娘にリンクしそうではある。

 そして、この絵本には単純なガイドライン以外にも様々な意味が考えられるのが面白い。今回のお話で一番顕著なのは、「熊と人」の関係ではなく、「純花と紅羽」の関係性として重ね合わせることが出来る点だろう。紅羽がこの絵本を最初に見せたのは当然親友である純花、しかも全裸でベッドで、添い寝で。このまごう事なき百合の園で「2人の女の子のお話」を開くのは実にストレートな含みがある。我々視聴者から見れば「森の娘」は明らかに銀子のことであるが、あのときの2人にとって(少なくとも純花にとって)、「無くしたアクセサリーを届けに来る森の娘」は、出会ったあの日にピンを見つけてくれた紅羽のことである。この絵本のこともあり、純花の「本当の好き」はより強固なものとなったのであろう。また、もう1つの関係性としては、「澪愛とユリーカ」のつながりも見逃せない。現時点では勝手な憶測だが、誰がどう見ても最後に関わってくるのはユリーカ先生であろう。澪愛が描いた「2人の女の子の関係」は、「人と熊」に還元出来る。それってつまり?……

 こうして作られた関係性を壊していくのは、透明な嵐の役目である。謎の黒幕(意味深)によって銀子たちの正体を教えられた針島は狙い通りに銀子たちを撃滅。るるの奥の手であるベア・フラッシュ(ヒカリ)で根絶にこそ失敗したが、その力を大きく削ぎ、余計な邪魔の入らない状態で、宿願だった紅羽の排除を完遂しようと暗躍する。純花の排除の際、彼女をだまくらかして手紙を書かせ、これによって紅羽にとどめを刺すというプランは、紅羽には見事に効いた。「ユリダーク!」を代表する針島の言動は実に悪辣で、バースデーパーティ中のあれこれは、本当に反吐が出るくらいに最低最悪のものである(そのくせ、ぴかしゃボイスがどこか小物っぽさもあって憎みきれないのは不思議なところだが)。純花が消え、銀子という異分子も撃退し、ついに心置きなく紅羽を「へし折る」ことが出来るようになった透明な嵐は、いよいよその力を隠さずに襲い掛かった。まぁ、「ランキング形式にしてるのに、全会一致前提のシステムってなんやねん」とか、「結局上江洲葵とか田中花恋って誰なんだろう……」とか色々気になる部分もあるのだが、気にしたら負けなやつだ。そういや今回回想シーンで排除を取り仕切ってた赤江カチューシャって、最初に食われた子だったっけ。銀子とるるは、やっぱりそこも狙って襲撃したのかな。

 紅羽を打ちのめすパーティーのクライマックスとなる手紙のシーンと、花壇の炎上。全ての方向から紅羽の心を折りにくる一分の隙もない手際。そしてそこに駆けつける銀子。今回、いつもの特徴的な着信音が銀子の携帯から聞こえるシーンは、幾原作品お約束の「バンクねじ曲げ」の1つで、こうして構図が裏返った様子を見るだけでもワクワクする。いつもなら断絶のコートで待ち構えていたセクシーたちが、今回は壁の上から銀子たちを見守っており、いつも通りの問いかけを紅羽ではなく、銀子に投げかける。「熊があなたを待っている」ではなく「月の娘があなたを待っている」。「その身を熊に委ねれば」ではなく、「その身を炎に委ねれば」になっている。普段ならセクシー1人で伝えていた内容を、今回はクール・ビューティーの2人も分担している。相変わらず謎の役回りの裁判官たちであるが、結局対立存在じゃなくて三位一体なんだろうなぁ。しかし、普段なら「熊が待っていて、熊に委ねる」ことに導いているが、今回は「月の娘が待っていて、炎に身を委ねる」なのが気になる。実際に銀子は炎の中に飛び込んだわけだが、裁判官たちが言っていたのはそういう具体的な「炎」ではない気もするのだが。

 駆けつけた銀子が炎に飛び込み、必死に純花の手紙を守り通す。倒したはずの銀子が再び現れたことで針島は動揺するが、既に紅羽を貶めることには成功したと判断して撤退。そして、彼女のトラップであったはずの手紙の内容は、今度は紅羽に真実を伝える道具に変貌する。よいね、こういう分かりやすい構成の巧さってのは、単純にキュンと来ます。そして、これで終わっていれば「良い話」だったのだが……Cパートがあるとはねぇ。なるほど、銀子が何故そこまで必死に純花の手紙を守らなければならないのか、と不思議に思ったが、これが彼女の抱えている「罪」の1つであったのか。確かに「ヒトリジメにしたい」という欲求を持った銀子にとって、純花は邪魔ものであった。偶々目撃した百合園蜜子の捕食シーンを邪魔する道理も無い。しかし、それが紅羽にとってどういう意味を持つか、その時点では判断出来なかったのだろう。その一度の過ちが彼女に影を落とし、今回無茶な形での贖罪に走らせたのか。ただ、彼女の言う「罪」って、「純花を見殺しにしたこと」だけではないんだよね。るるとの出会いのシーンで既に「私は罪熊だから」って言ってるし。まだ彼女には抱えているものがあるのか。

 残り半分、一体どこに転がるのか、それは誰にも分かりません。

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 銀子たちがもってるスパゲティが「ク・マー」なのでやたら笑ってしまった第5話。確かに字面的にはかなり似てる(元は「マ・マー」ね)。でも変な世界だよな。熊に襲われてるっつってんのに熊イメージの商品多すぎだろ。あと百合イメージの商品もいっぱいあって、「百合牛」とか生産性が低そうで大変である。こうして画面をひたすら統一されたイメージで埋め尽くしているのも、中毒性が上がる一要因なんだろうなぁ。

 だいぶ構図がまとまって見やすくなって参りました。流石に5話目ともなると自然と馴染める部分も多くなってくるのだけど、そこできちっと物語的にストレートな刺激をぶつけてくれるあたり、構成にそつが無いわね。この作品で「すごく普通の意味の」衝撃の展開があるというのは、これはこれで意外である。まー、こんだけ人やら熊やらが死んでいる(?)のだからその魔の手が主人公に襲い掛かってもなんら不思議ではないのだが。

 前回の「レキシ」のおかげで、るるが何故銀子に付き従っているのかはおよそ判明した。今回はその次のステップ、いよいよ今作のメインとなる、銀子と紅羽の関係性である。行ってしまえば非常にありきたりな「過去の恩義」が彼女達の間には存在していた。11年前の「レキシ」を振り返ると、銀子が戦場のようなところに倒れ伏しているのを見つけた紅羽が、彼女を救って「友達」になっていたことが判明する。その関係性は紅羽の母親である澪愛にも及んでおり、おそらく、あの戦場で銀子を拾った紅羽は、家に連れて帰って治療と療養を施し、母子二人と一匹の熊は固い友情と愛情で結ばれた。その証拠として、紅羽のフォトスタンドの写真の下部に隠された秘密があったわけだし、更に澪愛は銀子にペンダントを託してもいる。銀子は一度は何らかの理由で壁の向こうへと戻らなければならなかったが、そうした恩義を忘れず、改めて椿輝家に「本当の好き」を伝えるために舞い戻ってきたわけだ。残念ながら母親の澪愛は他界していたが、愛娘であり、恩人である紅羽は生きていて、しかも学園では透明な嵐に巻き込まれて窮地に立っているという。銀子の目的は、そんな中から紅羽を救い出し、自分の「好き」を成就させること。今回のユリ裁判ではその感情がエゴではないかという審査がなされていたが、「それでも好きを諦めない」といういつものキャッチコピーがことさらに物を言い、無事にそのユリは承認されている。

 いくつかの疑問をピックアップしていくと、1つはやはり、「紅羽は幼い日に出会った熊のことを覚えているのかどうか」。もちろん、目の前にいるのは熊ではなくて不可解な引っ越しでおそばを分けてくれる迷惑な転校生である。紅羽の中で1人と1匹が繋がっていなくても無理はないだろうが、銀子は「あの日の熊だ」ということを紅羽に伝えずに、新しい友情を育むつもりなのだろうか。今回明かされたルールの1つとして、「熊はその正体がばれてはならぬ」というものがあったので、銀子は「あの日の熊です、おぼえていますか」と紅羽に接近することが出来ないようだ。多少不器用でも、また新しい「好き」を作るしかないようだが、紅羽はこの11年の間に、純花という大きな「好き」を得てしまっているため、なかなか障害は大きそうである。

 そしてもう1つ、紅羽を元気づけようとしていたこの学校唯一の(?)教師、箱仲ユリーカ先生について。彼女も「ユリ」であるが、その関係性は紅羽とではなく、澪愛との間に形成されたもの。親友の娘を手厚く扱うのは当然かもしれないが、執拗に「人間が熊になった」という紅羽の訴えを取り扱わないのは、一体どんな理由からだろうか。今までのパターンからすると、これだけ手厚い愛情を注いでくれるキャラは総じて……ねぇ。そして、そんなユリーカ先生が澪愛に「友情の証として」渡したはずのペンダントなのだが、何故か澪愛の下から銀子へと渡っている。もし澪愛が本当に大切にしていたものなら、流石に行きずりの熊にあげたりはしない気がするのだが……。ユリーカ先生、なんだかラスボスっぽいぞ。

 そうそう、過去の話で言えば純花の態度も気になるところ。彼女は誕生日を前にして紅羽に手紙を託し、まるで自分がいなくなることを理解しているような口ぶりだったが……一体どういうポジションなのだろう。今回、彼女が手紙を渡すシーンは、「カイソウ」ではなくて「レキシ」だったんだよな。流石に無意味にそんなことを分けるとも思えないので、純花の作る「レキシ」とそこから繋がる未来の話もちょっと気になるところ。

 とにかく、そんなこんなで銀子は「紅羽をヒトリジメにしたい」。るるはそんな彼女の気持ちを理解しながらも応援しているわけだが、ユリ裁判ではそのあたりが審議の焦点となった。そして、今回ようやく気付いたのだが、今までこの裁判が何か変だと思っていたのって、「裁判」じゃなくて「審査」だからなんだな。るると銀子は「被告」というクレジットになっているが、この裁判では決して罪に対する裁定は下されていない。現時点で行われるのは「判決」ではなく「承認」である。つまり、「被告」というよりもどっちかっていうと「申請者」である。そのあたりの齟齬のおかげで、裁判としてはどこかちぐはぐに見えたんだ。あくまでライフセクシーは「承認」を行い、銀子たちは許可をもらって人を食べる。それが認められるまでは、2人も人間には手を出さないんだろうね。そういえばるるが「私たちは透明な人間以外を食べちゃ駄目」って言ってたけども、変身や「人食い」のルールは全部裁判がつかさどっているのかしらね。……まぁ、普通にソバ食ってたけどな。

 とにかく、銀子は紅羽を守るために邪魔者を排除すべく、自分を罪熊に貶めながらも人を食う。今回のターゲットは、これまで登場した百合園蜜子や鬼山江梨子と比べるとだいぶ分かりやすい小物、針島薫。急に紅羽に擦り寄ってきたと思ったら、やっぱりそれはいつも通りの排除の一環。透明になった彼女達には、もう紅羽と同じステージに立って本当の好きを探求することなど求めるべくもないのだろう。純花との思い出の花壇も問答無用でつぶしちゃうし、その後で「これも泉乃さんのためだから!」なんていかにも偽善的なことを言っちゃうタイプ。まー、まさかそれで紅羽が丸め込まれるとは思わなかったけども。さっさと食って次のステージか、と思いきや、なんとついに銀子が人間側の魔の手にかかってしまった。流石に学園側も、同じようにして何人もの女生徒が犠牲になってりゃ学習もするか。ダイナミック・熊・トラップにより、銀子大ピンチ。さて、ここで紅羽がどう動く? 気になる次回。

 あー、でも今回は銀子の可愛い妄想が多かったおかげで百合成分が実に捗った。塩辛ナポリタンは勘弁してほしいが、裸エプロンコンビによるご奉仕精神は粛々と受け止めたい所存。あと、お風呂場の熊2頭の愛らしさも大切。やっぱり何をさせても可愛いなぁ。

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 ライフセクシーがセクシー過ぎて困る、第4話。もう、多分私以外の視聴者もみんな、「シャバダドゥ」って口を揃えて一緒に唱えてるよね。それがセクシー。シャバダドゥ。

 今週は非常に分かりやすい分かりにくさでしたね。いや、なんじゃそら、って話だが、言わんとすることは分かってもらえるのではないかと。視点がこれまでの世界からずれ、作中の言葉で言うなら「レキシ」が語られる、サブエピソードである。いや、サブというと語弊があるか。正確に言うなら、百合ヶ咲るるというキャラクターの成り立ちを描き、現在に繋げるための基盤となる物語である。何が描きたかったかは明白であり、そういう意味で「分かりやすい」。そして、描かれた諸々の事象についても、例えば何度も天丼が繰り返されたり、わざわざ「昔話」の体裁をとったり、意図的に構造が見えやすいように作られている。今回のお話は「るるが何故、今あの学園で銀子と一緒に人間を食べようとしているのかの説明ですよ」ということが非常に分かりやすい起承転結でもってまとまっているのだ。その部分にほころびがないのはありがたい話ですね。まぁ、もちろん「起」「承」「転」「結」でもって何が言いたいのかは相変わらず分からないわけですが。大丈夫、熊は分かってるっぽいから。

 「起」。まずは「熊の国」の時点で驚きである。毎回冒頭の説明では「クマリアが降り注いだために熊が一斉決起して人を襲い始めたんだよ」という説明だったのに、いきなりの「熊の国」。いや、聞いてない、そんなファンシーな独立国家の話は聞いてない。しかも「レキシ」の中でクマリアの落下シーンが描かれているってことは、あの国はクマリア落下時点で存在していたってことに。確実にねじまがっとる。熊形態と人間形態は「ユリ承認」で遷移する要素なのかと思いきや、るる姫たちは最初から人間形態。おかしなのは今回初めて熊形態を披露した裁判官たちくらいのものであるが、やつらは「レキシ」外部世界にいたであろうからあの国の実情とは関係なさそうだし。

 「承」、るる姫とみるん王子の出会い。非常に分かりやすい「次の子が生まれちゃったら寵愛が無くなって嫌がる兄姉」現象であるが、るる姫の「デザイア」は生半可なものじゃない。ひたすら懐いてくるみるん王子に「約束のキス」の無茶振りをし、更に明らかな敵意を見せる。それに対し、みるんは不死身の存在感を示すと共に、眩しいほどの無償の愛で返す。この行程は繰り返され、るるとみるんの関係性は「忌むもの」と「望むもの」ですっかり定着する。しかし、「望むもの」「与えるもの」の不死性は途絶えず、どんどんエスカレートしていくるるの非道な行為は、みるんの「望み」を打ち消す役を一切為さない。

 「転」、みるん王子の突然の死。そこにはるるの悪意が介在しておらず、むしろ「るるにハチミツを届けるんだ」というみるんの愛情が影を落としている。「悪意、敵意では決して死ななかったモノ」が、「自らの愛」によっていとも簡単にコロリと死んでしまう。悪意の矛先を失ったるるは虚脱感に襲われ、防衛を固めて殻に籠もる。最終的にはみるんの幻影を夢に見るまでに。そして、そこに再び現れたハチミツの持ち主が銀子。彼女はそれが「約束のキス」だと知っていたのかどうなのか。まだ描かれる時ではないからだろう、銀子の意志は定かではないが、るるが「忌むべき」ものだったはずのそのハチミツは、いつの間にか「望まれる」ものとなっていた。「好き」を探して自らの道を進む銀子に、るるは己の喪失を重ね、事実を突きつけてくれたことに感謝している。

 「結」、銀子はペンダントが示す「人間の世界」へと旅をする。そして、新たな拠り所として「銀子の好き」を見いだしたいと思ったるるは、自らの「キス」を諦め、銀子の「好き」を探すために同行を申し出た。銀子は自分に「本当の好き」の在処を教えてくれた。今度はその銀子の好きを見つけてあげることが、彼女なりの恩返しになるのだ。それが出来れば、再びみるんと会える気がするのだ。たとえそれが、断絶の壁を隔てた人間の世界にあろうとも。

 ほら、分かりやすい。そして、何が起こっているかを現実に照らし合わせるとやっぱり整合性は無い。今回のお話は「レキシ」であると先んじて言われており、それは「カイソウ」ではないという点に注意が必要だ。わざわざ寓話の形を取っているのだから、あのヘンテコトリオの一角であるライフセクシーがどこまで真面目に昔語りをしているかは眉唾であろう。いや、多分「嘘」ではないんだ。ただ、「熊の王国」や「ハチミツ」「弟」「死」などの要素が、どこまで「そのまま」かが怪しいというだけ。現時点においては、それらの要素は全て「るるが銀子に付き従う動機」であると受け止めて問題無いと思う。彼女は自分のエゴでもって、悪意を向けてしまったが故に失ってしまった「本当の好き」がある。それが本当に「悪意」による喪失であれば償いようもあるだろうが、奇妙な運命の悪戯のせいで、自分に責任を負わせることも難しい状態だ。償うならば誰に? 取り返すなら何を? 手に入れるならどうやって? それが分からないところに、一筋の光明を与えてくれたのがおそらく銀子なのだ。彼女は、まだ先も知れない「好き」を諦めていない。最後まで手にすることの無かった実存、「約束のキス」は、るるにはもう得られないものだし、犠牲にしてしまったものだが、その先に残った「本当の好き」だけは諦めないのだ。それはおそらくみるん王子ではなく、銀子との関係性に見出せるものなのだろう。これこそが、オープニング映像の左サイドで描かれた「るると銀子のユリ」に違いない。

 いくつか気になるファクターを個別にピックアップして見ておこう。まず「星」のモチーフ。上述の通り、惑星クマリアを巡るあれこれが、これまでのエピソードと今回の寓話では大きく隔たっている。シンプルに考えるならば、熊側から見れば元々「国」は存在しており、クマリアの落下を契機にして、熊たちの中に人間と積極的に交渉を持とうとする者たちが現れたため、人間側からは「熊たちの一斉蜂起」に見えたのかもしれない。つまり、「クマリアが熊を覚醒させた」のではなく、「クマリアによって熊に変化が生じ、人間にも熊の意志が見えやすくなった」というのがそれっぽい答え。そして、もう1つ「星」といえばみるんとるるの会話で「本当の好きはお星様になる」という台詞が登場する。「本当の好き」が天に昇って星になるならば、落下することで地球に多大な影響を及ぼした「クマリア」という惑星も、ひょっとしたら「誰かの好き」だったのではないか。その証拠に、クマリアが落ちたことで起こった変化は、「みるんの誕生」であった。クマリアが地上に落ち、そこには「好き」の化身であるみるんが生まれ、るるの人生をかき回した。「不死身の弟」の正体は、ひょっとしたら「誰かがるるに向けた本当の好き」だったのかもしれない。

 るるとみるんの関係を探る際にもう1つ気になるファクターは「蜂」のモチーフ。今回度々登場した怒れるミツバチだが、これは単純に「るるの敵意」であると見ることが出来る。針を向けられたのは主にライフセクシーたちであるが、みるんを毛嫌いするときにもこの蜂は出てきている。しかし、この蜂が旋回して守護していたのは何もるるばかりではない。序盤の屋上での会話の時点で(つまりるるがみるんに明らかな敵意をむき出しにしていた時点で)、既に蜂はみるんとるるをひとまとめにして取り囲んで飛び回っている。これはみるんがはじめからるるの「内部」に位置していることの表れではなかろうか。そして、そんな「蜂の内側」に入った人物がもう1人。出会ったばかりの銀子である。彼女はるるから一切敵意(蜂の針)を向けられることなく、最初からその「内側」にいた。銀子の頭にはみるんのものと似た王冠がのっており、彼女が「本当の好き」の化身たるみるんと共通する要素を持っていることが強調されている。なるほど、るるが追いかけたくなる気持ちも理解出来るというものだ。

 みるんの要素を内包する銀子について、るるは「彼女は私に似ている」ともいっており、この3者の関係は非常に肉薄している。そして、そんな銀子が手にしたネックレスは、紅羽の母親に繋がる。断絶の壁を越えた「好き」のつながりは一体どうなっているのか。まー、ハチミツぶん投げたら星になるような世界なので、その壁に物理的な障壁の意味はあんまり無い気もするけどさ。

 最後に蛇足だけどやっぱり書かざるを得ないことが1つ。やはり釘宮理恵というのはすごい声優だ。いわゆるくぎゅボイスなんてものも10年以上聞き続けていたら慣れもするし飽きもするはずなのに、今回のみるんの演技は、他の声優の「子供役」では実現し得ない、完全無欠のお仕事であった。くぎゅ元気でショタがいい、とはよく言ったものである(主に俺が)。

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