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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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インフレ勃発、第19話。ここにきて一気に、古田織部の株が上がりまくっている気がします。弟子を1人携え、まだ無名であるらしいあの長谷川等伯を懐に抱き込んだ。そして、「巨人」千利休を、尊敬すべき師匠であると見なすと同時に、「最終的に倒すべきライバル」と認識できるようになった。フルオリサーガは、早くもクライマックスを迎えている感だ。

 天下が平定されても、その水面下での腹の探り合いは続いている。そのうち1つが、真摯な態度を貫き通したことで未だ勢力を保ち続ける徳川勢と、それを牽制する豊臣勢の小競り合い。「裏切り」のレッテルを貼られた石川数正を代表として、「今だのこり続ける武士の精神」と、「世が平定されたからこその数寄の世界」が対峙する。武士という任務があり続ける限りは「妙味」などは不要であるとして豊臣を非難する徳川勢榊原に対し、数正は「桜の美しさも子に伝えられずに、何を語る権利があろうか」と反論する。精神論に対して極論で応じるという、なかなか頭の悪そうなやりとりではあるのだが、それでもお互いの主張は分かりやすいし、今この時代を左右するものの対比は見える。そして、この作品においてはどちらが優位になるのかは火を見るよりも明らか。傍らの利休もどこかしら笑っているかのように見えるのは、自らの思い描いた理想通りの侘びの世界に、1つ近付いたことを実感しているからだろうか。

 しかし、そんな「数寄」を統べているはずの豊臣秀吉の表情は明るくない。利休にそそのかされた帝の暗殺計画は情が邪魔をして達成出来ずに終わり、どこかで歯車が狂えば徳川や毛利に天下が傾くかもしれないという不安は残り続けている。しかし、秀吉はあくまで機知と運気で乗り切ってきた男。かの信長公の後をなぞりきってみせることは目標とするが、その行動指針までもが信長に準じたものになるわけではない。非情を胸に抱きつつも、何とか現状の勢力を拡大し、更なる版図を海の外に向けるべく、決意を新たにするのである。

 そして、大きな決心をする男がもう1人。もちろん我らが古田織部様。聚楽第に念願の武家屋敷が建つことになるわけだが、これまで手がけてきた茶碗だの、着物だのとは規模が違う。家を1軒建てて、それが衆目に晒されるとなれば、「数寄で天下を取る」とまで誓った男には運命のかかった大勝負だ。わずかばかりも気を抜くまいと、進んで改革できる部分は茶器にしろ、絵画にしろ、信じる道を突き進み、更に利休から技を盗むことにも抜け目はない。数寄を高じさせつつも商売のいろはを守り抜いて稼ぎもあげる利休の手管を見て、わずかでもその理を自分のものにし、あわよくば乗り越えんとする気概に溢れている。何とも浅ましい姿ではあるのだろうが、迷いを失った後の織部は、清々しさに満ちているためにむしろ格好良く見えるのが不思議なところである。

 今回は、秀吉の見せる「人間50年」の力強い舞台などの見どころも多く、シナリオラインの進行と同時に、人生行路と数寄に全力を傾ける男達の馬鹿馬鹿しさが見事であった。久し振りに見たからテンションがどうなってるかと思ったけど、この人達は心配いらないみたいです。

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 ちょっちゅね、じゃねぇよぉぉぉぉぉ! 第18話。お前、そのネタのためにどれだけアニメが犠牲になるか分かっとるんか? その1ネタを完遂するために、せっかく没入してた世界が一気に醒めることは分かっとるんか? もう、ネタキャストの起用はやめてくれよ……いや、だからって清正役に誰が良かったかっていうと、多分原作組はあの声以外をイメージ出来ないんだろうけどさ……ふぬぅ。

 というわけで、声オタらしいことを一言叫んでからの中身に移りたいと思います。今回はダイレクトにサブタイトルを活かした内容となっており、主に描かれたのは関白となった秀吉がどのように苦悩し、何を目指しているかという部分と、それを利用し、利用される立場の宗易改め利休が、一体何を狙っているのか、という部分。腹芸含みで色々ときな臭い作品ではあるのだが、やはり利休がメインになったときのドロドロとした「黒さ」は筆舌尽くしがたいものがある。

 利休の狙いは、ただひたすら「侘び茶」を根付かせ、自らの追究する美を完成することにある。そのためには一切手段を選ばないことはこれまでの行動からも明らかであり、実際に最大の障壁となるであろう織田信長を謀略で打ち倒し、その後も「白」の化身であった明智光秀と半ば刺し違える形での勝利を収めている。そのための「手駒」としてフル活用していたのが羽柴秀吉であり、手駒の中で最高級のものとするためには、「豊臣」となった秀吉に、最後の障壁である朝廷をも打破させるのが最終目標となっている。

 帝の暗殺。長き日本の歴史の中で、何度となく語られてきたこのクーデター精神だが、ここまで純粋で、ここまで無価値な野心があっただろうか。利休は地位を必要としてはいるものの、求めるものは地位でもなければ栄誉でも富でもない。ただ、単に世界を黒く染め上げ、侘びの国家を作り上げることだけが彼の目標である。そのためには帝が邪魔なだけであり、ほんの些細な邪魔者の処理を行うために、秀吉にガラス瓶を手渡し、その見返りとして、肩に深々と短刀を突き立てられたのだ。元々小兵でしかなかった秀吉のこと、どれだけ見得を切って短刀を振り回そうとも、見上げるような大男である利休は微動だにしない。国をひっくり返すほどのクーデターを企てようとも、それを提案する表情には一切の迷いも衒いもない。利休の大きさは、狭い茶室の中で、関白たる秀吉と相対する場面だからこそ、更に際立ってくる。

 その点、秀吉はやはり小さい。心労のために夜の生活にも一苦労であるし、利休の持ち出した「一つだけの花」についても、安易な不満を漏らし、その意図をくみ取るまいと目を背けた。直接提示された暗殺計画の申し出には激昂し、いざ実行に移そうにも、帝の威光を前にはなかなか目的を達成出来ずにいる。どれだけの功労を成そうと、やはり秀吉は天下取りという博打に長けただけの、一介の武人だったのである。

 黒く染まる利休の謀略が狭い狭い茶室で蠢いている間、我らが主人公である織部は、相変わらずお気楽なものである。少しずつ威厳を蓄えてきた一国の君主は、数寄を楽しむ姿勢にも余裕が出始めた。上司である秀吉があの手この手で必死におなごの服をむしり取っていたその間に、織部は妻のための着物を容易く手に入れ、まとわせることで更なる愛情を得る。奪うものと与えるものという対比が、少しずつ黒に浸食されていく秀吉の逼迫感と、自分の道が見えはじめて迷いを無くした織部の対比を浮き彫りにしている。

 そして、数寄の怪物といえば、命を数寄で買い、数寄に命を捧げた男、荒木村重がいた。ついにその強欲な人生にも幕引きが見え始めた村重は、ただ1つ、己が貫き通した生き様を、まだ見ぬ息子に伝え聞かせることだけを織部に託した。血の繋がった息子に形のあるものではなく生き様を残す、といえば聞こえは良いが、その実、自分が蒐集した名品の数々を他人に渡すという発想が出てこないあたりは、本当に強欲のかたまりのような人生。しかし、その強欲を真正面から受け止めるもう1人の強欲は、そんな村重の生き様を見送り、言いようのない達成感を得ることが出来た。織部の人生は、こうして数多の数寄者の怨念が積み重なり、更なる厚みを持つことになるのだ。

 生きること、死ぬこと、生かすこと、殺すこと。様々な思惑の中に、最終的には「数寄」が関わるおかしなこの世界。そんな馬鹿馬鹿しさも、真摯に描けばドラマである。相変わらず、視聴後に何とも言えない気分にさせてくれる、そんなお話でした。

 しかし……秀吉と茶々の絡みは、よくもまぁあそこまでのものにしてくれたものだ。忘れがちだけど、これってNHK。

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冷静になると本当に分からない第17話。毎回きちんと「へうげもの名品名席」まで見ているわけだけど、本当に「芸術品」っていうジャンルの良さってのは分からないもんだね。平蜘蛛の接いだ奴がいいとか悪いとか……あれもちゃんとお勉強すれば見ただけで鳥肌が立ったりするようになるものなのかしら。

 時は流れてあっという間に秀吉が関白の位にまで到達。「ようやく天下人になれたわ」と安堵の溜息を漏らす秀吉ですが、どうにも、あれだけ必死に狙っていた「天下」を取ったという感慨が無いのは寂しい限りですな。まぁ、あの席に座るまでにどれだけのものを失い、どれだけ神経をすり減らしたかを考えれば、あの大怪物織田信長のように、呵々と笑って鎮座するような心持ちではないのだろう。あくまでも「小ずるく、周到に」積み重ねてきた結果の天下なのだ。ひとまずのんびりと女漁りでもしたいという気持ちになるのは仕方ないところか。

 そして、そんな秀吉の天下取りに多少なりとも荷担した「共犯者」、左介。徳川との折衝役として事を成したことも評価され、ついに位を賜るまでに上り詰めていた。元あった中川の家については弟夫婦に全部任せて、自分は新たに得られた山城の石をもとに、数寄の道を邁進しようという腹づもりだ。位が上がれば武に取られる時間も多くなるとはいうものの、使える財もそれだけ増えて、念願だった自分独自の道探しも一気に視界が開けるというもの。「趣味が高じれば金がねぇ、金を稼げば時間がねぇ」というのは、いついかなる時代のマニアにも避けては通れないジレンマよの。ま、無いものをやりくりしている逼迫感も趣味に没入する楽しさの一つと思えば。

 秀吉を通じて手に入れた新たな官位の名、それは「織部」であった。織物などの紡績業を統べるために存在していた官職とのことだが、そこには「弾正」などが持つ無骨なイメージもなく、「左介」が孕んでいたぺしゃっとしたイメージも大きく改善。そして何より、あの憧れの色彩、オリーブに似た響きを持っているのだ。織部、おりべ、オリーベ……なんという運命の悪戯であるか。……これって、いわゆるDQNネームの走りですか? 名前までもが「数寄」に寄ってしまい、左介改め織部の腹の中には、他人には理解し得ないほどの物欲がぐつぐつと煮えたぎるのである。

 しかし、数寄の道は未だ果てなく。念願叶って借りられた茶入れを使っての茶席で利休に褒められたまでは良かったが、まだ茶室を完成させるまでの領域には達していないとの酷評を受け、ちょっと伸び始めた鼻っ柱をへし折られてしまう。まだまだ黒衣の怪人には及ばないということか。

 それならば、あとは自分にだけ与えられた恩恵である「資産」を使って、望むべき未来を追究し続けるのみ。あの信長の意志を受け継ぎ、父親の小言には耳も貸さずにつぎ込むところに全額投資。大量の焼き物職人を集めての一大窯職人プロジェクトは、他の誰とてチャレンジしようとは思わない「数寄勝手」の極致といえよう。興味半分で列席した上田左太郎は、そんな狂気の入り交じった織部の計画に、呆れを通り越して底知れぬ馬鹿の恐ろしさを感じたのであった。

 今回から、傍観者としての上田左太郎が正式参戦したことが、物語の中における織部の立ち位置が大きく変化したことを表している。これまでは信長や利休、荒木村重といった数寄の先人達の後を追うのに必死だった左介を中心に物語が進んでいたわけだが、今回をもって、ついに織部は「追うもの」から「追われるもの」へとシフトチェンジしたのである。「訳の分からない織部のすごみ」を見せるには、その意図を計りきれないオーディエンス、つまり驚き役が必要になるのだ。その重大な役目を務めるのが、上田というわけだ。彼の目から見たら、既に織部も利休も、得体の知れない怪物には違いないだろう。

 天下が変わり、名前が変わり、立場が変わり、そして物語での役割が変わった。「チェンジング・マン」とは、何とも味のあるサブタイトルではないか。

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じんわりにんまり16話。前回のサブタイトルが「時代は変わる」、そして今回は、そんな「変わった時代」を象徴するようなエピソード。これでまだ折り返し点まで来ていないってんだから(本作は3クール)、このあとは一体どんな物語が待ち構えてるんでしょうかね。ちなみに、ボチボチ我慢せんでもいいだろう、ってことで原作コミックス1巻は買ってきました。今後もアニメを追い抜かないように注意しつつ、少しずつ原作も追っていきたいと思います。

 特に切った張ったも無くなり、全体的には大人しめのシナリオ進行になっている今回。主な見せ場は、歳を重ねて少しずつ余裕が出てきた左介のメンタル面の変化であろうか。いつの間にやら兄・中川清秀が死んでるのはびっくりだが、これにより、事実上左介は管理下に置く石高が一気に上がり、体裁の上ではそれなりの大名にまでのし上がっている。中川家をどのように切り盛りしていくのかは不安な部分もあるが、既に「武の道は諦めた」ことは本人も自覚的なようだし、何より家族愛は人一倍強く、親族の面倒は見てきた男だ。自分の立ち位置をきちんと把握して、適宜身を引いたりすることは出来るのだろう。

 そして、家庭内に余裕が出来れば、あとは数寄の道を邁進するのみ。左介同様にのびのびと自分の趣味の世界をレクチャーする利休と2人、新たなる美の様式、「侘び」「渋み」を信徒達に伝達していく利休。その表情は終始穏やかであり、左介の好き放題の振る舞いにも思わずにんまり。羽柴の治世を最も謳歌しているのは、この連中なのかもしれない。

 とはいえ、流石に遊んでいるばかりでは社会はたちいかない。突然の秀吉からの呼び出しは、何と難敵徳川への和睦の使者をやれという「荷が重すぎる」難題。秀吉の傍らに控える石田三成も、「なんでこんな適当な奴がそんな重大任務を任されるのだろう?」と訝しげだが、そこは天下の羽柴秀吉。適材適所は心得ている。戦に勝てるとは思っていないが体面を保たねばならないという徳川の苦境も理解し、それを解きほぐすための仲介役として、家康との遺恨を秘めた左介を引っ張り出してきたのだ。

 盟友長益と共に家康の下を訪れた左介。家康の方も安土城でのあの一件は記憶に残っていたらしく、あのときの意趣返しとも言える、とんでもないもてなしで左介に揺さぶりをかける。実際は家康本人の意志というよりも、家臣一同の「精一杯の腹芸」としてのライスボールだったわけだが、左介に対して一定の効果は与えられた。数寄を追究し、なおかつ羽柴全軍の使者として訪れた者に対して、あまりにも心ないもてなしに、一度は左介も膳に手をかける。ここで使者が和睦の席を台無しにしてくれれば、徳川側としては「羽柴を圧倒した」ことになり箔がつくし、その上で和睦についてはある程度有利に話が進む。羽柴としては、体面などどうでもいいのでとにかく徳川の反発心さえ抑えてしまえばそれでよいのだから、ここで細かいことにこだわって会食をぶち壊すことに意味は無い。傍らで見ていた長益は、左介に対して必死に堪えろと念じる。

 キレかけた左介。目は血走り、血管は浮きだし、普段弱腰な男とは思えないくらいの憤り方。しかし、それをすんでのところで堪えさせたのは、体面でも、政治的配慮でもなく、単なる数寄の結果。あまりに必死に虚勢を張る徳川家臣を見て、そこに新たな面白さを見いだしてしまった。もう、こうなったら和睦の義理とかどうでもいい。おまけにお膳の上には新しく楽しみ始めた「渋み」のもとになる素焼きの皿まで。これだけの見返りがあるなら、ちょっとした挑発行為なんて、別にいいやの精神であった。

 別れの際に手作りの茶杓でせめてもの謝意を表して去っていく左介を見て、家康は初めて「負け」を感じた。将来は日本を統べることとなる実直なる名将も、損得を越えた左介の底知れなさには叶わなかったようだ。事実上、利休の唱える「侘び」「渋み」と、光秀から受け継いだ足袋に代表される旧来よりの「見得」「数寄」をぶつけてきた家康という、奇妙な形の代理戦争ともなったこの会食だったが、結果的には「侘び」が1本取った形。家康が光秀から受け継いだ志は、数寄の世界ではなく、後の泰平へと受け継がれていくこととなろう。

 ほっこりするような、もやもやするような、この何とも捉えどころのない大団円こそがこの作品の真骨頂よな。1つ、ピックアップするなら、今回初登場の石田三成が関俊彦だった、というのはポイント。だって「戦国BASARA」の三成は関智一だからね。何故か、同じ時代に同じ人物の声をダブル関が担当するというよく分からない奇跡が起こっているのだ。あと、さりげなくキャストに山本麻里安が混じってた。ギリギリのところで生き残っておる……

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 時代が変わった、第15話。戦乱が終わり、回り始める新たな治世。そして動き出すのは黒衣の怪物。やっぱり利休が動き出すと怪しさと緊迫感がケタ違いです。

 明智が去った安土城。そこに織田が再び天下を築き上げていくのかと思われたが、「か弱き民の総意」を振りかざした利休の一声により、安土の天守は燃え落ちた。「明智の手にかかったものを残すのは織田の世の汚点である」というのが主な論旨であったが、実際には一瞬でも「白」に心を動かされてしまった自分への戒めと、そうまでして自分を突き動かしてしまった光秀という人物への弔いの意味がである。城が落ちて「白」が落ちたことは、同時に、清廉であり、信長殺しに関して一切の咎が無い人物、つまり「シロ」である明智が落ちたことをも意味している。そして、残された人間たちはといえば、「クロ」を身にまとった利休と、他人よりもはるかに浅黒い顔を持つ男、羽柴秀吉だった。

 信長殺しの真実を手に入れてしまった左介は、自分の身の振り方に思い悩む。逆賊討つべし、と羽柴に喧嘩を売ることも出来ないし、誰かに報告して再びの戦乱を招くことも本意ではない。しかし、これまで彼の人生の大部分を作り上げてきたのは織田信長という怪物である。それを無下に切り捨ててそしらぬふりをするわけにもいかぬ。策も無いまま、左介は秀吉の滞在する清洲へ向かう。信長の血統の後見人として立ち、盤石の体勢を整えた秀吉と、未だ立ち位置定まらぬ左介。2人の会談はどのように進むのかと思えば、なんと、開始数分で秀吉がまさかのカミングアウト。弥助の存在がある限り、左介が真実を知っている可能性は充分にあり得る。そこで秀吉がとった選択は、怪しいものは全て白日の下に晒すこと。さっさと自分の口で左介に真実を認めてしまい、「知った上でどうするのか」と問うことで、より明確な左介の意志が伺えるというものだ。

 古田左介は、そんな秀吉のなりふり構わぬ勢いに、信長とは別の可能性を見いだすことになった。確かに、そこまでして天下を追い求め続ける秀吉の心中が全て理解出来るはずもない。弥助を捕らえたことを考えれば、未だ敵として見ることも出来るはず。しかし、古田左介は基本的にことを善し悪しで判断する男ではない。人にせよ、器にせよ、いかに大きく、いかに「他にない何か」を持っているか。仁も義も理も利も全て飲み込んだ上で、左介は秀吉の未来に全てを託すことにした。左介の覚悟と「非情」の2文字を受け取り、改めて天下を取ることの重さを噛みしめる秀吉は、謀略に生き急ぐ日々の中で、初めて涙を流すことが出来た。

 後日、左介が招かれたのは、秀吉と利休という2人の「クロ」が作り上げたという、小さな茶室「待庵」。初見では意味が分からなかったその小さな空間は、これから先に利休の見定める侘びの世界、渋みの世界が待ち受けていた。侘び好みのなんたるかを改めて理解した左介は、信長との縁切りの意味も込め、これまでの収集物を洗い出し、新たな数寄へと一歩を踏み出すことになる。

 そして、利休は秀吉が残した最後の濁りとも言える、弥助を待庵に迎え入れる。弥助は利休自身も信長謀殺に荷担していたことを感じ取ったが、個人的な義理は既に果たしたとのこと。利休は息もかかるほどの距離に復讐の鬼を迎えながら、命を長らえることになる。そして、「クロ」である自分が信長時代の最後の1人である弥助に見逃されたことで、新たな時代へのスタートが切られたことを高らかに宣言する。暗闇の茶室、黒衣の怪物、そして黒い肌の使者。黒に染められた小さな小さな部屋が、新たな時代の幕開けを告げた。

 とにかく、「待庵」における対峙や1つ1つの対話の緊張感がいちいち重苦しい今回。本当に、この作品ほど「動かない」ことが雄弁に語るアニメも珍しいのではなかろうか。毎回見終わったあとにへとへとになりますわ。今回一番印象的だったのは、待庵で左介が思い悩んだ後に「全て受け入れられた」と利休に報告し、それを受けた利休が思わず口の端を持ち上げたカット。なかなか「笑う」という動作をしない人物なだけに、ほんのわずかでも「笑み」を浮かべたことがものすごいインパクトになっていた。

 あとは小ネタですかね、茶々様に手を焼いて「将来天下を統べたりしないよなー」とぼやく長益とか、実際はいらないから捨てちゃった箱を丁寧にしまって置いてくれる良妻賢母とか。個人的に笑ってしまったのは、柴田勝家役に、柴田秀勝というキャスティング。並べて書くと、どっちが武将だか分かんなくなるね。役を振る人、明らかに遊んでやっただろ。

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 明智の最期、第14話。辛いお話になりました。これが群雄割拠の乱世の厳しさであることは分かっているが、こういう無情を見せられると、やはり色々と考えさせられるものがあります。

 明智軍の包囲網は次第にかたまり、大きくなっていくばかり。加勢に馳せ参じようとした徳川勢にも、羽柴の軍勢が4万を超えたという絶望的な報せが届く。それでも義に殉じようと馬を向ける家康であったが、家臣から上がった声は「三方ヶ原を忘れたのか」という決定的な一言。あの戦での醜態は、家康の未来をも左右した決定的な教えである。意気に任せて進軍を決めようとした家康の表情が強ばる。

 そんな状況は何も知らぬ光秀は、既に自らの時代が「三日天下」で終わったことを理解していた。わずかばかり残された部下との「最後の晩餐」では、未来を憂う必要も、部下を守る必要も無い、純粋な「楽しむための夕餉」を久し振りに迎えることが出来た。わずかな手間と発想で無念の晩餐に彩りを添える光秀。「武に尽くすより、数寄に興じてみたかった」と自らの無念が詰まった半生を振り返り、「武など美には勝てぬ」と達観した様子。しかし、時代の動乱を生み出した自らの進退については、きちんと1つのけじめを付けなければならないのも、彼なりの流儀である。

 そんな光秀に対して、「反信長」という1つの旗印を拠り所に、延暦寺からの救いが差し伸べられる。信長の命とはいえ、本来ならば僧たちを攻め滅ぼした光秀に恨み言こそあれ、救いを差し伸べるなど想定の外。その信義に感じ入った光秀は、何とか最期の生に賭けてみる決断をする。落ち延びる山中において、延暦寺の僧たちも一枚岩ではないことをしらされることになったが、それでも自分を求める人間がいるのならば、その思いに答えてみせるのが武人である。

 しかし、世はかくも無情である。結局、光秀は生を長らえなかった。どれだけ徳を積もうとも、あの「魔王」の下で働き続けた業は容易く祓えるものではない。最期に民を守りながら別れを告げる光秀の目には、燃え落ちる自らの人生そのものが、至上の「侘び」として理解される。一度は思いを異にし、事実、自らの進退を左右して人生に終止符を打つ直接の原因になった男、千利休。彼の身にまとう「黒」は、人生においては喪の色として扱われる。その「黒」に彩られた末期の一瞬に、彼は利休の思惑すら越える侘びの極致にたどり着くことになったのである。艶やかな色彩もいらぬ。余計な人生も、末期を見取る臣下も要らぬ。そして、下の句すら蛇足である。義に篤く、信義を尊んだ1人の武士は、こうして目を閉じたのである。彼の残した思いは、1足の足袋を通して、次の天下に受け継がれることになる。

 そんな壮絶な最期とは一切関係無く、気づけば羽柴軍の目利き役として重宝がられることとなっていたのは、信長への思いから頭を丸めることになった古田左介である。数寄の道は信長への忠義、憧れが後押ししていた感情であり、目標を失った今、彼の目にはどんな大名物も心を動かすことはない。……とかいいながら、火炎土器を相手にするとやっぱり変な顔。確かに、これまで持ち続けた「数寄」への情熱は失われたが、彼の性根はどこまで行っても一数寄者。嗜好が遷移し、新たな美の地平を切り開く段階に入っただけで、そこから情熱が消え去ることはなかった。現時点において、彼の目指す道は明確には見えていない。あの事件のとっかかりとなった八角釜によって、新たな美の可能性である土器が粉々になってしまったことが、その「未だ成らざる道」の存在を端的に表しているだろう。

 左介の行く道が正しいのかどうか、それはまだ誰にも分からない。しかし、あの明智光秀が最期に思ったのは、最期の一瞬こそ最愛の妻であったが、その直前には、「一途な数寄に迷いがない男」である左介の姿を思い描いている。少なくとも、1人の武人に憧れられた、理想の人生であることは間違い無い。時代は巡り、天下は変わる。左介の美、そして利休の美。大成の時は、まだ先のことなのだろう。

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左介が戦ってる! 第13話。天下分け目の決戦が舞台なんだから決定的なエピソードには違いないんだけど、真面目に合戦場で人を斬っている左介を見ると、違和感がモリモリでございます。

 一向に援軍がやってこないことに焦りを感じる明智軍。そしてようやく報せがきたかと思えば、羽柴の挙兵と、その想像以上の規模に度肝を抜かれることに。事ここに至って、聖人君子明智光秀も、これまでの全ての流れが秀吉の策略であることに感づいた。猿知恵に一杯食わされたことに思い至った光秀の無念は、いかほどのものであっただろうか。そして、そんな光秀に与することを決意したのは、同じ志を持つ三河の徳川である。和を以て武器となす家康は、あくまで臣下の意見を尊重することを強調してはいるが、それはあくまで三河武士としての矜持を守れる範囲でのこと。かたや民を思って仁の道を踏み外した明智軍、かたや全てを謀って天下を狙う羽柴軍。家康の決意で、ようやく三河が動き始める。しかし、決戦の時は既に間に合わないところまで迫っていた。

 絶望の明智軍と違って意気が高いのは、思い思いに集まってきた羽柴連合軍である。熟考を重ねて動き出した徳川とは異なり、こちらの軍勢は秀吉の下準備によって既に仇討ちに参加することが決まっていた面々。そこに躊躇いは無いし、大義名分もあるために動きも迅速だ。そして、そんな面々に共通する目的は、この大いくさでの武功である。信長が平定しかけた天下で、奇跡的に訪れた大舞台。ここで一気にのし上がれば武功どころか天下も見えるという大ばくち。民のこと、忠義のことなどさておいて、集まった将達には「少しでも美味しいところを」という私利私欲が渦巻いている。もちろん、それもこれも、全てはそうした人の業をコントロールしきった秀吉の手腕によるものなのだが。

 軍旗のデザインが一部に好評であり、ますます士気をあげていくのは我らが左介さんだ。名を売るにはここしかないのだし、今後の趨勢は誰も予測が出来ないものになる。ただ1つ、秀吉がのし上がるであろうことは確実なわけで、そこに密接に食い込める機会は、この戦をおいて他にはない。数寄でもアピールし、更に武勲もあげたとあれば、一気に勝ち組の仲間入りが出来るのだ。とにかく「見せる」ことを意識せねばならないこの状況。武士としての意気を見せるための抹茶一気飲みにも気合いが入ろうというものだ。

 しかしまぁ、左介の腕っ節の弱さも天下一。戦闘開始の号令の直後、あっという間に馬からコロリ。ひょっとしたらここで人生が終わってもおかしくなかったところなのだが、天はひょうげた奴に味方する。突如現れた弥助に命を助けられ、更にとんでもない情報まで置き土産にされて、一気にテンションが上下してしまうことに。天下分け目の決戦場は、左介の人生を、また別の意味で分けることになった。

 「秀吉が信長を殺した」。弥助の残した情報に、左介は曇天を仰ぐ。にわかには信じられない話であるが、弥助が嘘をつく意味も無いし、何より、秀吉という男は、「奴ならやりかねない」という底知れぬ脅威を持つ男。思い返せばあまりに迅速な高松からの帰還劇など、思い当たる節も多かった。「信長を殺したのは秀吉である」。意外過ぎる事実は、あっけなく左介の中で真実として受け入れられる。そして、ほんの一瞬ではあるが、秀吉の掲げるひょうたん印を「真の仇」としてみようとしたのも事実である。信長の弔い合戦であるならば、初めて知った事実を声高に叫び、自陣にとって返すのもあながち無い話ではない。

 しかし、左介はそれをしなかった。この場合、「出来なかった」と「しなかった」は半々ぐらいだろうか。あまりのことだったにも関わらず何故か妙に納得出来たというその事実は、秀吉という男を既に受け入れつつあるということを示している。そこまでの思いがなければ狙えない天下。そこまでの決意がなければ立ち続けられない「武」の世界。そんなことを思った左介の頭に去来するのは、大釜を抱えて散っていった松永久秀、「生きたもんが勝つ」と図太く生きながらえる荒木村重。誰も彼も、武と数寄の間を彷徨った先人達。松永は言った。「どこかで諦めるしかない」と。

 必死に戦場をさばきながら、自らの進退に懊悩する左介。武を貫くなら、死を賭してでも守らねばならない物がある。取らねばならない命がある。しかし、左介の本質は、結局そこには無かった。「諦めて、生き延びろ」。敵の雑兵にとどめを刺すことも能わず、左介は自分自身というものを痛いほど理解出来たのである。

 

 とにかく、この作品の毛色に全く合わない合戦シーンでのあれこれが刺激的な今回。正直言って、合戦自体の出来は二流三流。躍動感の無い軍馬の構成に、痛みが一切感じられない斬り合い、ビィートレインらしい血の噴きでない末期。左介の立ち回りも動きが軽く、なんだか滑稽な演舞を見ているようである。しかし、この作品の場合、これで一向に構わない。描きたいのはチャンバラ劇でないのだから。しのつく雨の中、合戦という緊迫した場の中でも、左介はいつものように「武」と「数寄」に揺れ動く。その間、彼にとって合戦場の剣戟などどうでもいいものなのだ。あくまで、思い出される信長の顔、松永や荒木の言葉の方が、彼の人生に与える影響は大きいのだ。揺れ動く心情はいつものように「目」に現れ、左介は今回2回ほど血走った目を見せている。これまで大名物を見つけた時にばかり見開いていた彼の目は、今回大きな人生の岐路を迎えるにあたって、現実を見つめるために開かれた。そして、そんな彼の一大決心が、最後に雑兵に振り下ろされた一発の拳骨だったのだ。武人としてはあまりに弱々しく、ともすれば降り続く雨にすら負けてしまいそうなその一撃は、戦の相手ではなく、左介の中にかろうじて存在していた何かを打ち砕いたものであるように見えて仕方なかった。

 間もなく天下は平定される。「武か数寄か」。その決断は、既に下されているのかもしれない。

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猿知恵全開、第12話。今回は全編秀吉メインで回り続けるお話なので、ノリが軽くて、あざとくて、いつもと雰囲気が違います。

 駆け付けた左介を涙ながらの歓待で迎える秀吉。口を開けば現状への不安や自身のやるせなさがこぼれ出るが、これがまぁ、何とも壮絶な猿芝居だ。「信長が討たれたと聞いて」って、お前やがな。お前が斬ったあげくに火事場泥棒まで試みたんだろうが。しかし、そんなこたぁ誰も知らないので、諸将は着実に秀吉の膝元へと集まってきている。既に親交が深かった高山・池田に加え、左介を通じて揺さぶりをかけられた中川清秀もその立ち位置を(なし崩しで)固め、明智包囲網は万全の状態。どれだけ書状を送りつけてもなしのつぶてが続く光秀の惨状とは対照的な様子である。

 こうして着実に力を付けていく羽柴軍を見るにつけ、「大大名」という餌をちらつかせられた左介も気が気ではない。義兄を餌にして秀吉の頼みを聞き届け、秀吉の落ち着かない振る舞いに振り回されつつも、なんとか自分の狙いを完遂させようと走り回る。それでも、「外様ならではの不安感」に肩身を狭くしていた織田軍の頃とは違い、「まもなく出世が待っている」と期待感溢れる羽柴軍ではのモチベーションは雲泥の差。路傍の花に心奪われようとも、「今は数寄より武だ」というので走り出せるくらいの理性は保てている様子。加えて、旗印にもはっちゃけデザインを施すなどの暴走っぷりもお見事で、ハートマークがずらりと並んだ信長仇討ち軍団は、決死の覚悟の光秀とは対照的に、ちょっとしたお祭り集団のような勢いが醸し出されそう。まぁ、個人的にはハート3つの旗印は、「ゼルダの伝説」の初期リンクのステータスみたいでおちつかねぇけどな。

 猿芝居熱演中の秀吉も、とんとん拍子で進んでいくシナリオにほくほく顔。情けなく涙を見せたり、弱そうに見せて無茶な人質要求をしてみたり、かと思えば突然頭を丸めて覚悟を表してみたり。どこか人間的な胡散臭さと弱さを漂わせることが、彼にとっての処世術。「明智は正しく、立派である。しかし、立派であるからこそ、誰一人明智を信用しない」というのは、流石の洞察である。清廉であり、高尚であるからこそ、明智の狙いは誰にも届いていない。逆をいえば、見え透いた狙いがあり、そこに弱さが垣間見えれば、人々は安心してついていくことが出来る。羽柴の軍勢は、今まさにその条件を完璧に満たしつつあるのだ。その中には、かつて信長と対峙した荒木村重もいる。生き残ればこその数寄の人生。実利をとり続けるしたたかさは、武人よりも圧倒的に数寄者に分があるのだろう。

 そんな数寄者の中で、一人明智の膝元に潜伏していたのは千利休である。明智から笑みを受けたところを見ると、誰一人彼が文字通り「黒幕」であることに気づいていない。数々の名品を本能寺で失ったことを考えれば茶人たる利休が裏で糸を引いていたとは考えにくいだろうが、1つ1つの「物」にこだわらずに理想型を追究する彼の思惑は、他人の理解の及ぶところではない。既に安土城がどうなるかという未来は見えている。秀吉の人を喰った猿芝居とは対比的に、利休の怪しげな目は、何も語らずに粛々と謀略を進めていく。

 ただ、そんな仮面を被った利休も、真っ白に塗り替えられた安土城を見たときだけは、うっかり表情が表に出てしまっていたのが面白い。黒一色を愛する利休に反旗を翻すかのような「ホワイトキャッスル」。利休からしてみれば文字通りに「白黒付ける」必要がある最大の敵として立ちはだかったことが明示的になるわけだが、それでも、あまりのストイックさに一瞬だけ心を奪われそうになったことを後悔するあたりがやっぱり変。数寄者ってのは、本当に自分に正直で、イカした奴らばかりである。

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天下分かちゆく第11話。物語は1つの山を超え、今はくだりの加速どき。この転がりゆく情勢の中で、諸将はことの趨勢をどう読み切るか。「軍記物」としては一番面白いくらいのタイミングだと思うのだが、噂ではスタッフクレジットで原作者の名前が「原作」から「原案」に変わった、という問題で議論が起こっているという。好きな作品なので、これ以上トラブルなく、すんなりやって欲しいところではあるんですけどね。

 「信長堕つ」の急報は、正誤の入り交じった情報を抱えながら、日本中の将を駆け巡った。絶対君主であった信長を失い、全ての武将は「明智とは」という問題に対してすぐさま答えを出さなければならない状態。そして、この混迷極まった状態こそが、「猿知恵」豊臣秀吉が思い描いていた通りのものである。これまで1つ1つ丁寧に敷き詰めてきた様々な秀吉の策が、ものの見事に収斂していく様が何とも恐ろしい。

 「織田か明智か」。はっきり言ってしまえば、現状でベストアンサーをはじき出せる人間は、おそらく全ての絵図を描いた秀吉(と利休)以外には存在しない。各武将達は必死に頭を悩ませ、武人としての忠義、プライド、そして打算を全てひっくるめた上で、どう動くのかを決断していく。

 最も分かりやすい「保留」を決定させたのが細川である。君主細川藤孝は、本来ならば真っ先に縁者である明智の補佐に回るべき人物であり、光秀もそれを期待して真っ先に書簡を送っていた。しかし、この男の下には、既に一度利休がくさびを打ちに来ている。「裏切り者あらば……」と語った利休の「もしも」を、このタイミングで光秀が実現させてしまった。そして、利休の言は、明らかにそれを意図したものであった。単なる光秀の離反であるならば、息子忠興のように「逆賊打つべし」と立ち上がるもよし、あくまで明智に着くもよし、その判断は出来たのかもしれないが、そこに利休の影がちらつくことにより、さらには豊臣の影すらちらつき始める。こうも不確定要素が多くては、動くこともままならぬ。結局、見事な体術で息子をたたきのめすと、一切の許可を取らずに親子ともども剃髪し、戦況を見守ることを選択した。これもまた1つの戦であろう。

 また、光秀の意図をくみ取り、現状に手を出さずに趨勢を見守る決断をしたのは、「耐えること」では右に出るものはない、徳川家康。冷静な顔をしているが、急速な便意は現状が急を要することを充分理解した結果。本来ならば逆賊をせめる立場にあるはずだが、光秀の真意は未だ定まらず。明智という男には自らと同じ信念があると信じつつも、一度三河に引き、結果を静観する構えだ。

 そして古田である。こっそりと名品を受け取って帰城した左介は、織田の最後の1人ともいえる長益を救助、解放した。腹の底まで打ち明けあってしまった、「死を恐れて己をとった臆病者」と「主君の死に接してなお器に執着した数寄者」の2人は、武の権限者とも言える柴田勝家の悪口でひとしきり盛り上がり、はみ出しものとしての自身を笑い続けた。

 長益と分かれた左介は、義兄中川清秀に相談を持ちかける。中川は、「義による救援を織田に回す」「明智を見守る」「秀吉に組みする」などの選択肢を決めかねていたが、ぽろりとこぼれた一言のおかげで、左介は秀吉が自分を評価していたという事実を知る。二百という金子の違いを叩きつけられた半端武士は、「恩に報いずば武士の恥」と兄を焚きつける。自分はとうに武士の誇りなどうっちゃってしまったというのに。本当に、打算と興味で動いているときの左介の悪そうな顔といったら!

 諸将の救援がなかなか訪れないことに焦りを隠せない光秀。しかし、信長への反抗心は、家臣ならば少なからず持っていたものであるはず。そうした「一致団結した思い」があると判断したからこそ、思慮深い彼も動くことを決断したのだから。しかし、期待は実らず、細川を始めとした救援のあては次々に外れていく。未だに彼は、一人の男の手の中で踊っていることに気づいていない。

 全て事を成した、豊臣勢。本能寺で信長を手にかけた秀吉は現在水面下で移動中であるが、その意志をくみ取って100%の仕事をしたのが、毛利攻めを継続中だった弟、秀長。斥候と対峙した彼の表情は、兄秀吉の影を完全にコピーしたかのような策士の容貌。明智の使者をその場で斬って捨て、受け取った書状は「明智が毛利に内通しようとした文である」とさらりと嘘をつく。これにより、豊臣配下からすれば明智は完全なる逆賊。一気に明智討つべしの流れになる。光秀の方は、秀吉を最大の仲間だと思い込んでいたというのに。見事な兄弟連携により、実働部隊としては最大規模の豊臣軍が、一路明智討伐へ向かうことに。

 

 秀吉と利休が、布石として起き続けてきた諸々が一気に機能し始め、あっという間に明智を追い込んでしまった様子が圧巻のエピソード。ここまで考えられた秀吉も恐ろしい人物だが、その中で駒として動く多くの武将達も、必死に現状分析をしてベストの選択を模索している描写が実に面白い。この腹黒さに溢れかえった感じが、本物の「戦国乱世」なのだろうという雰囲気がにじみ出ているのだ。そして、そんな腹芸と計算だらけの中でも、信念を曲げずに別な計算軸で動き続ける古田左介。今回のエピソードの中で、彼が本能寺の跡地に立てたたった1本の茶杓だけが、策謀と野心を度外視した、唯一の「忠心」であったのは何とも印象的である。

 「武か数寄か、それが問題にて候」というのがこの作品の決まり文句だが、結局のところ、武による忠義心も、数寄による執着も、全ては人の心にあるもの。どちらの道を究めても、最後に行き着くのは「人の姿」であり、一足先に「義心」を通過した左介も、ある意味で本当の武人といえるのかもしれない。

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