最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
外道も道のうち、第10話。いつにも増して強烈な回になりました……
今回は前半部と後半部に大きく分かれる構成になっているが、なんと言ってもインパクトが絶大だったのが前半部、秀吉と信長の深夜の「茶会」である。前回ラストで胴体真っ二つに切断された信長が、重力の力で見事下半身に着地。そのまま絶命を先延ばしにし、胆力でもって秀吉に一杯の茶を振る舞うことになる。あまりに漫画的な、あり得ないお話には違いないのだが、「あの信長なら、これくらいの最期は迎えそう」という有無を言わさぬ迫力があり、むしろ「信長が単に逆賊に討たれてのたれ死ぬだけのはずがない」という説得力がある。臣下に斬られたと知った次の一言が、「刀が安い」とは、最後の最期までかぶいた御仁だ。 末期の茶会では、信長も少し心を許してしまったのか、自分が選択した未来の綻びについて、多少は後悔の念を漏らした。駄目だと分かっても仕方がなかった息子たちへの恩賞と、家臣の扱い。いつかは自分がこうなる日が来ることを予測しながらも、一人の人間として、他の選択肢を選ぶことが出来なかったという。しかし、次なる器は、同様の野心を持つ秀吉の手に託されることになるのだ。夢破れた最期の会席で、信長が一つも不満を言わず、むしろ清々しくすら見えたのは、次の世代を託すべき男が、目の前で自分に運命を突きつけたことへの安心感からかもしれない。子供達に次代を託す夢、血族の繋がりこそ途絶えたものの、最期に振る舞った一杯の茶は、まさに「血脈」を受け継がせるためのもの。あまりに奇妙な譲渡の儀式に、秀吉は一言の言葉もなく、黙って器を受け取り、噛みしめるようにしてそれを引き継いだ。「天主」として行われる移譲の席としてはあまりに小さく、あまりに暗い一場面ではあるが、「歌舞伎者」から「へうげもの」へと受け継がれる国の未来が、じっとりとした「黒」の中で伝わってくる名シーンといえるのではなかろうか。器を受け取る時の俯瞰シーンに現れた「天命」の描写や、倒れた信長と、立ち尽くす秀吉を分ける「明」と「暗」のコントラスト。実に画面映えするものである。 そして後半パート。明智の謀反で蜂の巣を突いたような大騒ぎとなった京の都。織田の血筋は討ち果たされるも、首謀者であるはずの光秀自身は、姿が確認出来ない信長や、予想外に本能寺に積まれた爆薬の存在など、一切イニシアティブを取れずに右往左往しているイメージ。そんな混乱に乗じて、織田の中でもただ一人、長益だけはどさくさに紛れて逃げおおせてしまう。武人としての誇りなどより、よほど自分の方が大事。織田のかっとんだ血筋の中でも、また特別なはみ出し方をした愉快な男の逆転の一手だ。 そして、似たような理由で、最終的に焼け落ちた本能寺にたどり着いたのが、我らが左介である。元々京に駆け付けたのは、単なる虫の報せ、純粋な信長への忠義心からだったはずなのだが、明智の動きを聞きつけた瞬間、頭の中には「信長は無事か!」の号令よりも「本能寺に集まった名品たちは無事か!」の不安が支配的に。「武人として」やらねばならぬことは山積みで、頭ではそれを知りつつも、身体は勝手に名品探し。全く同じメンタリティで火事場泥棒に勤しむ命知らずの長益を発見して諭そうとしてみるも、「同じ穴の狢」の一言であっさり心が折れてしまう。目の前の男が武士ではなくて「数寄者」であるなら、見せかけだけの仁義など邪魔になるだけだ。 巡り巡った数寄への執念か、弥助の手を介して名品の一部は馬鹿2人の手に回ってきた。もう、このあたりのシーンになると二人とも信長のことなどすっかり忘れているようである。時代は移り変わっていくが、それ以前の時代からの物に囚われ続けている男共には、大した問題ではないのかもしれない。 結局、この作品の中心は大河ドラマでも愛憎劇でもなく、あくまで「数寄」に魂を売った馬鹿どもの喜劇。決意の一太刀で信長を斬って捨てた秀吉ですら、ちゃんと本能寺で名品たちを集めることに余念がなかったのだ。「ワシが出てきて良かったわ」って、まさかそんなことのためにここまでの危険を冒すことになるとは……すげぇ連中だ。 そして、これだけの大騒ぎを、まるでワイドショーでも見るかのように悠然と見守るのが、巨人・千利休。白装束を身にまとい、漆黒の茶器で茶をすする文化人の異形は、まさに暗躍する巨悪。本能寺に打ち上げられた自作の壮大な花火にしても、彼の目から見れば単なる「花々の間引き」程度でしかないのかもしれない。時代は成った。ここからは、数寄の世界だ。 PR
光秀オンステージ、第9話。いやぁ、流石にあそこで突然の熱唱は不覚にも笑ってしまった。よく聞くフレーズだけど何の曲なのかは知らなかったのでググったら、曲名「昭和ブルース」かよ。突っ込みどころが多すぎるわ。
一つの時代の終わりを告げるには、あまりにも静かなエピソード。膨れあがった信長の権力はついに公家を飲み込むまでに至り、名品を自らの権力でかき集めることにより、織田家は「箔」を手に入れた。朝廷の後ろ盾を最大の武器とし、毛利を落とした後は九州を平定、そのまま明・大陸へと軍を進める信長の構想は、本当にそれをなしえてしまうだけのバックボーンが作り上げられていた。 彼にとって唯一の博打であり、唯一の失点は、配下の扱いについて、あまりに先を見過ぎたせいでついていけるものが居なくなったことである。「箔」を守るために権力を織田に結集させ、日本国内を息子の信忠に任せ、更に彼のサポートには長益やその他の兄弟を配置する。国をおさえ、更にその先へ手を伸ばすためには、そうした「大きな基盤」が必要だった。勿論、あれだけ先見の明のあった信長のこと、配下の者達の扱いをぞんざいにしてはならないことくらい、承知していたことだろう。光秀、秀吉を始めとし、滝川一益などの功労者には、それに見合った報奨と地位を与えるという選択も考えたはずだ。しかし、国内平定のみを目指すのならばそれでも足りたのだろうが、その一歩上にのし上がるためには、こんなところで力を分散させるわけにはいかなかった。内紛、謀反のリスクを抱えながらも、自分の思い描いた壮大な絵図を大命題とし、部下がついてきてくれることを期待するしかなかったのだ。 結果だけを見れば、その思惑は失敗したことになる。実際に動いたのは仁義を重んじる光秀であったわけで、表面上は信長がリスクの取り方をしくじったという風になる。だが、今回のラストでは、衝撃の人物が馳せ参じ、実際に手を下すという荒技に打って出た。そう、信長の失敗は、リスクを抱えて部下に不平不満を抱かせたことではなかった。豊臣秀吉という、自分と同じような野心を抱く人間の本質を探りきれなかったことだ。光秀の謀反も、利休の画策も、全て秀吉がいなければなしえなかったこと。その根回しが奏功したと考えるならば、信長は秀吉たった1人に敗れたと見ることが出来るはずだ。わざわざ自らが動く必要のなかった秀吉が最後の最後で一太刀浴びせたことは、「織田が豊臣の前に膝を屈した」ことを表す端的な表現である。 そして、そんな織田と豊臣の確執の間で、最後の最後まで悲運を貫き通してしまったのが、明智光秀という男なのだ。句会で、密会で、そして道中で。光秀は最後の最後まで「義の人」を演じ続けた上で、歴史の上では道化となった。冒頭で触れた場違いな「昭和ブルース」も、そうした光秀の悲しい運命と、滑稽とも言える立ち位置の妙を表した何ともふざけた演出である。「生まれた時が悪いのか」と歌う光秀の重低音は、雨音に消えて、力尽きた老人の最後の一声に聞こえる。 そして、この期に及んで数寄に狂い続ける我らが左介さん。兵糧を削り、秀吉からおこぼれをもらい、必死で家運をかけた進軍をしてきたにも関わらず、どさくさに紛れて本能寺に名品を拝みに行きたいと駄々をこねる君主。そして、義兄からは「武士と数寄者のどちらで生きるか腹をくくれ」と、ついに一番言われたくないことを言われてしまう始末。懊悩している風ではあるが、この人の場合は答えが出ている気がするよ……最後の最後で信長の末期の気配に気づいたのは、数寄者どうしで理屈を越えたなにかが繋がったのか。虫の報せならぬ蛙の報せが、時代の転換点を主人公に伝えてくれたようだ。 そして、「暗躍」という言葉がこれほど似合う男も珍しい、千利休。今回は雨の中をのそりと本能寺に現れ、大量の火薬を押しつけて逃げるという極悪非道の策謀をけろりとやってのけた。次回、さぞ豪勢に燃えてくれるに違いない。雨に濡れ、暗闇に漆黒の衣装をまとって立ち尽くす細目の巨大爺。これほど怖い存在もなかなか無いな。
決戦前夜の第8話。煮詰まる煮詰まる、この緊張感こそが「へうげ」ワールドだな。
既に臨界点に向かい勢い留まらぬ安土城。集まった顔ぶれは、利休・左介の師弟コンビに、信長・光秀、そして家康。武の体現者である三河武士、主君信長への謁見の場ですら装束に「質素」を貫く家康は、信長が築き、左介が憧れる数寄の王国とは真っ向からぶつかる理念を持つ者。そんな家康の気質を理解しつつ、信長は軽くたしなめる程度で、その才を評価するに留まっている。どれだけ自分に対して反感があるかは理解した上で、使える人材は平気で使うのが信長流だ。 しかし、そんな不穏な空気を知りつつ使い続けているしわ寄せがついにやってきた。家康のもてなし役を任された光秀は、まるでその気質に合わない贅をこらした料理で家康を迎える。どう考えても、それが家康にとって心地よいものではないと分かりつつだ。そして、そんな険悪なムードにとどめを刺す汚れ役を図らずも買って出てしまった左介。堪忍袋の緒が切れた家康を見て、光秀の決意は更に揺るぎなきものとなったのだろう。 船上では左介との対話、自室では家康との対話。何人もの忠臣が信長の現状に対して並々ならぬ思いを抱いていることを1つずつ確認した光秀は、四国への出陣の期に、いよいよもって動き出すことになる。 既に決まったはずの光秀の謀反を、更に様々な視点から補足していくギリギリのエピソード。これまでの表情豊かなキャラクターたちに加え、更に個性の際立った家康が絡むことで、様々なキャラクターのやりとりにおける1つ1つの会話の運びが、絶妙な緊張感をもたらす。相変わらず、「間」の演出や会話の含意、それを見せる画面の構成などで時間いっぱいに見せる作劇が印象的だ。 「間」でいうなら、例えば家康がぶち切れた宴席に信長が登場したシーン。2人がにらみ合うシーンはお約束の「目」の時間だが、この時間の持たせ方で、2人の関係性が様々に推察される。また、光秀と家康の茶の席でも、実に10秒以上ものあいだ、一つの音もなく、沈黙が画面を支配する耐え難いシーンがある。2人の間に、無言の思いが様々に飛び交っていることが伺える場面だ。これだけの時間、画も音も止めて間が作れるアニメも、最近はなかなか無いだろう。 そして「会話の含意」。今回笑えたのは、船上での左介と光秀の対話だろう。「信長の乱世への不満」という、不可思議な繋がりで2人の会話は成立しているのだが、当然のごとく、2人の見ている方向は全く違う。左介は「もう乱世も終わっちゃうし、俺も稼ぎが出ないと将来が不安だなー」という愚痴なのだが、それに対しての光秀は、既に謀反を決意しての、決死の対話なのである。「労が報われる日が必ず来る」と説きなだめる光秀の表情が、逆行で真っ黒になって確認出来ないのも、いかにもこの作品らしい見せ方である。 逆に、互いの心中を探り合いつつも、共通の意見で通じ合っているのが光秀と家康。互いに「自分の領内のことなれど」と断りながら語り合う世相批判は、義に篤い光秀に最後の一歩を踏み出させるには充分だった。「1000年の治世」を語り、家康に訴えた光秀は、それだけにものが見える人間であることが伺えるだろう。数十年の後、家康が1000年とはいかないまでも、400年近い「治世」を作り出したことが、光秀の志を受け継いだことに対応している。家康と別れた後、光秀は一人こっそりと信長から拝領した軸を焼き捨てる。ジリジリと燃える掛け軸は、光秀の心中でくすぶる気持ちを表すと同時に、燃え上がる火の粉を見つめる光秀の顔は、当然、この後の本能寺を暗示させていることは言うまでもない。 光秀が動く、それを家康が知る、そして秀吉が待ち構える。役者が出揃い、着実に進み続ける歴史の時計。そんな状態なのに、嫁さんといちゃいちゃしてなんだか幸せそうな左介さん。……いい奥さんを持ったものだなぁ。こんなところで、光秀が言った「労が報われる日」が図らずも来ちゃったあたり、本当に安上がりで空気を読まない男である。ま、こんな男だからこそ、あの時代にミックスフルーツのアイスクリームなんか作れたんだろうけどね。
狡兎死して走狗烹らる、第7話。この言葉が出てきてしまっている時点で、もうすべてが止まらない状態になってるんでしょうなぁ。
少しずつ盤石になっていく信長包囲網。派手な戦は前回のケンカキック一閃で終わってしまっており、あとは残された数少ない争いと、後に残されたものを取り合うための腹芸の競い合いとなった。一命を賭して挑んだ左介のチャレンジも、信長にしてみれば単なる笑いの種となり、結果得られたものはわずかばかりの石上げ。認められたことは喜ばしいはずだが、それでは自分の野望に届かない、がっかり感が先行してしまう。そして、そんな左介の脇で一番の戦果を上げたはずの滝川一益も、一念発起の大提案を無下に拒否され、あげく外様は外様としての戦を全うすべし、との命を受ける始末。左介はさも分かったかのように同情を口にしてみるが、年も違えば身分も実力も違う滝川は、本当に人生が終わってしまったかのような老け込みようだ。此度の戦で全てを賭けていたのは、左介ばかりではないのだ。 ことごとく肩を落とす忠臣達を見て、内心忸怩たるものを抱え続ける光秀。加えて自らの戦績までもが無下に扱われたと聞き、無理を承知で信長へと直談判。しかし、悲しいかな、主君の器はあまりに大きすぎた。仁と義を重んじる昔ながらの武士である光秀には、信長の大望は、理解の及ぶところではない。わずかに残された憧れと忠義は儚くなり、その胸中は、既にかたまりつつあった。 光秀が自らの進退を賭して選び、決心したと思い込んでいる引き返せぬ道。だが、そんな一大決心も、全ては2人の男の手による謀略の内にあった。豊臣と利休。2人の野心は少しずつ光秀を飲み込んでいたのである。秀吉の弟秀長も、既に2人の計略には荷担していたようで、3人で光秀の心境をつぶさに伺っている。秀吉は四国攻めに出陣しながらも信長の四国の扱いをゆがめて光秀を煽るという極悪なプランを実行しており、ゴールである本能寺までの道を的確に誘導する。「万一失敗した場合」でも、単に利休を黙らせて終いだ、という保険までかけているあたり、この男の抜け目無さが伺える。そして利休。直々に光秀の下を訪れた利休は、何気ない茶室のセッティングを見て、忠臣の心が既に挫けているということを察知した。既にゴーサインは出ているようである。 前回のような実際の戦場に出ての戦いも、一応「戦国」を舞台にした作品なので見たい気持ちもあるのだが、やはりこの作品の真骨頂は、腹芸の探り合いや、常軌を逸した数寄のこだわりを描いた部分。今回は光秀という「そこまで数寄に傾倒していない人間」がひたすら振り回される悲劇が描かれており、裏と表の思惑が行き来する様子が実にやるせなくて痛快だ。冒頭の茶室、秀長と利休の対面するシーンでは、秀長が「俺は黒い茶碗も好きだけどなぁ」とさりげなく「俺もこっち側だぞ」とサインを送ると、利休も「少し吹雪いて参りましたな」と返し、密談のために障子を閉めることを示唆する。この時の、突如沈黙する音響の働きも、「黒さ」が際立つ絶妙な仕事。こういう黒さは、利休がいる画面だと本当に際立つ。「茶室」という密閉空間も、なんだかこのために誂えられた場所であるかのように見えてしまう。 また、毎度お馴染み「目」の演出としては、今回は光秀と信長が「富士スカイライン(?!)」で会話するシーンで面白い働きをする。必死で信長に談判を行おうとする光秀の真剣な表情に対し、信長は珍妙な西洋甲冑をまとっているせいで、視線どころかどこに目があるかも分からない状態。あまりの大器故に光秀にその意図が読み取れないという、信長との距離の隔たりが確認出来る。 で、そんな激しい心理戦が繰り広げられている中で、相変わらずの道化役に徹しているのが、我らが左介くんである。「古田殿は、若い」と一蹴されていることからも分かるが、もう、本当に見当違いも甚だしいお気楽っぷりだ。謀反の企ても間もなく収束しようという今の時期に「おのが洞察」を披露しちゃう空気の読めなさ、利休に手伝いを頼まれた時に見せた満面の笑み。もう、自宅の飼い犬かよ、と思っちゃうくらいに分かりやすい。今後もこのどす黒い作品の中のギャグ要素を一手に引き受けてもらいたいところです。更に今後は実利主義の体現者としての家康なんかも絡んでくるようだし、左介はますます忙しそうだよな。
数寄と戦と第6話。今までは「数寄者パート」と「戦国パート」っていう分化が行われていた気がするのだが、今回あたりからだんだんその区分すら無くなってきたような気がする。左介が絡んだら全部そうさ。
前回は秀吉がメインみたいなところもあったわけだが、今回は左介が純然たる主役。「信長が天下統一するまであとわずかしか無いので、その間に武功を上げておかなければ大茶会も開けない」、と焦りを見せる。普通の武人ならば「主君のため」「お家のため」「自尊心のため」に武功をあげようと努めるわけだが、この男の場合、最終目標はあくまでも趣味の世界。何が動機でもそれが活力になるのなら問題無いとは思うが、戦のためのツールとしても器を持ち出してくるシンプル過ぎる思考パターンはいかがなものだろうか。 武功をあげるための第一段階は、戦線を切り開くための小城の突破。窯元を訪れた時に思いついた作戦、偽井戸茶碗で突破。敵方との交渉役は既に対松永など何度も経験してきた左介だが、偽の茶碗で堂々と交渉を押し切ってしまう胆力は一体どこから来るものなのだろうか。相手が「見る目のない奴」だと基本的になめてかかるスタンスなのかね。そして、再びの武功チャンスは、残念ながらそんなに簡単にはいかず、命がけのチャレンジとなってしまった。数寄を競うライバルたる織田長益が先に武功を挙げたと聞き、「数寄では劣っても武勲で敗れるわけにはいかぬ」と、これまた意地の張り合いみたいな理由での決戦である。既に先んじて向かった交渉役が命を落としていることは知らされており、失敗が死に直結することは明らか。そんな状態でも、これ以上長益に劣る部分を見せるわけにいかず、更に事態が天下統一に向かっているとするなら、自分に残されたチャンスはあとわずか。命を賭しても、挑むべきミッションなのである。 悲しきかな安易な偽物作戦は、器を焼いた窯元自身が「質では明らかに劣ります」と言っていたような代物。矢面の小城を任されたような下っ端武士ならだまくらかせても、位が上になればそうもいかない。城主仁科盛信の奥方だろうか。薙刀片手に勇ましく挑みかかる女性は、左介の持参した器を偽物であるとあっさり看過。失敗したかと思ったが「しょせん女は欲には勝てぬ」というよく分からない流れになり、そのまま痴女をスルーである。まぁ、あそこできちんとコトに及んでいたら更にどうなっていたか分からないが……ほんと、左介は肝心なところで使い物にならないものをお持ちで。 そして最後、「出世への階段」となるべき天守への階段を上りきった左介を出迎えたものは、実に見事なケンカキックでありましたとさ。無様に落下していく左介を見て、今回のサブタイトルが「武田をぶっとばせ」であったことを思い出す。ぶっ飛んだのは、お前だ。やっぱり左介は格好悪い。偽物戦術も本当に安易な思いつきだし、それが一度うまくいっちゃったもんだから味を占めて繰り返すあたりも情けない。そして、何とか命がけの戦場に挑んではいるものの、その動機が何ともしょっぱいのも本当に彼らしい。しかし、本物だ。 「戦と数寄」という2要素が絡んで分けられなくなったのは完全にこいつのせいなわけだが、2つの要素が実際面以外にも色々と絡み合った描写がなされているのがまた楽しい。左介の周りでいうなら、女性に迫られて「拙者のろくろさばきを……」と勢い込んで脱いだ左介が挑みかかる画から切り替わり、織田軍が進軍を始めるシーンなんかが印象的。織田の軍旗が次々と掲げられ、ホラ貝による号令が飛び交うシーンを見ると「おぉ、左介もきっと高々と自分のものを掲げあげ、さぞかし立派な戦果を上げたに違いない」と思わせるのだが、再び画面が切り替わって戻ってくると、なんと、自分のものを勃たせることすら叶わなかった様子。まぁ、命がけの戦場、しかも敵親玉の直前で欲情しろって言う方が無茶な相談だが…… 他にも、間抜けさが際立つ左介とは対照的に、既に秀吉の心中を知っている利休が様々な場所に手を回し始める描写でも、彼は常に天下の趨勢を「茶の湯の話」として語る。「今焼き」の是非を問う細川藤孝に対しては「信長への忠誠心が揺らいでいるのか?」と揺さぶりをかけている。その直前で、城の見物料を徴収から取り立てるという、一国の大将とはとても思えない信長の破天荒な振る舞いが、その見方に拍車をかけているだろう。これは「今焼き」という昨今の流れを、新しいもの、エキセントリックなものに目がない信長と対比させての物言いであり、自然に「信長の振るまいは自分の目指す道とはそぐわないものである」ことを藤孝に伝えている。更にその手は明智家にも及ぶようであり、秀吉の働きと合わせて、少しずつ包囲を固めている印象だ。 視聴者は、この利休の策が最終的に本能寺の変という形で成されることを知っている。そして、利休は現時点での情勢をほぼ完璧に把握している。いわば全てを理解した上での、「数寄」の追究という状態。対して、主人公の左介は完全に世の趨勢を見誤っており、「間もなく信長が天下を統一する」と焦るばかり。見ている方向が全く同じであり、挑む精神も本物の2人であるが、かたや黒幕、かたや道化。この2方向の書き分けが実に見事な対比を産んでおり、相変わらずの利休の黒さを浮き彫りにし、同様に悪い笑みを浮かべてみる左介に、どこか憎めない印象を与えているのである。「目で語る作劇」という言葉を何度も使っているのだが、何を考えているか分からない利休の細目と、ことが起こるたびにドギマギと泳ぎ回る左介の目は、本当にこの作品の両極を表しているようではないか。本当にこの男、大成するのか?
オープニング変わった、第5話。先週あたりに、この作品のオープニングを担当していたアーティストが麻薬所持でしょっ引かれたというニュースを見て、「あちゃぁ、まだまだ始まったばっかだってのに災難だな」と思っていたら、予想以上に対応が早くて驚いた。天下のNHKはこういうことの処理は容赦ねぇな。流石に替えの映像や楽曲があったわけではないので、画面はそのまま、作中で使われる音楽にSEを入れただけのその場凌ぎのものでしかないが、それでもなんとなくやれているだけでも頑張った感は出ていますよ。
で、そんな世事とは一切関係なく、作中でも時代は進んでいく。前回、利休との会談で否が応でも自らの内にある野心を意識してしまった秀吉が今回の主人公。「信長討つべし」の利休の案は、忠臣としての地位を確立した秀吉には聞き入れるわけにはいかないものである。しかし、その気持ちは常に己が内にあったもの。利休の進言をその場で正すことも出来ず、熟考した後に斬って捨てることも出来ず。自分の業の深さに呆れながらも、秀吉は止まれぬ坂道を転がり始める。そして、その矛先が向いたのは信長自身ではなく、事前に不和の気配を感じさせていた光秀の方。猿が猿知恵を回し、忠臣の中の忠臣を揺さぶりにかかる。秀吉自身の手による横腹の小さな傷は、比べものにならない傷を光秀の心に残し、それが、この後で信長を焼き焦がすことになるわけだ。まことに、秀吉という人物は恐ろしい。 腹の探り合い、謀略、野心、そして忠義。様々な思惑が交錯する人間模様を見ていると、やはり戦国時代なのだな、ということを改めて思い出させてくれる。自らの立ち位置を心に決めた秀吉は、利休との密談の証拠を消すために、いとも容易く門番2人を斬って捨てた。後にその野心を海の外にまで広げることになる関白殿の冷淡な行動力が、遺憾なく見せ付けられる場面であった。 そして、そんな猿の思惑に完全に踊らされる形となりそうなのが、忠臣・明智光秀である。主君の振る舞いには多少の不満はあるものの、そこはあくまで主従の関係。信長の器は認める以外に無いものであるし、自分の気持ちや、家臣からの不満などは二の次であったはず。しかし、そこに突然現れたのは、自分と同じような立場に思い悩み、涙を流した秀吉の姿。あの気丈で飄々とした信長の側近が、自分の前で情けない泣き顔を見せた。これは、男として見過ごせる事態ではない。何が自分のため、家臣のため、そして国のためになるのか。光秀はしばし思い悩むことになる。 秀吉と光秀。2人の英傑の感情の揺れや決意が、今回も見事な止め画と「目」の演出で見せ付けられる。また、雨の中、家臣を切り捨てて修羅の道を歩み始めた秀吉の後ろ姿や、庭木をいじる平穏な日々を送っていたところに、予期せぬ涙を見せられた光秀の困惑など、1つ1つの感情が、言葉ではなく表情や仕草で見えてくる。相変わらずの重厚さである。秀吉の悪そうな顔が、単なる悪役ではなく、こもごもの思いを秘めた天下人の風貌に見えるように描かれているのが本当に気持ちいい。 で、そんな重苦しい雰囲気などどこ吹く風なのが、我らが主人公、左介さんである。決意に揺れる秀吉がひたすら自問を続けている間も、信長に送られた名馬を見て飛びつかんばかりに喜び跳ねているだけだし、高山右近にもらった「良からぬ気を起こさぬお守り」としての十字架も、名物の馬を見れば心がよろけて意味が無いし、何事も無かったかのように秀吉に渡った名品をかすめ取る小悪党っぷりは磨きがかかる。上司が「天下を取るために主君を裏切るどうか」で悩んでいるにもかかわらず、その間、部下は必死で偽の杓をこさえたり、ムラムラしちゃったからかみさんを呼び出したり。ほんと、武士としては最低の男である。しかし、だからこそ利休も秀吉も「面白き男」と評しているわけだが。「神を信じるか」って聞かれて、「3つの茶入れ」って答える時点で人として駄目だよなぁ。
利休でかすぎワロタ第4話。街中で他の商人たちと並んでると、頭一つ以上抜け出てるじゃねぇか。当時の人間が小さいとはいえ、一体何㎝あるんだよ。
4話になっても一向にテンションが落ちない作劇に唖然。今期一番の緊張感を持ったアニメは、文句無しでこの作品でしょう。舞台設定が戦国時代という最近のアニメではしょっちゅう見かけている内容なのに、やってることが見たこともない内容なのが良い刺激になる。殺し合い、奪い合いを見るよりも、こうした虚栄と矜持の物語を見た方が、人間の業の深さがよく分かる気がします。 今回は、乱世のファッションショーのような趣で自分の意匠を得意げに見せる左介から始まり、信長の絶頂期と、それをねめつける光秀の怪しさ。我が道を突き進む利休の隠された傲慢さと、それに異変を感じ、次第に繋がりつつある秀吉との関係などが描かれ、ビィートレイン演出のしっかりした間を維持しながらも、かなり密度の濃い物語となっている。正直、この演出技法の時点で中身の充足はある程度犠牲になるものとばかり思っていたのだが、この作品の場合、ちゃんとシナリオラインも流れており、歴史を知っていても充分楽しめるように出来ているのが本当に見事。 そして、今回はサブタイトルにもある「ブラック」の巧さがそこかしこに確認出来る。なんと言っても本作で「黒」の体現者と言えば利休だ。最初に店の軒先に現れる利休は、極端とも言えるほどの真っ黒な影の中からぬっと姿を現し、京の往来に何とも言えぬ異物感を醸し出す。窯の前で茶碗の完成に打ち震える利休も、ずっと光源を背負っているせいで顔色が暗いままであるし、秀吉と二人で密談する時にも、明かりを正面に受ける秀吉とは対照的に、利休の顔はずっと影を帯び、暗いままになっている。彼の口から語られる「黒」への固執が、ずっと作中に尾を引いているのだ。そして、これに真下演出の真骨頂とも言える「目」の要素が絡んで実に面白い画面の色彩を引き出す。影の中に細い眼を光らせる利休のただならぬ風貌もそうだが、ラストシーンでは、黒い背景の中、かっと目を見開いた秀吉の表情でブラックアウトしていく。このカットの中で際立つのは、生来の大きな目を見開いた秀吉の目の白さである。この後の時代で利休の受け皿となる秀吉であるが、後々の彼らの関係性を思えば、この「黒に浮かぶ大きな白」という対比、対立が、何とも言えない歯がゆさと不安定さを醸し出す。「表情で止める」という演出は真下演出では定番のものだが、改めて見ると、こういう色彩の妙までも味わうことが出来るのだから、流石としか言いようがない。 他にも、信長と光秀の会話の間に挟まれ、望遠の視点で全景に散る桜の花びらが、後のシーンで秀吉の茶室の花瓶に繋がったり、1枚1枚の絵の色彩の配置が実に見事。画面の動きが少ないだけに、演出家の意図が1つ1つ丁寧に拾っていける構成は、ファンからするとありがたい限りである。 是非とも、正座しながら1つ1つの画面を吟味して味わいたい佳作。このまま3クールもやられるんだとしたら、いつまでこの身が持つか自信が無いわ。
アボンとぶっ飛ぶ第3話。今期は制作本数が多いせいでやたら地味な印象があるこの作品ですが、実はかなり面白いんじゃないかと思っとります。
原作未読の状態で視聴していて、古田織部のキャラクター性を全然知らないというのも大きいのだろうが、とにかくキャラクターが活き活きしていて、いちいちぶっ飛んだことをしでかしてくれるので見ていて飽きが来ない。扱っているものが珍品名品、茶の席に侘び寂び、風流ということで、どうしても画面はゆっくり、変化に乏しいものになるのだが、そのテンポが予想以上に真下演出にマッチングしている。人間模様を描くためのツールである真下演出だが、こうした「得も言われぬ空気感」を描出するのに使われると、こうも破壊力があがるとは思ってもみなかった。 3話で具体的に挙げるなら、たとえば利休の茶室で「茶碗を寄越せ」と要求された左介が、しばらく悩んだ後にニヤリと笑って差し出すことを了承する場面。利休の思惑を計るためにしばし黙考する左介の口元のアップが数秒間写しこまれるわけだが、それまでの大仰な左介のモノローグと、一向に顔色を変える気配のない利休の対比のおかげで、左介が唇をかんで必死に悩んでいる懊悩ぶりが容易に想像出来る。そして、その結果として「笑う」という行為が、数寄者どうしのどうしようもない繋がりと業の深さを表している。「この人は人としても俗物として次元が違う」とあきれ果てる左介の心境がよく分かるシーンである。 他にも、信長の居室で究極の2択を迫られた左介のあり得ない表情や、光秀の話を聞いた時の秀吉の含み笑いなど、目元、口元のアップのカットで見せる演出がいちいち効果的に働いている。数寄者の連中も、理解の範疇を超えた度し難い煩悩が見え隠れし、武人たちは腹の内に押し込めた出世欲をひた隠しにしようとしてこぼれ出てくる。2種類の「本音」の錯綜する姿が、濃いキャラクターたちに絡み合って、絶妙な刺激になっているのである。いやぁ、いいなぁ。 中の人たちも実に渋い。利休役が田中信夫っていうだけでお腹いっぱいになるが、秀吉役の江原正士、そして光秀役には田中秀幸である。ある意味今期一番豪華な面々なんじゃないでしょうか。今後あんまり感想は書かないだろうけど、じっくり見てもらいたい1本です。放送が終わったら原作買い込もうかな(3クールあるけどな……)。
突如アニメシャワーに現れた謎のアニメ。一体何なのかと調べてみれば、なんかまた国が立ち上げた「アニメって日本の誇れる技術だな!」企画であるらしい。詳しいことはググってくれた方が早いと思うが、とにかく若手のアニメーターを育てる名目で立ち上げられたオリジナルアニメ製作の企画だ。昔からこういう主旨の企画って立ち上げられているんだけど、結局単発になることがほとんどで、あまり業界のてこ入れになってない気もする。ま、1本でも2本でも費用の面を保証されて作品が作れるなら、クリエイター側にはありがたいコトなのかもしれないけどね。
そして、そんな企画の結果生み出されたのが4本の25分オリジナルアニメ。これを全国の劇場で一挙放送し、うまいこと人気があればそのまま製作会社が自由に使えるコンテンツとなるし、わずかながらも興業が出来るっていうことになる。そして、宣伝のためにテレビ放送もしちゃおうっていうわけだ。……でもさ、結局MBSで全部やってくれるなら、わざわざ劇場まで見に行く必要無いよね。関西人はけちくさいからどうせ劇場になんか来ないだろうから、とにかく見てもらおうって事なのか? でも地上波放送したら、絶対良からぬ輩が動画サイトに上げてしまうと思うぞ。むー、商売第一の企画ではないといっても、なかなかそのあたりの折り合いを付けるのは難しそう。 いやいや、逆に考えるんだ。テレビ放送した結果、「これは是非劇場でもみなけりゃならぬ」と思えるだけの作品に仕立てればいいだけの話。もしくは「うは、これと同じ品質の作品があと3本も? 飯喰ってる場合じゃねぇ!」と短気なオタクが劇場に駆け込みたくなる作品にしてもいい。そうすれば、一応興業としても成り立つ。どっちにしろ、魅力的なコンテンツを生み出さない限りはプロジェクトとしては失敗なわけだからね。 で、その顔見せとなったこの作品だが……うん、悪くないよね。製作体勢に余裕があるおかげで、画面自体は綺麗だし、丁寧なのは分かる。製作がP.A.worksということで、こういう見た目に好印象な画面作りは手慣れたものである。ただ……言ってしまえばそれだけという感も否めない。 クライマックスの川で子犬を救うシーンのコンテ割りや動画の処理は確かに面白い出来になっているのだが、なんだか逆に丁寧過ぎて、「若い才能が憧れてやりたいことをやってみました」みたいな実利を伴わない装飾過多にも見える。偉そうなことをいえば、物語を見せるためのアニメ、というよりもアニメを見せるためのアニメになってしまっている気がする。それが悪いとも言えないが、筋立てがシンプルなだけに、ちょっと複雑にいじり回すだけで、何か大切なものが霞んでしまうような気がするのだ。プロジェクトの主旨が主旨なので、斜に構えて見てしまった部分はあるのだろうが、単発シナリオとして何か心に残るかというと、ちょっと物足りない。 ま、それでも大本の制作理念を考えれば、NHK教育が夕方6時頃に放送するアニメとしては丁度いいかもしれない(単にピーマンから連想して「おばけのホーリー」を思い出しただけだが)。色々と文句は言ってみるものの、特に不満が出るような出来でないのも確かなのだ(あまり劇場まで見に行こうとは思わないが)。多分、これ以上の文を書こうとすると次の段落は絶対「早見沙織」という言葉が3回以上出てくることになるので、この辺にしときます。来週はどんな作品が出てくるのだろうか。 |
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