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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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具志堅うるせぇ、第24話。これはこれで味わいなの? いや、でも明らかに日本語通じてない感じになっちゃってるぞ。やっぱりネタよりも作品全体のイメージを優先させて欲しいもんだが……

 さて、いよいよ開幕した「茶の湯天下一武道会」、北野大茶湯。利休は相変わらずの仏頂面であったが、秀吉は無事にイベントが開催出来て得意顔。自分もこの国の美が理解出来ている、ということを大衆に知らしめることが出来たし、あわよくばここであの不気味な利休を上回る大茶人を見付けて、首をすげ替えてしまえば後の憂いもなくなるって寸法だ。どれだけ表面を取り繕ってみたところで、秀吉と利休の間の埋まらない溝については、双方とも重々承知しているらしい。

 利休にはやる気がなく、丿貫だって興味は欠片も無い。となると、この茶会でやる気をガンガン空回りさせるのは、やはり我らがフルオリ(あと細川のバカボンとか)。注意深く敵軍を観察し、何とかこの期に数寄者の頂きへと上り詰めようとあれこれ策を弄する。そして、その結果生み出された侘び茶の極み(??)が、トム・ソーヤもびっくりの天高き茶室であった。集まった市民には評判も上々。とにかくぶっ飛んだところを見せれば勝ち、みたいな分かりやすいインパクトが勝負の鍵だ。ただ、これって見る人が見たら勘違いの極致。感激にわななく息子を思いきりブン殴るのは長益。織部といい利休といい、この人の回りの数寄者は救いようのない連中ばかりなので、遊び人の割には苦労するポジション。利休との対話を通して「ヤバいじじい」と漏らしてみたり、この人の感性が視聴者には一番近いですかね。これまでうまいことはぐらかして生きてきた人生だが、そのせいで見なくてもいいものをどんどん押しつけられているのは自業自得か。

 そして、得意満面の織部の茶席にもの申したのは、顔面蒼白、堅物の極みである石田三成。三成は、丿貫説得の際にも織部に面子を潰されており、どっちもどっちな関係ながらもあまり良い間柄とは言えない。「高みの茶席など不敬の極み」と声を荒げる三成はさっさと撤収するように織部に食ってかかり、意地を貫かねばならぬ織部とはとっくみあいの喧嘩に。その結果は当然のフォーリング茶室。「頂きへの一歩」は見事にスタートより下のどん底へ急落である。さすがは織部。僕らの期待した通りにやらかしてくれる。

 結局、秀吉の自己満足以外の何ものでもない大茶湯は、誰1人得をしない格好で終了するかと思われた……が、最後の1シーンで、秀吉はあの丿貫と出会った。突如番傘を開き、飄々と茶席の準備を始める謎の老人に、秀吉は一体何を見たのだろうか。以下次回。

 ……今回のびっくりポイントは、初登場となった伊達政宗のキャラクターだろう。いや、キャラクターっていうか、声が……レッツパーリィ!

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結局芸術なんてこんなもの、第23話。フルオリさん、最近ずっとイカしてたのに……久し振りに大コケしましたなぁ……

 禁教令の発布により、日の本の美意識は大きく揺れ動いた。本来、美や芸術などというものはお偉いさんが何を叫ぼうと不変の物であるはずだが、現実にはそうもいかず。南蛮渡来の舶来趣味は控えざるを得ず、世に知らしめられたのは千利休率いる侘び茶軍団であった。関白殿の大号令により、日本の茶席は一気に侘びへの関心を高めることになった。

 その陰で密かにその意志を貫くのが高山右近。彼は生涯を賭した南蛮趣味を屈することを快しとせず、秀吉からの追放令を甘んじて受けることとした。一方、舶来ものの華美趣味を色濃くしていた長益は、留守居役であったのをいいことに、秀吉の帰還までの間に慌てて屋敷を改装することで何を逃れる。数寄者としてのこだわりもある男だが、織田が滅ぼされたこの世でのうのうと生きていられるのも、この周到さがあってこそだ。とにかく、聚楽第において、南蛮趣味は一時的にその姿を消すこととなる。

 しかし、それで世間が侘び寂びを理解したかといえば、残念ながらそう簡単に行かぬのがこの道の険しさ。膝を折って反省したと語る秀吉であったが、その振る舞いは未だ利休の狙い通りとはいかなかった。どれだけ目先の出来事で伴天連を嫌悪しようとも、生まれもっての趣味嗜好はなかなか変わらないもの。「侘び茶を全力で押し進める」と約束した秀吉だったが、その第一声で行われたのは、大茶会の開催号令であった。半分が狙い通り、半分が思惑と外れた形で素直に喜べない利休は、茶席で露骨に難しい顔だ。

 そして、そんな時代の動乱の中で、我らがフルオリさんはどうなったか。褒美に貰ったきんきらきんの茶碗は速やかに博多商人に売り払い、今後の金策と流通ルートの確保。そして、侘び茶が隆盛するなら今こそ己と利休の時代とばかりに、高々と鼻を伸ばした状態で聚楽第へと参る。初めて見る数寄者たちの家々を見て、やれ若気の至りだの、やれ悪趣味だのと散々ないいよう。何故ここで利休の茶室を訪れてみなかったのか、ということを考えると、彼が慢心して自分の数寄に酔いしれていることはよく分かるだろう。もしここで利休の狭い狭い茶室のメッセージを受け取っておけば、その後の振る舞いも変わったやもしれないのに。

 そして、いよいよ踏み込んだのは、練りに練ってあのノ貫が生み出したあばら屋を再現したという、何ともひょうげた自分の屋敷。数々の創意工夫を得意げに語ってみせるが、市井の人々とは違って、利休は眉根を寄せてそれを見つめる。得意満面の織部はそれを「妬いておる」と勘違いしたが、利休の脳内を渦巻くのは苦言ばかり。あまりに凝りすぎたその風情は、利休の目指した侘びとは、どこかズレたものに到達してしまったようだ。

 クライマックスとなるのは、全てを任せた長谷川等伯の手による襖絵。どんな侘び絵が飛び出すかとワクワクした織部であったが、目の前に飛び込んできたのは、極彩色の水玉が乱舞する「てんとう虫の部屋」。狙いとあまりにかけ離れたその風景に、織部は思わず膝から崩れてしまう。恥をかかされ、怒り心頭の織部が等伯を斬って捨てようとしたそのとき、利休は一言、「これは良いもの」。もう、何が良くて何が悪趣味かなんて、誰にもわかりゃしません。織部もここで自らの意志を貫いて等伯を切り捨てておけば主義は一貫したものの、利休が褒めてしまったために、怒りの矛先はどこへやら。結局等伯を攻めることもできず、おのが叱責が間違いだったと認める形に。久し振りの格好悪さは、顔から火が出る恥ずかしさでございました。

 フルオリさん……どうしてこうなった……まぁ、やっぱり滑稽なことをしている方が面白い人ですからね。利休は一体、どこまで突き詰めて「数寄」の限界を見るのか、もう本当に分かりません。既に半年観てきてる番組なのに、相変わらず「名品名席」を見ても、骨董品のどこかすげぇのかよく分からないしね。中島誠之助が楽しいから見てるけどさ。ま、織部さんもまだまだその道半ば、ということですわ。それにしても、織部って今いくつくらいなんだろう。まだご夫人と夜の生活が盛んなのが素晴らしいな……

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らしからぬサブタイトル、第21話。この期に及んで惚れたはれたなんてどこで出てくるんだよ、と思ってたら、まさかの家康ですわ。おっちゃん、パッと見の美人さんよりも質実剛健のしっかりした女性がお好きなようで。肝っ玉母ちゃん風のおねね様相手に、無骨な頬をそめておりましたよ。なーんかこの作品らしからぬ雰囲気になっていて、思わず吹いてしまいましたがな。

 ただし、残念ながら(?)今回のメインテーマはそんな親父の恋心とは特に関係無いのですよ。久し振りに武士が武士として動き始めた、秀吉の九州遠征に関わるすったもんだがお話のキモ。ここまでず〜っと数寄の方に話がよっていたおかげで、もう下手したら織部が「武士」だってことを忘れちゃいそうなぐらいでしたからね。

 タヌキと猿の化かし合い、家康がついに豊臣との和平を結び、関白秀吉はついに東国への憂いを消し去った。そして、ついに念願だった天下統一のために九州に大がかりな兵を動かすことに。これで泡を食ったのが、ぼくらの織部さんだった。最近はすっかり新居の建築やらに使い込んでいたせいで、いざ出陣となると、肝心の兵力が足りない。どうしたらいいかと回りに探りを入れるも、上田は先を見越した堅実なやりくりで準備をしていたし、一番の「同じ穴の狢」である長益は、ちゃっかりお留守番の権利を勝ち取って尻をまくっていた。全てで後手に回ってしまった織部は、面倒なことに頭を使いたくないのに、と苦い顔。でも、武士なんだから体面だけはなんとかしなきゃいけません。

 ここで一昔前までの古田左介だったなら、みっともなく慌てたところを、誰か見かねた人に助けてもらう流れになっていたのかもしれないが、大大名織部さんは、ちょっとやそっとじゃ動じません。まず、過去の恩やねねとの色恋でちょっとぐらついた家康をつつき、それで金を引っ張り出そうと算段する。これは一応成功したようだが、今回の出兵には間に合わず、窮余の策にはならなかった。しかし、それでも何とかしてしまえるのがフルオリクオリティ。見切り発車で集合場所に向かう途中、形ばかりの将軍の陣を発見。どさくさに紛れてちょいとだけ兵力をちょろまかした。まさか、こんなに適当に兵卒が動くもんだとは思ってもみませんでしたが。相変わらず能面のような訝しげな表情でジッと睨め付ける三成を、勢いで突破。とりあえずの参加条件は満たすことに成功。

 しかし、参加しただけじゃ戦争は終わらない。今度は「家康の息子を活躍させる」「火はNG」「でも肩付きは取り返してね」などの様々な縛りが設けられた戦ミッションが待ち構えている。絶望的な状況の中でも、織部は不思議と絶望しない。上田が耳に入れた情報をもとに、次なる作戦に打って出るのである。そして、ここでも活きるのは自らの「数寄」。本当に、人生においてぶれることがない男である。今回は久し振りに困った展開が多かったはずなのに、特に慌てた様子が無くて、なんだか妙な立ち位置を楽しんでいるようにすら見えるんだよね。強いお人。

 そして、武人達が戦争に行っている間は、町に残るのは文化人ばかり。利休は豊臣・徳川の和睦にも一役買い、帝との茶席も無難にクリア。確実に手を伸ばすゴールに届きそうな勢いである。家康をして「油断せずにはいられない茶」と言わしめた麻薬のような茶会の席。一体、何を盛ればそこまでの評価が得られるものなのだろうか。織部よ、そんなところで油を売っている間に、黒の巨人はまた別の次元に飛び去ってしまうかもしれないぜ。

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インフレ勃発、第19話。ここにきて一気に、古田織部の株が上がりまくっている気がします。弟子を1人携え、まだ無名であるらしいあの長谷川等伯を懐に抱き込んだ。そして、「巨人」千利休を、尊敬すべき師匠であると見なすと同時に、「最終的に倒すべきライバル」と認識できるようになった。フルオリサーガは、早くもクライマックスを迎えている感だ。

 天下が平定されても、その水面下での腹の探り合いは続いている。そのうち1つが、真摯な態度を貫き通したことで未だ勢力を保ち続ける徳川勢と、それを牽制する豊臣勢の小競り合い。「裏切り」のレッテルを貼られた石川数正を代表として、「今だのこり続ける武士の精神」と、「世が平定されたからこその数寄の世界」が対峙する。武士という任務があり続ける限りは「妙味」などは不要であるとして豊臣を非難する徳川勢榊原に対し、数正は「桜の美しさも子に伝えられずに、何を語る権利があろうか」と反論する。精神論に対して極論で応じるという、なかなか頭の悪そうなやりとりではあるのだが、それでもお互いの主張は分かりやすいし、今この時代を左右するものの対比は見える。そして、この作品においてはどちらが優位になるのかは火を見るよりも明らか。傍らの利休もどこかしら笑っているかのように見えるのは、自らの思い描いた理想通りの侘びの世界に、1つ近付いたことを実感しているからだろうか。

 しかし、そんな「数寄」を統べているはずの豊臣秀吉の表情は明るくない。利休にそそのかされた帝の暗殺計画は情が邪魔をして達成出来ずに終わり、どこかで歯車が狂えば徳川や毛利に天下が傾くかもしれないという不安は残り続けている。しかし、秀吉はあくまで機知と運気で乗り切ってきた男。かの信長公の後をなぞりきってみせることは目標とするが、その行動指針までもが信長に準じたものになるわけではない。非情を胸に抱きつつも、何とか現状の勢力を拡大し、更なる版図を海の外に向けるべく、決意を新たにするのである。

 そして、大きな決心をする男がもう1人。もちろん我らが古田織部様。聚楽第に念願の武家屋敷が建つことになるわけだが、これまで手がけてきた茶碗だの、着物だのとは規模が違う。家を1軒建てて、それが衆目に晒されるとなれば、「数寄で天下を取る」とまで誓った男には運命のかかった大勝負だ。わずかばかりも気を抜くまいと、進んで改革できる部分は茶器にしろ、絵画にしろ、信じる道を突き進み、更に利休から技を盗むことにも抜け目はない。数寄を高じさせつつも商売のいろはを守り抜いて稼ぎもあげる利休の手管を見て、わずかでもその理を自分のものにし、あわよくば乗り越えんとする気概に溢れている。何とも浅ましい姿ではあるのだろうが、迷いを失った後の織部は、清々しさに満ちているためにむしろ格好良く見えるのが不思議なところである。

 今回は、秀吉の見せる「人間50年」の力強い舞台などの見どころも多く、シナリオラインの進行と同時に、人生行路と数寄に全力を傾ける男達の馬鹿馬鹿しさが見事であった。久し振りに見たからテンションがどうなってるかと思ったけど、この人達は心配いらないみたいです。

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 ちょっちゅね、じゃねぇよぉぉぉぉぉ! 第18話。お前、そのネタのためにどれだけアニメが犠牲になるか分かっとるんか? その1ネタを完遂するために、せっかく没入してた世界が一気に醒めることは分かっとるんか? もう、ネタキャストの起用はやめてくれよ……いや、だからって清正役に誰が良かったかっていうと、多分原作組はあの声以外をイメージ出来ないんだろうけどさ……ふぬぅ。

 というわけで、声オタらしいことを一言叫んでからの中身に移りたいと思います。今回はダイレクトにサブタイトルを活かした内容となっており、主に描かれたのは関白となった秀吉がどのように苦悩し、何を目指しているかという部分と、それを利用し、利用される立場の宗易改め利休が、一体何を狙っているのか、という部分。腹芸含みで色々ときな臭い作品ではあるのだが、やはり利休がメインになったときのドロドロとした「黒さ」は筆舌尽くしがたいものがある。

 利休の狙いは、ただひたすら「侘び茶」を根付かせ、自らの追究する美を完成することにある。そのためには一切手段を選ばないことはこれまでの行動からも明らかであり、実際に最大の障壁となるであろう織田信長を謀略で打ち倒し、その後も「白」の化身であった明智光秀と半ば刺し違える形での勝利を収めている。そのための「手駒」としてフル活用していたのが羽柴秀吉であり、手駒の中で最高級のものとするためには、「豊臣」となった秀吉に、最後の障壁である朝廷をも打破させるのが最終目標となっている。

 帝の暗殺。長き日本の歴史の中で、何度となく語られてきたこのクーデター精神だが、ここまで純粋で、ここまで無価値な野心があっただろうか。利休は地位を必要としてはいるものの、求めるものは地位でもなければ栄誉でも富でもない。ただ、単に世界を黒く染め上げ、侘びの国家を作り上げることだけが彼の目標である。そのためには帝が邪魔なだけであり、ほんの些細な邪魔者の処理を行うために、秀吉にガラス瓶を手渡し、その見返りとして、肩に深々と短刀を突き立てられたのだ。元々小兵でしかなかった秀吉のこと、どれだけ見得を切って短刀を振り回そうとも、見上げるような大男である利休は微動だにしない。国をひっくり返すほどのクーデターを企てようとも、それを提案する表情には一切の迷いも衒いもない。利休の大きさは、狭い茶室の中で、関白たる秀吉と相対する場面だからこそ、更に際立ってくる。

 その点、秀吉はやはり小さい。心労のために夜の生活にも一苦労であるし、利休の持ち出した「一つだけの花」についても、安易な不満を漏らし、その意図をくみ取るまいと目を背けた。直接提示された暗殺計画の申し出には激昂し、いざ実行に移そうにも、帝の威光を前にはなかなか目的を達成出来ずにいる。どれだけの功労を成そうと、やはり秀吉は天下取りという博打に長けただけの、一介の武人だったのである。

 黒く染まる利休の謀略が狭い狭い茶室で蠢いている間、我らが主人公である織部は、相変わらずお気楽なものである。少しずつ威厳を蓄えてきた一国の君主は、数寄を楽しむ姿勢にも余裕が出始めた。上司である秀吉があの手この手で必死におなごの服をむしり取っていたその間に、織部は妻のための着物を容易く手に入れ、まとわせることで更なる愛情を得る。奪うものと与えるものという対比が、少しずつ黒に浸食されていく秀吉の逼迫感と、自分の道が見えはじめて迷いを無くした織部の対比を浮き彫りにしている。

 そして、数寄の怪物といえば、命を数寄で買い、数寄に命を捧げた男、荒木村重がいた。ついにその強欲な人生にも幕引きが見え始めた村重は、ただ1つ、己が貫き通した生き様を、まだ見ぬ息子に伝え聞かせることだけを織部に託した。血の繋がった息子に形のあるものではなく生き様を残す、といえば聞こえは良いが、その実、自分が蒐集した名品の数々を他人に渡すという発想が出てこないあたりは、本当に強欲のかたまりのような人生。しかし、その強欲を真正面から受け止めるもう1人の強欲は、そんな村重の生き様を見送り、言いようのない達成感を得ることが出来た。織部の人生は、こうして数多の数寄者の怨念が積み重なり、更なる厚みを持つことになるのだ。

 生きること、死ぬこと、生かすこと、殺すこと。様々な思惑の中に、最終的には「数寄」が関わるおかしなこの世界。そんな馬鹿馬鹿しさも、真摯に描けばドラマである。相変わらず、視聴後に何とも言えない気分にさせてくれる、そんなお話でした。

 しかし……秀吉と茶々の絡みは、よくもまぁあそこまでのものにしてくれたものだ。忘れがちだけど、これってNHK。

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冷静になると本当に分からない第17話。毎回きちんと「へうげもの名品名席」まで見ているわけだけど、本当に「芸術品」っていうジャンルの良さってのは分からないもんだね。平蜘蛛の接いだ奴がいいとか悪いとか……あれもちゃんとお勉強すれば見ただけで鳥肌が立ったりするようになるものなのかしら。

 時は流れてあっという間に秀吉が関白の位にまで到達。「ようやく天下人になれたわ」と安堵の溜息を漏らす秀吉ですが、どうにも、あれだけ必死に狙っていた「天下」を取ったという感慨が無いのは寂しい限りですな。まぁ、あの席に座るまでにどれだけのものを失い、どれだけ神経をすり減らしたかを考えれば、あの大怪物織田信長のように、呵々と笑って鎮座するような心持ちではないのだろう。あくまでも「小ずるく、周到に」積み重ねてきた結果の天下なのだ。ひとまずのんびりと女漁りでもしたいという気持ちになるのは仕方ないところか。

 そして、そんな秀吉の天下取りに多少なりとも荷担した「共犯者」、左介。徳川との折衝役として事を成したことも評価され、ついに位を賜るまでに上り詰めていた。元あった中川の家については弟夫婦に全部任せて、自分は新たに得られた山城の石をもとに、数寄の道を邁進しようという腹づもりだ。位が上がれば武に取られる時間も多くなるとはいうものの、使える財もそれだけ増えて、念願だった自分独自の道探しも一気に視界が開けるというもの。「趣味が高じれば金がねぇ、金を稼げば時間がねぇ」というのは、いついかなる時代のマニアにも避けては通れないジレンマよの。ま、無いものをやりくりしている逼迫感も趣味に没入する楽しさの一つと思えば。

 秀吉を通じて手に入れた新たな官位の名、それは「織部」であった。織物などの紡績業を統べるために存在していた官職とのことだが、そこには「弾正」などが持つ無骨なイメージもなく、「左介」が孕んでいたぺしゃっとしたイメージも大きく改善。そして何より、あの憧れの色彩、オリーブに似た響きを持っているのだ。織部、おりべ、オリーベ……なんという運命の悪戯であるか。……これって、いわゆるDQNネームの走りですか? 名前までもが「数寄」に寄ってしまい、左介改め織部の腹の中には、他人には理解し得ないほどの物欲がぐつぐつと煮えたぎるのである。

 しかし、数寄の道は未だ果てなく。念願叶って借りられた茶入れを使っての茶席で利休に褒められたまでは良かったが、まだ茶室を完成させるまでの領域には達していないとの酷評を受け、ちょっと伸び始めた鼻っ柱をへし折られてしまう。まだまだ黒衣の怪人には及ばないということか。

 それならば、あとは自分にだけ与えられた恩恵である「資産」を使って、望むべき未来を追究し続けるのみ。あの信長の意志を受け継ぎ、父親の小言には耳も貸さずにつぎ込むところに全額投資。大量の焼き物職人を集めての一大窯職人プロジェクトは、他の誰とてチャレンジしようとは思わない「数寄勝手」の極致といえよう。興味半分で列席した上田左太郎は、そんな狂気の入り交じった織部の計画に、呆れを通り越して底知れぬ馬鹿の恐ろしさを感じたのであった。

 今回から、傍観者としての上田左太郎が正式参戦したことが、物語の中における織部の立ち位置が大きく変化したことを表している。これまでは信長や利休、荒木村重といった数寄の先人達の後を追うのに必死だった左介を中心に物語が進んでいたわけだが、今回をもって、ついに織部は「追うもの」から「追われるもの」へとシフトチェンジしたのである。「訳の分からない織部のすごみ」を見せるには、その意図を計りきれないオーディエンス、つまり驚き役が必要になるのだ。その重大な役目を務めるのが、上田というわけだ。彼の目から見たら、既に織部も利休も、得体の知れない怪物には違いないだろう。

 天下が変わり、名前が変わり、立場が変わり、そして物語での役割が変わった。「チェンジング・マン」とは、何とも味のあるサブタイトルではないか。

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じんわりにんまり16話。前回のサブタイトルが「時代は変わる」、そして今回は、そんな「変わった時代」を象徴するようなエピソード。これでまだ折り返し点まで来ていないってんだから(本作は3クール)、このあとは一体どんな物語が待ち構えてるんでしょうかね。ちなみに、ボチボチ我慢せんでもいいだろう、ってことで原作コミックス1巻は買ってきました。今後もアニメを追い抜かないように注意しつつ、少しずつ原作も追っていきたいと思います。

 特に切った張ったも無くなり、全体的には大人しめのシナリオ進行になっている今回。主な見せ場は、歳を重ねて少しずつ余裕が出てきた左介のメンタル面の変化であろうか。いつの間にやら兄・中川清秀が死んでるのはびっくりだが、これにより、事実上左介は管理下に置く石高が一気に上がり、体裁の上ではそれなりの大名にまでのし上がっている。中川家をどのように切り盛りしていくのかは不安な部分もあるが、既に「武の道は諦めた」ことは本人も自覚的なようだし、何より家族愛は人一倍強く、親族の面倒は見てきた男だ。自分の立ち位置をきちんと把握して、適宜身を引いたりすることは出来るのだろう。

 そして、家庭内に余裕が出来れば、あとは数寄の道を邁進するのみ。左介同様にのびのびと自分の趣味の世界をレクチャーする利休と2人、新たなる美の様式、「侘び」「渋み」を信徒達に伝達していく利休。その表情は終始穏やかであり、左介の好き放題の振る舞いにも思わずにんまり。羽柴の治世を最も謳歌しているのは、この連中なのかもしれない。

 とはいえ、流石に遊んでいるばかりでは社会はたちいかない。突然の秀吉からの呼び出しは、何と難敵徳川への和睦の使者をやれという「荷が重すぎる」難題。秀吉の傍らに控える石田三成も、「なんでこんな適当な奴がそんな重大任務を任されるのだろう?」と訝しげだが、そこは天下の羽柴秀吉。適材適所は心得ている。戦に勝てるとは思っていないが体面を保たねばならないという徳川の苦境も理解し、それを解きほぐすための仲介役として、家康との遺恨を秘めた左介を引っ張り出してきたのだ。

 盟友長益と共に家康の下を訪れた左介。家康の方も安土城でのあの一件は記憶に残っていたらしく、あのときの意趣返しとも言える、とんでもないもてなしで左介に揺さぶりをかける。実際は家康本人の意志というよりも、家臣一同の「精一杯の腹芸」としてのライスボールだったわけだが、左介に対して一定の効果は与えられた。数寄を追究し、なおかつ羽柴全軍の使者として訪れた者に対して、あまりにも心ないもてなしに、一度は左介も膳に手をかける。ここで使者が和睦の席を台無しにしてくれれば、徳川側としては「羽柴を圧倒した」ことになり箔がつくし、その上で和睦についてはある程度有利に話が進む。羽柴としては、体面などどうでもいいのでとにかく徳川の反発心さえ抑えてしまえばそれでよいのだから、ここで細かいことにこだわって会食をぶち壊すことに意味は無い。傍らで見ていた長益は、左介に対して必死に堪えろと念じる。

 キレかけた左介。目は血走り、血管は浮きだし、普段弱腰な男とは思えないくらいの憤り方。しかし、それをすんでのところで堪えさせたのは、体面でも、政治的配慮でもなく、単なる数寄の結果。あまりに必死に虚勢を張る徳川家臣を見て、そこに新たな面白さを見いだしてしまった。もう、こうなったら和睦の義理とかどうでもいい。おまけにお膳の上には新しく楽しみ始めた「渋み」のもとになる素焼きの皿まで。これだけの見返りがあるなら、ちょっとした挑発行為なんて、別にいいやの精神であった。

 別れの際に手作りの茶杓でせめてもの謝意を表して去っていく左介を見て、家康は初めて「負け」を感じた。将来は日本を統べることとなる実直なる名将も、損得を越えた左介の底知れなさには叶わなかったようだ。事実上、利休の唱える「侘び」「渋み」と、光秀から受け継いだ足袋に代表される旧来よりの「見得」「数寄」をぶつけてきた家康という、奇妙な形の代理戦争ともなったこの会食だったが、結果的には「侘び」が1本取った形。家康が光秀から受け継いだ志は、数寄の世界ではなく、後の泰平へと受け継がれていくこととなろう。

 ほっこりするような、もやもやするような、この何とも捉えどころのない大団円こそがこの作品の真骨頂よな。1つ、ピックアップするなら、今回初登場の石田三成が関俊彦だった、というのはポイント。だって「戦国BASARA」の三成は関智一だからね。何故か、同じ時代に同じ人物の声をダブル関が担当するというよく分からない奇跡が起こっているのだ。あと、さりげなくキャストに山本麻里安が混じってた。ギリギリのところで生き残っておる……

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 時代が変わった、第15話。戦乱が終わり、回り始める新たな治世。そして動き出すのは黒衣の怪物。やっぱり利休が動き出すと怪しさと緊迫感がケタ違いです。

 明智が去った安土城。そこに織田が再び天下を築き上げていくのかと思われたが、「か弱き民の総意」を振りかざした利休の一声により、安土の天守は燃え落ちた。「明智の手にかかったものを残すのは織田の世の汚点である」というのが主な論旨であったが、実際には一瞬でも「白」に心を動かされてしまった自分への戒めと、そうまでして自分を突き動かしてしまった光秀という人物への弔いの意味がである。城が落ちて「白」が落ちたことは、同時に、清廉であり、信長殺しに関して一切の咎が無い人物、つまり「シロ」である明智が落ちたことをも意味している。そして、残された人間たちはといえば、「クロ」を身にまとった利休と、他人よりもはるかに浅黒い顔を持つ男、羽柴秀吉だった。

 信長殺しの真実を手に入れてしまった左介は、自分の身の振り方に思い悩む。逆賊討つべし、と羽柴に喧嘩を売ることも出来ないし、誰かに報告して再びの戦乱を招くことも本意ではない。しかし、これまで彼の人生の大部分を作り上げてきたのは織田信長という怪物である。それを無下に切り捨ててそしらぬふりをするわけにもいかぬ。策も無いまま、左介は秀吉の滞在する清洲へ向かう。信長の血統の後見人として立ち、盤石の体勢を整えた秀吉と、未だ立ち位置定まらぬ左介。2人の会談はどのように進むのかと思えば、なんと、開始数分で秀吉がまさかのカミングアウト。弥助の存在がある限り、左介が真実を知っている可能性は充分にあり得る。そこで秀吉がとった選択は、怪しいものは全て白日の下に晒すこと。さっさと自分の口で左介に真実を認めてしまい、「知った上でどうするのか」と問うことで、より明確な左介の意志が伺えるというものだ。

 古田左介は、そんな秀吉のなりふり構わぬ勢いに、信長とは別の可能性を見いだすことになった。確かに、そこまでして天下を追い求め続ける秀吉の心中が全て理解出来るはずもない。弥助を捕らえたことを考えれば、未だ敵として見ることも出来るはず。しかし、古田左介は基本的にことを善し悪しで判断する男ではない。人にせよ、器にせよ、いかに大きく、いかに「他にない何か」を持っているか。仁も義も理も利も全て飲み込んだ上で、左介は秀吉の未来に全てを託すことにした。左介の覚悟と「非情」の2文字を受け取り、改めて天下を取ることの重さを噛みしめる秀吉は、謀略に生き急ぐ日々の中で、初めて涙を流すことが出来た。

 後日、左介が招かれたのは、秀吉と利休という2人の「クロ」が作り上げたという、小さな茶室「待庵」。初見では意味が分からなかったその小さな空間は、これから先に利休の見定める侘びの世界、渋みの世界が待ち受けていた。侘び好みのなんたるかを改めて理解した左介は、信長との縁切りの意味も込め、これまでの収集物を洗い出し、新たな数寄へと一歩を踏み出すことになる。

 そして、利休は秀吉が残した最後の濁りとも言える、弥助を待庵に迎え入れる。弥助は利休自身も信長謀殺に荷担していたことを感じ取ったが、個人的な義理は既に果たしたとのこと。利休は息もかかるほどの距離に復讐の鬼を迎えながら、命を長らえることになる。そして、「クロ」である自分が信長時代の最後の1人である弥助に見逃されたことで、新たな時代へのスタートが切られたことを高らかに宣言する。暗闇の茶室、黒衣の怪物、そして黒い肌の使者。黒に染められた小さな小さな部屋が、新たな時代の幕開けを告げた。

 とにかく、「待庵」における対峙や1つ1つの対話の緊張感がいちいち重苦しい今回。本当に、この作品ほど「動かない」ことが雄弁に語るアニメも珍しいのではなかろうか。毎回見終わったあとにへとへとになりますわ。今回一番印象的だったのは、待庵で左介が思い悩んだ後に「全て受け入れられた」と利休に報告し、それを受けた利休が思わず口の端を持ち上げたカット。なかなか「笑う」という動作をしない人物なだけに、ほんのわずかでも「笑み」を浮かべたことがものすごいインパクトになっていた。

 あとは小ネタですかね、茶々様に手を焼いて「将来天下を統べたりしないよなー」とぼやく長益とか、実際はいらないから捨てちゃった箱を丁寧にしまって置いてくれる良妻賢母とか。個人的に笑ってしまったのは、柴田勝家役に、柴田秀勝というキャスティング。並べて書くと、どっちが武将だか分かんなくなるね。役を振る人、明らかに遊んでやっただろ。

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 明智の最期、第14話。辛いお話になりました。これが群雄割拠の乱世の厳しさであることは分かっているが、こういう無情を見せられると、やはり色々と考えさせられるものがあります。

 明智軍の包囲網は次第にかたまり、大きくなっていくばかり。加勢に馳せ参じようとした徳川勢にも、羽柴の軍勢が4万を超えたという絶望的な報せが届く。それでも義に殉じようと馬を向ける家康であったが、家臣から上がった声は「三方ヶ原を忘れたのか」という決定的な一言。あの戦での醜態は、家康の未来をも左右した決定的な教えである。意気に任せて進軍を決めようとした家康の表情が強ばる。

 そんな状況は何も知らぬ光秀は、既に自らの時代が「三日天下」で終わったことを理解していた。わずかばかり残された部下との「最後の晩餐」では、未来を憂う必要も、部下を守る必要も無い、純粋な「楽しむための夕餉」を久し振りに迎えることが出来た。わずかな手間と発想で無念の晩餐に彩りを添える光秀。「武に尽くすより、数寄に興じてみたかった」と自らの無念が詰まった半生を振り返り、「武など美には勝てぬ」と達観した様子。しかし、時代の動乱を生み出した自らの進退については、きちんと1つのけじめを付けなければならないのも、彼なりの流儀である。

 そんな光秀に対して、「反信長」という1つの旗印を拠り所に、延暦寺からの救いが差し伸べられる。信長の命とはいえ、本来ならば僧たちを攻め滅ぼした光秀に恨み言こそあれ、救いを差し伸べるなど想定の外。その信義に感じ入った光秀は、何とか最期の生に賭けてみる決断をする。落ち延びる山中において、延暦寺の僧たちも一枚岩ではないことをしらされることになったが、それでも自分を求める人間がいるのならば、その思いに答えてみせるのが武人である。

 しかし、世はかくも無情である。結局、光秀は生を長らえなかった。どれだけ徳を積もうとも、あの「魔王」の下で働き続けた業は容易く祓えるものではない。最期に民を守りながら別れを告げる光秀の目には、燃え落ちる自らの人生そのものが、至上の「侘び」として理解される。一度は思いを異にし、事実、自らの進退を左右して人生に終止符を打つ直接の原因になった男、千利休。彼の身にまとう「黒」は、人生においては喪の色として扱われる。その「黒」に彩られた末期の一瞬に、彼は利休の思惑すら越える侘びの極致にたどり着くことになったのである。艶やかな色彩もいらぬ。余計な人生も、末期を見取る臣下も要らぬ。そして、下の句すら蛇足である。義に篤く、信義を尊んだ1人の武士は、こうして目を閉じたのである。彼の残した思いは、1足の足袋を通して、次の天下に受け継がれることになる。

 そんな壮絶な最期とは一切関係無く、気づけば羽柴軍の目利き役として重宝がられることとなっていたのは、信長への思いから頭を丸めることになった古田左介である。数寄の道は信長への忠義、憧れが後押ししていた感情であり、目標を失った今、彼の目にはどんな大名物も心を動かすことはない。……とかいいながら、火炎土器を相手にするとやっぱり変な顔。確かに、これまで持ち続けた「数寄」への情熱は失われたが、彼の性根はどこまで行っても一数寄者。嗜好が遷移し、新たな美の地平を切り開く段階に入っただけで、そこから情熱が消え去ることはなかった。現時点において、彼の目指す道は明確には見えていない。あの事件のとっかかりとなった八角釜によって、新たな美の可能性である土器が粉々になってしまったことが、その「未だ成らざる道」の存在を端的に表しているだろう。

 左介の行く道が正しいのかどうか、それはまだ誰にも分からない。しかし、あの明智光秀が最期に思ったのは、最期の一瞬こそ最愛の妻であったが、その直前には、「一途な数寄に迷いがない男」である左介の姿を思い描いている。少なくとも、1人の武人に憧れられた、理想の人生であることは間違い無い。時代は巡り、天下は変わる。左介の美、そして利休の美。大成の時は、まだ先のことなのだろう。

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