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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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左介が戦ってる! 第13話。天下分け目の決戦が舞台なんだから決定的なエピソードには違いないんだけど、真面目に合戦場で人を斬っている左介を見ると、違和感がモリモリでございます。

 一向に援軍がやってこないことに焦りを感じる明智軍。そしてようやく報せがきたかと思えば、羽柴の挙兵と、その想像以上の規模に度肝を抜かれることに。事ここに至って、聖人君子明智光秀も、これまでの全ての流れが秀吉の策略であることに感づいた。猿知恵に一杯食わされたことに思い至った光秀の無念は、いかほどのものであっただろうか。そして、そんな光秀に与することを決意したのは、同じ志を持つ三河の徳川である。和を以て武器となす家康は、あくまで臣下の意見を尊重することを強調してはいるが、それはあくまで三河武士としての矜持を守れる範囲でのこと。かたや民を思って仁の道を踏み外した明智軍、かたや全てを謀って天下を狙う羽柴軍。家康の決意で、ようやく三河が動き始める。しかし、決戦の時は既に間に合わないところまで迫っていた。

 絶望の明智軍と違って意気が高いのは、思い思いに集まってきた羽柴連合軍である。熟考を重ねて動き出した徳川とは異なり、こちらの軍勢は秀吉の下準備によって既に仇討ちに参加することが決まっていた面々。そこに躊躇いは無いし、大義名分もあるために動きも迅速だ。そして、そんな面々に共通する目的は、この大いくさでの武功である。信長が平定しかけた天下で、奇跡的に訪れた大舞台。ここで一気にのし上がれば武功どころか天下も見えるという大ばくち。民のこと、忠義のことなどさておいて、集まった将達には「少しでも美味しいところを」という私利私欲が渦巻いている。もちろん、それもこれも、全てはそうした人の業をコントロールしきった秀吉の手腕によるものなのだが。

 軍旗のデザインが一部に好評であり、ますます士気をあげていくのは我らが左介さんだ。名を売るにはここしかないのだし、今後の趨勢は誰も予測が出来ないものになる。ただ1つ、秀吉がのし上がるであろうことは確実なわけで、そこに密接に食い込める機会は、この戦をおいて他にはない。数寄でもアピールし、更に武勲もあげたとあれば、一気に勝ち組の仲間入りが出来るのだ。とにかく「見せる」ことを意識せねばならないこの状況。武士としての意気を見せるための抹茶一気飲みにも気合いが入ろうというものだ。

 しかしまぁ、左介の腕っ節の弱さも天下一。戦闘開始の号令の直後、あっという間に馬からコロリ。ひょっとしたらここで人生が終わってもおかしくなかったところなのだが、天はひょうげた奴に味方する。突如現れた弥助に命を助けられ、更にとんでもない情報まで置き土産にされて、一気にテンションが上下してしまうことに。天下分け目の決戦場は、左介の人生を、また別の意味で分けることになった。

 「秀吉が信長を殺した」。弥助の残した情報に、左介は曇天を仰ぐ。にわかには信じられない話であるが、弥助が嘘をつく意味も無いし、何より、秀吉という男は、「奴ならやりかねない」という底知れぬ脅威を持つ男。思い返せばあまりに迅速な高松からの帰還劇など、思い当たる節も多かった。「信長を殺したのは秀吉である」。意外過ぎる事実は、あっけなく左介の中で真実として受け入れられる。そして、ほんの一瞬ではあるが、秀吉の掲げるひょうたん印を「真の仇」としてみようとしたのも事実である。信長の弔い合戦であるならば、初めて知った事実を声高に叫び、自陣にとって返すのもあながち無い話ではない。

 しかし、左介はそれをしなかった。この場合、「出来なかった」と「しなかった」は半々ぐらいだろうか。あまりのことだったにも関わらず何故か妙に納得出来たというその事実は、秀吉という男を既に受け入れつつあるということを示している。そこまでの思いがなければ狙えない天下。そこまでの決意がなければ立ち続けられない「武」の世界。そんなことを思った左介の頭に去来するのは、大釜を抱えて散っていった松永久秀、「生きたもんが勝つ」と図太く生きながらえる荒木村重。誰も彼も、武と数寄の間を彷徨った先人達。松永は言った。「どこかで諦めるしかない」と。

 必死に戦場をさばきながら、自らの進退に懊悩する左介。武を貫くなら、死を賭してでも守らねばならない物がある。取らねばならない命がある。しかし、左介の本質は、結局そこには無かった。「諦めて、生き延びろ」。敵の雑兵にとどめを刺すことも能わず、左介は自分自身というものを痛いほど理解出来たのである。

 

 とにかく、この作品の毛色に全く合わない合戦シーンでのあれこれが刺激的な今回。正直言って、合戦自体の出来は二流三流。躍動感の無い軍馬の構成に、痛みが一切感じられない斬り合い、ビィートレインらしい血の噴きでない末期。左介の立ち回りも動きが軽く、なんだか滑稽な演舞を見ているようである。しかし、この作品の場合、これで一向に構わない。描きたいのはチャンバラ劇でないのだから。しのつく雨の中、合戦という緊迫した場の中でも、左介はいつものように「武」と「数寄」に揺れ動く。その間、彼にとって合戦場の剣戟などどうでもいいものなのだ。あくまで、思い出される信長の顔、松永や荒木の言葉の方が、彼の人生に与える影響は大きいのだ。揺れ動く心情はいつものように「目」に現れ、左介は今回2回ほど血走った目を見せている。これまで大名物を見つけた時にばかり見開いていた彼の目は、今回大きな人生の岐路を迎えるにあたって、現実を見つめるために開かれた。そして、そんな彼の一大決心が、最後に雑兵に振り下ろされた一発の拳骨だったのだ。武人としてはあまりに弱々しく、ともすれば降り続く雨にすら負けてしまいそうなその一撃は、戦の相手ではなく、左介の中にかろうじて存在していた何かを打ち砕いたものであるように見えて仕方なかった。

 間もなく天下は平定される。「武か数寄か」。その決断は、既に下されているのかもしれない。

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猿知恵全開、第12話。今回は全編秀吉メインで回り続けるお話なので、ノリが軽くて、あざとくて、いつもと雰囲気が違います。

 駆け付けた左介を涙ながらの歓待で迎える秀吉。口を開けば現状への不安や自身のやるせなさがこぼれ出るが、これがまぁ、何とも壮絶な猿芝居だ。「信長が討たれたと聞いて」って、お前やがな。お前が斬ったあげくに火事場泥棒まで試みたんだろうが。しかし、そんなこたぁ誰も知らないので、諸将は着実に秀吉の膝元へと集まってきている。既に親交が深かった高山・池田に加え、左介を通じて揺さぶりをかけられた中川清秀もその立ち位置を(なし崩しで)固め、明智包囲網は万全の状態。どれだけ書状を送りつけてもなしのつぶてが続く光秀の惨状とは対照的な様子である。

 こうして着実に力を付けていく羽柴軍を見るにつけ、「大大名」という餌をちらつかせられた左介も気が気ではない。義兄を餌にして秀吉の頼みを聞き届け、秀吉の落ち着かない振る舞いに振り回されつつも、なんとか自分の狙いを完遂させようと走り回る。それでも、「外様ならではの不安感」に肩身を狭くしていた織田軍の頃とは違い、「まもなく出世が待っている」と期待感溢れる羽柴軍ではのモチベーションは雲泥の差。路傍の花に心奪われようとも、「今は数寄より武だ」というので走り出せるくらいの理性は保てている様子。加えて、旗印にもはっちゃけデザインを施すなどの暴走っぷりもお見事で、ハートマークがずらりと並んだ信長仇討ち軍団は、決死の覚悟の光秀とは対照的に、ちょっとしたお祭り集団のような勢いが醸し出されそう。まぁ、個人的にはハート3つの旗印は、「ゼルダの伝説」の初期リンクのステータスみたいでおちつかねぇけどな。

 猿芝居熱演中の秀吉も、とんとん拍子で進んでいくシナリオにほくほく顔。情けなく涙を見せたり、弱そうに見せて無茶な人質要求をしてみたり、かと思えば突然頭を丸めて覚悟を表してみたり。どこか人間的な胡散臭さと弱さを漂わせることが、彼にとっての処世術。「明智は正しく、立派である。しかし、立派であるからこそ、誰一人明智を信用しない」というのは、流石の洞察である。清廉であり、高尚であるからこそ、明智の狙いは誰にも届いていない。逆をいえば、見え透いた狙いがあり、そこに弱さが垣間見えれば、人々は安心してついていくことが出来る。羽柴の軍勢は、今まさにその条件を完璧に満たしつつあるのだ。その中には、かつて信長と対峙した荒木村重もいる。生き残ればこその数寄の人生。実利をとり続けるしたたかさは、武人よりも圧倒的に数寄者に分があるのだろう。

 そんな数寄者の中で、一人明智の膝元に潜伏していたのは千利休である。明智から笑みを受けたところを見ると、誰一人彼が文字通り「黒幕」であることに気づいていない。数々の名品を本能寺で失ったことを考えれば茶人たる利休が裏で糸を引いていたとは考えにくいだろうが、1つ1つの「物」にこだわらずに理想型を追究する彼の思惑は、他人の理解の及ぶところではない。既に安土城がどうなるかという未来は見えている。秀吉の人を喰った猿芝居とは対比的に、利休の怪しげな目は、何も語らずに粛々と謀略を進めていく。

 ただ、そんな仮面を被った利休も、真っ白に塗り替えられた安土城を見たときだけは、うっかり表情が表に出てしまっていたのが面白い。黒一色を愛する利休に反旗を翻すかのような「ホワイトキャッスル」。利休からしてみれば文字通りに「白黒付ける」必要がある最大の敵として立ちはだかったことが明示的になるわけだが、それでも、あまりのストイックさに一瞬だけ心を奪われそうになったことを後悔するあたりがやっぱり変。数寄者ってのは、本当に自分に正直で、イカした奴らばかりである。

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天下分かちゆく第11話。物語は1つの山を超え、今はくだりの加速どき。この転がりゆく情勢の中で、諸将はことの趨勢をどう読み切るか。「軍記物」としては一番面白いくらいのタイミングだと思うのだが、噂ではスタッフクレジットで原作者の名前が「原作」から「原案」に変わった、という問題で議論が起こっているという。好きな作品なので、これ以上トラブルなく、すんなりやって欲しいところではあるんですけどね。

 「信長堕つ」の急報は、正誤の入り交じった情報を抱えながら、日本中の将を駆け巡った。絶対君主であった信長を失い、全ての武将は「明智とは」という問題に対してすぐさま答えを出さなければならない状態。そして、この混迷極まった状態こそが、「猿知恵」豊臣秀吉が思い描いていた通りのものである。これまで1つ1つ丁寧に敷き詰めてきた様々な秀吉の策が、ものの見事に収斂していく様が何とも恐ろしい。

 「織田か明智か」。はっきり言ってしまえば、現状でベストアンサーをはじき出せる人間は、おそらく全ての絵図を描いた秀吉(と利休)以外には存在しない。各武将達は必死に頭を悩ませ、武人としての忠義、プライド、そして打算を全てひっくるめた上で、どう動くのかを決断していく。

 最も分かりやすい「保留」を決定させたのが細川である。君主細川藤孝は、本来ならば真っ先に縁者である明智の補佐に回るべき人物であり、光秀もそれを期待して真っ先に書簡を送っていた。しかし、この男の下には、既に一度利休がくさびを打ちに来ている。「裏切り者あらば……」と語った利休の「もしも」を、このタイミングで光秀が実現させてしまった。そして、利休の言は、明らかにそれを意図したものであった。単なる光秀の離反であるならば、息子忠興のように「逆賊打つべし」と立ち上がるもよし、あくまで明智に着くもよし、その判断は出来たのかもしれないが、そこに利休の影がちらつくことにより、さらには豊臣の影すらちらつき始める。こうも不確定要素が多くては、動くこともままならぬ。結局、見事な体術で息子をたたきのめすと、一切の許可を取らずに親子ともども剃髪し、戦況を見守ることを選択した。これもまた1つの戦であろう。

 また、光秀の意図をくみ取り、現状に手を出さずに趨勢を見守る決断をしたのは、「耐えること」では右に出るものはない、徳川家康。冷静な顔をしているが、急速な便意は現状が急を要することを充分理解した結果。本来ならば逆賊をせめる立場にあるはずだが、光秀の真意は未だ定まらず。明智という男には自らと同じ信念があると信じつつも、一度三河に引き、結果を静観する構えだ。

 そして古田である。こっそりと名品を受け取って帰城した左介は、織田の最後の1人ともいえる長益を救助、解放した。腹の底まで打ち明けあってしまった、「死を恐れて己をとった臆病者」と「主君の死に接してなお器に執着した数寄者」の2人は、武の権限者とも言える柴田勝家の悪口でひとしきり盛り上がり、はみ出しものとしての自身を笑い続けた。

 長益と分かれた左介は、義兄中川清秀に相談を持ちかける。中川は、「義による救援を織田に回す」「明智を見守る」「秀吉に組みする」などの選択肢を決めかねていたが、ぽろりとこぼれた一言のおかげで、左介は秀吉が自分を評価していたという事実を知る。二百という金子の違いを叩きつけられた半端武士は、「恩に報いずば武士の恥」と兄を焚きつける。自分はとうに武士の誇りなどうっちゃってしまったというのに。本当に、打算と興味で動いているときの左介の悪そうな顔といったら!

 諸将の救援がなかなか訪れないことに焦りを隠せない光秀。しかし、信長への反抗心は、家臣ならば少なからず持っていたものであるはず。そうした「一致団結した思い」があると判断したからこそ、思慮深い彼も動くことを決断したのだから。しかし、期待は実らず、細川を始めとした救援のあては次々に外れていく。未だに彼は、一人の男の手の中で踊っていることに気づいていない。

 全て事を成した、豊臣勢。本能寺で信長を手にかけた秀吉は現在水面下で移動中であるが、その意志をくみ取って100%の仕事をしたのが、毛利攻めを継続中だった弟、秀長。斥候と対峙した彼の表情は、兄秀吉の影を完全にコピーしたかのような策士の容貌。明智の使者をその場で斬って捨て、受け取った書状は「明智が毛利に内通しようとした文である」とさらりと嘘をつく。これにより、豊臣配下からすれば明智は完全なる逆賊。一気に明智討つべしの流れになる。光秀の方は、秀吉を最大の仲間だと思い込んでいたというのに。見事な兄弟連携により、実働部隊としては最大規模の豊臣軍が、一路明智討伐へ向かうことに。

 

 秀吉と利休が、布石として起き続けてきた諸々が一気に機能し始め、あっという間に明智を追い込んでしまった様子が圧巻のエピソード。ここまで考えられた秀吉も恐ろしい人物だが、その中で駒として動く多くの武将達も、必死に現状分析をしてベストの選択を模索している描写が実に面白い。この腹黒さに溢れかえった感じが、本物の「戦国乱世」なのだろうという雰囲気がにじみ出ているのだ。そして、そんな腹芸と計算だらけの中でも、信念を曲げずに別な計算軸で動き続ける古田左介。今回のエピソードの中で、彼が本能寺の跡地に立てたたった1本の茶杓だけが、策謀と野心を度外視した、唯一の「忠心」であったのは何とも印象的である。

 「武か数寄か、それが問題にて候」というのがこの作品の決まり文句だが、結局のところ、武による忠義心も、数寄による執着も、全ては人の心にあるもの。どちらの道を究めても、最後に行き着くのは「人の姿」であり、一足先に「義心」を通過した左介も、ある意味で本当の武人といえるのかもしれない。

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外道も道のうち、第10話。いつにも増して強烈な回になりました……

 今回は前半部と後半部に大きく分かれる構成になっているが、なんと言ってもインパクトが絶大だったのが前半部、秀吉と信長の深夜の「茶会」である。前回ラストで胴体真っ二つに切断された信長が、重力の力で見事下半身に着地。そのまま絶命を先延ばしにし、胆力でもって秀吉に一杯の茶を振る舞うことになる。あまりに漫画的な、あり得ないお話には違いないのだが、「あの信長なら、これくらいの最期は迎えそう」という有無を言わさぬ迫力があり、むしろ「信長が単に逆賊に討たれてのたれ死ぬだけのはずがない」という説得力がある。臣下に斬られたと知った次の一言が、「刀が安い」とは、最後の最期までかぶいた御仁だ。

 末期の茶会では、信長も少し心を許してしまったのか、自分が選択した未来の綻びについて、多少は後悔の念を漏らした。駄目だと分かっても仕方がなかった息子たちへの恩賞と、家臣の扱い。いつかは自分がこうなる日が来ることを予測しながらも、一人の人間として、他の選択肢を選ぶことが出来なかったという。しかし、次なる器は、同様の野心を持つ秀吉の手に託されることになるのだ。夢破れた最期の会席で、信長が一つも不満を言わず、むしろ清々しくすら見えたのは、次の世代を託すべき男が、目の前で自分に運命を突きつけたことへの安心感からかもしれない。子供達に次代を託す夢、血族の繋がりこそ途絶えたものの、最期に振る舞った一杯の茶は、まさに「血脈」を受け継がせるためのもの。あまりに奇妙な譲渡の儀式に、秀吉は一言の言葉もなく、黙って器を受け取り、噛みしめるようにしてそれを引き継いだ。「天主」として行われる移譲の席としてはあまりに小さく、あまりに暗い一場面ではあるが、「歌舞伎者」から「へうげもの」へと受け継がれる国の未来が、じっとりとした「黒」の中で伝わってくる名シーンといえるのではなかろうか。器を受け取る時の俯瞰シーンに現れた「天命」の描写や、倒れた信長と、立ち尽くす秀吉を分ける「明」と「暗」のコントラスト。実に画面映えするものである。

 そして後半パート。明智の謀反で蜂の巣を突いたような大騒ぎとなった京の都。織田の血筋は討ち果たされるも、首謀者であるはずの光秀自身は、姿が確認出来ない信長や、予想外に本能寺に積まれた爆薬の存在など、一切イニシアティブを取れずに右往左往しているイメージ。そんな混乱に乗じて、織田の中でもただ一人、長益だけはどさくさに紛れて逃げおおせてしまう。武人としての誇りなどより、よほど自分の方が大事。織田のかっとんだ血筋の中でも、また特別なはみ出し方をした愉快な男の逆転の一手だ。

 そして、似たような理由で、最終的に焼け落ちた本能寺にたどり着いたのが、我らが左介である。元々京に駆け付けたのは、単なる虫の報せ、純粋な信長への忠義心からだったはずなのだが、明智の動きを聞きつけた瞬間、頭の中には「信長は無事か!」の号令よりも「本能寺に集まった名品たちは無事か!」の不安が支配的に。「武人として」やらねばならぬことは山積みで、頭ではそれを知りつつも、身体は勝手に名品探し。全く同じメンタリティで火事場泥棒に勤しむ命知らずの長益を発見して諭そうとしてみるも、「同じ穴の狢」の一言であっさり心が折れてしまう。目の前の男が武士ではなくて「数寄者」であるなら、見せかけだけの仁義など邪魔になるだけだ。

 巡り巡った数寄への執念か、弥助の手を介して名品の一部は馬鹿2人の手に回ってきた。もう、このあたりのシーンになると二人とも信長のことなどすっかり忘れているようである。時代は移り変わっていくが、それ以前の時代からの物に囚われ続けている男共には、大した問題ではないのかもしれない。

 結局、この作品の中心は大河ドラマでも愛憎劇でもなく、あくまで「数寄」に魂を売った馬鹿どもの喜劇。決意の一太刀で信長を斬って捨てた秀吉ですら、ちゃんと本能寺で名品たちを集めることに余念がなかったのだ。「ワシが出てきて良かったわ」って、まさかそんなことのためにここまでの危険を冒すことになるとは……すげぇ連中だ。

 そして、これだけの大騒ぎを、まるでワイドショーでも見るかのように悠然と見守るのが、巨人・千利休。白装束を身にまとい、漆黒の茶器で茶をすする文化人の異形は、まさに暗躍する巨悪。本能寺に打ち上げられた自作の壮大な花火にしても、彼の目から見れば単なる「花々の間引き」程度でしかないのかもしれない。時代は成った。ここからは、数寄の世界だ。

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光秀オンステージ、第9話。いやぁ、流石にあそこで突然の熱唱は不覚にも笑ってしまった。よく聞くフレーズだけど何の曲なのかは知らなかったのでググったら、曲名「昭和ブルース」かよ。突っ込みどころが多すぎるわ。

 一つの時代の終わりを告げるには、あまりにも静かなエピソード。膨れあがった信長の権力はついに公家を飲み込むまでに至り、名品を自らの権力でかき集めることにより、織田家は「箔」を手に入れた。朝廷の後ろ盾を最大の武器とし、毛利を落とした後は九州を平定、そのまま明・大陸へと軍を進める信長の構想は、本当にそれをなしえてしまうだけのバックボーンが作り上げられていた。

 彼にとって唯一の博打であり、唯一の失点は、配下の扱いについて、あまりに先を見過ぎたせいでついていけるものが居なくなったことである。「箔」を守るために権力を織田に結集させ、日本国内を息子の信忠に任せ、更に彼のサポートには長益やその他の兄弟を配置する。国をおさえ、更にその先へ手を伸ばすためには、そうした「大きな基盤」が必要だった。勿論、あれだけ先見の明のあった信長のこと、配下の者達の扱いをぞんざいにしてはならないことくらい、承知していたことだろう。光秀、秀吉を始めとし、滝川一益などの功労者には、それに見合った報奨と地位を与えるという選択も考えたはずだ。しかし、国内平定のみを目指すのならばそれでも足りたのだろうが、その一歩上にのし上がるためには、こんなところで力を分散させるわけにはいかなかった。内紛、謀反のリスクを抱えながらも、自分の思い描いた壮大な絵図を大命題とし、部下がついてきてくれることを期待するしかなかったのだ。

 結果だけを見れば、その思惑は失敗したことになる。実際に動いたのは仁義を重んじる光秀であったわけで、表面上は信長がリスクの取り方をしくじったという風になる。だが、今回のラストでは、衝撃の人物が馳せ参じ、実際に手を下すという荒技に打って出た。そう、信長の失敗は、リスクを抱えて部下に不平不満を抱かせたことではなかった。豊臣秀吉という、自分と同じような野心を抱く人間の本質を探りきれなかったことだ。光秀の謀反も、利休の画策も、全て秀吉がいなければなしえなかったこと。その根回しが奏功したと考えるならば、信長は秀吉たった1人に敗れたと見ることが出来るはずだ。わざわざ自らが動く必要のなかった秀吉が最後の最後で一太刀浴びせたことは、「織田が豊臣の前に膝を屈した」ことを表す端的な表現である。

 そして、そんな織田と豊臣の確執の間で、最後の最後まで悲運を貫き通してしまったのが、明智光秀という男なのだ。句会で、密会で、そして道中で。光秀は最後の最後まで「義の人」を演じ続けた上で、歴史の上では道化となった。冒頭で触れた場違いな「昭和ブルース」も、そうした光秀の悲しい運命と、滑稽とも言える立ち位置の妙を表した何ともふざけた演出である。「生まれた時が悪いのか」と歌う光秀の重低音は、雨音に消えて、力尽きた老人の最後の一声に聞こえる。

 そして、この期に及んで数寄に狂い続ける我らが左介さん。兵糧を削り、秀吉からおこぼれをもらい、必死で家運をかけた進軍をしてきたにも関わらず、どさくさに紛れて本能寺に名品を拝みに行きたいと駄々をこねる君主。そして、義兄からは「武士と数寄者のどちらで生きるか腹をくくれ」と、ついに一番言われたくないことを言われてしまう始末。懊悩している風ではあるが、この人の場合は答えが出ている気がするよ……最後の最後で信長の末期の気配に気づいたのは、数寄者どうしで理屈を越えたなにかが繋がったのか。虫の報せならぬ蛙の報せが、時代の転換点を主人公に伝えてくれたようだ。

 そして、「暗躍」という言葉がこれほど似合う男も珍しい、千利休。今回は雨の中をのそりと本能寺に現れ、大量の火薬を押しつけて逃げるという極悪非道の策謀をけろりとやってのけた。次回、さぞ豪勢に燃えてくれるに違いない。雨に濡れ、暗闇に漆黒の衣装をまとって立ち尽くす細目の巨大爺。これほど怖い存在もなかなか無いな。

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決戦前夜の第8話。煮詰まる煮詰まる、この緊張感こそが「へうげ」ワールドだな。

 既に臨界点に向かい勢い留まらぬ安土城。集まった顔ぶれは、利休・左介の師弟コンビに、信長・光秀、そして家康。武の体現者である三河武士、主君信長への謁見の場ですら装束に「質素」を貫く家康は、信長が築き、左介が憧れる数寄の王国とは真っ向からぶつかる理念を持つ者。そんな家康の気質を理解しつつ、信長は軽くたしなめる程度で、その才を評価するに留まっている。どれだけ自分に対して反感があるかは理解した上で、使える人材は平気で使うのが信長流だ。

 しかし、そんな不穏な空気を知りつつ使い続けているしわ寄せがついにやってきた。家康のもてなし役を任された光秀は、まるでその気質に合わない贅をこらした料理で家康を迎える。どう考えても、それが家康にとって心地よいものではないと分かりつつだ。そして、そんな険悪なムードにとどめを刺す汚れ役を図らずも買って出てしまった左介。堪忍袋の緒が切れた家康を見て、光秀の決意は更に揺るぎなきものとなったのだろう。

 船上では左介との対話、自室では家康との対話。何人もの忠臣が信長の現状に対して並々ならぬ思いを抱いていることを1つずつ確認した光秀は、四国への出陣の期に、いよいよもって動き出すことになる。

 既に決まったはずの光秀の謀反を、更に様々な視点から補足していくギリギリのエピソード。これまでの表情豊かなキャラクターたちに加え、更に個性の際立った家康が絡むことで、様々なキャラクターのやりとりにおける1つ1つの会話の運びが、絶妙な緊張感をもたらす。相変わらず、「間」の演出や会話の含意、それを見せる画面の構成などで時間いっぱいに見せる作劇が印象的だ。

 「間」でいうなら、例えば家康がぶち切れた宴席に信長が登場したシーン。2人がにらみ合うシーンはお約束の「目」の時間だが、この時間の持たせ方で、2人の関係性が様々に推察される。また、光秀と家康の茶の席でも、実に10秒以上ものあいだ、一つの音もなく、沈黙が画面を支配する耐え難いシーンがある。2人の間に、無言の思いが様々に飛び交っていることが伺える場面だ。これだけの時間、画も音も止めて間が作れるアニメも、最近はなかなか無いだろう。

 そして「会話の含意」。今回笑えたのは、船上での左介と光秀の対話だろう。「信長の乱世への不満」という、不可思議な繋がりで2人の会話は成立しているのだが、当然のごとく、2人の見ている方向は全く違う。左介は「もう乱世も終わっちゃうし、俺も稼ぎが出ないと将来が不安だなー」という愚痴なのだが、それに対しての光秀は、既に謀反を決意しての、決死の対話なのである。「労が報われる日が必ず来る」と説きなだめる光秀の表情が、逆行で真っ黒になって確認出来ないのも、いかにもこの作品らしい見せ方である。

 逆に、互いの心中を探り合いつつも、共通の意見で通じ合っているのが光秀と家康。互いに「自分の領内のことなれど」と断りながら語り合う世相批判は、義に篤い光秀に最後の一歩を踏み出させるには充分だった。「1000年の治世」を語り、家康に訴えた光秀は、それだけにものが見える人間であることが伺えるだろう。数十年の後、家康が1000年とはいかないまでも、400年近い「治世」を作り出したことが、光秀の志を受け継いだことに対応している。家康と別れた後、光秀は一人こっそりと信長から拝領した軸を焼き捨てる。ジリジリと燃える掛け軸は、光秀の心中でくすぶる気持ちを表すと同時に、燃え上がる火の粉を見つめる光秀の顔は、当然、この後の本能寺を暗示させていることは言うまでもない。

 光秀が動く、それを家康が知る、そして秀吉が待ち構える。役者が出揃い、着実に進み続ける歴史の時計。そんな状態なのに、嫁さんといちゃいちゃしてなんだか幸せそうな左介さん。……いい奥さんを持ったものだなぁ。こんなところで、光秀が言った「労が報われる日」が図らずも来ちゃったあたり、本当に安上がりで空気を読まない男である。ま、こんな男だからこそ、あの時代にミックスフルーツのアイスクリームなんか作れたんだろうけどね。

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狡兎死して走狗烹らる、第7話。この言葉が出てきてしまっている時点で、もうすべてが止まらない状態になってるんでしょうなぁ。

 少しずつ盤石になっていく信長包囲網。派手な戦は前回のケンカキック一閃で終わってしまっており、あとは残された数少ない争いと、後に残されたものを取り合うための腹芸の競い合いとなった。一命を賭して挑んだ左介のチャレンジも、信長にしてみれば単なる笑いの種となり、結果得られたものはわずかばかりの石上げ。認められたことは喜ばしいはずだが、それでは自分の野望に届かない、がっかり感が先行してしまう。そして、そんな左介の脇で一番の戦果を上げたはずの滝川一益も、一念発起の大提案を無下に拒否され、あげく外様は外様としての戦を全うすべし、との命を受ける始末。左介はさも分かったかのように同情を口にしてみるが、年も違えば身分も実力も違う滝川は、本当に人生が終わってしまったかのような老け込みようだ。此度の戦で全てを賭けていたのは、左介ばかりではないのだ。

 ことごとく肩を落とす忠臣達を見て、内心忸怩たるものを抱え続ける光秀。加えて自らの戦績までもが無下に扱われたと聞き、無理を承知で信長へと直談判。しかし、悲しいかな、主君の器はあまりに大きすぎた。仁と義を重んじる昔ながらの武士である光秀には、信長の大望は、理解の及ぶところではない。わずかに残された憧れと忠義は儚くなり、その胸中は、既にかたまりつつあった。

 光秀が自らの進退を賭して選び、決心したと思い込んでいる引き返せぬ道。だが、そんな一大決心も、全ては2人の男の手による謀略の内にあった。豊臣と利休。2人の野心は少しずつ光秀を飲み込んでいたのである。秀吉の弟秀長も、既に2人の計略には荷担していたようで、3人で光秀の心境をつぶさに伺っている。秀吉は四国攻めに出陣しながらも信長の四国の扱いをゆがめて光秀を煽るという極悪なプランを実行しており、ゴールである本能寺までの道を的確に誘導する。「万一失敗した場合」でも、単に利休を黙らせて終いだ、という保険までかけているあたり、この男の抜け目無さが伺える。そして利休。直々に光秀の下を訪れた利休は、何気ない茶室のセッティングを見て、忠臣の心が既に挫けているということを察知した。既にゴーサインは出ているようである。

 前回のような実際の戦場に出ての戦いも、一応「戦国」を舞台にした作品なので見たい気持ちもあるのだが、やはりこの作品の真骨頂は、腹芸の探り合いや、常軌を逸した数寄のこだわりを描いた部分。今回は光秀という「そこまで数寄に傾倒していない人間」がひたすら振り回される悲劇が描かれており、裏と表の思惑が行き来する様子が実にやるせなくて痛快だ。冒頭の茶室、秀長と利休の対面するシーンでは、秀長が「俺は黒い茶碗も好きだけどなぁ」とさりげなく「俺もこっち側だぞ」とサインを送ると、利休も「少し吹雪いて参りましたな」と返し、密談のために障子を閉めることを示唆する。この時の、突如沈黙する音響の働きも、「黒さ」が際立つ絶妙な仕事。こういう黒さは、利休がいる画面だと本当に際立つ。「茶室」という密閉空間も、なんだかこのために誂えられた場所であるかのように見えてしまう。

 また、毎度お馴染み「目」の演出としては、今回は光秀と信長が「富士スカイライン(?!)」で会話するシーンで面白い働きをする。必死で信長に談判を行おうとする光秀の真剣な表情に対し、信長は珍妙な西洋甲冑をまとっているせいで、視線どころかどこに目があるかも分からない状態。あまりの大器故に光秀にその意図が読み取れないという、信長との距離の隔たりが確認出来る。

 で、そんな激しい心理戦が繰り広げられている中で、相変わらずの道化役に徹しているのが、我らが左介くんである。「古田殿は、若い」と一蹴されていることからも分かるが、もう、本当に見当違いも甚だしいお気楽っぷりだ。謀反の企ても間もなく収束しようという今の時期に「おのが洞察」を披露しちゃう空気の読めなさ、利休に手伝いを頼まれた時に見せた満面の笑み。もう、自宅の飼い犬かよ、と思っちゃうくらいに分かりやすい。今後もこのどす黒い作品の中のギャグ要素を一手に引き受けてもらいたいところです。更に今後は実利主義の体現者としての家康なんかも絡んでくるようだし、左介はますます忙しそうだよな。

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数寄と戦と第6話。今までは「数寄者パート」と「戦国パート」っていう分化が行われていた気がするのだが、今回あたりからだんだんその区分すら無くなってきたような気がする。左介が絡んだら全部そうさ。

 前回は秀吉がメインみたいなところもあったわけだが、今回は左介が純然たる主役。「信長が天下統一するまであとわずかしか無いので、その間に武功を上げておかなければ大茶会も開けない」、と焦りを見せる。普通の武人ならば「主君のため」「お家のため」「自尊心のため」に武功をあげようと努めるわけだが、この男の場合、最終目標はあくまでも趣味の世界。何が動機でもそれが活力になるのなら問題無いとは思うが、戦のためのツールとしても器を持ち出してくるシンプル過ぎる思考パターンはいかがなものだろうか。

 武功をあげるための第一段階は、戦線を切り開くための小城の突破。窯元を訪れた時に思いついた作戦、偽井戸茶碗で突破。敵方との交渉役は既に対松永など何度も経験してきた左介だが、偽の茶碗で堂々と交渉を押し切ってしまう胆力は一体どこから来るものなのだろうか。相手が「見る目のない奴」だと基本的になめてかかるスタンスなのかね。そして、再びの武功チャンスは、残念ながらそんなに簡単にはいかず、命がけのチャレンジとなってしまった。数寄を競うライバルたる織田長益が先に武功を挙げたと聞き、「数寄では劣っても武勲で敗れるわけにはいかぬ」と、これまた意地の張り合いみたいな理由での決戦である。既に先んじて向かった交渉役が命を落としていることは知らされており、失敗が死に直結することは明らか。そんな状態でも、これ以上長益に劣る部分を見せるわけにいかず、更に事態が天下統一に向かっているとするなら、自分に残されたチャンスはあとわずか。命を賭しても、挑むべきミッションなのである。

 悲しきかな安易な偽物作戦は、器を焼いた窯元自身が「質では明らかに劣ります」と言っていたような代物。矢面の小城を任されたような下っ端武士ならだまくらかせても、位が上になればそうもいかない。城主仁科盛信の奥方だろうか。薙刀片手に勇ましく挑みかかる女性は、左介の持参した器を偽物であるとあっさり看過。失敗したかと思ったが「しょせん女は欲には勝てぬ」というよく分からない流れになり、そのまま痴女をスルーである。まぁ、あそこできちんとコトに及んでいたら更にどうなっていたか分からないが……ほんと、左介は肝心なところで使い物にならないものをお持ちで。

 そして最後、「出世への階段」となるべき天守への階段を上りきった左介を出迎えたものは、実に見事なケンカキックでありましたとさ。無様に落下していく左介を見て、今回のサブタイトルが「武田をぶっとばせ」であったことを思い出す。ぶっ飛んだのは、お前だ。やっぱり左介は格好悪い。偽物戦術も本当に安易な思いつきだし、それが一度うまくいっちゃったもんだから味を占めて繰り返すあたりも情けない。そして、何とか命がけの戦場に挑んではいるものの、その動機が何ともしょっぱいのも本当に彼らしい。しかし、本物だ。

 「戦と数寄」という2要素が絡んで分けられなくなったのは完全にこいつのせいなわけだが、2つの要素が実際面以外にも色々と絡み合った描写がなされているのがまた楽しい。左介の周りでいうなら、女性に迫られて「拙者のろくろさばきを……」と勢い込んで脱いだ左介が挑みかかる画から切り替わり、織田軍が進軍を始めるシーンなんかが印象的。織田の軍旗が次々と掲げられ、ホラ貝による号令が飛び交うシーンを見ると「おぉ、左介もきっと高々と自分のものを掲げあげ、さぞかし立派な戦果を上げたに違いない」と思わせるのだが、再び画面が切り替わって戻ってくると、なんと、自分のものを勃たせることすら叶わなかった様子。まぁ、命がけの戦場、しかも敵親玉の直前で欲情しろって言う方が無茶な相談だが……

 他にも、間抜けさが際立つ左介とは対照的に、既に秀吉の心中を知っている利休が様々な場所に手を回し始める描写でも、彼は常に天下の趨勢を「茶の湯の話」として語る。「今焼き」の是非を問う細川藤孝に対しては「信長への忠誠心が揺らいでいるのか?」と揺さぶりをかけている。その直前で、城の見物料を徴収から取り立てるという、一国の大将とはとても思えない信長の破天荒な振る舞いが、その見方に拍車をかけているだろう。これは「今焼き」という昨今の流れを、新しいもの、エキセントリックなものに目がない信長と対比させての物言いであり、自然に「信長の振るまいは自分の目指す道とはそぐわないものである」ことを藤孝に伝えている。更にその手は明智家にも及ぶようであり、秀吉の働きと合わせて、少しずつ包囲を固めている印象だ。

 視聴者は、この利休の策が最終的に本能寺の変という形で成されることを知っている。そして、利休は現時点での情勢をほぼ完璧に把握している。いわば全てを理解した上での、「数寄」の追究という状態。対して、主人公の左介は完全に世の趨勢を見誤っており、「間もなく信長が天下を統一する」と焦るばかり。見ている方向が全く同じであり、挑む精神も本物の2人であるが、かたや黒幕、かたや道化。この2方向の書き分けが実に見事な対比を産んでおり、相変わらずの利休の黒さを浮き彫りにし、同様に悪い笑みを浮かべてみる左介に、どこか憎めない印象を与えているのである。「目で語る作劇」という言葉を何度も使っているのだが、何を考えているか分からない利休の細目と、ことが起こるたびにドギマギと泳ぎ回る左介の目は、本当にこの作品の両極を表しているようではないか。本当にこの男、大成するのか?

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オープニング変わった、第5話。先週あたりに、この作品のオープニングを担当していたアーティストが麻薬所持でしょっ引かれたというニュースを見て、「あちゃぁ、まだまだ始まったばっかだってのに災難だな」と思っていたら、予想以上に対応が早くて驚いた。天下のNHKはこういうことの処理は容赦ねぇな。流石に替えの映像や楽曲があったわけではないので、画面はそのまま、作中で使われる音楽にSEを入れただけのその場凌ぎのものでしかないが、それでもなんとなくやれているだけでも頑張った感は出ていますよ。

 で、そんな世事とは一切関係なく、作中でも時代は進んでいく。前回、利休との会談で否が応でも自らの内にある野心を意識してしまった秀吉が今回の主人公。「信長討つべし」の利休の案は、忠臣としての地位を確立した秀吉には聞き入れるわけにはいかないものである。しかし、その気持ちは常に己が内にあったもの。利休の進言をその場で正すことも出来ず、熟考した後に斬って捨てることも出来ず。自分の業の深さに呆れながらも、秀吉は止まれぬ坂道を転がり始める。そして、その矛先が向いたのは信長自身ではなく、事前に不和の気配を感じさせていた光秀の方。猿が猿知恵を回し、忠臣の中の忠臣を揺さぶりにかかる。秀吉自身の手による横腹の小さな傷は、比べものにならない傷を光秀の心に残し、それが、この後で信長を焼き焦がすことになるわけだ。まことに、秀吉という人物は恐ろしい。

 腹の探り合い、謀略、野心、そして忠義。様々な思惑が交錯する人間模様を見ていると、やはり戦国時代なのだな、ということを改めて思い出させてくれる。自らの立ち位置を心に決めた秀吉は、利休との密談の証拠を消すために、いとも容易く門番2人を斬って捨てた。後にその野心を海の外にまで広げることになる関白殿の冷淡な行動力が、遺憾なく見せ付けられる場面であった。

 そして、そんな猿の思惑に完全に踊らされる形となりそうなのが、忠臣・明智光秀である。主君の振る舞いには多少の不満はあるものの、そこはあくまで主従の関係。信長の器は認める以外に無いものであるし、自分の気持ちや、家臣からの不満などは二の次であったはず。しかし、そこに突然現れたのは、自分と同じような立場に思い悩み、涙を流した秀吉の姿。あの気丈で飄々とした信長の側近が、自分の前で情けない泣き顔を見せた。これは、男として見過ごせる事態ではない。何が自分のため、家臣のため、そして国のためになるのか。光秀はしばし思い悩むことになる。

 秀吉と光秀。2人の英傑の感情の揺れや決意が、今回も見事な止め画と「目」の演出で見せ付けられる。また、雨の中、家臣を切り捨てて修羅の道を歩み始めた秀吉の後ろ姿や、庭木をいじる平穏な日々を送っていたところに、予期せぬ涙を見せられた光秀の困惑など、1つ1つの感情が、言葉ではなく表情や仕草で見えてくる。相変わらずの重厚さである。秀吉の悪そうな顔が、単なる悪役ではなく、こもごもの思いを秘めた天下人の風貌に見えるように描かれているのが本当に気持ちいい。

 で、そんな重苦しい雰囲気などどこ吹く風なのが、我らが主人公、左介さんである。決意に揺れる秀吉がひたすら自問を続けている間も、信長に送られた名馬を見て飛びつかんばかりに喜び跳ねているだけだし、高山右近にもらった「良からぬ気を起こさぬお守り」としての十字架も、名物の馬を見れば心がよろけて意味が無いし、何事も無かったかのように秀吉に渡った名品をかすめ取る小悪党っぷりは磨きがかかる。上司が「天下を取るために主君を裏切るどうか」で悩んでいるにもかかわらず、その間、部下は必死で偽の杓をこさえたり、ムラムラしちゃったからかみさんを呼び出したり。ほんと、武士としては最低の男である。しかし、だからこそ利休も秀吉も「面白き男」と評しているわけだが。「神を信じるか」って聞かれて、「3つの茶入れ」って答える時点で人として駄目だよなぁ。

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