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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 このヒーラー……めんどくさいっ! 第3話。もしくは「かげきしょうじょ!」っていうタイトルでも間違いではないですね。そんなお話(どんなお話?)。

 1話目は異次元からのインパクトで我々を困惑させてくれた作品。2話目は歌唱パートで起こった出来事こそ珍妙ではあったが、ここぞという時に歌を絞り込んだおかげで狙いの見えやすい構造にはなっていた。「まぁ、この世界の歌ってのはそういうもんなんだろうな」という理解が得られた。

 ……と思っていた。しかし、今回はまた1話目に回帰しての容赦ないミュージカルパート……ともいえない奇怪な何か。この物量が今作のスタンダードなのだとしたらエラいことである。いや、でもこの珍妙なノリが個性になってるから別に文句は無いんよ。むしろもっとやれの精神ではある。まぁ、常にどっかこそばゆい感じはあるのだが、慣れてしまったらもしかすると他のアニメに戻れなくなる危険性すらあるゾ。

 今作の「ミュージカル」(?)パートの面白いことは、本当に現実と地続きで「歌い」があるという点。ちょっと分かりにくいのだが例えば本物のミュージカルの場合には、「歌うシーン」と「歌わないシーン」は明確に次元が異なっている。歌わないシーンは普通に劇が進行するだろうし、歌うシーンになればその世界の誰しもが歌う。歌で会話をしていたって誰も何も奇妙に思わないのは、世界そのものが「歌」でくくられて隔絶されるからだ。しかし、本作におけるヒーラーの歌は、現実でそこに歌がある。モブから見たらそれは厳然と「歌っている奴」であり、ヒーラー以外の人間に歌う義務は発生せず、むしろ歌っちゃダメな可能性まである(医療行為ですからね)。そうすると、「作中の一部の人間は声を合わせて歌うし、セリフと同じ進行なのに何故かみんなして調和があり、要所では綺麗に声を合わせて合唱までできる」というミュージカル的な一面を持ちながら、その面々を外から見た人間がふつーにセリフで突っ込んだりできるのである。

 今回の場合、ミュージカル症候群(?)にかかってしまったのは試験勉強に疲れたメインの3名のみで、なかなか症状が緩和しない3人に対し、当て馬としてのソーニャちゃんが絡んでいく。もちろんソーニャちゃんは正常なので、歌い続ける3人に対してもふつーのセリフで返答する。「なんだこの奇妙なテンポは???」と戸惑っていると、少しずつ3人の歌唱空間が周りを侵食し、気づけばソーニャちゃんも歌い始めている(彼女もヒーラーなので歌唱空間に入る権利を有している)。しかしもちろん、ヒーラーではないお付きのしのぶちゃんは最後の最後まで歌ったりはしない。この「現実ラインで歌ってる奴らが厳然とそこにいる」という事態が既に面白いのである。

 まぁ、なんだ、結局よく分からんという結論ではあるのだが……なんか憎めないよね。

 

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 おみんちゅブレねぇなぁ……第2話。気づいたらもう10年選手なのに、印象が全く変わらないってのは逆に才能なのかもしれんな……。

 モブっぽいキャラの中の人の話題から入ってみたが、真っ直ぐに王道を行く2話目になった。オープニング映像を見る限りでは今後もいろんなタイプの選手がごった煮のように登場する作品になる気がするのだが、2話目は主人公・イヴと近距離パワー型お嬢・葵の2人の出会いをたっぷりと描く。1ホールの試合だけできっちり1話分になるテンポはむしろありがたい。ゴルフアニメなんて最近さっぱり見なくなったし、ある程度はのんびりやってもらった方が見ている側もとっつきやすいだろう。かといって説明過多になっている風でもなく、2人の少女の魂の交流は自然とアツいジャンプ展開が実現している。意外性は無いが安心して見られる保証が得られた気がしますわ。

 それにしてもお嬢が強い。「眉一つ動かさず無茶苦茶やるお嬢様」ってのも割と性癖な気がするのだが、葵さんは何度も後ろからお付きの者がドヤっている通り、根っこにあるのがとにかく「ゴルフって楽しいよね!」なので、相手をゴリゴリにすりつぶしたとしても株が下がらず、強さの本質がぶれないので見ていて気持ちがいい。また、それに対するイヴの方も単なる銭ゲバではなくて「根源的にはゴルフが好きでやってるんですよ」というのが分かるし、狂犬属性が無茶お嬢と自然に調和してたった1ホールでマブダチになっているのも理解できる。2話目でいきなり無敵の主人公が負けちゃうというのも意外と言えば意外だが、それでイヴの強さが霞むわけでもないし、今後の快進撃を邪魔するものにはなっていない。強いて心配があるとしたら、多分ここから先で1回は葵がsageられるタイミングがある気がすることだろうか。こんだけ無敵無敵言うてそのまんまラスボスってこともないだろうし、どこかでこの無敵の笑顔が曇る展開はあると思うのよね。そういう起伏を通じて同性間の巨大感情をやりとりするのが正解ルートだろうし。どんな顔を見せてくれるもんでしょうかねぇ。

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 ビジョンの意味はよく分からんが、とにかくすごい歌唱だ、第2話。ふむ、変な方向への尖り方が格好いいアニメになってます。

 ぼちぼち新番チェックも片付き始めているので気になる作品を絞って追いかけていくことになるが、今期まず気にさせられたのはこちらの作品。なんかね、いい具合に吹っ切れてる感があるね。1話目時点で「フォニックゲインが高まるなぁ」と思いながら観ていたわけだが、いくら何でも戦闘行為には及べない作品なので、歌っている時にどんな画面を展開するのかというのは案外難しい。1話では主人公のかなが歌う曲で光をモチーフにした演出がなされており、「きっとこれはこの子の特別な力なのだな」と思っていたわけだが、2話の歌唱シーンはさらに突き抜け、より具体性を増した訳のわからんビジョンが溢れ出して度肝を抜かれた。「何でフェニックスやねん」「なんで地面割れてんねん」「どこ落ちるねん」などなどの無限のツッコミが溢れ出す風景の中、それでも最後に師匠がやってきて一声歌うことで、そこには命が芽吹き、潤いが満ち、世界が創造されることになる。なるほど、あの火の鳥は当然「誕生」のモチーフとして描かれたもので、若い2人が「お母さん頑張れ」を思い描いたが故のイメージ。しかし、それは独りよがりな部分があり、技術的にもまだ不安定さを残すもの。結果的にフェニックスは母体を抱くことに失敗し、拠り所を無くした歌は落ちていく羽目に。……いや、やっぱり無理矢理説明をつけたところで全部がスッキリ理解できる訳じゃないが……まぁ、そこはある程度イマジナリーなワールドでもいいでしょう。とにかく何となく「すげぇことを起こしちゃってんじゃん」ということが分かれば今はそれでいい。

 そして歌唱シーンばかりが目をひいてはいたが、実はそのほかのパートも案外ソツがなく、面白いものに仕上がっている。ちょっとCGっぽい風味を残したキャラデザも既に気にならなくなっているし、キャラ同士の掛け合いのテンポが良く、時折思いもよらぬところから台詞が飛んできたり、間髪入れぬリアクションに勢いを持っていかれたりする。女の子だらけのドタバタコメディとしても見てられるので、歌唱だけにおんぶに抱っこになっていないのは今後にも期待が持てるんじゃなかろうか。

 あとはそうだな……金髪と師匠の百合関係をどう深めるか……なんか、今回のお話からするとソーニャちゃんがかなにどうやってデレていくかの勝負になりそうな気もするが。

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 サブタイトルどん、最終話……。なんだろ……しばらく放心して帰って来られなかった……。長いお念仏を聞いたみたいな。身体のどこかをすぽんと抜き取られたような。どこか清冽な心持ちになった。そんな不思議な視聴後。

 わかりきった結末なのだからそれをいかにしてまとめるか。正直、この題材を扱った時点でラストの締めが勝負を分けることは分かっていただろう。そして、それを見事に決められるからこその山田尚子だ。びわの音と幾多の声の響きあい。くるりと編み込まれるようにして収束する琵琶の弦は、徳子の編み髪を想起させつつすべての未来を絡めとり、いつしかびわへと落としこまれる。有名な原典の書き出しがこの世界の全てを物語ることになる。諸行無常。

 「終わり」にも色々ある。歴史的な事実を鑑みれば平家一門の終わりは全て等しく訪れたはずだが、そこはまぁお話である。確認したら一応徳子は生存したというのが正しいルートなのね。びわの幻視もあってそうなるとは全く思っていなかったのだが……終わってみればびわ・徳子が命を永らえ、平家という「滅亡した」一族を語り継ぐという物語になっている。この時代の主人公は間違いなく男どもであるが、そこを「女たちの戦い」としてまとめ上げたことにより、無常の中にも一筋の「生」が残される幕引きになっているのは多少救われた気分だ。資盛については……一応Wikiだと「死亡者として名前が記載されていない」という説もあるので、それとっての話でしょうかね。まぁ、あれだけ凄惨な舞台となってしまった壇ノ浦。見せるべきは知盛のもののふぶりだけで充分でしょう。アニメ視聴者からすれば、やはりどこかで重盛の思いが引き継がれていると思いたいですからね。

 びわの目、びわの髪、びわの手。最後の最後で、びわが語り部として作品の象徴的な核となり、全てをまとめ上げた。これ即ち現代まで語り継がれた琵琶法師の口伝文化へのリスペクトである。我々視聴者も、この作品をみたことで間違いなく平家物語を体験した。今後語り継がれる物語は、琵琶で語られ、Blu-rayやネット配信で語られることになる。新たな時代に、新たな物語の形。1クールばかりの春の夜の夢も、永劫に続きますように。

 

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 物語を成していく、第10話。「物語」が成る、つまりは結末がある。「末路」がある。

 Aパートは維盛の最期。平家が堕ちゆくのみというのは、今や誰にとっても共通認識となった。資盛だって分かっているし、おそらく意気を揚げようと奮戦する知盛だって、もはやその現状は理解している。唯一、「平家断絶」以外の道に望みを残しているのはそれこそ徳子くらいなのではなかろうか。そんな中、清経の最期も看取り、すでに限界を超えていた維盛。全てを投げ出しての入山・出家は、それだけで許しを乞う行為であるはずだが、残念ながら頭を丸めたからハイおしまいというわけにはいかない。それはもちろん、平家を根絶やしにせんとする源氏の存在もあるが、仮にそうして命を永らえたとしても、維盛自身に苦痛の生以外が残されていないためだ。あらゆる恐怖に苛まれ、まるで平家の業の全てに対して許しを乞い願うかのように、維盛は一足先に浄土を目指した。びわが最期を「看取る」のは目の力だけでも良かったのかもしれないが、そこはやはり「語りつぐ者」の特権、最後の最後で行者姿の維盛と出会って、彼の胸中を確認している。びわは別に知りたいわけではないだろう。目の力があれば、おそらく維盛の胸中もおよそ理解して、別れることもできたはずだ。それでも敢えて直接対面するシーンがあるというのが、対面して、「語る」ことの重要性を物語っていると言える。

 維盛を失い、残された平氏もいよいよ残りわずか。結局、親兄弟を含めて最も聡明だったのかもしれないのが資盛。ある程度リアリストでもある彼は、現状でも悲嘆するだけに終わらず何とか生き残りの道を模索しており、最も可能性が高い「徳子への嘆願」を試みたが、これは彼女の志の高さを前に空振りに終わる。かつての遊興の関係性を頼みに後白河法皇への直訴を試みるもこれも不発。改めて、現在の平家の状況が八方塞がりであることが確認できただけだ。そして、にっちもさっちもいかない状況に訪れたのは、やはりびわだった。思い人からの書面を届けてくれたびわをいつものように邪険に扱う資盛だったが、久しぶりの再会にも関わらず必死で関係を持たぬように振る舞う彼の優しさがひときわ寂しさを感じさせる。びわが資盛の周りをぐるりと回ってカメラ前面に歩いてくる構図の際の不思議な没入感は、2人の距離の近さ、そしてそこから離れていく「末路」の差にも繋がってくるだろうか。きっと彼の思う「家族」の中にびわも入っていたんだろうな、と思うと本当にやるせないものがある。

 平家に訪れるのは悲報と別離のみ。そして対極的に、源氏では義経と静御前の印象的な出会いが描かれるなど、未来を示すシーンばかり。中でも頼朝と政子の2人の会話は強烈で、重衡の処遇を巡っての相談の際に「頼朝は清盛公に命を救われた」という話になった時には「だからこそここで慈悲を返さん」という流れになるのかと思いきや、まさかの「その結果、自分は反旗を翻して平家を滅ぼしている」という論法。ビビりで優柔不断で、何事にも慎重な頼朝であるからこそ、この場を半端で終わらせるわけにはいかないのである、牡丹に例えられた重衡を斬り、庭に咲き乱れる牡丹は一花ずつ丁寧に削ぎ落としていく。その偏執的なまでの保身欲は、次の時代の礎となっていく。

 次週、ついに結末。

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 落ちて墜ちてただ堕ちて、第9話。もう、ひたすらに芋づる式の悲劇。

 残りわずかの物語、あとはただ見届けるしかない。太宰府からも見限られ、行く宛ても無くなってしまった平家の一門。みな気丈に振る舞いはするものの、その精神は擦り切れていよいよ限界が近い。ただひたすらに歩き続ける道行きは本当に辛いものだったろう。無造作に帝が籠の中に放り込まれて運ばれていく様子は壮絶だが、それでもまだ前を見続けられる徳子の強さだけが唯一の頼み。

 しかしそれでは保たぬ者が出てくる。変調を最も悲劇的な形で知らせたのが清経であった。雅を良しとしたその人生に、今の平家の在りようはあまりに酷である。悲劇的な一族の末路を見ずして、その命脈に終止符を打つ。そして戦の恐怖に囚われ続けた維盛もまた。平家の者に、安息の最期が訪れることは決して無い。ただ、だからとて攻め立てる源氏が盤石なものかというとこれも違う。散々に暴れまわった木曽義仲もすぐさま討たれ、いよいよ次の時代・鎌倉源氏がその台頭をあらわす。これまでのらりくらりと生き抜いてきた頼朝の下に燦然と輝く弟が舞い降り、一ノ谷での伝説を残す。これまた1つの悲劇の幕開けでしかないというのがなんとも皮肉な配置ではないか。

 こうして物語が巡り、ただ陰鬱な時が過ぎるばかりであるが、今作の白眉な点は、それでもただ通り一遍の悲劇を垂れ流すでなく、もう一本の筋を通そうとしているところ。びわは第三者視点を置くための「外付け付録」みたいな存在だと思われていたわけだが、ここにきての母親との再会、再起からの旅立ちできちんと「彼女の物語」も形作ろうとしている。白拍子3人娘との道中なんかは貴重な息抜きの場面として機能しており、遠く離れた京の地からでも物語の中核をしっかりと見据え、「死の物語」と対比的な「生きる」を示す存在として成り立っている。おっかあとの再会、割とあっさり片がついた感はあるが、なんかもう、CVのセッティングで全てOKな気がした。

 ちなみに余談だが、静御前と行動を共にしていた白拍子の子の片方のCVが松浦愛弓ちゃんという子。どっかで見た名前だと思ったら「うさぎドロップ」でりんちゃんをやっていた(当時)子役だった。ここにきて声優仕事にカムバックしているのだが、さて、どんな道を進むんでしょうかね。

 

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 つれぇわ……第8話。本当にもう、見る影も無い……。あれだけ我が世の春を謳歌して好き放題していた平家が落ちぶれていく様子を見ていると、悪辣な連中が懲らしめられてるみたいでスカッとする案件でもいいはずなのだがそうもいかぬ。やはり弱くなった方に同情心を持ってしまうのは致し方ないのだろうなぁ。「こういう心境をなんと言ったか……」としばし考えて出た結論が「判官贔屓」なんだんけど、「よりによってその言葉も違うやろ」という気持ち。

 世は完全に源氏VS平氏の構図で固まった。そして、その趨勢もすでに固まりつつある。戦局を体現している存在の1人が木曽義仲。猛将として名高い武将だが、本作においては、もうとにかく野生児。いくら武士だからってそこまで野生じゃなくてもええやろ、とは思うが最も名を馳せたエピソードが倶利伽羅峠の戦いなので(少なくとも俺の中ではね)、それがわかりやすいキャラ造形になっているのだろう。これまで繰り返し重盛ファミリーを中心に「芸事に達者な貴族寄りの平家」が描かれてきただけに、ここにきて野生の武士の魂を体現した義仲の存在感は強烈である。おかげで頼朝のキャラがますます埋もれていってる気がするのだが、おそらく今作における頼朝像は徹底的にこの路線なんだろうな。清盛が元気だったら間違いなく「面白くない」と言われてしまうような男をトップに立てていることで、源氏と平氏の違いがはっきり分かろうというものだ。

 そんな義仲の猛攻にさらされて本当にかわいそうだったのは維盛である。以前の敗戦から本当に心を痛めており、必死に自らを奮い立たせて「武士」であろうとする様子は本当に痛々しい。一応その甲斐あって戦果も挙げていたようなのだが、すでにそれを認めてくれる清盛もなく、1人で頑張ったところで後を繋げる者がいない。そして歴史の転換点とも言える倶利伽羅峠では、平氏の命脈を絶ったに等しい大敗北を喫してしまった。はたから見ればあまりにも分の悪いマッチメイクだったし、ここまで本当によく頑張ったと褒めてあげたいくらいなのだが、残念ながら本人にその声は届かぬであろうし、失ったものはあまりに大きすぎる。すでに平家に残された戦力は少なく、わずかな望みをつなぐための西行きを余儀無くされる。京・福原と流れても全く再興の兆しなど見えず、ただただ廃れていく様を見せつけられるというだけでも心苦しくあるし、何よりも「自分たちの足で着実に壇ノ浦へと向かっているのだ」ということが分かるせいで胃がキリキリするような道行きである。こんな中でも幼い帝を支えながら気丈に生き抜く徳子さんが本当にお美しいのが救いといえば救いか……。

 すでに平家のお歴々とは別行動で歴史の行方を見守ることとなったびわ。この時代に女の子1人旅で越後まで行ったってのは大したもんだが、そこからまた京までとって返すって、どんだけの旅路だったんだろう。琵琶一本で食べていけるのは大したもんである。そして舞い戻った京の町での出会い……「誰だこれ?」って思ったら最後のキャストロールのところでネタバレされてたわ。静御前がここで登場とはね。びわの視点は以降は彼女とともにあるってことかしら。

 

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 徳子さん、ええ女やなぁ……第7話。このキャラデザでもちゃんと美女になってるのがすごい。

 いちいち胃がキリキリするしかないアニメ。ついにこの時がきてしまった、サブタイトルが示す通りの事態。一応Wikiで確認したが享年は64。この時代の人にしては長生きした方なのだろうか(ちなみに重盛が享年42だそうで)。一応、末期の一言では「やりたいことはだいたいやった」と言っていたものの、際限のない野心を抱えていた男のこと、憎き頼朝の首を拝めなかったことを呪いの言葉として残し、その後にはただ熱だけを残して消えていった。1つの時代を作った男が逝き、1つの時代が終わりを告げる。ここから先の平家には、栄華も何も残されていない。

 そんな平家の行く末については、当然門下の面々が一番深刻に悩んでいるわけで。清盛の息子連中は実質的な指揮を振るう責務があり、知盛あたりはなんとか頑張ろうとしているようなのだが、どうにも不安な宗盛なんかもいるせいで心配のタネは尽きない。そしてまだ若い重盛の息子連中についても、維盛があの調子で前を向くことが難しく、まだまだ実質的な権力も有していない3兄弟はただ荒波に翻弄されている状態。そんな中で今回きらりと光ったのは資盛の心遣いだろう。びわに対して放逐を言い渡した彼の本音としては、やはり「これ以上平家と共にいては累が及ぶばかりだ」という配慮があった。この時点で既にそこまで考え、自らの進退にもある程度覚悟を決めていたということになりそうだし、資盛は見た目以上に聡明な人物だったのかもしれない。

 そして、アニメとしてのメタ的な視点では、ここでびわが重盛の家を離れたというのが「語り手がこの場を離れねば、俯瞰して描けない」ということでもあるというのが心苦しい。今まではかろうじて火の粉の飛ばぬ場所だったはずの重盛家が、いよいよ「びわがいてはならぬ場所」になりかけている。おそらく太眉のにゃんこもびわが本当に一人きりにならぬための配慮で登場させたものだと思われるが、彼女がもし「実在の」人物だったとしたら、果たしてどんな生き様になっていたことだろう。

 そうした動乱の最中、歪まぬ愛を貫き、正面を見据えているのが徳子という存在。上皇への一途な思いを貫き、(少なくともびわの目線からは)その愛は確かに届いていたという。清盛との関係性においても自らの視座を揺るがすことなく、最後までかの入道をハラハラさせる愛娘のままであった。残念ながらびわが家を出たことで徳子とびわの仲睦まじい団欒がなくなってしまったが、これから先、渦中の徳子と傍観者のびわは、どんな時代を目の当たりにするのだろう。

 ちなみに余談だが、今回冒頭に登場した「毬杖(ぎっちょう)」という遊戯。これ、以前たほいやで出題された「ぶりぶりぎっちょう」のことなんですね。まさかこんなところでその正体を拝めるとは思わなんだ。800年以上昔の遊びらしいが、結構現代的なゲームもあったんですね。左利きを「ぎっちょ」というが、その語源になったなんて説もあるらしい。繰り返し勉強になるアニメである。

 

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 最後の白猫、びわ(の中の人)の飼い猫に似てるな……第6話。いや、全然関係ないとは思うけどね。真っ白い猫って、汚れが目立つから気をつけろよ。猫は綺麗好きなので、滅多なことで汚れは残さないけどね。

 猫に目を向けてないとキツいくらい、世の中が張り詰めている。朝廷と平氏の対立は決定的となり、清盛は福原への遷都をも目論む。しかしすでに重盛の死により屋台骨は傾きかけており、度重なる天災の影響もあってか、京の街の疲弊っぷりは尋常ではない様子。それが平氏のせいなのか、それともこの国がなるべくしてなった姿なのかは分からないが、どこかで変革が求められているのは事実なのだろう。いよいよもってここで持ち上げられる男、それが源頼朝。

 この頼朝のキャラもなかなかに強烈だなぁ。だいたいの創作物において頼朝ってもっと苛烈な人物として描かれることが多いと思うのだが、今作ではあくまで「敵役」というか、平氏が見舞われる災厄の1つでしかない存在。そのおかげかどこか薄ぼけた印象の人物として描かれており、竜巻や疫病と同様、気づいたらそこにいて、漠然とした不安を与えていくようなキャラに仕上がっている。裏で糸を引いているのは当然後白河法皇であるが、彼だって清盛に対してあれこれ手を尽くして散々にやり込められているわけで、頼朝を担ぎ上げた今回の企みだってどの程度うまくいくかはわかったもんじゃない。それでも、少しずつ世情は平氏から源氏へと傾いていくのである。

 それにしてもかわいそうなのは維盛である。今まで頼れる父の下で穏やかに生きてきた若者が、今となっては「物の怪などよりよほど怖い」と戦場に怯えねばならなくなってしまった。重盛の温厚な部分を受け継いでしまったのだろう、祖父らとは違って全く戦には向かない男。そんな彼がいきなり総大将に引っ張り上げられても、うまくいくはずなんてない。清盛の大きすぎるプレッシャーが若者を押しつぶさんとしている。これまで表舞台に出てこなかった源氏という相手が得体の知れない存在だったことも事態を悪化させているのだろう。かつては平氏がほしいままにしていた武家としての威名も、今ではすっかり源氏のものに。腐った世を変えるという覚悟がなければ、この状況はひっくり返らない。そして、重盛の残した子供達に、そのような気概を持つものも無く。

 そうなのよなぁ、やっぱり中心にいるキャラクターに、「戦場で輝くタイプ」が1人もいないんだよなぁ。おかげで作中では当時の文化についての描写が多くなっており、その辺への興味がやたらと引かれる。そりゃ娯楽の少ない時代には違いないのだが、こういう時代の人たちって、本当に花や月を見てるだけで楽しめたんでしょうかね? 3分で飽きるよね。清経たちが取り出してた笛についても、音調にバリエショーションがないから「名手」とか言われてても上手いのかどうかもよく分からんしな。この時代に生まれなくてよかったわ(多分、毎日飯食うのが一番楽しみだったんじゃないかな)。

 

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