最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
一体何者なんだ、シシリアンライス、第8話。調べてみたけどイマイチ味の想像がつかん……。しかもシチリア関係ないし……。アイキャッチの映像は美味しそうでしたよね(Bパートアイキャッチでアスパラがニョキニョキ生えてくる映像がよりによって今回使われるのひどくない?)。 衝撃展開。そのくせシナリオはいい話風。このミスマッチを遠慮なくぶち込んでくるのがゾンサガである。どう考えてもリリィの真実が「そうなっている」必要はない気もするのだが……いや、でもわざわざ幸太郎が復活させた7人の中にリリィがいたことに意味があるのかもしれんな……。普通なら成立しないはずのネタなのだが、そこを乗り越えるためにゾンビという設定が活かされているのもポイントで、今回のサブタイトルもなかなかひどいもんである。世の中に「そっち系」が好きな層ってのは一定数いるようだが、どうしたって「成長したら云々」という問題は避けて通れない。成人年齢を超えてもいつまでもレディースディでサービスしてもらえる山本和臣みたいな稀有な例もあるようだが、基本的には生まれ持った性差(SEX)というものは如何ともし難いものである。しかし、ゾンビならばそんな問題もオールOK。成長しない、変化しない。それなら声変わりも第二次性徴も関係ない。まさにGOGOネバーランド。大人になんてならないよ。 本作で、本来なら衝撃的であるはずのネタが軽やかにスルーされて何事もなかったかのように処理されたのは、やはりこのゾンビという設定の存在が大きい。これまで散々ひどい目にあってきたフランシュシュのメンバーは、もうこれっぽっちのアクシデントでは驚くこともないという。いや、さすがにさくらは最初びっくりしてたけども……そりゃね、まさおはなぁ……。しかしその報告を受けた残り5人は大した反応もなく、サキに至っては爆笑しておしまい。リリィがこれまで黙っていたということは当然後ろめたい部分もあったからなのだろうが(わざわざ言う必要を感じなかったのかもしれないが)、いざ露見してしまったら大して気にしてる様子もないし、「気にされることを気にする」描写もない。もう、メンバーの中では終わってしまった話題ということだ。このさっぱりした感覚はなかなか凄まじい。なんの偶然か、同じ週に放送された「DOUBLE DECKER」もジェンダーの問題を取り扱った話だったが、あちらは「生死を分ける」重要なファクターとして機能していた。生きている人間と既に死んでいるゾンビではその辺りの扱いも大きく違っているようだ。うーむ、ゾンビィ強い。 で、そんなリリィがメインになったお話は、非常にオーソドックスな親子の思い出話。なまじ子供が子役なんかで活躍してしまうと、親がメディアを通じてしか子供を見られなくなるなんてのはよくあるお話。この手の展開のテンプレである「仕事と金に目が眩んで子供の本当の気持ちを無視してしまう親」とはちょっと違ったが、リリィの親父さんもやはりどこかおかしくなってしまった。「テレビ好き」という彼のステータスが良くない方向に働いてしまったようだ。しかし、最終的な死因は親父さんとの関係ではなく謎のヒゲショックというのだからぶっ飛んでいる。このリリィの「成長への(男性性への)拒否感」は親父さんとの関係性とは別につながっておらず、親父さんの振る舞いもそこまで悪いものに見えないのがなんとも不思議な感覚。確かにリリィは親父さんのせいで不幸にはなっているが、あくまで彼女(彼?)の死は自己の内部にある問題で、親父さんからしたらそれは純然たる悲劇だったのである。まぁ、悲劇(悲劇とは言っていない)のヒロイン(ヒロインとは言っていない)という相当ねじくれた結末ではあるのだけど。 そうして出来上がった「永遠の子役」としての星川リリィ。ちゃんと親父さんとの関係性への禊も済ませて、ハッピーエンドで綺麗な幕切れ。……のはずなんだけど……結局幸太郎が何を考えているのかはまだ分かってないんだよね。今回のリリィの件からもわかるように、やはり故人の関係者から見れば、彼女たちの生前の面影ははっきりと残っているわけで、考えなしに露出を増やしていったら問題が増えるのは間違いない。リリィ以上に露出していたはずの愛や純子に大きな問題が起こっていないのが不思議なくらいだ。その辺りの「生前」と「現在」をつなぐ物語の1つのヒントになるのが今回のエピソードだった気はするのだが……真面目に伏線として回収される……かなぁ。唯一「生前」を気にしなくていいのはゆうぎりさんだけなのがずるいな。ナチュラルにイベントステージで三味線を披露するゆうぎりさん、アイドルとして有能すぎる気がする。 次回はサキのお当番回。彼女の場合は生前の記憶も相当残っているし、そっち方面の問題は出てこないと思うのだが、最大の問題は、このブログのタイトル欄に次回のサブタイトルを書くべきなのかどうかである(いつも以上にはみ出しまくる)。 PR 普通にええライブやないかい! 第7話。ちくしょう、こんな作品でいいライブを見せつけられることになろうとは……ちなみに、ライブ中はたえちゃんの動向に注目していると2度美味しいのでオススメ。純子が説得されるよりもずっと前から「矜持を貫き通した自由なアイドル」がメンバー内におるやんけ。いや、単なる機能不全だけども。 純子&愛編決着にして、フランシュシュの転機となるサガロックフェス。結局「アイドルとは何か」っていう根本的な問題に答えなんか出るわけがない。一応今回は幸太郎が純子を諭す形で表面上の決着はつけているが、もともとチェキ会で足並みを揃えなかったことから始まった揉め事なのに、「別にチェキ会なんかでなくてもええんやで」というのが答えだったっていうのは「お前がもうちょっと早く監督しとけよ」というだけの話なので無責任にもほどがある。でもまぁ、そんな無責任な様子もオールオッケーにしてしまうのが幸太郎という謎の人物なわけで。これがアイマスのPだったら袋叩きにあっていたことだろう。幸太郎、適当なところで出てきて適当にシリアスな説得するせいで視聴者サイドもけむに巻かれて騙されちゃうんだよな。足でドーンだしな。 でもまぁ、結局彼が施した治療が一番わかりやすかったということなのだろう。純子ちゃんにしても、別にアイドル論での対立から意固地になっていたというわけではなく、ゾンビ化しての時間転移というとんでもない状況に身の置き所がわかっていなかっただけなのである。改めてゆっくりと現代のアイドル事情を説明し、その上で自分なりの考えを出していけと諭すのは間違った判断ではないはず。他のメンバーとの対話ではなかなかそうしたデリケートな部分にまでは踏み込めないが、相手が幸太郎なればこそ、純子のガードも下がってなんとなく説得されてしまうもんだ。こうしてみるとやっぱり美味しい立ち位置だよなぁ。 こうして純子ちゃんの禊は無事に終わり(まぁ、思い切り車に轢かれたが)、残りは愛ちゃんの方。こちらもこちらで自分の果たせなかった夢の実現に向けて躍起になっているところで、さらに目の前で元いたチームの華々しいパフォーマンスを見せつけられては、黙ってもいられない。なんとかしなければと焦るばかりだが、文字通り命に関わったトラウマはそう簡単に払拭できるはずもなく、本番が迫れば降ってもいない雨の幻影に怯えたりもする。しょうがねぇよな、あんな壮絶な死に方はなぁ。しかも死後に改めてネットの評判とか見てどれだけ凄惨だったかをなんども再確認してるわけでなぁ。本人の固い決意とは裏腹に、いざステージが始まった時に醜態を晒してしまうのも致し方なし。 そしてここで紡がれる美しい友情物語。アイドルの持つ意味は違えど、お互いに全人生を費やしてアイドルを目指したのは同じこと。純子の手助けによって愛もなんとか復活し、あとはただ、賭したものを見せつけるだけのライブだ。気づけばゆうぎりさんやリリィはもちろん、さくらのパフォーマンスも達者になったよなぁ。ちゃんと練習してた成果なんだろうなぁ(たえちゃんはどうか知らんが)。 しかしびっくり、人生で2度も出演中のステージにカミナリが落ちるなんて、そんなヤツあるかなぁ。「2度とテメーとは一緒にステージに立たねぇ」って承太郎に言われても文句を言えない愛ちゃんの豪運。しかし、この逆境の雷をも武器にするのがゾンビ。落雷で死なないという耐性設定以外にも、なんと特大電力がどこにどう作用したのか、「身体が発光し」「指からビームが出るようになり」「声もやたらテクノっぽく電子音になる」っていうわけのわからないボーナスが発生(ボーナスか?)。幸太郎がその場で用意したのか、もともとやる予定だったのか、曲もしっかりそれにはまるようなものがセッティングされているのが謎である。でもまぁ、とにかく奇跡は奇跡。フリースタイルラップバトルからドライブイン鳥までなんでもこなすアイドルは、さらに新たな地平へと活動範囲を広げる。ほんと、ピンポイントでゾンビ要素がネタとして絡むのが秀逸だ。 こうして無事に革命を起こしたフランシュシュ。アイドルとしてのスタイルにもう不安要素はない。あとは周りの人間がどれだけ彼女たちの正体に肉薄するかというのが1つ、そして、結局幸太郎は一体何者で、何を狙っているのかわからないというのが1つ。どうも、彼は彼なりにアイドル観みたいなものは持ってるし、プロデュースする能力も低くないんだよな。そんな彼が、なぜ時代を超えた数々のタレントをゾンビとして現代に蘇らせることができたのか……。その辺の設定が回収されるのかどうかは微妙なところだが、今回のお話で少しずつ可能性は高くなってきた気がしますね。あとはさくらがどのタイミングで記憶を取り戻すか。まぁ、彼女の記憶って戻っても別に意味がない気もするんだがね。所詮単なる女子高生だし。時代設定に何かトリックがある……か? とりあえずたえちゃんのターンが来たらその辺りもまた変わってくるだろう。 「私はこれで」って、禁煙パイポのCMが元ネタなんだろうか、第6話。年代を調べたら88年らしいので純子ちゃんの時代に会う気がするけど、わざわざあそこでいう必要はないか。 意外な方向から物語の掘り下げが始まった。ちゃんと「ゾンビ」要素と「アイドル」要素が有機的にドラマの根底でつながってるのはスゲェな。これまでの展開で少しずつ友情が深まっていた6人(たえちゃんは定かでない)。単細胞のサキがなんとなく盛り上がった上で地元愛を動機にしており、さらにさくらの場合はもともとアイドルに対して強い憧れがあった。とにかくステージ上で活躍して自分の芸能魂を見せつけんとするリリィ、あまりにも時代がかけ離れすぎて、もう楽しければなんでもいいフリーダムなゆうぎりさん。4人のモチベーションは、ちぐはぐながらも「まぁ、仮初めの生でも楽しけれいいんじゃない?」くらいのテンションですっかりOKになってしまっていた。 しかし、最後までアイドル活動に抵抗を示していた2人は違う。愛と純子。2人は生前もアイドルであっただけに、その活動に対しては並々ならぬ強い信念があった。2人とも、形こそ違えど道半ばの壮絶すぎる死を迎えたという過去を持つ。意に沿わぬ復活にしばしは戸惑っていたが、幾らかでも「アイドルとして活動できる」という現実が見え始めたことで、2人ともいよいよ「あの頃の夢」を追い求める欲が出てきた。 愛の夢は、幸か不幸かフランシュシュの活動と目的を同じにしている。10年前の落雷で命を落とし伝説となったアイアンフリル不動のセンター。そんな形で伝説になることなど一切望んでいなかったし、そんなとんでもない不慮の事故で自分の人生が文字通りの「終わり」を迎えてしまったなんて認めたくない。10年の時を経ても語り継がれる自分の伝説を、再び花開かせようと躍起になっている。フランシュシュが新たな伝説を生み出さない限り、彼女は復活した意味がない。 同様の信念は純子も負けない熱量を持っている。しかし、20年以上のジェネレーションギャップは、「アイドル」という概念に決定的な齟齬をもたらしてしまった。現代の「会いに行けるアイドル」像とは異なり、純子の時代はまさに「偶像」としてのアイドル。彼女はひたすらファンの理想であり続けねばならず、ファンとボーダレスに繋がる現代のアイドル像などもってのほか。あの日失ってしまった自分の夢を追い求めるためには、このままフランシュシュの活動を続けていくわけにはいかない。お互いにあまりに堅固な「アイドル像」を持っているがために、2人には決定的な溝が生まれてしまった。 一応、現時点で「正しい」のは愛の方である。時代は進み、ファンの方もより「現代的な」アイドル像を求めているわけで、そもそも純子のような理念ではニーズが乏しい。今後も活動を続けるために、より安易にたどり着けるのは愛の方のゴールである。しかし、その愛ですら10年というギャップがあるのもまた事実であり、彼女の持つアイドル像も、いつまで受け入れられるかは分かったものではない。わずか10年で自分の知る勢力図が塗り替えられていたことを知り、愛も内心焦っているのだ。いつまで自分の中の「アイドル観」が世間に通用するかわからず、過去の自分のように、今のフランシュシュも「伝説」となり、「過去」になってしまうことを、彼女は何よりも恐れている。だからこそ、純子から「あなたも大して変わらない」と指摘された時に取り乱しもするのである。 愛の信念、純子の信念、どちらも間違ったものではない。もともとどこの誰とも知らぬ7人が勝手にまとめられた急造チームでしかなかったのだから、その中では遅かれ早かれイデオロギーの衝突があったはずなのだ。たまたま、これまではあまりに荒唐無稽な状況だったために問題にならなかっただけで、本当にグループが一丸となって戦っていくためには、世代を超えた意思の統一が必要になってくる。それがどれだけ困難なことかは、それぞれのメンバーの絡みを見れば一目瞭然。そして、たまたま「アイドル論」という根深い問題でかち合ったのが、この2人だったというだけなのである。さて、彼女たちの目指すアイドルは、一体どこにその完成形を見出すことになるのか……。 2人の衝突が激しいだけに、他の面々がなんとか団結しようとしている様子が睦じいのも見どころの1つ。サキとさくらはすっかりコンビ芸が定着してリーダー&影リーダー(?)のポジションどりが固まった。サキみたいに能天気で勢い任せな人間がリーダーになったのは、結果的には良いことだったのだろう。そして注目したいのは、いつのまにかこちらもコンビでまとまったゆうぎりさんとリリィのコンビ。ゆうぎりさんの包容力が完全にリリィを手中に納めているあたり、なかなかおいしいカップリングである。チェキ会の時にはさらにカップリング(?)としてさくらとたえちゃんの組み合わせもある。まぁ、こちらは保護者と野生動物の組み合わせだが……。 各々の死因にまでちゃんと切り込んでいったのは意外な展開。ここから先、彼女たちの人生(?)に光明は見えてくるのだろうか。そして、あんな壮絶な死に方だった愛ちゃんをゾンビとして再生させた幸太郎の立ち位置って一体……。 圧倒的町おこし! 第5話! もう、ここまでやってくれたら佐賀県もこのアニメを味方であると認識して全面的に応援すべきじゃないでしょうか。アニメによる町おこしは数々の失敗事例があれども、ここまでやってくれたら文句もないでしょう。これ、別に街の経済にほとんど影響は与えないんだろうけど、街が潤っても、無視されても、アニメとしてはネタになるからオールオッケーなんだよな。 さぁ、ここまでも久光製薬(仮)などたっぷり地元感を演出してきた作品だが、ここにきて最大級のコラボを繰り出してきた。町おこしで全力を出したコラボを行えばどうなるかというと、当然、「地元以外の人間にはさっぱりわからない」という状態になるのである。そこまでやらなきゃ意味がない。みんな知ってるようなものをアピールするんじゃない。誰も知らないものを全国に伝えていくんだ。そして、そこまでわかった上で言わせてもらおう。なんやねんドライブイン鳥て!!! 当然のように視聴後にググりましたからね。おそらく、ドライブイン鳥開業以来、もっとも検索されたのがこのアニメの放送後でしょうね。それくらいに、気になってしょうがないドライブイン鳥。もう、この文字列を入力させた時点でアニメとしては勝ちだろう。ちなみに一応検索した結果わかったことは、本店が伊万里に1店、支店が福岡に1店。……大した規模の店じゃないやんけ!!! この「どんなやねん!」というわけのわからなさが絶妙なラインを攻めており、少なくとも佐賀県にかけらも興味のない私のような人間にとって、「佐賀といえば?」という質問をされたら「ドライブイン鳥」と答えるしかないくらいのインパクトになっている。たとえこの店を知らずとも、きっと日本人なら自分の地元に似たような存在の店があるはずだ。他県の人間に「は?」っていう顔されても、「いや、そういうもんなの」っていうしかない絶妙なノスタルジーがあるはずだ。まぁ、この店が佐賀県民にとってそういう存在だとも思えないのだが……。とにかく、CMとしては間違いなく成功。おそらくこのアニメの宣伝効果によって、ドライブイン鳥にわざわざ訪れるアニメファンが、年間3人くらいはいるに違いない。よかったな、ドライブイン鳥。もちろん、このアニメが最終的にガルパンクラスの爆裂聖地アニメになれば、もう巡礼先としての当選は確実だ。……地図見たら、どう見ても行きにくそうな場所なんだけど大丈夫か……。 でもまぁ、扱い方も押し付けがましくなくてちょうど良いあんばいだ。絶賛するわけでもなく、田舎臭いしょぼさを指摘しつつも、食べ物はちゃんとうまいと言えるアイドル。まぁ、田舎の食い物ってだいたいうまいもんだけどね。佐賀オリジナルとして「焼肉って言ってるけど鶏」っていう部分をさりげなく売り出しつつ、地鶏のブランド紹介にもなる。うーむ、程よい。確かに食べてみたい気はしてくるよね。よし、今度佐賀県に行ったらよってみるよ! 一生のうちで訪れる機会があるかは知らんけどな! ナイスコラボの後は、こちらは多少有名なイベントであるガタリンピック。これなら以前ニュースかなんかで見たことがあるからちょっとは知ってるやつ。駆け出しアイドルの活躍の場としてはちょうどいいし、今回はいよいよたえちゃんの過去に切り込むターニングポイントとなりそうな部分でもあり、ギャグの中にしっかりゾンビネタ、アイドルネタを仕込む抜かりのない脚本である。たえちゃんは相変わらず扱いが難しいが、無駄クオリティの鶏のマネとかで三石成分を活用してるのはいいんだか悪いんだか。今後、彼女の正体が判明した時に中の人ネタも活用されたりするのかなぁ。 そして中の人ネタといえば、今回はようやくキャストも佐賀成分多めの回。いや、ドライブイン鳥の社長はいいとしてな。インタビュアーの子も佐賀のご当地キャストになっているらしく、確認したら本人のツイッター上で今作の方言監修を行なっていることが明かされていた。やっぱり色んなところから持ってくるもんだなぁ、方言監修。そして、よかったゆーきち、出番があったよ……いや、さすがにちょい役すぎないか?! 佐賀が生んだエースやぞ!(個人の感想です) シグマセブンの核弾頭やぞ! もっといい役よこせよ! なお、今回はゆーきちの出演に合わせてか、スタジオの連帯感に定評のあるシグマセブンからはよっちんと安元も参戦している。いや、レギュラーよっちんのバーターが残り2人って可能性もあるけども……。まぁ、多分スタジオではゆーきちがいつものように先輩のおにーさん2人に可愛がられていたことでしょう。佐賀といえば吉田有里。そう言われるくらいに頑張っていこう。ゆーみんに馬鹿にされても負けるんじゃない。 足湯の後にみんなして足突っ込んでたあれって何なの? 第4話。当然、疑問に思った時は調べられるのが現代ネットの便利なところ。……足蒸し湯、そういうのもあるのか……。聖地がわかりやすいアニメですが、さて、巡礼者はどれくらい現れるもんなんでしょうか。 4話にして温泉回。しっかりとセオリーを押さえた模範的な萌えアニメの構成だな! まぁ、ゾンビだけど……。メインでサービスシーンを披露するのが製薬会社のおばちゃん広報っていうのが斜め上すぎるわ。おばちゃん、微妙に乳あるのがかえってムカつくわ。まぁなぁ、さくらちゃんたちに欲情しちゃったらそれってネクロフィリアの領域なわけだしなぁ……。ゾンビをタイトルにしてるくせに彼女たちが「どの程度ゾンビなのか」っていうのは全然触れてくれないのでさっぱりわからない状態で、果たしてお湯につかってもいいのか、本当に腐乱臭はあるのかなどなどの情報は曖昧なまま。腐乱臭があるような状態だったら、温泉に入ったら確実に悪影響が出るでしょ。腐乱死体が入った湯なんて言われたら、嬉野温泉も営業妨害で訴えていいところだ。幸い足湯で実験したときにはお湯に影響もなかったようなので、全身浸かった時にも何もなかったと思いたいものだが、どうやら湿布+温泉の相乗効果で代謝(腐敗?)が進行し、うっかり首がもげてしまった様子。……やっぱりダメだったのでは……。ちなみに「久中製薬」は実在の企業なのかどうかはもちろん確認したが、残念ながらこれは架空。というか久光製薬に正規で許諾を取れなかったってことらしいな。久光製薬は佐賀が本社。こんなにもどうでもいい知識もなかなかないな。 さておき、そんなエピソードでアイドル成分についてはだいぶ固まってきた。さくら・サキ・リリィの騒がし3人組のポジションがはっきりし、そこに愛と純子が歩み寄る形(ゆうぎりさんとたえちゃんは相変わらずフリーダム)。今回言われて初めて気づいたんだけど、純子ちゃんは「昭和のアイドル」ということで、グループではなくてソロ活動してた子だったのね。昭和の常識で考えればそれが当然なのだが、すっかり現代のアイドル事情に思考が染まってしまっていたため、てっきり彼女もグループ活動してるもんだと思ってた。山口百恵とか、そういうタイプのアイドルだったのね。とりあえず、昭和と平成、どちらのアイドルも一応活動に理解を示し、今後は本格的にフランシュシュの活動が見られるようになるのだろう。まぁ、パフォーマンスが安定しちゃうと例のCGになるからあんまり面白くないのだが……CGモデリングの純子ちゃんのなんか違う感じが気になるよぅ。 そして、端々に残された「なぜ彼女たちはゾンビになったのか」という謎。折に触れてその話題になってるし、おそらくその部分のネタは今後回収されることになるんだろうな。「だって日本って火葬でしょ」って、今更そんなところを掘り返すのかよ、ってちょっとびっくりした。確かに、トラックアタックをくらったさくらがどうやって幸太郎に回収されたのかはわかってないんだよな。幸太郎のグラサンの下の顔がなぜか描かれなかったり、一応その辺りにも謎は残っているような、そうでもないような。たえちゃんがその鍵を握って……いるかなぁ。どうかなぁ。
たえさん? 第3話。何故そんなCVになったのやら……結局最後まで生粋の都民だったやんけ。佐賀の地元出身声優を起用する気配はカケラもないな。まぁ、方言指導はちゃんと入ってるけども。しかし、ここで三石琴乃を起用した意味とは……(絶対後で何かネタを仕込んでくると思う)。 「3話目はもう何が起こっても不思議じゃないわ!」と覚悟していたら、まさかの覚悟を覆す普通のアイドル回だった。これはこれで驚きではある。でもま、ライブシーンだけバリバリのCGモデルでぶつけてくるあたり、むしろ「現代アイドルアニメのパロディ」みたいな側面もあるのかもしれない。来週以降も普通にこのモデルだったら、今回がようやく1話目みたいな認識でいいんだろうけど、絶対そんなことしないと思うよ。最終的に心温まるアイドルアニメになったら……がっかりするよな、多分。 さておき、もともとプロデューサーは毎回「ライブやってこい」って言ってるわけで、過去2回がおかしかったのは偶然の産物。今回みたいに当たって砕ける初ライブが狙い通りだったのかもしれない。一応元アイドル2人との友情イベントという側面もあるが、改めてチーム内での立ち位置を確認するためのお話という意味合いが強いだろうか。前回友情タッグを結んだサキちゃんに加えて、一応ゆうぎりさんとリリィも「こっち側」の仲間。みんなしてアイドル稼業はよくわからないが、それぞれのモチベーションでレッスンに励んでくれるようになった。サキちゃんみたいな単細胞がのせられたのは分かるし、もともと芸事に興味があるだろうゆうぎりさんの謎テンションもまぁいいとして、元子役だったというリリィが案外素直にライブ活動に乗ってきたのはよくわからんね。彼女もアイドル活動がやりたいタイプの芸能人だったのかしら。 個人的には前回から特に注目していこうと思っていたのはゆうぎり姉さん。今回改めて衣装を着替えたせいで尋常じゃないおっぱいのサイズがよく分かるようになった。そして基本的には周りの人間のノリに合わせてくれる気のいいおねーさんなのだが、何故かあのシーンだけよく分からないテンションでさくらさんの「いい感じのセリフ」を強奪するというわけのわからない所業に及んでいる。いや、本人もさっぱり意識してなかったんだろうけど、なんか、こう、ひどいな。この人はおおらかなんだろうが、そのおおらかさが周りを不幸にするタイプの人だったのかもしれんな。今後もこうしてナチュラルボーンひどいことを展開してくれることに期待しよう。なお、絶対に前に出てダンスするよりも三味線使わせた方が舞台映えすると思うんだけど、誰もそんなことは指摘しないのである。 そして、何故かこのタイミングでCVが明かされたたえちゃん。周りの面子を考えれば、何故ここで? というぶっ込み方なのか間違いないし、わざわざこれまで隠していたのに何か意味があるのか。現状、別に何も起こらないが……もしかしたら「伝説の声優」とかなのかな。うわ、ありそうな話だな……それにしても、現状では意思疎通が図れるはずもないのにそこそこライブでダンスパフォーマンスに対応してるのは偉いよな。たえちゃんが偉いのか周りが偉いのかはよく分かんないけどさ。よく見るとパフォーマンス中もずっとフリーダムな動きをしているので、ライブアニメとしてみるとそこだけ異質でちょっと楽しい。 悔しいが笑ってしまったので私の負けだ、第2話。1話目の尖っぷりは完全に出オチやろ、と願っていた部分はあるのだが、2話目は同じ方向性から純粋に進歩的な展開でさらにひとネタ加えることに成功している。すげぇなヲイ。 まぁ、ぶっちゃけ一番スゲェと思ったのは本渡ちゃんのマルチな才能に対してなんですけどね。そりゃもちろん台本あるんだし、練習もみっちりやったんだろうけど、こうしてフリースタイルバトルのリズム感をきっちり再現できるのって純粋に才能だと思うのよね。やろうと思っても不自然になっちゃう人が多いと思うし。対抗してる2号役の田野ちゃんも、時にアイドルとしてお呼びがかかるその才能はピカイチ。純粋に聞いていて気持ちのいい展開だったし、素直に載せた映像部分のおかげで、ラップバトルにカケラも興味がない私みたいな人間でも気軽に楽しめる展開になっていた。まぁ、今度こそこれで打ち止めで、次の話数には残りカスみたいになってる可能性もあるけど……いや、もう、2話まででやりきったらわしは満足やで。 展開としては「メンバーが少しずつ覚醒する」という理想通りの展開になるんだろうか。一応たえちゃん以外のメンバーは目覚めているし、2話目時点で割と個性が出てきているのだが、今回メインで扱われたのは「伝説の平成アイドル」水野愛ちゃんと、「伝説の特攻隊長」二階堂サキの2名。そして友情タッグの形成に成功したのはサキちゃんの方。こういう友情タッグ形成って御都合主義の場合が多いのだが、今回の展開はどう考えてもさくらの才能がぶっ飛び過ぎていたので妥当(?)なもの。というか、さくらはある意味で最大級のオレツエーキャラとすら言えるのかもしれない。なんやねんあの無駄な才能の山積み状態は。いいぞもっとやれ。 そして、当然のように私のお気に入りキャラは現状ではゆうぎりさんです。マイペース過ぎる三味線プレイ、マジで格好いい。どこぞの事務所のラーメンクイーンに通じる存在感がある。 イカれたアクションコンテ、第39話(第2話)。録画分を寝起きに見て一気に目が覚めたわ。 進撃の巨人、すでにシナリオ部分で追いかけられるほど記憶が残ってないので「何となく」で観ようと思っていた作品だったのだが、久しぶりに炸裂した気持ち悪いくらいの立体機動のムーヴで「やっぱりすげぇアニメだな」ということを再認識。今後も何かとんでもないものが飛び出す可能性はあるので、注意して見て行くことになりそうだ。前番組の「つくもがみ貸します」も好きな作品なので、日曜深夜が充実しているとかいうクッソ面倒くさい状況である。 まぁ、今回は「戦闘シーンすごかったよね」の一言で終わりではあるのだが、個人的にびっくりした要素があるのでそのことだけ覚書程度に。それは、今回のコンテが平尾隆之氏だったという部分である。平尾さんと言えば、かのufotable黎明期を支えた敏腕クリエイターであり、未だに不動のufotableナンバーワン作品(個人の感想です)「フタコイオルタナティブ」の総指揮をになった人物である。今回の空中戦描写に圧倒された人は、是非ともフタコイオルタの1話「コロッケとヘリと地下ボクシングと私」、並びに第三話「エメラルドマウンテン・ハイ」を観てもらいたい。前者は今回同様に凄まじいコンテワークで見せる埒外の第1話となっているし、後者は打って変わって叙情的な演出が不可思議なシナリオと相まってみせる傑作である。 そして、びっくりしたので確認したら、何と平尾さんと今作の監督を務める荒木哲朗はマッドハウスでの同期だというじゃないか。こんなとんでもない才能が2人並んで入社するマッドハウスなんなの……。以外と2人して互いの作品に参加したりしてんのね。贅沢極まりない人脈である。最近はアニメの本数が増えすぎて人材不足だとはいうけれど、こうしていい仕事をしてくれる業界人はまだまだたくさんいるわけで、うまいことそうした才能が回る業界になってくれればいいなぁ、と思う次第である。 うん、進撃と全然関係ない話しかしてないな。アルミン可愛い(適当)。 やっぱりこの作品はバケモンですわ、第6話。今回の構成で完全に脳がやられた。ただそのことを伝えたいので記事を上げます。 実は、毎回内蔵をえぐり取られるようなダメージはくらっており、本来なら毎週何らかの感想を吐き出したい作品なのだが、いくつかの理由からそれは避けていた。理由1,視聴してる週末から週頭が他のアニメでいっぱいいっぱい。理由2,BSでしか見られないせいで世間的に盛り上がってしばらくしてからの視聴になり、なんか置いていかれた感がある。理由その3,今作の持つ根深いダメージを、俺なんかよりよっぽど胃の腑の深いところに喰らってる人(お嬢様方)がたくさんいるので、放っておいても感想がいっぱい出てくる。理由4,そもそも今作を適切に表現するだけの表現力を有している自信が無い。大きな理由は3と4かな。楽しんでいるのは間違いないが、多分、もっと壮絶な何かを受けて、そして吐き出している人たちが大勢いることを想像すると、どうしても何かをアウトプットすることに二の足を踏んでしまう。普段、面白かったら片っ端から何かを書き散らすようにしている私には珍しい状態だ。正直、この作品にどう挑んでいいものか、計りかねていたのである。 しかし、この6話目で何かがはじけ飛んだ気がした。情念じみたものだけでなく、今作は構成、作劇、作画の全てにおいてあまりに異様だ。そのすさまじさを、せっかくなので私なりの視点でここにまとめておくことにはきっと意味があると思い、今こうして頑張っている。 初の世界大会ということで当然色々と気合いの入っている話数なのだろうが、一番驚いたのは、ほとんどの時間を実際の演技に費やしたことである。総勢6人ものプレイヤーがしのぎを削ったショートプログラム、その全てをきちっと演技として描き、1話目から意識的だった「まるで本当にフィギュアのテレビ中継をみているかのよう」な構成がここに来てさらに効力を増している。しかし、普通に考えたらこんな構成は成立しないはずなのだ。何しろ、今回登場した選手のうち、我々がその内実を知っているのはユーリのみ。他の連中は、言わば「ぽっと出の外国人」でしかない。他のスポーツと違って「心情面での演技力」を問われるフィギュアという競技において、全然知らない人間が滑っているのを見て何かを感じ取るというのは、はっきり言って無理である。「意味を理解する」ところまでは行けたとしても、「意味を感じ取る」ことは難しいはずだ。 しかし、今作はそれを可能にし、登場した全てのキャラの演技の意味を、最低限のモノローグ、最低限のエクスキューズでもって叩きつけてくる。「演技を見て、その構成を見て、分かれ」なのである。溌剌としたタイの少年、ヴィクトルをのりこえんと様々な情念を燃やすロシア人、むらっ気がありながらも年の功でまかり通る色気の塊のスイス人。そのどれもが一筋縄ではいかないキャラを盤上で表出させ、余計なことをしゃべるよりもずっと雄弁にキャラを語ってくる。「ずっと番組」という構成ではやっぱり「少年ハリウッド」を思い出すが、あそこまでの無法を押し通すわけでなく、それでいて臨場感を最大限に引き出しつつ「キャラ紹介」「キャラ押し出し」「ストーリー展開」全てを一気に片付ける。よくもまぁ、こんなとんでもない構成が可能になったものだ。 前回の南くんの演技の時点で割と極まっていたのだが、今回の怒涛の演技の連続で、今作の「おいしさ」みたいなものも嫌というほどに理解させられた。そうなんだよな、1人1人のキャラが「俺を見ろ」という姿勢で楽曲と共に提供されるっていう構図、すげぇ贅沢なアイドルアニメのデザインなんだよ。アイドルアニメは何話かに1回はライブシーンを入れて、そこで曲とキャラを売り出すわけだが、今作はそれを毎回、贅沢な作画リソースを注ぎ込んで展開している。そりゃ盛り上がるだろう。そして、昨今のアイドルアニメといえばライブシーンはCGになるが、フィギュアスケートは集団を描く必要が無く、1人の演技をたっぷりと手をかけて作り込めるという強みがある。今回感心したのは、最後に出てきたスイス人(例によってまだ名前覚えてない)の演技、意図的に動画の中を抜いてる部分があるのよね。ユーリと同じ「色気」の表現のはずなのだが、スイス人の方はむらっ気を強くしたり、押しつけ気味の濃すぎる「エロス」のたたき込み方があまりに大胆過ぎるために、そのモーションがユーリの持つ「繊細さ」「未成熟さ」みたいなものと対比的に描かれている。尻からのアオリの構図を多めに採用して、どこか下世話な部分を残しているのもユーリの演技とは対照的。 他の選手の演技についても、「試合中継のカメラの構図」を前提としながら、1人1人に最適な「アニメ的演出」がガンガン盛り込まれている。いわば「デフォルメ」された部分なわけだが、これが無ければアニメとして表現する意味が無く、これが極まれば、アニメとしての存在意義が突き抜けることに。そして、実際に突き抜けている。 私はフィギュアスケートは全然分からない。今期は同じように「ラグビーが全然分からないけどオールアウト見てる」とか「サッカーはピンと来ないけどDAYS見てる」とか、スポ根アニメはテンプレ的に安定した「見せ方」がある分、大崩れせずに「何となくそれっぽいこと」を見せてくれるものだが、今作は「これ、絶対にフィギュアっていうスポーツが面白いんだ」と思わせてくれるだけの説得力を有している。フィギュアに良し、アニメに良し、つまり、フィギュアアニメに良しなのである。 そうそう、もう1つ私視点で外せないものといえば、中の人のお話。諏訪部が楽しそうだろ、とか、こういう安元がこういう波多野とぶつかるのかよ、とか、色々と爆笑ポイントが多いのだが(個人的に相変わらず安元キャラがツボ)、改めて見直すべきは、やはり主人公のユーリである。つまり、豊永利行。彼は「デュラララ」の帝人に代表されるようなナヨナヨ系を中心にしながら時たまぶっ飛んだ破壊力を見せつけることがあるが、そんな彼の仕事の集大成になりそうなのがユーリ。盤上に上がったユーリのサディスティックなまでの「誘引」を作り出しているのは、間違いなく豊永だ。対比される存在であるユリオの方を固い仕事一辺倒の内山昂輝が担当してギャップを出しているのも非常に効果的な配置になっており、今作は声優ファンにもかなり聞きどころの多い作品になっているのである。 ……とりあえず、ここまで6話分で溜まっていた鬱憤はここまでの記述である程度晴らせたかな……。残りの話数で何か書くかどうかは分かりませんが、世のお姉さま方に怒られない程度に、男サイドからも楽しんでいきたい作品ですね。 |
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声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧 |