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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 「絵なんて描いたことないし」って言ってる人間があんな絵描くなよ、第3話。あのな、本当に絵心がない人間ってのはな、いきなりデッサンなんてできるわけがないんや。目の前の事物をそのまま描き出すことがどれほど難しいか……(別に熱望もしないけど、時たま絵心が欲しくなる人間並みの感想)。

 戯言はさておき、今作は「絵」がテーマではなくて「色」がテーマである。3話まで見てきて感じたことは、正直筋立てだけでいうと今のところそこまで注目するようなこともなく、人間関係の構築もシンプルだし、画面構成にしてもそこまで野心的なことをやるでもなし、本当にただ「なんとなく甘酸っぱい青春小説を紡いでいこう」くらいの印象しか受けない。まぁ、どうしても比べてしまうものが「凪のあすから」になってしまい、あちらは鬼才・岡田麿里が常に刺激をぶん投げ続ける脚本になっていたので、それと比べて「おとなしい」と感じるのは至極当たり前のことなのだが。

 そうして割と「普通」っぽい作品なのでシナリオ部分について語りたいことは特にないのだが、その分、徹底してこだわりぬいた画面の色彩構成には嫌でも目がいってしまう。これまで数多くの佳作を世に送り出してきたP.A.WORKSの制作スタッフが、今作ではとにかく「色」の描画に全力を注いでいる。タイトルにもそのことがよく表れており、画面が切り替わるごとに鮮やかに飛び出してくる色合いの変化を見ているだけでも退屈しない作品だ。特にオープニング映像におけるモノクロとカラーの変化・対比の展開は自身の目を疑ってしまうような幻想的な変容を投影しており、普段からどれだけ「色」という曖昧なものをいい加減に享受してきたかを思い知らされる。色の演出とは突き詰めれば光の演出でもあるわけだが、「凪あす」でも鮮烈に描かれていた「光」の世界が、今作ではより一層の存在感を持って飛び出してくるのである。

 主人公・瞳美の「色が分からない」という設定は、そういう意味では非常に挑戦的な設定である。作中では「色盲」という言葉が一度も使われていないのはポリコレ的な配慮もあるんだろうが(いま調べたら、Wikiには近年から「色覚多様性」という呼称も現れたと書かれていた)、まぁ、旧来の考え方で言えば間違いなく「欠損」と認識されていた特徴を主人公が持ち合わせているのだ。そのことがコンプレックスで、引っ込み思案な性格になってしまっている状況も設定としてはかなり重要で、彼女の「他人よりも足りない」「世界はつまらない」という自己意識が物語を構成する大きな要因になっている。

 この「色盲」がいわゆる先天的な体質なのかどうか、実は2話目まででは判断がつかなかった。再三「モノクロの世界」が描かれており、それが瞳美の視界であることは自明だったが、その「色の無さ」が実質的(生理学的)な色の欠損なのか、それとも彼女の心象風景としての抽象的(精神的)な色の「褪せ方」なのか、その辺りが判断できなかったのだ。しかし、今回改めて彼女の口から「色が分からない」という事実が明かされ、それが絵を描く際の絵の具の選択という端的な情報から明示された。現時点では彼女の「盲」を認識しているのは本人と葵の2人のみ。今後は間違いなく色を獲得するお話になっていくと思われるが、世界における「色」の実質的な意味合いと、瞳美の中での主観的な意味合いを、どのように画面の「見え」で紡いでいくのかが今から楽しみである。

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 良いレースだった、最終話。もう、特に思い残すこともない……。

 いや、結局誰やねん、っていう部分はもちろんあるんだろうけど、誰が勝ったところで遺恨が残ってしまうというのはこの「史実」アニメの唯一悩ましいところで、おそらく「下手にスペとスズカの二人対決で決着を描いてしまうより、いっそのこと余計なくらいに人数増やしてうやむやでもしょうがない雰囲気を出してしまおう」っていう戦略なのだろう。実際、この人数では誰が勝っても……というか誰が負けても「それはおかしいやろ!」ということになるので、絶対に決着などつかない。あくまでも夢を見せるにとどまる「if」の作品なのだから、舞台だけを提供して残りは視聴者の想像に任せる、というのは正しい判断だったのではなかろうか。

 そして、それだけだったら本当に「なんかレースっぽいことやったけど何もわからずに終わった」になってしまいそうなところを、実際に走るウマ娘のドラマではなく、トレーナー側のドラマにスポットを当てることで回避しているのが脚本のうまいところである。そうだよね、確かにスピカの全員が出走するんだから、トレーナーからしたら誰が勝っても嬉しいし、誰が勝っても残念だし。そんな矛盾した感情を抱えながらも、チーム全員が、ウマ娘そのものが好きなんだ、というトレーナーの贅沢な思いは充分共感できるものだった。その上で、しっかりと「結末」を見届けんとしたトレーナー。そして、その結末が分からないまま次の夢へと続いていく視聴者。この辺りの対比も心憎い。いいじゃない。僕らはトレーナーの頑張りを讃えて、彼にだけでも「ゴール」を与えてあげても。もちろん、それだと本当の「終わり」になっちゃうので、次世代への夢を残すことも忘れてないんだ。何もかもが「終わってない」作品を、ここまで自然に、爽やかにまとめ上げたのは本当に見事な構成であった。

 あとはまぁ、細かく個々のウマ娘たちの絡みが見られたのは嬉しいところですかね。個人的には会長とテイオーのコンビが好きだったので、2人がそれぞれに想い合いながらイチャイチャしてくれてるのがよかったです。あとはゴルシかな。彼女は一歩間違ったら主人公になってた可能性もあるんだよな。めっちゃいい奴やん。あいつのおかげでスピカが成立してたって考えたら、今作のMVPはゴルシですやん。まぁ、トレーナーの思い入れの強さは圧倒的にスズカが上だったみたいだけど……。こうして見ると、トレーナーとスズカが最終的にくっつくんじゃないかな、みたいな雰囲気も独特よね。もちろんスペ×スズカっていうカップリングを前提にした上での話ではあるんだけど、本来ならばもう走ることすら叶わなかった悲劇の主人公だったスズカに、せめてこの世界では幸せになってほしい、みたいな狙いも感じ取れる。

 これでもいいよね、贅沢な二次創作みたいなもんだし。

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 ハルウララ久しぶり、第12話。あの子だけ完全に別次元で楽しんでるのが偉いよな……周りのみんなもそんなウララちゃんと仲良くしてあげてるのが偉い。誰も「何でお前ここにいるの?」とか聞かない。

 本当に恐ろしいアニメ。毎度毎度繰り返しているだけだが、本当に予定外のことが何一つ起こらない。そして今回はクライマックスとなるジャパンカップオンリーというあまりにも贅沢な構成である。前回ラストの時点でゲートインしてたはずなのに、今回改めてAパートではゲートインまでの展開を長々と描いている。もちろん前回はスズカの物語、今回がスペの物語という違いがあるので見え方は全然違うのだが、それでもこうして同じようなシーンの連続を平然とやってのけるあたり、シナリオラインで余計なひねりなど加えずとも見てもらえるだけの画面を作っているという自負があるのだろうなぁ。まぁ、お約束展開しか無いっていう意味ではニチアサとかだって同じわけですけどね。

 結局、ブロワイエは一度たりともスペの前に出ることがないという屈辱的な敗北を喫してしまった。どう見ても彼女の敗因は重すぎる衣装だと思うんだけど、この世界ではそんな野暮なことを言っちゃいけないのよね。でもさ、割と序盤ではスリップストリームの話で「風の抵抗を少なく」みたいなこと言ってたはずなのに、王者ブロワイエがあんだけバサバサするマント背負いながら大事なレースに挑むのって考えてみりゃすげぇシュールな図だよな。もし実現するなら、「いよいよこれを外す時が来たか……」って言いながらクソ重たいマントをどさっとおろしたブロワイエが本気で戦うレースとかも見てみたいものです(ねぇよ)。

 レース後には全てをさっぱりさせるためのウィニングライブだが、もうアニメの方では「ウィニングライブなんていらんかったんや」が平常運転。今回はちゃんと特殊エンディングにしてもらったので余韻を味わう意味でもライブの意味はあったかもしれないが……Cパートで全て吹き飛ぶよね。そんなレースやるのか……まぁ、やるよね……何気にパサーも一緒に走っちゃうんだけど、最後はどうせスズカとスペがイチャイチャしながら走ることになるわけだし、残りのレジェンド馬全部が「当て馬」になっちゃうあたり、壮絶なレースには違いない。うっかりゴルシとかが優勝したら最高なんだけどな。

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 ブロワイエにサンバイザーが加わったことで俄然ウマ娘がバラ娘に見えてきた、第11話。今調べたら「ロサギガンティア」っていう競走馬もいるらしいのでちょっと面白かった。

 さておき、ただただ良いお話である。これまでは「史実」にのっとったレース展開がなされてきたわけだが、スズカの復帰戦となるここからはある意味で「if」の世界。何が起こっても不思議ではないのだが、基本的にこのアニメはひたすらに王道を行く筋立てなので、予想外のことは何一つ起こらない。強いていうなら、前回のスペのレース同様、今度はスペが会場でスズカの勇姿を見守っていなかったことがちょっと意外だっただろうか。2人して一番見たいシーンをあえて見ずに練習に没頭することで、かえって信頼感が見えやすくなるという構造。別に見に行ってもいいとは思うのだが、多分見てしまったらどこかで気が抜けてしまうという懸念もあるのかもしれない。感動のゴールも他人事と思えなければ、そこで一気に弛緩してしまう可能性もあるのでね。スペはしっかり翌日のレースに本番を持ってくるためにも、そこは譲らなかったのだろうね。

 本来ならばレース復帰は絶望と言われていたスズカ。しかし彼女はわずか1年足らずでターフヘと復帰し、見事に大観衆の前でその勇姿を披露した。どこまでが彼女の想定したレース運びだったのかは知る由もないが、圧巻の試合展開はまさに王者の風格。数多のファンを涙させた完全復活は、「if」の世界とはいえ実に晴れがましく、文句のつけようもない復帰戦であった。ライバルとして文字通りの「当て馬」にされてしまったサンバイザーは可哀想だったが、あまりにもスズカの活躍が劇的過ぎたので株を落としたわけでもないしね。それぞれのレースでそれぞれにいいライバル関係を作れるのが大人数でのレースの良いところだ。

 さて、スペの対戦相手はまさかのブロワイエということになった。スズカ絡みの因縁以上に根深い、エルコンドルパサーの仇討ち試合。まぁ、これまでのスペの扱いを考えれば流石にここで負け試合にはしないと思うのだが、ただ「勝つ」というだけでは面白くないのも事実。最終盤に一体どんなドラマが用意されているだろうか。

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 蹄鉄の存在意義とは、第10話。そもそも蹄がないからな…………ないよね? なかったよね? そこは人間フォームでいいんだよね? もう、受話器のことがあって以来ウマ娘の身体構造は全部疑ってかかる必要がある気がしているからな……。まぁ、一番の疑問はどうやって母ちゃんがあんなもん作ったんだ、っていうとこな気はしますけど。冶金とか彫金の技術を持っているんだろうか。

 そんなプレゼントから決意を胸に秘め、ついに出番だスペシャルウィーク。まぁ、例によって何一つ予想外の展開は起こらないのがこの作品なわけですが、無事にレースを見終わった後にYoutubeで「原作」の方を見に行ったら、なるほどこれは良いレースであった。競馬ファンってのはこういうところで盛り上がれるのが好きな人もいるんでしょうね(純粋に賭け事として好きな人も多いだろうけども)。確かにこれは見ていて盛り上がれる。

 そして、むしろ冒頭のレースで思いっきり負けたところが「予想外」と言えば予想外のところだっただろうか。こうしてみると結構な頻度で調整ミスってるスペちゃん。主人公としてはどうかと思うが、田舎から出て来た粗忽娘というキャラクター性がしっかり活きているのはむしろチャームポイントか。そのほか、今回はスピカの面々以外にも様々なウマ娘の日常が垣間見られるなど萌え作品としての見どころも多く、「だいたい同じことしか起こらないけど不思議と退屈しない」作品の面目躍如である。未だにスピカ以外のウマ娘なんてほとんど覚えてないし、認識できないんだけどね。それでもなんとなく見られるのはなんでなんだろう。個人的にはテイオーと会長の関係性が一番好きです。

 クライマックスとなるレースでは、スズカが会場に現れないというまさかの展開。すでに復帰戦を終えているのだから別に忌憚なく応援できると思うのだが、ここであえて顔を合わせずに「想定レース」を繰り広げたことは後々の伏線になってくるのだろうか。何しろあれだけ大切にしていた家族のことよりも何よりも、「一番はスズカと走って勝ちたい」ってスペが言っちゃってるからなぁ。最後のイベントはどう考えてもこの二人のレースになるのよね。個人的にはそこにパサーもぜひ加えてほしい。

 (内心、ゴルシだけ負ける展開とかだったらキャラが立って美味しいとか思ってたんだけど、あんな奴でも元ネタは強くて有名な馬なのよね……)

 

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 受話器よ、第9話。こういう擬人化(?)もので耳の位置が厳密に設定されるのって本当にレアケースだな。そういえば頑なに髪の奥は見えないようになってるのね。ただ、その割にスマホは普通サイズなのはどうなんだろうな。骨伝導だと耳に当てる必要がないとか、そういう設定なのかな(ラストのエルとの会話はディスプレイ見ながらだったけどな)。

 他にも謎の人参ベットインディアンポーカーとか、ウマ的な何かがチラチラ見えるギャグ回としても機能していた今回の話数。スピカ全員で寝言コンテストを開催するなど、よくわからないお約束の添え方も一捻り加えてあるところだ。基本的にスピカの面々が活躍する回ってのはギャグになるようにできているので(大体ゴルシのせい)、メリハリをつけてその辺は強調する演出になっている。ただ、そのおかげでせっかくのスズカの復活がなんだかあっさり処理されたのは意外だった。まぁ、ここから先は「史実外」なので扱いがデリケートになるのかもしれないが、前回のスペの苦境を跳ね返すような展開が必要だったわけで、スズカ復活はもう少しドラマティックなものになると思っていた。なんだかヌルッと復活して、笑い飛ばしてみんなハッピーというのも……まぁ、スピカらしいといえばらしい展開なのか。ちゃんとトレーナーがメンタル面でのブレイクスルーをサポートしてるところは丁寧なシナリオ。

 その分、スペが復活するための最大の契機となったのが、海外で活躍するエルコンドルパサーということになる。これまた例によってネットで調べて「史実」のレースを見せてもらったが……こりゃぁ確かにドラマ以外の何物でもないや。日本の馬がここまでやって、そして、届かずに終わった悲劇。ラストのスペとの電話シーンはこの無念を考えれば至極当然の涙といえる。国内では最強の名をほしいままにしたパサーも、世界の壁は破れなかったという厳然たる事実は如何ともし難いものである。

 しかし、これをわざわざスペの克己シナリオの中に入れてきたということは、おそらく今後はこれすらも撥ねとばす展開が待っているということなのだろう。そろそろやりたい「史実」も出揃ってきただろうし、残りの話数では是非ともオリジナルアニメとしての「ウマ娘」を見せてほしいものだ。

 なお、フランスでパサーを破ったウマ娘のキャストは、フランス語が流暢だったので誰かと思ったら当然の池澤春菜だった。まぁ、そりゃそうなるわな。

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 不思議な読後感、第7話。アニメ的なニュアンスで「読後感」に当たる言葉がなんなのか分からないけども。「視聴後感」なんだろうか。

 噂では聞いていた「沈黙の日曜日」。一応「史実」をもとに進行している作品なのでその処理がどうなるのかは最も注目されていたところだと思うのだが、なんとか笑顔を残すことができる結果に落ち着いた。まぁ、ウマ娘は骨折した程度で死ぬわけではないからね。当たり前と言えばそうなんだろうけども……スズカの場合は頑張れば現役復帰の可能性も残しているらしいので、ここから先はウマ娘の世界の新たなサイレンススズカが見られるのかもしれない。

 それにしても、本当に興味深いスタンスにあるアニメ作品である。何しろ「史実」の焼き直し(?)なのだ。こうして私のように競馬をさっぱり知らない人間が、アニメを見て感銘を受け、そのままYoutubeで動画を探して「本当の」サイレンススズカの姿を見に行く。これまでたくさんの擬人化作品があった中で、こうして「実際はどうだったのか」なんてことを確認できるというのも稀有な存在だろう。アニメを見た人間は改めて「現実」を体験できて、競馬好きの人たちは改めて当時の歴史をアニメで改題して追体験することができる。まぁ、中にはこうした「萌え」コンテンツになっていることを快く思っていないファンだっているかもしれないけども……でも、同じドラマを楽しむなら、形はあんまり気にしなくてもいいと思うんだよね。

 生粋の競馬ファンの人たちに怒られないためにも、アニメはちゃんとクオリティを高めて放送しないといけない。その点はP.A.Worksに任せておけば問題ないということで。今回もクライマックスとなるスズカの疾走シーンは本当に鬼気迫るものになっていた。「単なる女の子の陸上競技会で盛り上がるんか」とか思っていた時期が嘘のようである。単なる事故で終わるのではなく、しっかりスズカとスペの友情物語になっているのも良い。スペはこんだけの事件があったら太ってる場合じゃねぇな。

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 ウイニングライブの意味とは、第5話。今回盛大に盛り上がった日本ダービーだというのに、ライブの方はほとんど流されなかった。やっぱり必要ないじゃん(真理)。

 やぁみんな! P.A.Works大好きおじさんだよ! でもこの作品は当初からあまりP.A.らしくないと言われ続けている作品だった。気づけば他作品よりも先行しており、あっという間に5話目を迎えているわけだが、このあたりになってようやく見るべきポイントが定まってきた感があり、「やっぱりP.A.やなぁ」と思えるようにもなってきた。キャラクターデザインが分かりやすくP.A.だし、作り込みの丁寧さは相変わらずである。

 もともと、「突き詰めたら女の子が単に陸上競技するだけの作品で面白くなるんかいな」と懐疑的な部分があったわけだが、今回の日本ダービーは文句なしで盛り上がっていたように思える。本当に不思議な話だが、レースを見ながらよくわからない感情に押しつぶされて涙してしまった私がいる。もう、この歳になると自分の涙腺のガバガバっぷりにあきれ果ててしまうが、はて、一体何がそんな感情を呼び起こしたものか。単にアツいドラマのテンプレを遵守しているってだけではあるのだが。

 改めてここまでの展開を見ていると、本当に絶妙なテーマをアニメに取り上げたもんだな、と思う。萌えと燃えの融合形態はこれまでも様々な作品で挑戦してきたテーマであるが、どちらにしろ「キャラを立てる」というのが必須条件であり、キャラに思い入れがあればこそ、そこに昂る共感が生まれ、萌えにしろ燃えにしろ、見応えが出てくるのだ。今作は様々なウマ娘が大挙する性質上、そうした思い入れが難しくなるかと思われたのだが、きっちりスピカの面々に焦点を絞ることによって、過度にひろがりきってしまうことを防いでいる。それぞれのウマ娘たちにはただ純粋に「誰よりも早く駆け抜けたい」という本能とでもいうべき勝ちへの欲求があり、余計なことを考えずとも、それぞれのモチベーションが維持されているのもシンプルながらありがたい要素で、ただひたすら「勝つ」ことへの欲求のみをドラマの中軸に据えることができるのだ。

 ウマ娘のキャラが作りやすいというメリットに加え、「史実に著作権なし」という当たり前のテーゼも今作が活用している要素であり、かつてたくさんの名馬たちが作り上げた過去の栄光の「リメイク」であるにも関わらず、それを燃えアニメとしてリビルドすればそれは全く新しいアニメのストーリーになっている。かつては擬人化(?)ものとして史実を利用する作品には戦国武将の女体化作品なんかがあったわけだが、数百年も遡らずとも、人間世界(ウマ世界?)にはたくさんの「描くべきドラマ」が転がっているのである。これだけのものが転がっているなら、それを使うのは決して怠慢などではなく、「活用」という言葉がふさわしいのであろう。

 もちろん、単に史実をなぞるだけでは作品は完成せず、あとは細かい芝居の作り方でどれだけ見せられるかということになる。今回だけで見ても、トレーナーがあえてスペにベストタイムを見せずにレースに挑ませたくだりとか、ギリギリを決めたスペとスズカの関係性とか、そういう部分での「人間ドラマ」が普通に見られるものになっている。これに加えて映像部分では本当の競馬のように各々の馬のポジショニングなんかから画を作っていくのが上手い。これをみていると、漠然とではあるが「競馬を見るのも面白そうやな」という気になってくるのだからどちらの業界にとってもWin-Winである。これだけの熱量のレースを毎回やるというのは流石に無理があるが、「弱虫ペダル」だったらこれだけのクライマックスは2クールに1回である。お手軽にそうしたアツいレースが見られるのだから、破格のコスパと言えるのではなかろうか。まぁ、アニメ視聴のコスパってなんやねん、って話だが。

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 それが由乃の選択、最終話。いい幕引きでしたね。作中最大のヒロインがジジイになってるところも悩ましくも嬉しい演出かもしれません。

 全てのけじめとなるみずち祭り。結局、どこぞの市長さんを引っ張り出してくるジジイのラストドタバタは相変わらず迷惑な内容だったが(よりによってあのタイミングでガス欠を起こすあたり、最後まで頼りにならん)、そんな緊急ミッションで町中のいろんな人たちの力を合わせて大活躍するという、いかにも最終回らしい展開になったので、これはこれで良しとするべきか。金田一さんがラストでまさかの開花宣言はちょっと笑う。間野山青年会、やっぱり婚期遅れそうなのは気にしてたんだな。

 無事に演劇が上演され、凛々子の歌も上々。祭りには多少のトラブルはあったものの、参加者たちの意気も高く、狙い通りの活気あるイベントになった。その後の退任式での人ごみを見ればわかるが、やはりこの祭の成功は、1年かけて色々なところに首を突っ込んでは町中の人間を刺激し続けてきた由乃の努力の賜物であろう。最終話では千登勢さんも終始笑顔。しかめっ面を見せたのなんてエリカちゃんくらいなもんじゃないですかね(ツンデレめ)。住民みんなが笑顔になる。まずはそこからが、全てのスタートなのだろう。

 こうして迎える「宴のあと」。王国民5人は、それぞれの「次」についての報告を行う。こうしてみると、この5人の並びというのは五者五様で綺麗に分割されたことがわかる。変化の内容を見ると、「内→内→内」と全く動かずに全身全霊でもって間野山を支えていくことを誓ったのがしおり。彼女は生まれながらに間野山を愛し、全てを受け入れた真の間野山市民。対して「内→内→外」という結末を迎えたのが凛々子。これもちょっと前から決定事項になっていたが、彼女はこれまで「内」に居続けることを積極的に選択していたわけではなく、世界の狭さ故に出ていくことができなかっただけ。今回決定した「外」にしても、間野山と決別するわけではなく、ジジイが「間野山に必要だ」と言っていた「他所の文化」というものをその身に取り込み、新たな間野山の若者文化を作り上げるための発展的な「外」だ。彼女が海外を巡って珍妙なものをたくさん拾い上げてくれば、数年後にはチュパカブラ王国どころじゃないエキセントリックな名物が生み出されるのかもしれない。

 「内→外→内」という結末を迎えたのが真希。回を増すごとにお父ちゃんのカメラがパワーアップしていくのは流石に笑う。彼女が今後どうやって生計を立てていくのかはよくわからないが、若い頃にただ反発心から抱いていた「芝居で身を立てるんだ」という夢を、町の中で叶えていく人生を見出すことができた。そして、彼女の作る劇団こそが、また新しい、間野山の若者文化の1つとなるのだ。この1年で由乃たち若者が痛感したのは、どれだけ文化の継承を訴えようにも、それが世代を超えて残り、伝えられていなければどうにもならないということ。間野山の過去と未来をつなぐ役割として、真希は新たな時代の語り部の役を担う。そしてそんな新しい文化の参謀役を務めるのが、「外→内→内」というIターンルートの早苗。彼女のように外部から間野山に定住する人間が増えることが、町おこしの最終目標。まぁ、よっぽどのことがない限りはそうした定住が難しいことがよくわかるわけだが、少なくとも早苗という人口は1人確保されたのだし、外からやってきた人間だからこそ、彼女は今後の町おこしの鍵を握っているのは間違いない。「余所者」が余所者でなくなり、間野山は新たなエネルギーを手に入れる。

 そしてラスト、残ったパターンは「外→内→外」である。大方の予想を裏切り、木春由乃は1年という国王の任期を終え、間野山を出ていくことを選んだ。彼女なりに考えた結論。「このまま甘えるのはなんか違う」とのことで、正直この由乃の意見にはピンとこなかったのだが、最後のシーンを見てポンと膝を打つことになった。由乃がやるべきは「間野山の国王に居座り続けること」ではない。すでにチュパカブラ王国は解体され、由乃が座るべき王座は無い。ジジイは言っていた。「このままでは余所者が余所者で無くなってしまう」と。そう、30社お祈りの実績を持つ彼女の活かすべき個性は、まさにこの「余所者根性」だったというわけだ。彼女は言っていた。「普通に田舎で暮らして普通に結婚し、普通に死ぬのは嫌だ」と。彼女が「普通じゃない自分オリジナルの道」を突き進み、ずっと「余所者」であり続ける選択……。彼女は次の間野山を見つけ出していくのだ。

 彼女の履歴書には、ひょっとしたら「職歴・国王」と書かれているのかもしれない。北陸の小さな田舎町で起こしたほんの少しの彼女の奇跡。桜の王国で、彼女が達成した掛け替えのないクエスト。その実績は、次の冒険に受け継がれていくのだろう。人生、強くてニューゲーム。

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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
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