最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
千・秋・楽! いやさ大・団・円!!! 最終話! まぁこれ以外の終わり方はないでしょう。シリウスよ永遠なれ! もう、あんまり細かく言う必要もない予想も期待も裏切らない最終回。音楽メインのアニメなら「最終話はとっておきのライブを!」というのがすっかり定番の文化となったが、こちらの作品ならもちろん最終話はたっぷりととっておきの舞台を披露する。舞台演劇がテーマの作品ならそれが当たり前。最終話だからって東京タワーをぶっ倒してタワーブリッジにしたりしてはいけないのだ。いや、ごめんなさい、それでもいいです。 たっぷり時間を使って集大成となる舞台。今作独自の「舞台空間」の演出が常時発動しているので作画クオリティがとんでもないことになっているし、そのクオリティで描かれているシリウスの舞台も常識がぶっ壊れているので色々とんでもない。あんなん、どうやって舞台演出で作り上げてやがるんだ。そりゃ大演劇時代も来るだろうよ。あんなもん、何回も観たいに決まっている。まぁ、おそらくは炸裂していたエフェクトの半分が舞台効果で、残りの半分は八恵やここなのセンスによる幻視のオーバーフローなのだろうが。とにかく短い時間で「集大成となるめちゃおもしろそうな演劇」が描かれればそれでOKなのですよ。この1クールですっかりシリウスに魅入られた我々視聴者なら、「あの新妻八恵とカトリナちゃんと鳳ここながフルスペックで舞台を!?」っていうだけで感涙してひたすらに拝み倒してしまいますからね。 実際、舞台に立つ者全員が惜しげもなくセンスを垂れ流す舞台は凄まじいものになった。八恵やカトリナに注目は集まりがちだろうが、冒頭を引っ張ったぱんだの仕事ぶりだって堂々たるものだったし、彼女のセンスはおそらく舞台序盤に客の様子を伺って引き込むのに大きなアドバンテージがある。そうしてぱんだが空気を作ってくれているからこそ、残りの若手連中が好きに暴れても壊れない舞台が構築できているのだろう。八恵の演じるクリスティーヌの美少女っぷりも尋常ではなく、千変万化のカトリナさんが男役でそこに絡む。ハァ〜、やっぱこの舞台は一度完全版で見てみたいっすね。スタッフさん、オペラ座の怪人だけで30分とか1時間あるオリジナル映像特典とか作る気ないですかね? そうしてあまりにも荘厳すぎる檜舞台が整い、静香は約束されし帰還を果たす。いや、正確にシナリオの流れだけを考えるなら彼女がここで帰ってくることの是非は議論の余地があるのだが、まぁ、前回も言った通りに「ここからソシャゲに繋ぐで帰ってこなきゃいけない」という前提があるなら、こういう形で収めておくのが一番穏当だろう。一応の理屈をつけるなら、前回までの鳳ここなは、我が身から分たれた「半身」である静香と統合され、「2人で1人」になった。今まで足りなかった部分を補い合い、出来上がったのは「1人」である。そしてそこから、柊やシャモさんの言うようにここなのセンスは舞台で「成長」し、今度は「1人が2人」にまで膨れ上がった。これをもって、ここなのセンスは1つの完成を見たと思えばいいのではなかろうか。 個人的にすごく気に入っているのは、この度の舞台のメイク、ファントムの傷は顔面の右側についてるってこと。前回までの筋を考えれば、舞台に焦がれて闇に足掻くファントムは静香の反映であるかのようにも見えていたのでファントムの「証」は静香を象徴する左側についていてもおかしくなかったと思うのだが、鳳ここなという完成された1人の役者を考えるなら、静香を生み出し、その姿に憧れて貪欲に喰らい尽くしたここな本人こそがファントムたりうる存在である。全てを拾い上げ、愛を成し遂げた1人の青年「エリック」が顔の傷にすら誇りを持ち次の人生へ歩を進めたのと同じく、鳳ここなも、自らの生み出した静香という「異形」を携え、次の舞台へ進んでいくのである。 ワールドダイスター、其は古よりの定めの名。舞台を司る2人の乙女。
PR 人生を賭した、一人舞台の果ての果て、第11話。役者のエゴとは、斯くも罪深く。 恥ずかしながら、前回は全くもって見当違いの解釈をしてしまっていたようだ。でもまぁ、これは私が悪いわけじゃなくてスタッフがズルいんですよ。というのも、ここなと静香の出会いが塗り替えられるのは唐突じゃないですか。これまで「静香が生成されたのはここながワールドダイスターを志してしばらくしてから」だと思っていたわけで、それ以前に消された記憶があったとなれば、また静香の存在意義が変わってきて、前回のファントムを巡る一連の解釈も変わってくるのだ。だから僕は間違ってなかった……って思いたいけど、どうだろ。もしかしたらこれまでのエピソードを遡ればちゃんと静香誕生の伏線はどっかにあったかもしれん。そこまで追いきれてなかった私の責任かも。 まぁ、別にいい悪いの話じゃないので開き直って方向修正をしておくと、まず、静香の誕生理由はほんとのほんとに模範的な「イマジナリーフレンド」だったという。言われてみりゃ、「オーディション落ちまくったここなが悔しさのあまりに超絶演技が上手い写し身を具現化した」よりも「舞台に憧れた少女が相手役を求めて分離した」の方が流れとしては自然といえば自然か。そうして幼いここなはすでに「静香生成」のセンスを開花させたが、いかんせん幼い子供である。センスも不安定だったもので、当時発現させていた頃の記憶は、どこかで失われていた。そして、オーディションを受けられる年齢になったのち、現実に打ちのめされたタイミングで、センスに溢れたイマジナリーフレンドがここなの下に再び帰還したという流れ。 「幼い頃にすでに出会っていたかどうか」はそこまで重要な情報ではない。どちらかというと重要なのは、静香という存在が「生成」ではなく「分離」だということがこれで強く確認できたことであろう。前回のエピソードを見て、私は「静香という自我を持った存在が、ここなとは別個に舞台への憧れを持ってしまったら2人の関係はどうなるものか」と戦慄したわけだが、冷静に考えりゃ、「静香の持つ自我」という前提が(今更ながら)トンデモな話なわけで、結局その感情はここな自身へと帰結する。幼少期に分たれた自我(ego)である静香は、言うなればalter-egoと呼ばれる存在なわけだが、この「ego」という概念が「自我」という意味を持ち、そしてまたカタカナ語でいうところの「エゴイズム」の象徴でもありえる。現在の鳳ここなは、役者として不可欠である、他人を蹴落としてでも舞台の中心に立ちたいというエゴイズムを切り分け、一時的に失っている状態だった。静香自身が「役者に不可欠なもの」と言っていた通り、それは本来なら分け隔ててはならないもの。それくらいの代償を支払わなければ、人格をまるまる1つ生成するなんてとんでもないセンスは発揮できなかったのだろう。 そうしてエゴイズムを抱え、エゴの塊となった静香。彼女自身は自分がどのように生まれ、何故存在しているかを十全に理解している。そしてこの度演じる役がエゴとは切ってもきれないファントムであることがきっかけとなり、静香は「自分が舞台に立たなければならない」ことを理解する。何よりも強い舞台への執念。その独善的なエゴイズムを、鳳ここなという1人の役者に統合せねばならないことを理解する。長きにわたり分たれていた「鳳ここな」が、今一つに重なり合う時である。 こうして、ここなはダイスターへの最後の階段を登り始めた。もう、こうなっちゃったらカトリナちゃんのオーディション風景が描かれなかったのも致し方ない……うん、そこはとても残念だけど……もう尺がないし、流石にどんだけ頭を捻っても「カトリナが超絶ファントムを披露しても、その上をいく鳳ここな」っていう説得力のある見せ方は思いつかねぇや。カトリナの名誉のためにも、彼女の完全敗北のシーンは視聴者のご想像にお任せするしかなかったのだろう。もし万が一これを説得力のある形で描けていたら、今作は伝説になったかもしれないのだが……まぁ、高望みが過ぎるか。 とにかく、これにて最後の舞台への布石は整った。しかしまだ、終わらないのである。「ここなは静香と一体となり、完成を見た」で終わっても物語としては成立するのだが……今作はさ、ほら、ゴールがソシャゲになるはずなのよね。ほんで間違いなくソシャゲには静香もいるので……最後に三度目、静香の復活が必要なのですよ(だから先週ここなと静香の統合を想定してなかったというのはある)。さて、どのようにして、イマジナリーフレンドを本当のフレンドにするんでしょうかね。
その展開は予想してなかった……第10話。ここにきてクライマックスにきっちりあげていけるシナリオラインは素直に魅力的。ちゃんとやりたいことができているアニメ。 今回はとにかくサブタイトル通りの内容。当然「幻影」と書いて「ファントム」と読むわけだが、オーディション開催にあたり、自分の限界に挑まんとするメンバーがそれぞれに自分の武器を振り翳し、6者6様のファントムを作り上げる。そう、ここの数字が「6」というのがとんでもない事態になっているわけだ。 まずはぱんだと知冴。こちらはまぁ、形式上はエントリーしてるけど、実際には早期リタイアするだろう噛ませ枠。一応先輩たちに花を持たせる意味で今回きちんと「ぱんだも知冴も、それぞれに個性を発揮していいファントムが作れそうやなぁ」という様子を見せておきつつ、各々が「でも脇役も面白そうだよね……」とちょっと欲を出している様子も描かれている。流石に先輩であるぱんだ達がオーディションでなすすべもなく破れる展開はちょっと可哀想なので、多分次週のどこかで「やっぱエントリー取り下げて脇役に回りまーす」っていうスタンスになるんじゃないだろうか。ぱんだはともかく、知冴の方はそこまで主演を狙うモチベも高くなさそうだしね。まぁ、仮にどっちかがファントムに選ばれてれば、相方は意地でもクリスティーヌを取りには行ったんだろうけど。 役のイメージに合わないので出てこないかと思われていたがここで出てきた、新妻八恵。魔人役の時と同様、彼女のオールマイティな最強センスにより、ファントムだろうがなんだろうが、さっさと役に「潜って」大枠は掴んでしまっている様子。ここで八恵がいなきゃオーディションが茶番に成り下がってしまうので、まぁ出てくるのは必然だろう。そして、そんな八恵のエントリーに尻込みしていたが、同様に出てこなければお話にならない鳳ここな。彼女も「アラビアンナイトの奇跡よもう一度」とばかりに、難しいファントム役に名乗りをあげたが……まだまだ自信は持てていないようで、さて、ここから主人公パワーで巻き返しが図れるかどうか。 そしてこの度一気に台風の目となったのは我らがカトリナさん。前回時点で「ラスボスは八恵じゃなくてカトリナにやってほしいなぁ。彼女の方がここなに向ける熱量がクソでかいし、いっぺん挫折を味わった天才は、ここから再び立ち上がるドラマが盛り上がる」と書いていたが、まさにその通りの展開。彼女は一度辛酸を舐めた経験をファントムの怒りと孤独に移し替え、「超集中」という近距離パワー型で一番強力な己がセンスを徹底的に磨き上げる。その集中力はまさに鬼神の如く、ひたすらに潜って潜って、落ちて落ちて。普段なら神々しいばかりの光を放つ「センスの目」がこの度は暗闇にギラリと赤い光を放つ悪魔のごとき様相。「堕ちた」天才の演技に、なんとあの新妻八恵までもが飲み込まれてしまう。もう、あの一幕で此度の格付けは終わっている。少なくともファントム役に限っては、もうおそらく八恵がカトリナを超える術は残されていないだろう。 そうしてカトリナが捲土重来を成し、最後の試合は大々的にカトリナVSここなの同期対決になる……と思いきや、それだけでは片付かないのが今作の妙味。そう、6人目の可能性、静香の内に燃え上がる「演じたい」という欲求。そこに、新たな役者がいた。 静香という存在は間違いなく「ここなのセンス」である。だからとて単なる写し身ではなくちゃんと自我もあり、独自に動くことができる「別個体」であることはこれまでも何度も確認されてきたはずだが、「ここなを置いて自らが舞台に立ちたいと願う」流れは全く想定していなかった。いや、現段階でもまだ静香がそのように願っているかははっきりしていない。あくまでここなの演技を押し上げるための「システム」に徹するならば、此度の自らの情動すらもここなの力へ変転させて頑なに舞台に乗らない可能性ももちろんあるだろう。しかし、今回の演目、中心となる人物が「舞台を見続けながらも、決してその上に上がることなく、暗闇の中に潜んでいたファントム」であるというのがあまりにも残酷で、業の深い部分である。ファントムの孤独を演じながら、静香は何を想ったのだろうか。ここなという名の「クリスティーヌ」を舞台にあげ、華やかに彩ることだけを使命に生み出され、決して表舞台には上がらない影の存在。静香こそが、まさにシリウスにおけるファントムである。静香もそのことをどこかで認識している節があり、「潜る」ことの精度がまだまだ深まっていないのは、これ以上の深淵を見た時に、静香自身のレゾンデートルをも揺るがせにするリスクを感じているからなのかもしれない。 しかし、彼女は観てしまった。自らの命すら削り、人生の一部をファントムにもぎ取られたかのようなカトリナの演技を。そこにカトリナが至ることができるのなら、何故自分に出来ないものか? 静香という存在は、スポットを浴びるために生まれてきたのか否か。 彼女の中で、結論は出たのだろうか。ここなと対峙し、静香は何を語るか。純然たる「舞台で演じるためだけの存在」が、このアニメのフィナーレを大きく左右する。
サブタイでタイトルを冠する話数は神回の法則、第9話。……まぁ、今作においては特にそんなことはないつなぎの回だったわけだが……一応、若者たちが定める目標がはっきり見える回という意味で重要といえば重要? やってきたのはカトリナのママン・テレーゼ。今期はスカイツリーからの下町推しが捗っており、毎度お馴染み浅草寺に始まってさまざまな浅草のシーンを金髪ドイツ人親子が繋いでいく不思議な光景が続く。初めて日本文化に触れる外国人から見てもんじゃって大丈夫なんでしょうかね。日本人ですら「ゲボじゃん」って言われるのに。 まぁ、そんな観光はあくまでも前振りでしかなく、今回は一応カトリナ回とも言える内容になっており、彼女が幼い頃から触れ、憧れ続けてきたワールドダイスターの姿を再確認するとともに、シリウスの他の面々と一緒に未来の自分の姿を模索するお話。幸いテレーゼはとてもとっつきやすいタイプの大人物だったようで、多くの団員にそれぞれに刺激を与えることができたようだ。 彼女の相手役を務めて柊についても今回は傍からサポートがいくつか入っており、まず「とにかく酒を飲む」という絶望的な情報が与えられた。どれくらいの期間部屋にこもってたのかは定かじゃないが、あの酒瓶の量は流石にまずいですよ……。役者としては舞台を降りたとて、後進たちに背中を見せなきゃいけない人間がそんな自堕落でいいものか。まぁ、その姿を見るのは寮に住んでる一部の人間だけなのかもしれないが。そして、舞台に上がったおかげで彼女のセンスについても補足説明があり、どうやら彼女のセンスは元々舞台の上で「共演者を計る」ために用いられていたものらしい。なるほど同じ舞台に立つ人間に対してそのセンスを発動し、力量を見定めてそれに適した演技を合わせていくというタイプでサポートに徹する役者だったわけか。以前から「柊のセンスだけ何故舞台空間以外で起動するのか?」という部分はちょっと疑問だったのだが、彼女にとって「舞台監督」も役者と地続きの仕事であり、彼女は今でも役者たちと一緒に舞台に立っているのと同じ状態なのだ。だからこそ、舞台袖からでもセンスを発動して役者の実力を計ることができるということなのだろう。 残念ながらテレーゼがどんなセンスを持っているかは分からずじまいだったが、今回柊・テレーゼ以外にセンスを発動させたもう1人の人間はもちろん我らが鳳ここなさんである。彼女の「受容」のセンスは常にオープンであり、目の前でワールドダイスターの演技が披露されているなら、それを貪欲に取り込まないはずもない。新たなレベルアップのきっかけを手に入れ、いよいよ最終局面、「オペラ座の怪人」へと挑むことになる。今回のオペラ座の演出も息を呑むような緊張感なる舞台演出で良かったですね。「金田一」ファンなら観客席の天井に突然ぶら下がるシャンデリアにドキッとした人間も多いんじゃなかろうか。 そして、今回主役だったはずが扱いは軽かったカトリナ。すでに「八恵VSここな」という構図が整ってしまったこのシリウスの舞台上で彼女はどうしても脇役扱いになってしまっているのが現状だが、今回の一件を踏まえ、個人的にはぜひラスボスとして立ちはだかってほしいと思っている。こういう「自分に才能があると思ってたのにいっぺん鼻っ柱をへし折られたキャラ」は大好きなんですよね。そういうキャラが奮起して反逆に出て、最後に八恵を押しのけてここなを脅かすようになったら超格好良くないですか? カトリナはそれができる人物だと思っているし、ここなに向ける視線の熱さを考えると、お習字の上手い小学生の八恵よりもライバルに相応しいと思うのよね。
食べられるアリを見つけた話だけちょっと事情が違う気がするのだが……第8話。これ、単にその辺を這ってるアリを食っちまったってだけの話なんじゃねぇのかな。 小休止となる、サブキャラを切り取った単発エピソード。前回までのここな大覚醒エピソードが随分ハイカロリーだったので、ここいらでちょっとシリウスの団員をテーマにした小話を挟むのは良いバランスだろうか。まぁ、サブキャラっつってもぱんだ+知冴なのでいつも通りの面子といえばそれまでなのだが。ここまでいろんなところでサポートや刺激の追加に貢献してくれていたぱんだを中心に据えつつ、これまで「なんとなくそこにいる」だけだった知冴にもようやくキャラ特性が付与されることになった。まぁ、これまででもちょいちょい妙なところで1枚噛んではいたのだが……正直、「なんかぼーっとした万能役者」というくらいの印象で、あんまりいじりようがなかったんだよな。実際、私はこれまで今作の記事において「知冴」という名前をほとんど出したことがない(ぶっちゃけ、名前自体をあんまり認識しておらず、「ぱんだの相方のあいつ」くらいの印象だった)。今回ようやくしっかり名前と特徴を覚えることができたわけだ。 サブエピソードなので本編に大きく絡むことはなく、あくまでもぱんだ&知冴という同期の桜の過去エピソードを掘り下げ、新たな舞台を踏んだことによって2人の絆がより一層深まりましたよ、ということを確認するだけ。本編のエキサイティングな展開を重視するファンからしたらちょい拍子抜けのお話ではあるが、劇団なんてものは構成員の数がめちゃめちゃ多いわけで、少しずつ外堀からキャラを埋めていくことでクライマックスの(文字通りの)「大舞台」を飾り立てる準備段階にもなるだろう。是非、最後の大舞台は演者全員のセンスがぶつかり合う壮絶なものになることを願いたい。 というわけで、知冴のセンスの詳細が今回初披露された。されたけど……まぁ、正直よく分からん(いつも通りやな)。柊さんの説明によれば「舞台で起こったどんなアクシデントでもそれを演技の要素として取り入れて客を魅了することができる」ということなのだが……どういうことだってばよ? 何かトラブった時にそれをキャンセルし、なおかつ武器にすることができるカウンター系の能力者ということだろうか? ただ、そうするとその後の「客の反応を読んで対応できるぱんだの能力と合わせることで無敵のコンビだぜ!」っていう評価とあんまりそぐわない気がするんだよな。ぱんだが「客の調整」を行うことに利があるとするなら、知冴のセンスもある程度は能動的に客に働きかけるものであると見るべき。なんだろね、結局は「全体的に演技の質を底上げできる」くらいの認識にしかならない気がするが……まぁ、カトリナにしろ八恵にしろ(そしてここなにしろ)突き詰めればみんなして「いい演技が出来る」になっちゃうのはしょうがないよな。今作はソシャゲを開発中だと思うんですが、これらのセンスってゲームの能力として反映可能なんですかね? まぁ、能力バトルがよく分からんのはいつも通りなのであんまり気にはならんよ。とりあえずロミジュリの舞台の完成度は高かったし、普段からぼーっとしている知冴が溌剌と輝いている様子も確認できたので、サブエピソードとしての情報量は充分なんじゃなかろうか。出来れば今回のお話からさらにここなが何か吸収できましたよ、みたいな話があればベストなんだけどね。 とりあえず、約束タワーと滑り台は舞台少女たちが友情を深めるための必須アイテムなので、舞台を目指す少女たちは行きつけの公園の1つや2つはキープしておきましょう。静香があの通りの存在なので、スタァライトしちゃう権利を持ってる幼馴染コンビってむしろ今回のぱんだ知冴ペアの方がふさわしい気もするよな。
これが舞台だッ! 第7話! ここまで貯めてきた諸々の集大成、節目を飾る素晴らしいエピソードになっていたんじゃなかろうか。 様々な要素からグッと引き込まれるお話になった。まずはとにかく鳳ここなという1人の役者が完成したこと。それが一番大事だ。正直、彼女のセンスについてはまだよくわかってない部分もある。一応の理屈は説明されたというか、スタンドの能力説明をようやく書けるようにはなっており、ここなの能力が「純然たるアウトプット」であり、静香は「圧倒的インプット」だったと解釈される。ここなが役者の理想像として生み出した静香は過去にここなが見たあらゆる役者の情報をその身に宿し、吸収した全ての「舞台」を蓄えたデータバンクのようなもの。しかし、そうして静香が「貯めた」情報も、実際に舞台に上がるここなが使いこなせなければ意味がない。ここな自身の能力が「舞台での再現」であり、これが今までは本人の実力不足、そして静香とのユニゾンの不備から100%の純度では実現できていなかったというのが、これまでのここなの問題点だったのだと思われる。 完全な分析センスを持つ柊はそうした「ここな&静香」という一対の受容器官のような構造を理解した上で、ちゃんと「入力に対応した出力」を実現させるため、ただひたすらにここなをしごいていた。そして、本人たちがこの「2人をデバイスとして見た時にバランスが悪くて最大限に性能を活用できていない」という事実に気づく必要もあった。これまでここなは持ち前の精神性から「自身が舞台上で最大限に輝く必要はない」とどこかでセーブをかけていたが、前回のお話ではついにここなのエゴが沸き起こり、いよいよもって「静香を完全に使いこなす」必要性を認識した。ようやくこの自認に辿り着いたことで、柊は「完全版ここな」の製作に手をつけたというわけだ。「何で今までここながセンスを使いこなせなかったのか」といった部分にははっきりしない要素も残っているのだが、今回のお話を追いかけて私が得た結論は以上のようなものである。「能力の解明と、そのフル活用」というのは、やはりこうした「能力バトル作品」(???)では最大の見せ場となるワクワクのお話である。 「ここなのエゴ」という話が出たが、そうして主人公の隠れた才能が開花するためには、当然それをぶつける敵キャラが必要になってくる。今回素晴らしかったもう1つの要素として、この「敵キャラ」である新妻八恵という存在にもきちんと肉薄できたことだ。これまで文字通りに「天使のような」存在だと見られていた八恵。ひたすらに善であり、舞台のために滅私の精神だけを持った徳の人。それが八恵のイメージであり、柊が彼女を発掘したのがチャペルだったというのも、彼女のセンスを体現するわかりやすいエピソード。しかし、そんな八恵にもきちんと我欲はあり、抱えているものがあった。 かつて柊という存在に憧れ、彼女が身を引いたことで「自分がダイスターにならねばならぬ」という重い使命を背負い込んでしまった八恵。孤独な舞台の上、自分にできる120%を常に目指し続けてきた彼女だったが、そのセンスのあまりの強さは、個を際立たせてしまうがために舞台を崩壊させてしまうという諸刃の剣。おそらく柊は分析センスによってその特異性は認識していたのだろうが、残念ながら八恵を使いこなすために舞台を「調整する」方法はこれまで見つからなかった。そこに、新たな可能性として鳳ここなが現れたのである。今回のお話からすると、柊がここなの可能性を見出したのは「人魚姫」のタイミング。そこで「ここな&静香」という歪な大器の存在を認識し、これを完全な形で八恵にぶつければ新しい化学反応が起こせると、そこまでを見越していたのだ。彼女は今回のここなの提案に「今後ここなが舞台に立てなくなったとしても」と付け加えていたが、もしかしたら彼女のもう1つの懸念に「八恵が壊される」ことも含まれていたのではなかろうか。強すぎる才能どうしをぶつけあい、新たな時代の夜明けを告げさせるという荒療治。成功したからよかったものの、柊も一世一代の大勝負のつもりでの舞台作りだったのではなかろうか。 そうして作り上げた舞台だからこそ、今回のお話の舞台シーンの存在感は凄まじいものがある。冒頭のアラジンの登場シーンからして「舞台の魅力」にあふれており、素直に「この舞台は現実でも観てみたい」と思わせるものになっている。メタ視点が入って余計なノイズが混ざるが、ぶっちゃけて言えば「アラジンを演じるここなを演じる石見舞菜香」の舞台が観たい。「演じる」という行為の二重構造がこうして魅力的に映る作品ってのは本当に良い。「スタァライト」しかり、「少年ハリウッド」しかり。もちろん、そんなここなの演技に対して八恵が正面からぶつかる様子も素晴らしい。今作の最大の特徴である「舞台空間」の特異性が十全に発揮された名シーンの数々。ここまで観てきてよかったと思えるだけのものだった。 無事に舞台が終わりを告げ、新島八恵は新たなステージへ。前回はここなと静香の間に佇んでいた「約束タワー」ことスカイツリーだが、今回は柊と八恵の間を取り持ってくれている。今作におけるスカイツリーは孤高にそびえるダイスターの象徴。八恵は己が傲慢と未熟さを叩きつけられ、本当なら死ぬほど悔しいところだったのだろうが、そこはここなの人徳だろうか。2人の「ダイスター候補」は、互いを成長の糧とし、まだまだ学び、変わるチャンスを与えられたのだろう。 今回のお話でもう、完全にここなの物語と八恵の物語はフィナーレと言ってしまってもいいレベルでまとまったのだが……静香という存在がねぇ……このアニメの成否は、最終的に静香をどういう存在に落とし込むかにかかっているだろう。まぁ、ぶっちゃけソシャゲの展開が待ってるはずなので消え去る心配はないのだろうが……今回のフレイザードみたいな合体ここな、また最終回でも見られるといいですね。
ポジションゼロの妖精か何かか、第6話。まぁ、舞台少女がポジションゼロから生まれたっていう起源説もありますからね……赤の舞台少女と青の舞台少女が約束タワー(スカイツリー)を前に話している図、なんかもう……。 というわけで、展開としては想定通りの最悪。すっかり八恵に飲まれてしまったここなが完全なる当て馬として八恵の踏み台状態に。まぁ、そこまでの展開は前回想定されていた通りだったのであんまり驚きはしないのだが、強いて驚いた点を挙げるとすれば、そのことについて、ここながあまり危機感を持っていなかったということだろうか。「自分は八恵のために舞台に立つのだ」と割り切って務め上げていた主役。周りの評判を耳にしても、静香が割って入ろうとしても、そこは頑なに動かさずに「それでいいのだ」と言い切っていたここな。もう、純然たる献身の心意気でそのようなポジションに甘んじていたのかと思っていたが……彼女が舞台の上で気づいたことは、ハイ、サブタイトルどん。 自分が全く観客の視界に入っていないことに気づいてショックを受けるここな。いや、そこは織り込み済みだったんちゃうんか。「八恵に頑張ってほしいけど、その役割に徹したら自分も評価されるし、観客からは主役として見てもらえる」と思ってたんだろうか。もしそうなら考えが甘すぎましたね。一番間近で八恵のセンスを直に浴びまくり、彼女の危険性を一番知っているのはここな本人だったはずなのに。ご丁寧に舞台の上では八恵のスキル発動を示す目の輝きだけは爛々と煌めいており、ここなにはその片鱗すら見えない。八恵の目が向いている方向は観客席でもあるが、「相方」のここなにも常に視線を向けている。そうして彼女のスキルを舞台の上でも浴びせ続け、ここなは自分でも気づかぬ間にどっぷりと全身を八恵に染め上げられていたのだ。八恵のタチの悪いところは、本人に全く悪意がないので、そうして展開される八恵フィールドに有無を言わさず全てを飲み込んでしまうところ。そして、そのことを被害者(?)が悪いとも思わないところ。そうしてここなは、舞台の上での存在感を失った。 まぁ、ここまでは本当に前回想定された通り。ただ、ここから少しずつ風向きは変わり始める。まず小さな1つ目は、ぱんだ先輩の意外な熱情。彼女は自分本位な人間なのかと何となく思っていたのだが、全くそんなことはなく、「シリウスは八恵のためなら新人役者1人を犠牲にするのか」と一番憤慨していた。彼女が柊に向かって率直な意見を突きつけるシーン、厳しい態度ではあるが彼女の優しさが最も現れたシーンと言える(隣の知冴は何してるやら)。そして、そんな訴えを受けていた柊のプランニングが、どうやら単にここなを潰すものではなかったようだ、という光明が意外な点の2つ目。前回の流れだけを見れば超ムカつく「嫌な大人の判断」に見えた柊の動きだったが、婆さん曰く、「柊の分析センスはそんな次元じゃ収まらねぇ」とのこと。八恵の当て馬にしてここなが一度潰れるところまでは当然想定内だったろうが、それで終わるタマじゃねぇと思ったからこその主役抜擢。八恵のために他者を犠牲にする傲慢な人間かと思っていたら、もしかしたら八恵というダイスター候補を確実に底上げしつつ、対抗しうるもう1人の爆弾を一気に膨らませるところまで狙っていたのだとしたら、何ともわがままな指導者である。「基礎練ばっかりしてろ」も、考えてみりゃ新人に対する指導としては間違ってないしな。 そして、上の方でもすったもんだがある中、やはり今回最大のトピックは「静香の消失」だろう。思いの外あっさりと、確実に消えましたね。前回時点で「消えちゃうかも」みたいなことはぼんやり予期していたが、もっと後半のクライマックス要素だと思っていたので、まさかこうもあっさりと消えて、あっさりと戻ってくるとは。静香が消えたタイミングは、舞台上でここなが観客の反応に気づいて絶望した時点。そして戻ってきたのは、再起して「自分の舞台を見せてやる」と心に決めた時点。どうやら静香というのは「ここながダイスターになるという野心そのもの」の現れであるようだ。それが迷子になり、失われれば静香は出てこない。道を定めなければ、静香の助けは得られない。改めて今回「私たち2人で」と宣言していたことから、やはり静香は「もう1人の他者」ではなくて「半身」と考えた方が理解しやすそう。静香再召喚でここなの右目が光っているが、その後のカットでは静香の左目はほぼ写らないアングルになっており、静香のセンスがどのような扱いになるかは未だ不明としておく。 ちなみに、今回婆さんが改めて「センスってのは舞台の上で輝く能力さぁ」と定義を確認していたが、まずもって柊の「役者の資質を見抜くセンス」は自身が舞台に立たずとも発動していたために「舞台の上で」の定義はやや曖昧。もしかしたら柊もいくらかイレギュラーな才の持ち主なのかもしれないが……そんな些細な定義をぶっ飛ばして一番イレギュラーなのはもちろんここなのスキル。なにしろ舞台じゃなくて日常生活でもずっと静香は召喚しっぱなしなのだから。また、1話から出ていた「舞台以外の空間を舞台化する」という性質も、この2人の特権である可能性がある。全てを飛び越えて、舞台少女W(ダブル)は相手の罪の数を数え続けるのである。 追伸:カトリナさん、確実にここな病の症状が悪化しています。もう、逃げられないかもしれません。沼にハマっといてください。優しくていい子ですね。
センスの話しなくなっちゃった……第5話。何が起きるか分からないトンチキ舞台アニメ、センスの話がなくなっちゃったら案外普通のお話に……はまだなってない。なんだろね、この絶えず流れ続ける不穏な空気は。 思いの外早くに訪れたダイスターへの直線ルート。次の演目ではここなはまさかの主役に抜擢される。いきなりド新人に主役を任せるってのはいくら「かぐや姫」の時のちょっとした功績があったとはいえ異例の事態であり、ぱんだをはじめとして他の座員だって納得いかない。ただまぁ、このイレギュラーが起こった理由についてはラストシーンでぱんだが看破していた通りだろう。シリウス座の当座の最大目標はあくまでも新妻八恵という稀代の怪物をダイスターに押し上げること。そのためだったら手段を選んでらんねぇってのが柊を筆頭にした経営陣の総意であるらしい。そして、八恵を主役のアラジンではなくランプの魔人に配置したのも八恵が語っていた通りの狙いがあり、純真無垢で真っ直ぐな「主人公」ポジションばかりをこなしていたのでは「役者」新妻八恵に新しいステップを踏ませることができない。「アラビアンナイト」は一応アラジンが主役という配置ではあるが、冒頭にみんなが言っていた通り、ランプの魔人は主役を食う勢いで出てくる「新たな主役」だ。今までと違うポジションに八恵を置くことで、ダイスター候補にさらなる刺激を与え、進化させるのが目的ということだろう。そしてその際に、主役が八恵を食ってしまうようでは後々に支障をきたす。そこで、柊の指導の下で徹底的に「急拵え」したここなをアラジン役に立てることで、主役を「食う」流れを最低限の損害でまかなおうと、そういうことなんじゃなかろうか。噛ませ犬、当て馬、踏み台、いろんな言い方があるが、つまりはそういうこと。 今回ずっと不穏な空気がにじんでどこか気持ち悪かったのは、そうした劇団側の思惑があるということを匂わせる演出のせいもあったのかもしれないが、一番の原因は新妻八恵という人間の底がなかなか見えず、どこまでが本音で、何が彼女を突き動かしているのかが分からなかったせいではなかろうか。舞台の上でいきなり「直接対決」することになったここなと八恵。日常生活にも八恵が転がり込み、その圧倒的カリスマでここなを巻き込み、嫌でも日常シーンに刺激と変化をもたらしてしまうという展開、私の勝手な妄想では「あまりの八恵の輝きに当てられ、本番前にここながぶっ壊れる」とかいう展開も想像できてしまった。あまりに大きな存在を意識しすぎて演技プランが崩れ、ボロボロになってしまうという流れ、すでにここなはその前哨戦みたいな体験をいっぺんやってしまっているだけに恐ろしいのである。 ただ、今回のお話を見るに、おそらく新妻八恵という少女が悪意を持って何事かをなすことがない、「玉のような少女」なのはおそらく本当なのだろう。彼女は柊の指示でもってここなのところへ転がり込んだし、全ては舞台のためになると思っているからこそ、上層部の意志のままに出来ることを全てやっている。ダイスターになるという夢も決して嘘ではないだろうし、そう遠くない未来、自分がその座に置かれる予定だということも理解しているはず。しかしその上で、やはり彼女には影もある。それがはっきり見えたのは、雨の中ここなとポスターを見てここなの「願いごと」を聞いたシーン。ここなは何も考えずにあの願いを口にしたが、どうやら八恵には2つ目の願いは相当ひっかかったようである。ここなは八恵がダイスターになることを願った。しかし、3つ目の願いとして「自分がダイスターになること」は願っていない。結局、ここなもこれまで八恵の周りにいた「八恵をダイスターにしようとする」大人たちと同じなのか。そんなことに、小さな失望を持ってしまったかのように見える。 八恵の真意は未だ分からない。ただ、我らが主人公・ここなさんと、その忠実なる遠隔自動操縦スタンド・静香さんがこのままで終わっていいはずがない(あとツンデレフレンド・カトリナさんもこのままで終わっちゃいけない)。特に静香の今後の挙動は要注目。彼女は、ここなが八恵に取り込まれてしまうことを防ぐ最大にして最後の防波堤である。下手したら「八恵に取り込まれることで静香の存在そのものが失われる」みたいな超絶鬱展開だってあるかもしれないのだから、なんとしてもここなの自我・自尊心・スターとしての傲慢さを育む必要があるのだ。そうなってくると、静香・カトリナというここな親衛隊の働きは大きなキーポイントとなるだろう。さて、八恵という「大ボス」にどのように立ち向かうことになるのか……。
深夜アニメでとんかつ揚げまくるのやめろ、第4話。揚げ物ラッシュは地獄に直結する……。 何事もなかったかのように静香の存在が受け入れられる世界。いや、多少のすったもんだはあったが、それでも「具現化した能力の成れの果て」がすんなり受け入れられるのは驚きである。大演劇時代、どうやら想像以上にファニーな世界が構築されているようだ。前回私はふざけて半ば悪ノリでスタンドや念能力に喩えてここなと静香の関係を考察したわけだが、まさかそれとほぼ同じテンションの話が展開されることになるとは思ってもみなかった。雰囲気で書いた「センス」の定義とか、まんま合ってたじゃん。俺すげぇな。というかジャンプ漫画マインドがすげぇや。 しかし、「そうした超常を受け入れられる世界ですよ」という事実を飲み込んだところで、結局静香の謎は完全に解決されたわけではない。当の本人(ここな&静香)も分からずにやっちゃってる部分があるため、今後の展開を考えるに、「ほんとのところ何が起こった結果の静香なのか」は一応考察する意味がありそうだ。 まず、カトリナが説明してくれたセンスの定義・実情を確認すると、「役者として舞台の上で他者を上回るための進化」がそもそもの起点にあり、そのため、役者に必要なスキルが先鋭化したものがセンスであると考えられる。カトリナの「集中力」は分かりやすい例だが、今回のセリフからいわゆる「憑依型」のように、人格を入れ替えたり、模倣したり、はては生み出したりといった先例もおそらく存在しているのだろう。ただ、「人格を生み出す」と言ってもあくまで精神的な話であり、それが具現化して「もう1人」が生み出されるなんて現象は過去に確認されていないとのこと。スタンド能力はあくまでも「超すごいメンタリティ」の延長線上にあるべきものだ。 その上で、静香は「突然舞台に現れる」「思い描くだけで衣装が変えられる」など、超常であることに疑いようはない(この期に及んで「実はふつーに存在している人間だった」という可能性は排除しても良い)。となれば「ここなのセンス」と「静香の存在」は不可分であるのは間違いなく事実であり、先週も拾った「目の光」の件から、静香がここなの存在を前提としているのは間違いないだろう。静香も今週しれっと「自分がここなのセンスである」と自認しちゃったし、そうとでも考えないとこれまでの関係性は説明できないため、「ここなが在って、初めて静香が在る」は前提として受け入れてもいいはずだ。 問題は、この接続がどの程度強固なものであり、自由度・制限はどうなっているのかという話である。今回ぱんだがふざけ半分で「ここなから離したら消えてしまうのではないか」などと言っていたが、それだってマジで考慮しなければいけない可能性の1つ。イマジナリーフレンドの超すごい版だったとしたら、ここなの無い空間に静香が維持できる保証すらないのだ。しかし実際は、もうかなり強固な存在感を持ち合わせており、すでに「舞台の上で発動されるセンス」の枠を超えているのは間違いない。ついでに触れておくと最後のシーンで「ここなが寝ている時に隣にいる静香」も(カトリナ目線から)確認できているわけで、ここなの精神活動が休眠していたとて、静香が消えることなどない。もう、そこに厳然と「在る」のだ。 となると、あとは何をきっかけに生み出された概念なのかと言う問題。今回はかぐや姫の公演も終わってるはずなのに「いまはむかし」の思い出が語られ、「ここながオーディションに落ちまくって落胆している時期に、理想の存在として何処からともなく静香が現れた」ことが語られている。一番シンプルに考えるなら、悩みに悩んだここなの苦悩が「理想」という形を持って現れ、固定された存在となりそうだが、「自分よりも優れた演技ができるフレンド」を脳内限定とはいえ構築してしまえるというのはだいぶ破天荒。その上で最終的に「具現化」にまで至ったとなると、さすがにそれはここなのセンスとしてはやりすぎである。 というわけで、私が現在最もありうる可能性として推す構図は、「なんらかの霊的存在(精霊とか、妖怪とか言ってもいいかもしれない)」として静香は以前から存在していたが、それは人に認識されるまで具体的な形を持たない、なんらかの「演劇を極めんとする者の思念の集合体」のようなものだったという案。これだとここなのセンスは「人には見えない演劇への執念を感じ取り、形を見ることができる能力」だと考えることができる。過去には星の数ほどの役者の卵がおり、それらの人々は無数の思いを抱き、叶えたり、諦めたりして消えていった。そんな「役者」の概念そのものが静香という形となって、ここなのマインドに現れ、「友人」としての形を成した。いわば、ここなはこれまで無限の可能性を秘めた「役者のイデア」にアクセスする権利を有していたということ。フィリップが地球の本棚にアクセスしていたようなものだろうか。 そして、そんな「静香と触れ合える権利」がさらにセンスとして磨かれ、この度いよいよ「具体的な人格としての静香を顕現せしめる」ところまで至った。ただこれは「ここなの能力がそこまで進化した」というより、「ここなの想う最上の静香は、己を具現化させるセンスを持つ存在となった」と考える方が自然だろうか。つまりまとめるとここなのセンスは「他者が触れられない概念とのアクセス」であり、そうしてアクセスした「静香」という別存在が、「可視化できる実体を手にいれる」センスを持った。この形なら、2人が別個にセンスを発動した事実も説明できそうだ。 ……今週も俺は何を書いてるんだろう……えぇと、カトリナさんがファーストライバルポジションを終えてポンコツまじりの親友になってくれた展開が良かったですね。ここなと静香の間に割ってはいることで、そのうち静香とのリンクが切れて消滅してしまう展開とかがあるんだろうか。仮面ライダーWではフィリップとの喧嘩もちょいちょいあったが……。
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
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