最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
封切り日に観に行きました。別に先着入場特典があるとかいう事実は全然知らず、たまたま日程的に都合が良かったし、「まぁ、ゆーてもそんなメジャーアニメじゃないし、初日でもそこまで混むことはないやろ」という目算もあっての、いつにない素早い行動である。まぁ、ぶっちゃけると、そんだけ大好きなんですよ、「いろは」。ちなみに、5人のヒロインからランダムで配られるらしい特典のイラスト色紙は、なんと巴さんでした。俺的には大当たりだよ! ひゃほう! まぁ、出来たら5枚コンプしたいくらいだけど、流石に無理だからとりあえずはこれで充分満足。
<以下、別に大ネタがあるわけじゃないけどネタバレを含みますので未視聴の方はご注意下さい。ついでに、以下の感想はとにかく「花咲くいろは」が大好きな私が書くものですので、面白いかどうかの参考にはあまりならないかもしれないことも付記しておきます> PR ……何故観に行ったかって? それは、実家にいたから親の持ってるタダ券を使えたからさ。どうせ家に戻ったら見ないんだし……帰省してるうちにただで見られるなら、見といた方が得じゃない。まぁ、そんな理由です。新ドラになってからはアニメもろくすっぽ見てないし、当然劇場作品なんて初めてのこと。どっちかって言うと「新ドラなんてのぶ代に比べれば!」とかいっちゃう系の世代。でもね、もう「新」ドラって言っても放送開始から何年経ってるんだって話だしね。別にそこまで今のドラえもんが嫌いなわけじゃないし。それならせっかく劇場で予告を見て面白そうだと思った作品から入ってみるのもありなんじゃないかな、ってなもんですよ。
<以下、ネタバレとか入るかもしれませんので、未視聴の方は気をつけた方がいいかも。まぁ、一応体裁上は「推理もの」でもあるのでね>
さて、新ドラに対して(ほぼ)初対面ってことだが、実を言うと案外今のデザインも悪くないな、という第一印象だった。これが劇場版で気合いが入った結果としての絵柄なのか、それとも常日頃地上波アニメでもそれなりに再現出来ているのか分からないが、なんだか最近のアニメではなかなか見られないような主線の太いアニメーションは、逆に新鮮な感じがする。当然シンエイ動画を中心とした制作陣は熟練の技が有るわけで、モーションの取り方など、どこか古くさい描き方になっているものの、むしろそっちの方が新鮮で、1枚1枚の動画を見ているだけでも飽きることはなかった。こういうのを懐古趣味というのかどうかは分からないけど、劇場の大きい画面で改めて認識出来たのは大きな収穫かもしれない。まぁ、逆にいえば「劇場で単にでっかい地上波作品を見ているだけ」という気分にもなるのだけれど、メインターゲットのお子さん達はそんなこと気にしないしね。プリキュアや戦隊みたいに、劇場だからって特別大きなことをしてばっかりだと、むしろ飽きられてしまうのかもしれない。 そんなわけで、シナリオラインについては、私の知っている「劇場版ドラえもん」に比べるとかなり地味。今回は「巨悪」と呼べる存在がおらず、一応対立側も「別な正義」で頑張っている主人公であるため、あまり大きな心の動きはない。むしろメインテーマとなっているのはのび太とドラえもんの友情確認パートなので、どちらかというと「さよならドラえもん」のようなショートムービーに近い印象である。2時間弱の尺でまとめるにはこれで充分だと思うのだが、この歳になって改めて思い返すと、「魔界大冒険」やら「宇宙小戦争」なんかの壮大な物語っていうのは、一体どうやってまとめていたんだろう。改めて今見返すと、当時恐れていたほど大きな物語ではなかったのかなぁ。なんか色々と時間を空けすぎたせいで感覚が分からなくなっているなぁ。 ただ、繰り返しになるが、「派手でない」ことと「面白くない」ことはイコールではない。今作は事件の規模、動機、結末などはあまりインパクトが無いものだが、それを彩っているのがドラえもん世界の主役といえる「ひみつ道具」というモチーフなので、非常に賑やかな画面で一切飽きが来ないのである。「どんだけマニアックなひみつ道具が出るといっても、どうせ新ドラから入ったお子様向けなんだから、大したもんじゃないだろ」と思っていたのだが、想像以上に大きなお友達向けの小ネタが多く、全てのネタを一度に回収するのは無理なレベル。いくつか見たことはあるのに名前が出てこないものなんかがあるとすごく悔しいのである。「虫の報せアラーム」とか「鬼は外ビーンズ」なんてのは覚えてるもんなのだが……。いや、インパクトでかいもんな、虫の報せアラーム。「魔界大冒険」では世界を救った究極の道具だからな。 一番悔しかったのは、スネ夫とジャイアンのビックライトシーンあたりで出てきた「海底鬼岩城で大活躍したあの帽子」の名前が思い出せなかったことである。あの帽子、「鬼岩城」では一番緊迫する場面で使われていたおかげで、ものすごく印象に残ってるんだよね。機能も素敵だったし、デザインも秀逸だった。アレに名前がついているなんてこと、今の今まで考えもしなかった事実だったのだが、いざ劇場でスクリーンに映し出されると、子供のころに泣きそうになりながら何度も見た「鬼岩城」の全てが鮮明にフラッシュバックするのだから驚きだ。やっぱり好きだったんだなぁ、劇場版ドラ。ちなみに帽子の名前の正解は「カメレオン帽子」であるらしい。確かに、言われてみればそんな名前だった気もする。 他にも「鉄人兵団」のキーパーツ「やまびこ山」に「おざしき釣り堀」なんかも劇場版オマージュだろうか。「エスパー帽子」なんてホントにマイナー道具だと思うし、名前も覚えてないけど、あの対象を貯金箱にするヤツなんて、本当にコミックで一回出てきただけだろうに。一回の視聴だけでことごとく「あれがナニで、それが何で」ってな解説が出来る人こそが真のドラマニアだろう。新ドラに抵抗があるおっさんでも、挑戦してみる価値はあると思う。もう、そういう方向性で楽しい作品。ちなみに、おっさんが一番衝撃を受けたのは、野比家の間取りが変わっていることだった。今ののび太の部屋って、ふすま開けて右手にドラえもんの押し入れがあるのね。そこだけがものすごい違和感だったわ。 さて、そんなこんなで、久しぶりなら久しぶりに楽しめる作品。おかげでリアルタイムでドラえもんを応援しているファンにとってどういう楽しみ方が出来る作品なのかは今ひとつ分からなかったが……まぁ、まっすぐな「少年立志」のお話なので、退屈することは無いだろう。やっぱり旧劇場版ドラに比べるとちょっと雰囲気が緩くて、いかにも「今風」な筋運びな気もするけど、その辺はリアルタイムのファンに合わせたものじゃないかと、勝手に思っている。それにしても、今作を見ていてほとほと困ったのは、メインヒロインのジンジャーが可愛かったことよりも、メインゲストのクルトの方が可愛く見えてしまったことである。別にショタの気は無いのだが……なんか知らんけどクルトきゅんを見てるとすごく和んだ。中の人は永遠の少年、三瓶由布子である。このゲストキャラはかなりきっちり立っていたし、良いデザインだったと思う。もちろん堀江由衣を側に置いておくという鉄壁の布陣、暴れ回る爺さんが千葉繁というだけでもお腹いっぱいなわけだけども。館長役の土師孝也も、こういうおちゃらけた役は久しぶりに聞いたので凄く新鮮だったわ。館長もオチの部分ではかなり可愛かった。ゲストキャラの立ち方は割とお勧め出来る部分だ。 結論・世代を超えても、キャラが変わっても、やっぱりドラえもんは偉大だよ。 見てきました。明日から帰省する上、地元ではやってないから、ほとんど寝てない状態で、しかもやらなきゃいけない仕事を半分以上ぶっちした状態で見てきました。寝てないのは、放り投げる勇気が出ずにもやもやして前の晩寝られなかったせいです。まぁ、別にこの映画の責任ではないけども。くそっ、地元でもやってくれてれば!
<以下、一応ネタバレなど含むので、未視聴を気にする方は注意> というわけで観に行ってきたよ! もう、視聴前に流れてくるうわさ話を統合すると「総集編じゃね?」の一言に尽きるみたいだったから、すごく不安になっての視聴だったよ! でも、久しぶりのスタドラ、見ないっていう選択肢はないんだよ!
で、視聴しての感想だが…………うん、総集編だね! まごうことなく総集編だったよ! これはちゃんと断っておかないと駄目だね。視聴する人のタイプによって評価は変わるかもしれないしね。
Q1.「スタドラとか全然知らないけど、この劇場版から見たら分かるかな?」→A「多分無理です。25話の原作を2時間半でまとめられるわけがないので、どう見ても視聴済みの人間が対象です。何の断りもなく突然主人公が『バカ息子』とか言われたりしてちんぷんかんぷんです。お勧めできません」 Q2.「一応放送時は何となく観てたけど、もう中身なんて忘れちゃったし、新しい話があるなら観に行きたいな」→A「基本的にプロットは全部一緒です。はっきりと新規と分かるシナリオパートは総量にして10分にも満たないものなので、本放送の時に興味が無かった人が見ても同じ結果です。お勧めできません」 Q3.「めっちゃ好きだし、何回も見直してるけど」→A「劇場で、みんなで一緒にアプリボワゼ!」
あ、ちなみに私はQ4「ミズノちゃんは日高里菜ボイス可愛いけど、幸せになれますか?」の人だったので無問題です。正直、放送終了後に気に入った話数以外はあまり見直していなかったのだが、それでもやっぱり1シーン1シーンを見ているとかみしめるように視聴していた当時のことが思い出される。劇場版にはそぎ落とされた「スタドラになくてはならないもの」だけが注ぎ込まれているために、とんでもない密度でいっぱいいっぱいの画面がどうにも止まらない勢いで押し寄せてくるのだ。おかげでほぼ全てのシーンが名シーンと言っても過言ではない。この期に及んでまた新しい発見があったりするのだから、恐ろしいものである。ちなみに、劇場で見ていて今更気付いて笑ってしまったのは、ケイトが夜這い(?)にいったスガタの寝所のふすまのデザインである。今確認したら放送版でも同じだったが、なんとふすまにきちんとザメクのマークが描かれているのだ。なんじゃそりゃ。どこの建具屋で作ったオーダーメイドなんだよ。そして何で俺は劇場で見てて今更そんなとこに笑ったんだろう。まぁ、とにかくそれくらいに色々あるってことだ。 しかし、やはり25話を押し込めたのだから、削られた部分もたくさんある。せっかくなので、先に「何で無くなってしまったんや!」と思った個人的なベスト3をあげておこう。
第3位・ミドリちゃんの活躍 基本的に序盤のサイバディ戦は全部ダイジェストで一瞬だからね。ミドリちゃんだけじゃなくて他の面々も全員ほぼ無かったんだけども。せめてお楽しみモードだけでもやってくれたら……まぁ、ダイジェスト部分で彼氏といちゃいちゃしてるトコは映ってたら別にいいんだけどね。仕事してるフリして作業してるディスプレイに延々お宝画像表示してたしね。改めて見ると、綺羅星はみんなひでぇ恰好してるけど、ミドリちゃんは完全に痴女だ。 第2位・四方の巫女がバスの中で偶然そろい踏みするシーン 原作ではミズノ登場のときのワンシーン。パンフレットにある五十嵐監督と榎戸さんの対談でも触れられているのだけど、今回はあくまでタクトたち3人の物語をメインにしているため、このシーンは変更になった。そのディレクションの意味合いは重々理解したのだが、それでもやっぱりあのシーンが無かったのは寂しい。リアルタイムで見てて、あそこの意味に気付いた時にものすごくテンションが上がったから。まぁ、代わりに冒頭と最後に巫女が集まってくれたからそれで良しとするか。 第1位・ケイトのカラオケ! あれこそ劇場の大画面でたっぷり観たかったのに…………チクショウ! 仕方ないけどね! 今回巫女ソングはオリジナルバージョンのみだったからね! でも、すごく良いかかり方するから。個人的にはスガタとタクトの殴り合いからの「イノセントブルー」が凄く好き。
もちろん他にも色々とあって、演劇「神話前夜」が無くなったとかも残念ではあるのだが、ま、その辺は必要性がよく分かるから仕方ない。ズカコンビも含めてバニシングエージとか存在自体抹消されてたけど、そこは一切気にならなかったしな! 最後のサイバディ大復活のときにコントローラー不明の謎サイバディが現れることになるが、大した問題じゃない。トキオ関係のエピソードなんかもまるまるカットだが、そこもいいや。おっさんげんこつ喰らうのが一回で済んで良かったな。 あとはまぁ、3人の物語としての再構築はかなり良いバランスで出来てたんじゃないかと思う。当然原作既知であることは条件だろうが、とにかく「欲しい」シーンだけをガッチガチに詰め込みまくってるんだから、これ以上無いくらいに完璧な「総集編」として成り立っている。面白い作品の総集編が面白いとは限らないわけだが、コレについては面白かったんだから問題無し。個人的には、実はかなり不安だった日死の巫女編を予想以上にがっつりと尺を取ってやってくれたのが嬉しかった。何しろミズノたちのエピソードって作中でもかなり毛色が違うし、それこそタクトやスガタの物語からは視点が乖離してしまうのでぞんざいな扱いになっても仕方ないと思っていたのだが、そこは流石に巫女の1人。きちんと端から端まで「分かるように」構築されていた。やっぱりミズノちゃんが良いなぁ。あぁ、でも四方の巫女は本当に誰もかれも一歩も譲らぬキャラで、とてもじゃないけど一番が選べない。冒頭の首都決戦のワコの衣装、無駄にエロくて最高でした。 あの冒頭決戦は本当の本当におまけ以外のなにものでもないのだが、どうせなら第5フェーズ以後の世界はタクト無双じゃなくてちゃんと巫女が暴れ回れるシナリオが見たいな。パンフの口絵を見たら、タクトを中心に巫女とスガタを並べると、綺麗に戦隊カラーで並ぶんですよ。タクト=レッド、サカナちゃん=ブルー、ワコ=イエロー、ミズノ=ピンク、ケイト=ブラック。スガタは司令官ポジション。最終的にはレッドがイエローとくっつくという展開になるも、ブラックが司令官といちゃつくので特に問題無い。やっぱりスガタはケイトとくっつく方がしっくり来るよね、中の人的にも。アカン、こうやって色々思い出していくと、どんどん自分の中でケイトが占める割合が増えていく。違うんだ! 巫女は全員たまらんくらい好きなんだ!
以上です!
気付いたら劇場にいた系男子。うん、前日までは全く予定してなかったんだけどね、ふと、出先からの帰りの電車で劇場スケジュールを確認してしまったんだ。そしたら丁度良い時間帯だったんだ。いや、そこまで慌てて観に行くつもりもなかったんだけどね、近所の書店に「グッドルーザー球磨川」の新刊が無かったから大型書店に探しに行きたかったとか、そういえば前に行ったギャバンのパンフが買えてなかったとか、色々と思い出したこともあったからさ、ちょっと劇場に行ってみたんだ。で、これ。
<以下、ネタバレを含む可能性が多分にありますので注意>
家にこもって色々と片付けなきゃいけない仕事をしないとなー、カラオケは昨日行ったから流石に今日はいけないしなー、とか思ってたら、なんだか嫌になってきて気付いたら劇場にいたでござる。封切りから随分経っていることからも分かるが、そこまで慌てて観に行こうとは思っていなかったのだが、現実逃避には丁度良いプログラムですね。まぁ、終わった後にリニアブルーを叫ぶためにカラオケにも行ったんですけど。
さて、「Beginning」ということで、始まりを描く2時間弱ということは分かっていたわけだが、地上波で2クールあった作品のどの辺をやるのよ、と思っていたら、本当に「始まり」だけだったのでちょっと腰砕け。まぁ、あんまり無理に詰め込まれても仕方ないし、これくらいの量が適正なんだろうけど、これって地上波版を最後まで見た人間が改めて見るのにどうなんだろうな、という気がした。「まどマギ」や「なのは」みたいに全部一気に見られるとか、「UN-GO」みたいに新しいエピソードをやるとかなら分かるんだけど、アナザーストーリーとしての部分がそこまで多くないエピソードなので、本当に「改めて最初の1話を見ている」みたいな気分。正直言うと、これで映画一本分のお値段はちょっと割高かなぁ、という気はする。あぁ、でもやっぱり「大画面、大音響で新しいカットてんこ盛りのリニューアル作品を見る」っていうのはそれだけで楽しいんだよなぁ。うん、ごめん、やっぱり無駄じゃないわ。この作品の場合は何度でも大画面でバーナビーたちの活躍が見たい、っていう人たちも多いだろうし、なかなか上手いニーズへの応え方ではあるんだな。ちなみに、「大画面」で見られるのはマーベリックさんの怖い顔。「大音響」で楽しめるのは斎藤さんの台詞。うひゃぁ、マニア垂涎。ちなみにどうでもいい話だが、今回のスタッフロールで初めて斎藤さんの中の人がアカオーニさんと一緒だということを知った。現在「トリコ」でもアカオーニさんの声を楽しむことが出来ます。 さて、リバイバルとは言ってもやはり新作は新作。序盤のエピソードなんかは割とそのままだが、クライマックスバトルだけは完全書き下ろしの新作パートになっている。そして、この作品の場合には一番の見どころは当然虎鉄とバーナビーの関係性。今回は始まりだけなので当然地上波版みたいな蜜月関係になるわけがなく、ぶっちゃけると最初から最後までバーナビーはほとんどデレない。ずっとツンのまんまだし、更に残りのヒーロー達との関係性も悪いので、テレビ版よりも更に嫌な奴にしか見えなかったりする。ただ、オリジナルパートで「反射的に父子を助ける」という行動に出ており、この一場面だけでもかなり印象が変わっているのはなかなか上手いところ。虎鉄のバニーに対する信頼も、実質何もしていないレベルなのに最後のワンシーンが入っているおかげで「信頼が生まれはじめているな」というのがちょっとだけ感じられるようになっており、「仲が悪いのは間違いないんだけど、ひょっとしたらこれから変わるのかもね」という絶妙なポイントで締めている。たかだか2時間弱でデレられても困るし、この落としどころはすごく良い。全体的に、スピーディーな割に良くできた脚本だったと思う。 そして、今回劇場に行って初めて知ったんだけど、今作の監督ってさとう監督じゃないのね。地上波版1話でコンテなんかもやっていた米たにさんなんだね。オープニングのスタッフロールを見て「えぇ、さとう監督じゃないのかよ」と思ったのだが、まぁ、米たにさんでも特に問題は無かった。テイストはいくらか変わっており、おそらく監督の方向性なんだろう、「恰好いいヒーロー像」というよりも「面白おかしいヒーロー達」という側面の方が強めに出ていた気がする。作画についても、ビシッと決める部分よりもちょっと砕けたくらいの方が面白くて、「超作画でバトルがすげぇ!」とかいう雰囲気よりも、「カッチカチの牛角さんおもしれぇ!」とかの方が印象深い。まぁ、今回はラストバトルが単なるローラーブレードのあんちゃんだからね。手に汗握るバトルとかではないわなぁ。冷静に考えると、結局おじさん一度たりとも恰好いい姿は見せてませんがな。 で、後は1人1人のヒーローの素敵な部分を見ていくだけだ。これだけの人数がいるとなかなか個人の出番も減ってしまうのだが、少ないチャンスで嫌というほど個性を出してやろうという意気込みがなかなか。牛角さんはもう牛角さんなんて名前で呼べないな。「太麺さん」や。虎鉄からの電話ではディスプレイに虎の画像が表示されるし、虎鉄の方も牛角さんからの電話には牛が表示されるようになっている(ちなみにバーナビーと通話するとウサギが出る)。ほんとにこのおっさん2人は仲が良くいいよね。ネイサンは最初からイロモノ枠なのでなかなか恰好いいっていう場面も無いのだが、やっぱり初見で見たら一番インパクトがでかいのはあの人だよね。今回はヒーロー全員の変身バンク(バンクしてないけど)が一気に展開されるっていうサービスシーンがあったのだが、「ブルーローズの下からの接写アングル!→ネイサンの股間!」という鬼コンボが強烈すぎた。わぁい、良い身体。そして我等がキングオブヒーロー、スカイハイさん。……可愛いなぁ。本当に良い人なんだよね。浮くだけだけど。「一体どういうことなんだ!!」って、絶対この人世間で上手くやっていけないよ。早くいい嫁さん見つけて養ってもらえるといいんだけどなぁ。 そして女性陣2人。今作では色んなヒーローが新たなスポンサーをくっつけているにも関わらず、ひたすらペプシNEXだけに支えられるブルーローズ。今回は彼女がデレる余裕がなかったので単なるタカビーキャラになってしまっているが、一応サービス担当が彼女しかいないということもあり、画面上ではかなり優遇されていた。ブルーローズ(の中の人)の単独ライブなら行ってみたい気はする。そしてやっぱりホァンちゃん。この世界のヒロイン枠は彼女と楓ちゃんのどちらを選ぶべきか悩むところだが、今作は流石に出番の多さからドラゴンキッドちゃんに軍配が上がる。変身シーンがすげぇ可愛いんだもの。カリーナがイヤリング付けてるのを見ておしゃれに興味を示したりするところも実に良い。そういやブルーローズとドラゴンキッドの絡みってテレビ版でもほとんど無かったんだよな。2人しかいない女の子同士なんだから、もっときゃっきゃうふふしてくれればいいのに。キャラが違うからなぁ。絶対に同じクラスにいても仲良くならないタイプだよね。 そして、残るはバーナビーと虎鉄ってことになるが……正直、この一本だけだとこの2人は割と薄めだった気がする。おじさんは恰好いいシーンが無く、その分亡き奥さんとの思い出シーンでちょっとほろりと来る。バーナビーに至っては過去話すら明らかにされず、最終的に「単なるわがままな奴だけどちょっぴり頑張り屋」程度。でも、最後の電話に出るシーンでギリギリまで粘るあたりが憎めないところもあるんだけど。今回は番組始まりと終わりがどちらも虎鉄のチャーハンという謎のコンセプトがあったので、今後はバーナビーのチャーハンまで劇場版が作り続けられるのだろう。それまで見守るしかないわな。 というわけで、次の劇場作品は「Rising」になるとのこと。予告だけを見ると、どうやらあのジェイクの姿が見えないみたいだ。変な巨大ロボみたいなのが出てきていたが、このあたりから完全オリジナルになるんだろうか。来年秋ってことなのでかなり先になってしまい、流石に覚えてられない気もするが、幸か不幸かそこまでがっつくほどの作品でもないし、ゆっくりとおじさん達の次の活躍を待ちたいと思う。 超余談。今作の大ファンの声優コンビがいるじゃないですか。そして、作中の巨大な像を動かすネクスト能力者の声が代永君だったじゃないですか。パイセンとあやねるは、あのあたりのシーンをどういう気持ちで見ていたんだろう。くーださーいな。
無事に視聴出来ました。ただ、今回は週末の封切りにあわせて観に行くことが出来なかったために、色々と損はしました。フィルムが無くなってることは知ってたから別にいいのだけれど、パンフまで売り切れってどういうことやねん。毎回必ず映画を見たらパンフだけは買うようにしてるんだけど(でないと感想書くときのデータが少ない)。再入荷狙ってもう一回劇場に行くしかないんだろうか。売店に掲げられていた売り切れを知らせる張り紙で、店員が描いたキュゥべえが「訳が分からないよ」って言ってたのがやたら腹が立ったわ。お前のせいやろが!
というわけで、無事に一週間経っての後編です。今回は、前編以上に「地上波版のまとめ」という性格の強い仕上がり。何しろ、前半は8話分を2時間だったところを、後編は4話分を2時間なのだ。極端な話、そのまんま地上波版を繋いだだけでも問題無いレベルである。実際、帰宅後に違いを確認するために9話を見直したのだが、思ってた以上にそのまんまだった。もちろん、ブラッシュアップしている部分もたくさんあるし、何より劇場の大スクリーン、大音響で視聴することは充分に意味があることなので、決して無駄足だったとか言うつもりは無いです。むしろ、こうして繋いでまとめて見たことで新しい発見もたくさんあったし、密度の濃い脚本の完成度が確認出来た気がします。やはり、1クールものとしてはここ数年でも屈指の作品なんだろうなぁ。12話の枠の仲でやりたいことを全部やりきったっていうだけでも、金字塔といえるのかもしれない。 地上波でもインパクトが強く、怒濤の展開だった9話から最終話。わざわざ復習する必要も無いだろうが、この際なので私情を交えまくり、主に「泣き所」だった3点をピックアップしていきたい。劇場作品は恥ずかしげもなくワンワン泣く人ですので。3点のうち2点は地上波版と全く同じところなのだが、なんと言ってもまずは10話である。特に3週目のまどかソウルジェムをほむらが自ら砕くまでの流れは何度見ても涙を禁じ得ず、「暁美ほむら」というキャラクターを一気に完成へと導いた重要なシーン。短い時間にまとめられたおかげで更にまどかとほむらの出会いからの物語への没入度が強くなり、より一層切なくなったといえる。劇場オリジナル要素として、9話と10話の間に墓地をイメージした新規カットが挿入されており、ほむらの決意の強さが確認出来たのも面白いところだろう。予想通りに、「暁美ほむらのテーマ」である「コネクト」もきっちり使われ、10話の盛り上がりはほぼそのままでした。ただ、今回は「ほむらとまどか」という関係性を強く打ち出すため、「コネクト」映像のラストカットが2人きりだったのが随分印象深かった。一応後編だけを切り取った意図はその辺にも現れているのだろう。これだけのお膳立てが整えられると、「コネクト」も歴史に名を刻む一曲になった気がする。 2点目も地上波と同じ泣きどころだが、11話、最終話のまどかママ関連の全て。当時の感想でも触れているが、避難所の場面でまどかの「背中を押す」という行為が、どれだけの意味を持ったことか。まどかママは、彼女が置かれている苦境も、絶望も、何一つ知らない。「娘が分からない」とぼやいていたことからも、「感づいて」はいたが、当然「知って」はいなかった。その状況で、娘の背中を押すことなど、普通は出来ないだろう。どれだけの辛さを持って、娘へ声をかけたのか。それを考えるだけで涙が止まらない。歳のせいか、どうも娘よりも親の方への感情移入が強くなってしまう。最終話での鹿目家のシーンも同様で、ママさんは「存在しない」娘のことをきちんと覚えて、最大の愛を注いでいてくれたことがはっきりと描かれている。当時は気付いていなかったのだが、1話でまどかのリボンを選んで背中を押したシーンが、これらのシーンのための伏線になっていたというのが驚きであった。 そして3点目は、地上波では割と見過ごしてしまっていたポイントだった。見過ごした、というよりは、「考える余裕がなかった」という方が正しいんだと思うけど。当時はまだ「種明かし」されてない状態で視聴していたので、全ての要素をカバーしながら視聴するのは無理だったので、改めて全てを知った上で見たらかなり衝撃的だったポイントが少なからずある。その最たるものが、今回冒頭を飾った第9話である。 8話までが「マミの物語」と「さやかの物語」、10話以降が「ほむらの物語」「まどかの物語」であるなら、9話はその間隙、「佐倉杏子の物語」である。放送当時は、「また一人魔法少女が消えた」という事実を追うので手一杯だったが、今回改めて杏子の奮戦ぶりを見て、彼女の人生が詰まった話数だったんだな、ということが確認出来た。杏子とさやかという愛憎入り乱れた2人の魔法少女の存在を、当時の感想では「利己」と「利他」というキーワードで切ってみたわけだが、彼女の最後の戦いは、どこまで言っても「利他」の権化である。「相手を傷つけることが出来ない」という戦いに挑み、後ろにはまどかを抱え、必死に耐えることのみを強いられる状態を、彼女は自ら望んで作り出した。オクタヴィアとの戦いに挑む前に「そんなの、あたしが許さない」というフレーズが出てくるわけだが、ここで彼女がまどかの悩みを押しとどめたことは、最終的にまどかが魔法少女としての道を選択する最後の一押しとして機能していたことも重要で、「命を賭けてまでやらなければいけないことが出来たら、そのときに考えろ」と伝えた杏子の「利他」の精神は、最終的にもっとも大きな「まどか」という存在を通じて実現したのである。 演出としても、劇場版では他の魔法少女同様に変身シーンが大きくグレードアップして見事な演出で彩られた。カウントダウンがわりにパクついていた団子(映画化にあたって焼き団子が色つきの4色団子になりました)の串が、そのまま彼女のトレードマークである多節槍のイメージに変化するという演出も面白く、彼女の魔法少女としての才能も垣間見えるシーンである。そして、地上波ではあまり重きを置いていなかった彼女のアクションとして、「ひとりぼっちは寂しいもんな」のときのモーションがある。「最後まで呼び続けろ」とまどかに指示を出し、「もしさやかが記憶を取り戻すとしたら、親友としてのあんたしかいない」と言っていた杏子だったが、気付けば、最後まで名前を呼び続けたのは杏子自身だった。そして、全てが無に帰し、自分の願いが叶わないと悟った杏子が自然に取った姿勢は、「かしづく」というものだった。かしづき、手を合わせ、杏子はオクタヴィアに対して「礼拝」の意を示していた。彼女の複雑な生い立ちを考えると、彼女にとって「神」とは、そして「崇拝」とは、一筋縄ではいかない憎悪と郷愁の対象であろう。その彼女が、自分の人生を捧げる決心をし、「利他」のために投げ出す時に取った行動が「礼拝」であったということが、どうしようもなく切なかった。ご丁寧に、この後の墓所のシーンでは、沈みかけの陽光が反射して十字(クロス)をかたどるという演出もなされており、彼女が最後にすがった信仰の残滓を感じさせるものとなっている。おそらく、今回一番泣けたシーンは、この杏子の最期だったと思う。 こうして考えると、キャストの話をするときに「杏子:野中藍」というのは何とも絶妙なキャスティングだった気がする。他のキャストと違って、どうしても野中だけは「普段やらない役」だったのでミスマッチを気にしていた部分はあったのだが、考えてみれば、この作品自体がミスマッチの塊みたいなもんだった。この不協和音の中で一際輝いていたのが、奇妙な不和からもっとも綺麗な収束へと導かれた杏子だったんじゃないかと、そんな気もするのだ。 もちろん、最終話までを見てしまえば、やはりまどかとほむらの中の人のパワーが圧倒的であることは疑問の余地も無い。悠木碧と斎藤千和の手によって作られたクライマックスこそが、シンプルにして圧倒的なこの作品の大看板であろう。結局、誰一人外せないっていう結論になるだけなんだけども。どうせなら最後に、キュゥべえのデザインの恐ろしさっていうのも、そういう「隙の無さ」の1つとして挙げておきたい。あの赤い眼が、あれほど恐ろしく見えるっていうのは……一体どこまで狙って作ったものだったんだろう。一気に見るとキュゥべえの悪行も信じられない密度で押し寄せてくるので、怖気走るあのデザインもより一層禍々しく見えるのですよ。やはりここ数年の「悪役」の中では文句なしでトップレベルの存在だ。 さて、全てが終わったと思いきや、まだ新作一本が残っているのだね。これだけの作品だと何をやっても蛇足にしかならないと思えるので、新作ってのはおっかないのだが……予告映像を見る限りでは、なるほど確かに「続編」である様子。ただ、それだとさやかちゃんの出番が作れない気もするのだが……どうするんだろうね。さて、早く来年にならないかな。
実は「京まふ」で売っていた限定版前売り券を衝動買いしていたので、見ることは決まっていた作品。学園祭周りのために訪れた遠方で、「そういや別に観光する元気もないんだし、いっそここで映画館に足伸ばして封切り日に見ちゃえばよくね?」ということを思いついた。なかなかあり得ない観光計画である。でもさ、地元でも放映してる映画館まで足伸ばすのが結構めんどくさいんですよ。それならどうせ歩き回っている時についでに抑えた方がいいかなー、と思って。今回は後編の公開もあるのであんまりのんびり見てらんないしね。
(一応ネタバレ? あるかも。まぁ、無いかも) というわけで、前編である。総集編だというのは聞き及んでいたし、別に高い金を払ってまで見なくてもいいのかな、とは思っていたのだが、前売り券買っちゃったなら行かなきゃ損だ。「まどマギ」は本放送時はそれなりに熱心な視聴者だったし(各回の番組感想参照)、あれ以来ほとんど再視聴もしていないので、改めて作られた総集編を見たらどんなもんだろう、という興味もあった。 「前編」はおよそ8話までの内容をカバーしており、映像についても、地上波版のものをそのまま使っている部分もあるし、ちょっと映像をなおした部分もあるし、完全に描き下ろした部分もたくさんある。編集はなかなか悪くない出来で、この1本を見るだけでも、それなりに「まどマギ」の内容、そして良さを理解することは可能だろう。特に8話までの内容ということでとにかく直滑降に鬱へ転がり落ちていく展開が分かりやすく、密度は恐ろしく濃いのだが、あまり展開で迷うようなことも無いはずだ。1話ずつゆっくり観ていた時の次第に降り積もっていくような重苦しさもなかなかだったが、約2時間にまとめられて畳みかけるような展開もかなりのものだ。まぁ、地上波版も一気に観たらこういうことになるんだろうけども。 とはいえ、結局「総集編」なのであまり大きく拾うべきポイントは無い。メインプロットが変わっているわけではないのだから、地上波版を観たときと同じ視点で、同じような部分を楽しめばいい。特に圧縮された中身だとテーマ性が浮き彫りになるので、個々の魔法少女が持つイデオロギーの部分はかなりはっきりしていて見やすくなっているのではなかろうか。短命だったマミさんの更なる幸薄さも見逃せない。 そう、タイトルこそ「まどかマギカ」であるが、8話までの内容ということで、当然まどかは一度たりとも変身しない(地上波版冒頭にあった契約シーンなども劇場版には無い)。一応彼女(の中の人)が描いた魔法少女デザインに片鱗だけは確認出来るわけだが、まどかが「魔法」に触れているのなんてせいぜいその部分だけ。また、徹頭徹尾「傍観者」である彼女はシナリオ面においても大きな役割を果たすことはないので、もし知らない人が見たら「まどか☆マギカ」というタイトルは詐欺である。逆に言えば、この映画は「魔法少女マミ」であり「魔法少女サヤカ」であるということだ。 マミさんに関しては、中の人が要望していた「もっと別な、素敵な死に方がしたい」という願いはまだ聞き届けられていない(新規版に期待だ)。ただ、代わりに死亡時の描写が地上波版に比べて随分あっさりした。代わりに、変身シーンがものすごく贅沢に追加されたり、生前にまどかと友情を育んで「1人じゃない」ことを堪能するシーンが多く盛り込まれたりと、「幸せになりつつあった巴マミ」の要素が大きく取り上げられている。これはマミさんに対する罪滅ぼしのつもりだったのか、それとも、逆に死ぬことの喪失感を増すためだったのか。一応、前者であるようには感じられたのだけど、はたしてどうだったのだろうか。ちなみに、「ベテラン」と呼ばれてまどか達からは本当に雲の上の存在のように見られているせいか、ほむらとの衝突もなんだか激しさを増しており、ただでさえ調子乗りに見えたのによりふんだんに死亡フラグをばらまいてくれているのは愛嬌である。 そして、そんなマミさんの勇姿も立派なはずなのだが、残念ながら作品視聴後にはその姿は霞んでしまう。なにせ、2時間のうち後半すべてがさやかのために裂かれたパートだからだ。やはり、一気に見た時のさやかの顛末の救いの無さは圧巻だ。時間がないおかげで上条君が本当にひどい奴に見えてしまい、そんな男に振り回されるさやかちゃんも大変である。「奇跡も魔法も」のくだりがあっという間に過ぎ去り、ものの10分もしないうちに恭介に裏切られ、高速召喚された仁美さんにかっぱらわれるジェットコースターっぷりは、下手したらコントに見えるレベル。そりゃ魔女化もするわ、という恐ろしいまでの説得力だ。 しかし、そんなドタバタも、杏子のキャラクターがビビッと立っているおかげで、「利他」「利己」の対比が鮮やかになり、上手い具合に悲劇として仕上がっている。このあたりの配分は本当に脚本が上手いところだと思うのだが、地上波版でもすんなりといった「敵から味方へ」という心情の変化が不自然でなく、杏子がちゃんと短時間で「格好良い奴」になるのである。このあたりの仕事は、多分地上波版以上の仕上がりになっていると思う。個人的には、最後に廃ビルでさやかがほむらに脅されて、そこを杏子が救出しにくるシーンがカットされたのはちょっと残念だったけど。あれが無いと後編での杏子の「ひとりぼっちは」がちょと弱くなっちゃうんだよな。まぁ、尺の都合で仕方ない部分ではあるのだが。その分、救いの無さは水増しされており、さやかが激昂してまどかを怒鳴りつけるシーンは新規で描き直され、最後の一幕であるあの電車のシーンもライティングがいじられてより凄惨さが増している。さやかの「堕ちる」部分だけは、何故かやたら盛り込まれていて不憫さに磨きがかかっているのである。ひどい采配だ。 そして、そんな鬱のどん底から「Magia」に繋ぐエンディングのエグさったら。劇場だからサラウンド音源、大音響の「Magia」に、あのアニメエンディングとほぼ同じおどろおどろしい映像、しかもスタッフロールが長いからフルコーラス。もう、あの「Magia」が聴けただけでも劇場に行った甲斐があるというものだ。そういえばオープニングは描き下ろし映像で新曲でしたね。地上波版の時に比べると映像の種類が減っていたが、徹底的にまどほむでキマシしてくれているのでまどほむ派歓喜のフィルムとなっている。必見。「コネクト」が流れないのはなんだか物足りない気もしてしまうが、まぁ、10話のために取っておいてるんじゃないかな。一応杏子がDDRで踊ってるときに流れてましたけど。 結論:大スクリーンでイヌカレーは死ぬほど怖い。 以上です。
というわけで、無事に行けました、劇場版。少しずつ1日あたりの上映回数も落ち着いてきたし、そろそろ混み具合も収まってるだろう、ってんでこのタイミング。まぁ、正解だったとは思います。「けいおん」と違ってリピートするほどのものでもないし、ゆっくり1回観て出来が確認出来れば良いかな、という感じ。
<問題無いだろうけど、以降一応ネタバレ注意> 今作のポイントはなんといってもその上映時間で、なんと2時間半という長丁場。1期の映画よりも更に時間が延びて、ゆっくりと作り込んだ世界を堪能することが出来る。もちろん、元が13話あったのだからこれでもギチギチに詰め込まなければならないわけだが、1作目でもシェイプアップは割と上手く機能していたので、スケールダウンは心配せずとも大丈夫だろう、と予想していた。 そして、その予想は大体当たっていて、出来としては「予想も期待も裏切らない仕上がり」。高い金を払って観る劇場作品だが、このクオリティが達成出来たのなら文句は全く無い。1作目でも満足させてもらったが、2作目も立派なもの。やはり「なのは」クラスの注目作になると、下手なものはそうそう出てきやしないですわ。特に「A’s」は個人的にも一番好きなシリーズだし、当然人気もトップレベル。これではずせって方が無理なのかもしれない。 そんな劇場版で最大の注目ポイントといえばもちろん…………、レティ提督の声優変更ですね。 ん? 違う? いや、俺的にはそこしかないよ。元々担当していた鈴木菜穂子さんという方がどうやら声優業を引退していたらしいんですね。劇場で声を聞いてびっくりしましたわ。まさかこんなところでも声が聞けるとは思っていなかった大原ボイス。今現在、無事に退院して絶賛療養中なわけですが、仕事柄声が聞こえてくるタイミングにブランクがあるから全然休んでる気がしないわね。しかし……レティ提督なんてそこそこ重要なポジションで人気作品のレギュラーキャラに食い込みましたよ。ふふふ、これでまた1つ良い仕事が増えたぜ。久川綾(リンディ提督)の同期で親友っていう年齢的なフィット感が恐ろしい。 閑話休題。上述のように、今回の映画で最も注目していたのは、どうやってテレビシリーズの尺を詰めてくるか、という部分。いくら長い映画と言っても、テレビでやった要素を全て詰め込むわけにもいかないし、かといってこれだけの人気作品だとどの部分を切ったりいじったりしてもそれはそれで文句が出そう。パンフのインタビューで脚本の都築さんも書いているけど、本当にデリケートな作業を強いられたはずだ。ざっと観ていくと、一番大きな変更点は変態仮面ことグレアムさんとこの双子使い魔のくだりが全カット。まぁ、これはある意味予想通り。時空管理局を巡るごたごたについては、確かに削ってもほぼ問題無い部分だったので、影響といえばはやてが幻影の黒なのはと黒フェイトを見なかったことくらいだろう。これで中盤はかなりすっきりして観やすくなった。最終的に管理局が絡むための因縁をリンディ提督の旦那のお話にまとめるというのもすっきりした印象だ。 他にも、ヴォルケンリッターが他の次元などで必死にリンカーコアを回収する行程もかなり短縮されており、映画だけを観ると「いくらなんでもなのは達の世界で暴れすぎじゃね?」という気もするのだが、そのあたりの動機についてはシグナムがちゃんとフォローしてくれているし、場面が大きく変わる必要性も感じられないので、構わないかな、という部分。そもそも「闇の書のページが少しずつ埋まっていく」という演出はテレビシリーズとしての長丁場でこそ意味があるものだったし、多少駆け足で蒐集が進んでも、シナリオ上の違和感はほとんど無かった。 敢えて勿体ない、と思った部分といえば、これまた都築さんが書いていることなのだが、冒頭、テレビ版1話での最大の見せ場だった「友達だ」が改題されて、フェイトの見せ場じゃなくなってしまった部分。ただ、ここについても劇場で観ている時には「勿体ないなぁ」と思ったもんだが、都築さんが説明している通り、シナリオが「なのはとフェイトが同時に敗れる」という風に変更されており、その中に「友達だ」を入れてしまうというのは確かに格好悪い。むしろこの台詞を何とか活かそうとして変更した劇場版の「友達だ」の方が、後々にシグナムとフェイトが急に仲良くなることの不自然さをある程度緩和してくれているので、こちらの方が良かったとも言える。そう、やっぱりこうしてみると1つ1つの要素がきちんと全体構成に向けて変更されているので、1つの像としての完成度は高いんだ。 その他の変更だと、むしろ「削られた」というよりも「ボリュームが増した」という印象のシーンの方が多いくらい。個人的に嬉しかったのは、闇の書の意志(以下リインフォース)の活躍シーンが大幅に増えた事。テレビ版だと最後にちょろっと出てきてはやてに謝るだけ謝ってさっさと2代目に変わってしまった可哀想な子、というイメージが強かったのだが、今作ではナハトヴァールという完全に別な存在としての敵対勢力が存在していたために、ちゃんと1つの意志を持った存在としてのアピールがなされ、はやてを想う気持ちの強さもしっかりと活かされている。もう、いっそこのまま初代リインを生かしたままで幕を下ろしてもいいんじゃないか、と思えるくらいに感情移入出来る存在となっており、小林沙苗ファンには嬉しい構成である。ナハトヴァールの造形についても、テレビ版の適当すぎる触手モンスターのデザインをベースにしつつも、ちゃんと「リインからはずれたバグ」という存在感を出すために人型の部分もあったり、ラスボスに相応しい迫力になっている。 そして、そんな敵キャラ達との戦闘を描くバトルシーンだが、やはり「なのは」といえば大迫力、大火力のバトルが見せ場。ヴォルケンリッターが1人1人違ったギミックで戦闘出来るので、多種多様な武器での肉弾戦は嫌でも燃える。テレビ版1話でも大興奮だったヴィータとグラ—フアイゼンのコンビの活躍はより過剰になっていて実に楽しい。ラケーテンモードの馬鹿馬鹿しい変型ギミックのやり過ぎ感がたまらない。変型・変身はこの作品の最大の晴れ舞台なので、どのキャラもどのデバイスも長すぎるくらいのモーションでたっぷり見せてくれたのはやっぱり「分かってる」。レイジングハートもバルディッシュも、改造後はテレビ版以上にカートリッジシステムの存在感が増していて、いかにも「パワーアップしたなぁ」というのが伝わって素敵。もう、これだけでも充分だったレベル。やっぱり「なのは」の功績の1つって、「ヴェルカ式」という形式を産みだしたことだと思うんだ。 バトル以外に「A’s」で見るべき点というと、やはり阿漕なまでの「泣かせ」の演出だろうか。テレビ版でもぼろぼろ泣いたラストの別れのシーンはもちろんだが、下手したらカットされるんじゃないかと思っていたフェイトの過去夢もしっかり入っていて、リニスやアリシア、そしてプレシアといった「泣かずにはいられない面々」がちゃんと物語を作ってくれた。やっぱりプレシア絡みの思い出は卑怯だわな—。 あとはそうね、中の人の事だと、今回殊勲賞ははやて役の植田佳奈だろうか。実は最近あんまり幼い役をやることが無くなってきている植田佳奈だが、久しぶりに聞いたはやての声は、予想以上に「泣かせる」ものになっていた。基本的になのはとフェイトは遠慮無くいちゃいちゃしているだけなので、健気に頑張るはやてが一番映えるのは致し方ないところですわ。基本的に「家族愛」っていうのに弱いっていう理由もあるんだけどさ。 全体をまとめると、「予想通りの内容。それでも決して損はさせないナイスクオリティ」。あんまりいないとは思うけどこの劇場版から初めて見る、という人でも(一応)耐えられるように作られているし、オリジナルのファンも文句なく楽しめる仕上がりだ。草川監督、お疲れ様です。さて、これで3期の映画が作られるのかどうか。……StrikerSは劇場版一本にまとめるのは不可能だし、正直あんまり望んじゃいないが……Forceだったらいけるかな。個人的に、何とかしてスバルの活躍が劇場で見たいんだけど。偉い人、お願いします。 |
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
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