最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
巷の情報によると、興行的にはそこそこの好スタートを切ったそうで何よりです。このアニメの1ファンとしては、出来るだけ良い結果に終わることを願ってますのでね。
というわけで、空くのを待ってダラダラ出かける私にしては、かなり早い段階で観に行きました、劇場版「そらおと」。理由は……特に無い。「これ以上暑くなったら劇場まで足運ぶのしんどいやんけ!」とか、そういう理由かもしれない。客入りで好スタートを切ったという噂を聞いていたのでどれだけ人が入っているのかと気になったが、流石に平日昼間にはなかなか人もいませんね。私も含めてせいぜい20人といったところでしょうか。この手の作品だと、客層が実に安定しているのである意味入りやすくて助かります(同時に同族嫌悪ですごく鬱陶しくも感じるのだが)。 さて、テレビシリーズ2作品はそれなりの好評を得て幕を引いた「そらおと」だが、劇場版で何が起こるのか、というのはあまり知らない状態で観に行った。一応「日笠陽子が声を当ててる新キャラメインの話」というくらいは聞いていたのだが、はたしてあの世界観で劇場作品をやると、どんな風になるのかというのは予想がつかず、楽しみ半分、おっかなさ半分。あの独特のノリを劇場で共有して良いものか、というのは不安だったしねー。 で、先に書いてしまうと……60点くらいですかねぇ……うん、劇場作品を見に行くと大抵目を潤ませて出てくる私ですが、正直言ってあんまり魂に訴えかけてくるものはありませんでした。劇場作品らしい頑張りどころもあるにはあるんだけど、それがわざわざ大金を払って観に行くべきものかというと、やや微妙な感じ。うーむ。 まず肩すかしを食らったのは、出だしからの総集編パートである。一応風音日和という新キャラ視点での再構成だし、後半のシナリオを考えれば空見町でのたくさんの出来事、日常風景を改めて書き起こす意義はあるとは思うのだが、わざわざ劇場作品を見に来るような層は、ちゃんとテレビシリーズをチェックしている人間ばかりだろう。そういう人間相手に、総上映時間の1/3(下手したら半分近く)を総集編的な既視感で埋めてしまうというのは、あまり誠実な作品作りとは言いにくい。まとめからの再構成と言えば「マクロスF」の劇場版も一応似たようなコンセプトだったが、あちらは同じようなシーンでも完全に描き下ろしていたし、劇場用にリビルドされたものだった。それに対し「そらおと」の場合、基本的な画面は単なる学園生活や田舎の日常風景でしかないので、描き直しされてもあまり新鮮さには繋がらない。言ってしまえば「別に地上波でやってもよかったんじゃないか」という程度の内容。飛行パンツやらサバイバルゲームやら、もう一回スクリーンでやりたかったという狙いも分からないではないが、どうせブツ切りになってしまう断片でしかないわけで、そこまで必要性が感じられるものではなかった(特に学園祭ライブのくだりは本編でもあまり印象に残っていないエピソードだったので、もう一回念入りに描かれたのは退屈だった)。これが1つ目の不満点。 そこから、いよいよ後半は日和を絡めての劇場オリジナル展開となっていくわけだが、普段のシリーズのように何かのイベントのどさくさに紛れての智樹の変態プレイがそこまで炸裂しなかったのも消化不良。「入部試験」のパンツ寿司は流石の一言だが、そこがピークだったので、その後の展開は次第にしぼむばかり。今作はギャグメインではないのでライトな演出になるのは仕方ないのかもしれないが、やはり馬鹿を精一杯馬鹿馬鹿しく描くのが「そらおと」の魅力なのだから、回想編を削ってでも、もう1ネタ2ネタ増やして欲しかったところ。石田ロボの登場とか、一瞬だったしなぁ。 対して、一気に目が醒めるのは、日和の復活から加速するクライマックスシーン。今回の劇場で最も楽しめたのは、文句なしでこの空戦シーンだろう。テレビ版では対カオス戦を見せてくれた2期8話、11話あたりのテンションだが、アストレアも含めた3人のエンジェロイドが協力し合い、それぞれの持ち味を出しながら巨大な敵と戦うという構図は、それだけでアツくなれる展開。今回はニンフが作戦指揮官として色々とおいしいところを持っていったが、クリサオルをぶん回すアストレアも勇ましかったし、それに対抗するZのシステムも禍々しさや壮大さが良く出ていて見応えがある。ウラヌスクイーンが起動できなかったこと、カオスの出番が一切無かったことは残念だが、やはりこの作品の見どころの1つは女の子バトルにあるわけで、その部分は劇場らしいダイナミックなものになっていたのが嬉しかった。 ただ、これについても、日和の心象風景については丁寧に描写されていたので追いやすかったものの、それを見守るニンフやイカロスがどこまで事情を理解して、どのように行動したかったのか、という部分が不明瞭なのが残念。原作を追っていればある程度理解出来るものなのかもしれないのだが、未読の人間にとって、結局風音日和とは何者だったのか、というのがどうもはっきりしないし、特にニンフが何をどうしたかったのか、空のマスターが何を狙っており、ダイダロスが何を隠していたのか、といった部分がさっぱり分からずに終わってしまった。今回はイカロスの活躍シーンが少なく、クライマックスでは無理矢理バトルを終わらせにきたイメージしかなかったので、そのあたりの導入をもう少し丁寧にやってくれたら、視聴にも身が入った気がする。そして、全ての要素において、「別に地上波でやってもらっても良かったのに」という感想は拭えないままである。 この作品は、テレビシリーズの出来が非常に良く、前述の通り、2期8話、11話などは、「劇場でやってもいい」ほどのクオリティを既に有していた。ただ、それをそのまま劇場に持ってこられると、どうしたって「もう一声!」という贅沢な要望は出てしまうものだ。今回の映画化にあたっては、残念ながらその「もう一声」がうまく機能できなかったのが勿体無い部分であった。 まぁ、それでも久し振りに「そらおと」の新作が見られたのは嬉しかったですよ。今回は特に前半パートで会長が大活躍してくれていたし、そはらやニンフの愛らしさもいつも通り。新キャラの日和についても、事前情報がなければぴかしゃが中の人だなんて気づかないくらいにストレートな愛らしさを持っていました。ぴかしゃの懐の深さを再確認できるよいキャスティングである(まぁ、今回も黒髪ロングではあったけど)。そして……保志さん、いつもお疲れ様です。この作品が終わったら、ボチボチいい歳なんだからもうちょっと落ち着いた役に回ればいいのにね。あの声じゃ無理かぁ。 PR
毎日がエブリディな生活をしているために、あんまりゴールデンウィークとか関係無い私ですが、「世間では連休と言って浮かれたり凹んだりしているらしい、何か連休っぽいことがしたい!」ということで、思い立って劇場アニメを見ることにしました。近場の映画館の情報を調べると、やっているアニメというと「忍たま」「豆腐小僧」「プリキュア」「ワンピース/トリコ」などなど、結構やってるもんです。その中から何を見るか悩んだんですが、キモいおっさん1人で見に行って一番違和感が無いのはどれだろう、と考えた時に、最終的には随分前に封切りされていた作品になってしまいました。仕方ないです。流石に小さなお友達に囲まれて単身プリキュアを応援する気にはなれなかったですから。
というわけで「攻殻機動隊」である。ただ、劇場版と言っても過去に放送されたエピソードを3D映像に焼き直した作品なので、完全新作ではない。実をいうと「攻殻」はそこまで真剣に見たことが無くて、確か2nd GIGは昔地上波で放送していたのを全部見たけど、笑い男編はアニマックスとかでやっていたのを途切れ途切れに見ていただけなので、全容を把握していないズボラな視聴者だったりする。だから更にぶっちゃけると、このエピソードについても、劇場で見始めるまで、自分が既に見た作品だということを全然知らない状態で行ったのであった。いやぁ、適当ここに極まれり。ま、中身はすっかり忘れてたので丁度良かったんだけどさ。 というわけで、新作扱い出来ないけど新鮮な気持ちで見られる劇場映画。内容については、そこまで「攻殻」を真剣に語れる身分ではないのでおいとくとして、「過去に放送したエピソードをわざわざ劇場でやること」について、ちょっとだけ触れておこう。 まず、改めて見て分かることだが、「攻殻」ってのは本当にすごい作品だ。世界観が完全に確立し、「攻殻だから」というだけで色々な問題が解決するくらいのエネルギーを秘めている。SF作品としての骨子はしっかりした方だとは思うのだが、あくまでフィクションなのだから、突っ込みどころはあるのだろう。その上で、あのシナリオをあの映像、あの構成で叩きつけられると、文句を言う隙間が一切見あたらなくなってしまう。これは劇場で放映する前から作品として内包させたものであって、焼き直しだというのに観客動員がものすごいことになっているらしいのは、ひとえに「攻殻」という作品の世界そのものに魅せられたファンが多いからであろう、ということは理解出来る。 逆に言えば、「攻殻」にそこまで愛着を持っていない私のような人間は、「畜生! 見たことある内容じゃないか! 金返せ!」という感想になりかねないということでもあるのだが……幸いにして、決してそんなことはなかった。今作の最大の売りは当然「3D」という部分であるが、ここまで相性のいいアニメ素材は、ちょっと思いつかない。「電脳を介して見た世界」をイメージさせた3Dの画面配置が、これまでどこか突き放しているような印象を受けた硬質な画面を、有無を言わさず一人称視点にまで持ち込んでくるのである。視界の端に浮かぶ通信機器のインターフェースは、「あぁ、俺も電脳化するとこんな風に世界が見えるのか」という疑似体験を完璧に果たしてくれる。なるほど、これは3Dで見なければなるまい。 実写と違い、アニメ素材はアクション部分になるとどうしても動画のエッジがブレてしまい、3D眼鏡を通しても多少の不自然さが出てしまう部分があるのだが、それを加味しても、「浮かんで見える」という3D効果は充分にプラスである。基本的に背景はどっしりと暗いことが多く、そこまで奥行きを意識させる構図を取ることは少ないのだが、サイトーの最大の見せ場である狙撃シーンなんかは、画面の押し引きも利用して阿漕ともいえるくらいに画面が引っ張り出されてくるので思わずのけぞってしまう。こいつぁなかなか強烈でしたよ。 ま、正直言うと眼鏡オン眼鏡の人間は2時間ぶっ続けで3D眼鏡をかけていると目元がしんどくなってきてしまうのだが、それでも見続けなければいけない求心力があったと言うことは、この作品は成功したと見ていいのだろう。今後も劇場作品っていうと3Dを売りにしたものが増えていくのだろうが、はたしてここまで親和性の高いものが現れるかどうか…… 作中、実際は「飛び出す」というよりも「奥行きが見える」効果の方が大きかったので、ラストシーン付近になって「どうせ飛び出すなら少佐のおっぱいが、おっぱいが!」と念じていたのは秘密だ。相変わらずのナイスバディだったけど、特に飛び出す要素は無かったぞ。
今期はこれが最後になるんだろうか、劇場作品視聴でございます。封切りからちょっとたった今の時期で、春休み前の平日昼間ならそれほど混むことも無いだろうと思い、急いで視聴。案の定、そこまで混み合うこともなく、のんびりゆったり見ることが出来ました。
(以下、そりゃまぁ当然ネタバレ含みの内容になるだろうから、一応未視聴の方は注意)
今期3本目となる劇場アニメは、何故かボトムズ。「今年はあんまり劇場に足を運んでないなー」と思って探してみたら、今やっているのがこれだったのである(流石にプリキュアは一人で見に行きたくない……)。
で、この作品の話に入る前に、1つどうでもいい人生初体験をした。なんと、劇場をまるまる1つ貸し切り状態で視聴したのである。そりゃま、平日昼間だし、さして話題にもなっていないマイナーアニメ映画ではあるだろうが、それなりに大きなシネコンでやってる作品で、まさか客が一人とは思いもよらなかった。それとも、映画をよく観る人間はこういう機会もあるものなんだろうか……せっかくなのでど真ん中の席でめちゃめちゃくつろいで観てきたわけだが、誰もいないシアターは逆に落ち着かないもんだな。まぁ、咳をしたり、関節ならしたり、普段なら回りを気にして出しにくい音も気兼ねなく出せたのは楽でしたけど。家でアニメを観てる時と同じように、一人突っ込みしながら観てました。 閑話休題。ボトムズである。当方、はっきり言ってボトムズについては何一つ知らない。この作品がボトムズバージンの喪失である(荒鷲的表現)。「何で劇場作品でガンダム00は観に行ってないくせに、よりによって知りもしないボトムズなんだよ」と言われるかもしれないが、個人的には同じサンライズ作品でも、「00」は別に好きじゃない。わざわざ劇場作品を追いかけるほどに真剣に本放送を観ていない、興味のない作品だ。対して、このボトムズについては、「好きか嫌いか分からない」。明らかに好きじゃないものは観に行く必要も無かろうが、好きかどうか分からないものは、ちゃんと観て確認すべきであろう。 もちろん、わざわざ観にいったのには理由もちゃんとある。まず1つは、これが「新しいボトムズ」であるという点だ。つまり、旧作を知らない人間でも、それなりに観ることが出来るだろうという見込みがあった。もし面白ければ、これを機に改めて旧作を見直せばいい。そして、もう1つの動機として、その制作スタッフの顔ぶれがある。いわゆる「サンライズ若手陣」が手がけているという今作は、なんといってもメインビジュアルが久行宏和であるというのがポイント。久行絵がお気に入りの私にとって、このビジュアルで新作が観られるというのは実に魅力的。「ギア戦士電童」に始まり「舞-HiME」シリーズ、「アイドルマスター」と続き、久し振りにあの顔が拝めるとあらば、観ないわけにはいくまい。 (以下、ネタバレなどを含むので未視聴時は注意) で、視聴後の感想だが、一言で言うなら「ぼちぼち」である。放映時間が1時間弱と劇場作品としては非常に短く、まさに「ショートムービー」といってしまってよいくらいの中身なので、「劇場ならではの重厚な作品が見たい」と思っている人にとっては物足りない分量なのは間違いないだろう。シナリオも取り立てて新しいものがあるわけでもないし、ビジュアルにしても、目の醒めるような画面が現れるわけでもない。誤解を恐れずに言ってしまえば、「別に劇場版でなくとも、OVAで出せばそれで良かった内容」という気もする。そしてこのことは、サンライズ側の売り込み方にも現れているような気がする。観客動員の少なさや、宣伝の地味さ(何しろ「ボトムズ 劇場版」でググってもこの作品のページがトップに出てこない)など、「別に劇場で話題にならなくてもいいや」くらいのスタンスなのかもしれない。そういう意味では、必死に休みを取って何が何でも見に行きたいとか、一度観たら感動して何度も劇場に行きたくなるとか、そういう作品ではない。 だが、だからといって不満があるかというと、そうでもない。1時間という尺を考えれば堅実にまとまったプロットであったし、サンライズ作品らしい行き届いた画面作りも文句はない。初心者なので予断の域を出ないが、「新しいボトムズ」という制作理念についても、きちんと目的を果たすことが出来ているのではないかと思う。金を払って観た分のペイはある、充分満足できる作品であった。 1つずつ要素を見ていこう。まずはシナリオライン。短い尺なので、メインプロットは主人公のアービンと、襲いかかるペイガンの一騎打ちのみ。言ってしまえば、タイマン勝負だけのストーリーである。おかげで登場するATの数も少なく、二人を取り巻く世界の外縁部分については、どういう状況になっているのかはあまり見えてこない。しかし、その分だけこの2人を中心とした人間関係については明確な描写がなされており、バトルに到るまでの経過と、各々のキャラクターの心情、懊悩、そして決着に到るカタルシスは、実にバランス良くまとまっている。登場人物をメインキャラクター4人(アービンの妹・ドナとタカビープロデューサー・イシュルーナというヒロイン2人がいる)にしたのは正解だったろう。 この作品の時間軸は、ボトムズ本筋の「戦争」が終わった後の世界のようだが、そこで繰り広げられる「バトリング」と呼ばれる興業試合に戦争の遺恨が絡み、戦場の影を色濃く残した2人の主人公がぶつかり合うことで、間接的に「戦争」というテーマが浮かび上がる仕組みになっている。「戦後を描くことで戦争を描く」というとどこかで効いたことがあるコンセプトだな、と思ったら、どこか「パンプキンシザーズ」に似ているかもしれない。アービンは未だ「戦争の代価」を支払っておらず、そのせいで「戦争を終わらせない男」であるペイガンとの戦いを余儀なくされる。二人の持つ「戦うこと」に対するイデオロギーをぶつけることで、キャラクターが少なくとも、実際に大きな紛争シーンを描かずとも、ちゃんとそこに「戦争」が現れるわけだ。 こうした「人の血が流れること」の象徴としてアービンというキャラクターがあるわけだが、ラストシーンで安易に彼が「許されなかった」ことは、このシナリオを見る上で外せない部分だろう。戦いを、殺人を忌み嫌い、逃げ回っていたアービンが最後には否応なく立ち上がる結果となったわけだが、最終的に、彼の行った「戦争」は一切清算されていない。むしろペイガンという新たな「戦争の記憶」を背負い込み、彼の忌まわしい記憶は、より執拗に彼の人生を苛んでいくことだろう。それこそが「戦後」であり、「戦禍」である。唯一、妹のドナが必死に振り絞った「おかえり」の声だけが、彼を「今」に引き留める動機たり得る。あのシーンで、ドナが決して笑顔などにならず、とめどなく涙を流しながら、ひたすら兄を思って振り絞ったのが「おかえり」の一言であったことで、この兄妹は新しい一歩を踏み出すことが出来るのである。シンプルではあるが、きちんと「片を付ける」ことが出来たいいシナリオである。 シナリオの次に、ビジュアル・画面について。前述した通り、久行絵なので個人的にはそれだけで楽しい。特に感極まった時のキャラクターの表情は本当に真に迫るものがあり、ちょっとクレイジーが入ってしまったペイガンや、兄に裏切られ慟哭するドナの表情なんかはたまりません(個人的には、久行絵では「舞-HiME」で命を一喝する舞衣の鬼の形相と、雪之を誅殺して悦に入る静流会長の表情が大好きです)。ぱっつん髪のドナや、エロの象徴たるイシュルーナのビジュアルも、いかにも現代アニメっぽくていいですね。この辺はオールドファンからの意見が割れそうなところではあるけど。 そしてロボットアクション。勝手なイメージだが、ボトムズの魅力はやはりその無骨さにあるだろう。ガンダムなどに比べるとリアルに寄った造形が意識されており、今回登場した機体も、足下の駆動系や、両手に装着した諸々のアタッチメントの取り扱いなど、細かい部分で「実際にありそう」なギミックがてんこ盛りなのが見どころ。整備屋のアービンがラストバトルを前に自分なりに機体をチューニングして様々なオプションをつけているシーンも色々と興味が湧くし、ペイガン機の最終形態の厨臭いやり過ぎ感もまた楽しい。どれだけ強さを追求して現実味が薄くなろうとも、あくまで「現実に戦った兵器である」という一線を越えずに描写していくバランスもなかなかのものだ。 そして、そんな「嘘リアル」な機体が動き回るバトルシーンは、劇場版ならではというクオリティ。特にラストバトルでは、壁を登り降りが可能なため、どっちが上でどっちが下かも分からなくなる四次元殺法なぐるぐるが大迫力。そこまでやっておきながらもちゃんと決着は拳骨っていうのも男らしくていいですね。何となくではあるけれど、「これがボトムズっぽさなのかなぁ」と思った次第です。違ってたらすみません。 そして当然、キャストの話。本作はもう、メインキャスト4人だけと言ってもいいような状態です(唯一友人役の白鳥哲はなかなか面白いところで聞かせてくれたけど)。まず、アービン役の平川大輔。……うん、普通。次にイシュルーナ役は遠藤綾。……うん、いつも通り。ちょっと油断すると銀河の歌姫に見えやすいので注意が必要だが、このエロさはやっぱり天性のものでしょうか。ご本人はエロさの欠片も……げふんげふん。 そしてテンション上げ目の役でみせてくれたのが、ペイガン役の福山潤と、ドナ役の豊崎愛生。この2人はかなりいい演技を見せてくれたと思います。豊崎はちょっと油断すると「ほわほわ役専門」みたいなイメージになるんだけど、色んなところで「あぁ、やっぱり役者なんだ」ということを思い出させてくれる仕事をする。本作もそうした「別な豊崎愛生」が見られる1本になっています。そして敵役を楽しげに演じてくれた福山潤。彼の場合、時折「福山は何をやっても一緒じゃないか」みたいな非難を目にすることがあるのだが、今作を聞けば、おそらくそうした非難が的外れであることが分かると思う。クレイジーが入った悪役というのは楽しくもあり、難しくもある役どころだと思うのだが、期待を裏切らないだけの内容になっている。福山ファンは必聴です。 トータルすると、テレビシリーズだったら6点か7点くらいの作品かな。以下の項目に当てはまる人は、観にいっても損は無いかと。1、「久行絵が好き」。2,「あまり悩まずにロボットバトルが見たい」。3,「エロい遠藤綾の声が聞きたい」4,「いい感じの福山ボイスを堪能したい」。4つのうち2つが声優絡みなのは、仕様です。 今期2つ目の劇場作品は、あの舛成孝二が監督を務める期待の作品、「宇宙ショーへようこそ」! 正直、かなり前から楽しみにしていました。 まず、率直な感想からいえば、大変面白かったです。劇場でアニメを見てると魂の奥の方を「ガッ」と掴まれて思わず目が潤むことがあるんですが、この作品は何度となくその「ガッ」が発生しました。うむ、非常に伝わりにくい表現になってしまっているけど……泣きそうだったってことだよ。言わせんな恥ずかしい。別に「泣かせる」演出の作品というわけではないのだが、キャラクターの心根が良かったり、物語としてのボルテージがあがったり、ノスタルジーを直撃されたりすると、思わず泣きそうになるんですよね。ちなみに過去に見た劇場作品は、ほとんどうるうるしながら見てます。 (以下、どう考えてもネタバレが発生するので、未視聴の方は注意) さて、まず持ち上げるところから始めたわけだが、序盤は、正直言うとちょっとダレる部分もあった。個人的には最も重要なファクターである「キャストの演技」が耳ざわりなのがどうしても気になってしまい、最初のうちはなかなか物語に入っていけなかった。突如現れた藤原啓治声の宇宙人(宇宙犬?)はおっさん臭くて愛嬌もないし、「ろくにキャラクターの名前も知らない段階で、いきなり修学旅行で月って言われてもなぁ」くらいの印象。劇場作品らしく画面はとてつもなく豪華でつけいる隙もないのだが、正直言って「劇場ならそれくらいは当然よね」とか思っていた。 流れが変わってきたのは、中盤に実際に「宇宙旅行」を堪能しているあたりから。最初のうちは子供だまし、こけおどしだと思っていた子供じみた宇宙の描写が、だんだん狂気を孕んでいるように見えてくる。確かに宇宙人1体1体のフォルムは陳腐なものも多いし、どれもこれも子供の落書きみたいなデザインなのだが、そんなふざけたデザインが、全て個々に画面上を動き回っていることに気付いた時に、ちょっとゾクッとした。この作品は、「とある1つの種類の宇宙人との交流」ではなく、「宇宙との交流」をテーマにしており、そこに集う宇宙人たちは正に千差万別。どんな細かなシーンでも、どんな動き回るダイナミックなシーンでも、そこに現れる宇宙人や奇妙な建物1つ1つが、全て「個々に」生きている。その作り込みの入念さが、この作品の表現したい全てだ。 「夏のある日のノスタルジー」という大きなくくりでまとめると、見始めた段階では、同じく劇場で見てきた「サマーウォーズ」とイメージが被った。あちらもバーチャル空間の描き込みが偏執的なまでに徹底しており、本作の宇宙人の扱いと被る部分がある。しかし、「サマーウォーズ」はあくまでバーチャル世界を異質なものとして扱っており、それはCGによるサンプリングと、全てを統一的に処理する理知的な配置に現れていた。しかし、この作品は違う。全ての宇宙人は、単に好き勝手にそこにいるだけ。夏紀たち主人公グループの経験している「旅行」と、何ら変わりない重要性で、そこを歩いている。これを全て丁寧に書き込むことで、「宇宙である」という特別さがなくなり、あくまで「普通の作品で描かれる日常風景」の延長が、月や他の星系にも拡大された世界が構築されていく。 非常に乱暴なまとめをするとしたら、「サマーウォーズ」は手近なバーチャル空間を利用し、そこで未曾有の大事件を巻き起こすことで「日常に非日常をもたらす」作品。対して、この作品は宇宙というとんでもない舞台をエピソードにしながらも、そこに見た目以上の特別さを設けず、「非日常の極みを日常的に描く作品」と言えないだろうか。いくつか例をあげると、端的なのは月に行って一番最初に食べたファーストフード。「コーラはどこも同じなんだね」って、んなわけないのに、それが妙に「近さ」を感じさせる。おっかないルックスのウェイトレスに持ってこられた奇妙なポテトも不気味なハンバーガーも、あくまで「ちょっと見た目の変わった日常の延長」である。また、銀河超特急で移動中に、イスの形をいかにも電車風にしてみせたのも象徴的。「やっぱり修学旅行はこうでなくちゃ」と言っていたが、あそこまで非日常的な世界を満喫しながら、子供達にとっては、あくまで「旅行」の一環なのだ。また、ポチの実家に帰ったシーンなども印象深くて、全然違う星での生活で、家のサイズや様式も全然違うにも関わらず、そこには家庭的な温かさがそのまま表れているし、スケールや文化の違いが、目に見えているのに意識されないレベルにまで内在化している。この「コズミックな日常」というモチーフは、実に鮮烈であった。 そうした「非日常の中の日常」を存分に堪能し、もういっそそれだけで終わってしまっても構わないなぁと思っていると、ようやく事件が起こる。周の誘拐事件に端を発する、いかにも「映画的な」奪還劇。筋立てはシンプルで特に目新しい部分もないのだが、それまでの旅行パートまででジワジワと組み上げてきた物語の伏線をまとめて放出し、一気にたたみかける構成は流石の一言。旅の途中で出会ってきた仲間達との協力や、夏紀と周の喧嘩を通じて得られた本当の友情、愛情。そうした要素が過不足なく集結して、夏紀のいう「ヒーロー」像が完成する。事前にポチの家で「周の夏紀に対する気持ち」は語られていたが、クライマックスではそれまで溜まっていた夏紀の周に対する気持ちが爆発し、そのパワーが巨悪を打ち砕く。どの子供達にも等しく活躍の場が与えられているし、やや説明不足ながらも無茶なことをやっていることが嫌でも伝わってくる敵側の悪辣さや小憎らしさも引き立つ。冷静に見ると「単に力比べで勝ってぶん投げただけ」というお粗末な決着なはずなのだが、全ての台詞と、回収しきった伏線の重みのおかげで、これが説得力のあるカタルシスを構成する。本当に、見ていて気持ちが良い。 繰り返しになるが、この作品の持ち味は「日常」と「非日常」のバランスの取り方、見せ方。自分でもよく分からない感情だったのだが、地球に帰ってきた面々がそれぞれの親の車で帰路につくシーンでは、そのあまりの「平凡さ」に感極まってしまった。それまではずっと「銀河を超速で走る列車」だとか「クラゲのような外見でめちゃくちゃブースト出来る飛行機械」とかに乗って冒険を楽しんでいた子供達が、ひとたび地球に降り立てば、普通のワゴンやセダンでおうちへ帰るのだ。そして、こうした「普通の車」と、「特別な宇宙船」が等しく、入念に描かれているからこそ、この対比が映える。同じシーンで「なんだ、ただの宇宙船じゃない」という奇妙な台詞が出てくるが、子供達の心情を考えると、こんなにどんぴしゃりの台詞もないだろう。 こうした日常と非日常の融和が「容易く」行われるための画面作りは、並大抵の苦労ではなかったはずだ。この見事な画作り、脚本作りを成し遂げたスタッフには素直な賛辞を送りたい。 まぁ、あとは細かいところですかね。超特急乗車中あたりだったと思うが、何故か画面が突然妙な空気に変わる部分がある。言い方は悪いが、「作画が崩れる」シーンだ。「まるでりょーちも画だなっ」とか思ってたら、マジでスタッフにりょーちもが居て吹いた。絶対あのカットを担当しているのは間違いない。地上波作品で個性大爆発させるのは構わないけど、劇場版であそこまで個性を出してくるのもどうかねぇ。面白いからいいけどさ。あと、個人的に好きだったギミックは、インクが操るでっかい手の動きとか、ネッポの不定形なのに何故か芯の通ったアクションなんかかな。インク可愛い。 そして当然、キャストに触れるのも忘れちゃいけない。まぁ、メイン5人がほとんど素人なので、そのあたりはあまり触れるべきではないのだろうが、覚悟していた「子役だらけの学芸会」よりは幾分マシ。特に夏紀役の子はなかなか頑張っていて、挫折から立ち直った夜の誓いのシーンや、クライマックスの一番大切な台詞あたりの熱演は好感が持てた。どこの誰かは知らないが、今後も頑張って欲しいものである。あとは、倫子役が松元環季ちゃんでした。わーい。やっぱり彼女1人だけちょっとステージが違う感があるね。あ、でもインク役の子も好き。誰だろうと思って調べたら「夢パティ」でキャラメル役をやってる子だ。なるほどなるほど。 そして、残るは貫禄充分のベテラン声優達。そんな中でもやはり無視できないのは、ポチ役の藤原啓治と、ネッポ役の中尾隆聖だろう。特に中尾隆聖は私が「一番好きな男性声優」と言って憚らない憧れの人で、こういう人外かつ狡猾かつ憎めない役をやらせると右に出るものはいない。痺れましたわぁ。1人だけで空気を作れる役者というのは、本当に素晴らしい。 他にも銀河万丈は普段とはちょっと違うコミカルなキャラクターで魅せてくれたし、「なのは」でもラスボスを演じてくれた五十嵐麗、素敵なお母さん伊藤美紀など、メインが辛いだけに「いつものあの声」が聞こえてきた時の安心感はかけがえのないものでした。唯一の心残りは、作中で千和の存在に気づけなかったこと。舛成作品なんだからいるに決まってんだよな。 長くなったが、最後のまとめを一言。この作品は、はっきり言って詰め込みすぎだ。大画面の細部にいたるまで、世界を構築するために必要なファクターを、限界を超えて押し込んである。シナリオに関わる重要な要素ですら、明示的に説明されずに流されたものも少なくないのだ。それ故に、この作品は何度も見るべきものになっているのかもしれない。特に、本当に楽しんで欲しいのは「まっとうな」対象である子供たちだろう。「あの画面に映っていた妙な宇宙人は、どういう生態系なんだろう」とか、「あそこで出てきた食べ物は元々どういう材料で出来ているんだろう」とか、答えがないが、無限に想像出来る楽しみがこの作品には詰まっている。小さい頃に絵本を読んでもらって、どんな小さな絵でも穴が空く程眺めていたような、そんな楽しみ方が出来る作品である。是非、そうした「無駄な贅沢」を大人目線でも楽しんでもらいたい。
今期一発目の劇場アニメ映画の視聴である。去年は気付けば7本もの劇場アニメを観に行っていたわけだが、今年は流石にそんなに多くはなりそうもないかな。全く予定は立っていないが、とにかくその口火を切るのが、この「いばらの王」である。
原作は既読。そして、かなりのお気に入り作品である。岩原裕二の既刊コミックスは全て手にしており、そのきっかけとなったのがこの作品。初見の時にはまだ1〜2巻くらいしか出ていなかったと思うが、大胆な画風と、それにフィットした張り詰めた空気が半端じゃない期待感を抱かせる導入だったと記憶している。それにつられて買った「地球美紗樹」は今でもお気に入り。「いばらの王」自体は、シナリオの風呂敷を広げすぎて多少破綻してしまった部分もあり、端正な作品というわけにはいかなかったが、それだけに野心的で、充分に満足できる漫画になっていたと思う。そんな良作をアニメ映画にするのだから、これは期待せずにはいられない。 で、早速劇場に足を運んだわけだが……先に結論から言っておくと、あまり面白くはなかった。視聴している間もなかなか画面に没入しきれず、時折「無いわー」と漏らしてしまうシーンも。これまで見てきた劇場作品は大体が「まぁ、金かけてるんだから普段見てるアニメよりも質が高くて当たり前だよね」という満足感があったのだが、この作品にはそれすら怪しい。原作が好きなだけに、この結果は正直落胆した。(以下、原作・アニメ双方のネタバレの可能性があるので、未読・未視聴の方は注意されたい) 考えてみれば、原作コミックスが厚めの6巻、シリーズアニメにして1クールでも到底描ききれないような内容を、わずか100分足らずの劇場作品にしようというのが無理な話ではあるのだ。それは最初から分かっていたことで、アニメオリジナルのシナリオ改変は覚悟の上だったのだが、その改変が、確実に改悪になってしまっている。あれだけ複雑に絡み合ったキャラクター造形を、単純に要素のそぎ落としで簡素化してしまえばシナリオも破綻するだろうし、キャラクターとしての魅力は全くなくなってしまうのは当然のことだろう。かろうじてメインヒロインであるカスミだけはそれなりに描写されていたが、あの「衝撃のラスト」のことを考えれば、それでも足りないくらい。他のキャラクターたちにおいておや、である。 視聴中にまず驚いたのは、原作ではスタート地点となるコールドスリープの起動まで、30分近くもの時間を要したこと。後々考えればシズクとカスミの関係性がラストで最も重要なファクターになるので、それを入念に描く必要はあったのだろうということは分かる。だが、他のキャラクターたちとの邂逅などまで事前に描く必要性が分からない。むしろコールドスリープ後の世界はカスミの視点からは「全く未知の世界」であるから、ともに行動するキャラたちとの接点も完全に消してしまっても良かった気もする。もしコールドスリープ前の出来事を後々使いたいなら、回想シーンでそこだけを切り取るという方法もあっただろう。後半になれば回想シーンは頻出するのだから、全編通してそのストラテジーを採っても、特に問題は無かったはずだ。 また、個人的に釈然としないのは、作中でのメデューサの扱いの軽さ。勿論全てのキャラクターの行動原理になり、物語の起点となったのだから充分意味はあるのだが、原作では執拗に描かれていた「進行する症状」の恐怖が、アニメでは全く触れられていない。あげく、最終的にはこの「大して印象に残らない脅威」によって、ロンとキャサリンという2人の主要キャラクターを退場させている。原作ではメデューサを駆使して無事に生き残ったキャラであるというのに。全滅エンドにするのは話を簡略化するための1手法ではあると思うが、ほとんどのキャラクターについて、その死の理由が釈然としない。特にマルコに至ってはメデューサですらないのに、何故あそこで別れを告げなければならないのか。少女カスミにとって、マルコはあくまでヒーローで有り続けるべきで、原作のようにエピローグで全員を導く役割こそふさわしいと思うのだが。ただ、アニメの場合は結局メデューサは完治していないため(カスミは発症すらしないだろうが)、一見生存したように見えるティムはあのエンディング後に救済が与えられていない。そうした根本的なシナリオ改編の結果、「マルコだけ生き残るのもどうよ?」ということで殺してしまったというのはあり得る話。まぁ、短絡的だとは思うけど。 やはり、原作との最大の変更点であるラスボス、つまりゼウスの不在が一番の問題点といえる気がする。ヴィナスゲイト自体を悪の根源にしてしまうという簡略化はアリだと思うが、その元締めであるヴェガをあっさりと潰してしまったため、原作でいうゼウスのようなラスボスがおらず、カスミもマルコも拳を振り上げる先が無くなってしまっている。一応、カスミはシズクとの対面というビッグイベントがあるが、マルコはゼウスとの対決が無いために、妹のローラとの格闘戦という、正直どうでもいい要素でお茶を濁している。また、メデューサの世界拡散という最大級の恐怖も描かれないため、せっかく苦労して作り上げた「羽ばたく城」のグラフィックも、意味が分からないのでこけおどし止まりになってしまっているのだ。これではいくらB級パニックものを描こうとしても、その恐怖感は伝わってこない。どうにも、描かれたパーツとシナリオの見せ場がちぐはぐなのだ。 もちろん、短い時間でまとめる際に、「もうハリウッドのパニックものにありがちな単純なシナリオラインに大改変しちゃおうぜ」という開き直りも、作り方次第では面白いものにはなったと思う。幸い「そうした造り」が似合う作品にも見えるわけだし、劇場作品のうま味であるダイナミックなアクションも、そういう造りの方が活かしやすい。だが、それをやるならば最後の大ネタであるカスミの正体の部分もカットするくらいの度胸が欲しかったものだ。あれのおかげで細々とした心理描写、過去描写を削ることが出来ず、アクションもの、サスペンスものとしても消化不良に終わっているし、何より必死でくみ上げた原作のメインネタのみが上滑りしたせいで、なんだか原作が悪いみたいに見えるのが納得いかない。原作は、6巻まるまる使って様々なキャラクターに意味を与え、最終的に持ってきたのが「あのラスト」だから意味があるのだ。今回のように、他のキャラクターは表面的になぞるだけで、カスミにだけ意味を与えようとしたって、それはうまく行くわけがないのだ。 「シナリオが駄目でも、劇場作品なら動画面にセールスポイントがあるはず」というフォローも入れておかねばならないだろうか。確かに、岩原裕二の癖のある絵が動いてくれるというのは感動的で、「DARK THAN BLACK」の時よりも原作絵のテイストに近いのは嬉しかった部分。だが、残念ながら作画の面でも、この作品は劇場レベルとは言い難い。気に入らないのは、「スチームボーイ」「FREEDOM」などを制作したチームということで、要所要所でキャラクターが3Dのモデルになること。フルCGのアニメならばこれを基準にして画面を見ることが出来るのだが、この作品の場合、基本的にキャラクターは手描きだ。そのため、切り替わった後の造形がとてつもなく不自然になってしまうのである。一応極力シームレスに2Dと3Dを繋ごうとはしているようだが、残念ながらこの試みは失敗しており、明らかにCGに切り替わったことが分かってしまうお粗末なキャラデザは、本来盛り上がるべきモンスターとの格闘シーンを一気に盛り下げてくれるのだ。別にモンスターの方だけをCGで処理しても良かった気がするのだが……おかげで、一番盛り上がったアクションシーンは、キャラとキャラが殴り合うマルコとローラの格闘シーン。あのクオリティが全編通して実現していればそれだけは見るべき作品になったのだが。 設定画、背景美術などは劇場作品らしい力の入ったものになっていたが、画面で褒めるべきはそのくらい。原作ではバラエティに富んでいたモンスターたちも2,3種類しか登場しなかったし、ピンチのパターンも「落ちそう」「崩れそう」のオンパレードですぐ飽きる。どうにも注目すべきポイントを見いだしにくい作品であった。 正直、このアニメを見て原作の出来を判断されると心苦しい。なんとかアニメシリーズとして2クールくらいでゆっくり作り直してくれないものだろうか。あぁ、一応最後に蛇足で付け足しておくと、キャストはこのまんまでもいいですよ。っつうかキャサリンの中の人のがんばりを観るために行った部分もあるわけで、冒頭から朗読される「いばら姫」のお話だけで満足することに決めました。絵本を読み聞かせる母親役の大原さやか……あぁ、いいですね。たまりませんね。人妻ですね。幼児は虐待しますけどね。あとはカスミ役の花澤香菜の熱演も一応評価出来る部分ではあるか。 もし何かの奇跡で原作がもう一回アニメ化されるなら、ゼウス役は屋良有作か藤原啓治あたりでお願いします。 1度は満員で門前払いをくらったわけだが、今回は無事に入場。流石にそんなに長い間満員御礼なわけはないけど、今回も会場充填率は8割程度となかなかの入り。フィルムの力は偉大やでぇ。近くに座ってた連中がリピーターだったらしくて何を引いたか確認してたんだけど、ラストパートの読書長門だったらしい。あんさん、それ大当たりですがな。 さておき、封切り後も数々の話題と伝説を生み出している本作。視聴に当たっては、「なるべくフラットな姿勢で視聴しよう」というよく分からない義務感があった。同じ劇場版でも「なのは」は純粋にファンとして観に行ったが、「fate」は明らかに一見さんとして興味半分で観に行ったもの。そしてこの「消失」の場合、そこまで「ハルヒ」のファンじゃないし、かといって観なくても構わないというほど無関心でも無し、「シリーズの熱心なファンじゃないけど好きな視聴者」として、どんな作品が出来上がったのかを観てこようかと。 まず、先にいくらか否定的な部分から入ろう。本作の制作は当然京都アニメーションなわけだが、京アニというブランドは、地上波作品の制作段階において、既に病的なまでの潔癖さを売りとしているスタジオである。過去作品を見れば分かる通り、作画に乱れなど生じるはずもなく、ただひたすら丁寧に丁寧に、与えられた題材をテーマに忠実に描くことを至上命題とする制作集団だ。そんなわけで、この劇場作品である「消失」も京アニ独自のこだわりに溢れているわけだが、地上波版で既にクオリティの高い作品なだけに、劇場版でそのグレードを上げても、ありがたみが薄いというのが唯一の難点である。「普段からいい物」を「よりいい物」に仕立て上げるのは厄介な作業で、他作品なら「流石劇場版! 動く動く、画面がきれい!」というもてはやされ方が当然なのに、京アニ作品の場合、「まぁ、京アニだからこのくらいは当然だよね」で終わってしまうわけだ。普段からよくできているだけに代わり映えしないというのは、本当に可哀想な部分ではある。「別に劇場で観なくても、普通の地上波放送で5〜6話くらいにすればいいじゃね?」という印象は、誰だって持っていたはずである。 と、ネガティブ評価から入ってみたものの、感じた不安などそれくらいのもの。はっきり言って、やっぱり劇場版ともなると迫力が違うのは間違いない。地上波作品なら要所要所で「流石の京アニ!」と膝を叩くところなのだが、劇場では、2時間半、ずっと京アニクオリティなのだ。目をはなせる箇所が一箇所たりとも存在せず、視聴後は心身ともに尽き果てた。ずっと見どころ、ずっとクライマックス。これはきつい。 いや、視聴開始時からそんな風に観ていたわけでもない。何しろ作品の中身をふるい分ければ8割方キョンの独白で進行する「杉田単独ライブ」みたいな構成なわけで、序盤は「キョンうぜぇ」というおきまりの感想からダラダラ観ていたのも事実だ。しかし、起承転結の「起」の部分からは、そのダラダラが全て必要なパーツだったことが痛感できるのである。キョンが受けた衝撃はそれまでの伏線パートが無ければあそこまで奮い立たないだろうし、衝撃のテンションが無ければ、そこから先のトンデモ展開についていくことも大変だろう。あれだけの情報量であれだけ無茶な事件が起こっているのに、一切気が緩むことなく走り抜けられる脚本構成は、巷で噂の「消失」クオリティそのものであった。 具体的な中身については触れる必要も無い気がするが、一応ポイントごとに評価点を観ていくと、まず地上波作品で構築された「ハルヒ」ワールドの集大成としてのお祭り騒ぎの色が濃い。今回の事件をキョンが解決するため、言い換えれば視聴者が理解するためには、「憂鬱」「笹の葉」「エンドレスエイト」などの記念碑的な事件が全て伏線として必要であり、行き交う時間軸の中で、それらの事件に出会ったときのショックや興奮がプレイバックされる。完全に映画が初見の視聴者は置き去りの構成ということになってしまうが、こればかりはシナリオ上致し方ないところだろう。きちんと筋を理解している人間が観れば、「あれも」「これも」「それも!」とガンガン流れ込んでくるハルヒ世界にお腹いっぱいである。 こうしたある意味「無茶な」シナリオラインの中において、キャラクターの立たせ方が実に見事である。「消失」は長門の話であることは既に漏れ聞いていたのでおおよそのシナリオについては何となく知ってしまっていたわけだが、それでも他のヒロイン勢がお飾りになることは決して無い。みくるは今回サポートに徹しながらも、長門という「メインヒロイン」を前にしてきちんとその異質さを際立たせる役割を果たしていたし、クライマックスに至るまでの案内役として、最もニュートラルで視聴者に近いスタンスをもって、存在感を失わずに引っ張る役割を果たした。また、今回は出番がそこまで多くなかったハルヒだが、それでも的確に自分の役割を果たしていたし、シリーズ全体を通じての「メインヒロイン」としての座を譲ることなく、主人公であるキョンの行動原理として、絶対的に頂点に位置し続けた。どれだけ長門やみくるが個性を発揮しても、特に画面上に姿を現さなくても、あらゆる側面から「世界」を左右し続ける姿は、まさにこの作品におけるハルヒの立ち位置そのものと言えるかもしれない。そして、劇的な復活を遂げた朝倉さんの存在感も凄い。最初のシーンでキョンがやたら怯えていたので「お前、そこまでトラウマになってたんだな」と意外に思ったものだが、「あのシーン」のことを思えば、その恐怖も致し方なかったと納得出来る。今作で一番イメージが変わったヒロインといえば、ひょっとしたら朝倉涼子その人かもしれない。とにかく格好いい、あのシーンを観るためだけにリピートしてもいいくらいです。 そして、やはりなんと言っても今回のキーパーソンである長門有希である。個人的には「ハルヒ」は萌え作品として受け取っている部分が少なく、長門がどうのという空気はいまいち乗り切れない部分があったのだが、その上で、今作の長門はずるい。大事なことなのでもう1回書くと、「今作の長門はずるい」。あれを観たら……どうしようもないじゃないか。もう、これまで通りに長門を見られないじゃないか。どうしてくれるんだ。 今作を通じて、長い間ラノベ業界を席巻してきた(らしい)「セカイ系」という概念の一端が見えたように思える。「ハルヒ」シリーズ自体が、涼宮ハルヒという1人のヒロインを「セカイのあり方」そのものに置き換えた端的な省略と概念化の要素を含む作品であるわけだが、今作の場合、そんな「ハルヒのセカイ」に長門が介入し、もう1つの「セカイ」で主人公を試すことになった。そして、その動機として根底に眠っているのは、あくまで1個人の「感情」という非常につまらないファクターでしかない。こうしたボーダレスの構成自体が、ある意味考え無しで陳腐な物語性の元凶と捉えられることもあるわけだが、本作の場合、このセッティングは充分な効果を上げている。ラストシーンの屋上での2人のやりとりは、この作品があくまでシンプルなラブストーリーであることを確認させてくれるが、長門有希というたった1人のキャラクターの心情を効果的に描くためには、セカイを動かしてみせることが一番分かりやすかったということだ。それが一番長門らしい方法だったし、一番「ハルヒ」らしい結末だった。振り返れば、やはり「面白い」作品だった。 蛇足になるが、敢えてアニメ的な部分などもちょっとピックアップしておくと、やはりクライマックスとなるべき部分の演出技術の高さには舌を巻く。屋上での会話もそうだが、校門前での長門の世界改編シーン、朝倉無双など、呼吸すら忘れてしまうような緊張感は流石の京アニクオリティ。また、序盤は引っ張るだけ引っ張ったおかげか、キョンが長門からのメッセージを手に入れるハイペリオンのシーン、そしてプログラム起動シーンなどは、鳥肌ものの効果がある。キョンvsキョンの独白特盛りシーンは流石にちょっと引き気味になってしまったが、散々ハルヒへの気持ちを吐露した後だけに、寝袋ハルヒのシーンのドキドキ感もまた格別である。 また、今回特に気合いの入った美術が目を引く。屋上シーンのあり得ないクオリティの夜景などが分かりやすいが、他にも実写とまごう背景ボードが頻出し、この作品に対するスタッフ陣のこだわりと熱意が確認出来る。美術作品としての見応えというのも、当然劇場作品の楽しみの1つといえるだろう。 そして最後は当然キャストの話。まぁ、今回は誰がなんと言おうと「杉田お疲れー」としか。流石にこの収録はきつかったろうなぁ……そして、後は長門役の茅原実里ということになるか。消失長門はどういう演出で攻めてくるのかと思っていたのだが、まぁ、予想の範囲内ではあった。1期の頃に比べると中の人も流石にスキルを上げてきているので、もきゅもきゅしながら観るのに充分なスペックを保持していましたね。そして、なんと言ってもみのりんについては、メインテーマのアカペラ歌唱だろう。見たところ最後のアカペラには賛否両論あるみたいだが、個人的にはあれはあれで良かったのではないかと思う。作詞は当然の畑亜貴、作曲には伊藤真澄という豪華な布陣のメインテーマ「優しい忘却」。確かに完成度を考えるなら伴奏も入れた状態で聞くのがいいのだろうが、あのエンディングに、おそらく永遠の別れになるであろう架空の存在「消失長門」の心情を歌い上げるならば、ひっそりと声だけで歌い上げるというのは何とも味のある演出ではないか。後にも先にも、「エンドロールがブラックバックで本当に良かった」と思えるエンディングは初めてである。 何はともあれ、魂の籠もった、クタクタになること請け合いの2時間半。さて、まだフィルムは残っているんだろうか。
先週「なのは」を見に行った際に同じ劇場で放映していることを知り、ちょいと気になっていたので見てきました。ぶっちゃけ「なのは」ほどの興味は持ってないんだけれども、「劇場作品は劇場で見るべき」というのが最近分かった真理であるので、せっかく放映してくれているのだから観ておこうか、という魂胆。
まず、「Fate」に関しては、持っている知識は4年前に放送されていた地上波アニメオンリーである。色々話題になっているのは知っていたけど原作が同人ゲームってことでまったく手を出す気も起きず、アニメになったのを観て「ふーん」と思った程度のもの。正直アニメもそこまで評価は高くないし、何故こうも大きな作品になっているのかは理解出来てない。それどころか、多分アニメも適当に観ていたので世界設定もよく分かってない。やたらめったら同人誌だけ目にするので、キャラクターの知識(間違ったものを多分に含む)だけが蓄えられている状態だ。 そんな「ファンでも何でもない人間」が何故わざわざ高い金払って劇場まで見に行ったかといえば、正直言うと「セイバーさんが好きだから」である。いや、幅広く「武内崇のデザインが好き」でもいいんだけど、地上波アニメの時から、あのゴツゴツした武装のセイバーさんのキャラだけが何故か好きだった。エロくて、凛々しくて、可愛らしいという三拍子揃ったキャラクターで、なおかつ非常に正しい川澄ボイス。歴代川澄キャラの中でもベスト5に食い込む。彼女の雄姿がまた観られるなら、ちょっとくらい出資してもいいかなと、それくらいの気持ち。だから、事前にしっかり情報を確認して「今回の主役、セイバーさんじゃないよ」ということを知っていれば、見に行かなかった可能性もあるわけですよ。無知って恐ろしいですね。 と、やたら前置きが長いんですが、それは感想がひょっとしたらいわれのない非難になっているかもしれません、という注釈のつもり。正直言って、面白いとか面白くない以前に、分かりませんでした。序盤、史郎が巻き込まれてセイバーと契約、ランサーやバーサーカーと出会い、ライダーとワカメのコンビと学校で戦うとこまでは分かる。かなりはしょった展開ではあったが、一応アニメの時と同じ流れだったからだ。アニメですら24話あったわけで、単純に13話を2時間にまとめた「なのは」の2倍のスピードでやらなきゃいけないのだから大変だ。 ただ、そこからがちょっとしんどい。ライダー瞬殺に加え、急激に複雑になるサーバントどうしの関係性。見れば見る程アーチャーの行動原理が分からなくなっていく。キャスターとの絡みで一度は史郎を助けているのに、そこからすぐに背中を切りつけたり、形だけとはいえ凛を裏切ってみたり、とにかくあっちへ行ったりこっちへ行ったり。他のサーバントの動きも今ひとつ一貫性が無く、我が愛しきセイバーに至っては、単にキャスターにレイプされてエロい声で喘いでいただけである(それはそれで満足だが)。多分、きちんとゲームで筋を知っていれば入ってくる内容なのだろうが、流石に初見でこれは無理。極めつけはアーチャーの存在そのもので、もう何がなにやら分からない。結局、聖杯戦争って何だったんでしょうかね。 とまぁ、シナリオ部分は正直評価出来ないのでどうしようもないのだが、一応作品としての存在意義は分かる。序盤から無駄にグリングリン動いて、藤姉ぇのリアクションすらも画面全体で見せてくれる。作画も終始安定していたし、動画枚数も「なのは」の比ではないだろう。バトルもなかなか熱いものを見せてくれたが、どうしても史郎とアーチャーの活躍シーンが多いので画面が単調になってしまっていたのが勿体ないところか。ギルガメッシュの能力なんて、もう少し工夫すればもっと派手に見せられたと思うんだけど。個人的にはキャス子さんの高出力モビルアーマーっぷりが素敵でした。あれで白兵戦は弱いサーバントとか、嘘だろう。 そして中の人談義だが、個人的にはセイバーを聞きに行ったのに見せ場がほとんど無かったので意気消沈。代わりに凛の見せ場がたくさん用意されてたけど、凛の心情もうまいこと追い切れなかったのでいまいちのめり込めなかったかね。アーチャーとかギルガメッシュとかランサーあたりが一番美味しいところかな。浅川悠と中多さんは本当に一言ずつしか台詞が無かったんだけど、これだけのために現場に呼ばれたかと思うと不憫で仕方ない。せめてライダーにはもう少し活躍させろよ。もちろん、今作MVPはワカメ役の神谷兄ぃだよ。 結局、画面のクオリティ以外では地上波版と大して変わらないくらいの感想なんだけど、やっぱりこれでも人気って出るものなんだろうか。個人的に一番好きな「Fate」の画面は、地上波版エンディングで風にふかれるセイバーです。やっぱりあのデザインは秀逸だよ。作品ほとんど知らないのにフィギュア買おうかどうか本気で悩んだもん。
というわけで、流石に封切り日や週末はキツそうだったので、平日の昼日中に観てきました、劇場版「なのは」。先日購入した「ささめきこと」のDVDがなんか不良品だったのでショップに返品・交換をお願いしにいったついでです。まぁ、どっちがついでかは定かでないけど。DVDの交換なんて割と無茶なお願いかと思ったけど、アニメイト店員さんは割とすんなり聞いてくれました。こういうときに社員教育の行き届いた店舗は助かりますね。
さておき、ちまたでは大きなお友達が大挙して押し寄せて話題騒然の劇場版「なのは」。公開4日目だというのにリピーター特典用のポイントカードが既に品切れ、オフィシャルグッズもあっという間になくなっており、既に嵐が過ぎ去った後のようであった。平日朝一の上映回(といっても11時くらいだけど)にも関わらず、客の入りは7〜8割といったところ。大体予想通りだったけど、やはりコミケとかにおっかなくて行けない身としては、同類項が肩寄せ合った空間はそれだけで脅威である。いや、そりゃまぁ、すっかり溶け込みますけど。 映画の内容については、全体的には概ね予想通りのもの。シナリオ知ってるし、どこがクライマックスで、どうやって見せるかを全部知ってるんだから当然っちゃぁ当然なのだが、だからといって観るだけ無駄ということは決して無い。全1クールの内容を過不足無くがっつりと2時間にまとめ上げ、劇場版独自の味付けもきちんとなされた良作だったのは間違いないだろう。序盤は作画が「おや?」と思う部分も無いではなかったが(何故かアリサたちが出てるシーンで妙になることが多かったような)、それでも中盤戦闘シーンを挟んでからの迫力と美麗な映像は文句なし。これぞなのはワールドと言える出来映えだ。 細かいシナリオについては特に書くこともないし、正直原作版を隅から隅まで覚えているわけではないので比較しての分析なんかもあんまり出来ないのだが(多分やってくれている人がどっかにいるだろうし)、敢えて個人的に気に入った部分を数点ピックアップしておこう。 まず、序盤の原作1話、2話にあたるユーノとの出会いと、初変身、初ジュエルシード捕縛までの流れ。思い返してみると、「なのは」が初めて放送を開始した時の第一印象は「これってさくらのパクりじゃねぇか」というものだった気がする。変身シーンが酷似していたというのもあるし、多分ユーノとケロのイメージが重なったんだろう。カードじゃなくて宝石を探すだけじゃん、というような適当な感想だったはず。しかし、本作の場合にはそうした「魔法少女」要素ははっきり言って全カット。冒頭から変身するのは「魔法少女」ではなくて「砲撃魔神」である。変身シークエンスも「コスチュームチェンジ」というよりは「武装甲冑」のイメージに近く、がっつんがっつん固まるバリアジャケットの硬質さに惚れ惚れしてしまう。もちろん、装着が終わればあくまで「衣装」なんだけど。そして新たにトリガーを付属パーツとして追加したレイジングハートにより、初っぱなからディバインバスター3連発。ほんと、小学3年生らしい姿はほとんど見せませんでした。 また、原作1話といえば新房演出の色がまだ残っていたり、食卓シーンからユーノ救出までの吉成演出がキチガ○じみているなど、すごいっちゃぁすごいがイメージが固まっていなかった印象があったのだが、今回はきちんと「なのは」に求められる要素を凝縮した草川版の「なのは」として非常にまとまっている。このテイストを維持してまた地上波版1クールでやってくれても面白そうである。 あとはなんと言っても戦闘シーンの壮絶さである。「なのは」は魔法少女作品のふりをしたバトルものなわけだが、劇場作品ということでそのクオリティアップが半端じゃない。相次ぐフェイト戦はサンライズも真っ青の銃撃、白兵戦を立て続けに展開し、特に最終決戦での必殺技の応酬は嫌が応にも手に汗握る。フェイトの特大必殺技に対抗するなのはのディバインバスター→スターライトブレイカーのコンボとか、元気玉を越えた必殺技。間違いなくクリリンになら勝てる。そういやコミックスではスターライトブレイカーは1期の後になのはが開発したことになってた気がするんだが、その辺はいいのかしらね。また、「バインドで押さえて砲撃」といったこの世界の定石がきちんと守られていたり、なのはとフェイトの2人がきちんと自分の攻撃特性を理解しており、それぞれが得意の戦術に持ち込もうとする戦術面も意外にきっちり描かれているのが嬉しい。本人のいう通りにこのバトルが「最初で最後の本気の勝負」だったわけだが、白い悪魔と化したなのはさんとフェイトさんがぶつかり合ったら、現在はどんな立ち回りになるのだろうか。時空管理局員でなくとも気になるところ。是非とも「リリカル・リターンズ」とかで誰かに書き下ろして欲しい。「スターライトブレイカー!!」→「なんのこれしき!」 ネタはさておき、メインストーリーでは当然フェイトが主役。泣かせる演出もなかなか堂に入っており、知ってはいるが思わず目が潤む。個人的には一番辛かったのはなのはとの戦闘中のフェイトの回想で、それがかりそめの記憶であり、プレシアが自分を全く見ていないと薄々気付きながらも戦い続ける健気さが辛い。被さるようにしてプレシアの独白が挿入されるが、それらが全てアリシアに向けられたものであると、知っているだけに視聴者にはキツいシーンである。もちろん、フェイトは生まれ育った環境の辛さがあるからこそ、なのはとの友情がかけがえのないものとなっているわけで、プレシアとの関係性が深く描かれる程、ラストシーンが引き立つというものだ。ただ、個人的にはラストよりもフェイトがなのはの救出に入ったシーンの「ふたりなら、できる」「うん、うん、うん!」のカットが一番泣けた。劇場だと遠慮無く鼻がすすれないのが唯一の難点。 最後に、劇場版男前ランキングを勝手に認定。3位は、ユーノ。序盤に何故か変身を解かずに淫獣モードのまま結界を展開してアルフと渡り合ったのは意外な見せ場。フェレット姿でポーズ決められるとなんとも微笑ましい。 第2位は、原作の時はそこまで印象が無かったアルフ。プレシアとの絡みのシーンは、今作に熱血キャラが少ないのでやたら映える。親子愛や友情の他にも、「忠義」っていうのも素晴らしいテーマである。そういや予想に反してリニスにも結構出番があったのだが、彼女の「忠義」も実に甲斐甲斐しくて涙を誘う。 そして第1位は、バルディッシュ。冒頭からしゃべりまくりで名伯楽っぷりを見せつけてくれたレイジングハートも勿論格好いいのだが、寡黙ながらも絶妙なタイミングで存在感を発揮するバルディッシュが今回格好良くて仕方ない。特に感じ入ったシーンは、失意にくれるフェイトが起ちあがったと同時に発光して必死に起動するシーンと、1回目のなのはとの共同作業で「ふたりなら、できる」と言われたとき、躊躇するフェイトを尻目に真っ先にフォームチェンジを始めたシーン。バルディッシュ、本当にマスター思いでいいデバイス。パンフレット買ったら中の人であるKevin England氏が顔写真入りで掲載されていたのだが、あまりのナイスガイっぷりに鼻血が出そうになった。 とにもかくにも、ファンとしては大満足の一本。リピーター特典はもらえないけど、機会があったら是非もう一度劇場に足を運んでみたい。 ジュエルシード事件でこれだけ泣けるなら、闇の書事件はもっとやばいよ。「1st」なんだから、当然「2nd」もあるってことだよなぁ! |
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