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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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「ぽんのみち」 5→4

 なんとも気にさせられる作品だった。何が気になるって、「大の大人が寄ってたかって企画会議とかしたその果てに、どこがどうなったらこういう作品が出来上がるんだろう……」という部分。

 この疑問は別に「なんやこのクソ作品」という揶揄ではなくて、ほんとに気になるんですよ。これを完成させて放送にまで至らせるまでにはたくさんの人の手が入り、たくさんのクリエイターの思惑が込められているはず。その「思惑」がどうにも分からない。どのような理念があったのかを妄想してみると、まず、「麻雀をテーマにしたアニメをやりましょう」という大前提からスタートしたとする。これは分かる。麻雀アニメがウケるかどうかは計算できなかろうが、これまでそこまで多くの麻雀アニメが作られたわけでもないし、新たな鉱脈を狙った挑戦としてはあり得る選択肢。「主人公をむさ苦しいおっさんとかじゃなく、女子高生集団にしましょう」、これも分かる。まぁ、アニメなんだし、過去の成功例を模倣して「女子高生麻雀もの」を始めようというのも安易ではあるが分かりやすいプランニング。「あまりひりついた勝負などを描かずに、いっそ日常ものにしてみては?」。これは面白い。どうしたって比較対象に「咲」が出てくるなら差別化要素になるだろうし、「日常系アニメ」というジャンルが大きな派閥であることも理解しているはず。「日常+女子高生+麻雀」、この足し算で新しいアニメを作ろうという発想に問題はなかった。

 ただ、だとしたら本当に「日常もの」としてのエッセンスを追求すべきであって、そこに余計な麻雀擦りが求められていたものか。ただでさえ「おっさんの趣味を女子高生にやらせてるだけ」なんて言われる作品が多い中、せっかく女子高生を集めてくるなら、出来うる限り「おっさん臭」は消した方がコンセプトには合致していたはず。にもかかわらず、1話目時点からなーんか気になっていた変なパロディ要素は毎週のように必ず打ち込んでくるし、そこを擦り倒すでもなく、ただ茫洋たる日常の中に、異物のようにゴロリと転がっているだけ。このデザインがどうにも不思議なのだ。何故、「日常もの」として確立させようとしていた空気を自ら壊すような方向性に持っていくのか。何故、無味無臭にして色を抜くことをよしとしなかったのか。その辺りがどうにも噛み砕けず、「変なアニメやなぁ」ということばかりが気になったのだ。

 別に作り手側に責任感がなかったわけでもない。大して目を引くようなもんでもないが映像のクオリティは低いものでもなかったし、巨乳女子高生たちの阿漕な日常を描くアニメとしてみれば決して悪いものではない。にもかかわらず、やっぱり途中でノイズが混ざる。「おっさん趣味」がダイレクトに顔を出す。そこを、どっかで止めてくれる人はいなかったんだろうか。……まぁ、これも1話目時点で感じていたことだが、多分「麻雀もの」をやる時の手癖というか、蓄積みたいなものって、結局は「過去の名作パロディ」に終始してしまうってことなんだろうなぁ。脱色したいという欲求がありながらも、どこまで行っても作り手側の「おっさん」を排除しきれなかったと、そういう結果だったのかもしれない。特に何かが残る作品でもなかろうが、なんかちょっと、もったいなかったな、とは思う。

 追伸:最後の最後で当て逃げみたいなノリでうえしゃま出すのやめて。

 
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