「放浪息子」 6→7
「アニメわ〜く」(ノイタミナ)内では、「フラクタル」というアクの強い作品の後に放送されていたために、「色々と悶絶した後の一服の清涼剤」みたいな扱いを受けていたこの作品だが、実際のところ、こちらの方が作品としての立ち位置はよっぽど特殊である。ここまで異形の作品を、しれっと「普通ですよ」とばかりにまとめあげ、完成させてしまったことについては、本来ならばもう少し話題にすべきことなのではなかろうか。
この作品の最大のポイントは、なんと言ってもその「アブノーマルさ」にある。女装男子と男装女子というモチーフは今の世の中には掃いて捨てるほど溢れているが、この作品ほど徹底してその禁忌としての存在に肉薄し、ギリギリの日常レベルにまで深度を落として描いた作品というのは無いように思える。主人公の修一にとって、「女の子になりたい」はごくごく普通の願望であり、周りのにもそれを否定する人間は少ない。同様に、高槻よしのの男装願望についても、それは「あって然るべきもの」として認識され、「それがあり得る世界」として、すべてが描出されている。そうした一種異様な世界を、モノローグの導入、独特の色彩、細かな人物配置、台詞の間による関係性の見えなどから、「日常世界」として成立させてしまったのが、この作品のぶっ飛んだところなのだ。水も漏らさぬ完璧な世界構築は、おそらく原作の純度に依拠する部分が大きいのだろうが、1本の「爽やか青春アニメ」というステータスを付与されたのは、間違い無くアニメスタッフの力である。あおきえいの手による「キャラクターの産出」は、本当に頭を抱えたくなるくらいに完璧だ。
以上の論旨は、一応の評価軸として用意したものなのだが、この作品の場合、本当にディティールの集合として巧さが表れるために、なかなか説明が難しい。そこで、多少卑怯な手段だが、同時期に放送された「君に届け」と比較して見るというのはどうだろうか。どちらも「青春ラブストーリー」であり、視聴後には軽やかな爽快感が残り、一つの物語を見た満足感が得られるのは同じ。個々の人物の心情描写が実に丁寧で、キャラクター達と一緒に泣いたり笑ったり出来る近しさも同じだ。しかし、この作品は「君とど」とは決定的に違う。爽子と風早は「普通の高校のクラスメートどうし」であるだけの、いわば「普通の世界」。しかし、この作品における面々は、全てにおいて性の概念が倒錯している。言い方は悪いが、周りにこんな連中が居たら、間違い無くドン引きだろう。しかし、アニメを見ていると、そんな異物感がどんどん薄れ、最終的には「青春ラブストーリー」に帰着できるのである。これだけの「毒抜き」「ごまかし」は、よほどの注意力が無いと出来ない荒技なのである。本当に、お見事でした。
最後は中の人の話。終わってみれば、修一役のリアル中学生・畑山航輔君は、立派に与えられた仕事を全うした。今後の活躍を期待してみたい気もするのだが、あんまり声優志望じゃない気がする。とにかく頑張れ。あとは周りを取り囲む豪勢な面子にも満足でした。南里侑香が久し振りにメインを張ってくれていたのは嬉しかったし、豊崎・水樹・堀江といった花形が独特の白い画面を賑わせてくれたのは眼福もの。でも、一番楽しかったのは、千葉紗子が作中でしょっちゅう「千葉さ〜ん」って叫んでたこと。「お前や」って何回も突っ込んだ。
PR