ただ本当に、ありがとう。第45話。もはや何も語るべきではないのだろうけれど、感謝だけは表しておかないとね。この「わんだふるぷりきゅあ」という作品が伝えるべきメッセージが、紡ぐべきドラマがここに結実している。
情緒だけで言ったら、先週よりもさらに号泣させられるお話になっている。そりゃそうだよ。先週の話だってもちろんグッとくる「命のドラマ」には違いないが、我々視聴者はいろはと違ってフクちゃんとは長年の付き合いはない。お別れのドラマにしても、まだ頭で理解して処理している部分はあったはずだ。しかし今回は違う。数ヶ月付き合ってきたトラメという明確なキャラクターがおり、彼との決着をつける話だったのだ。悲しくないはずがないけど、それ以上に、彼の迎えた結末が嬉しくないはずもない。この結論に辿り着けたのなら、いろはもきっと大丈夫だろう。
今回の構造が素晴らしかったのは、挑戦を続けるプリキュアというシリーズの、その挑戦そのものが見事な形を成したからである。元々「戦闘しないプリキュア」という概念には賛否あった部分で、ただ浄化のみを目的とした変身と戦闘という構成は、プリキュアの制作理念に反するものではないかという考えもあったはずだ。しかし、最終的に辿り着くべきテーマは作品ごとに異なっている。わんぷりが伝えるべきテーマは強さを超えた優しさ。そして愛情を経た上での幸福にある。いがみ合う思想がぶつかり合う要素はあくまで過程でしかなく、その上でプリキュアという存在が導き、与えるべき結論さえ堅牢なものであれば、それは立派なヒーローであるのだ。
今回、メエメエを通じてニコガーデンに全ての動物たちが回収されたという衝撃の事実が伝えられた。ラストに残ってたのがティラノサウルスだったというのはちょっと驚きだが、とにかくこれにてニコガーデンの心配事はなくなり、同時に、ガオガオーンの生産上限という前代未聞の事態に陥った。敵組織のモンスターが正式に「打ち止め」になるというのはプリキュアシリーズにおいて稀有な状態であり、残る数話でもうガオガオーンは登場しないと明言されたのだ。ますますバトルの要素はなくなり、浄化の必要すらなくなったプリキュアたち。その変身はなんのためにあるのかと言われ、ただ融和のために使われたのである。この振り切り方は、わんぷりという作品の骨子が信頼できなければ選べなかったものだろう。戦闘も何もなく、ただいがみあっていた相手と交流するためだけの変身。そしていろはは思い出した。「自分が変身したのは、ただこむぎと同じ景色を見て、同じ速さで走りたかったからだ」と。最初から、プリキュアに戦う目的などなかったのである。こむぎはただ「一緒に遊ぶ」ため、そしていろははただ「相手の声を聞く」ため。そのためのプリキュア。新たな世代の新たなヒーロー像が、ここで確立した。
前回の一件ですでに心の整理はついていただろうトラメ。純粋な彼にとって、ガオガオーンは最後に残された「犯行の理由」だった。黒く染まった卵に込められた力は、彼が後押しすべき「過去の遺恨」の残り滓。それがなくなった今、ガオウの存在こそ気がかりではあろうが、彼が満たされれば後に残す不安はほとんどない。そして、交流を通してプリキュアたちこそが「ガオウを託すにふわさしい連中」だと確信することができた今、彼もまた魂の安寧を得ることができた。再びこの世から消え去ることに寂しさはあるが、新しくできた「友達」に見送ってもらえるなら、そのガルガルした心も消えようというもの。「浄化」は「手向け」となり、やんちゃな狼はあるべき場所へと還っていった。
そんなトラメから言葉をもらえたことで、いろはの中でも何か決着がついた。別れは辛い。別れは悲しい。それは紛れもない事実であるし、ペットだけではない、人と人との関わり合いにだって、絶対に別れはついて回る。しかし、その一時の悲しさのために全ての関係性を否定することなんてあり得ない。今ある楽しさを、今ある温かさを大切にし、「わんだふる」を少しでも増やすために、日々を大切に生きて行くしかないのである。そして、そんな時間を共有してくれるたくさんの友達が、いろはの周りには揃っているのだ。友情を伝え、友情を知るプリキュア、キュアフレンディ。寄り添い続ける彼女の周りから、笑顔が絶えることはないだろう。
……それにしても本当に幸せな世界であった。いろはちゃんの場合はいろんな「愛情」を一身に受けているのが素晴らしくてね……。悟のさぁ、「嘘をつくのは下手なのに、元気なふりはとてもうまい」っていう分析が憎らしいよねぇ。ちゃんと見てるじゃん男の子。愛する人の一番の弱さを、きちんと守ってあげられる男になってくれ。まぁ、まだちょっと周りの手助け(おせっかいフレンドのお誘い)は必要かもしれないけどね。
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