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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 引き続き、重くて苦しい話が続いております第13話。一応2クールの半分を超えてエンディングがさし変わったりしているのですが、なかなかこの作品で「心機一転!」ってなことにはなりそうもないですね。

 今回も主な話題としては2つのパートがあるので、それを分けて見ていこう。まず、前回からの引きで行われた、冠葉と渡瀬の対話を中心とした陽鞠の復活劇。「復活劇」とは言ったものの、これまでのプリンセスのような劇的な登場は一切なく、静かに息を引き取ったと思われた陽鞠が、ゆっくりとバイタルを回復していく様子を描いたもの。そこに至るまでには、謎の図書館司書・渡瀬と、命がけの冠葉のどこかかみ合っていないような何とも据わりの悪い議論が展開されていく。

 渡瀬が持ち出したのは、トランクにいっぱいのリンゴと、そこから転化した謎の「新薬」。真っ赤なアンプルを注入することで、一時はマイナス(?!)に落ちていた陽鞠の生命状態はゆっくりと戻っていった。しかし、それはあくまで一時しのぎにしかなっておらず、晶馬が語る「メリーさんの羊」の寓話では、これは女神が「更に罰を与える」ために施したものであることが暗示されている。渡瀬はアンプルのことを「御伽話でいうところの王子様のキスのようなものだ」と言ったが、キスで目覚めた白雪姫が昏倒する原因となったのが毒リンゴであることも周知のこと。また、リンゴはアダムとイブが手にしてしまった知恵の木の実、禁断の果実としての含意もあるのだろう。今回は、トランクから姿を現した後も、至る所でリンゴが象徴的に用いられるようになっており、この作品における「リンゴ」の占める位置が少しずつ大きくなってきている。

 確認してみると、まずは真っ赤なアンプルになった生命の象徴たるリンゴ。倒れ伏した陽鞠の足下にも同じように置かれており、「命」が陽鞠に移ったことが語られている(息を吹き返した陽鞠の足下からはリンゴが消えている)。これは、後に3年前の回想シーンに入った時、ずっと高倉家の玄関に置かれた3つのリンゴとも符合するかもしれない。このタイミングにおいては、まだ高倉家で何も知らずに平和に暮らしていた3人の子供達がおり、その生命力が3つの真っ赤なリンゴの存在によって引き立っている。

 また、リンゴは渡瀬と電話で会話した夏芽の家にも見られた。こちらのリンゴは、ウサギ型に加工されており、小さくなっているおかげであまり「生命」というイメージは湧かない。むしろ、リンゴ型に加工された2対の剥きリンゴは、2羽のウサギとの対比が顕著で、夏芽と渡瀬の立ち位置の妙が現れているようにも見える。現時点では、渡瀬は夏芽よりも明らかに上におり、「実際に動く生命を宿したウサギ(時に人間に化ける)」の所有者である渡瀬と、「リンゴで作られた偽のウサギ」しか持たない夏芽の差別化が、リンゴで語られているようである。ちなみに、作中で最も目立つリンゴである荻野目苹果については、今回父親との関係を処理し、どこか浄化されたようにも見えた。彼女が一足先に受け入れた「運命」は、運命の観測者たる渡瀬の調査対象に入っていたのだろうか。

 渡瀬の存在は、現時点においてはやはりまだ謎が多い。途中、無限の図書館で独白した彼の言葉からすると、どうやら渡瀬はプリンセスと同じ次元に立つものであることだけは想像出来る。ピングドラムを探せと命じるプリンセスと、彼女に命じられた高倉兄弟に「一緒のピングドラムを探そう」と持ちかけた渡瀬。プリンセスは兄弟に「何者にもなれない」と宣告し、渡瀬は「運命は本当にあるのか」を探求している。「運命」に翻弄される高倉家は、プリンセスと渡瀬の、どちらにとって都合の良い存在となっているのだろうか。

 渡瀬を巡るあれこれと並行して際立つ2つ目の見せ場は、「犯罪者の子供」としての高倉兄弟の描写である。両親を待つ、ごくごく日常的な風景が突然破壊され、警察の介入によって両親と別れることになってしまった3兄弟。まだ幼い彼らに現実を受け入れられるはずもなく、子供達は必死に両親の無実を訴えるだけだ。しかし、作品の外殻を見る限りでは、どうも高倉夫妻が11年前の事件に荷担していたことは紛れもない事実であるようだ。「凶悪犯罪の主犯格の子供達の物語」というのは、少なくともこれまでのアニメ業界の中では見たことが無い視点の物語で、何ともやるせないスタンスや、それでも信じ続けたいという子供らしい純粋さが、視聴者の胸をギリギリと締め付ける。これまで3ヶ月にわたって、我々は幸せな高倉家の様子と、回想の中の優しそうな両親を見ている。つまり、冠葉や晶馬と同様に、「あの両親が犯罪に手を染めていたなんて」という、受け入れがたい残酷な真実を突きつけられる形になっているのだ。こうした作劇は今まで無かったものなので、新鮮である反面、なかなかに辛いものである。

 しかも、この「凶悪犯としての両親」が、もっと下世話に、近しく描かれていればどこかに落としどころもあるのだろうが、今回のエピソードにおいて、高倉夫妻は異様とも言えるくらいに「存在が無い」。回想シーンに優しかった両親が出てくるわけでもなし、実際に犯行に手を染めた後に必死に警察から逃げる描写があるわけでもなし。苹果がわざわざ多蕗に高倉夫妻のことを尋ねに行ったのだが、被害者の友人という「生々しさを持つ」はずの関係者の口からも、「現実感がなく、目の前に彼らが現れたとしても、怒りが湧くのかどうか」というぼんやりしたこたえ。そこには「凶悪犯としての人物像」が描かれていない。

 付け加えるなら、前述した「高倉家に存在していた3つのリンゴ」も象徴的であり、あの回想において、既に3年前の時点で、高倉家には冠葉たち3人しか存在していないかのように描写されており、両親の存在は徹底的に排除されている。これは単なる作画のミスなのかもしれないが、健気に両親を待つ3人の子供達がちゃぶ台を囲む位置取りが、明らかにおかしいのだ。たくさんの料理が置かれているのは、決して大きくないちゃぶ台である。両親が仕事から戻って「一緒に食事を摂る」ことが家訓であるなら、大人2人分、それなりのスペースがちゃぶ台に空いていないとおかしいはずなのだ。それなのに、子供達は何故か均等に90度ずつの角度で席に着いている。そこには「残り2人の家族」が着席できるようには見えず、既に「3人だけの高倉家」と同じロケーションになってしまっているのである。「消えた両親」は、これから先で何を語り、何を隠すための存在なのだろうか。

 現時点において、「多分、これって2クールですっきりすることは無いんだろうな」というある種の覚悟は出来つつあるのがこの作品。何が起こっても不思議じゃないが、何も起こらなくても不思議じゃない。これだけの重苦しさと「きつさ」を伴った作劇がこれからも続いて行くのだとしたら、もう、それだけで1つの完成品だ。

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