「キルミーベイベー」 5→5
はっきり言うとね、この作品ね、途中で「飽きた」んですよ。1話は色んなところのインパクトで心をもぎ取った飛び道具みたいな作品だという印象だったのに、同じ刺激がずっと続いたら人間は慣れてしまうわけで、中盤は割と「飽きたな」と思っていたんです。
でもね、これって正確には「飽きた」じゃないな、ということに気づいたのはしばらく後でしたね。正確には「馴染んだ」というべきだったのかもしれない。あの世界に、やすなのボケに。エトセトラガールズに。そうなると、後はダラダラ見続けても不満が出ない、まさに「日常もの」4コマの世界。いや、この作品のギャグは決して「日常もの」ではない気もするんだけど、他に表現のしようもないし。要所要所で良い感じに抜いたボケを詰め込んでいくショートショートスタイルは、全体を覆う徹底的な緩さにベストマッチしており、「つまらないと思う」ことすらも放棄させてくれたんだと思います。
そうして改めて見ると、やっぱりこの作品は危篤だ。何せ、ほとんどのシーンがやすな達の教室、しかもやすな達が座っている後列窓際ポジションがほとんどだ。周りにはクラスメイトの姿がなく、ほぼ2人だけで会話しているだけ。おかしいだろ、これ。いくら「ひだまり」でも「Aちゃんねる」でも、もう少し変化はあるわ。どう考えても保たないもの。それでも、この作品は保たせてしまっているんだ。クラスメイトがいなくたって、背景を適当にごまかしたって、ボケの質自体がそこまで高いわけじゃなくたって、見ていて不快にはならないのだ。不思議なもんだなぁ……
個人的には、やっぱりエトセトラガール・ボーイの働きが大きいと思っており、「カマキリです」を挟み込むタイミングが実に味わい深い。こういう形の尺つなぎ、空気抜きって、本当に作り手側のセンスですよね。いくら新井里美とチョーさんが頑張っても、ちぐはぐな内容だったとしたらやりようがない。「思い切り脱力できる風」に用意された間尺だったからこそのエトセトラである。結局この作品は、「やすなとソーニャ」成分とエトセトラ成分だけで出来ているのだなぁ。あぎりさんは調味料程度、没キャラは……いいや、別に。
というわけで、本当に少数精鋭でお送りした謎の作品でした。やすな役の赤崎千夏は、これのおかげではっきりくっきり声を覚えることが出来ました。今作が成立した大部分は彼女の手腕によるものです。また、相手役を果たした田村睦心も、望まれたことをきちんと果たしてくれたし、どうなんだろうと不安だった高部あいによるあさぎさんも、聞けば聞くほど癖になる「あさぎ節」がお見事。あまりにも独創的すぎて、この人が他の役にキャスティングされて成功するかどうかが全く想像出来ません。
どこまでいっても唯一無二。すごい作品になったものである。わさわさ。
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