<以下の文章は、放送当時に執筆されたものである>
○第9話「はぐれ稲荷」
脚本・鈴木雅詞 絵コンテ・小滝礼 演出・高村雄太 作画監督・胡陽樹
<あらすじ>
賽河原中学2年生、稲生楓は最近「こっくりちゃん」と呼ばれるようになった。昔から地味で空気のような存在だった彼女だが、中学に入ってからオカルトを始め、自分を守護するはぐれ稲荷の「ゴンさん」の力を借りるコックリさんを学校でも行うようになったらしい。1つ上の学年のゆずきと秋恵達の耳にもその噂は届くが、同じ小学校出身の秋恵は、楓のことはほとんど記憶に無いという。
友人の失せ物を見つけたことで、こっくりちゃんの名前は知られ始める。ある日、隣のクラスの知り合いに、「セクハラでムカつく教師を呪ってほしい」という依頼を持ちかけられる。「呪いなんてやったことがないけど……」と渋る楓だったが、「出来ないの?」と威圧されると、思わず「そう言うわけじゃ……」と口ごもる。必死の説得に押し切られる形で呪いの話を受けてしまった楓は、その夜書物で読んだ適当な呪いの儀式を一応は試みる。
次の日、呪いの相手となった教師が階段から転落して大怪我を負った。依頼を持ちかけた生徒は大喜びで楓にお礼を述べにくる。その話が瞬く間に学校中に広がり、「呪いを使える生徒がいる」ということで、こっくりちゃんは一躍時の人となった。彼女のもとには数々の依頼が舞い込み、下駄箱には依頼状や感謝の手紙が溢れるようになった。ゆずきのクラスの男子も、そんな噂にのって「誰を呪ってやろうか」という算段を始める。「地獄少女なんて面倒だよな、断然こっくりちゃんだよ」と。あきれ果てた秋恵は「呪いなんてあるわけないし、コックリさんなんてペテンもいいところだ」と男子生徒を馬鹿にするが、そんな彼女の上に、突然棚の上の荷物が落下し、秋恵は怪我をしてしまう。「こっくりちゃんを、楓を馬鹿にしてしまったから、呪われてしまったに違いない」。秋恵までもが青ざめた顔で悩み始める。
そんなある日、幸せのただ中にいる楓に目を付けたのは、隣のクラスの女生徒、西野千鶴だった。柄が悪くクラスの女番長的立場の西野も、噂を聞きつけて彼女に依頼を持ち込んできたのだ。これまで散々地味だのなんだのと馬鹿にしてきたことを謝り、彼女の持ちかけた依頼は近所の大学生を呪い殺すこと。何でも、千鶴はずっとストーカー行為をされて困っていると言う。流石に殺すとなると戸惑ってしまう楓だが、千鶴が「あたしが馬鹿にしてたからって出来ないっていうの?」とすごむと、結局は押される形で承諾してしまう。
放課後、楓のもとに秋恵が駆け寄り、「あなた、私を呪ったりしてない?」と単刀直入な質問をぶつける。楓が慌ててそれを否定すると、ゆずきも秋恵も安堵に胸を撫で下ろす。ゆずきは「呪いなんてやめた方がいい」と諭すが、楓は「先輩には関係ない。私は、もう昔の私ではない」とかたくなな様子。ゆずきの不安が募る。
その夜、楓は自作の呪い装置を整えると、千鶴に言われた通りに大学生の写真に向かって死をもたらす呪詛を吐く。万全の状態で挑んだのだから、ゴンさんは応えてくれるはずだ。
次の日に楓が登校すると、廊下できくりとすれ違う。「人を呪わば穴二つ」とあいの台詞を引用したきくりは、楽しそうに笑いながら彼女の前から姿を消す。楓の話は、四藁の間でものぼっていた。本物の妖怪達の見立てによると、彼女の「呪い」はただの偶然、もちろん、はぐれ稲荷のゴンさんなどというものは、全て彼女の思い込み。偶然が重なって起こったことが、いつの間にか尾ひれ背びれがついてこっくりちゃんを生み出してしまったのだという。
数日後、不機嫌そうな顔の千鶴が楓に詰め寄る。「あの大学生に何の変化もない。わたしの頼みだからって手ぇ抜いてるんじゃないの?」と。「呪い殺したことなんて無かったから、時間がかかっているだけ」と取り繕う楓。慌てて帰宅すると、自分がより強いと信じる呪詛で必死にゴンさんに願をかける。しかし、何をやっても効果は出ない。しびれを切らした千鶴は、「もう頼まないし、全部インチキだったって言いふらしてやる」と楓に怒声を飛ばす。「こっくりちゃん」としての地位を失うわけに行かない楓は「次こそは」とすがりつき、千鶴は「これが最後のチャンス」と冷笑を浮かべる。
楓のとった最後の選択肢は、御百度。山の上の神社の連ね鳥居を100回往復し、ボロボロになりながら最後の呪詛を発する。クタクタの状態でターゲットの大学生のアパートに向かった楓は、何事もなかったかのように生きているターゲットを見て愕然とする。自分に出来るすべての手を尽くしたのに、呪詛は届かず、ゴンさんは応えてくれない。千鶴からの確認の電話が鳴り響き、追い詰められる楓。鳴り響く携帯電話を見て彼女の頭をよぎったのは、本当に最後の選択肢、地獄通信だった。
携帯から地獄通信にアクセスした楓は、「よかった、これであんな思いをしないですむ」と歓喜し、あいの説明を一切聞かずにあっという間に糸を解く。「みんな見て、私が殺した、私が殺したのよ。もう誰にも空気なんて言わせない。私がこっくりちゃんよ!」。歓喜にむせぶ楓に、あいはぽつりと「人を呪わば穴二つ」。
例の大学生は消えた。礼を述べにきた千鶴に、楓は「良かったね、ストーカーがいなくなって」と余裕の返事を返す。しかし、千鶴は悪びれた様子もなく、「あぁ、あいつはストーカーでも何でもない、単にキモいだけの気に入らなかった奴」と言ってのける。
罪も無い他人を殺したという事実に立ち尽くす楓。そんな彼女に、千鶴は耳打ちする。「次に呪い殺して欲しい奴がいるんだけど」。
胸の刻印に、2つ目は無い。
<解説>
今回の地獄流しのメインプロットは「自己保身」。そこに「信仰」というもう1つの要素が絡み合い、1人の少女の堕ちて行く様子が描かれていく。スタッフ欄を見て分かる通りに、今回も小滝礼のコンテ回である。視聴している時には、中盤まで淡々と進んで行くのであまり意識してはいなかったのだが、後半の怒濤の展開は、いつものように手に汗を握らされることになった。流石に学習してきたので「ひょっとして小滝さんっスか?」と思ってエンディングを迎えたら、案の定であった。今のところ、この人の担当回は本当にはずれがないです。
1つ目のキーワードである「信仰」だが、あらすじでは分かりにくいのだが、稲生楓の中にいるはぐれ稲荷の「ゴンさん」は、彼女にとっては実在している(「ゴンさん」という名前は、今回の結末における「誤解による無益な殺生」と「ごんぎつね」をかけたものである……かどうかは定かでない)。どのような経緯で「ゴンさん」と出会ったかは描かれていないが、たまたま友達の失せ物を見つけた時には、彼女は心の底からゴンさんに感謝しており、自室に用意した簡易式の社(といっても小さな棒で鳥居の形状を形作っただけのものであるが)に向かって丁寧に手を合わせている。ちなみに、この最初の失せもの探しの時のコックリさんの結果も、単に「四角い箱の中」という言葉を提示しただけで、友達が自宅のタンスからアクセサリーを見つけたのは単なる偶然。次の段階である「気に入らない教師に呪いをかける」というのも、本当に偶然の不幸が起こっただけで、楓からしたら、逆に「そこまでゴンさんはすごいのか」と驚く結果となった。実際、呪いが成功したと聞かされた時にも、「あんなので効くんだ」と漏らしぽかんとしている。
あとは噂の一人歩き。「呪いをかけた人間がいる」「呪いにかかった人間がいる」という事実さえあれば、あらゆるものが「こっくりちゃん」という発信源を動機とした超常現象として受け取られる。当初は否定的だった秋恵が、自分の身に不幸が降り掛かった途端に呪いにおびえ出すのも、学校全体を包んでしまったある種の空気みたいなものの被害といえるだろう。この手の集団ヒステリーじみた状態は、2期の紅林拓真編に通ずるものがある。
しかし、大きな違いは、紅林拓真(地獄通信)は本当だったが、ゴンさんは単なる「信仰」でしかないということ。普通の世界ならばどこまで行っても「ゴンさんはいるかもしれないし、いないかもしれない」という宙ぶらりんの状態で話が進むところだが、この世界にはその道の専門家が集まっているのだ。四藁達からゴンさんが存在しないことが視聴者に報告され、ここから楓の転落が始まる。「ゴンさんの不在」が確定した時点でわざわざきくりをメッセンジャーとして送り込むという構成も念が入っていて、視聴者にも、そして楓本人にも、「これ以上進むときくりが喜ぶ状態になる」、つまりは不幸な結末しか残されていないことが暗示されている。
実際、彼女の持つ呪詛は、当然のごとく何の効果も発揮しない。こうして「ゴンさんに裏切られること」で、楓の中のゴンさんを拠り所とした「信仰」は「自己保身」へと傾くことになる。結局、楓の「信仰」の根本にあったのは、「コックリさんを行うことでアイデンティティが保たれ、コックリさんがあるうちは、自分が今の自分でいられる」という、完全な自己回帰型の信仰。そうした「保身」のためだけに存在していた「ゴンさん」は、悉く呪いが不発に終わることで次第にその存在が薄らいでいく。楓は最初、自室でいつもの儀式の延長として「死の呪い」に初挑戦するが、これが効かなかったと分かった次の行動は、「ゴンさんにお供えをすること」だった。「スーパーで一番高い油揚げよ」と小さな鳥居に供物を差し出すのだが、これも不発。そして、その次の行動は学校の片隅で土人形を作っての呪詛。片手にはオカルト系の本が握られており、この行為は、既に「ゴンさんへの依頼」ではなく、純粋な「相手を殺すための呪詛」でしかない。
千鶴に恫喝されているのを遠巻きに見ていた友人が「最近西野さんと仲がいいのね、これもゴンさんのご利益かしら」と聞いてくるのだが、楓はぎこちない笑顔で「そう、ご利益」と答えている。友達でも何でもない、恐れの対象でしかない千鶴との関係を「ご利益」と嘯いてしまった時点で、楓の中のゴンさんは既に大切なものでないことは明白だ。そして、最後は自室の鳥居では不十分とばかりに、本物の稲荷大社へ御百度を踏みにいくのだ。もちろん、ゴンさんは「自室の鳥居」を社としていたはずであるから、この御百度は、ゴンさんへの供物の意味は持たない。「はぐれ稲荷」に見切りをつけて本物の「稲荷」に助けを求めた動機は、純粋な「殺意」であり、純粋な「保身」である。
そして、この御百度から地獄流しへかけての構成が、小滝礼が本領を発揮した怒濤のパートとなっている。御百度を完遂し、最後の力で呪を唱えた楓は、ターゲットが生きているという現実を突きつけられ、深夜の路上で狂ったように写真に櫛を突き刺し続ける。「死ね、死ね!」と叫び続けるその姿は鬼気迫るものがあり、過去にも類を見ないほどのむき出しの殺意の現れ。そして、このシーンでふらついた楓がポケットの中の鳥居(つまり、ゴンさんの依り代)を壊してしまうのは非常に明確なメタファーとなっており、彼女にとって、ポケットの中に携えていたはずの「ゴンさん」は既に無用の長物となっていた。「信仰」が消え去り、残った保身のための「殺意」を解決するのが地獄通信。夕暮れの岡を訪れた楓に、骨女は「やっぱり、こうなっちまうんだね」と寂しげだ。
あいの説明を待たずに糸を解く楓。彼女のむき出しの「殺意」は、ここでついに「保身」を超える。代償を支払うこと、自分が死後に地獄に行くことも、今の彼女の殺意の前ではちっぽけなもの。「私が殺した!」と狂喜する彼女に残されたものは、目的も、そして手段すらも見失った、ただの殺意だけであった。「空気呼ばわりされていた昔の自分に戻りたくない」という「保身」の願いはもちろんあったろう。しかし、そこで地獄通信を使うことが何ら保身になりはしないことくらい、少し考えれば気付いたはずなのだ。ラストシーンの千鶴の耳打ちは、どんな視聴者だって予測出来る。しかし、彼女の暴走は「考えること」、つまりは保身の一手すら許さず、「ゴンさん」という形から生まれた彼女の「目的達成のための手段」は、いつの間にかその目的を変え、いびつな結果だけを残してしまったのだ。
ご丁寧に、「危険が迫る友人のために手を汚した」という自己保身の言い訳すらもラストシーンで打ち砕いてくれる念の入れようには感服する。一人の少女が滑稽なまでに転げ落ちるこの鬱ストーリー、巧緻なコンテ・演出を是非確認していただきたい。
今回は地獄コントもないのでサブでチェックする要素も少ないのだが、誤った信仰、誤った復讐に警鐘を鳴らすゆずきの心情も、この話では細かく描かれる重要な要素である。自らの願望、「変わる手段」として呪いを行う楓の存在は、自分がまったく望んでいないにも関わらず「地獄通信」という呪詛の一端を担わされるゆずきにはどう映ったのだろうか。「呪いなんてやめた方がいい」というのは、楓に向けての言葉だったのか、それとも自己に内在する閻魔あいへの願いだったのか。
そうそう、ゆずきのクラスで「今の流行はこっくりちゃんだよなー、地獄少女とか面倒臭そうだし」と話していた男子生徒は、2話でゆずきの机に藁人形を入れるという手間のかかるな悪戯を企てた2人組。こいつら、ひょっとしてオカルトマニアか?
今回のキャストは、こっくりちゃんこと稲生楓役にささきのぞみ。デビュー直後よりは形になってきたようだが、まだちょっと声優の演技というのは憚られる状態。まだまだ精進が必要であるな、と、みさかはそっちょくなかんそうをのべるのです(棒読み)。そして今回はターゲットとなった大学生は一言も喋っていないのだが、そんな可哀想な被害者を流した張本人である西野千鶴役には、「お前、そのまんまじゃね?」と思ったオタエリこと喜多村英梨。今まで聞いた中で、一番地声に近い役だった。ほんとにこの子は物怖じしないよな。現代っ子現代っ子。ちなみに彼女は「乙女のアルバム(2期20話)」でゲスト参加しており、今回2度目の登場。まぁ、うまい人はガンガン使ってもらって構わないですけど。
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