<以下の文章は、放送当時に執筆されたものである>
○第23話「日暮れ坂」
脚本・根本歳三 絵コンテ・藤原良二 演出・高村雄太 作画監督・胡陽樹
<あらすじ>
ゆずきのクラスにいじめが起こっていた。いじめられているのは水原文男という男子で、いじめている3人組のボス格は松田友秀という。クラスメイトも彼らのことは気になるが、いじめっ子グループのとばっちりを食いたくないために、みんな見てみぬふりをしている。ゆずき達のグループも、水原達のことは気になっていたが、もう受験も差し迫ったこの時期に、余計な面倒は避けたい。なにより、ゆずきは自分自身のことで頭が一杯だった。今日も保健室に通い、つぐみに自分の心情を吐露する。
暴行や恐喝などの被害に遭ってはいたが、水原はどこか緊迫感の無い少年だった。成績は優秀だったために他の生徒に先駆けて名門校への推薦入学が決まったことを担任に告げられて素直に喜色を表し、両親に報告を入れる。まだ他の生徒は受験があるのだからあまりおおっぴらに喜ぶな、と釘を刺した担任は、ついでに水原のつけていた高価そうな腕時計にも難色を示す。家が裕福なのは構わないが、中学生には不釣り合いだと。注意を受けた水原はいくらか不機嫌そうにはなるが、そこは素直に頷いた。そしてそんな様子を、教室の外で松田が耳にする。
合格祝いに浮かれて高価なビデオカメラを父親から送られる水原。しかし、そんな恵まれた家庭と対照的なのが、松田の家庭だった。彼の家は母子家庭で、貧しいながらも妹と母親、三人で暮らしている。大好きな野球を続けるため、本来ならば高校に進学したかったのだが、家庭の事情を鑑みるとそんなことも言っていられない。悩みながらも就職すること迫られている松田にとって、全てにおいて恵まれ、大した目的も無く理想の高校に進学の決定した水原はこの上なく腹の立つ存在だった。
翌日水原が早速ビデオカメラで遊んでいると、運悪くいじめっ子集団に出くわしていつものように囲まれてしまう。また痛めつけられることを恐れた水原は、とっさに「そのビデオカメラをあげるから許してよ!」と懇願する。いじめっ子連中はその言葉にはしゃぐのだが、こうも簡単に高価なものを手放して難を逃れようとする水原に、松田はさらに怒りを覚える。苛立たしげに水原を睨み付けると、松田はそのままビデオカメラを奪ってその場を後にした。その夜、いわれの無いいじめに困り果てた水原はついに地獄通信に手を出す。松田の名前を書いて藁人形を受け取るが、「人を呪わば穴二つ」の条文を聞いて尻込みする。「何でいつも僕だけが!」と訴えるが、あいは「本当にあなたは誰も傷つけていないの?」と意味深な言葉を残して消え去る。その様子は、いつものようにゆずきの視界にも送られていたが、ゆずきは極力地獄通信のことは忘れようと、見ぬふりをして受験勉強を続ける。
ある夜、松田は幼い妹に「兄ちゃんは高校に行って野球選手になって」と言われて揺れる。自分の希望も、妹の願いも、進学ではある。しかし家庭の実情を考えると、やはり就職しか無い。何しろ、父親がいなくなったのは松田自身が過去に地獄に流したせいなのだ。妹や母のことを思えば、せめてもの罪滅ぼしは、少しでも早く自立すること。幸せそうな妹の寝顔を見ながら、松田は高校への夢はすっぱり諦める決意をする。進学を諦めた松田は、成り行きで奪ってしまったビデオカメラを返すために、水原の家へと向かうが、そこでたまたま水原の両親との会話を聞いてしまう。「高校なんて大学の繋ぎだし、よく分かんないけど行くだけ」。何の悩みもない水原を見て、松田の苛立ちは限界を超える。
「何で僕をいじめるのさ!」 何も分からない水原に殴り掛かる松田。「自分の胸に聞け!」と叫ばれても、水原にはこれっぽちも身に覚えが無い。身の危険を感じた水原は、松田の前でついに藁人形を取り出す。かつて自分も父親を地獄に送ったことのある藁人形を見て、松田は全てを理解する。「そうか、お前もそうか。面白い、やれよ。地獄へ流せ」。水原を挑発してにじり寄る松田。「覚えておけ。俺を流したっててめぇの人生は何もかわりやしないのさ。絶対にな!」 鬼気迫る松田に恐れをなした水原は、とっさに糸を引いてしまう。いじめっ子達の眼前で、松田は煙のように消え去った。
翌日、教室では消えた松田のことが話題になる。全てを目撃していたいじめっ子の取り巻き達は、「松田が目の前で消えてしまった。全て水原が地獄少女に頼んでやらせたんだ!」と叫ぶ。あげく「お前らも誰かを流すつもりなんだろう」とヒステリー気味になり、教室は一時騒然となる。そんな騒ぎの中でも、ゆずきは微動だにしない。
色々あったが、いよいよ受験当日。ゆずきは仲間達と一緒に無事に受験を終え、疲れた身体で町の中に足を踏み入れる。しかし、町にあふれる雑踏の中、ゆずきの眼前には過去に地獄流しを行った者達の姿が映る。そして、目の前に現れるのは閻魔あい。無視を続けようとするゆずきに、あいは「まだ逃げるつもり?」と問う。「人が怨むことも、怨まれることも止められない。地獄は人の中にある。だったら地獄通信なんて意味が無い。もう放っておいてくれればいい。私は普通に生きたい」と訴えるゆずき。しかし、必死に叫ぶ彼女を見て、あいは一言「でも、あなたは私を憎んでいる」と指摘する。「私を地獄に流したいんでしょう」と。頭の中には鈴の音が鳴り響く。
訳も分からず自宅に逃げ帰るゆずき。彼女が行き着いた自宅のドアは、何故かボロボロに朽ち果てている。門前ですれ違った近所の人は、「あら、あの子……」と不思議そうな顔をする。
桜のイメージが、ゆずきの脳裏を過ぎた。
<解説>
一応地獄流しのエピソードを組み込んではいるが、いよいよもってラストスパートに入った「ゆずき編」の佳境。色々と想像出来て楽しい上に、ファンにはたまらないサービスなんかもあるので色々見ていきたい。
まず、今回のメインプロットのこと。まぁ、既に添え物のような扱いな気もするのでどちらがメインなのか定かじゃないのだが、一応いつも通りに水原君と松田君の事件についても触れておかなければならないだろう。今回のエピソードを一言で言うなら、「演出は上々だけど脚本はイマイチ」。演出のうまさは、極限まで不必要な部分をカットした上でメッセージ性を込めようとした構成に現れている。例えば松田の生い立ちの中で「父親」という存在がすっぱりカットされている。話の筋を追えば「松田が実の父親を過去に地獄に流している」という事実はすっと入ってくるのだが、実際はこれは作中では一言も語られない事実である。具体的には「松田の胸に刻印があること」と、「父親の話題になった時に松田が刻印を押さえ、沈んだ表情になる」ことだけが描かれるのだが、これだけでも上記のような事実はきちんと理解出来るのだ。もちろん「父親の何が悪かったのか」「何故流す決心をしたのか」といったディティールは分からないが、今回のエピソードの場合、「松田が地獄流しの存在を知っている」ことが必要だっただけなので、このような非常に少ない描写のみで1つの地獄流しを暗示してある。
また、水原の持っていたビデオカメラや高級な腕時計といったパーツの使い方もなかなかうまい。水原というキャラクターは「いじめられるくらいに腹の立つKYな金持ちのボン」というキャラクターを描く必要があるのだが、彼が特に自慢するでもないのに時計に固執してみせたり、いざとなるとそれすらもしれっと相手に渡そうとしたり、といった演出によって、うまいこと「腹立たしさ」が現れている。あらすじには書いていないが、いじめを逃れたかに見えた水原が、すぐに高校に進学したあともいじめられそうなことを暗示する鬱オチもきちんと短くまとめられていてナイスだ。余談だが、彼の自室に溢れかえるDVDソフトは、タイトルが「ジュラシックパール」「ナルニヤ戦記」などの洋画パロディと「天国少女」、そして「逮捕するぞ」というアニメのもの。「逮捕しちゃうぞ」のアニメ1期の製作はスタジオディーンで、当然監督はわたなべひろし。これ、まめ知識な。
さておき、こうした尺を詰めた演出の努力は買うが、今回のシナリオは流石に無理矢理感が否めない。「空気読めない金持ちの馬鹿にムカついて」という根本的な動機が「隣(9話)」とかぶっているし(構図は逆だが)、どれだけ妹との家庭を描いて松田の苦労人としての背景を補強したとしても、結局この怨みは妬み嫉みの類いのものである。松田君の苦労には同情するが、ちょっと共感はしかねる。松田君が本当に家族を思ういい子ならば、地獄流しを食らうことだけは絶対に避けようとしたはずで、あそこで啖呵を切って水原にトラウマを植え付けつつ犠牲になる意味が分からない。どれだけ演出がいいとは言っても、水原が命をかけるほどムカつく奴だとは思えないしねぇ。そもそも推薦受けられないのって自分の努力が足りないからなんじゃないか? 「俺はお前を逃がさねぇ」とかイキってるのも最初は「ホモか」と思ってしまった。流す側の心理は理解出来るが、流される側の信念に一貫性が無い。それが今回のシナリオの難点である。
で、メインのストーリーの話はここまでにして、今回から本格的に急転回が始まったゆずきを取り巻くストーリーである。2クール続けてきた「三鼎」のまとめの時期ということで、これまで一緒に見てきた「賽河原」という町全体が物語に巻き込まれていっているのが伝わってくる。
まず、今回の松田・水原エピソードが持つ意味は、「地獄流しの理不尽さ」の補強である。共感が得られるかどうかはおいておくとしても、脚本家の意図は「こんなに家庭思いでいいお兄ちゃんだった松田が流されるなんて、可哀想に!」ということだろうから、おそらくゆずきにとっても今回の一件は「理不尽な地獄流し」の1つとカウントされただろう。そして、事後にゆずきの教室で起こったヒステリー現象。「お前も、お前も、みんな流そうと思ってるんだろう」という恐怖は、「二籠」のラブリーヒルズ編で起こった「地獄通信の前景化」の再来である。「理不尽さの顕現」と「前景化」は、20話で溝呂木博士のまとめていた地獄通信の重要な性質。このまま賽河原も第2のラブリーヒルズと化してしまうのだろうか。そして、そんな怨みの連鎖に、ゆずきはどうやって立ち向かっていくのだろうか。
「地獄少女の跡継ぎ問題」、そして「ゆずきの正体」というファクターに関して改めて触れる。今回もきくりは「あいの次は私だー」とゆずきに宣戦布告をしていたが、それを見守る骨女と一目蓮の話で非常に興味深かったのは、「お嬢が新しい地獄少女なんか育てると思うかい?」という一言。
そうなのだ、そこがこれまで一番ひっかかっていた事項なのである。あいは「二籠」のラストで復讐の空しさを理解し、自らの命を賭してまで船を戻すという行動で、地獄流しへの対抗の意志を表明した。そんな人間が、ここにきてわざわざ後継者をピックアップするためにゆずきに苦難を与え続けているというのは、非常に奇妙な構図なのである。「第2の閻魔あい」を人為的に作るのがおかしいとなると、やはりゆずきは「地獄少女になる」というよりも、既に「地獄少女である」と考えた方が自然になる。ちなみに、あいの言う「私を恨んでいるんでしょう、流したいでしょう」との挑発であるが、実は過去にも閻魔あいを地獄に流そうとした人間が居る。これが非常にマイナーなのでほとんどの視聴者は知らないと思うが、文庫版「地獄少女 恨の紋章」の主人公である松宮渉だ。ネタバレになってしまうが、この「あいを流す」という試みは失敗に終わっている。流石に地獄少女自身を流すという依頼はタブーにあたるらしい。今回ゆずきがそのような選択をすることが狙いならば、やはりあいとゆずきはどこか対等な「地獄少女」であるとも推測される。このことを探っても答えはまだ出ないのであるが、気になるのは、前回から続けてゆずきの脳裏によぎった巨大な桜のイメージ。この桜のイメージがゆずきの正体に直結しているのは間違いないのであるが、前回は「桜」というモチーフで心当たりが無いというのでパスしていた。
が、改めて気になったので、今回過去のエピソードをチェックした。そして1つの風景が浮上してきたのである。それは、閻魔あいの生まれた地だ。具体的には1期のラスト3話で柴田一とつぐみが向かった、あいの故郷にある「七童寺」。すっかり忘れていたのだが、つぐみはあいの視界共有を通じて、この地に残る巨大な桜の木を頼りにあいのオリジンを知った。25話であいの怒りが暴発して桜自体は既に残っていない(それどころか寺自体が焼き払われてしまった)が、地獄少女の世界で最も象徴的な桜は、間違いなくこの地の物だ。ゆずきの思い浮かべているイメージがこの七童寺近くの桜であったとしたら、一体どういうことになるのだろう。
考えられる案の1つ目は、ゆずきがあいと同じ村の、同じようにして亡くなった山神への捧げものであったという場合。あいの生まれ育った村では7年に1度、7歳の子供を供物として捧げていた。同じ村の出身ならば、目にした風景も同じはずだし、同じ怨みを持ってもおかしくない。また、似たような案としては怨みの念によって復活したあいによって焼き滅ぼされた村の村人、というのも無くはない。この場合、あいが今回語った「あなたは私を恨んでいる」という言葉も更なる意味を持つことになる。ただ、ここで突然「当時は名も知らなかった村人Aの生まれ変わり」みたいなキャラが出てくるのもちょっと弱い気がするので、もう少しそれっぽい案としては「あいの生まれ変わり」というのもあり得ない話ではない。あいの魂は怨みにまかれて「閻魔あい」として地獄にとらわれたが、その時にあいは確かに死んでいるのだ。「あい」と「閻魔あい」が分化したあとの「あい」の輪廻転生というのは一応つじつまが合う。まぁ、その場合は記憶が無い理由が分からないけど(現注:当時はここまで考えていたのだが、結局関係無かったのは無念であった)。
「二籠」であいが解放した「あいに関わる者の魂」の1つ、というのはどうだろう。「藍に関わる者の魂」も桜のような樹の根元に捕われていたし、それが「二籠」のラスト以降に人間の形で顕現し、ゆずきになったと考えることも出来る。あれが何年前の事件かは定かでないが、多分10年は経っていないだろうから、「御景ゆずき」の人生のスタート地点が幼年期をスキップしている理由にもなる。時代考証だけならば、一期であいが七童寺を焼き払った時点で生み出された何か、という案もある。この場合、ゆずきが15歳くらいという前提に立つと、当時7歳だったつぐみは22歳。むー、ちょっと落ち着き過ぎか。色々と考えられるが、現時点では全て単なる妄想でしかない。どちらかというと、今回のラストシーンにあった近所のおばちゃんの「あら、あの子……」という思わせぶりな台詞や、ゆずきの自宅の前(とはとても思えないような場所)の荒んだ風景など、次回に引く要素の方が興味深い。どこまでが本当で、どこからが幻想なのか。気になることは山盛りだ。あと3話でどうまとめるんでしょうか。
そして、今回個人的にヘヴン状態になったのは、あいとの問答の前の雑踏のシーン。なんと、ここでこれまでの地獄流し経験者が一堂に会するという、過去に例のない場面があるのだ。基本的に「地獄少女」シリーズのキャラクターってそこまで顔の造形に差が出ないから、何となく見てた人にはどれがモブでどれがゲストキャラかの区別はつかなかったろう。まぁ、正直私も何回か巻き戻して1人1人確認していったんだけど。折角なので丁寧に見ていくと、まずゆずきが視界に捕らえたのは「籠ノ鳥(2話)」の北山明。寂しそうに肩を丸めて歩いているところを見ると、やはり山岡美津子との音信は無いのだろう。続いて「兄貴(4話)」の湯川猛。元のいじめられポジションに戻ってしまった彼は、相変わらずいじめっ子らしき連中から囲まれておびえている。次が「愛しのセンセイ(6話)」の諸星綺羅。彼女は6話エンドでもすぐに輪入道に鞍替えしていた楽天家なので、普通に友達と談笑しながら歩いている。「隣(8話)」の初見みおいは愛犬のモモの散歩中。無事に退院出来たようだ。「はぐれ稲荷(9話)」の稲生楓は大量の数珠を身につけ、黒い大きなフードを目深にかぶって鬼気迫る表情。完全にあちらの世界に身を投じたのだろう。「兎と亀(15話)」の篠原うさぎは普通に商店街で買い物中、「鏡の中の金魚(10話)の市村和也も普通に歩いているだけ。「真夏のグラフ(12話)」の篠山心は新しい彼氏とのデート中だろうか。
全部で8人もの「刻印持ち」が集まっているシーンはそれだけでかなり面白い。ちなみに、折角なので登場していない「刻印持ち」も確認してみよう。「奪われた少女(1話)」の平石逸子は、ラストに転校したことが明かされているので賽河原にはいない。「腐った果実(3話)」の百田昌子や「滲んだ頁(11話)」の浅羽須美と道生由比も、多分この街の住人ではないだろう。「藁の中(17話)」の芦谷富士子は故人なので言わずもがな。「うつせみ(5話)」の新山美和は、先生だからまだ仕事中だろう。「六文灯籠(13話)」の真山梓や「雪月花(19話)」の百鬼花諸里が登場しないのはゆずきの心情を慮ってのことか。最近の事件の依頼人はほとんど顔を見せていない(具体的には桔梗と菊池海斗、美園結香(純香))。
居ても良さそうなのにいないのは、まず「うそつき(7話)」の犬尾篤志。ひょっとしたら、もう精神状態が駄目かもしれません。そして「スペシャルレディオ(18話)」の浜野知里子もいない。彼女については唯一ゆずきのクラスメイトなので、その前のクラスでの騒動のシーンに居るのかもと思って探してみたのだが、やっぱりいないみたいだ。ひょっとしたら登校拒否になっているのかもしれない。そして面白いのは「誘惑の罠(16話)」の存在で、依頼人である名和章宏も宮島由貴も姿を見せてはいないのだが、そのずっと前のシーン、松田たち就職志望の生徒たちが実地で社会科研修に向かった鉄工所が、16話の舞台となった名和達の職場なのである。見覚えのある鉄工所が出てきた時には訳も無くテンションが上がった。ただ、いくら探しても名和や宮島の姿は見えない。16話時点では「未来」の出来事だったが、宮島も無事に地獄流しを終えて故郷へ帰ったのかもしれない。
今回のエピソードを分析するにあたって、改めて1期のラスト3話を見直したのだが、すっかり忘れていた接点がちょいちょいあるので驚いた。例えばつぐみが耳につけている特徴的な蝶の形のピアスは、彼女の母親を象徴するもの。溝呂木博士のところで「私もはじめちゃんを……」と漏らしたのは、未だ母のことが忘れられず、父親に対して怨みの念が消えきっていないことに対する自戒の念なのかもしれない。また、全然関係ないかもしれないのだが、1期のラストシーンとなった「七童寺」は、その境内に6体の地蔵がたっていた。ご存知の通り、ここ賽河原の地にも6体の地蔵がある。果たして何を意味するのか。
そうそう、もっとどうでもいい事にも気が付いた。最初は「あれ、この受験会場、並び方おかしくね?」という揚げ足取りだった。ゆずき達が受験していた会場での席順が、前からゆずき→そら→望→球代となっていた。「おかしいじゃん、普通こういうところはアイウエオ順じゃね? それなのに前から御景、江上、尾藤、椎名……あ! この連中って名字がABCだったのか!!!」 ……うん、どうでもいいんだけどね。いまさら気が付いたからさ。そう考えると「高杉秋恵」はやっぱり特別な立ち位置だったんだなぁ。
最後にやっぱりキャストの話。今回(一応)メイン扱いの水原文男役は、ヘタレ役なら神の領域、阪口大助先生。最近は「ガンダム無双」絡みでVガンダムの映像を見る機会があったのだが、放送当時の阪口ウッソの演技はかなりひどいものだった。あれがデビュー役だったのかぁ。華々し過ぎるわ。今ではすっかり1枚看板ですな。そしてそんな阪口をいじめる硬派なシスコンの松田君役には、最近方々で主役を演じて回っている「地味だけど一流どころ」の間島淳司。「とらドラ」でようやく看板といえる役に出会えた感。なかなか豪華な共演ではあります。ついでに松田の妹の涼美ちゃん役には、某憂鬱ですっかり「妹声優」として知名度の上がったあおきさやか。牛さんフードをかぶった涼美ちゃんは非常にかわいらしかったのだが、地獄少女的には「愛しのけいちゃん(2期3話)」のヤンデレイメージなんですけどね。鉄工所のシーンで16話の加世ちゃんが再登場してくれたら夢のロリ共演になったのになぁ。
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