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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 このクライマックス感、第8話。最終回直前であるかのような凄まじい緊張感である。まだ8話目だぞ。残りの話数で何すんねん。

 ついに牙を剥いた(爪を広げた)ユリーカ。彼女の名字が持つ「箱」の文字の通り、今回は「箱」という言葉が新たなキーワードとして徹底的にフィーチャーされている。まぁ、元々「壁の外と内」という概念が重要だったお話なので、「内と外を隔てるもの」としての概念が補強されただけとも言えるが。「箱」の本質は内部と外部の2つの世界を切り分けることにあり、トポロジー的にも(ものすげぇ大雑把に言ってしまえば)「断絶の壁」と同じではある。幾原作品に限ったことではないが、結局物語の進行というものは二者択一の選択を繰り返すことで進行するものであり、ドラマのあらゆる局面も、切り分けていけば「内」と「外」に二分される。これまでは「壁」というタームや、「透明か否か」という表現でそれを表してきたが、今回は新たにそこに「箱」という言葉が加わった。

 今回赤裸々に語られたユリーカの半生を追うと、この「箱」というのが彼女の人生観を左右する重要な概念となっていることが分かる。「ヒトの中に捨てられた熊」という不幸なスタートを切った彼女の人生は、一切余剰を語られなかった「彼」と呼ばれる人間によって生きながらえる(「彼」の性別に関する議論は後述)。彼は非常に明確な信念を持ったちょっと変な人間で、「大切なものは箱にしまわなければ穢れてしまう」という。そんな彼を唯一の関係者として育ったユリーカは、「純粋なもの」として彼という箱の中で育てられたが、ある時、彼は「より純粋なもの」を見つけたといってユリーカのもとを去る。この時に彼が何を見つけたのかとか、彼とユリーカがどんな関係であったのかは、今回はさしたる問題ではない。あくまで、「ユリーカに彼のイデオロギーが徹底的に植え込まれた」ことさえ理解できればいい。「箱の信念」を与えられたユリーカは箱の内外を「純粋」と「不純」に切り分けて生きてきた。そこに、「箱の外の純粋」というイレギュラーである澪愛が現れることで物語は動き、いわば「ユリーカの箱が開いた」状態へと移行する。彼女の中で絶対であったはずの「箱基準」が、澪愛というたった1つのイレギュラーで崩れたためだ。

 しかし、自体は我々の知っている通り、悲しい結末へと辿り付く。澪愛に子供が生まれ、彼女の「本当の好き」が娘の紅羽へ移った(と、少なくともユリーカは思った)のだ。ユリーカにとって、澪愛は「本当の好きを持つからこそ純粋」なのであって、自分以外に「好き」を認めた時点で澪愛は穢れてしまう。そのことを怒り、悲しんだユリーカは、再び自分という「箱」の中に澪愛をしまい込むため、涙ながらに彼女を食べることを選択したのである。その決定打となったのは、澪愛が「好きの証」であるペンダントを銀子に譲ったことであるが、彼女がそのような行動に出た意味は、まだ完全には明らかになっていない(娘の「本当の好き」を大切にしたためであろうが、そこであのペンダントを譲ってしまうのは、現時点ではいささか薄情に映る)。

 シナリオだけをなぞれば、彼女の行為自体は特に意外なものでもないし、これまでずっと用意してきた「黒幕」なので、満を持しての「クマダーク!」も「いよいよ来たか」という感じではあるのだが、ここに来て「境界性」というモチーフがはっきりと描かれたことによって、様々な含蓄を伴った、この作品そのものといえる不可思議な存在感を持つことになる。まず、今回るるがしれっと口にした「クマリア様は壁の神様だから」という一言。今まで「壁の神」なんてフレーズは聞いたことが無かった気がするのだが、どうやら熊側から見たクマリア様は「境界の維持」を司るものらしい。そういえば銀子が入れられた教会でも「壁の番熊」が「クマリア様のお手伝い」だったんだっけ。熊から見れば「ヒトとの隔たりを表す断絶の壁」は尊いものであり、2つの世界を隔てて秩序を守る大切なものである。しかし、ユリーカは何の因果かそんな壁を越えてしまった「穢れた」存在である。境界を維持することを生まれながらに否定し、ヒトとして生きることを選んだ熊。箱の教えによって純粋さを尊ぶ彼女こそが最も曖昧な存在であるというのは何とも皮肉な状況。そこで彼女は「壁」という二分法ではなく、「箱」という二分法、言い換えれば断絶の方法を学ぶ。ヒトの中で生きていく為には、ただ何かを一面的に遮断するだけでは駄目なのだ。箱の中に入れ、全方位からの隔離を成さなければ、彼女はヒトの世界で生きていくことが出来ない。クマリア様の代弁者たるジャッジメンツを前にしたユリ裁判では、彼女は最終的に好きを諦め、箱になることを選んだ。「自身」という箱の中には、食べることで同一化を果たした澪愛が入っている。ただ、あくまでそれは彼女の思っていることであり、彼女を食べてしまった時点で、既に「好き」を諦めている。つまり、ユリーカにとって澪愛を「純粋なもの」として自身の中で守り続けることは既に目的ではなく、そうして「不純だと認定したもの」を抹消することにより、何よりも自分自身の存在を、必死に箱の中に隠している状態であろう。

 そんな彼女が手に入れたのが、嵐が丘学園という巨大な箱である。もちろん、彼女の守る「箱」なのだから、不純なものを入れておくわけにはいかない。箱の中身は常に純粋であるべきだ。しかし、彼女は熊である。正確に言えば「熊を捨てたヒトのようなもの」であるが、どっちつかずであるのは間違いない。そんなユリーカが「純粋なヒト」を箱の中にしまい込むのもためらわれるし、だからといって熊を認めるわけにもいかない。そこで彼女が作り出した純粋さを維持するためのシステムが、透明な嵐ということになる。好きを諦め、「群れ」としての合一性だけを目的とした透明な嵐という存在(現象?)は、ヒトから「ヒト性」を奪い、純粋な群れを維持するギリギリのシステム。これを維持し続けることで、彼女は学園の純粋さを保つ。もし、そこに熊が現れればそれは排除する必要があるし、本当の好きを掲げる学生が現れれば、それは自らの手で処分することも厭わない。針島は、ユリーカを前にして「本当の好きを手に入れた」と宣言したがために、彼女の箱から「排除」されてしまったわけだ(排除された子供たちも、彼女の部屋にあるチェストボックスという「箱」にしまわれて純粋さを維持されるのは皮肉な措置である)。こうした「箱性」というのは幾原作品ではよく出てくるモチーフであり、個人的にはピングドラムの渡瀬が閲覧していた図書館の本箱(氷の世界)が印象的だった。

 ユリーカの「どっちつかず」の境界性は他の部分にも表れており、1つには前述の通りの「男性性」というキーワードがある。今作はタイトルに関する「ユリ」の名の通り、徹底的に「男」を排除している。何故こうなっているのか、ぶっちゃけ色々想像しながらネットでも意見を眺めてみたのだが、なんかメタレベルの高い結論が多かったのでここでは深入りは避ける。今回のお話に繋げて言うなら、「純粋さの維持」ということになるだろうか。何しろ澪愛が紅羽を授かった描写はあるというのに、そこにすら父親は一切現れない。ユリーカの「好き」が揺らぐきっかけだって、本来なら「子を成した」→「澪愛が愛した男がいる」という流れになるのが普通であるはずなのに、わざわざそこをズラして「子供が生まれたこと」をきっかけとしているくらいである。この世界で「男」を想起させるキャラクターは現時点でわずか5人(正確にはクマカロンのお父さんとかもいたけども)。そのうちジャッジメンツの3人は、「境界の守護者」だと自分たちで明示しており、明らかな超越存在であるとともに、境界的で曖昧な存在でもある。決して「好き」が絡まない「外野」としてのみ、純粋な「男キャラ」は存在出来る。4人目は、るるの過去話に登場したみるん王子である。「王子」と言っていたのだからそりゃぁ男だろうし、「好き」に関係してくる男キャラとしては非常に重要なのだが、彼の場合もまだまだ子供だったので「男性性」は強く意識させないキャラになっているし、るるとの関係性も男女の情愛とはほど遠いところにあり、あくまで「るるの寵愛を崩しかねない不穏分子」としての男性性である。結局るるはみるんという存在を破棄して銀子と行動をともにしているというのも注意すべき点だ。対して、ユリーカにとっての「彼」は絶対である。何しろ澪愛との決別のシーンでは彼の語った人生訓がフラッシュバックしているわけで、澪愛に裏切られたと思った時点で、彼女の中でのプライオリティは彼が澪愛を上回っている。まぁ「彼」と言ってもCV能登麻美子なので相変わらず曖昧ではあるのだが、「男性との関係性がイデオロギーの根幹を成している」時点で、彼女は不純であり、イレギュラーである。

 そしてもう1つ興味深い対比として、動と静の境界性というやや抽象度の高いモチーフも存在している。具体的には、彼女の居室や学園のホールに刻まれた「ユリから鳥へ」というレリーフの存在。これまであまり意味を見出せなかったこのレリーフであったが、今回、紅羽が銀子と対峙する雨の屋上のシーンで、紅羽の動揺をあおり立てるかのようにして鳥のモチーフが登場している。片方の極が「ユリ」であることから、この「鳥」は「ユリ」と対比的な存在であると考えるべきだろう。この世界での「ユリ」はジャッジメンツが承認する「本当の好き」(今回は本当の箱)の象徴であり、不動の存在である。他方、鳥というのは動物であり、動き、変化するものである。やや読み込み過ぎではあるかもしれないが、ユリーカが1つの「ユリ」に収まらず、「箱の管理人」として飛び回り、「ユリ」を切断して回っていることの表れといえるのではなかろうか。

 今回、こうして様々な側面から語られたユリーカの人生(クマ生?)。非常にエゴイスティックであり、紅羽を陥れ、銀子を亡き者にしようとする態度などは許し難いものであるはずなのだが、何故か不思議と涙を誘うものがある。彼女が失意の果てに澪愛を食べるシーンなんかは、不思議と泣きそうになってしまった。「空っぽで透明」な彼女を満たすことは永遠に出来ないのだろうか。たとえ紅羽を「食べた」としても、彼女が満たされることはないのだろうし……なんだかひどく空しい気分にさせられるお話。

 そして、こうした彼女の策謀の中、銀子と紅羽もそれぞれの戦いを続けている。母の死を乗り越え、一度は銀子を許し、本当の友達になろうとした紅羽。しかし、そこには最後にして最大の「断絶の壁」が待ち構えており、ユリーカが伝え、るるが告げた「純花の真実」が立ちはだかった。銀子にはもはや逃げる気などなく、彼女の猟銃を受けることで「本当の好き」を成そうとしている。なるほど、だからこそサブタイトルが「LOVE BULLET」なのか。「月の娘と森の娘」でも、月の娘は猟銃を握り締めて壁の前に立った。熊を破壊するための弾丸は、壁を取り払うための武器にもなりうる。立ちはだかる「境界」を前に、紅羽の決断はどのように揺れ動くのか。今回のるるの立ち位置がちょっと不憫だったので、出来れば彼女にも幸せと言える結末を迎えて欲しいものだけど。あと、これはむしのいい話であるが、出来ればユリーカも救われてほしいと思ってしまった。彼女の純粋さにも罪はなくて、ある意味「生まれの不幸」ではあるんだよなぁ。箱を開けてくれる存在、澪愛と純花。その2人の「好き」を受けた紅羽が、ユリーカも受け入れられればなんとかなると思うのだが……流石に銀子に加えてそれ以上の慈愛を示すのは難しいか。うーむ。

 今回の結論:熊を見つける一番の方法は、新巻鮭。

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