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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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「昭和元禄落語心中」 7→8

 例によって毎週あれだけびっちり感想を書いていたので、今更特に言うことも無い作品。今期のDEENはこれに加えて「このすば」も担当してたんだよな。なんとも不可思議な恵まれ方があったものだ(もう1作品あったけど、それは置いとこう)。

 改めて、化け物じみた作品であった。わざわざ落語をアニメにするというチャレンジ。落語が見たい・聞きたいなら、わざわざアニメを見る必要は無く、本物の落語を聞けばいいだけの話。寄席に行かなければ駄目だった作中のような昭和の時代とは違い、今はあらゆる方法で様々なメディアに接触出来るのだから、今作は落語の代替品として求められるものではない。つまり、「アニメの落語」ではなくて「落語のアニメ」が求められていたわけだ。その新たなチャレンジ対する史上初(?)の解答として、この作品はほぼ完璧なものを提供していた。「アニメでしかなし得ない落語の武器とは何か」ということが練りに練り込まれ、1つ1つの演目に演者や舞台の意味を付与していき、それに見合った演出でもって「落語アニメ」を提供していく。助六最期の演目であった「芝浜」では、尺の問題とそれに対する解答の与え方について触れた。親子徒然の3人落語「野ざらし」はかつてない落語の演じ方について触れた。菊比古の脱皮の結果として表れた「品川心中」における画面効果の進展も見たし、それを観たあとで、改めて1話の「鰍沢」を振り返ったとき、八雲という人間がどのようにして自らの落語を高座の上で熟成させ、鎮静させたかが見て取れる。ドラマとの兼ね合いでは悲痛なまでに真に迫った菊比古の「死神」も必見だ。「落語心中」という1つの漫画原作があり、そこには至極ありふれた、日本古来からのメロドラマがある。そのドラマを「落語のアニメ」として組み上げる際に、あらゆる要素を「落語の魅せ方」に付随させるために、舞台装置は作りあげられたのだ。

 改めて、今作に畠山守監督を抜擢してくれた制作スタッフには感謝したい。氏の見据えているアニメの演出論は、今作の持つ独自性と見事にマッチしており、想像以上の完成度を見せてくれた。過去作においても必要以上に言葉を費やさず、徹底して画面の見えで物語を組み上げる演出方針には感心させられたものだが、そんな見せ方が、まさか「語り」を主体とする落語というテーマにここまで馴染むものだとは思っていなかった。ドラマ部分での説得力の持たせ方が、それぞれのキャラクターの落語の舞台にもフィードバックされていくことがよく分かるというのは、非常に面白い個性の掘り下げ方だった。今回は菊比古・助六という2人の噺家について徹底的に掘り下げられたわけだが、無事に2期も決まり、今後はさらに与太郎も含めた多様な広がりを見せることになるだろう。次のシリーズが今から楽しみでならない。

 一応最後に中の人に触れたいところだが……もう、今作はどうにもならねぇや。全員本気すぎるからな。家中宏や牛山茂といったベテラン勢の仕事も光るが、まぁ、素直に山寺宏一、そして石田彰のツートップだろうよ。僕の中で石田彰はもう「菊さんの中の人」という新しい格付けが動かないと思います。

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