「Planetarian〜ちいさなほしのゆめ〜」 6→6
トータルの時間出考えればショート枠よりも短いくらいなのでカウントしなくてもいい気がするが、最後まで観てしまったことだし、記録する意味もありそうなので、一応1ヶ月以上も他の作品に先駆けてのゴールということに。ごたごたしたせいで放送からちょっと間が空いてしまったけども。
たとえ誰にチョロいと言われようとも、良い作品でしたよ。もう、余計なぜい肉を全て取っ払ってとにかく直球以外の選択肢の無いシナリオ設定。ベタベタで、いくらも見たことがありそうなお約束展開に、特に救われるでもなく、みたされたとも言い難い結末。お涙頂戴の非常に分かりやすい全体像には、とにもかくにも伝統様式という言葉しか浮かんでこない。でも、それでいいじゃない。奇を衒うばかりが作品作りじゃない。こうして、身の丈にあった時間で、身の丈にあった品質で、狙った通りのお話をまっとうする。これでこそ、誠意ある作品作りというものである。多分、突き詰めれば「プラスティック・メモリーズ」なんかもこれと同じ感動を作りたかった作品なのだろうが、諸々のしがらみ、制約に縛られてしまった結果、あんな残念な結果に終わった。今作は、そうした「諸々」を全て排除したおかげで、素材の味を純粋に楽しむことに成功したのだ。
一番の功績は、多分変則的なアニメの構成自体を作り出したことなんじゃなかろうか。5分枠ってわけにもいかないし、かといって1シリーズではくどくなりすぎる。わずか5話というOVAみたいな編成だからこそ可能だった、このゆとりと余韻の物語。他のアニメだってこれのように自由に尺が調整出来れば悲劇なんてなくなるはずなのだが、そうそう上手くいかないのは現行のアニメ制作体勢をご存じならば周知の事実であろう。今作の場合、引き続き劇場版が用意されており、そちらのプロモーションという意味合い、さらに劇場版も加えて改めて一本の作品としてパッケージを成立させるという商業上の自由さがあったおかげで、このような変則的な制作スタイルが可能になったのだと思われる。作品にぴったりの枠を用意出来るかどうかというのも、今後のアニメ制作の1つの争点になってくるのかもしれない。
もちろん、尺がフィットしていたことだけで全てが良かったと言っているわけではない。本作はほとんどが2人のキャラクターだけで語られる、一種の寸劇みたいなものなのだが、ベタな設定とはいえ、それだけに台詞の選び方、心情の書き出し方は非常に丁寧なものになっている。最終回を見れば分かるが、ゆめみの発してきた「プログラム通りの」言葉は、全てラストエピソードでの哀愁を引き立てるために組み立てられている。それまでの交流の1コマ1コマが無駄にならないよう、単に「何となく哀しい」とか「何となく愛しい」というだけでない、心の交流を演出しているのだ。このあたりの「お涙」に訴えかける手腕は素直に大したもんだと思う。Key作品(のアニメ)というと最近はそうした「お涙」要素が空振りばかりしていた印象なのだが、今作は「CLANNAD」以来の、素直に泣けるお話になっていた。「ロボット」というサイバーかついかにもアニメ的なヒロイン像に、どこかノスタルジックで、子供の頃の夢を思い出させてくれる「星」という組み合わせも、一口に「萌え」だとか「泣き」だとかいう要素に落とし込まれない、絶妙な暖かさが出ていたのではなかろうか。プラネタリウムに行きたくなる作品だよね。
正直、外の世界のサイバーでハードな様子なんかは別に知る必要はないんだよね。作品として必要だった舞台はあくまでも「人のいないプラネタリウム」だったわけで。劇場版ってのがどういう風に物語を展開させていくのかは知らないが、そういう方向に持っていかないことだけは祈っておこう。まぁ、今作のスタッフなら見当違いの作品作りにはならないと思うけど。多分、劇場は行きます。
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